C62-2号機、青函連絡船の桟橋での慟哭~JNR fastest locomotive type C62, Swallow Angel cried at the Ferry pier.

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2 жыл бұрын

今回はC62の2号機の生涯を追ってみました。
東海道を颯爽と特急つばめを牽引し、栄光に満ちていた2号機がデフのつばめマークとともに何で北海道に渡ったんだろうというところからスタートするフィクションとなります。
実際はたまたま2号機の都合が良かったみたいな単純な理由から選ばれたのかもしれませんし、東海道のエースを北海道に持ってきて国鉄の北海道のサービス向上のシンボルとするような戦略的意図があったのかもしれませんね。
宮原機関区から広島や下関に行ったとして、もしかしたら呉線で最後は大活躍していたかもしれませんが、北海道でていね、ニセコの重連急行仕業という世界でもなかなか見ることができないド迫力なシーンの先頭に立つつばめマークの2号機には多くのファンが熱狂しました。現役の2号機が引退して50年以上が経ち、いつの日か重連の復活を夢見ていたのですが、函館本線の山線の廃止方針が出てきたことで、私はこの鉄道情景は今後現れることが無いのだと自らに言い聞かせるようになりました。
2号機が梅小路で、3号機が苗穂にいますが、肝心な鉄道情景というハコが無くなってしまう事は、もう戻ることができないところに来てしまったのですね。
今後AIを使って自在にこのC62ニセコ、つばめの2号機の動画を作れる日が来るかもしれませんので、これまでのネガやデータは大事に保管していこうと思っています。
#蒸気機関車 #C62 #C62-2 #急行ニセコ #重連 #梅小路 #宮原 #東海道 #特急つばめ #函館本線 #山線
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Пікірлер: 232
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 2 жыл бұрын
2号機は不調の代表機みたいな扱いで、前補機運用に集中的に充当されたのは 「当日のうちに、小樽築港機関区に帰ってこれて整備ができる」 「自区の機関車の不具合で、他の機関区の手を煩わせない」 という当時の整備掛りのプライドが、ツバメマークが列車の先頭に立ち、 ファンサービスになったという偶然があったみたいですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。たしかニセコの乗務員は長万部でしたね。ですから不調にはことのほか神経質だったのでしょう。動画でも言ったのですが、1,970年の全検の後は好調になったとか。函館の本向き運用も増えています。私も見てますし、友人たちも別の日に当たりました。
@tmotchy93
@tmotchy93 2 жыл бұрын
昔のニセコの映像見ると、途中で切り離す重連の前側が必ず2号機でずっと客車を引く後ろが3号機ですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
2号機だとやはり絵になるからでしょうね。2号機以外も多かったですし、まれにD51もありました。
@user-kj6rh4nf9v
@user-kj6rh4nf9v 2 жыл бұрын
コメントのように運転する側の都合が結果的にファンサービスみたいになった事例は極めて稀な話だと言えますが、函館本線山線の重連運転において外せない事例になりますね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
また、2号機は最後の全検だったので、お化粧してもらったとか。 それも他のC62と違うところを際立たせました。
@user-ou8eg4tp9e
@user-ou8eg4tp9e 2 жыл бұрын
C62の2号機はあまり調子が良くなかったですからね~ 北海道に渡る前に 鷹取工場に入場してボイラーを新品に交換したんですげど 実際に急行ニセコでC62の運用をしていた 長万部機関区の乗務員の方の証言によると 「煙が出る割には力がなかった 走っている最中に調子が悪くなる」と評価散々でした 逆に3号機は「鼻息が荒く力持ちがいい」と評判が良かったそうです 最盛期には急行3往復やっており 大雪、まりも、そして旭川からのアカシアをやっておりました
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。 動画でも言っておりますが、宮原・梅小路の程度が良くないものを北海道に持って行ったんですね。2号機が程度良ければ広島に行って、18号と同じくツバメマークを取り払われ、何もなかったかのように廃車されていたかもしれないと思うと、2号機の強運さというものを感じてます。
@user-gn9iq2cz5z
@user-gn9iq2cz5z 2 жыл бұрын
1972年8月に2号・3号とのゴールデンコンビさよなら列車が小樽~岩見沢に運行された。その時私は2人の会話を聞いていた。3号「ツバメさん、内地に戻っても元気でね」、2号「渡道するとき、津軽海峡で涙が出たけど、今度もまた涙が出そうだよ。私は動態保存だから、スキをみて梅小路を脱走して渡道するから。」、3号「小樽~倶知安~長万部を走れるんだね。約束だよ!」、当時の2人の会話でした。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。ゴールデンコンビとか言われましたね。お別れ重連の2号機はたしか梅小路仕様では無かったですか?3号機は2号機に対して「いつもの2号機じゃない。そんな恰好して恥ずかしくないのか?」とたしなめたかもしれません。
@user-gn9iq2cz5z
@user-gn9iq2cz5z 2 жыл бұрын
2号機の引退(梅小路行き)および日本の鉄道100年記念として運行された2・3号(ゴールデンコンビ)の重連1972年8月27日の撮影写真を確認すると、煙室扉のハンドルは十字タイプに替えられているね。その1ヶ月ほど前に2号機を小樽駅での撮影写真では、まだ十字タイプではなかった。あと、1972年8月27日の2号機は、以前はなかったが、テンダー上部の端に沿って白線が入れられてるね。現在は、そこまでしないのでしょう。 確かにハンドルの形で顔つきが違って見えますよね。ところで、苗穂の3号機が教えてくれたのですが、2号機からメールがあり、2号機が小樽~長万部の廃止を気にしていて、近く渡道を決行し、3号機を牽引してでも走るから、油をさしておくようにと連絡があったとのことです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
お別れ重連の二週間後に梅小路に運ばれましたので、お別れ仕様の十文字取手は梅小路の指示があったはずです。テンダーの白線もそうですね。2号機は長く走ると車軸が焼き付くので、舞鶴からフェリーで小樽に行くとLineが届いています。イベントとしては楽しそうですが、2輌連結されているだけでは、それで?という感じで。3号機が前ならば十文字が隠れて見えないのでいいかな。
@user-gn9iq2cz5z
@user-gn9iq2cz5z Жыл бұрын
私がコメントしてから、他の人のコメントないので・・、場違いのことだったごめんなさい。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
アートマシュウさん、返信が遅れてすみません。未返信で弾かれているようでした。 150年記念で2号機が回送で苗穂に行くというTwitterのデマに踊らされてしまいました。 本当に飛行機を予約したほどですなんですよ。でもフォロワーさんにデマと教えてもらいかなりガッカリしました。
@homarejumo2134
@homarejumo2134 2 жыл бұрын
よく山岳地区運用の蒸気機関車には重油タンクが付いていましたが、急行運用のC62と貨物運用のD型機関車では重油の質が異なり、C62にはB重油と言う普通の重油、D型機関車にはC重油と言う名のディーゼルエンジンオイルの廃油を使用していたとか。
@seijirofto.de2a838
@seijirofto.de2a838 2 жыл бұрын
旅客運用には黒煙がそれなりに少ないA重油(軽油90%+残渣油10%)またはB重油(軽油50%+残渣油50%)、貨物運用には黒煙は大量に出るけれども安価で熱量を重視したC重油(残渣油90%以上)または再利用の廃油(気動車の廃潤滑油)だったみたいですね。C重油や廃油は流動性が低いため、蒸気配管をタンク内に這わせて保温する必要があったとか。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。重油の成分まで気にしたことが無くて教えていただきありがとうございます。
@user-cg6eb3gp7d
@user-cg6eb3gp7d 2 жыл бұрын
勉強になりますな。(*´・∀・)
@homarejumo2134
@homarejumo2134 2 жыл бұрын
@@seijirofto.de2a838 C重油はほとんどタールに近いですからね
@STEAMLOCOMOTIVEFAN
@STEAMLOCOMOTIVEFAN Жыл бұрын
@@seijirofto.de2a838 A重油は軽油とほとんど変わらない性質ですからね。これを悪用して、軽油で走るトラックにA重油を入れるのが不正軽油と呼ばれる奴ですが…。(重油の方が税金がずっと安いため、燃料代を安くできる。もちろん違法)
@user-xn4iz2fl1s
@user-xn4iz2fl1s 2 жыл бұрын
梅小路でC62 2号機を見たときは、スワローエンゼルは重量感と存在感が違うな~凄いな~と感銘を受けたものの、なにぶん10代と20代の幼さ、若さゆえ青函連絡船の時代に北の大地へ渡り、そして帰ってきたことの意味がよくわからずにいました。D52 455号機からの改造当初からついていたわけではなかったデフのつばめマークの由来、梅小路帰還後に育まれたC61の2号機との友情(?)などなど、C62 2号機の創作ストーリー動画をもっと期待してしまいます。今回もありがとうございます!
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつもご視聴頂きありがとうございます。 私の小樽のC62への感覚はかなり偏っています。私は青函連絡船以外で北海道に列車で行った事は無く、北海道とそこにいたC62に良い意味でバイアスがかかってます。もっとも3号機ニセコは飛行機て行きましたので、また別の感傷があります。 ですから梅小路の2号機が本来と違う顔つきをしているのがとても残念なのです。C61やC59が違う顔していてもあまり気になりません。C62だけは勘弁して下さい、って感覚です。 創作ストーリー楽しそうですね!
@user-xn4iz2fl1s
@user-xn4iz2fl1s 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様 C62牽引の現役ニセコも復活ニセコも体験しているのは羨ましいです。でも、自分もそうなると“あの時の姿のままでいてほしい“という感情を持つんだろうなとも思います。  ところで、少し前に他所でSL白鷺号の動画を見て、C62は不調機でさえあの走りっぷりだったのかとびっくりしましたが、1970年の全検から梅小路帰還直後は好調だったことは今回の動画で初めて知りました。そんなところも、つくづく幸運な罐だったんですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
そうですね。あの時のままでいてもらいたいという個人的な気持ちも勿論ですが、鉄道の歴史においてそんな顔じゃなかったでしょ?というところです。諸外国特に英国では決してそんな事はしないですよね。
@user-gv3rv7vf7v
@user-gv3rv7vf7v 11 ай бұрын
何回拝見しても飽きないです。2号機・3号機は最強です。北海道の誇りですね❗️
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 11 ай бұрын
快速いしかりライナー全車自由席さん、ご視聴いただきありがとうございます。人気のC62ですね。2号機特集は8月中にまたやりたいと思います。
@shibamofumofu4983
@shibamofumofu4983 2 жыл бұрын
SLの汽笛は意外と良く響き、場所によっては五条通の北側でも聞こえます。 梅小路蒸気機関車館に遊びに行く時に、聞こえて来るとワクワク感が増してきます。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。梅小路の汽笛は本気ですからねぇ。新橋や大森の汽笛と違いますね。
@user-cg6eb3gp7d
@user-cg6eb3gp7d Жыл бұрын
以前、大井川鐵道で千頭に行き、川を渡った先の温泉に入りましたが、時折聞こえる汽笛が良かったですな。(*´ω`*)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
以前、熱塩の温泉に泊まった時、朝方汽笛が聞こえて。それが日中線の蒸気だとは知りませんでした。
@user-hh7oy6jy9i
@user-hh7oy6jy9i Жыл бұрын
秋から冬にかけては風向き次第で永観堂や大文字山でも聞こえます。
@user-bk1sp2gc8q
@user-bk1sp2gc8q 2 жыл бұрын
現在京都の博物館にはⅭ62の1号機と2号機が揃っていて、1号機は終生を東海道山陽で過ごしたので重軸のままで、2号機は地方線に転属するために軽軸改造されました なので、見比べると従台車のつり合いピンの位置が違っています
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。そこまで注意深く関されているのですね。素晴らしいです。私も次回見比べてみます。1号機は見えないところの腐食が進んでいますね。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o 2 жыл бұрын
C622号機とC621号機との並びは、現役時代は、宮原機関区で見られた。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
そうでしょうね。でも写真見たことないです。
@tako--panda--jinbeezame
@tako--panda--jinbeezame Жыл бұрын
まだ、京都鉄博に行ったことがないのですが、こういう情報を教えていただくと、自分の目で確かめたくなります🤗
@user-ts2tm3wk4q
@user-ts2tm3wk4q 2 жыл бұрын
2号機はスワローを外さなかったことが幸いして、人気者になったんですよね。 同じくスワローを付けていた名古屋の18号機は梅小路への転属に際して外されてしまったので、結局廃車になった時に解体されてしまった。 現在、18号機のスワローはリニア鉄道館に所蔵されているそうですが、原則的に非公開の様です。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。18号のつばめマークが保管されているのは知りませんでした。教えていただきありがとうございます。
@bakayarou4545
@bakayarou4545 2 жыл бұрын
C61との並びは最高だよ〜、重厚感があっていいね〜
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路のC62っていつもC61と一緒ですねぇ。なんでなんでしょうか?
@bakayarou4545
@bakayarou4545 2 жыл бұрын
名コンビにも見えるよw、同じ2号機同士だし
@N--jv3go
@N--jv3go 2 жыл бұрын
平機関区では日常に見る事ができた。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
そうですね。でもC60の方が多かったですね。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o 2 жыл бұрын
C622号機とC621号機は、京都鉄道博物館の梅小路蒸気機関庫に2号機は動態で1号機は静態で保存されている。 なお、先に大阪弁天町にあった交通科学博物館に静態保存されていたC6226号機も京都鉄道博物館に移って、正面プロムナードに保存されている。 C621号機の最終配置区は、糸崎機関区、C6226号機も糸崎機関区を最後に廃車となっている。 C621号機は、広島鉄道学院(現JR西日本広島鉄道員研修センター)に研修用して保存されていた。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつも的確にまとめて頂きありがとうございます。読むのが楽しいです。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様、毎度高評価を頂きまして誠にありがとうございます。 今回のC622号機は、宮原機関区から小樽築港機関区に転籍後、急行大雪やニセコに運用されていた話になります。
@wlmmgmapmgawggag
@wlmmgmapmgawggag 2 жыл бұрын
あの十字ハンドル、c57 1がつけると違和感ないのにそれ以外だと違和感すごいですよね...
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路はなんであの十文字に拘るんでしょうねぇ?前回のC51の動画で出した早岐のC51やC57の十文字はすごく魅力的なんですけど、梅小路のは関東の八高線のD51とおなじですから何の魅力もありません。
@タキ1000
@タキ1000 Жыл бұрын
D51 27 もカッコイイなぁやっぱりデフありは迫力満点です!!!
@hmshood302
@hmshood302 2 жыл бұрын
記録機17号機もドラマ期待します。常磐線の特急牽引機も好きです。 ただ並べてあるだけの梅小路では寂しい。二両くらいは煙上げていても良さそう。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。15,16,17と私の人生暗かった♪ とか、青函連絡船とC60に上野発の夜行列車降りた時から♪ とか歌謡曲を入れて作りたいのでのですが、著作権の回避方法が分かりません。
@user-qv2vc4wp5k
@user-qv2vc4wp5k Жыл бұрын
C62の持つパワーはすごく、名古屋で静態保存されてる狭軌の蒸気機関車の最高速度129キロを記録しました。まだ東海道本線で運用されてた時の機関士の話に、天候が悪くダイヤは大幅に遅延。 遅延回復運運転をしていたとき、後ろに長大編成の客車を従えているのに130キロで軽やかに走ったそうです。機関助手と顔を見合わせて、単機で129キロなのになあと話したそうです。鉄道趣味誌に出てました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
柴田さん、ご視聴いただきありがとうございます。実測でどの程度出ていたのかは分からないでしょうけど、C53でも時速130kmぐらいで運転して平和だったという話を聞きましたので、C62はパワーがあり、軸重もC59より軽いので安定してその速度で運転できていたでしょうね。C59はキックバックが酷くて時速100km以上は安定しないそうです。
@user-vv9wk5up1j
@user-vv9wk5up1j 2 жыл бұрын
ゆっくりなんでも見に行ってね研究所さん 2号機の梅小路仕様は古参のSLファンからは不人気と聞いてますが去年は梅小路に来て初めて模様替えがあって煙室前にひたいの黒かった手すりがニセコ時代の銀色に戻されて赤い主連棒も無色透明に戻されてイベントではさよならc62に付けられたニセコのヘッドマークもつけられて私的には大満足でしたよ😊
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。昨年の模様替えは知っています。その時になんでハンドルも変えなかったのか腑に落ちないです。ニセコのヘッドマークは三重連の最後の片道につけたものでしたね? 不人気というのは、あの感動を与えてくれた機関車の顔が違っているからなのです。C62-3ニセコがあれほどオリジナルに忠実に再現しているのに、なんで?というのが気持ちです。ですからC59やC57が十文字でもあまり気にしません。~C59はちょっと嫌かな。
@tako--panda--jinbeezame
@tako--panda--jinbeezame Жыл бұрын
私がSLを好きになったのは、中学生の時とっていた「サイエンスエコー」(学研が出していた雑誌で、小学生向けの「科学」という雑誌の中学生版)におまけで付いていたC62−2の写真と設計図面と思われる線図の両面刷りのポスターでした。 私は、この線図の方が見えるように壁に貼って、勉強しながら、時々振り返って眺めていました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。私はサイエンスエコーを知らなかったので、調べました。かなり子供向けにしては大人びた雑誌だったのですね。その頃の百科事典もC62が出ていたので、戦後はC62が蒸気のエースだったのでしょう。戦前だとC59やC51なのでしょうね。
@tako--panda--jinbeezame
@tako--panda--jinbeezame Жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab さん。 コメ返し、ありがとうございます。 C62がD51と並んでSLの代表みたいになったのは、デフにスワローのマークをつけ、当時の最優秀特急だった「つばめ」を牽引した、この2号機の功績が大きいのではないかと私は思ってます。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
同意ですね。D51はどこでもみられていたので親近感ありましたし、C62は優等列車の多くに使われていたので、憧れの的になりましたし、相応の貢献もしたと思います。
@hiroshitakanarita8971
@hiroshitakanarita8971 Жыл бұрын
最近になって拝見しました 急行ニセコでひらふスキー場行くため何度か札幌から倶知安まで利用したことがあります 雪の中写真撮影の方々を車内から観た記憶がよみがえります ちょっと感傷的気な気分 どうもありがとうございます
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
Hiroshiさん、はじめましてご視聴頂きありがとうございます。 当時の冬の本州からの北海道の旅行客はニセコの撮影のほうがスキー客よりおおかったそうです。どのように調べたのか分かりませんが。このチャンネルは最近は蒸気機関車を毎週アップしていますので、これからもよろしくお願いします。
@user-hh7oy6jy9i
@user-hh7oy6jy9i Жыл бұрын
元々は不調の2号機を走行距離の短い前補機として運用していたとの事でしたが、松本謙一 氏が取材の際に「2号機が先頭に立っているとファンが喜んでいる。」旨の話を機関区の方に話したところ、「ではこれからも2号機を前補機として極力使うようにしましょう。」と答えたられた話が鉄道雑誌に載っていました。 竹島紀元 氏が取材した時(2,3,32,44号機の4両体制の頃)は、機関区の方の話で「調子の良い順で3、32,44、2号機。但し44号機は本務機の時は好調で前補機では今一つ。また、2号機前補機3号機本務機の組合せだとどの組合せよりも調子が良い。」との話が掲載されていました。最良+最良が必ずしも最良とはならないのだと思いました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。これはとても興味深いお話を聞かせていただきましてありがとうございます。組み合わせで2+3がベストというのも面白いお話ですねぇ。冬にD51が前補機に付くことがたまにあったのは2号機が調子悪い時だったのでしょうか?
@user-hh7oy6jy9i
@user-hh7oy6jy9i Жыл бұрын
冬場の運行で一番気を遣ったのは「前補機の空転」だそうです。前補機が空転すると本務機までも空転を起こすそうです。その点D51が前補機だと空転の心配はないとの事。(これも竹島紀元 氏が取材した時の話です。)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
急行ニセコはていねより減車しているので、D51でも問題なかったそうですよ。
@user-hh7oy6jy9i
@user-hh7oy6jy9i Жыл бұрын
上り(小樽→長万部)より下り(長万部→小樽)の方が、荷物車・郵便車を多く繋いでいた(特に新聞輸送)と聞きましたが、それでも「ていね」程ではなかったのですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
どちらも函館側に2輌連結されていたはずです。 ところで函館方面が上りなんですね。逆の札幌方面と勘違いしてました。
@user-bz8ze1jo5f
@user-bz8ze1jo5f 2 жыл бұрын
昭和45年の全検以降は絶好調だったのは知りませんでした。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。ですからそれ以降函館までやってくる回数も増えています。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o 2 жыл бұрын
C622号機は、東海道線での特急つばめ・はとの牽引実績があまりなく、ボイラー不調などから、B重油併用蒸気機関車になったが、それでもボイラーの調子が悪く、東海道線全線電化開業前の昭和31年10月に北海道に渡り、小樽築港機関区に転籍することになった。 転籍前は見る宮原機関区。それから以降昭和47年10月1日に梅小路機関区(梅小路蒸気機関車館、現在京都鉄道博物館)に動態保存されるまで、函館本線山線小樽ー長万部間で客車急行ニセコやていねなどの前補機として山道を行くことになる。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつも見ていただきありがとうございます。 B重油というところは知りませんでした。
@user-bf6lc9hb6o
@user-bf6lc9hb6o 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様、C622号機とD62形が長万部機関区で並んだら⁉️
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
あっ、それはD62特集でやりましたのでご覧ください。→ kzfaq.info/get/bejne/sM-jddGqqq3KZ58.html
@user-tp1kj4vx8c
@user-tp1kj4vx8c Жыл бұрын
私はあまり詳しくありませんが、イイ内容でした😊
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。良いコメントを嬉しいです。また色々見てやってください。お願いいたします。
@user-yu2to8kh7u
@user-yu2to8kh7u Жыл бұрын
こんにちは😃C622号はわたしが学生時代に山線で写真を撮りました。機関士がカッコよくゴーグルをしマフラーをまき加減弁を上げ発車しました😃私もSの機関士を目指しましたが機関助手で終わりました。懐かしく思います。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
谷口さん、ご視聴頂きありがとうございました。機関助士さんだったんですね。もうご引退されていると思いますが、どちらの蒸気だったのでしょうか?色々教えていただけるととてもうれしいです。
@user-yu2to8kh7u
@user-yu2to8kh7u Жыл бұрын
吹田第1機関と龍華機関区のSです。😄
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
吹田第一は行ったことがあります。私の入換機の動画で登場したことがありました。
@user-rq2he3lt8z
@user-rq2he3lt8z 2 жыл бұрын
元青函連絡船乗りの爺ちゃんが函館駅で撮った2号機の写真は家に結構あります 大沼行きの鈍行列車を引っ張ってる2号機の写真もありますよ 写真の裏の日付が違うのが多いので結構な割合で函館に来てたと思いますよ。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。昭和45年の全般検査の後は調子が良くなり函館の運用多くなってます。私と私の周りも函館で複数回目撃していますし。それ以前はやはり少なかったのでしょうね。
@kw6644
@kw6644 2 жыл бұрын
C62ニセコは残念ながら見る事が出来ませんでした。当時中学生で神奈川に住んでました。当時九州は行けても北限は青森で北海道は外国に行く感覚で諦めました。C62重連見た仲間の話ではジェット機の様な走行音だったそうです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。そうですよね、東京から北海道や九州に行くのは、今ヨーロッパ行くより大変なことでした。特に北海道は青函連絡船があって、あれがあるだけで躊躇しますよ。私はニセコの音はともかく(ファインダーに集中してるもので)、シンダーのバラバラ落ちてくるのが凄いと思っています。
@user-kj6rh4nf9v
@user-kj6rh4nf9v 2 жыл бұрын
北海道に渡ったC62形は梅小路、宮原問わず、余り調子が良くなかった物ばかりだったと言う話もありますが、C62 2はその中でも最悪だったみたいですね。 別の方のコメントにもある運転する側の都合とファンの都合が一致した話もありました。 因みに検査期限の巡り合わせで最後まで残れなかった32号機が最も好調で、現在は苗穂工場に眠る3号機がそれに次いで好調でした。 不可解なのは好調だったにもかかわらず、早い時期に本州に戻り間もなく廃車された42号機でした。 27号機、30号機については早い時期に廃車されてしまいましたが(42号機よりも後ですが)、2号機よりも調子は良かったみたいです。 44号機は32号機と同じ理由で廃車されましたが、加減弁の扱いがデリケートだった事以外は割合に好調だった模様です。 2号機はデフレクタのつばめのおかげで長生き出来たのではないか? もしも18号機みたいにつばめが撤去されていたら42号機よりも先にお払い箱になっていたのではないか? と考えてしまいます。 動画配信ありがとうございます。 次回作にも期待させていただきます。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつもご視聴頂きありがとうございます。42号は仙台に行って盛岡までを強化されるはずだったのでしょう。なぜかすぐに廃車されたのは盛岡行C62計画は無くなったからでしょう。 2号機はつばめマークがすべてだったのですね。
@user-kj6rh4nf9v
@user-kj6rh4nf9v 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様へ 因みに検査期限の巡り合わせで廃車された32号機、44号機に代わり、糸崎から最後の努めを果たす為に転属して来た15号機、16号機についてですが、どちらも評判は芳しくなかったみたいです。 DD51に置き換える迄の1年たらずの間を凌ぐ為の経費削減だった訳ですので、合点が行く内容ですが…。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
一冬だけだったですね。函館本線の15、16はあまり表に出てきていないですね。もし糸崎から来なかったとしたら、全般検査を受けさせたのか?D51に置き換えら前補機として使ったのか?後者だったら海線の方が人気撮影地だったかもしれませんね。
@skt8212
@skt8212 10 ай бұрын
C62の全般検査は当時で1千万円かかるそうであと一年あるかないかでまたやるのは経費の無駄。それでまだ期限が残っている15と16を持って来て使う方がいい訳で、苗穂工場で軸重軽減化と耐寒装備を32からは16へ44からは15へと付け替えて登場した。この頃は2番機の動向ばかりで32と44はノーマークで15と16の渡道は寝耳に水。鉄道雑誌も対応が遅れてしまった。
@Kenana221_56
@Kenana221_56 10 ай бұрын
すごく晴れてる日だと、梅小路周辺や京都駅どころか嵯峨野線太秦駅の周辺でもかなり汽笛が聞こえますよ〜 自宅で模型のE10を走らせてたら汽笛が聞こえて…ってことがよくあります
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 10 ай бұрын
けーなな さん、ご視聴いただきありがとうございます。 SLスチーム号ですよね。あれは汽笛が長すぎると思います。イベント蒸気全般発車の汽笛が長いのですが、ちょっとうるさいですよね。
@user-gv3rv7vf7v
@user-gv3rv7vf7v Жыл бұрын
3号機の復活運転の姿を拝見しました。迫力ありましたね❗️ 現在の北海道でも蒸気機関車が走っていますが、小さい機関車でも蒸気機関車を知らない世代の私ですが、ワクワク感があります。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴いただき有り難うございます。 冬の湿原号のC11ですよね。私も初めて今年見に行きました。 あれは本物の当時を彷彿とさせる蒸気列車だと思います。とても堪能しました。
@user-gv3rv7vf7v
@user-gv3rv7vf7v Жыл бұрын
北海道はかつて沢山の路線があり、それぞれの路線で蒸気機関車が走っていました。沢山の名機を輩出しています。C55の1号機・C57の135号機・C58の1号機・D52の468号機等と沢山あります、その中でもC62は王者として君臨していました。別格ですね❗️北海道では不向きな函館本線小樽~倶知安~長万部間の重連は乗務員・整備担当・保線担当の並大抵ではない苦労が最強の伝説を生み出して現在も語り継がれていると思います。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
そのコメントが北海道の国鉄蒸気を物語りますね!
@akiramats1173
@akiramats1173 2 жыл бұрын
NゲージでC622にオリエントエクスプレス‘88を牽かせて楽しんでるんですがコレが滅茶苦茶似合うんですよね😊 オリエントエクスプレスが来日した時実現はしませんでしたが北海道で当時復活したばかりのC623が牽引するんじゃないかという噂がありました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございました。C62とオリエントエクスプレスですか。楽しそうですね!客車のサイズからだとC59でも格好良いかも。北海道に行ったとしたらきっとC62-3が牽引したことでしょう。
@Omoide_hozon_Railway
@Omoide_hozon_Railway Жыл бұрын
北海道にもオリエント急行が来ています。白石駅にしばらく止まっていましたね。 あれをもしもC62が牽いていたらそれはもう画になったことでしょう。 室蘭本線のC57最終と並ぶ伝説となっていたに違いありません。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
@おもいで保存鉄道 様 あっ!北海道に行っていたのですか。知りませんでした。教えていただきありがとうございます。それなら動かさなくてもいいから3号機を連結して展示してくれればよかったのに。
@fire.ge999
@fire.ge999 6 ай бұрын
C62は、銀河鉄道999の機関車として、有名なSLです。(銀河鉄道999のテレビ版は、C6250、原作&映画版はC6248です。)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 6 ай бұрын
金田さん、ご視聴頂きありがとうございます。 私も梅小路にイベント見に行きたいです。
@user-tf6co8vt2p
@user-tf6co8vt2p 2 жыл бұрын
私が生まれた時には既に現役の蒸気はおらず、全て復活蒸気でしたので、西日本の蒸機の磨きあげられた車体や金帯、赤く飾られた連結棒や金色の十文字ハンドルが華やかで好きです。逆に、東日本の復活蒸気はなぜ真っ黒で地味なんだろうと疑問に思っていました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 若い方々は、その様な磨きあげられた機関車を見てファンになられたり大きくなられましたから、梅小路の機関車に愛着を持つ事は十分に理解してます。しかし現役時代にその様な格好をしていたわけでは全くなく、そうしなければならない必然性が無いことから、考え直して欲しいし、定期的に扉の取手を変えて下さいと言っていむす。
@user-yg2tc7tk8k
@user-yg2tc7tk8k Жыл бұрын
梅小路の蒸気機関車の煙扉が十字ハンドルの件ですが、此処の博物館は 蒸気機関車が間近で見ることが特徴です 開館初期に見に行ったことがあるですが 全部の機関車が十文字ハンドルでなく一文ハンドルのもありましたが 締め付けが悪かったのか風で煙室扉がバタバタ開いて危なかったです それで十文字ハンドルになっているようです 十文字ハンドルの良いとこは締め付けが離れたところで分かりやすいところと 両手でしっかり閉めれることです 梅小路の十文字ハンドルは見学者の安全上だと思います 静態保存機関車は煙室扉を溶接してるそうです 東日本の蒸気は見学者が直接見れないため 一文字ハンドルでも問題ありません 始業点検のときに開けて点検するから 梅小路の動態機を一文字ハンドルにするのには見学者を締め出してやらない といけないので現実的ではないと思います。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 6 ай бұрын
確か函館まで行った本務機は大沼ー函館の通勤列車の他、夜行準急「たるまえ」(後に急行「すずらん」に改称)の函館ー長万部の往復の牽引もしていたような気がします...
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 6 ай бұрын
こご視聴いただきありがとうございます。 それらはヨンサントウ以前のていね時代で終了しのではないでしょうか?最後の最後には大沼の通勤列車も無くなりました。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 6 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab さん ヨンサントウでたるまえはすずらんに改称。どうもその後もC62牽引は続いていたようです。いつやめたかはわかりませんが急行すずらんの運用から函館ー大沼の普通運用に変わったのは最末期だったような気がします...
@user-yb4zc5pg9v
@user-yb4zc5pg9v 2 ай бұрын
一昨日梅小路に行く機会がありC62 2号機を実際に見ました。他の静態保存のSLの運転台を実際に見ると、現在では当たり前の機械的なアシストが一切なく特に夏場はボイラーの熱気で灼熱地獄という過酷な職場だったんじゃないかと想像できます。その上に同型式の機関車であっても個体によってクセの違いも大きかったでしょうから、電気やディーゼルとは違ってSLの運転士には職人気質の方が多かったのだろうと思います。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 ай бұрын
播州姫路さん、ご視聴いただきありがとうございます。蒸機の乗務員さんたちはプライド高い方々だったと思います。運転の判断においては駅長より偉いのでは。まぁ昔のことなので様々なことが美化されているとも思いますね。 当時の好青年の機関助士さんでも、今や80歳ぐらいなんですねぇ。国鉄職員は去られても黙しておられる方々多いので、良く分からないところが多いなぁと思います。
@user-yb4zc5pg9v
@user-yb4zc5pg9v 2 ай бұрын
@@Yukkuri-Lab 梅小路に行くきっかけになったのがKZfaqで偶然見つけた「雪の行路」というドキュメンタリーでした。その映像に出てた2号機を実際に見た時、何とも不思議な気持ちになりましたね。他にはない貫禄というか特別なオーラを出してる感じがありました。当時の北海道における国鉄の宣伝塔としての活躍を期待して送り出したのが結果として今も生き残っている秘訣だったのではないかと感じます。もし、北海道に行かず本土に居続けていたとしたら2号機はもしかしたら解体されて残らなかったのかもしれません。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 ай бұрын
雪の行路、同じ名前は急行ニセコが無くなるかその辺りにでた写真集があったと思いました。
@Nekomomo
@Nekomomo Жыл бұрын
2号機は不調機と聞いていたんですが70年に整備してから動くようになったというのは初めて知りました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
猫桃さん、ご視聴いただいてありがとうございます。そのため最後の頃は本務機の仕業増え函館に来ることもぐっと増えました。
@skt8212
@skt8212 11 ай бұрын
1970年は4両あるC62のうち3両が検査期限を迎える事になり、一番先に2番機が期限を迎えて7月に全般検査を受けて復活、その後呉線電化後に32番機が10月に、44番機が12月に期限切れとなり、それぞれ呉線から来た16と15と入れ替えた。もし順番が違っていたらどうなっていたか?
@N--jv3go
@N--jv3go 2 жыл бұрын
煙室戸ハンドル〇と✕の組み合わせは大宮工場担当機に多く関東地区では予備ヘッドライトと共によく見られました。2号はいつ変えたんですかね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつもご視聴ありがとうございます。そうですよね。私のイメージは関東のD51に多かったなぁという事です。C62の2号機は梅小路に行く前にさよなら重連を岩見沢まで走らせたときが最初ですね。梅小路のご指定だったそうですけど。
@user-hf6us1lp1p
@user-hf6us1lp1p 2 жыл бұрын
久しぶりです。 c62 2 蒸気機関車の中でも有名な機関車ですよね。 私も小樽時代の煙室扉ハンドルに戻してほしいと思いますが、やはり十文字も捨てがたいですね。1ヵ月周期とかで回してほしいですね。 やはりc62はかっこいいですね。私は大型機よりも小型の機関車のほうが好きですけどね。 梅小路って十文字が多いですよね。基本現役よりは保存用の化粧塗装で、化粧塗装もいいですけども黒一色でちょっと汚れてるくらいでツバメだけ磨いてほしいですね。 私は18号機のほうが好きですけど、18号機の北海道仕様も見てみたいですね。 2号機と18号機って共演したことあるんですかね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。十文字になって50年ぐらいですから、それを見て大きくなられたファンも多数でしょうから、ご提案通り定期的に変えるとかしてくれれば良いと思います。 最近電車を国鉄色に戻して人気が出たり、国鉄時代の面影のあるEF66が人気ですから、蒸気に求めるものが何であるかはわかっていると思うのですが。ニセコのヘッドマークつけて12系でSLスチーム号を走らせて、ニセコの再現と言うのは少々欺瞞でしょう。あれは最後の片道だけだったはずですし。もちろん今のSLスチーム号よりは100倍ベターですが。私はネガを漁っても18号は出てきません。先輩諸兄にお借りして18号の話はいつかやりたいです。東海道でつばめマークをつけていたのが名古屋時代ですから、宮原の2号機とどこかですれ違っているはずですし、機関区で並んだこともあるかもしれませんね。
@user-hf6us1lp1p
@user-hf6us1lp1p 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 梅小路に保存されて半世紀もたつんですね。 私は初めて見た動いてる蒸気機関車は震災復興のⅮ51 498 でしたね。 c62ツバメの重連なかったと考えるのが 妥当ですかね。 18号機も保存されていれば... 国鉄色と言えば381系 e653 ちょっと異なりますがe2系の200系塗装ですかね。 なんでe5系ではなくe2系に塗装したんですかね、e5系なら幻の北海道を走る200系風が見れたでしょうに。 私の考察は2つながりでE2系にした。 もしくは、企画初期の段階にイラストくらいは関係者で作られたはずですから、E2系のほうがしっくり来た。 また、窓の大きさ的に側面の見た目がいい。 上越新幹線に乗り入れられて、初期のときを再現できるから。 ですかね。私としては、岩手在住のため 仙台以北にも来てほしいですが、仙台 東京、東京 那須塩原の運用ばっかりですよね。そもそもE2系が仙台以北ではレアですけど
@user-hf6us1lp1p
@user-hf6us1lp1p 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab そういえばc62 2号機って何度か廃車にしたいとの声が上がっていたそうですね。蒸気圧が上がらず使い物にならないが、車籍、法律上機関区には機関車が足りていると扱われるために廃車にして少しでも調子のいい機関車が欲しいと本部にお願いしたそうです。 ちなみに本部からは ツバメマーク装備であり、沿線住民や鉄道ファンからの人気で、集客になるし、解体するのもお金がかかるし、致命的な欠陥はないために結局廃車されず、結果として今を生きる機関車となりました。 もし解体されていたらツバメマーク装備の機関車が歴史に増えていたんですかね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ついでに鉄道写真を撮ることはありましたが、私はかなりのブランクがあって、ほんの最近まで200系のJR東新幹線が無いとか、ブルトレ寝台が無いとか思っても見ませんでした。最近その200系塗装のニュースを見てみなさん興奮されているようですね。私はブランクのせいで、これは無いだろうと思ってしまう口です。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
昭和43年以降をブームの始まりとするならば、すでに2号機は神がかっていましたから廃車にすることはあり得ないでしょうね。昭和45年の全般検査で不調はかなり治ったらしいので、動態保存して京都での運転の目玉にする気満々でした。
@nozomi-kq8mo
@nozomi-kq8mo Жыл бұрын
私は2号機とは巡り合わせが良くありません。梅小路蒸気機関車館→京都鉄道博物館は通算10回以上行っていますが、お尻 (テンダ) を向けて検修庫の中か、バラバラにされて整備中かのどちらかでした。デモランとかで動くときにはこっちが動けませんでした。で、今年の6月下旬にも行ったんですが、検修庫になぜかテンダだけがぽつんと。「あ〜ぁ、また会えなかった😭」と少々がっかりでした。 その分、1号機をいつも以上に目に焼きつけてきました。いや〜、やっぱりデケーわシロクニは。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。えっ!本当ですか?それは残念でしたね。私は外れ無しです。やはり博物館化したあと10回ぐらいは言っていると思いますが。今年見た時2号機も老けたなぁと感じましたよ。
@user-gv3rv7vf7v
@user-gv3rv7vf7v Жыл бұрын
C62は東海道山陽筋よりは北海道のイメージが強いですね。2号機・3号機のゴールデンコンビは最強です❗️
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。呉線のC62は迫力の面で北海道には敵わなかったですね。50年前にあの様な急行が現存していたことを今考えると、隔世の感があります。
@OA-5599
@OA-5599 2 жыл бұрын
ニセコ号D51重連時代の画像見た事ないのですが。 乗務員はさぞかし大変だっただろうと。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。D51重連はまりも、大雪等の山線経由のですね。ニセコという名前は43年のダイヤ改正でていねが減車して名前が変わりました。 D51のほうが空転しなくてよかったのかもしれません。もちろんスピードは遅いでしょう。
@user-kj6rh4nf9v
@user-kj6rh4nf9v 2 жыл бұрын
聞いた話と資料からの引用になりますが、D51の重連運転時代はメカニカルストーカーが無い為1両辺り機関助士2名乗車、貨物用機関車の高速運転による激しい動揺、車軸の発熱、フランジの異常摩耗等、運転する側も整備する側も地獄の明け暮れだった模様です。 C62の重連運転もかなり難しい部分はありましたが、乗務員の負担も整備現場の負担もかなり軽減された事は間違いないです。 函館本線山線は半径300メートル以下の急カーブが76箇所あった事も運転の厳しさに拍車を掛けていた事もありました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
@ 特急日本海 様 C57牽引の室蘭・千歳回りの急行より遅いと意味がないでしょうから、D51も頑張ったんでしょうねぇ。確かC57の運用が甲で山線が乙でC62でも変わらなかったようですが、乗務員は長万部なんですよね。
@user-cx4sg3wo4f
@user-cx4sg3wo4f 5 ай бұрын
​@@Yukkuri-Lab😊
@user-ij1vn6kk8k
@user-ij1vn6kk8k 2 жыл бұрын
静態保存が目的なら1号機を広島から持ってくるだけで良かったんでしょうね。しかし当時の国鉄は本格的な動態保存を目的にしていたため2号機が選ばれたのかも。しかし「京阪100年号」の事故で尻すぼみに成ったことが悔やまれます。当時の京都から姫路へのSL列車はC62もC57も結構本気走りしていました。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。当時は東海道だとC62とC61じゃないとダイヤを乱すからという説明でした。 残念ですがもうどちらも本線を走らせることは無理でしょうね。
@user-ty1sp2qd8i
@user-ty1sp2qd8i 2 жыл бұрын
国鉄は無難に初号機を動態にしようと考えてたみたいですがスワロー人気に勝てず2号機が動態保存になったらしいですよ
@user-ij1vn6kk8k
@user-ij1vn6kk8k 2 жыл бұрын
@@user-ty1sp2qd8i 私が思ったことは、ボイラー載せ替えで元気な2号機とボイラーD52そのままでボイラー検査の翌年に他車に先駆けて廃車となった1号機を比べて、走れる2号機を選んだのではないかと云うことでした。
@user-mg4oo7mx3f
@user-mg4oo7mx3f 3 ай бұрын
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!たしか最初の頃は函館本線の急行は、大雪とアカシヤとまりもの3往復では?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 3 ай бұрын
お知らせ頂きありがとうございます。ちゃんと確認して発言するようにしますね。
@pupo2298
@pupo2298 2 жыл бұрын
2号機が本務機だったこともあったのですね😀なんと言ってもシロクニ重連は速いですよね。これはDCやDD51重連では無理ですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。2号機が前補機専用だったと思われる方々が多いようなので、今回はあえて2号機を解説しました。みなさん写真を発表されるときには2号機が前の方が格好いいですからね。もっとも2号機が補強で使われる頻度は高かったのですが。さてC62x2が速いのか?ですがDD51に比べて余裕があったとは決して思いません。ニセコになって減車されたのでC62x2には余裕だったでしょうが、DD51x2の方がさらに余裕があったはずです。
@pupo2298
@pupo2298 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab C62は直線大好きでカーブと勾配の多い山線を走るカマではないですからね😀間違いなくDD51の方がレスポンスは良いでしょうね。普通列車はD51単機で余裕だったのでしょうね。ありがとうございます。
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab DD51はリミッターで最高速度95km/h制限。C62は100km/h以上出る😉
@YukariAkiyamaTanks
@YukariAkiyamaTanks Жыл бұрын
Would it be possible to see this loco run on a excursion?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
Thank you for watching. You can find the dates when Type C62 will haul the cabins. www.kyotorailwaymuseum.jp/en/
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u 2 жыл бұрын
その時の子供達の中に私も居ます...。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご支援ご視聴頂きありがとうございます。あれれご覧になっていたのですね。 どのような記憶がおありなのでしょうか?
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab さん、6:01~みたいに、砂留踏切や船見橋(小樽市)で父と一緒にニセコを見てました。 (ハンドルは私も戻してほしいな~。)
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
それは貴重で大事な経験と記憶ですね。
@user-ck4jr7ff1k
@user-ck4jr7ff1k Жыл бұрын
C62にとって最も輝いていたのは東海道本線時代だと思っていましたが、2号機にとっては函館本線のほうが輝いていたんですね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。2号機は東海道ではもちろん輝いていましたが、如何せんその時期が短かったので函館本線の方の注目が高いんですね。
@user-xu4fo7vm2d
@user-xu4fo7vm2d 2 жыл бұрын
投稿お疲れ様です。煙室ハンドルの件ですが、自分も普通形に戻してほしいですね。過剰な演出って気がします。蒸機現役時代からの梅小路機関区の拘りなら仕方ないとは思いますが、昭和47年発行の「国鉄 蒸気機関車の角度」を見ると梅小路現役の時のC57やC51、C50や8620は全て通常のハンドルをつけてます。 ただ、昭和37年の鉄道90年に鷹取工場で復元されたC5345は例の十字ハンドルです。C5345はその後弁天町の交通科学館で展示され、梅小路開館時に搬入されてますから、C5345に合わせた可能性はありませんかね。昭和47年の開館時には全車十字ハンドルになってますから。 それともう1つ、自分はD51200のテンダー台車を鋳鋼製に戻してほしいです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。おっしゃられた梅小路のことは私も何度もこちらでお知らせしてます。C53ということは鷹取ですから、鷹取の方針で梅小路に従わせたのか?いやそうではないでしょう。C53は失敗機ですから。原形オタクではないのですが、蒸気の終り頃になって、マル生とか組合対策とかでデフの点検穴を開けまくったり、安全基準の関係でシールドビームを付けたり付けなかったり、そちらを戻すことがお召機関車まがいの装飾よりずっと大事だと思いますね。
@toshihorrich8405
@toshihorrich8405 Жыл бұрын
0:30 これコラージュ画像ですよね? それにしても、『まりも』から『ていね』そして『ニセコ』と、よく頻繁に列車名変えましたねw
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
Toshiさん、そうです。コラです。元は2号機の通勤列車です。 C62-1特集のC62-2牽引の特急はとは本物ですからご覧ください。 ニセコになって、格下の急行になったと口の悪い友人が良く言っていました。
@ShunRailwayCh
@ShunRailwayCh 2 жыл бұрын
C62 2が梅小路に帰る直前にニセコのリバイバルがあったらしいですね。すっかりおめかしした2号機が不自然で一目見ただけで帰ったという人をネットで見かけました。確かに、今の2号機はイマイチですね。小樽時代の装飾(宮原もスッキリしていて好きですね。)にロッドに赤になっているのが1番好きです。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
いつもご視聴頂きありがとうございます。それはニセコのリバイバルではなくて岩見沢経由でのさよなら重連でしょう。梅小路仕様で走らせましたので。ニセコのリバイバルは昭和47年の夏に片道2回倶知安までやったはずですが私は行きませんでした。 C51は原形に拘って給水温め器を外すのに、なんでC622号機は戻してくれないのでしょうねぇ。
@ShunRailwayCh
@ShunRailwayCh 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab さよなら運転でしたか。ご指摘ありがとうございます。おそらく部品が無いのでは?何処かに保存してある機関車から拝借するのも面倒でしてないのでは?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
火が入っていないときに3Dプリンターで作った取っ手に付け替える。
@ShunRailwayCh
@ShunRailwayCh 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 3Dプリンターがありましたか。盲点でした。
@keihanhiro1247
@keihanhiro1247 2 жыл бұрын
こんばんは。動輪軸重の軽量化でパワーを絞るから、調子の悪いカマを改造候補にしたのかな? 山陽線では、フルパワーが必要な場面も多いし。 私が大沼公園まで乗ったニセコは、既にデラックスD51でしたけど。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。パワーを絞るからという点ですが、C62軸重軽減に合わせてライナーをいれてボアダウンしたというところは真贋は謎ですね。実際の2号機がどうなのか知りたいです。 少なくとも15,16号機が糸崎から小樽に来たときはその作業はしていないはずです。
@keihanhiro1247
@keihanhiro1247 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様 粘着重量が減少している訳で、空転続発の可能性が高いと思うのですが。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
C62の軽減型の軸重は本当に軽いですからねぇ。
@user-fb4qk2zn9y
@user-fb4qk2zn9y 2 жыл бұрын
やはりC622号機は北海道仕様の重装備がカッコいいですね✨ クルクルパーに副灯も装備去れたか姿が良いですね✨✨ 東海道時代も悪くは在りませんが少しシンプル過ぎで物足りません❗ やはりC622は2号機と3号機の🆕重連コンビの函館本線を爆走する迫力有るニセコですよ💡 だが私も梅小路の十文字ハンドルはちょっと頂けませんよ😣 北海道時代の一文字ハンドルに戻し欲しい🔧識別灯とクルクルパーも 又改めて🆕C62やるの大切楽しみにしています🎵
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。煙室扉の十文字に賛同いただきうれしいです。重油タンクが外されてから梅小路の2号機はスマートになりましたね。もはや本線走行は望めないので、3か月おきに形態を変えるなどしてくれれば常にファンが来てくれると思うのですが。それほどの事ではないのにと思ってます。
@leaguepacific
@leaguepacific 2 жыл бұрын
C62 2 ってナンバーがなんか語感がいいというかなんちゅうか本中華… 生まれながらにスター要素だったと思います
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 ツバメマークが北に行って人気が出たことが、カリスマ性を持たせたのでは無いでしょうか。
@shiro55441
@shiro55441 2 жыл бұрын
札幌育ちの私は2号機の イメージは「インテリ」 3号機が「北のC62」って思う 函館で育った知人は C62の3重連を見ていたらしく c11の重連とか見て 「観光の為に無理に重連にしなくても…」 なんて思っているらしいです 私は札幌なので 電気機関車牽引で 小樽から蒸気なので 子供の頃の「汽車」のイメージ 少ないので よくわからないです でも 扉の飾り?ドアノブ?は 北海道時代の方が好きでというか 北海道仕様が普通だと思っていました。 取手?ドアノブ?は 北海道仕様の方がスマートで好きです
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴いただきありがとうございます。煙室扉の一文字にご賛同いただき嬉しいです。 札幌は電化されていましたが、電車待っていて通勤列車がD51でやってきて驚いたことあります。札幌からC62であればもっと楽しかったですね。
@user-oi1jq5hv1s
@user-oi1jq5hv1s 2 жыл бұрын
好調機(でも東海道時代は不調機)ゆえ酷使され、15,16の北海道用パーツ取りされて廃車即解体されてしまった32,44にも光をあててほしいな?! 15,16も最後に脚光を浴びたわりには保存されずに即解体されたみたいなんですけど。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。呉線の特集をやるときに出してみたいと思います。15は動輪が東京駅に展示されていますね。
@user-kj6rh4nf9v
@user-kj6rh4nf9v 2 жыл бұрын
32号機と44号機の検査期限の巡り合わせと糸崎のC62がお役御免になったタイミング、急行[ニセコ]がDD51に置き換えの予定になるタイミングの関係がこのような事になった模様です。 糸崎から小樽築港に転属、改造の費用が全般検査費用の10分の1で住む事が大きかったと言えるでしょうね。 15号機、16号機も急行[ニセコ]運用からお役御免になってから間もなく検査期限切れになっています。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
@ 特急日本海 様 前述しましたが、山線は乙仕業だったのでDD51を回すという判断がなかったのでしょうね。
@Royal_Locomotive
@Royal_Locomotive Жыл бұрын
蒸気機関車の現役を全く知らない世代の若造の意見ではありますがやはり2号機は小樽築港時代の煙室扉ハンドルにして欲しいと思います。2号機が梅小路に旅立つ際3号機との重連運転の時に取り替えられたらしいですがなにか理由でもあったのですかね?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ダバさん、初めましてご視聴コメントありがとうございます。 蒸気の現役の姿は日本では無くなりましたが、世界に目を向けると欧州と中国に少量存在します。そういうのに21世紀に遭遇すると感激ものですね。 梅小路の2号機のハンドルですが、ご覧になって分かるように全機種同じハンドルに集結した際に変えられています。この十文字ハンドルは関東のD51やC58、C62がよく使っていたと思います。 梅小路はもともと十文字ハンドルを使う機関区ではないので、当時の国鉄の判断だったのでしょうね。梅小路のお召専用のC59には梅をあしらったデザインのハンドルが用意されていました。
@superblackhawk.44
@superblackhawk.44 Жыл бұрын
C622が梅小路に来た時、3号機も一緒に来ていれば1、2、3と連番で並ぶ姿が見られたのに、残念です。f(^_^;
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
Gottonさん、ご視聴頂きありがとうございます。今からでも良いですから、3号機JR北からリリースして欲しいです。西にはC62がおおいから次は東ですね。
@user-jd3pz6zy2s
@user-jd3pz6zy2s 2 жыл бұрын
梅小路蒸気機関車館は毎日C形蒸気機関車走らせて欲しい!!
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
以前よりましになりましたが、SLスチーム号の客車何とかならないのでしょうか。 それともういい加減にSLをいうのを止めて欲しい。蒸気、蒸気機関車で良いではないですか?
@user-sk4fi3yp4l
@user-sk4fi3yp4l Жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab スチーム号の客車あれは酷いですよね~あのゾウになって義経が動かなくなってしまいショックです。 デザインも個人的に嫌いです
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
@XXX 様 備品なのであれで良いと思うのでしょうか?かなり残念です。
@user-wu8yy5co2o
@user-wu8yy5co2o 2 жыл бұрын
9:09昭和47年!?うちの歩行者信号機の製造時期と同じじゃないですか?!
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。すみません仰る意味がよくわからないのでもう一度教えていただけますか?
@user-wu8yy5co2o
@user-wu8yy5co2o 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 実はうちに信号機が2台あっそのうち1台が昭和47年3月製造なんですよ
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
動画拝見しました。楽しいですね。
@user-wu8yy5co2o
@user-wu8yy5co2o 2 жыл бұрын
ありがとうございます
@user-wb3wg3we8w
@user-wb3wg3we8w 2 жыл бұрын
何がどう転ぶかわからない。🙄 そして、その後の人生がどう変わるのかもわからない。人生なんてそんなもの。🧐 車生も、人生にも似たようなことが有るんだなぁ。😌
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。そうですよねぇ。燕のマークの2輌のC62があって、小樽では大事にされ18号は名古屋でしたか外されちゃいましたね。18号が外されていなければ違った運命をたどったかも。同時に2号機もさほど人気が出なかったかもしれませんねぇ。
@user-wb3wg3we8w
@user-wb3wg3we8w 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 様、 返信ありがとうございます。 一般的には、トップナンバーが一番人気なのが多くの場合だと思います。🙄 ですが、2号機がトップナンバーよりも人気なのは、つばめマークのおかげと言っても過言ではないでしょうね。🧐 それから、つばめマークのデザインも、18号機よりも2号機のデザインの方が、より一般ウケが良かっただろうな、という気がします。🤔 いづれにせよ、人生も車生も、波乱万丈だからこそ面白いですね。😌 出来ればもっと早く生まれて、C62重連急行のマシ35🍴で食事してみたかったです。😂💦
@user-vr7um7ul8y
@user-vr7um7ul8y Жыл бұрын
C62は、日本で最大の蒸気機関車🚂だけにD51より貫禄がありますね‼️山口線で、走って欲しいけど。津和野の転車台が使えないのかな?D51が、起用できるならいけると思うけど。やはり、無理かな?
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。C62が山口線というのはちょっと勘弁してほしいですねぇ。山陰線ならば一応本線級ですから楽しいかもしれません。
@k.i1428
@k.i1428 Жыл бұрын
もしC62-2がC62-1と山陽線で運用されていたら今ごろ....と、よく考えてしまいます。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。2号はつばめマーク外されていたでしょう。 広島は変わってますから。山陽仕様にすると言って、砂パイプも外出し3本で。 そして調子が悪いとか言われて早期廃車、解体だったと思っています。
@user-sk4fi3yp4l
@user-sk4fi3yp4l Жыл бұрын
十字ハンドル。。戻さないだろうなぁ~ 個人的に地元を走っことのあるD50 140のハンドルを元に戻して欲しいけどそれを言い始めると全部の蒸気のハンドルを元に戻して欲しいてなちゃうんだよなぁ~ 多分、梅小路としては特別感を出す為にしたんだろうけど。。 十字が良いて人もいれば〇の方が良いて人もいるからな。。難しいな。。 付け足しで言うなら、C62 2だけでもいいから小樽時代のまんまの姿で保存して欲しかったかな。。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。またご賛同いただきうれしいです。D50-140もそうなんですよね。特別感という点は理解できるし、50年経ってそちらになじみ深い方もいますので、とっかえひっかえやればいいのにと思います。 別の機関車から持ってきた鳳凰マークよりずっとインパクトあるのになぁ。
@skt8212
@skt8212 11 ай бұрын
北海道新幹線のため長万部〜小樽の所謂山線が将来廃止になるとの事だがそこを蒸気を恒久的に走らせるように出来たらなあ
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 11 ай бұрын
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。 本当にそうですね。でも現実を考えると暗くなっちゃいます。 JR北は沈黙をしたままですが、3号機をどうしたいのか公表すべきでしょう。
@user-gv3rv7vf7v
@user-gv3rv7vf7v 10 ай бұрын
小樽~倶知安~長万部間はC62 2号機と3号機とキハ80系が二大巨頭のスターとして君臨していました。 北海道はC62とキハ80系が一番カッコいい思いました❗️ 次にED75 501とED76 500~がランクインかな。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 9 ай бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 今週はキハ81が出てきます。是非ご視聴ください。
@user-we8nv7yp5v
@user-we8nv7yp5v 11 ай бұрын
正直煙室ハンドルが十字だろうが何だろうが、何だっていいと思う。 C62はそんなもんで魅力が霞むような機関車じゃない。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 11 ай бұрын
フリーザ様 、ご視聴いただきありがとうございます。 各個人個人の趣向がありますし、50年も同じ取輪で現役時代より長いわけですから、おっしゃるようなご意見もごもっともですね。
@Ogayussan
@Ogayussan 2 жыл бұрын
煙室扉のハンドルはぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーっったい一文字 十文字は違和感すごい
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 ご賛同いただき嬉しいです。よろしくお願いします。
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k 2 жыл бұрын
下りつばめも取り上げて欲しいです。後名古屋で静態保存されて居る17号機もね。
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。C62はこれからも定期的にやっていきますので、18や17号機も出していきます。ご期待ください。
@user-zz2dr6vv6k
@user-zz2dr6vv6k 2 жыл бұрын
@@Yukkuri-Lab 楽しみです。
@user-hw9sc9ti6o
@user-hw9sc9ti6o Жыл бұрын
たしかに煙室扉のハンドルは元にもどしてほしい
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ミーくんさん、ご視聴いただきありがとうございます。梅小路の好みや勝手で、我々の2号機の思い出を変えないでという感覚です。
@wlmmgmapmgawggag
@wlmmgmapmgawggag 2 жыл бұрын
3号機も出てきてほしかった...
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。表のところにちょっと登場させましたし、急行ニセコの雪の中の写真の本務機と、後ろから撮った2号機の前補機は3号機ですので見てやってください。
@kasa-branca4449
@kasa-branca4449 2 жыл бұрын
2号機の謎 ボイラー交換しても、なお調子の悪い謎の病に冒されつつも、現在でも走る。それがカリスマ特権か? ボイラーは新しいから、それも作用したのだろうけど 今現在を持っても、不調らしい。 小樽築港時代の煙室ハンドルか、往年の東海道時代のハンドルか? 築港時代のはスッキリしていて良いが、関西に帰ってきて、往年の御当地煙室ハンドルで、こそが こればかりは、地元民コダワリと意地もあって、難しいと思う。 とにかく、北海道仕様の物は外せるものは外して、戻す事に忠心してきた訳でもあり
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございます。 コメントもありがとうございます。 しかしながら、東海道の宮原時代の煙室扉の取手は一文字なんですよ。小樽に渡って昭和47年に戻るまで十文字の取手は一度も無いはずです。 ですから梅小路に戻ってきてからのあの姿に納得していないのです。 但しこの五十年間十文字でしたから、それに慣れて愛着持たれている方も多いこともわかります。 ですから、期間を定めて二つを取っ替え引っ換えしてもらいたいです。
@kasa-branca4449
@kasa-branca4449 2 жыл бұрын
たしかに となると、ハンドルに拘りが無いのなら、戻して欲しいですね 十字の方が扱い易い。という現場判断で、十字になってしまった。とも考えられますけど 何せ、現役動態保存機ですので
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
はい、それもかつてご指摘あったのですが、元々梅小路機関区の機関車は、C51, C57でも有名なんですが、十文字は全然無くみんな一文字把手なんですね。ですから外部のかなりの強い意図を感じるわけです。
@user-mt5wi1us8e
@user-mt5wi1us8e Жыл бұрын
2号機は北海道時代の仕様に戻してほしいなぁ
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab Жыл бұрын
ご視聴頂きありがとうございました。本当に戻して欲しいです。特に十文字ハンドルは嫌です。
@user-jd3pz6zy2s
@user-jd3pz6zy2s 2 жыл бұрын
確かに一文字ハンドルにして欲しい!!
@Yukkuri-Lab
@Yukkuri-Lab 2 жыл бұрын
ご支援ご視聴頂きありがとうございます。ご賛同いただきうれしいです。
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