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長野県の秋色。
長野市の「松代象山地下壕」を映像に記録してきました。孫たちへのメッセージです。
象山地下壕に入ると暗闇から長く続く穴が見えた。豪の中は何ともいえぬ冷気が体を包む。
「朝鮮の人々が人間扱いされなかった歴史がある」
岩盤が削り取られた跡が電球に照れされ生々しく光っている。
一眼で硬い岩盤だとわかる。
この岩盤を掘り進めたのは「朝鮮半島出身者」約6000人。
延べ300万人が残酷な労働に従事したことを知った。
壕の岩盤には韓国の都市「大邱」の字や絵が描かれている。
故郷を遠く離れ家族のことを懐かしんで書いたのだろう。
無念の思いに胸刺される。
地下壕工事では多くの朝鮮半島出身者や日本の人たちが亡くなったという。
戦争の残酷さが地下壕から浮かび上がった。二度と同じ過ちは繰り返してはいけない。
長野の旅は「戦争の歴史を学びたい」という思いからです。
「無言館」「安曇野ちひろ美術館」「松代象山地下壕」
平和な日本を守る大切さを学ぶことができました。
いい旅だった。
動画で「松代象山地下壕」を描きました。観てください。
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長野市のホームページから
松代象山地下壕内部の写真です。松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。
この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な意見があります。
松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。