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ブッダが答えた悲しみを乗り越える方法 | ブッダの説法

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人生の地図

人生の地図

10 ай бұрын

ブッダの説法をご紹介します。この質問している男性のように、自分で考え、ブッダに色々な質問をしていきます。それによって、よりクリアな考えに行き着くことができます。考えることは非常に重要ですね。
■ ”人生の地図”マインドフルネス瞑想メンバーシップ
/ @map-of-life
これは、瞑想の基礎から深いレベルまで学ぶことができるメンバーシップです。また、瞑想に関する質問も可能です。
視聴者の方々から、「ブッダの教えは素晴らしいが実践するのは難しい」というコメントを多くいただきました。これは瞑想の実践に関するトレーニングが不足しているためだと考えられます。そこで、誰もが実践できるようなメンバーシップを開発しました。
■ "人生の地図"運営者について
マインドフルネス瞑想トレーナー国際資格保有
認定機関:CPD(継続的専門能力開発)
■ 声 (VOICEVOX: 青山龍星)
#悲しみ #ブッダの教え #仏教 #仏教の教え

Пікірлер: 52
@map-of-life
@map-of-life 10 ай бұрын
お釈迦さまの教えは、非常に分かりやすくシンプルです。 お釈迦さまが説いたことの基本は、 1. この世には苦しみがある。 2. 苦しみの原因は煩悩や執着である。 3. 煩悩や執着をなくせば苦しみが無くなる。 ただ、それだけのことです。 なんとシンプルなんでしょう。 しかし、これを実践するのが難しい。 そのため、瞑想をして心のコントロールの練習をしたり、今回のお話のように、何度も何度も説法を聞くと自分の中にそれが染み込んでいきます。 ”人生の地図”の動画だけではなく、ぜひ仏教の本や、賢いお坊さんの話を聞くなど色々な人の話を聞きながら、皆さんの生活の中で実践して、内省を繰り返してみるとより幸せな人生を歩めるでしょう。 皆さんが幸せでありますように。
@JF-iw9vb
@JF-iw9vb 10 ай бұрын
思わず合掌したくなるほどに、いいお話でした…🙏
@user-bx2hr4lw1e
@user-bx2hr4lw1e 10 ай бұрын
執着は本当に手放したら人生が変わる、しかしなかなか手放せないな。
@user-is6vv1ut5j
@user-is6vv1ut5j 10 ай бұрын
煩悩に燃える自分の心を静め、深く自分の心を見つめる事で、本当の自分に向き合う。だから『瞑想』というのは、大切なのですね。ありがとうございました。
@user-tu8pj3jq2z
@user-tu8pj3jq2z 10 ай бұрын
素晴らしいお話であり、自分自身の内心が大切であることを学べました。 ありがとう御座います🙇
@user-yu6ni8rr6z
@user-yu6ni8rr6z 10 ай бұрын
坐禅をする時間がなくても、掃除をしている時でも、心の掃除は一緒に出来きますよ!😊😊❤
@map-of-life
@map-of-life 10 ай бұрын
本当ですね😄 素晴らしいコメントありがとうございます👏
@kelly4005
@kelly4005 9 ай бұрын
今日も生きてる元気に過ごしてる 優しい妻がいて可愛い子供達がいる 野菜や魚を美味しく食べられた ジョギングしたらコスモスが綺麗だった 愛犬が気持ち良さそうに寝てる よく考えたらこれ全部幸せだな そう思わせて貰って感謝です
@map-of-life
@map-of-life 9 ай бұрын
素晴らしいコメントありがとうございます🙏
@user-vd4gr3og9q
@user-vd4gr3og9q 10 ай бұрын
「煩悩や執着を無くせば、苦しみは無くなる。」そのための方法として、お釈迦様は、八正道という具体的な道を提示しています。もし、本当に真剣で、その時期であるならば、難しい訳がありません。難しいと、いたずらに遠ざけるのは、自我の常套句です。今回の動画の説法が誤ったメッセージとならないように、仏典、スッタニパータから次の句を提示していただきます。悪魔パーピマンが言った、「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」釈尊は答えた、「子のある者は子ついて憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」世の聖者と言われる方々が、対機説法としてしか伝えられなかったのは、個としての現れの成熟度が同じではなかったからです。皆様に気付きが起こりますように。
@user-ce3xj6jb5s
@user-ce3xj6jb5s 10 ай бұрын
ありがとうございます❤ 三宝の御加護がありますように✨
@kidear6984
@kidear6984 10 ай бұрын
シッダルーダ王子は裕福で何の苦労をせず人生を送るはずでした。出家して人類の苦悩に真正面から取り組んだ稀有な偉人てした。ご紹介ありがとうございます。❤
@user-tt7yo3vt4h
@user-tt7yo3vt4h 10 ай бұрын
初めまして。 無形の豊かさの言葉にハッとしました。 気づかせて下さいまして ありがとうございます。
@zx11blaze78
@zx11blaze78 10 ай бұрын
執着は時に生きる糧ともなるが、度を過ぎれば周りを含めて己も滅ぼす。その匙加減が大事。自身や周囲を幸せに出来る程度の執着が有れば良いと思う。
@user-qk4gj2iv1c
@user-qk4gj2iv1c 9 ай бұрын
ごめんなさい。涙が零れました。丁寧な説明ありがとうございます。
@user-yu6ni8rr6z
@user-yu6ni8rr6z 10 ай бұрын
人生の地図を繰り返し、繰り返し見ると心の修行になりますよ!😃👍♥️💕
@JJ-xl9io
@JJ-xl9io 10 ай бұрын
悩みではない。苦しまされてるのが現実。これが小孫に続いていくのが今のが現実。一個人の癒しは本当の救いではない。
@user-oi2rk5zd2x
@user-oi2rk5zd2x 10 ай бұрын
御早う御座います、心が穏やか直はなし聞きました。参考になります
@user-yu6ni8rr6z
@user-yu6ni8rr6z 10 ай бұрын
映像がゆつくり流れているのを見ながら、朗読を聴いたり、ときには音を消して文字だけを読むと心にしみわたります!❤❤😃感謝、感謝、そして感謝です!👍🌈
@user-xl5iz1sv8z
@user-xl5iz1sv8z 9 ай бұрын
いかに楽をするかばかり考えて生きてきた そこまで楽に執着する必要があったのだろうか? 楽に執着しすぎることにより余計悩み、苦悩の道を歩いていたのではないだろうか? 楽への執着をやめる
@ooayumicooAAA
@ooayumicooAAA 10 ай бұрын
涙が出ました。
@user-uu2it7kp1m
@user-uu2it7kp1m 10 ай бұрын
ありがとうございました😊
@ymishima9704
@ymishima9704 10 ай бұрын
煩悩や執着と希望の違いって微妙だよね? 美味しいものを食べたいって、煩悩?希望? 夢や欲望を持って生きるのも大事だよねぇ。そのために頑張ろうって思うし。 どこのラインを諦めるか、執着するか。 これでいっかって思えば成長も止まるとか言う奴もいるし。 強欲に努力し続けることを美徳とする考えもあるよね。 前向き、ポジティブといえばそうだし。
@user-wi5rw9wq7g
@user-wi5rw9wq7g 10 ай бұрын
忘れるという言語は表現として正確なのだろうか。忘却は喪失へと繋がっていく。つまり因縁果の輪廻を繰り返す可能性がある。正確な物言いとして、忘れてはいけないが囚われてもいけない。中道という自心の制御を獲得しなさいだと想います。
@user-bi1wq9dk7d
@user-bi1wq9dk7d 10 ай бұрын
色んな執着のその先にまた別の真理があることも確か
@user-mn6cl2qy7q
@user-mn6cl2qy7q 9 ай бұрын
「四諦八正道」とか、かな? 今の時代、愚痴さえ言っていれば誰かが何とかしてくれる、と思ってる人が多過ぎる。 まるで子供が泣き叫んでいれば父母が助けてくれる、とでも言うかのように。 寧ろ「愚痴を言う事」がトレンディと勘違いしてる人さえ居そうだ。
@tedlee6521
@tedlee6521 10 ай бұрын
この人生、死ぬ事が約束されていて、それを無視するかのような振る舞いや言動。 そして、限りない欲望。 それは、執着から産まれます。 欲望を満たすことで、幸福を手に入れられると信じ込んでいる間は、永遠に訪れない幻想を持っている事です。 それに振り回され、悩み、傷つき、悲しみの奥深いそこに到達するまで人間の愚かさを認識出来ないでいるのが現実です。 私達に必要なのは、受け容れてて、愉しむ事です。 それには、謙虚さと寛容さが必要です。 生きているこの幸せを感じられない人は、頭の奴隷になっています。
@user-jz6sg6zd2q
@user-jz6sg6zd2q 8 ай бұрын
ぼくは小さい頃から親戚一同から自由を奪われて育ちました😢😢😢
@emeraldbreeze5204
@emeraldbreeze5204 9 ай бұрын
苦しくなること、悲しくなることがあるならば、そんなことは考えないことです。忘れてしまうことです。どうにもならないことほど心を悩ませます。しかし、どうにもならないのですからそんなことは永遠にあなたの心を悩ませ疲れさせます。よく考えてください。あなたを悩ませているのは、あなた自身であることを。だから、もう苦しくなること、悲しくなることを考えるのをやめてください。
@kiyomitsunakae650
@kiyomitsunakae650 9 ай бұрын
悲しみを生きること、そうすれば悲しみは悲しみのまま悲しみでなくなります。
@user-it3ci8wr3t
@user-it3ci8wr3t 10 ай бұрын
出典元はどこでしょうか?
@user-iv2jh6iu7r
@user-iv2jh6iu7r 6 ай бұрын
心を無にして生きる事も虚しい
@user-jz6sg6zd2q
@user-jz6sg6zd2q 8 ай бұрын
幸せって何か?
@user-of3ze3uq1m
@user-of3ze3uq1m 9 ай бұрын
「生老病死」や四苦八苦、 仏種のお知らせですかと思える けど、違いますか?。
@ue_s_
@ue_s_ 10 ай бұрын
お釈迦さま好きで見てたけど、コメントで仏教徒なのになんかマウントとってくる人嫌い…苦しんでも執着してもいいし私は下衆だと言われてもいいし、これも見なくていいかな…
@hiro3475
@hiro3475 10 ай бұрын
マウントなんて言ってるようじゃ何も分かってない人ですね(笑)
@user-ui1sr7vc9j
@user-ui1sr7vc9j 10 ай бұрын
頭の〰️構造
@user-ee1og3rd6m
@user-ee1og3rd6m 10 ай бұрын
おれは愚か者なのでこの男のように悟りが開けません。仏陀がブッタたとしか思いません。仏陀は多分無表情になるでしょう。
@user-zz4vq8qy3k
@user-zz4vq8qy3k 10 ай бұрын
懺悔しなさい。
@user-ee1og3rd6m
@user-ee1og3rd6m 10 ай бұрын
おれが何悪い事したったって言うんや?赤ん坊として何もわからないままこの世の中に出て来ただけなのに
@higesirai4820
@higesirai4820 10 ай бұрын
苦しみがないなら仏陀は必要ありませんよ。逃れ難い苦しみにぶつかり解決したい時にきっと役立ちます
@higesirai4820
@higesirai4820 10 ай бұрын
​@@user-ee1og3rd6m仏陀はこの世に4つの苦しみあり。「生」老病死 といいました
@user-uz7wf5hu8y
@user-uz7wf5hu8y 10 ай бұрын
この話を聞いて、隕石が落ちて恐竜が絶滅したおかげで、人類に進化する動物が現れたのを思い出しました。また、過去にには、大陸が避けて、火山が爆発して、多数の動物が死んで、かすかな生き残りが進化した、地球物語を思い出しました。
@user-hs6oz7dn2g
@user-hs6oz7dn2g 10 ай бұрын
いいですよねぇ、問題の原因の多くが内部にある場合は。もちろん内部を変えればというものではありますが、それにしても外部要因の逃れられない責任や過失は存在する。
@ehikaru3502
@ehikaru3502 10 ай бұрын
外部のことは因ではなく縁であると仏教は説きます。 それが良縁か悪縁かで判断してるのは結局自分ですからね。
@user-hs6oz7dn2g
@user-hs6oz7dn2g 10 ай бұрын
はい、それにしても強制力を持った縁の存在があり、それは因であると私は説いています。強制力の比重を決定づける因が自分にあるとは言えない場合のことです。@@ehikaru3502
@user-hs6oz7dn2g
@user-hs6oz7dn2g 10 ай бұрын
あっそれは、犯人が支配階層に存在しておとり捜査や誘導尋問を行い操作している世界の場合ですね。いわゆる地獄というところです。私が言っているのは、天国と地獄が入り混じる現実世界の話です。@@user-ls6bg8nr1j
@higesirai4820
@higesirai4820 10 ай бұрын
それは良い視点ですね。仮に仏陀が転んで前にいた子供を崖から突き落とした場合に仏陀はその母にどう対峙するのだろうか
@user-hs6oz7dn2g
@user-hs6oz7dn2g 10 ай бұрын
@@higesirai4820 それはもちろん心から謝罪するだろうし、殺意がないということを伝えるだろうが、そうなるようにその母親やその仲間たちが工作を仕掛けていたとわかったら、多くの人間はどう考えるだろうか?或いは普段からそうして罠を仕掛け、そこで人を転ばせて殺していたりしたら?或いは、実際には子供に当たっているわけでもなく、ただ驚いて自ら足を踏み外していたとわかったラどうだろうか?さらには、自分が差別的な感覚を持っていて、ブッダに当たるくらいであれば、死んだ方がマシだと自殺していたとしたらどうだろうか?転んだブッタに何の責任があるのだろうか?さらには、それがまるで故意の殺人のように流布し、不当に権力を行使し、特にその時代には考えられないほどの過剰な罰則をすでに与えている場合にはどうだろうか?さらには、それが原因で、世界が混乱に陥り、さらなる悲劇が繰り返されている場合にはどうだろうか?おそらく仏陀は言うだろう。「罪悪感に怯え、隠れてないで出てきなさい。話し合おう。あなたの罪は許される。」
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