1926 古いアルバムの写真の場所を探してみる ~としまえんと小学生~

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小田急TIME

小田急TIME

Жыл бұрын

お茶の水駅、豊島園駅周辺を巡ってきました
音源はこちらをお借りしました
なつのこい by ISAo 様
dova-s.jp/bgm/play7419.html
落ちる葉、移りゆく秋の中で by 蒲鉾さちこ 様
dova-s.jp/bgm/play15258.html
人狼の為の子守唄 by しゃろう 様
dova-s.jp/bgm/play2863.html

Пікірлер: 90
@sadatachiyo64
@sadatachiyo64 Жыл бұрын
なぜか最後の写真の笑顔の二人を見て涙が止まらなくなりました。全然知らない人たちなんだけれども・・・。二人,いや写真に写っていたすべての人が幸せな人生を送れたことを切に祈ります。
@user-tq6gr3me6u
@user-tq6gr3me6u Жыл бұрын
父親・母親を写真で見る限り、結構良い家庭=裕福な家庭かと 中々この時代に写真を撮られる家庭も珍しかったと思います
@asa8765
@asa8765 Жыл бұрын
幸子さんは私の亡き母と同じ年齢です。 母の一番古い写真は、オシャレをして銀座で撮った娘時代のでした。当時、生まれた直後から幼年期、私立の学校の写真から幸子さんは裕福なお嬢さまだったのがうかがえます。 お父様は高齢だし、楽しい青春時代には戦争下でどう生き抜いかれたのでしょうか? 名前のごとく幸せな人生だったとお祈りいたします。
@nz6241
@nz6241 Жыл бұрын
豊島園の花火も子供のころ家から見えたのが印象に残っています。 懐かしいな。
@user-jf7wg2di5d
@user-jf7wg2di5d Жыл бұрын
カラーにすると一気にリアル感が増しますね… この方やご子息が現在でもお元気でいらっしゃることを願っております。
@user-iq4hk4qk1j
@user-iq4hk4qk1j 5 ай бұрын
小田急TIMEさんの先人の方々に対しての敬意のある語り口調が大好きです。
@user-zu9ee8gq7g
@user-zu9ee8gq7g Жыл бұрын
もう存命じゃないかもしれないかたのアルバムを見るのは切ないですね。
@osaka_oji
@osaka_oji Жыл бұрын
戦前の幸せそうな家族の写真を見るのは、その後の事を考えると切ないね。
@bandanosakura
@bandanosakura Жыл бұрын
私の両親とほぼ同世代の幸子さんですが、私の両親の子供時代の写真なんて全くありません。 これだけの写真を撮影出来るとすればかなり裕福な御家庭だったのだろうなと思います。 然し古本屋さんにこのようなアルバムがあるなんて、私も一度探しに行ってみたくなりました。 こういう古い写真って嫌でも郷愁に駆られますね。 もう胸が張り裂けそうになります。
@yasutaka3787
@yasutaka3787 Жыл бұрын
大正10年生まれですか同じ大正10年生まれの母が5年前に97歳で亡くなった母の事を思いだしました。 アルバムのさちこさんはかなり裕福な生まれみたいですね。 うちの母は養女に出され養父母が無くなったっ後丁稚奉公に行って苦労したことをよく話してくれていました。 ふと亡き母を思い出し思わず涙ぐみました。
@user-qe7ls3id9k
@user-qe7ls3id9k Жыл бұрын
きっと都内の裕福な御家庭の方だったのでしょう。 自分も死ぬまでに幼少期のアルバムの場所に今一度行っておきたいです。生まれた時に住んでいた社宅、通った幼稚園… 感慨深く拝見いたしました。
@user-zq2sh2yn6b
@user-zq2sh2yn6b Жыл бұрын
アルバム売るほど困ってしまう事情がもしあったとしたら相当ですね… この写真の方々はもうお亡くなりになっているのかもしれませんが子孫の方が偶然見ていらっしゃったらいいですね。
@user-mz1bg9gh9o
@user-mz1bg9gh9o Жыл бұрын
不覚にも涙がこぼれてしまいます
@user-nt5249
@user-nt5249 Жыл бұрын
偶然に、ここに迷い込みました。何気なく見て、「へぇー、こんな角度から見知らぬ方々に思いを馳せる、すごい!」って感動して見入ってしまいました。古いアルバムに登場する見知らぬ人々へのほんわかとした尊敬の思いが、この動画制作者ににじみ出ていますね(縦時間軸軸)。ということは今を生きる人々を尊敬し大切にしようっていう考えが伝わってきます(横時間軸)。
@user-jy4ux9od8b
@user-jy4ux9od8b Жыл бұрын
古いアルバムの見知らぬ方達の人生の一部だけの情報で良く探されるな、と関心します。正に人に歴史あり。これからも動画楽しみにしてます。
@user-mn8hl5ze8u
@user-mn8hl5ze8u Жыл бұрын
皆さんのコメントの中に、写真の父親が66歳だったことから、幸子さんを「妾の子」だの「二号さん」だのと、憐れみと侮蔑の入り混じった表現がありましたが、何を隠そう、私も私生児として昭和20年後半に生まれました。 父親が48歳、母は29歳だったと思います。小学生のころから「妾の子」「二号さん」とからかわれて過ごして来ましたが、今は何も隠すこともなく、私を医師になるまで育ててくれた母に感謝しています。
@yasup2364
@yasup2364 Жыл бұрын
このチャンネル好きです!
@grandcreek5384
@grandcreek5384 Жыл бұрын
2:05の写真の脇の文字ですが「昭和四年お茶の水小学生の出来たて」と書いてあるような気がします。
@user-ck1tq3rt3w
@user-ck1tq3rt3w Жыл бұрын
流石に百年前のお写真には本当に畏怖の念を感じずにはいられません。 凄い歴史エレジーですね……!!
@sujakuyasuhiro
@sujakuyasuhiro Жыл бұрын
時の流れの無情さを感じますな🥺
@mankasu-chan
@mankasu-chan 4 ай бұрын
4:31 同 六月 豐嶋園 遊ブ って書いてあるのか…
@Mn-gg4yr
@Mn-gg4yr Жыл бұрын
綺麗な方ですね。家柄もいい。
@user-wk8rh7gp5p
@user-wk8rh7gp5p Жыл бұрын
写真の幸子さんは、どこかの令嬢ですね、記念写真のお召し物が素敵です。親戚の女性も品があって、いいところのお嬢様って感じですね、 お父さんが66歳って、晩婚なのでしょうかね❓お茶の水には、車で送り迎えだったのではないでしょうか、まさに時は移りですね
@user-hx5jq2wi2b
@user-hx5jq2wi2b Жыл бұрын
ファミリーヒストリー並みの取材力であれば簡単に特定できるだろうけど、誰だかわからないというのもロマンがありますな。
@amp3cx10000a7jp
@amp3cx10000a7jp Жыл бұрын
幸子さんは現代的な顔立ちであり豊かな微笑みが素晴らしい。 貧しい庶民が多かった時代背景に希望に満ちたいい想い出の写真に懐かしくも ちょっと涙誘う一コマでしょう。 あと100年もすれば今の我々の動画がこのようにきっと紹介されるのでしょうね。
@basara2045xx
@basara2045xx Жыл бұрын
約100年前、、、 いつも動画興味深くそして楽しく拝見させていただいております ありがとうございます 古本屋さんや古本市等で個人の古いアルバムも売っているのは初めて知りました!
@user-fb7rk1cb2g
@user-fb7rk1cb2g Жыл бұрын
いいどこのお嬢様って感じ 幸子さん可愛い❤️
@user-bg6fe2bt7s
@user-bg6fe2bt7s Жыл бұрын
不忍池の畔や深川の八幡様の参道で古道具屋さんに置いてあるアルバム とても懐かしい写真や更に昔の写真で食い入るようにみていました。 時代背景からするとかなり裕福な方々の写真やご家族の写真。 よくよく考えてみれば子供の成長や学生や会社の慰安旅行など華やかな喜ばしい写真が なぜ骨董品屋にあるのか?とても悲しい思いをしました。 自分の写真は終活で処分しようと決めました。 思い出は自分の胸に刻みます。
@butterbetty5875
@butterbetty5875 Жыл бұрын
「古本屋で見つけた」というのは少し残念ですが、「親戚の女性?」の美しいこと!整形手術のない時代でも日本女性は本当に美しかった。まさに大和なでしこですね。🗾
@kobahiro2346
@kobahiro2346 Жыл бұрын
この頃からパパって表現あったのか
@snowpapua
@snowpapua Жыл бұрын
しみじみと懐かしく過ぎ去った少女の日々がアルバムに残りました。大変美しい動画だと思います。なお、「としまえん」の前の写真は「京王閣」でしょう。当時は競輪場ではなく遊園地だったそうです。
@tetsuotamaki3734
@tetsuotamaki3734 Жыл бұрын
印画紙に残る記録の大切さを痛感します。現在はスマートフォンで静止画や動画が記録されていますが、それがどの様に残っていくのでしょうか・・・・。
@yasuhiromurano7863
@yasuhiromurano7863 Жыл бұрын
私の実家にも古いアルバムがたくさありました。 祖父がカメラが好きで、事あるごとに写真を撮り自ら現像もしていました。 昭和初期の頃から本人が師範学校当時の姿を含め貴重なアルバムを私が小学生(半世紀以上前w)に見せてもらった記憶が有ります。 今でも実家を探せばあるはずです。 写真って遠い昔の映像記録としての重要な役割がありますよね。 やっぱり印画紙で残っている方が時間(歴史)の重みが感じられて好きです。 その当時の場所や生活にタイムスリップしたり、誰が何のために撮られたのだろうかとか想いを馳せるのが楽しいですね✨
@sinzan777
@sinzan777 Жыл бұрын
アルバムシリーズ見てると遠い目になってくる
@gdd29
@gdd29 Жыл бұрын
思春期に入ってからの幸子さんの写真がアルバムからはがされているの、戦争期に入って幸子さんと結婚されたご主人がアルバムからはがして戦場に持っていかれたのかもしれませんね。それにしても昔の日本人はみなさん表情が良いですね。
@user-ui9te3cs1n
@user-ui9te3cs1n Жыл бұрын
裕福な家庭に育った方とお見受けいたします。その方のアルバムが古本屋に売られた経緯が気になりますが、波瀾万丈な人生だったのではと推察します。
@user-kg3zk9wq5r
@user-kg3zk9wq5r Жыл бұрын
幸子さんやその家族はその後の時代をどう生きたのでしょう? 昭和初期は、次に起こる戦過という激動に巻き込まれる束の間の平穏だったのでは、、、 それを思うと、写真に映る平和な日常の光景が切なく思えてしまいます。 古い写真は、浪漫もあり哀愁もありますね。
@douga9996
@douga9996 Жыл бұрын
そして今、新たな戦前に国を引っ張る岸田と極右勢力。
@user-wq9bn8ch3f
@user-wq9bn8ch3f Жыл бұрын
幸子さんに幸太郎さん 子の幸せを願う親御さんの気持ちですね やはり昔の女の子はみんなオカッパですね😊
@satoden8316
@satoden8316 Жыл бұрын
「お茶の水小学生の玄関にて」は、 「お茶の水小学生の出来たて」ですね。
@0309ken
@0309ken 4 ай бұрын
幸子さん、まさか死後にこうやって色んな人に見られるとは思ってもないだろうね。 美人は時空を超えて褒められるんだ。
@koichi2129
@koichi2129 Жыл бұрын
なぜ幸子さんは後半の写真を取り除いたのか・・・ご結婚? しかしなぜご本人かご親族かわからないが、古本屋で売られていたのか? 東京の方らしいが、空襲でも焼け残ったアルバム。 謎を追求したいが、一人の明らかに存在された方を詮索するのは良くないかもしれませんね。 小田急TIMEさんの美しいピアノ曲とともに流れる信じられない事実に大ファンになりました。 今後ともお待ちしております。
@s.a4789
@s.a4789 Жыл бұрын
アルバムは貴方にこの写真に写る人達が確かに生きた証を知ってもらいたくて貴方の元に来たのかもしれませんね。古本屋で偶然を装って。
@uepie8938
@uepie8938 Жыл бұрын
4:25の文字は「京王閣」ではないでしょうか?今は競輪ですが、元々は遊園地だったみたいですから。
@time3276
@time3276 Жыл бұрын
確かに京王閣と読めますね ありがとうございます!
@user-zj5mn8ew9g
@user-zj5mn8ew9g Жыл бұрын
幸子に幸あれ!
@user-fk2xy8ey7p
@user-fk2xy8ey7p Жыл бұрын
6:17の、おばあちゃん70歳前後だと仮定しても・・・この写真が、ピッタリ1926年であれば、1850年代生まれの可能性が。そう考えると感慨深い。江戸時代。この当時の家庭で複数写真が残ってると言う事は、裕福だったのでしょうね。貴重。
@kurorock4087
@kurorock4087 Жыл бұрын
お疲れ様です。公立の小学校に通わないって家は豊かな人だったのでしょう。 豊島園と言えば、スターどっきり丸秘報告でジェットコースターに乗るのを思い出します。セガサターンの発表会も豊島園だったと思います。
@user-bt3uz5nk9g
@user-bt3uz5nk9g Жыл бұрын
郷愁
@MICCHAN12199
@MICCHAN12199 Жыл бұрын
戦争を経ているのでとっくの昔に亡くなっている可能性は大きいですね😥 それでも、その人達が生きていたという記録を見ることが出来、切ないながらも拝見出来て良かったです😢 掘り出し物というか何て言うか、こういう企画があったからこそ日の目を見る事が出来たのですが、自分の手に取って見ることは過去の念がこもっていそうで怖くて避けてしまうところです😥 そういう事を考えてしまうのもなんか切ないですね… 後、大変失礼だとは思ったのですが、お店の人もどういう経緯で売れるかどうかもわからないアルバムを置いているのか失礼ながら考えてしまいました😔
@hohoho-pb6fo
@hohoho-pb6fo Жыл бұрын
アメリカのスリフトショップ、日本のリサイクルショップみたいな寄付された物を売っているお店なんですが、家族写真なんかの古い写真を売ってました。 綺麗な人が写った家族写真を買いましたが、やっぱり他人のプライベート見てるようで、捨ててしまったような。 1970年代の感じが良かったので買ったんですが。 それらも遺品整理なのか、単なる整理 寄付したのか そんなのを考えてしまいますね。
@user-ej2ge3iv9j
@user-ej2ge3iv9j Жыл бұрын
いつも楽しみに見てます😊古いアルバムシリーズで何時も思うのですが何故ゆえに古本屋に流れ着くのでしょうかね😓子供姉弟が処分するんですかね😢切なくて胸が一杯になります😢
@inukoiji
@inukoiji Жыл бұрын
自分に何ができるわけでもないので勝手な考えではありますが、アルバムを親類・縁者の方にお渡しできないかなあと思ってしまいました。
@user-xx4hx7zj3d
@user-xx4hx7zj3d Жыл бұрын
戦前の東京女子高等師範学校とその附属小学校などがあったのは御茶ノ水駅近くの現在の東京医科歯科大学の所だったそうです。ですので、駅の北口から校舎へ向かうことになるわけですね。ちなみに東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)と附属学校が現在の文京区大塚へ移転を開始したのは1928年(昭和3年)の秋からで、移転完了が1932年(昭和7年)とのことだったので、この動画の幸子さんは小学生の途中で大塚の方へ通学ルートが変わったということになりますね。
@hnn089
@hnn089 Жыл бұрын
制服が昭和後期のお茶大附属小ものと酷似していますね。
@user-dg8pg1fe9r
@user-dg8pg1fe9r Жыл бұрын
豊島園の池での写真、確か55年前にはそこにウォータースライダーがあったなー。 懐かしいい
@hnn089
@hnn089 Жыл бұрын
はい。ありましたね。先頭の席はスリル満点でした。
@techan378
@techan378 Жыл бұрын
豊島園で思いだすのはジープに乗ってのアフリカランドクルーズに由緒正しい回転木馬です。懐かしいなぁ。私は還暦超えで父親は昭和5年生まれです。
@T-Iwamoto
@T-Iwamoto Жыл бұрын
アフリカ館!
@techan378
@techan378 Жыл бұрын
@@T-Iwamoto 館ができたころ、パンフまで配っていて手に取って見ていた記憶があります。正式名称がうろ覚えで、お教えいただきありがとうございます。もう50年も経ってしまいました。けれど思い出を作ってくれたことに感謝です。
@boudeku8733
@boudeku8733 Жыл бұрын
書いてあるのは「京王閣の一日」だと思います。
@onukhanhiba4751
@onukhanhiba4751 Жыл бұрын
このアルバムが小田急TIMEさんの手元にやってきた経緯を想像してしまいました。  幸子さんご本人が亡くなり、その子も亡くなったあたりで、遺族が遺品を、捨てるよりは、というぐらいの気持ちでどこかの古書店に売却したのかもしれない、、と。  私も今年父を亡くしましたが、膨大な遺品は、結局ほとんどを処分しつつあります。生前の父も「捨てて構わない」と言い残してくれてはいましたが。
@YH-em5kt
@YH-em5kt Жыл бұрын
人生とは儚くもあり、切なくもあり、そして美しい…正にその通りの感想を抱きながら、動画を拝見しました。
@takobedon
@takobedon Жыл бұрын
名前の由来は「幸せな子になるように」かな。いい親だったのだろう。楽しい子供時代の写真が沢山あったけど、中学生になった頃?で写真が無くなっているのが気になる。幸せな生活はこの頃までで、その後幸子さん周辺で何らかの不幸があって幸福な日々が終わってしまったのだろうか。 それにしても幸子さん5歳(1926年?)の時にお父さんは66歳だと、江戸時代生まれか。としまえんを見ても、1920年代時点でかなり西洋化が進んでいたので、江戸時代生まれのお父さんやおばあさんからみたら、自分たちが生まれた頃とあまりにも世の中が変わったと感じただろうな。
@rococo9342
@rococo9342 Жыл бұрын
このアルバムはどこから見つけられたんですか? いつもアルバムはどこから出て来たのか気になってました。
@user-hf6py9et8e
@user-hf6py9et8e Жыл бұрын
どんな事情があるかはわかりませんがアルバムを売るということはまずしないでしょう。古本に紛れ込んで流通してしまった…ということでしょうか?
@user-uc9df5kx3y
@user-uc9df5kx3y Жыл бұрын
何故、写真がはがされていたのか気になります。
@user-fh2fc4cm5n
@user-fh2fc4cm5n Жыл бұрын
かなり良いとこのおぜうさまだったんだろうな。
@MrEjidorie
@MrEjidorie Жыл бұрын
写真から判断すると、とても幸福な少女時代を送った方なのだと思いました。戦後の教育では戦前の日本は貧困と思想的抑圧に人々が苦しむ暗黒時代の様に教えてまいりましたが、少なくとも大正から昭和初期には大変リベラルで豊かな市民生活があったと1927年(昭和2年)生まれの父がよく戦前言っていた事を思い出します。
@ladyviolet205
@ladyviolet205 Жыл бұрын
裕福な階層は、です。
@LANA-desu
@LANA-desu Жыл бұрын
特徴的な制服と女子校であることから学校名は分からないでしょうか。私の母は大正12年生まれで公立小学校で共学で私服でしたね。
@user-yx6sl4qy2g
@user-yx6sl4qy2g Жыл бұрын
お疲れ様です、私の母は同じ幸子で昭和13年生まれです、もうなくなりましたが私の母が生まれた年にこの女の子は17歳だったのだと思うと又これ変な気持ちになります。 もし今健在なら100歳をチョット越えたぐらいですね。 で白黒の写真をカラー化してますが、当時本当の色はやはりカラーが本当の色なんですね、白黒とすると時代を凄く感じますが確かに当時も色鮮やかな世界であったと又ホント美しい自然が沢山残る景色だと思います。
@user-sw7fh6hg7t
@user-sw7fh6hg7t 10 ай бұрын
最近は明治、大正、昭和辺りの写真や映像を見ていたのですが、個人的なアルバムが残っているのは驚きです。もしかしたら最後の「ALBAM」がアルファベットなのでそれが戦中に見つかるのを避けて売ったのかもしれませんね。(突拍子のない考えですが…)
@user-hp2vv2mt5h
@user-hp2vv2mt5h Жыл бұрын
お父さんがやけに年くってるので、おそらく二号さん?
@user-mc8sd6qt3t
@user-mc8sd6qt3t Жыл бұрын
うちの祖父のアルバムを、彼が亡くなった後に祖母が捨てました。 そういうことを平気でできる人がいるので、このアルバムもそういう道をたどったのかもしれません。
@hitt07624
@hitt07624 Жыл бұрын
浅草凌雲閣?
@user-wd1hw3yp6o
@user-wd1hw3yp6o Жыл бұрын
私は、、昭和40年に青森から進学のために上京 兄の友人(青森県出身)の家に下宿 豊島園前に下り坂のすぐ近くに 「アモン」と言う喫茶店が兄の友人の弟さんが経営、、 いつも初めての東京でここから全てがスタートしました。 見るもの、食べるもの 言葉、、 ここに行き自分の人生のスタートを確認したいですが 59年前のことです、、 「アモン」の経営者は 駒井さんでした。直ぐ上に 兄弟姉妹が住んでいました、、
@user-wd1hw3yp6o
@user-wd1hw3yp6o Жыл бұрын
どなたか ご存知でしたら 行きたいと思っています。私は昭和21年生まれ 人生が終わる前に私の足跡を辿ってみたいと思っています。
@noranyan2000
@noranyan2000 Жыл бұрын
なぜ記念の品が古書店に…と一瞬思ったけど、自分のアルバムも(親が捨ててなければ)第三者の手に渡っているんだよね。誰が持っているのやら?
@user-qr9ns7dn8m
@user-qr9ns7dn8m Жыл бұрын
亡祖父母と同じ歳
@maxterhecht
@maxterhecht Жыл бұрын
白黒写真をカラー化するのは大変やろな?
@user-xr1vg3ty7d
@user-xr1vg3ty7d Жыл бұрын
女性で良かったかも もし男の子なら兵隊で出征してたね。
@yuukoyuu3486
@yuukoyuu3486 Жыл бұрын
姑が亡くなった後に、嫁が捨てたとか?
@user-mm1ii4qg4k
@user-mm1ii4qg4k Жыл бұрын
この女の子の弟は戦争に行かされたのでしょうか…
@taro9668
@taro9668 Жыл бұрын
写真の説明書きの文字の形が現代風のと当時のものが有る感じする。大概、古い時代のって筆で達筆で読みにくい。幸子さんのお孫さん辺りが書き足したんだろう。また見るつもりで背の高い本に挟んで今に至るだろう。
@user-ui4eo6vq7o
@user-ui4eo6vq7o Жыл бұрын
サムネの女性が櫻井翔くんに似てる
@user-jx6lc3dp9d
@user-jx6lc3dp9d Жыл бұрын
素晴らしい企画ですね。感じ入りました。 戦前の日本人は原則的に数え年で年齢を数えました。ですから、昭和三年(1928年)に七歳ということは、幸子さんは大正11年(1922年)生まれの可能性もあります。しかしながら、よほど洋風の家庭であったならば、満年齢で11月15日の7回目の誕生日を祝ったかもしれません。ここで不審なのは、写真の説明書きです。「七ツノオイワイニ」とあります。これは変です。本来なら間違いなく、「七ツノオイハヒニ」と書くはずです。東京女子高等師範学校に娘を通わせるほどの親(おそらくは母親)が、こんなに無学であるということは、幸子さんの母親は、貧しい素性の女性であったかもしれません。例えば、先妻を亡くした還暦の老人が、花柳界の美人芸者を落籍して妻に迎え、二人の間に初めて生れたのが幸子さん、とか・・・・。百年前の、見ず知らずの一家のことなのに、空想は尽きません。
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