フン族=匈奴なのか?同族説の実際のところ

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ゆっくりモンド2

ゆっくりモンド2

Күн бұрын

世界史をかじったことのある人なら一度は聞いたことがあるでしょう。フン族。アッティラ、アッティラ。
同じく匈奴も聞いたことがあるでしょう。
では、フン族が匈奴と同族だというのは?両民族を聞いたことがある人なら、その説もやっぱり知っているでしょう。
では、どうしてそのような説があるのか?
イヤそこまではしらんけど、なんか偉い人とかユーチューバーが言ってたから。
じゃ今回は「なんでフン族と匈奴が同族」だと考えられるかを説明していきます(知りたいか?)。
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ファンアートありがとうございました!!
0:00 オープニング
0:45 フン族・匈奴同族説
6:05 匈奴のおさらい
11:30 フン族のおさらい
17:10 フン族・匈奴が同族とされる根拠
24:01 エンディング
今回の参考文献:
林俊雄(2017)『スキタイと匈奴 遊牧の文明』講談社
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本村凌二(2013)『馬の世界史』中央公論新社
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荒川正晴(2003)『世界史リブレット オアシス国家とキャラヴァン交易』山川出版社
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木村靖二・岸本美緒・小松久男(監修)(2021)『山川 詳説世界史図録 第4版』山川出版
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#ゆっくり解説 #歴史 #解説

Пікірлер: 144
@mond2
@mond2 Жыл бұрын
ナレーションにつけた字幕で、中央ユーラシア研究者の林俊雄先生の字が間違っていました…ごめんなさいごめんなさい。 正→林俊雄 誤→林俊夫 お詫び申し上げます。
@user-lm9sy2qq6w
@user-lm9sy2qq6w Жыл бұрын
「烏桓」を大昔の中国語で再建発音すると「アヴァウル」と読むと聞いてから、本当に世界の歴史は繋がっているんだなと感動しましたね。
@koukinzoku12
@koukinzoku12 Жыл бұрын
アヴァール人とのつながりでしょうか?興味深いですね
@user-fo7ig9vh3m
@user-fo7ig9vh3m Жыл бұрын
安禄山 = アレキサンダー と言う説を聞いたこともありますが、確かに彼はソグド人でした。
@user-vs6bh4rg6f
@user-vs6bh4rg6f 9 ай бұрын
​@@user-fo7ig9vh3m その時代の発音を遡らせて成る程と納得した話と義経がジンギスカンバリのオカルトトンデモ論を一緒にしちゃだめだろ…
@user-zl1vj6fz1m
@user-zl1vj6fz1m 8 ай бұрын
@@user-vs6bh4rg6f最寄りの書店にてそれに関連した"つくる会"元会長の田中某氏の著作が細川重男先生の著書の横に置いてあって戦慄しましたねえ 余談ですが土偶を読むの横に土偶を読むを読むが置いてあったのには笑ってしまいましたが
@juzasorano4988
@juzasorano4988 7 ай бұрын
⁠​⁠​⁠@@user-fo7ig9vh3m アレキサンダーはソグド人ではありません。むしろソグド人の敵でソグド人を殺しまくった人です。
@polanyi4481
@polanyi4481 Жыл бұрын
この動画は、参考文献が載せられているところに誠意を感じます。 動画の内容も、興味深くて面白いです。
@mokeke-com
@mokeke-com Жыл бұрын
当事者の文字記録がない民族の変遷は、後の世から調べるのは難しいですよね (文字記録を残している国家や民族の資料がすべて当てになるわけでもないですが)
@user-ic1yo3yw3k
@user-ic1yo3yw3k Жыл бұрын
モンドさんの導入はほんま天才的やな
@user-ui5ul2rr5x
@user-ui5ul2rr5x Жыл бұрын
現代のハンガリー人達は、子供の頃に蒙古斑が出ると聞いたことがあります。 なのでアジア系が混じっているのもたしかなんでしょうね。
@user-pm9yi4vc7r
@user-pm9yi4vc7r Жыл бұрын
ハンガリーのハンは(フィンランドのフィンも)、フン族のフンが由来らしい。両国ともアジア系(ぽいところがある)。
@user-ui5ul2rr5x
@user-ui5ul2rr5x Жыл бұрын
@@user-pm9yi4vc7r フィンランド人の方々も、ほとんどが遺伝子を検査すると、モンゴル系が混じってるなんて話を聞いた事ありますね。
@FH-gl6mk
@FH-gl6mk 9 ай бұрын
フンガリアだもんなあ
@sinji1341scarlet
@sinji1341scarlet 14 күн бұрын
周囲がゲルマンとスラブ系だけなのに何故かハンガリーだけ違う。
@user-yl4hs1eh2n
@user-yl4hs1eh2n 13 күн бұрын
@@sinji1341scarlet オルバン首相が「平和の使者」と称してモスクワや北京を訪れ、他のEU諸国を困惑させてるのにつながりますね
@FH-gl6mk
@FH-gl6mk 9 ай бұрын
高校生のころ世界史の授業でフン=匈奴説を教わってそのダイナミックさに感動したものです。今でも鮮明に覚えてるあの感動😂
@user-fe4br1dd2x
@user-fe4br1dd2x Жыл бұрын
ハンガリーのバイク屋の店員の名前がアッティラだった。
@user-jx1mi3yz3l
@user-jx1mi3yz3l 6 ай бұрын
少なくともフンの墓から発掘された人骨のDNA鑑定では、モンゴル系ではないかとのこと。
@user-ng1jx4qb3f
@user-ng1jx4qb3f Жыл бұрын
匈奴の解説は本当に有難いです
@si-vl9ju
@si-vl9ju Жыл бұрын
緻密な調査と秀逸なご推察に脱帽です。 本日も良質な動画をアップしていただきましてありがとうございます。
@jinbei0118
@jinbei0118 Жыл бұрын
参考資料を明示してあることに好感を覚えた。
@user-tq7vw7vg2g
@user-tq7vw7vg2g Жыл бұрын
フン族や匈奴に限らず遊牧民族の民族系統は基本的に謎としか言いようがありませんが、バイカル湖南西あたりからアナトリア半島まで移動していったテュルク系遊牧民という割りとハッキリしている実例もあるわけで、匈奴が東ヨーロッパまで移動しても不思議ではないですよね。
@mgail5328
@mgail5328 Жыл бұрын
メアリーがいつも「フンフン」って相槌打ってたのは、今回の伏線だった?
@nogainnopain2869
@nogainnopain2869 Жыл бұрын
ローマ帝国側の記録では、フン族は平面的な顔で目は糸のように細かった、とのこと。裸馬を手足のように使いこなすことからも、モンゴル系の騎馬民族だった可能性は極めて高い。匈奴かもともとモンゴル高原西側に住んでいた民族かはともかく。
@user-yk2xt6yl9r
@user-yk2xt6yl9r Жыл бұрын
相変わらずの強引な冒頭茶番、好きw
@user-bw9in1ik9b
@user-bw9in1ik9b 5 күн бұрын
史書の作成時期まで考慮した、詳細な典拠提示。とても勉強になりました、ありがとうございます。
@user-jk7be7us8e
@user-jk7be7us8e Жыл бұрын
かなり後の時代ですが、イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記を読むとまさに動画のアラン推定地域あたりの民族・国家が出て来ます。 ブルガール王国です。 ブルガール王はイスラム教に改宗してイスラム勢力の庇護下に入り、この地域では主流だったキリスト教信仰部族を征服したい。その庇護を求めた話なのですが、その習俗、シャーマニズムはいまだ中国北方遊族民に近いものでした。東方見聞録にも、ウノ・ハルヴァのシャーマニズムにも書かれているようなシャーマニズムです。ブルガール族は、だけど見た目にはモンゴロイドではなく白人だったという面白さがあります。 ブルガール王国、そしてその敵対勢力はイスラムやキリスト教圏の国家概念とはまた違う国家概念を持っていました。 我々の感覚で言えば野盗集団。 農耕民から蛮族と呼ばれた国家がどういったものか?の一端を知ることが出来ます。当然彼らには彼らの倫理があり、正義があり法もある。それは農耕民とは別種の物であり、農耕民の倫理で推し量っては理解できないものも多い。信頼関係の考え方の違いとも言えます。信頼や民族の正義感の違いによって、当然農耕民とは法も変わってくる。穀物を得るために貿易や略奪などをしないと生きていけない、農耕民たよりの生活の側面もある。と、いろいろ考えさせられます。 昔の紀行記も面白いですよ。
@Guripeyu
@Guripeyu Жыл бұрын
柔然=アヴァール説も好き
@user-oc9fm8jz6q
@user-oc9fm8jz6q Жыл бұрын
女海賊コンビがフン族の解説をするというのもなかなかシュールでいいですね。(笑)
@masaru1201
@masaru1201 Жыл бұрын
パズルの様って、まさに!! 確かに、分からないからこそ色々な想像もあって、楽しいですねー。 今回もありがとうございました。
@mykst2008
@mykst2008 3 ай бұрын
「キャセイ(Cathay,Kathay)」も契丹に由来する言葉です
@auapo004
@auapo004 Жыл бұрын
もっと昔の海の民もわからんですね
@azure1296
@azure1296 Жыл бұрын
ウクライナをはじめ、旧ソ連の各国家の周辺の発掘調査が進めば、中央アジアの遊牧民族の歴史ももっとはっきりしてくるんだろうなあ
@giantszero6962
@giantszero6962 Жыл бұрын
草原の道を支配する騎馬民族という意味では同じでも遺跡から見つかった人骨から モンゴロイド系かコーカソイド系かは判別しないんだろうか?
@user-ek3zp4dl8q
@user-ek3zp4dl8q 7 күн бұрын
柔然アヴァール人説とかの解説も聞きたい
@jinbei0118
@jinbei0118 Жыл бұрын
ステップにいる騎馬民族が世界史にときどき影響を与えるパターンが見受けられることは歴史の面白いところの一つです。
@shintenhou229
@shintenhou229 Жыл бұрын
スキタイは遊牧の創始民族だし、金細工に優れていた。新羅の金冠なんてスキタイの影響そのもの!!!
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
交易路を支配したという意味では実は常に影響を与え続けているよ。中国目線だと相手をけなすような書き方で大したことないように見えるけど。ペルシャ側の資料だとまた違った視点があったりする。突厥とペルシャの衝突とか。
@watari_yurisuki
@watari_yurisuki 3 ай бұрын
ときどき?
@user-bu2sk9bv6m
@user-bu2sk9bv6m Жыл бұрын
実際のところ分からないから嘘はついてない😃
@user-ob8ll5ir4l
@user-ob8ll5ir4l Жыл бұрын
匈奴=フンというか、部外の人間の大雑把な見方であのあたりの騎馬民族の諸部族を全部まとめてフンとか匈奴とか言ってるだけのような気がしますね。 中東では今でも国単位ではなく部族単位で動いていますが似たようなもんかもしれないですね。 彼らに文字の文化がなく全くわからないですが内部ではダイナミックに動いてそう。
@ingdjr5573
@ingdjr5573 Жыл бұрын
7:20 「黄河の北」というのは河套(上流域の北の方に窪んでいるところ)のさらに北ということです
@jackal7123
@jackal7123 Жыл бұрын
現代で史学といえば古代ローマから連なる西洋史,古代中華帝国による東洋史,だけど歴史の主役は中央アジアの遊牧民族の興亡にある気がする。中央アジアの遊牧民族の興亡に引き摺られて西洋史も東洋史も動いていた気がしてならない。惜しむらくは歴史の主役だった遊牧民族には歴史を記録する意志がなかった事。 だが、今でもモンゴル人は口伝で自分の血脈を何十代何百代に亘って語れる人が居るそうだから、文書だけではなく口伝も歴史研究の重要な要素だと思うけどね。
@user-fe1cn5us5u
@user-fe1cn5us5u Жыл бұрын
ΙΣΤΟΡΙΧΑの方をいつも楽しませていただいていますが、この件はそれこそ中学の頃に初めて聞いてから興味はあったものの詳しく調べてみる機会もなく半世紀以上経ってしまっていたので、とても面白かったです。 騎馬民の移動速度ってどのくらいだったんだろう?と、ふと思ってしまいました。 もしかしたら、定住民の感覚よりも中央アジア内陸部は中国西域から黒海のあたりまでが「ご近所さん」だったのかもしれない、という気もしました。製鉄技術と航続距離には大きな関係があるのでしょうけれど、私たちが想像するより第一千年紀前半の騎馬民族には機動力があったのかも?とも。 全て素人の無責任な憶測ですが。
@janin8119
@janin8119 Жыл бұрын
自分も絵を描けたらファンアート描いて送るんだけどそんな能力ないので高評価👍ボタン押す事しかできない…
@towbbb9160
@towbbb9160 Жыл бұрын
邪馬台国問題とかでもそうですが、発音問題はそれだけで動画何本もできちゃうようなテーマですね
@user-ig1mt9ix1e
@user-ig1mt9ix1e Жыл бұрын
まあ史書も割と当てにならないからなぁ、特に距離が離れてると…
@user-po3in3iu8y
@user-po3in3iu8y 27 күн бұрын
匈奴とフン(ふんぬ)の発音の類似性。現代のモンゴル語でも人(ひと)のことをフンと言う。
@user-rs6qt8zu1s
@user-rs6qt8zu1s 14 күн бұрын
個人の直感としては 同じだったように思える😊
@singsingsing6097
@singsingsing6097 Жыл бұрын
耳くさってるの?で 吹いたヤツ🤣
@nobu-nobu-nobu
@nobu-nobu-nobu 10 ай бұрын
フン族の活動域を考えると、アレキサンダー大王並みの大帝国なのに、記録が殆どないのは残念ですね。いずれどこかでみつかるといいな。
@taroyamada7372
@taroyamada7372 14 күн бұрын
ローマの記録によるとフン族は「頭が大きく目が小さく肌が浅黒い」と黄色人の風貌をしていたようだが、 現代のハンガリー人はヨーロッパ人と長年混じり合ったためか周辺のヨーロッパ諸国と見た目が変わりませんね
@sonchuzan
@sonchuzan Жыл бұрын
あの時期に移動したのはゲルマンだけではないことが知られている。ローマの後継者を言う西欧諸国が自国の先の正統国家であるローマに一番影響を与えた存在としてのゲルマンを(大移動)と記録しただけである。
@tama_on_game_
@tama_on_game_ Жыл бұрын
漫画龍狼伝の匈奴編面白かったなあ。と思い出をかみしめてみる。
@char5457
@char5457 Жыл бұрын
395年にローマ帝国が「東西ローマ帝国に分裂」てのもどうなのかなあと最近思う。 だって東西に正帝副帝がそれぞれいて2分割(4分割)する流れはすでに100年も前からあったのだもの。 395年の何度目かの分割後に急速に西側が失われただけで全体のトップであった東の正帝はその後も健在なわけで
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
まぁ、395年東西分裂説はエドワード•ギボンが言い出した旧説に過ぎないし、だいいち西ローマ帝政崩壊の際に帝冠と帝衣が東ローマ皇帝ゼノンに贈られてるんで、形式上はここで東西ローマ再統一してんのよね オドアケルは勿論テオドリックはじめ所謂東ゴート王国の面々もあくまで(形式上は統一を果たした東方正帝である)ローマ皇帝に臣従するローマ帝国の一員だという認識だったし (オドアケルは西ローマ宰相、テオドリックは西ローマ副帝のポジションに収まってた筈) これが最終的に覆るのがユスティニアヌス大帝の再征服だと言える もし強いて西ローマ「帝国」の「滅亡」を決めるとしたら(正直この概念自体実体に即しているとは言えないが)、東ゴート王国が滅亡した553年まで拡大解釈してもいいんじゃないかと個人的には思う
@eresseeresse478
@eresseeresse478 3 ай бұрын
トルコ人も自分たちは東方から移動してきたという歴史を残しているからね。
@sinji1341scarlet
@sinji1341scarlet 14 күн бұрын
いずれにせよモンゴル高原が遊牧民の本拠地。
@user-bw9in1ik9b
@user-bw9in1ik9b 5 күн бұрын
確かにトルコの学校の歴史の教科書の中には、最初の建国を552年の突厥第一帝国建国と説明したものがありました。
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
2:39 絵に関してはフン族だからこうだろうみたいな欧州の説に則った想像図になりそうだから信頼は置けないだろうな。 私はソグド人などに近しいものたちがソグドから聴いた内容を元にフンは匈奴という認識をもってそれが広まったんじゃないかと思う。 200年の開きがあるから似て非なるものだろうな。
@biggorou
@biggorou Жыл бұрын
フン族側の史料は少なくて、 どうしてもローマ帝国とか中国とかのものになっちゃうんですねえ。 残ってない(あっても史料として使えない?)理由も気になりますね。
@towbbb9160
@towbbb9160 Жыл бұрын
それはそもそも匈奴やフン族は文字を持ってなかったからです。
@biggorou
@biggorou Жыл бұрын
@@towbbb9160 なるほど!それは盲点でした! とてもスッキリしました。ありがとうございます。
@user-zl1vj6fz1m
@user-zl1vj6fz1m 8 ай бұрын
日本も江戸期まで中国のことを"唐の国"とよく呼称していましたからね
@bonsyou
@bonsyou Жыл бұрын
フン族の刑の処し方(罪人の上を馬で往復)とかアッティラの容姿もモンゴル系なのかな?と思わせる一助になってますね。 フン族=匈奴、フン族≠匈奴が定まったとしても、その後に新資料が出てあっさり覆されそう…。 やはり歴史好き素人の特権、真実は君の心の中にある!(逃げ)が最強ですな。
@natural8593
@natural8593 11 ай бұрын
匈”奴”自体が中華からの蔑称だろうから名を捨ててもおかしくないよね
@user-fw8rc8lh3j
@user-fw8rc8lh3j Жыл бұрын
まあ 確かに? ガチの研究者でも当時の事は判るワケがないわな😅 資料から想像するだけで
@user-ob3zu9il9p
@user-ob3zu9il9p 4 күн бұрын
立ち絵がかわいい
@ooutsuke1560
@ooutsuke1560 Жыл бұрын
ヒラタイカオ族について今度はお願いします
@user-hc7tp5qg8c
@user-hc7tp5qg8c 3 ай бұрын
現代ならばDNAを調べたら?
@user-sz8jr7iq4r
@user-sz8jr7iq4r Жыл бұрын
大変興味深い動画でした。この時代は専門ではないのですが、非常に興味をそそられます。 個人的には、中国の北方領域にいた匈奴が西遷し、フン族になったという説は非常にロマンを感じます。しかし、ふたつの点から「これはないな」とも感じています。 まず、2世紀は寒冷化の時代で、ユーラシア北部の多くの遊牧系民族が中国、印度、イラン、中東、欧州などに侵入していますが、この説の匈奴(=フン)以外に寒冷化によって荒廃したであろうユーラシアステップを横断し移動した民族は皆無であるという事。原住地の気候が変わって住みにくくなったのであれば、近場に避難しようとするものです。わざわざ現在のモンゴル北部からウクライナまで移動し、更に欧州に移動する動機が見つかりません。中国北部やイランの方がよっぽど近いです。後のモンゴルがユーラシアステップを横断し、イラン・中東・欧州を攻めたのは、ユーラシアステップの気候が悪化し移動したからではなく、温暖化で草原が豊かになり、人馬が増えた(軍事力が増した)からです。 ふたつ目は、中国北方の遊牧民(ユーラシアステップ東部の遊牧民)が黒海北岸やイラン北部の遊牧民(ユーラシアステップ西部)の遊牧民に対して優位に立つのは実は10世紀から11世紀以後です。両地域の遊牧民とも騎馬技術も戦術もほぼ互角ですが、近隣農耕民から入手する鉄のインゴット(精製済みの鉄塊)を武器の材料としていたので、唐末から宋代に中国で製鉄技術が飛躍的に向上し、そこから鉄資源を輸入するまで東方の遊牧民は西方の遊牧民に武力で勝てませんでした。もし、匈奴=フンが正しいのであれば、宋代以前には中国の製鉄技術はイランや中東、イスラム圏に及ばなかったという定説を覆さなくてはならなくなります。
@ingdjr5573
@ingdjr5573 Жыл бұрын
「中国の製鉄技術はイスラムやヨーロッパに及ばなかった」このような「定説」を聞いたことは私にはありませんが? 「東方遊牧民が優位に立つのは11世紀以後」なら、アヴァールや突厥帝国はどう解釈すれば良いでしょうか?
@user-sz8jr7iq4r
@user-sz8jr7iq4r Жыл бұрын
@@ingdjr5573 中国では、韓汝先生や華覚明先生の説がほぼほぼ定説となっています。つまり、「中国は青銅器時代からの鋳造の伝統を引き継いでいて、農機具などの生活必需品の大量生産のための生産効率が優先されたので、鋳鉄技術は発展したが、優れた武器等に使用される鍛造技術の発展はなかなか進まなかった。それを克服するのは可鍛鋳鉄の技術が発展してからで、そのためには石炭(後にはコークス)の利用の普及(宋代)まで待たねばならなかった」というものです。華覚明『中国治鋳史論集』は日本語には翻訳されていないようですが、中国語は大丈夫でしょうか?日本語しかできないようでしたら、韓汝『中国古代冶金』は日本語にも翻訳されていますよ。日本ではこの分野はどのような見解が定説(有力説)となっていますか? アヴァ―ルは民族系統や起源自体が不明ですよね。突厥はエニセイ川上流起源説が有力ですが、柔然傘下で彼ら自身が鉄匠集団であったという説が有力ですよね。西方の鍛鉄技術を持っていると考えるのが自然なのではないでしょうか。そうであれば、宋代以前は西方の製鉄技術が中国の製鉄技術より優れていたという話に矛盾は起きませんね。
@mako3237
@mako3237 7 ай бұрын
テュルク系なのかモンゴル系なのか謎。
@yudaya99
@yudaya99 Жыл бұрын
結構詳しく書いてある倭国の記述さえ不正確だからしょうがないと言えばね。フン族の陵墓があって、骨からDNAを回収できればワンチャンあるかな。
@user-dp2ie8fg5m
@user-dp2ie8fg5m Жыл бұрын
紀元5世紀、東ヨーロッパの地に消えたフン族を匈奴の子孫とする考えから、現在の中国語ではハンガリーを匈牙利と表記します しかし ハンガリー人(マジャール人)は、今でいうロシア東部から移動してきた人達ですから、ロシア東部の言語であるウラル語を話します。 マジャール人以前にハンガリーに定住したアヴァール人は、アルタイ語系の人達です
@komaichan99
@komaichan99 Жыл бұрын
何でゴート族が追い出されて西に行ってるのにそいつらは生きてたんだ?
@user-dp2ie8fg5m
@user-dp2ie8fg5m Жыл бұрын
@@komaichan99 さん 大移動の経路blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b8/8fae7f0a7f9518b44817e3f76b4f1603.jpg
@user-od6ku3zz3e
@user-od6ku3zz3e Жыл бұрын
匈奴→ヒュンヌ→ヒュン(ヌ)→フン
@Richlind-ws7yt
@Richlind-ws7yt 9 күн бұрын
中央アジアにはヒオン、キダライト、エフタライト(エフタル=白フン)、アルコンといった匈奴=フン族系の民族がいた。
@TUUKUU
@TUUKUU 9 күн бұрын
地球て丸いから北の方は地図で見るより案外、近いんだよね
@user-gn7ir3nj9n
@user-gn7ir3nj9n Жыл бұрын
確かに日本人がみんな阿部寛みたいな顔してたらローマ人との同根説でてたかもしれんな うける
@IndianimmigrantinIndia
@IndianimmigrantinIndia Жыл бұрын
実際昔はアイヌ民族はコーカサス系って説が受け入れられてた。
@mn-op6ok
@mn-op6ok Жыл бұрын
謎のまま残したいとは思いません
@user-qq2ij4ue4c
@user-qq2ij4ue4c Жыл бұрын
そういえば、マジャールはフンというよりモンゴルのなまりっぼいよなぁ。 フンの前にスキタイが会ったり、中央アジアはモンゴル系とトルコ系、満州系とか結構いろいろあるよね。
@cirowsnow9483
@cirowsnow9483 Жыл бұрын
ここにエフタルが絡んでくるのでややこしい。 イランのサーサーン朝や北インド政権は、アラル海から南東にアム川を下った地域に5世紀初頭に勃興したこの騎馬勢力を「白いフン」とも呼んだ。 こちらは漢籍でも西の史料でも習俗等が匈奴あるいはフンとは異なると書かれているようだ。 そうなると、康居へ遁走した北匈奴とはいえ当該域ではそれなりの盛名を得て、ブランド名として周辺の遊牧集団に積極活用されただけ説も捨てきれないかなぁ。
@takasinnsato
@takasinnsato Жыл бұрын
フン族はハンガリーと聞いてた
@ut5367
@ut5367 7 күн бұрын
ゴート族=クラリス(カリオストロの城の先祖だな
@user-pm9yi4vc7r
@user-pm9yi4vc7r 10 ай бұрын
フィンランドのフィン、ハンガリーのハン、どちらもフン族のフンから生じた呼び名で、フン族の末裔だと信じられてきた。実際の血縁は違うみたいだが、言語などがちょっとアジアぽい。
@user-hp3pu1dz7z
@user-hp3pu1dz7z 11 күн бұрын
遊牧民の歴史は、本当に面白いよね。 世界史に多大な影響を与えているのに、良くわかってない。 ハザール王国もね。
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん Жыл бұрын
私は北匈奴がフン族になったと思いたいなぁ。 そうしたら、バスク語の謎にも一抹の光が当たるし、何よりロマンを感じるもの。
@2010winter100able
@2010winter100able Жыл бұрын
アヴァール人は?
@Vithe-Gaming
@Vithe-Gaming Жыл бұрын
冒頭のダジャレ導入からの「耳腐ってる?」は、好い伏線だと思うゾ! まぁダジャレが好いとは言わないけどw ハッキリと解る時が来るとは思えないけど、世界の繋がりをよく知る為にも解明される事を祈るしかない。
@shintenhou229
@shintenhou229 Жыл бұрын
アッチラに率いられてハンガリーに定着しちゃった!
@shintenhou229
@shintenhou229 Жыл бұрын
成吉思汗に追い立てられてカスピ海沿岸から、今のブルガリアに住み着いた!突厥は今のトルコだよ!
@sonchuzan
@sonchuzan Жыл бұрын
フンも匈奴も記録残してないからなあ
@user-xw5gz7xc1i
@user-xw5gz7xc1i Жыл бұрын
えっ、匈奴?は草
@FreherrWenceslas
@FreherrWenceslas Жыл бұрын
黄河以北とかって、中原のことなのか、オルドス地方のことなのか…?
@user-er8sy7xc8g
@user-er8sy7xc8g Жыл бұрын
歴史は縦糸と横糸ってのがよくわかります。 匈奴の末がマジャール人ってのがロマンあるから、そういうことにしとこう モンゴル系とトルコ系の差ってのはなんなんだろう? 今でこそトルコ系はコーカソイドっぽいけど、昔はモンゴルと見分けはつかないだろうし、 言語も同じ語族だろうし、定義とかあるのかな?
@user-qv6jg3rn8p
@user-qv6jg3rn8p Жыл бұрын
パトラおばあちゃん...
@user-ww2je9tx6p
@user-ww2je9tx6p 12 күн бұрын
関西弁ローマ詩人で草
@user-rg8fy9ey6o
@user-rg8fy9ey6o 8 күн бұрын
アッティラ単于
@Area88x29
@Area88x29 Жыл бұрын
オットー・メンヒェン=ヘルフェンはド・ギーニュに反論してたな。髭の有無だったか
@kaneko6688
@kaneko6688 Жыл бұрын
そもそも「匈奴」って自ら名乗った名前ではないはずですよね。蔑称的というか文字の意味も卑しいし、自分達を奴(ぬ)と呼ぶわけないし。 中華系の文献しか参照しようがないから、しょうがないけど。そもそも自分達を指す言葉があったのかもわからないか。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
その反面、司馬遷は「夏侯氏の末裔」とまで言うほど、史記匈奴列伝でべた褒めしています。
@sasagani2351
@sasagani2351 Жыл бұрын
おっしゃる通り、匈奴内の漢字の心得のある人物が中国側に送った文書の中で「匈奴」という表記を使ったという可能性は低いですね。考えられるのは、 ①「匈奴」は本来の呼称の音を写したもの。 ②「匈」が本来の集団名の漢字表記で、で、「奴」は中国側が付記したもの。 の2案がが考えられます。
@user-we4pm5nd7u
@user-we4pm5nd7u 26 күн бұрын
卑弥呼も怪しい 卑を自分で付けるとは思えん
@user-bw9in1ik9b
@user-bw9in1ik9b 5 күн бұрын
@@sasagani2351 ②は面白い視点ですね。現在の中国語の発音なので当時とは異なるでしょうが「匈」は「xiōng」≓「(日本語風に言えば)シュン又はション」となるので、フンの近しい音に聞こえます。
@sasagani2351
@sasagani2351 4 күн бұрын
​@@user-we4pm5nd7u 面白いことに、魏の次の晋王朝では、「俾弥呼」と表記したようです。「俾」には従うという意味があるので、双方にとって、不愉快な文字ではありません。古代史家の古田武彦氏は、 ①「卑」を嫌った倭国側が渡来人の学者(元祖、お雇い外国人)に相談 ②学者は「俾」を提案して、国書の署名を「俾弥呼」とする。 ③晋王朝側もこれを採用 と推測していました。
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l Жыл бұрын
遊牧民が形成した国家や集団は今日でいう民族自決的に纏まったものではなく、 優れた指導者の下に利害が一致した人々が集いその集団が大きくなり、 その力を頼ったり、その力によって服従させられた人々が集っていた。 モンゴル高原を席巻した遊牧民は様々な民族による勢力が勃興したが、習俗自体は大差ないものだった。 遊牧民集団は盛衰が指導者の力量次第であり、裁判や分配が不公平であれば離反造反は当たり前。 遊牧民は伝統的に末子相続が多かったが、 農耕民族のように長幼の序で後継者は決められておらず、 大きな勢力になれば代替わり=血で血を洗う抗争であり、 兄弟に親族臣下も巻き込んだ抗争に発展する事が多かった。 より優れた後継者争いの中でより優れた指導者が台頭する場合もあったが、抗争を契機に衰退する事も多かった。
@murt2286
@murt2286 Жыл бұрын
匈奴の発音だよね。当時の。遠すぎね? ハンガリーとかフィンランドとかフンの名残? 91年と151年なら60年で干支が同じか!
@user-jq2df1kp5t
@user-jq2df1kp5t Жыл бұрын
ウィグル人がトルコ系に近いらしいので2000年前のウィグル、トルコ系が今の顔付なのか分かりませんが、モンゴル系としては秦の始皇帝の頃は今のモンゴル系の顔付身体つきに成ってた様ですからフン族はウィグル、トルコ系として安定してたでしょうからトルコ系の騎馬民族がフン族だったと思います。ロシアが南下して来るまではウクライナ迄は髪の黒い中東系トルコ人だった様ですので古代トルコ人が突厥で有りフン族だったと思います。其の中にはタタール人も含まれて居ると思いますね。混血が進んで本来のタタール人がモンゴロイドだったのか?トルコ系だったのか?分かりませんが西の方に住んでたタタール人はトルコ系だったのでしょうね。トルコって言っても本当に広くてオスマントルコが統治していない遥か彼方までトルコ、ウィグル人が分布してた様ですからね。
@uenopark2822
@uenopark2822 Жыл бұрын
開始前に既にいいねが7つついてる…。
@00kumakuma
@00kumakuma 4 ай бұрын
フン族は負けて移動したので反主流派か近類
@r91RwKeQ
@r91RwKeQ Жыл бұрын
フン=匈奴は可能性は無いわけではないのがわかった。 これってその後の話もあるけど今のウクライナ紛争の地域だなーとか思う。
@adoado5788
@adoado5788 Жыл бұрын
アラン=イラン🇮🇷❓🤔
@user-kf8yl8ng4w
@user-kf8yl8ng4w 13 күн бұрын
イランはアーリアン、つまりアーリア人の国ってこと。
@user-ob8zn9sd5x
@user-ob8zn9sd5x Жыл бұрын
アランはイランの末裔かなぁ❔
@user-xm6kb4pz2p
@user-xm6kb4pz2p Жыл бұрын
Oh
@senolatasoy3236
@senolatasoy3236 3 ай бұрын
フン族は今日のトルコ人とハンガリー人の共通の祖先です。
@user-ls3fo4te3s
@user-ls3fo4te3s Жыл бұрын
フン族 匈奴 違います。!
@antecedent0425
@antecedent0425 2 ай бұрын
「チー牛とは失業して無職になったネトウヨという説や、親の財布から金を抜き取ったニートが外食したのがその起源だという説がある」みたいな雲を掴むような話だな。
@ykk6345
@ykk6345 Жыл бұрын
モンゴル人にキョウドを発音させるとフンヌ。したがってキョウド=フンの可能性大というのがワシの説だ。(笑)
@user-vn3ze2hn5g
@user-vn3ze2hn5g 17 күн бұрын
というかモンゴロイドだったんか?
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前略、歴史を語ってみた。
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