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横須賀駅には昭和30年代前半頃までB20という国鉄最小の蒸気機関車が2台働いていた。
2番線ホームから向かい側に停まっているB20が眺められた。
アメリカ製のディーゼルカーDD12は昭和40年代まで現役で、横須賀駅前左側の臨海公園脇の引込線を米軍基地まで行き来していた。
戦艦三笠は砲台などの施設が撤去されて甲板上にはドーム屋根の水族館やカマボコ屋根のダンスホールがあった。
戦艦手前の三笠園はお猿の電車や飛行塔などのある小さな遊園地だった。
さいか屋屋上にも飛行塔やジェットコースターやメリーゴーラウンドや豆自動車などがあり、地下から正面出口への階段脇には名物さいか屋まんじゅう製造機があり、子供たちはガラス越しにいつまでも眺めた。
横須賀中央駅前から大通りを左に進むと、三笠通りの手前に洋紙の老舗の川嶋紙店とキリンの立体看板のある玩具店あかのれんが続いていた。
小林楽器店やだるま食堂などが並ぶ三笠通りを抜けて左の大判焼き店の角からドブ板通りに入ると、スカジャンや肖像画などを売る米軍兵向けの店や老舗の山口楽器店など学校帰りに寄り道したい店が集まり、さいか屋裏の千日通りでは30円のラーメン店などで小腹を満たすことができた。
ニューセントルイスを始め味わい深い喫茶店が多く、あづきアイスの君ヶ瀬などの甘味処も魅力満載だった。
さいか屋裏から小さな木の橋を渡って三笠の脇の船着き場から渡る猿島の要塞や中央公園になる前の砲台などデートコースも多かったが、夢の中のときめきはいつも叶わぬ昭和の物語となった。
#昭和 #馬堀海岸 #横須賀