黒人奴隷が武将だと何が困るのか教えてくれAssassin's Creed Shadows

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Subcultures& Economic

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19 күн бұрын

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@toshiaki429
@toshiaki429 17 күн бұрын
擁護者がいかに何も理解していないかを説明してくれる素晴らしい動画。いや画面動いてないが。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@user-bi6ht4ck6i
@user-bi6ht4ck6i 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic ホントに君は歴史的資料を読んだの? wikiに乗ってた情報で適当言ってない? 「明智光秀の軍に捕えられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことが分かります」だって? ホントに歴史的資料を読んだならこんな言葉出てこないよ。 イエズス会日本年報の弥助に関する記述を簡単に訳すと 家臣が黒奴(弥助)をどう処分するか光秀に尋ねた所、黒奴は動物で何も知らず、また日本人でも無いから殺さなくていい。 インドのパードレ聖堂に置け。 とのことだった。 詳しくは ラム・マイヤーズって人がXにて投稿してるから見るといい。 その他にも「弥助は信長の荷物持ちであった」とか、「そもそも武士身分ですら無かった」と言う説もある程度の資料を元に出てるから、もう少し詳しく調べた方がいいと思うよ。 そもそも弥助に関する資料が少ない時点で侍だったって説は無理があるんだけどね。 黒人居るってだけで珍しすぎて人が集まって死人が出るレベルの騒ぎになってたそうだから、「黒人が侍になった!」なんてことがあったらもっと資料とか残ってるはずなんだよ。
@SM-pk8gz
@SM-pk8gz 17 күн бұрын
完全にフィクションだと明言しているなら兎も角、アサクリは歴史を忠実に再現してると銘打ってるのが問題。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@user-bi6ht4ck6i
@user-bi6ht4ck6i 13 күн бұрын
​@@SubculturesEconomicホントに君は歴史的資料を読んだの? wikiに乗ってた情報で適当言ってない? 「明智光秀の軍に捕えられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことが分かります」だって? ホントに歴史的資料を読んだならこんな言葉出てこないよ。 イエズス会日本年報の弥助に関する記述を簡単に訳すと 家臣が黒奴(弥助)をどう処分するか光秀に尋ねた所、黒奴は動物で何も知らず、また日本人でも無いから殺さなくていい。 インドのパードレ聖堂に置け。 とのことだった。 詳しくは ラム・マイヤーズって人がXにて投稿してるから見るといい。 その他にも「弥助は信長の荷物持ちであった」とか、「そもそも武士身分ですら無かった」と言う説もある程度の資料を元に出てるから、もう少し詳しく調べた方がいいと思うよ。 そもそも弥助に関する資料が少ない時点で侍だったって説は無理があるんだけどね。 黒人居るってだけで珍しすぎて人が集まって死人が出るレベルの騒ぎになってたそうだから、「黒人が侍になった!」なんてことがあったらもっと資料とか残ってるはずなんだよ。
@RainDropTime
@RainDropTime 17 күн бұрын
歴史的に何が正しいかなんて直接見ないと分からないに決まってる。 あらゆる資料を照らし合わせた結果が最も有力な仮説であり通説となってる。 想像ならいくらでもいいと思うが、それを歴史的事実と表現するのは全く話が変わってくるでしょうが。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@RainDropTime
@RainDropTime 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 本当に信長公記を始め、資料を読んだなら決して出てこないことばかり羅列していますね。 弥助が侍ならフロイスも敬意をもって「ヤスケ」と表記したはずだが、実際には終始Cafre(黒人)としか書かれていません。 明智光秀にもそもそも人として扱われていません。辛いことですが。 第一歴史という断定できないはずのことを断言してる時点で貴方にこれ以上の発言の資格はない。 全てはあくまで"通説"なのです。 しかし、貴方の主張はその通説ですらない。 近年作り上げられた弥助伝説に踊らされている哀れな人間の一人です。
@RainDropTime
@RainDropTime 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 貴方が証拠だと仰るものはこれで全てですか? 貴方が全て出しきったなら、これらの証拠紛いは全て訂正しなければいけません。 この中で正しいと考えられる部分は、甲州征伐においてその帰路に弥助とおぼしき人物が存在したこと(戦には出てないと思われる)と本能寺にて捕縛され釈放された件の2点です。 しかし、どの文献を照らし合わせても弥助が武田と戦ったという記述は一切存在しないはずなのですが、よければ何を参考にされたのか教えて頂けますか? そして、本能寺においては明智光秀に捕縛されたまではよいものの、残念ながら人として扱われておらず、変事という混乱の渦中にいながらも解放されています。 これは弥助が本当に侍ならば、到底考えられない処遇です。 その他の記述に関しては、著者の想像や当時の噂から得た情報を元に書かれたと考えられています。 硯箱にしても弥助を目撃した者から製作者の元へ噂が巡り届き、このような品を作り上げたとしても不思議ではありません。 例えばフロイスは信長寄りの著者として知られてますが、弥助と思われる人物については終始単なるCafre(黒人)との表記を貫いています。 弥助が侍になったならば、このような書き方は常識的に許されないと思いませんか? 以前のコメントにも書きましたが、今を生きる誰もが当時の歴史を見てきた訳ではないので、最終結論は出せないのです。 ただし、歴史学には"通説"というものが存在します。 これは一般大衆の考える説という意味もありますが、学問的には歴史学者の各々が、確かな文献と数多くの目、調査、研究を重ねた上で導き出した仮説を、その後異を唱える学者と共に客観的に検証した結果なのです。 ですから、貴方の仰る証拠というものが正しいことが証明できれば、これはお互いの為のセッションにもなりますし、私も勉強不足であることを認めなければいけません。 ですが…1つ言わせてもらえば、そもそも断定できないはずのものを断言するという貴方の歴史に対する向き合い方は間違っています。 長文失礼致しました。
@user-zq7el2es7v
@user-zq7el2es7v 17 күн бұрын
黒人が武将でも困りません、それがフィクションならば ACは海外でファンの多い、UBIが歴史検証が確かで教材になると喧伝する時代物のシリーズタイトルです。 日本が舞台の最新作が出るとなりファンが楽しみにしてましたが、ポリコレにより黒人の弥助が主人公に据えられ、ファンはガッカリして炎上(1回目)しました。 この時、主に怒っていたのは海外のファンで、日本人は残念とか呆れ、またか止まりでした、日本人が怒ったのはその後です。 歴史検証を売りにしているシリーズにもかかわらず、あまりにもひどい(差別的と言っていい)日本の描かれ方をしたトレーラーを見せられ、UBIはその宣伝プロモーションで 「弥助は実在した伝説的な最強の侍」「歴史に忠実」「歴史の専門家と作った」と世界に発信し、「昔の日本では首を切られるのが日常」だの 「弥助は信長が行った全ての功績に関わった」などありえない嘘を当然の様に吹聴し、これに日本人が「ふざけんな!」と怒り炎上(2回目)しました。(主に日本人が怒ってるのはここ、いわば周囲からは優等生で通ってる奴がニヤニヤ笑いながら「こいつ学歴詐称してますよ、正しくはこう!」って周囲に触れて回ってるに等しい状況) そのUBIの主張で一番分かり易い核の部分が弥助が”伝説の侍”であるってとこなので、「日本の歴史的文献において弥助が侍であった事実はない」と言う論争になっています。 信長に”召し抱えられた”ので武士として扱われた可能性は無いと断言できませんが(実際のところ資料を見るに小姓扱いなのは分かってます)、 上級武士である侍ではないのは当時の社会構造や弥助の苗字や役職名が無い事、活動した期間から困難であること、文献に”言及されてない”ことからも伺えます。 (黒人という目立つ人間が侍になったら記録に残らないわけないですし) 更に、日本の専門家やらがUBIにその旨を伝えるとブロックされ、日本人が違うと言えば白人のなりすましと言われ、海外のウィキペディアは都合のいいように改ざんされ、 コンセプトアートは有料販売するにもかかわらず資料の無断転用のオンパレード、CEOはネットで苦情を言う人間をレイシスト扱いし、今も燃料を投下し続けてます。 因みに、UBIというか弥助が侍と言う人たちがソースとして挙げられるのが、トーマスロックリーと言う歴史学専攻の外国人助教授が書いた著書で、 内容は弥助が主人公のなろう系小説みたいになってます。日本向けにはフィクションとしつつ海外向けでは真実であるようにプロモーションしてかなり周知されてます。 (これは現在のUBIのスタンスに近いやり方です) 日本人が「弥助は侍でない」と言うと一部の方はこの本を持ち出し、専門家が書いたもので「発刊した際に日本人が違うと言わなかったのだから正しい資料だ」という理論を展開します。 こういった方は、同じようにACが発売されると「ACで真実と言ってるから」と言い出す可能性が高いです。(一部でそう言ってる人もすでにいます) 今回のタイトルの内容次第では「弥助は日本の英雄なんだから、日本の土地を割譲すべき」と言い出してもおかしくありません。 実際、一部の方々が「弥助は天皇だった」「日本はもともと黒人の国だった」などと冗談でも言ってはいけないようなことを発信しており大変危ういです。 いわば”第二の慰安婦問題”と言っていいレベルで悪質なので、危機感を持った日本人が声を上げてるのが現状です。 長文失礼いたしました。
@namakemono832
@namakemono832 16 күн бұрын
そのうち、日本に弥助の銅像が建つよ。海外にかな。 もう既に、日本は弥助の存在を隠してた。差別主義者だ。って言われてるしね。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@user-zq7el2es7v
@user-zq7el2es7v 13 күн бұрын
彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。>側近=侍ではありません。活躍と言ってもせいぜい明智軍に抵抗したことぐらいで、 武将を討ち取ったわけでもなく、その後捕まっていますから武士としての功績にはなりません。 弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。>一行程度が詳細と言えるのでしょうか? 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 >刀や鎧を授与されたとされるのは、一説にすぎません。一次資料であるイエズス会会報にもそこまで書いてませんよ。また、例え授与してたとして、どんな鎧かなんてわかりません。足軽も鎧付けてますが侍(上級武士)とは言えませんよ。つまり推測でしかないので事実ではありません。 その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。>明智光秀が「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」としてイエズス会に返したのだから武士じゃなかったということですね? いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。 >それ、フィクションだから。AIとか近年のイラストとかでは?当時の様子を描いたとされる絵には傘を持った黒人が描かれたものしかないから、これだって二次資料だし。 弥助が信長に召し抱えられ後に武力衝突なんて甲州征伐と本能寺以外ありませんが、本能寺の戦闘を描いた一次資料なんてありましたっけ? そもそも「侍(上級武士)」として明確に記録にある一次資料がない以上、歴史において事実足りえません。推測にすぎないのです。
@Bf109EFGK
@Bf109EFGK 17 күн бұрын
信長公記を検証した結果弥助は、武士身分で無い事が判明しています。 そもそも日本に来て一年3ヶ月しか居なかった、弥助が武士に成れるとは思います。
@Bf109EFGK
@Bf109EFGK 17 күн бұрын
思いますでは無く思いませんと、書くべきでした訂正します。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@Bf109EFGK
@Bf109EFGK 13 күн бұрын
信長公記にはただ信長に気に入れられてとしか書いていませんし甲州征伐も信長の長男である信忠が早く終わらせた為、信長が来る前に戦いが終わっているので、弥助は実戦に出ていませんし仮に甲州征伐が続いていても正規の武士ではない弥助が、実戦に参加したとは思いません。 弥助は信長に気に入れられてたしても、武士身分に取り立てられる前に信長が本能寺の変で死んだので、弥助は将来武士身分に成ったかもしれないがその前に保護者を喪った為、最終的に弥助は武士身分に成っていません。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
@@Bf109EFGK じゃスズリの絵の日本の刀はどう解釈すればいいんでしょうね。
@goose_clues
@goose_clues 17 күн бұрын
Redditで嫌儲民と傷を69で舐め合ってそう
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@G4ge2dtd
@G4ge2dtd 17 күн бұрын
“ネトウヨ”だけが怒ってると思ってたら大間違い てかケンモ民にはわからんだろうな
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@G4ge2dtd
@G4ge2dtd 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 自信満々に長文で返信してるけどさ... それね、最近発覚したんだけど「ある英国人」が残された文献以外、全て「妄想」で書いた書籍から来てるんだよ しかもその「英国人」は法学部の准教授で違う畑の人間
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
@@G4ge2dtd じゃ、硯箱も妄想なんだね。確か重要文化財だったけど偽造品なのな
@G4ge2dtd
@G4ge2dtd 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic  まぁ厳密には侍と武士は別物で 当時は戦場に駆り出される農民ですら武器を持ってたぐらいだし 護身用サイズの「小刀」を貰った程度ですぐにほかの武将達と同等の扱いになるとか普通あり得ないんだけどな 秀吉みたいに戦果を上げたと言う話があるわけでもないし
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
@@G4ge2dtd 蒔絵ではちゃんと二本ざししている、しかもなぜか宣教師に刀を抜く寸前のシーン。これマジで歴史の闇。 鉄砲指南役についていたことは公式文献にも残っているので、身分としての刀と鎧を与えられたと考えるのが、まー打倒だと思います。 私は学芸員資格も持っているのでいろいろな文献を見ましたが、信長が海外人を使って海外の軍事技術を教えているとの記載もある。これが弥助かは不明ですが、この海外の軍事が鉄砲や陣形の指南の事を指すならば資料のきりあい関係から弥助とみなすのが妥当。
@user-wz8ce6ik3u
@user-wz8ce6ik3u 17 күн бұрын
日本舞台なのに日本人主人公じゃない理由をポリコレ抜きに用意したのが 日本人はチビで地味だから私達の侍に相応しくないって理由だから、怒った日本人はそもそも弥助は侍じゃねぇよってなったわけだよ 始まりはそんな感じで海外では侍が勇敢になるには黒人の血が流れてないといけないという日本のことわざがあるとか弥助は日本人に人気で偉大な侍で最近では武田も倒したことになってるんだぜ これを言ってるのはゲームの中の話じゃないんだ 結局は否定しないと認めたことになるからそろそろNOを言うべきだというタイミングがアサクリだっただけ
@mm-qf9zb
@mm-qf9zb 16 күн бұрын
これだけ解説動画出てるのに理解出来ないんだから教えても無駄でしょ
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@mm-qf9zb
@mm-qf9zb 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 荷物持ちとしてね。弥助に関するイエズス会の記録に信長の側近として活躍したなんて記述はない。またトーマス・ロックリーの嘘か? ルイス・フロイツ達は弥助の事をずっとcafre(黒奴)と記録している。イエズス会は弥助という名前を与えられた事すら知らなかったんだよ。
@jwmjtwp
@jwmjtwp 17 күн бұрын
結局ギャクバリおじさんなだけじゃん...てか何言ってんの?笑
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@yuyas.7309
@yuyas.7309 16 күн бұрын
海外の人は、「侍が勇敢である為には少しの黒人の血が必要だ」という日本の諺があると思っているそうです。 動画投稿主さんが日本人だという前提で… これを聞いて何も感じませんか?日本の侍は明らかに弱いものと思われていますよね。 弥助が伝説的な侍だったという情報を放置した結果だと思います。 私は日本人であるというプライド、というか誇りを大切にしたいです。 増してや、黒人奴隷が武将だという歴史的根拠は全く無いわけですから、 歴史に忠実と銘打ったこのゲームに賛成する理由は全く無いです。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@yuyas.7309
@yuyas.7309 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 「記されている」ではなくて具体的な文言で示してくれませんか?資料へのリンクも併せて、是非お願いします。 活躍したと言える根拠を示して欲しいです。 まさか、いくつかの歴史資料とはトーマス・ロックリーの著書を言っている訳じゃないですよね?あれは資料ではないですよ?
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
@@yuyas.7309 ユーチューブパートナーシップ違反になるのでリンクは張れません。原本は国会図書館にありますのでアーカイブで見てください
@yuyas.7309
@yuyas.7309 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 上手いこと逃げますね。 次の動画のネタにするなど、どの様にでも示すこと出来ると思いますけどね。
@yuyas.7309
@yuyas.7309 13 күн бұрын
追伸、 弥助が侍であることを否定する人は皆、動画やnoteなどで、資料の文言を交えて根拠を示してくれるんですけど、 肯定する人って全然それをしてくれないんですよね。 侍である根拠が本当にあるのなら、この際、資料の文言を添えた証拠を示して肯定派の先陣を切ってみては?
@yumi-wt7be
@yumi-wt7be 16 күн бұрын
個人的に黒人弥助はかっこよくて好きだし、UBIもいいんじゃないかとう。 自分は学もないし侍と武士の定義なんて知らん。作品を楽しむためには詳しい知識はいらないし。 でもこの作品は「歴史に忠実」を強調しすぎて誤解してる人がいる。 このゲームの弥助=真実。日本は首切りの野蛮な国、弥助は強くて偉大でゲイ。 弥助は、これからの日本産のエンタメ作品にもいい存在だったのに、アサクリ弥助しか認めれなくなったら、今までの様に自由な作品生まれないんじゃなかと思う。 クリエイターが日本を勉強して、自分たちのベストの作品が出来た。 だけど批判に対し、会社の責任として「誤解させた、フィクションです」て金掛からないんだし世界に公言して欲しい。
@Dante-lb8wh
@Dante-lb8wh 16 күн бұрын
UBIが雑誌やネットのインタビュー記事で言った事が発端で炎上してるんだよ まあゲーム雑誌やインタビュー記事を読まない人には分からんよな
@user-tt7qj5wr4y
@user-tt7qj5wr4y 17 күн бұрын
ただのイメージなんだけど 武士→戦う人の総称→ただの戦闘員 武将→首に価値のある人→部隊のリーダー 侍→殿を守る人→ボディーガード ただ、『侍』という言葉は江戸時代の『公務員』に対して使われた印象があるので、安土桃山時代に『伝説の侍』と言われてもピンとこない 弥助は信長の『伝説のボディーガード』なら理解できなくもない
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 17 күн бұрын
信長にサブらってるのだからサムライでも問題はない。
@hukihamu
@hukihamu 17 күн бұрын
アサシンクリード オリジンズを始めとした、過去作品の傾向を見てないと思われる ディスカバリーツアーつって歴史教材として出してるシリーズだよ?
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 17 күн бұрын
で?エジプトの解説とかほぼまちがってるしスケールもめちゃくちゃだけどあれで興味持てば別に良くないか?
@hukihamu
@hukihamu 17 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 「クビキリが日常で気に行われている野蛮な民族」として興味を持ってくれることで貴方が 良い と思うならいんじゃない? 開発者はそんな意図でゲームを作ってくれているよ
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 17 күн бұрын
@@hukihamu ジャンヌとかエクスカリバーとか文句を海外から言われるよりマシだろ
@hukihamu
@hukihamu 17 күн бұрын
@@SubculturesEconomic 良いかじゃなくて、マシかどうかなのか.. 典型的などっちもどっち論 ここは興味を持ってくれた外国人のために「野蛮な民族扱いで良い」って書けば良かったのに 私は「ジャンヌとかエクスカリバーとか」で史実と騙っているAAA作品を知らないけど、どこがどっちもどっちなんだろうね(fateくらいしか思い浮かばないけど史実と騙ってないし)
@enfym
@enfym 16 күн бұрын
アサクリシャドウズが抱える問題は大別すれば人種差別と著作権侵害の二つに分けられます。 人種差別に関するのは貴動画の表題の通り、弥助を主人公に据えた意図を問うものです。 恐らくUBIは「黒人だったから」弥助を主人公に登用したと推察されます。 それは黒人を侮辱していませんか? 著作権侵害に関してはUBIJapanが先日謝罪しましたが、その謝罪内容が不十分であったと現在問題になっています。 その2点の指摘に対して、UBIは「人種差別には抵抗する」と逆非難を行い、その後沈黙を保っています。 果たして人種差別をしているのはどちらでしょうか?
@Mizuiki-a
@Mizuiki-a 10 күн бұрын
スタートは、ゲーム制作者側が、”私たちの侍”、”日本人以外”を探していたという当初の発言が、アジア人差別ではないかというところから始まったと思います。さらに、ゲーム内の弥助は、「伝説の侍」「日本で最も強かった侍」として宣伝され、これは裏を返せば、日本人の主人公では売れない、日本人は弱い、ということを暗示しています。これが史実とされようとしていますが、賛成でしょうか? ここまでなら、ゲームなんだしと思う人も少なくないでしょうが、これらのUbiの発言に対して、日本人が、「アジア人差別ではないか」「弥助は侍であるという歴史的な記録はない」と「外国人」に伝えると、逆に「弥助を認められない日本人は差別的」「日本人は人種差別主義者(レイシスト)」と罵られているので、英語圏の日本人が特に憤慨しています。 > 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています 刀というか脇差です。なお、鎧を授与された記録はないです。刀が脇差なぐらいなので、おそらく貰っていないかと。また、本能寺の変の関係者リストの小姓のところにもいないですし、中間衆と言われる侍ではない使用人ポジションが濃厚だとのことです。日本側のもので「侍」として描かれているのは、「小説」「漫画」「ゲーム」といった「フィクション」を語る物に限ります。
@Mizuiki-a
@Mizuiki-a 10 күн бұрын
補足として、「仕えていれば侍」という訳ではないのです。「家臣団」という言葉で調べていただくと、いろいろと出てきますが、中間衆や小者は、荷物の運搬や伝令、草履(ぞうり)持ちなどの雑用を行った者であり、これもまた「仕えていた人」に該当します
@matatabi517
@matatabi517 16 күн бұрын
弥助がサムライである証拠はない、むしろただの刀持ちである可能性のほうが高いのに、サムライであることが史実であるとubiが断言して主張していることが問題。
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@tdl-yp4mu
@tdl-yp4mu 16 күн бұрын
弥助は、刀振り回して人殺ししません! 心優しい力持ちです!
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
ルイス・フロイスは、弥助が織田信長に仕えていたことを記録しています。彼の著書『日本史』には、弥助が信長の側近として活躍したことが記されています。 信長公記: 弥助に関する最も直接的な資料の一つとして、『信長公記』があります。これには、弥助が織田信長に会い、後に仕えるようになった経緯が詳細に記されています。 弥助の武士としての待遇: 弥助は、織田信長から武士として扱われ、刀や鎧を授与されています。このことは、彼が単なる従者ではなく、正式にサムライとして認められていたことを示しています。 本能寺の変での役割: 1582年の本能寺の変の際、弥助は信長の側にいて、最期まで戦ったとされています。彼は信長の死後、明智光秀の軍に捕らえられましたが、その後の処遇からも、武士としての地位を持っていたことがわかります。 日本の歴史資料や絵画: いくつかの歴史資料や絵画において、弥助はサムライとして描かれています。例えば、弥助が信長に会う場面や、戦闘に参加する様子が描かれたものがあります。
@user-uv8ve9hv3e
@user-uv8ve9hv3e 14 күн бұрын
お? 2回目のUBIの炎上にのっかって、ついでに有名になっちゃおう計画ですか? 前回そんなに回らなかったですもんね視聴数! 今回はもう2000超えてるじゃないすか! 今回はもっと燃えてくれるといいですね!
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
10万再生とか結構あるぞうち。あと、再生数とかいらんよ
@user-uv8ve9hv3e
@user-uv8ve9hv3e 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic おー! ぜんっぜん気づけませんでした、すいません! あったんですね3年前に ゆっくり実況もやめちゃったんですね ライブのほうが楽だからですか? 再生数いらないんですね! こういう発信って、皆に観てもらいたくてやるもんだと自分が思いこんでしまってました、すいません! 大勢に伝わらなくても、チラ裏に思いの丈を訴えたいみたいな感じですか?
@SubculturesEconomic
@SubculturesEconomic 13 күн бұрын
@@user-uv8ve9hv3e 普通はアーカイブ化するんですけど、ある実験で数値的データが欲しかったので、一般公開してます
@user-uv8ve9hv3e
@user-uv8ve9hv3e 13 күн бұрын
@@SubculturesEconomic ほぇー!なるほどですね 実験データをとってるんですね すごいです 何の実験ですか? 逆張りの実験とかですか? あ、何か質問ばかりですいません!
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