古いアルバムに映っていた写真の場所を探してみる ~昭和30年 千葉の女子高生~

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小田急TIME

小田急TIME

11 ай бұрын

稲毛駅周辺を巡ってきました
音源はこちらをお借りしました
零れる涙 by ゆうり 様
dova-s.jp/bgm/play12585.html
届かない想い
dova-s.jp/bgm/play11967.html

Пікірлер: 180
@yokkoky3634
@yokkoky3634 11 ай бұрын
母の母校でした。この女性は一学年下だそうです。同級ではないので面識はありませんが--母は当時の記憶を呼び起こされ、当時を知らない私も胸がいっぱいになりました。この方の人生を共に辿らせていただきました。幸せな人生であったでしょう。何時も素敵な動画を有難うございます。
@user-ui9te3cs1n
@user-ui9te3cs1n 11 ай бұрын
「彼女は既にこの世にはいません」のテロップが出た時、そこはかとない寂しさが込み上げてきました。
@user-bc3ym9xp7o
@user-bc3ym9xp7o 11 ай бұрын
11:25
@user-pb1fg9zl1o
@user-pb1fg9zl1o 11 ай бұрын
本当に多くの方々が私達にバトンタッチをして下さった今日の社会と暮らしを大切にしていきたいです。
@user-xp1ok8kv4p
@user-xp1ok8kv4p 10 ай бұрын
1936年生まれだと、今年6月に亡くなったうちのおふくろより5歳年上の方の若かかり日の思い出のアルバムなんですね~。
@house2884
@house2884 10 ай бұрын
現代の様に髪を染めたりスカートを短くしたり そんな事してなくても 適度に幼く適度に大人びて見える学生さん 世の風潮と言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが…
@jnr749
@jnr749 10 ай бұрын
😿
@ktakeda5665
@ktakeda5665 11 ай бұрын
見ず知らず女性の人生の切り抜きが切なく儚くそして美しい。
@user-jg8wl5rc5z
@user-jg8wl5rc5z 11 ай бұрын
1つのドラマを見たような気持になりました。人の成長は素晴らしいことだけど、人はいつまでも若くはいられない、だからこそ若い時の時間は大切なのだと、この女性とその友人達の笑顔から感じました。千葉女子高は県内屈指のレベルの高い女子校でした。きっと聡明な女性だったのでしょうね。
@user-jt3lk8di7w
@user-jt3lk8di7w 11 ай бұрын
この女性の一生を見た気がしました。人生なんて、あっという間。悔いなく生きたいものです。
@user-bh6ks5dy9j
@user-bh6ks5dy9j 11 ай бұрын
美人さんです。19先輩。高校卒業される昭和30年生まれです。自分が歩んできた人生と重ねて拝聴しました。既にこの世にはいません・・はなんとなく想像しました。泣きました。今68歳なので長くない。
@user-mm1kf4gq9h
@user-mm1kf4gq9h 10 ай бұрын
とても感激して見ました。もう存在していない。信じられません、だって写真の中の彼女はあんなに生き生きと生きておられるので、私の母と大差ないお年頃、私の母ももう長くはありません。風前の灯です。この動画を見て昔を思い出しました。
@tokidokihashiruotoko
@tokidokihashiruotoko 11 ай бұрын
千葉の名門女子校ですね。本当に青春時代は、どの時代に生まれても生き生きとした微笑みを見せてくれます。
@GS-gh5ve
@GS-gh5ve 11 ай бұрын
素敵な動画をいつもありがとうございます。千葉県民として涙が出そうな映像でした。
@HIDEBOCHI
@HIDEBOCHI 11 ай бұрын
回を追うごとにカメラワーク、編集、ナレーションどんどんうまくなっていくので ついつい見入ってしまいます。小田急TIME大好きです。
@yuu3280
@yuu3280 11 ай бұрын
高校時代の彼女の学校です。学園祭は毎回見に行っていました。 この方は、私の母より少し下の世代ですが、既にご存命でないとは まぁなんとも言えないです。 素敵な笑顔の方なので、よい一生だったんでしょう。
@user-zm3re1dw3k
@user-zm3re1dw3k 11 ай бұрын
この頃産まれた私が、あと一月で69才になります。
@user-jx4zh7oy8f
@user-jx4zh7oy8f 10 ай бұрын
何気なく見ていてはつとしました、私の勤務2高校目の高校です、14年間この高校にお世話になりました、高校の名前が出る以前に、バツチの丸いものでもしやと思いました、少しデザインが変わっておりますね2つ保存しています。現在は神奈川県在住です。懐かしいです。千葉女子高校の思い出は尽きません、ご発展を祈ります。
@user-dd2cd2eg8v
@user-dd2cd2eg8v 10 ай бұрын
モノトーンからカラーになるだけで、当時の世情、時代の空気感までも伝わって来る。
@user-xs3uo7eh2c
@user-xs3uo7eh2c 10 ай бұрын
朝イチで良いものを魅せていただき、感謝です。なぜか涙がとまりません。  九州の片田舎で貧乏育ちの私には写真は数枚しかなく、その殆んどが脳内記憶状態になっており、このお嬢さんが羨ましいです。     by75歳
@masayasui19670105
@masayasui19670105 11 ай бұрын
自分の母と同じ歳の方です。母もこんな時代を過ごしたのかと見入ってしまいました。 母は認知症があり施設に入って数ヶ月。 この方も生きていたらどうなっていたのでしょう。
@peacekyo6953
@peacekyo6953 10 ай бұрын
何十年ぶりかに母校を拝見でき懐かしかったです。マンションなど周辺の変化に驚きました。
@user-pg1bh4gc4u
@user-pg1bh4gc4u 11 ай бұрын
初めて視聴しました。千葉女子高校は娘がこの3月までお世話になっていた学校です。制服のネクタイのデザインが在校中に少し変わりましたが、冬制服はこの女性が着用していた時代からほとんど変わっていません。OGには元宝塚歌劇団の水夏希さんや最近、映画やドラマで活躍中の若手女優、山崎紘菜さんがいます
@kaname1632
@kaname1632 11 ай бұрын
いつも引き込まれて最後まで見入ってしまいます。動画に出てくる方々の事を思いながら、大袈裟かもしれませんが自分のこれまでの人生を重ねて☺
@user-bk1mn8ki7n
@user-bk1mn8ki7n 10 ай бұрын
今みたいにお手軽に写真を撮る時代ではなかったからこそ、撮る方も撮られる方もその一瞬一瞬を大切にしていたのかな?と思わせるようなすべてが画になり、物語になる写真ですね。 女性の瞳から未来への期待と強い意志を感じます。
@user-ol6ek9zr7m
@user-ol6ek9zr7m 11 ай бұрын
私の両親も3年半ほど前に相次いで亡くなったのですが、私の母親は動画に出てくる主人公の女性と同い年な上に、父親は父親で視力障害を持っていた関係で、私が若かった'80〜'90年代の頃に当時千葉女子高の隣にあった千葉点字図書館に父親をよく連れて行っていた時期がありました。動画の中で千葉女子高に隣接した工事現場のような空き地がちょくちょく映っていますが、そこが点字図書館のあった場所じゃなかったかな…。現在は四街道の方に移転したと聞いています。 両親がこの女性の方と何らかの接点があったとは思えないのですが、見覚えのある風景にちょっとした縁や懐かしさを感じながら動画を見させていただきました。思えば、稲毛に通っていた頃の両親の年齢に、自分自身がなってしまっていることが一番驚いたことかも知れません。 ずいぶん長いこと忘れていた亡き両親の思い出を呼び起こしていただいてありがとうございました。稲毛の地にも久しく行っていないので、思い出を辿りに一度行ってみようかな…という気になっています。
@ferdinandgrossmann5300
@ferdinandgrossmann5300 10 ай бұрын
この女性の方は1936年のお生まれのようですね。 生まれ・育ちが東京都豊島区の祖母(1937~)の話では同学年になるそうです。 祖母と近い場所で同じ時代を生きてこられた方の軌跡を感慨深く拝見しました。
@user-pt1fv2ki6c
@user-pt1fv2ki6c 11 ай бұрын
いつも動画配信 ありがとうございます。 なぜか懐かしさがこみ上げてきます
@liveluck-mp1kh
@liveluck-mp1kh 11 ай бұрын
写真は印画紙に焼いて取っておきましょう、、、そして10枚に1枚でもいいですから裏に一言添えてアルバムに。。。 幾ら綺麗に撮れていても、パソコンの記憶媒体に入れたままでは、本人でなければやがて忘れられ、消えて残らないのでしょうね!😥😥😥
@user-gd6ej8eo4i
@user-gd6ej8eo4i 11 ай бұрын
この女性のその後の人生が激しく知りたくなった。
@user-hc4tq9wu6w
@user-hc4tq9wu6w 11 ай бұрын
子供の写真、結婚の写真が無かった様に思います。不幸にも早世されたのかな。
@user-gd6ej8eo4i
@user-gd6ej8eo4i 11 ай бұрын
@@user-hc4tq9wu6w もし早世されたとしたら悲しい事ですが、ご紹介された写真や動画がより一層心に染みます。
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
@@user-hc4tq9wu6w 美人薄命と言いますから・・・
@egloryone101761
@egloryone101761 11 ай бұрын
ご存命じゃ無いと分かると虚しく切ない想いに駆られる
@thunderbolt3387
@thunderbolt3387 9 ай бұрын
こういうアルバムが残っているということは、この方の人生が幸せだったことの証拠だと思います。
@user-mz1bg9gh9o
@user-mz1bg9gh9o 11 ай бұрын
素敵でした、笑顔の女性って魅力的ですね❤元気をもらえました😊
@user-keiko097
@user-keiko097 10 ай бұрын
素敵でした。 戦争を経験して、楽しい青春を、過ごされたのが、お顔から、伝わってきます。 今の、校門の前で、写真重ねてもらって、なんだか、嬉しそうですね。😊
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
男がだんだん大きくなるむさくるしい写真より こういう美人女性の成長するアルバムは 見ていても清々しくっていいですね
@user-ln7mg3tv5d
@user-ln7mg3tv5d 10 ай бұрын
私の母も昭和10年生まれなので、この女性と同世代です。母から戦前は小学校は国民学校って呼んでいたと聞いていたのでこの方もそうなのかな? 母は疎開を経験しています。苦労があったと思います。母の写真は結婚後しか見たことがなく この動画が母の若いころを見てるようで胸がいっぱいになりました。 もっと母の若い頃の話を聞いておけばよかったと後悔しております。 その母もこの女性と同じ既に星になっております。
@user-lm4dz8xi6x
@user-lm4dz8xi6x 10 ай бұрын
市民です。この近くに住んでました。千葉女子高なら頭いいですよ。経済的にもあまり困窮していないように見えます。どんな作品を残されたのでしょうね。
@user-mm1kf4gq9h
@user-mm1kf4gq9h 10 ай бұрын
いつも引き寄せられる様に見ています。昭和11年生まれとの事で私の母より2歳年上ですので。身近に感じました。私の母も認知症になり昔を思い出すことが出来ました。 もうこの世には存在しないとの事で早くお亡くなりになったのが残念です。とても素敵な女性だったんですね。ありがとうございます、これからも宜しくお願いします。
@user-ny3iq3wb3x
@user-ny3iq3wb3x 11 ай бұрын
ノスタルジー動画では一番のお気に入りです ナレーションも喋り過ぎずテロップの入れ方も👍️ ピアノのBGMも哀愁がある 10分ぐらいの作品が余韻があって好きだなオジサンは・・
@user-fo4ew9qp8c
@user-fo4ew9qp8c 10 ай бұрын
べっぴんさんで お嬢様, 育ちの良さを感じることができる。素晴らしいです。
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
きっと町内で評判の美人姉妹だったに違いない
@lesessaisjazzrock62
@lesessaisjazzrock62 11 ай бұрын
芸術の世界に進まれたとのことですが、卒業後の服装がみなお洒落ですね!私はオノ・ヨーコにちょっと雰囲気が似ておられるように感じました。
@user-wn6xz4xg1x
@user-wn6xz4xg1x 11 ай бұрын
自分もそう思いました。アーティストは似たような雰囲気になるのでしょう。個性的な主張がある感じの方ですね。
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
中曽根美紀さんにも
@user-hk2kg3wb5k
@user-hk2kg3wb5k 11 ай бұрын
これを見ていると人生ってマッチの灯に似てるような気がします 赤々と燃えさかる時がまさしく今回の映像の時代だと思います 結婚は人生の墓場 命短し恋せよ乙女・・
@hiroakikon
@hiroakikon 10 ай бұрын
私の母、義母やその姉妹とほぼ同世代。昔実母や義母から若いころの写真を見せられた時のような気持ちになりますね。どちらも当時のことを今でも楽しそうに語りますが、本当に楽しい時代だったのでしょうね。
@user-ez1jq6us8u
@user-ez1jq6us8u 8 ай бұрын
私の叔母と同年代ですね。この女性がいたころは海岸が近かったはずです。稲毛といえば潮干狩りの時代でしたから、おそらく埋め立てが本格的に始まる前だと思います。稲毛海岸も東京湾有数の干潟でしたからね。高校卒業後は成城に住んでいらしたのでしょうか。成城大学だったのかもしれませんね。とても素敵な映像でした。ありがとうございます。
@user-hc4tq9wu6w
@user-hc4tq9wu6w 11 ай бұрын
1936年生まれは当に戦中派世代。私の亡父と同世代になる。小学生で終戦を迎えて学童疎開を体験されているはず。私の中学2年の担任の先生(女性)と同い年くらいかと。この方に子供がいたか分かりませんが、恐らく1960年代から1970年代くらいの子供がいてもおかしくない。因みに私は1965年生まれ、当に親世代に当たる。我々の世代でも孫がいる様になった。今の子供からみたら曾祖父母かな。昭和が本当に遠くなってしまったなぁ。
@maxterhecht
@maxterhecht 11 ай бұрын
昔には、戻れないけど、懐かしいだろうな!
@hiranoyuko9854
@hiranoyuko9854 11 ай бұрын
可愛いですね、三つ編みの似合う女学生!そう言えば三つ編みのおさげも見なくなりましたね。すてきな動画です❤
@user-zj5mn8ew9g
@user-zj5mn8ew9g 11 ай бұрын
人の人生ってはかないものですね。 私の人生の終わりもすぐそこまで・・・
@time3276
@time3276 11 ай бұрын
人生に終わりはありません。 例え一瞬でも光輝く時間を!……と先輩方の写真を見て、そう感じます
@masa0216
@masa0216 10 ай бұрын
こういう方にこそしっかりと収益を得てもらいたいと思います、最近は収益の為なら何でもするっていう人が多くて、、、良かったです、見入ってしまいました
@IonMusk
@IonMusk 10 ай бұрын
人生ってあっという間なんだなぁ…
@user-yg6qm1fi9j
@user-yg6qm1fi9j 10 ай бұрын
ひたすら悲しいです。私の妻は逝ってしまいました。いろんなことを思い出させてくれました。年は少々違いますが、おそらくそんなに違わない人生だったと思います。高校は女子校でした。白黒写真がアルバムに残っています。無名だと、写真しか残らないんですね。昔のことをもっと聞いておくべきでした。
@yasukitokuhara4840
@yasukitokuhara4840 10 ай бұрын
彼女は既にこの世にいませんのコメント、すごく寂しくて辛いですね。
@user-bgedsaok
@user-bgedsaok 10 ай бұрын
ドラマの様な素敵な編集と終わりの門の前の合成写真 つい涙がこぼれ一礼と🙏でした。ご本人も喜んでおられるでしょうね。
@user-br3ke6rb1p
@user-br3ke6rb1p 6 ай бұрын
涙でスマホが洗える!
@bigmanbow2010
@bigmanbow2010 7 ай бұрын
昭和11年生まれは自分の母と同い年になります。来年米寿(88歳)になりますが、なんだか母の若い頃も思い出しながら動画を拝聴しました。この方若くして亡くなったのが残念でなりません。別の方がコメントされてるように元気に過ごしていたらどんな老後を送っていたでしょう。ちなみに母は数年前に足のケガで入院しましたが今はその足の痛みがあるものの元気に過ごしています。自分はその母と2人で住んでいます。
@user-kn6bz8dm1c
@user-kn6bz8dm1c 3 ай бұрын
初めてこの動画を拝見しました。 この方の小学5年生のお写真が撮られた年に、私は生まれました。 「自分史」というものが流行っている今日ですが、このように身近な方の「他人史」を、しかも貴重な写真と現在の画像を組み合わせるという手法で再現するという経験は初めてのものです。 私も「わたしの自分史」を書きまして、身近な方々へ「押しつけ」ましたが、新たな視点でもう一度考えてみたくなりました。 貴重な映像をありがとうございました。
@sadaoi9396
@sadaoi9396 10 ай бұрын
人は年老いて、この世から消えていくんですね。であれば、生きてる時間を大切にしていきたいです。
@ykunisan4400
@ykunisan4400 11 ай бұрын
県立千葉女子高は、県立高校の中では、千葉、船橋、東葛飾と並ぶ 難関高です。とても優秀な方だったのですね。もういらっしゃらないとの ことですが、この年代の方々は多くの方々が現在も活躍されています。 そこから考えると、若くして一生を終えられたようで、残念に思います。
@xyzhihi1717
@xyzhihi1717 10 ай бұрын
それは無い。渋谷幕張や市川の私立のほうが圧倒的に上だよ。
@tachinomi
@tachinomi 10 ай бұрын
@@xyzhihi1717 学歴の話をして煽りたかったら、まず、日本語をきちんと読めるようになろうよ
@xyzhihi1717
@xyzhihi1717 10 ай бұрын
@@tachinomi それは君だよ。俺の書いてることが理解できないなら、まず君が日本語を理解しようね。 そしてこの高校は渋幕や市川の敵ではないよ。これは事実ね。ほんでもって国府台女子や麗澤高校よりも格下と言わざる得ないよ。
@xyzhihi1717
@xyzhihi1717 10 ай бұрын
@@tachinomi あともう一言だけ言うと、渋幕はマジで凄い。天才の集まりだよ。こんな阿保県立高校なんて吹き飛びますよ。君の想像してる100倍はかしこいですよ。それを君は理解してるのかな?してないよね、恐らく。
@tachinomi
@tachinomi 10 ай бұрын
​@@xyzhihi1717ここまで日本語読めないと気の毒になる。可哀想。偏差値以前の問題だね。ちゃんと姿勢を正して音読して、そのあと、鉛筆持って文を分解して、構造と内容を確認していきましょうね。画面の上で日本語を理解した気になっているだけで、致命的に読めていないよ。
@motohami3359
@motohami3359 10 ай бұрын
現在87才の私とほぼ同じ年代ですね。数年前まで食料不足の時代でしたがさすが女子、 皆ふっくらしています。美しい方ですね、お元気でしょうか。
@ktakeda5665
@ktakeda5665 Ай бұрын
主様の動画を見ると毎回時の流れの儚さと愛おしさを感じ、切ないような気持になります
@user-nu9en8vx7g
@user-nu9en8vx7g 5 ай бұрын
知らない方でも十分見応えがある。素晴らしい。
@JT-vn4cx
@JT-vn4cx 11 ай бұрын
戦後共学にならなかったのですね、石原裕次郎・芦川いずみ世代。合掌。
@deviljapan175
@deviljapan175 10 ай бұрын
30年前、18歳の頃までこの界隈に住んでいました。何度となく通った道です。特に3:05で左に見えてくる「仲良し公園」のグラウンドが懐かしいです。銀杏の木、立派になったな〜。
@user-bp7lo4mr3v
@user-bp7lo4mr3v 11 ай бұрын
もしやと思い見てみれば、地元の千葉女子高!著名人輩出で有名な高校で、当時は校門前で出待ちの男子が団子のように いたのを見てました。こんな憧れの女子高と部活交流会が決まった時は本当に嬉しかったな。あの時の白鳥さんまだお元気でしょうか。
@user-cv1zn8xw5p
@user-cv1zn8xw5p 11 ай бұрын
写真を゙見ていると今の若い人には感じられない恥じらいとほのかな色香が感じられます。当時は男尊女卑の時代。苦労も有った事でしょうね。
@user-yx6sl4qy2g
@user-yx6sl4qy2g 11 ай бұрын
お疲れ様です今日の女性は堀北真希ちゃん似の美人ですねー、笑顔がとても素敵でやはり女性は愛嬌又笑顔が世の中を包むって気がしました。 現代の女性も笑顔で世の中を包んでほしいです。
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
3丁目の夕日の時の・・・
@user-dl5tz9br7e
@user-dl5tz9br7e 11 ай бұрын
小学校は千葉市立新宿小学校ですね。母のアルバムに同じ写真 ( 0:30 ) がありました。
@Geekoma
@Geekoma 10 ай бұрын
すごい!!名前の通り,千葉の中心にある名門小学校です。
@00000KAZUSHI
@00000KAZUSHI 5 ай бұрын
移り行く時の儚さと切なさを感じますね
@AI-wg2lb
@AI-wg2lb 10 ай бұрын
母が昭和10年生まれなんでほぼ同じ年代の方です 全く知らない方なのに何かジーンとくるものあります せめて存命しててもらいたかった
@igatian1951522umare
@igatian1951522umare 10 ай бұрын
亡くなる前に自分の軌跡をもう一度辿りたくなりました。一人一人の人生が有るんですね。
@user-xb1xs6ny8e
@user-xb1xs6ny8e 11 ай бұрын
切ない感じがします。ご冥福を心からお祈りします。
@yuumorisawa
@yuumorisawa 10 ай бұрын
綺麗な方ですねー
@user-dj4rj6kq8o
@user-dj4rj6kq8o 10 ай бұрын
カラー化がいい。現地に行ってみるのも大変だろうがとてもいい。見た後で、ずしんと来る感じだ。
@user-oc6oz7ox1l
@user-oc6oz7ox1l 10 ай бұрын
ご存命であればなつかしさに感動する動画になるけど、亡くなられているとやはり哀しさを感じてしまう。
@user-wk6wg6vv1e
@user-wk6wg6vv1e 10 ай бұрын
私の母とほぼ同世代の方で興味深く拝見させていだきました。 八十代半ばになった母は今も毎日外を飛び回っておりますが、いつかは旅立つ日が来るんですよね。浪費がひどく、子供達にも迷惑かけ通しでしたが、もう少し労わってやるかという気持ちになりました😅
@user-kr4vf9ib6k
@user-kr4vf9ib6k 10 ай бұрын
このネクタイの可愛い制服…ひょっとしたらと思いましたら、やっぱり「千葉女子」でしたね💕 当時はまだ珍しい ネクタイ姿だったと思います😊 優秀な方ですね、当時は県立高校が優秀でしたから、第ニと言う事は千葉高校から二番目と言う事かな?
@pm1476
@pm1476 10 ай бұрын
いつの時代も若者は同じ。そして同じような年寄りになっていくんだ。
@user-ge7xj7qq2x
@user-ge7xj7qq2x 11 ай бұрын
此の女性、存命なら87~8才、、色々な体験をしてこられたでしよう。
@to_kyou-kun5475
@to_kyou-kun5475 9 күн бұрын
21歳大学生の若造ですが、曾祖母と同年代の方でなんだかしんみりと感じます。よく曾祖母に写真を見せてもらいますが、後世にしっかりと伝えて行きたいです。。
@user-qx8zz5ks2q
@user-qx8zz5ks2q 5 ай бұрын
切ないです。。。 胸が締めつけられます。。。 なんか言葉にならない。。。
@user-iq4hk4qk1j
@user-iq4hk4qk1j 5 ай бұрын
去年亡くなった昭和13年生まれの自分の母と時代が同じなので写真の雰囲気が似ていて泣けてきました……
@kayu-pt5rr
@kayu-pt5rr 11 ай бұрын
アルバムの持ち主の方は卒業前の写真はすべて笑顔なんですが、卒業後は以外と悲しい表情ですね。
@user-qn1js2dn1g
@user-qn1js2dn1g 11 ай бұрын
若くして亡くなったんだと言うのは勝手な私の想像ですが、20代の頃から、病気がちだったのだと思います。
@user-fi3ns4ud4s
@user-fi3ns4ud4s 11 ай бұрын
この女性が何歳で亡くなったのかがすごく気になります
@KOJICOMJAPAN
@KOJICOMJAPAN 11 ай бұрын
💛
@danslejardindecytrus
@danslejardindecytrus 11 ай бұрын
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 🌟👍🙏
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
きっと近所で評判の美人姉妹だったのでしょう みんなそれぞれに人生の花の輝いた時代があるんですね
@JUSTLIKEARAIN
@JUSTLIKEARAIN 10 ай бұрын
いい企画の動画だ
@user-kp4vh7ht6r
@user-kp4vh7ht6r 11 ай бұрын
やはり都会のおかげかこの年代に高校まで進むというのは田舎では稀なことでした。1939年生まれの母の同級生では120人中高校進学は5名だったとか。母はまだ健在ですが中卒で働き詰めの人生だったのでこのアルバムの主人公がうらやましくてならないでしょう。いいものを見せて頂きました。
@user-qn1js2dn1g
@user-qn1js2dn1g 11 ай бұрын
生きていれば今年90歳になる私の母もそうです。母の親というのが「女子に学問なんか必要ない」と言う考えで女学校なんか通わせない、本当は、経済的な面で通わせる事ができなかったんだと思います。将来 娘の結婚の事を考えれば、女学校ぐらいは出してあげなければ…それすらかなわなかった時代、この女性がうらやましい 、と思うのは当然だと思います。
@user-kp4vh7ht6r
@user-kp4vh7ht6r 11 ай бұрын
@@user-qn1js2dn1g さん ありがとうございます。ウチの父など小学校卒業で大工の弟子に。建築現場で同級生が学生服で通学するのが羨ましかったそうです。父の写真は小学校の卒業写真だけ。棟梁になり何十軒も家を建てましたが、建築確認の書類は設計事務所の印が必要なんで「あんな若造に偉そうに言われて‥おまえ、(高等)学校だけは絶対に出とけ・金は何とかする」
@haouseiso1683
@haouseiso1683 10 ай бұрын
OGの大反対を押し切って新制服を採用。古い制服を見られるのもあと数か月ですね(授業は12月までじゃないかな?1月も少しはあるの?)。 2023.09.20 19:34
@user-zq3yp5pl2f
@user-zq3yp5pl2f 10 ай бұрын
千葉の高校の方ですね 私は平和を愛してるが父親が 残念ですが満州南方へと戦をしていましたその軍は千葉隊と言う名でした千葉に有り何とも複雑ですもう亡くなって居ますがこの方も亡くなられて居るそうですね 四人で写され居る三人の方がまだ存命なら続きでお話を聞きたいと思います青春は素晴らしい物ですよぜひとも続きを願う 元に戻りますが戦場に行く方を軽蔑してはいけません 殆んどの方は身内を守る為の行動ですよぜひとも誤解をしないでください 私と息子共々ある国の軍人です又提案者でも有ります 最後になるが 皆さんにご加護を
@user-gt9iv2dh4b
@user-gt9iv2dh4b Ай бұрын
人に歴史有りですね‼
@user-kp4vh7ht6r
@user-kp4vh7ht6r 11 ай бұрын
カラーについて 日本陸軍がシンガポールを占領して映画館で「風と共に去りぬ」を見て驚いたのは1939年制作のこの映画は総天然色で山下中将以下「これだけの作品を娯楽の為だけに作れる米と戦争始めたのは間違いだった。」フィルムを内地の大本営に送ったら同様の反応だったとか。もしも1940年に日本で公開されてたら歴史が変わっていたかも知れません。
@user-kiki13gh333
@user-kiki13gh333 11 ай бұрын
正確には統 治ですね。
@user-qn1js2dn1g
@user-qn1js2dn1g 11 ай бұрын
風とともに去りぬ、が日本で初めて公開されたのは、1962年(昭和37年)だそうで、なんとアメリカ公開の23年後の事です。私は、テレビBS映画シリーズで、何回も放映されており、よく見ました。
@user-kp4vh7ht6r
@user-kp4vh7ht6r 11 ай бұрын
@@user-kiki13gh333 君 1942年同地を守るイギリス極東軍司令官のアーサー・パーシバル中将が無条件降伏した2月15日に占領したのです。その後は日本が統治しました。四の五の言うパーシバルに山下中将が「イエスかノーか!」迫った逸話で有名。うちの親父の小学校では全生徒で日の丸の小旗を持って「祝シンガポール陥落」と旗行列してご褒美にゴムまりを貰ったそうです。
@majeeptueao7280
@majeeptueao7280 11 ай бұрын
そういうのは現地の外交官や駐在武官らが本省に報告してるものじゃないの。まあ、実際に見ないと分からないものか。
@user-qn1js2dn1g
@user-qn1js2dn1g 11 ай бұрын
同じ1939年に製作された「オズの魔法使い」と言うアメリカ映画が、戦後日本のテレビで放映された時にそのテレビ番組の前後に出てきて解説した当時の映画評論家の人が、この時代にカラーでこのような大作品を製作する大金持ちの国を相手に戦争しても勝てる訳は、ないと言うような事を言っていた。これは、結構 有名な逸話だよ。
@jim8981
@jim8981 10 ай бұрын
鎌倉の大仏は1958年に行きましたが今と色はほとんど変わっていません。カラー化はありがたいですが、あそこまで綺麗ではありませんでした。
@maskedminsk9997
@maskedminsk9997 10 ай бұрын
皆さん生き生きしてる。今の時代みたいじゃないと思う…。関西(三重)出身の俺より🤔
@stanskidmore9093
@stanskidmore9093 11 ай бұрын
母と一つ違いですね。母の方が一つ上ですが、その母ももういません。
@bantam118p
@bantam118p 10 ай бұрын
人は死ぬんだな。絶対に。それがいつかは分からないけれど。分からないからこそ、精一杯、楽しく生きないといけないな。そんなふうなことを考えさせられました。ありがとうございました。
@user-mb7wp6bb9q
@user-mb7wp6bb9q 10 ай бұрын
僕の母親現在(84)、北海道(道東)出身、中卒で理容師の資格をとって実家(といっても3男5女の大所帯)で働いてましたね。お陰で人様の髪の毛を切る腕はいまでも健在みたいです。良い画像(写真)を拝見させてもらいました。僕の母親(1939年生まれ)と年代的にあまり変わらないですね。
@user-ci5lt4pd2o
@user-ci5lt4pd2o 10 ай бұрын
戦中戦後を生き残ったのですね頭が下がりますm(_ _)m 防空頭巾を被り 空襲を生き残ってくれて 有難うの言葉しかありませんm(_ _)m
@ceycomaz
@ceycomaz 11 ай бұрын
たまには若い頃は可愛かったでしょー?って最後に登場するのもありかなーとも思いますね
@atsukokojima7233
@atsukokojima7233 8 ай бұрын
涙が溢れて…
@saikousikikan
@saikousikikan 10 ай бұрын
県女のなかの県女。旧帝一発合格の少女のなかの少女の学校。雙葉やフエリス、鎌倉女学院もいいけどとにかくこっちはオツムが違う。
@114ultra5
@114ultra5 10 ай бұрын
何かやりきれない気がしますが、還暦迎えるとわかります。
@SS-ri8fg
@SS-ri8fg 10 ай бұрын
制服見て直ぐに解りました。 私の姉と同じ。 校庭に蛙が沢山いたの思い出します 姉も25年前に他界したので 思い出します
@wakusaka
@wakusaka 10 ай бұрын
美人ですね。
@makotofujii904
@makotofujii904 10 ай бұрын
白黒のカラー変換(人着)がお上手ですね・・・(^^)/
@hdn0040806
@hdn0040806 8 ай бұрын
とてもきれいな女性ですね。特に1:32、2:41、7:43のシーンは一時停止して見てしまいます。 最後のシーン(12:23)で現在の千葉女子高校の写真に彼女たちの卒業式の写真を当てる演出は見事です。 現代では茶髪や派手なアクセサリーを身に着けた女子高生を多く見かけますが、1950年代半ばにはそんなことをしなくても 十分に美しい女子高生がいたのですね。 ただ、明るい表情が多かった学生時代と違い卒業後の写真に虚ろにも見える表情が多いことが若干気になります。 既に他界されているとのことですが、早世ではなかったと思いたいです。
@user-em1qw2ro4n
@user-em1qw2ro4n 18 күн бұрын
7:33 の写真、・・・乙女の祈り・・
@tanukichi101
@tanukichi101 6 ай бұрын
共に時間を過ごした人の記憶、写真がそこにこの女性が存在した証。 そしてこの動画もこの女性が存在した証なんですね。 25才以降の写真が紹介されていない所に寂しさが込み上げます。
@kiaina3311
@kiaina3311 10 ай бұрын
しみるねぇ~ 30代の写真が無いことから、早くに現生を卒業されたのかな?
千葉(その1)
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takabe mituo
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Double Stacked Pizza @Lionfield @ChefRush
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albert_cancook
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Gym belt !! 😂😂  @kauermtt
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千葉(その2)
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takabe mituo
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It worked for me)
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бим бам бум💥💥 типа..
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