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【緊急事態】出雲口伝における八咫烏の正体が異常すぎる件について。

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TOLAND VLOG

TOLAND VLOG

Күн бұрын

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Пікірлер: 371
@TOLANDVLOG
@TOLANDVLOG 10 ай бұрын
本日も動画をご覧いただき、ありがとうございます!!11月は重大な発表がたくさんありますのでよろしくお願いいたします!!!! 限定グッズ終了まであと数日!!TOLAND VLOG初の!!公式グッズはこちらからご覧いただけます→ tolandvlog.thebase.in/ サム・マサキ・くどぅのメンバー全員で制作した限定シャツもございますので、是非チェックしてください!(特におすすめは御朱印書とサム・マサキのぬいぐるみです) 各メンバーのSNSも要チェックでっす!!KZfaq消された時のために絶対にフォローしてください!! 【語り手サムのSNS↓】 linkmix.co/6994400 【聴き手マサキのTwitter↓】 twitter.com/happypunk8 【事務局長くどぅのTwitter↓】 twitter.com/DesignShaft 国際情勢や文化、近代史を伝える姉妹チャンネル『知らないセカイ』はコチラ↓ youtube.com/@shiraseka?si=G9kwu0RAQB7HOSkj コメント欄の感想は、とても嬉しいので是非!たくさん書き込んでくださいませ!!
@RayCrosmy
@RayCrosmy 10 ай бұрын
八咫烏は、素盞鳴尊の和魂=食物神の家津美御子大神の神使のことです。熊野本宮大社のこの信仰形態から逸脱してしまうと、残念ながら、本物の神道を知らない素人の作り話と認識される結果を招きます。 古代の人々も、日矛鏡と日像鏡を用いることで、太陽を拡大投影して観察することが可能でした。すると太陽の中に黒点が見られるわけですが、夕日の中を飛ぶカラスを連想させるため、アニミズムの発想で八咫烏と名付けられたのです。 太陽の黒点の活動を観察すると、太陽から地球にもたらされるエネルギーの変化が読めるため、エルニーニョ現象などが起こることなどによる、気候変動の予測が可能です。 もちろん昔の人はそこまで科学的に考えていなかったようですが、経験的に、豊作か不作か、田植えの時期はいつ頃が良いか、といった判断は着くようになっていたようです。 ですから、神器の凹面鏡などの鏡を用いて初日の出の太陽を拡大投影して観察する奇日神事(くさかしんじ)によってもたらされる、日の巫女の王=斎皇の天照大神の神託は、農耕社会の年間計画を立案する重要な指針になっていたのです。 そこから派生して、 息長氏の姬姓斎皇家に妻問婚した、素戔嗚の子孫の秦氏の特殊部隊が、神使の八咫烏を名乗るようになり、八咫烏千人衆として活動するようになりました。 秦氏はかつてシルクロードの交易を家業とした集団ですから、シルクロードの西側のフェニキアやローマ帝国や、ヴェネチアなどの拠点を構えて活動してきました。 黒龍会=ブラックドラゴンソサイエティーなどの国際的な諜報組織も秦氏の傘下です。 近年ではインビジブル・フォースを名乗っています。 シルクロードの交易が家業ですから、長距離を踏破できる体力を作るために、日本で修験道を創始しています。彼らはコーカソイド系ですから、鼻が高く体も大きく、天狗伝説のモデルになりました。 秦氏といえば太秦で、太秦=ローマ帝国では交易武家商人のエクィテスとして活躍していたこともあります。 その当時既に、今日の銀行や会社のシステムの原型が見られます。秦氏の末裔は現在ではファイナンシャルエリートを名乗っています。 今、ディープステートが支配する米国が経済的に崖っぷちの状態にありますが、ファイナンシャルエリートのシンクタンクが経済制裁を下すことを決定した結果です。BRICsを組織させて支援しているのも彼らです。 国連では戦争を止めることができず恒久平和が得られないので、人類普遍の統治哲学に基づく世界連邦政府の設立に向けた準備段階に入っています。 ファイナンシャルエリートのシンクタンクが用いる研究用のメタバース=ブレインリンク・ワールドでは、資本主義に代わる生命通貨を用いた経済システムや、人類普遍の統治システムを用いたシミュレーション=検証作業が進められています。 良い結果が得られれば、世界連邦政府の設立に向けた動きが加速すると思われます。 世界連邦の設立に向けた流れの中で、人類統一戦争が起こる可能性もあるので、今後、八咫烏の活躍が見られるかもしれません。 あまり現実から乖離した情報を発信していると、目障りと思われて、ファイナンシャルエリートのシンクタンクによって排除されてしまう可能性もあるので、あなた方の情報が歴史系のフィクションをパフォーマンスとして楽しむ目的のチャンネルなら、フィクションだとハッキリさせておいた方が良いと思います。 少なくとも、熊野本宮大社が伝える伝統的な信仰形態のイメージは破壊しない方が良いでしょう。伝統的な神道を破壊していると認識されてしまうと、激しい攻撃を受ける可能性が出てきますから。 【天惺靖智】
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
五十猛と結婚したのは物部氏の娘の穂屋姫ですよ。その子が村雲で、もう一人の嫁さんの大屋姫との間の子は紀州国造家になりました。紀州国造家と、海部家は尾張家から見たら、同格の分家という事になります。
@user-vq3gc4ml3h
@user-vq3gc4ml3h 10 ай бұрын
安東氏と剣が繋がった😅五十嵐さんと阿部さんいる理由か
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
​@@110nari8さま 徳川御三家に 紀州と尾張が選ばれたのも、 皇室であったということを、 知っていたからですね。 もう一つの水戸藩は、 鹿島・香取両神宮の あるところですね。
@seiji5431
@seiji5431 10 ай бұрын
​​@@110nari8穂屋姫の夫は五十猛ではありません。天香語山が夫でその子が天村雲です。。
@user-cs3xx2xm4d
@user-cs3xx2xm4d 10 ай бұрын
25年前、大学で歴史学を専行していましたが、古代史も日本書紀と古事記にも疑問をもち、偽の情報が多く、授業でもやる気をなくしていました。こうして若い方たちが発信してくれて、このタイミングで、こういうことが真実ではないかと思えて本当にうれしいです。
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
動画では、記紀を知っている人ほど混乱するとは言ってましたが、私は実際には違うと思っています。 記紀を知ってる人ほど、記紀の隠したかったことや記紀を書いた人の思考に思いをはせることが出来ると考えています。 これは、富編集長が、大学の歴史の先生だったからです。 故に、史実と神話を合わせたような物から歴史を取り出す指標として出雲口伝を分かりやすく本にして書いているというプロセスになっていると思われます。 読む人の事を考えてあの本の内容になっていると私は思います。 同じプロセスで、柿本人麻呂と古事記の和歌に注目して、分析をするという手法で他の本も出されています。 結果から逆説を求めてもだいたいつじつまが合う部分を中心に口伝の内容を公開していると思われます。 (まだ表に出せない情報はあるそうですけどね。)
@user-oc3eu7ky5h
@user-oc3eu7ky5h 9 ай бұрын
記紀が本当の事が書いてあるってあなた学校で習ってきたの?? 歴史学って考古学とは違い文献や伝承から史実を読み解く学問だと思うんだけど、その貴重な文献の記紀を学者視点から嘘ばかりというのはどうなの?? 考古学と照らし合わせたときに辻褄が合わないと言う事?? 嘘ばかりなら歴史学って考古学と比べて価値低いね。 歴史学を専攻していた人の発言とは思えないなw 私も興味あるので、事実性の高い文献や口伝があればぜひ教えて頂きたい。 大切なのは現存している文献や口伝から当時の勢力やどのような意図で創作されたのか? そこを考察し読み解く事が歴史学の考古学と違う価値だと思う。 サムさんも言ってるけどエンタメだからねw
@gula2985
@gula2985 10 ай бұрын
いつも凄いお話をありがとうございます😊 以前伊勢一人旅をした時のこと。車中泊をしようと道の駅を探しましたが、年末で車中泊の車で一杯で停まる隙もありませんでした。暗い中困りながら運転していると、少し離れた所に「民話の駅蘇民」という道の駅を発見しました。そこには誰も車中泊者がおらず、少し寂しかったですが「どうぞ」と言われている気がしてそこで一人車中泊で一泊しました。車の前に大きな木が見えており、朝確認したらそこに神社があったので一晩無事に泊めていただいたお礼を言いに参拝しました。そこは蘇民将来をお祀りした神社でした。私も蘇民さんに泊めてもらったようです😊今話がつながりました✨不思議やわ。
@user-ie2ye7sb5t
@user-ie2ye7sb5t 10 ай бұрын
ルーツはさておき…子孫は今、日本人として選民意識を持たず一つの国の中で仲良くしてる。世界中が争い戦い始めてる今…日本人として考えさせられる動画だった。
@meguchyo
@meguchyo 10 ай бұрын
本当にそうですね!和を持って尊しと成す。色々あったけど、みんなで一丸となろうや!と、聖徳太子が言ったのにも通じるなーと、ふと思いました。
@YanoNauri9978
@YanoNauri9978 10 ай бұрын
加茂社のある東北の神社の家系ですが、突然京都にご縁が出来て転居したら、上賀茂神社のそばだったりして目に見えない導きを感じたものでした。 なんだかこちらの動画も、コメントも興味深く勉強になります!✨
@user-qf2rx8fb9d
@user-qf2rx8fb9d 10 ай бұрын
鳥取市に大和地区というのがありまして、昔そこは大和村と呼ばれていました。 大和村には倭文という村がありそこには岡村家という帯刀をゆるされていた旧豪族の地主が居ました。 岡村家の裏山には太平記にも記述が有る倭文城という城があったそうです。
@momokiyo
@momokiyo 10 ай бұрын
大彦さんのくだりが衝撃過ぎました。日高見国、蝦夷、アベ氏。。自分の苗字を調べていって大彦さんには行き着いたけど、TOLAND VLOGさんのこの出雲口伝の解説動画のおかげで、コンプリートして救われた氣持ちになりました。とても感動しました。ありがとうございます。😭
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
強力なお名前ですね。
@user-cm3tv6gr1u
@user-cm3tv6gr1u 10 ай бұрын
私も苗字を調べていて、ここに行き着きました。でも徐福は…
@GameFacilitatorBarago
@GameFacilitatorBarago 10 ай бұрын
ウチの亡くなった母親が 福島の会津出身で 苗字も「阿部」 そして不思議と・・・ 織田のキリ家紋でしたが 何となく、この動画で理解出来た。
@user-wr4hr4ls6x
@user-wr4hr4ls6x 3 ай бұрын
マサキさんの相槌の仕方が大好き😍です。 優しくて広い心の温かい人柄が伝わってきます。 聞いていて本当に心地よさを感じます‼️   応援しています❗
@user-yo1me1sv8p
@user-yo1me1sv8p 10 ай бұрын
出雲口伝シリーズすごく面白いです! 個人的に古事記、日本書紀はどこか遠い話のように感じる事が多かったですが、出雲口伝は何となく聞いていてしっくり来てしまうところがあります。 次回も楽しみにしています!
@byrd7981
@byrd7981 10 ай бұрын
志摩では 松下社で年末に 蘇民将来子孫家門の 札がついたしめ縄を入手したら 玄関に一年中飾ります。 さらに、札の裏には セーマンドーマンの記号と、急々如律令 と書かれてます。 今回、 蘇民将来の話の出どころがどこか、ようやく見えた気がしました。 考察ありがとうございました!
@user-fs5kh9bc4u
@user-fs5kh9bc4u 10 ай бұрын
華頂さんが「まだ人類は人間になっていない」と言っていた意味が分かるような内容でした。全ての人類が、思いやりのある「人間」になりますように!
@tronfun
@tronfun 10 ай бұрын
人類史は週刊ジャンプと同じように、成長物語なのだろうか
@kentay.8519
@kentay.8519 10 ай бұрын
って事はもののけ姫のアシタカは阿部一族視点なのかな? 大和と戦いに敗れ・・ってセリフがあるし 宮崎監督は日本の真実知ってる人なのかな
@user-lu3jr4wr1c
@user-lu3jr4wr1c 10 ай бұрын
サムさんと対談して欲しいなと思います。難しいとは思いますが…。 余談ですが、トトロのサツキのお父さんは研究者で縄文時代に稲作があったことの研究をしてる設定とどこかの動画で見かけました…
@hisui-mz
@hisui-mz 10 ай бұрын
宮崎駿さんは民俗学 網野善彦さん参考にしたそうで対談集は興味深い考察です。 一時は支持されなかった網野学説。数冊しか読んでいませんが面白いです。
@1632takahashi
@1632takahashi 10 ай бұрын
すごいです。この勢いで出雲ロ伝令和版まで突っ走って下さい! 冨氏によると物部蘇我対立はまだ続いているそうです。
@user-mj7yd1vb9v
@user-mj7yd1vb9v 10 ай бұрын
権力の中枢・闘争・動乱の元には、幾度かにわたる(日本からの出戻りともいわれている)渡来人の存在が大きいということかぁ。天皇家のルーツや政治権力の背景を鑑みると、とても感慨深いものがある。政治権力の中枢では、縄文人の気質・感性が徐々に失われていったように見受けられ、なんとも言い難い気持ちがする。
@user-of7cm1vb4x
@user-of7cm1vb4x 10 ай бұрын
いつも楽しく観させております。 私の先祖(高木)が福岡県八女市の星野村の出です。 明治36年に星野村のチンのウバ塚から唐の時代の海獣葡萄鏡2面(白銅製〈中国〉と青銅製〈日本〉)が出土し、当時の東京帝室博物館に金40円で買われたそうです。 今回の動画で、物部氏と深い関わりがありそうなことが分かり感謝しています。 いつも本当に深く調べて分かりやすく伝えて下さりありがとうございます。今後も楽しみにしています。
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
星野村って昔からの地名ならロマンありますよね。 正に徐福の星見のイメージです。 是非大元出版の本も手に取られてみて頂きたいです。
@user-of7cm1vb4x
@user-of7cm1vb4x 9 ай бұрын
情報ありがとうございます。 早速〈出雲王国とヤマト政権〉の本を購入いたしました。
@ysuppy
@ysuppy 10 ай бұрын
何度も巻き戻し⏪しながら学びました😂何故もこんなに出雲の歴史が好きなのかと思ってしまいます。
@sign4369
@sign4369 10 ай бұрын
知る度に涙が出るんです。 出雲は泣いてるし怒っていると感じます。 今また全世界がめちゃくちゃになりかけている中、知らせに止めに来ているように感じます。 調査編集動画、ありがとうございます。
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
横からですみません。 宜しければ他の本も是非読まれてください。 神戸家は少なくとも自分の家の伝承を公開してはいませんが、富家は後に物部家と和解しています。 故に、出雲系の神を祀る神魂神社(現在の神魂神社は、物部氏が奉斎しています)の千木の上部が、物部式の横削ぎ、下側の千木のカットが出雲式になっています。 この話は確か、五條先生の本の、「人麿古事記と安麻呂書記」という本に出ていますが 富編集長の本には出てなかったかもしれません。 千家以外とはみんな、仲が悪いという事はないんじゃないでしょうかね
@TheAtoz8
@TheAtoz8 10 ай бұрын
コタンって確かにアイヌ語で村とかっていう意味ですね。言われないと気がつけなかったけどすごく納得いくお話でした。
@hisui-mz
@hisui-mz 10 ай бұрын
本州にはアイヌ語由来の地名が各地にあります。 縄や紐の結び目、位置・数で内容を理解しあえるから口伝で済んだ…近親婚防止の装着具もあり独自の文化が継承されたのでしょう。 暗号を使いこなした人達だったのでは?と感じます。
@user-gh8dw8bm1f
@user-gh8dw8bm1f 10 ай бұрын
いつも大変細かな考察をわかりやすくしてくださっているのに、途中で糖分が足りなくなります。 しかし見始めると止まりません。民放ではこうはならないですよね。 深く、広く、想像力を働かせながら楽しんでいます。ありがとうございます。😀
@salinas9139
@salinas9139 10 ай бұрын
①~⑤と番号を振りつつ、画面に簡潔な文章が表示されて軽くおさらいの説明もして下さるので、より頭の中で整理できて有難いです。里中満智子さんの「天上の虹」で天武天皇が星を観察していて、ちょっと不思議だったのですが、こちらのチャンネルで星神信仰というものを初めて知り、そういうことか…と繋がりました。天上の虹を読んだあとだっただけに、出雲口伝の天智天皇と天武天皇の関係性には頭がクラクラしましたが、そのあたりのサムさんによる解説も楽しみにしております☺今回もどうも有難うございました🙇💦
@rushing8f
@rushing8f 10 ай бұрын
原本を読んでないので断言は出来ませんが、出雲口伝の方がリアリティがあって事実のように感じました。今回も面白くわかりやすい解説ありがとうございます! 徳島にも銅鐸があると何かで言っていたので、孝霊天皇のまとめ回には徳島が出てくるかな〜と考察してます。今出てる物部氏はのちに蘇我氏に追われる物部氏とイコールでしょうか?そうであれば栄枯盛衰ですね。
@yopeo954
@yopeo954 10 ай бұрын
目から鱗すぎる…今までのTOLAND VLOGさんの動画全部見返したくなりました!
@aheadgo393
@aheadgo393 10 ай бұрын
日本人はいつから争うようになったのだろう?そんな思いが頭の中を巡ります。
@user-xl7hq6zw6r
@user-xl7hq6zw6r 10 ай бұрын
物部東征あたりからで、遠因は徐福の渡来となるのでは、それ以前は比較的平和だったと思います。戦闘で馬が使われるのも、その辺りという説あります。
@aheadgo393
@aheadgo393 10 ай бұрын
@@user-xl7hq6zw6r 外敵に寄るものが大きく影響したみたいですね。日本人の心を早く取り戻したいですね。
@ybae6590
@ybae6590 10 ай бұрын
古事記転生は本当に読みやすく、しかも人生の指標という観点からも日本の神話に親しみを持つという観点からも、一人でも多くの若い人に読んでもらいたい本だなと50代の私は思いました。 何より「マサキさんてきっと凄く優しい人なんだろうなぁ」と他の動画をみて感じていたことが「ああやっぱり」と思える片鱗を覗いたようなエピソードもあり、改めてサムさんマサキさん他のスタッフの方々全ての巡り合わせに神の采配のようなものを感じるチームだなぁと感じています。 動画の主題とは特に関係無いコメントでしたね😅失礼しました。 もちろん動画も楽しく拝見させていただきました。
@space-m2619
@space-m2619 10 ай бұрын
すごい府に落ちました。特にウマシマジ。なんで裏切ったのか?と思っていましたが、あちら側と考えるとしっくり。来月、会津の大彦がお祀りされている神社いくタイミングでのこの動画!すごい楽しみになりました🙌ありがとうございます🙏✨
@DADADA-vf1ui
@DADADA-vf1ui 10 ай бұрын
以前はビール飲みながらぼんやり観てたけど、最近は集中し過ぎて飲むの忘れて緩くなってる〜😭
@JJB358
@JJB358 Күн бұрын
いつもワクワクしてみていまず。ありがとうございます😊 大学の教授のレベルを超えているのではないでしょうか 毎日夜遅くまで 見ることが増え このままでは いかん しばらくこらえて 自分の生活を守らなければ 支障をきたす状況になってくるはずだと認識しています。 自分にとって 嬉しい悲鳴が続いています。❤
@user-om4xw4cq1z
@user-om4xw4cq1z 10 ай бұрын
内容が濃いすぎて、頭の整理をするのがやっとですが、いつもありがとうございます😊💕✨✨
@cheri-kichi
@cheri-kichi 10 ай бұрын
塩竈の町をら歩いたときに酒蔵?醤油蔵?に出雲六角に大根クロスの紋があり、東北と出雲族がリアルに繋がりワクワクしました。大彦が安倍氏を名乗ったとは!面白すぎます! 遅まきながら古事記転生読んでおりまっす❤
@nfumi1381
@nfumi1381 10 ай бұрын
複雑で難しい話しをわかりやすくされて凄いです! いろんな事が繋がってきて真実に近づいてると感じます!ありがとうございます🎉
@user-gw7ne2er1g
@user-gw7ne2er1g 10 ай бұрын
以前、大元出版の本を何冊か読みましたが、色々な登場人物が出てきて、また、場面も切り替わるので、何となく消化不良になってました。 Toland Vlogさんの一連の出雲口伝シリーズは、丁寧に解説してくれていて、大変わかりやすく て助かります😂! これからも、丁寧で分かりやすい動画、期待してます!
@Chant-sv7yj
@Chant-sv7yj 10 ай бұрын
いつもありがとう❤。すごく納得です。丹後と丹波が仲良くなかった歴史も推察出来て良かったです。郷里の豊岡、出石神社、今までの動画がとても参考になりました。 ヒボコが出雲に入る時に断られた理由は治安維持の観点からなのだとしたら納得。万世一系、出雲族の富家の教えを守り、平和を愛する大彦が日高見の国が建国されて良かったです。 これからもご活躍をお祈りします。
@1azu4yam
@1azu4yam 10 ай бұрын
大スペクタクル。すごい大きなスケールの映画を観ながら一緒に歩いてるような感覚になりました。平安時代に以前から興味があったけど、そこに繋がる背景が霧の向こうから見えてくるようでもあって興味深い。 TOLANDを拝見しながら最近気になり始めていること…物部氏と対立していた、蝦夷や入鹿の家系は蘇我。蘇に我が続くこの名前、このひとたちのルーツって…
@yuzru_shiinoha
@yuzru_shiinoha 10 ай бұрын
そう言えば高橋克彦著の『竜の柩』でも、八坂神社の八坂は古くは弥栄と書いた……八坂→弥栄→ヤエイ→ヤーウェイ→ヤハウェじゃないかって説がありましたね。 久しぶりに竜の柩も読みたくなったので明日図書館行ってきます! いつも興味深い動画をありがとうございます!
@user-bp3cn6dz6y
@user-bp3cn6dz6y 10 ай бұрын
今上天皇の即位礼の際に、安倍首相が「弥栄」と言って、万歳三唱してましたが。。。これってもしかして?
@yuzru_shiinoha
@yuzru_shiinoha 10 ай бұрын
@@user-bp3cn6dz6y さて、どうなのでしょうね? 私はその状況を存じ上げないためなんとも……ただ安倍首相のアベも「安倍」ですものね。 東北の安倍氏は長髄彦の兄「安日彦」が始祖という説もありますが。 安倍貞任の妻は物部の者だったという説もあったような……前九年の役あたりを深掘りしても面白いこと出てきそうですよね。 義家と貞任・経清の関係があったから義経は安東水軍を頼って東北に逃れた、そしてモンゴルへというチンギスハン説も心惹かれてしまいます。
@boudare2111
@boudare2111 10 ай бұрын
弥栄(いやさか)という一般の言葉を使ったからって何かを勘繰る必要はないかと😅
@abong72
@abong72 10 ай бұрын
出雲蕎麦 長野戸隠蕎麦 日高見(北上)岩手わんこ蕎麦 日本の三大蕎麦 大彦の一族は蕎麦伝道師かもしれませんね。
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
面白いですね🤣 正直当たってると思います。蕎麦の原産地はバイカル湖の北西部だと書かれており、北海道から出雲に定住する前の経由地なので、大彦の逃避行以前に伝わった可能性はあると思います。
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
オホン。 すみません、出雲のおそばは、長野のお殿様が移封先で広めたものですよ。 高遠藩が山形に、確か松本のお殿様が出雲にそばを推奨して広めています。 出雲に行ったときにタクシーの運転手さんも言ってましたので、間違いないと思いますよ~
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
@@110nari8 様、なるほど、そうでしたが。結構最近なのですね。有難うございます。
@abong72
@abong72 10 ай бұрын
@@110nari8 そうなんですねー。  あの辺りはうどん県が多いのに島根だけ蕎麦県なのはそういうことですだったんですね。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
面白いです〜😄 調べたら、 出石ヒボコ蕎麦も 信州からでした。
@Miki_3
@Miki_3 10 ай бұрын
夜は短し歩けよ乙女の著者である森見登美彦さんは、地元生駒市に縁が深い登美長髄彦から名前拝借したと書いてました。 生駒は大和の範囲内だったことがハッキリ分かりますね〜
@lebaronde3204
@lebaronde3204 10 ай бұрын
さりげなく超重要な情報言ってますね〜。大彦は異母兄弟に大王の座を奪われそうだった⇒開化天皇と大彦は異母兄弟、という事ですか?やはり、というしか無い。
@user-bk5wq2pm9c
@user-bk5wq2pm9c 10 ай бұрын
そうですよ😊
@user-dj4zr9oj8c
@user-dj4zr9oj8c 10 ай бұрын
ナカソウネとかアベ氏とか尾張とか…驚愕の展開ですね! 竹内一忠さんのケルトとかフェニキア説に当てはめながら観ると さらに面白そうです!
@penpen4770
@penpen4770 10 ай бұрын
太田種彦・・・に衝撃を受けました。出雲口伝の内容とても分かりやすいです。出雲と徐福のミルフィーユにどうにかついていけてます。全日本 出雲&徐福のオリエンテーリング大会ができますね。お正月向けに、すごろく出して欲しいくらいです。
@panwootang
@panwootang 10 ай бұрын
大彦(ナガスネヒコ)になぜか情が行き、気になり、徐福の子孫に追いやられていくのが嫌だと思いながら聞いていました。最後に信濃の国で亡くなったと聞き、とても残念に思いました。長野県の出身なので、ナガスネヒコのゆかりの地が長野にもあるのかなと思い、うれしくなりました。信濃の国のどこで亡くなったのか、知りたいです。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
panwootang さま 川柳将軍塚古墳 (長野市篠ノ井石川)が、 大彦の墓と伝承されているようです。 シナノに進出した後、 更級郡布施の 五明長者窪を本拠地とし、 その地で亡くなったようです。 その屋敷跡に 布制神社 (長野市篠ノ井布施五明)が建てられ、 大彦が祀られています。 お近くなら 訪ねてみられたらいかがでしょう。
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
@panwootang 様 同郷の方と御見受けし、書き込みを致します。 稲荷山鉄剣にもある様に大彦系の名前にはいくつかあって、北陸系と東海系がありますが、その中に布施氏があります。 小布施の布施は、大彦に因んだ名前と言えましょう。 高橋家も長野県にいます。(私の母系が新潟の流れを汲む高橋家です) 長野県のミシャクジは、新潟県にはほとんど存在せず、北信から群馬への清水峠ルートから、須坂あたりと、それミシャクジのある以南は文化圏が違ってるようで、北陸ルートの大彦は、ミナカタのルートに重なります。 富家に紹介された北陸の豪族とは、三島家(越智家)と思われます。 大彦と連れ立って弥彦に行ったとされる一族が出雲崎近くに今でも住んでおり、記紀に影響されない代数、130代を数える旧家になっています。 二田物部神社の社家は、現在でも三島姓を名乗っています。 三島(越智家)は、福井にも拠点があり、白山信仰と関わりがあります。そこらへんの九頭竜川あたりから白山信仰のルートがあり、戸隠中社も三島系ですよ。 下越の弥彦神社の社家は高橋家で、まんま大彦系です。 継体帝時代の三国国造家と、関東の大彦系はその時代に大きな経済圏を形成しました。 立派に発展していったと思われますよ。 また、大元出版の五條先生のHPをご紹介いたします。 omouhana.com/ 今度、大彦系に関してまとめる予定との事です。
@panwootang
@panwootang 9 ай бұрын
​@@girasole4172 様 ご丁寧にありがとうございます。篠ノ井には親戚も住んでいます。わたしも現地視察に行ってみようと思います。
@panwootang
@panwootang 9 ай бұрын
@@110nari8 様 ご返信ありがとうございます。 母の実家が小布施にあります。身近な地名が出てくると自分のルーツにも関わりがあると思えてくれしくなります。古代日本より現在の自分まで続いてきた尊い命なんだなと思わされます。五条先生のHP、ありがとうございます。読んでみます。
@user-vb4rn3sq9o
@user-vb4rn3sq9o 10 ай бұрын
おもしろかったです!サムさんの話芸は枝雀さんの域に入りましたねw 「出雲と蘇我王国」読みましたが私感として相当バイアスのかかった内容に思えます。整合性を感じない部分も。サムさんは慧眼の持ち主ですから今後の展開も含めてコーディネートされているのでしょう。今後もサムさんらしくのびのびと私たちを愉しませてください😄
@user-fj6ew2sy7k
@user-fj6ew2sy7k 10 ай бұрын
サイノカミ。妻神(サイカミ)さんという苗字の方がいますが、なにかあるんですかね。記紀はピンときませんが、出雲口伝はとてもしっくりきます、不思議ですが。
@user-ws7br5zl1k
@user-ws7br5zl1k 10 ай бұрын
真実を知ることが出来た気がします。出雲口伝を守られてきた方々とサムさん、マサキさん、スタッフさんに敬意を評します
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
次回のお話かもしれませんが、出雲口伝の伝承の日本史には、日本の太陽神信仰は物部祭司の鏡信仰が直接、伊勢の天照大御神になったのではなくて、出雲の熊野大社に祭られていた太陽信仰女神のサイノカミ幸姫を杵築大社・現出雲大社が建てられた時に出雲国造果安が伊奘冉命として神名を変えて祭り、さらに後に第二次物部東征により籠神社真名井神社に疎開した倭姫が伊勢伊雑宮に出雲の太陽神女神の伊奘冉命を天照大御神として祭ったのが内宮の始まりである。と書かれています。 元々出雲の太陽神が伊勢に遷座したことは、現在の日本人にとっても、出雲と伊勢の神様は同じ神様であった。というとても重要な意味を持つことだと思います。 物部の信仰は、月読命の月神と社稷神の宇賀神が習合し、豊受大神として外宮に祭られています。 共に信仰のシンボルとして太陽神と星神を祭る鏡が御神体となっているようです。ここにも太陽信仰と星神信仰の融合が見られると思います。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
nihontaro さま 同じこと書いてましたね~😆 後で気づきました。 やっぱ、そこ重要ですよね。 我らが縄文の太陽信仰…☀
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
はい。やっぱりそこでしょw。
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
向日葵🌻様、 伊弉諾伊奘冉になったのは占拠した宮殿の返上を申し出たけれど富家に辞退されて、いよいよ扱いに窮した秋上家が神魂神社にした時でしたね。出雲大社は、物部東千根さんが御祭神の大国主を密かにスサノオに変えようとして右大臣不比等に見つかってしまい、渋々大国主に戻したw。時でした。訂正します。本当にいろいろとやらかしてますよね。出雲口伝は面白いです🤣
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
​@@nihontaro9さま 出雲大社のスサノヲ推しは ホヒ家でよろしいのでは…?!
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
@@girasole4172🌻様、 出雲大社は、 出雲臣果安は、政府により大領に任命されたけれども、今後に任命されない場合には、失業の可能性が出てきた。出雲臣果安は、失業に備えて神社の神職になりたいと考え、熊野神社の向家に来て言った。「出雲平野方面が開ける情勢だから、出雲郡に出雲の神を祭る神社を建てて共同で運営したい」と。向家はそれに条件付きで応じ、出資する約束をした、それは出雲王の神を祭ることを意味し、主祭神を変えないことが目的であった。果安は祭神をスサノオ(徐福の和名)に変えようと考えていた。それでスサノオを「海原の神」にして、漁師たちを信者にしようと計った。出雲国造・果安が杵築大社造営の計画を古事記に書いたのが右大臣に知れた。そして、スサノオを祭る方針が右大臣に反対されたので、大国主を祭ることに変更された。 時でした。再度訂正します。 スサノオに変更しようとしたのは、出雲臣果安さんでしたね。 有難うございました。
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
弥彦神社は表向き物部系の色彩の強い神社というイメージがありますが、ちょっと変わってて、カゴヤマを奉斎しています。つまり、出雲口伝で言えば、村雲の系譜である「東征してない神武の家」を祀っている訳です。 また、高橋家が社家を務めています。つまり新撰姓氏録や、稲荷山鉄剣からも分かるように大彦系ですね。 富家に紹介された北陸の豪族とは、三島家(越智家)と思われ、二田物部神社の社家になっており、ここでも物部の色彩を帯びています。 三島と大彦の系譜は上手く隠されて現在でも続いています。 正当武内文書では政権が九州に移動しているという表現がありますが、巧妙に物部氏を皇族として扱い、例えば第一次物部東征が失敗に終わって九州に再び軍勢が集まった時、崇神を神武として扱う記紀の姿勢を都合よく利用して、武内式万世一系で、政権が移動したと表現しています。 武内文書でもまだ明らかにしていませんが、武内宿祢は物部氏であり、父親の彦フツオシマコトも磯城家とは無関係です。物部彦フツオシ、物部武内彦が本来の名前です。 武内宿祢の子孫が後年に応神期以降に政権を取ったので、政権が九州に移動したと、自分の家系をよく見せている訳ですね。 纏向遺跡の土器ですが、突如として180年代に新しい土器が生まれます。 出雲口伝では183年に第一次物部東征を受け、大彦が琵琶湖に撤退とあります。 果たして、纏向にはほとんど九州式の土器は出ないとありますが、纏向の土器は一体どこの土器だったのでしょうか?w あと、今回の動画は、スサノオが記紀制作の際に作られた新造の神で、スサノオが出てくる古伝は全て記紀の記載内容の影響を受けていると丸わかりになるという衝撃展開でしたね。 蘇州を逆読みするとスサなんだそうです。
@user-rx8hy6ou3t
@user-rx8hy6ou3t 10 ай бұрын
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
今回もありがとうございます😊
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
110nari8さま 彌彦神社のご祭神は 海部家・尾張家が勢ぞろいですね。 香山語の父を 饒速日命にしていることが、 分かりにくくしてますが、 天火明命とすれば同じなので ピッタリ来ますね。 ひとつお伺いしたいのですが、 斎木雲州氏は、 フツオシノマコトは 磯城王朝と関係ないと 書かれていましたが、 富士林さんは、 父が孝元天皇 母が物部のイカガシコメ姫 と、正史どうりに書かれています。 もし、孝元天皇でなければ、 フツオシノマコトの父は どなたでしょうか?! 武内宿禰が 物部の血統であるとは 理解していますが、 母は紀伊国造家の姫ですし、 海幸・山幸 どちらにも繋がりがあり、 結局は磯城王朝側につき、 出雲ヘ匿ってもらいますね。 出雲王家の姫を娶って、 親族と認められ、 その子孫の蘇我氏が、 出雲王家と婚姻を繰り返し、 とても親密な関係を 続けていったことを鑑みますと、 どの代の武内宿禰だったかでも、 温度差があるように感じます。 蘇我宗家と 石川臣家という違いもありますけれど。 まあ、神功皇后とともに 遠征した襲津彦が 出雲王家の血があるとは言え、 日向出身ですから、 物部色は強いですね。 物部でも磯城王朝でも、 結局は徐福の子孫であり、 同じことなので、 どちらでも良いのですが、 フツオシノマコトの父を ご存知なら教えていただきたいと 書かせていただきました。 長々とすいません。 お読みいただき ありがとうございます。
@110nari8
@110nari8 10 ай бұрын
@@girasole4172 様 少々マニアックになってしまい申し訳ありません。 まず、富編集長の本ですが、発表の順番を考えており、我々の理解が進んだところで修正の本を出していると思われる節があります。。 初期に出された古事記の編纂室(絶版)ですが、焼き直しの本である古事記と柿本人麻呂という本は、2020年11月に初版発行扱いになっていますが、そこの112Pに、物部彦布都押は物部イニエの重鎮としか書かれていません。(しかし現在でも販売されている出雲と蘇我王国では磯城家との関係が修正されていません) ただ、紀伊国造家は海部と同格の分家で大屋姫の血が入っていますから、出雲の血は入っていますが、磯城家が消され、物部が天孫降臨で神武扱いされたことによって、ウズヒコ(宇遅比古命)が面白い立場になっていますよね。 ウズヒコの妹かお姉さんが山下影姫で、物部宿祢武内彦のお母様に当たります。 名門中の名門と言っても過言ではありませんが、フツオシマコト氏に関しては父親に関する言及は出雲口伝では言及がないというのが現状でございます。 (裏に手をまわしてい聞いてみるのも手ですが、実は出雲口伝でも物部の初期の4代ほど、ナギサタケまでは系譜が分からなくなっていますのでおそらく答えはそれ以上の物は無いと思われます)
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
​@@110nari8 さま ご丁寧な返信、 ありがとうございます。 フツオシノマコトの父は、 分からないということですね。 時代的には、 第一次東征でやって来た誰か… というくらいでしょうか。 神功皇后と襲津彦の ヤマトヘの凱旋は、 第三次東征だと思っています。 もう一人の神武天皇が 応神天皇ですね。 歴史はくるくると 繰り返しているように見えます。 豊玉姫の血筋の御子が 応神天皇となって 返り咲きというのは、 ようやくウガヤが葺かれた ということですね。 大彦が紹介された 北陸の豪族が 三島家であったとは、 興味深いです。 伊予国造家の越智の親族ですね。 三島大社の社家の この系図を見ると、 日本の縮図が観えて、 感動します。 天之御中主が【大山祇神】とされ、 (三島溝咋ですからね) 物部系の名がズラッと並ぶ中、 太祖は 【天照国照彦天火明櫛玉饒速日命】 これは、 海幸とも山幸とも、 出雲(櫛玉)ともとれる名で、 この名を創った我々の祖先は、 本当に素晴らしい感性を していたと思います。 そして3代目が ウマシマジなのですが、 2代目はなんと、 香語山なんですね。 忍穂耳命や 木花咲耶姫と言った 天孫族の名の中に、 天道日女(高照姫)もいて、 ウマシマジと クシヒカタが二人で署名したカタチに なっているのです。 勢ぞろいでしょう。 本当にそんなことは あり得ない話ですが、 象徴的に記されていると思います。 海幸と山幸と縄文の融合です。 大山祇神という縄文の家系 クシヒカタの出雲の家系 高照姫と香語山の磯城王朝 そして、 ウマシマジから続く物部… それを一言で言うと、 【天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊】 となると思います。 時代が下がり、 九州と近い伊予国は 物部と同化してゆきますが、 初期の頃は 三島溝咋や海・磯城王朝の血統が あったということが、 その系図からうかがえます。 大彦が頼った頃は、 まだまだ物部化していない 三島家であったろうと推察します。 物部と戦った人を受け入れた三島家が その後に物部系となってゆく 歴史の面白さですね。 日本とは 争いがあったようにみえて、 実際には 融合融合の歴史が 繰り返されていると実感します。 マニアックなお話を ありがとうございました♪
@yopeo954
@yopeo954 10 ай бұрын
熊野本宮大社に八咫烏とスサノオと天孫族の味方をした八咫烏が一緒に祀られてるのがずっと不思議でしたが、この動画を見て腹落ちしました!
@user-gk8mk5fs9s
@user-gk8mk5fs9s 10 ай бұрын
いつも楽しく拝見してます。 手塚治虫さんの火の鳥と類似点多いですね! 次の投稿楽しみにしてます^ - ^
@user-ei6fu5kt5s
@user-ei6fu5kt5s 10 ай бұрын
あれ? 「蘇」がイスラエルってことは、 蘇我氏って、我はイスラエルって意味??
@noel8446
@noel8446 10 ай бұрын
そこ自分も気になります🥺 蘇 はイエスを表しているという説もあったりします 草冠=茨の冠、魚=イエス 禾=の木=十字架 という感じで。
@user-lu3jr4wr1c
@user-lu3jr4wr1c 10 ай бұрын
確かに気になりますね。しかし歴史では、日本神道(この動画では出雲族+徐福系、つまりユダヤ)を守りたい物部氏、と対立したのが、仏教を広めようとしたのが蘇我馬子などの蘇我氏ですから、合わないような気もしますね😂わからん…
@akazaruproject7448
@akazaruproject7448 10 ай бұрын
違いますね。 正確には、秦国の嬴グループである燕(ツバメ)に、呂不韋が導いた雀(スズメ)ですよ。 呂不韋が秦国に持ち帰った雀の子孫、末裔。 白き狼に導かれた王家です。
@user-ei6fu5kt5s
@user-ei6fu5kt5s 10 ай бұрын
@@noel8446 さん、 確かにキリストさまは、蘇りますし!
@user-ei6fu5kt5s
@user-ei6fu5kt5s 10 ай бұрын
@@user-lu3jr4wr1c さん、 大乗仏教は景教の影響を受けた仏教のような気がしますが、よくわかりませんよね
@kojikoji7332
@kojikoji7332 10 ай бұрын
戦いを求めない日本古来のYAPの人々が追いやられて行くのも分かるような気がします。
@user-yk9js2tw8z
@user-yk9js2tw8z 9 ай бұрын
実家の近くに五十猛神社があります。出雲口伝では徐福の息子だったのですね。昔、五十猛神社でかくれんぼをしたり、神楽を見たりしてよく遊んでいたので、そんな大変な過去があったんだなぁ…と少し悲しい気持ちになってしまいます。その後はしっかり生き延びて国を造るため、名前を変えて次にバトンを託した五十猛命は頑張りましたね。 確かに須佐神社や五十猛神社はひっそりとしたところにこじんまりとあります。昔から、スサノオが大蛇を倒し、民を守るために大活躍したのならもっと盛大に奉られてもいいとは思ってましたが、大国主、事代主を暗殺したとなると話は別です。今の神社の規模なのも納得できます。
@SA-ql8nl
@SA-ql8nl 10 ай бұрын
九州出身です。 動画楽しく拝見しています。 北九州と言われると、福岡県北九州市をイメージしてしまいます。 北九州とは、北部九州ですよね?
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
SA さま 徐福が作った集落は、 吉野ケ里遺跡だと 伝承本には書かれています。📙
@SA-ql8nl
@SA-ql8nl 10 ай бұрын
​​​​@@girasole4172話の内容が違います。。 私のコメントをもう一度読んでください。 ちなみに、吉野ヶ里遺跡は佐賀県で、福岡県北九州市ではありません。 私は徐福伝説の話はしていません。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
@@SA-ql8nl さま 失礼いたしました。 「北九州市」についての コメントだったのですね。 北九州⇋南九州の 北九州だと思います。 古代には北九州市はありませんから… でも、九州の方は、 北九州というと、 北九州市をイメージするのですね。 吉野ケ里に拠点をおいた徐福族は、 周りの部族と婚姻を結び、 宇佐や宗像など、 周辺一体を掌握していますから、 北部九州全体を 言っているのだと思います。 「北九州市」だけでなく。 これで意味はあってますか?!
@SA-ql8nl
@SA-ql8nl 10 ай бұрын
@@girasole4172 北部九州と動画で伝えて頂けたらと思いコメントしました。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
@@SA-ql8nl さま そういうことなのですね。 地元、九州からの 貴重なご意見、 ありがとうございました♪ 実際、九州以外の人からすると、 北九州市は 「市」をつけてくださらないと、 イメージできないですね。 九州の方とは、 大きな感覚のズレがあるのだと 知りました。 ありがとうございました❣️
@agemaru28
@agemaru28 10 ай бұрын
ちなみに祇園祭のタペストリーは16~18世紀にポルトガルから渡ってきた物です。
@noel8446
@noel8446 10 ай бұрын
いやぁ、、アツイ展開ですね🤤✨ 「クナ国」「日高見国」ここで来ましたかぁー笑
@akikosato6481
@akikosato6481 10 ай бұрын
いつも素晴らしい考察ありがとうございます 古事記転生購入!面白くて一気に読みました!お二人の活動応援してます。
@penpen4770
@penpen4770 10 ай бұрын
京都の錦市場(西側の方)に、昔から愛されてきた甘味処(今はおうどんのみ、少し北にいった店は甘味もあります)の富美家さん、富美家(ふみや)鍋が大変に人気です。以前から何かある気がしていましたが、もしかしたらそういう事じゃないかとか勝手に楽しんでみました。京都に立ち寄られた日には是非隠された歴史が隠れてないかチェックしてくださいませ。昔ながらのあったかいお店です。
@makia561
@makia561 10 ай бұрын
自分のルーツを知りたくて本家のお墓参りに行ったことが、興味を持ったきっかけでした。近畿圏に住んでいるので、東は特に意識してしまいますが、京都に入るときは、平安京があった場所だとこころにおちて入ってほしいとか💦 または、平城京より難波の宮の方が古いとか💦 でも事実を知ったら、そうだったのかと。伊賀は苦手で甲賀の方が平和的で好きだけれど。なんと尾張もヤマトにいらしゃってたんですね。普通だったらユダヤに侵略されていたところ、そうなっていないのは、海洋民族がいたからかな。 とにかく、東北までの、東西の偏見はとれたかな😊 あっぱれ👏👏👏
@user-ju4zf5ot7g
@user-ju4zf5ot7g 10 ай бұрын
いつも楽しく拝見しています😊 福島在住なので、会津が出て来たりすると嬉しくなります(笑) 実家のある須賀川市に、地元の人が城山と呼ぶ「日高見山」という山があります。 この辺りも日高見国の一部だったのかなと思ってワクワクしております(*`・ω・´)
@user-tm8cl2zf4i
@user-tm8cl2zf4i 10 ай бұрын
岩手の黒石寺の蘇民祭ってのあってまたなんかのルーツに繋がってるのかなぁ。今回も面白かったですw
@user-hg5tc6wk6n
@user-hg5tc6wk6n 10 ай бұрын
蘇民将来の言葉が出てきたと同時に、私も岩手県奥州市の蘇民祭を思いました。何か繋がりがありますよね⁉️
@user-iq5wz9yk2c
@user-iq5wz9yk2c 9 ай бұрын
八咫烏と裏天皇については 以前 ムーという雑誌で 飛鳥昭雄氏が詳細について述べていた😮 因みにこの方、籠神社で三礼三拍手一礼で 天の岩戸を開けちゃった😮
@user-oz2kx4zg2h
@user-oz2kx4zg2h 10 ай бұрын
楽しみにしてました!😂
@user-zk7fj3jx3z
@user-zk7fj3jx3z 10 ай бұрын
何度見返しても、素晴らしい考察だと思います。そんじょそこらの学者以上だと感じる。なかなか頭に入らないので何度も見返してます😅👍
@takedayoh395
@takedayoh395 10 ай бұрын
次が楽しみ過ぎます いつもありがとうございます❤
@nagaotakahiro803
@nagaotakahiro803 10 ай бұрын
八咫烏ついて、大元出版の「古事記の編集室」斎木雲州著から拝借させていただきました。 和歌山地方では尾張家から嫁入りした名草戸畔(トベ、女村長)率いる紀ノ国造家軍団が物部水軍を撃退した。 敗れた物部水軍は新宮から十津川を坂上りヤマトに入るようにしたがゲリラ戦が激しく熊野本宮の中洲に集まって眠る日々が続いた。 物部は使者を三輪山(登美家)に送り加茂建津之身が熊野山岳を道案内する事になった。 彼を八咫烏と呼び、後々、物部の神社で祀った。 登美家は太陽神を崇めているから、太陽の象徴八咫烏を登美家の案内人に例えて物部勢は拝み始めた。 物部の軍勢は登美家の地盤である三輪山の西南・磐余(イワレ)の地に住み着いた。それで物部軍の指導者にはイワレ彦と名がついた。 記紀には初代大王のアマノムラクモを消して代わりに物部イワレ彦を当てはめ、神武天皇と書いている。
@pino2747
@pino2747 10 ай бұрын
わかりやすい解説ありがとうございます😊🙇‍♀️
@nagaotakahiro803
@nagaotakahiro803 10 ай бұрын
@@pino2747 様 しかし、動画でサムさんが語られた八咫烏はオオタタネヒコという記述は「出雲王国とヤマト政権」で確かに書かれているのを確認しました。 大元出版の本の中で八咫烏については記述が分かれております。 出雲口伝を考察されているブログには「八咫烏についてははっきりされていない」と記述されており、曖昧です。 全て確認はしてませんが、私が購入した「出雲王国とヤマト政権」の系図と、知人が購入した「出雲王国とヤマト政権」の系図に若干の違いがあります。 私の持っている本の系図では高照姫と下照姫は異母姉妹なのに、知人の本では親が同じ姉妹になっていたり、名草姫も2人おり別々の男性と婚姻関係となっていたりします。 ヒボコ来日、上陸に関する記述においても大元出版の出版物で若干ニュアンスが違っていたりするので出版物内の時系列も含め、非常に注意が必要な内容となっていると改めて認識しました。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
​@@nagaotakahiro803 さま 大元出版の著者によっても、 若干の違いは多々見られますね。 同じ著者でも、 本によって変化があります。 大昔の話ですから、 ここまで詳しく残っているのは、 大変貴重であり、 更に膨大な情報量を伝えてゆくことは、 ご苦労であったと思います。 現在、本になって 出版されるようになりましたが、 ご当人の中でも、 伝承だけでなく、 色んな文献や 他の伝承なども考察しながら、 整合性を求めて、 日々、新しい考えに なっておられるのではと 想像します。 ですので、 本が絶対というわけでなく、 それを元に 自分の中でも納得のいくものを楽しみ、 あれっと思えば、 自分で答えを探すのも、 楽しいことです。 賀茂建角身命については、 大賀茂津身という人が、 オオタタネコの孫の代にいます。 第二次物部東征で ヤマトを追い出され、 山城ヘ移り、 この子孫が賀茂神社を創建しますが、 賀茂建角身命は 賀茂神社の祖神のひとりですね。 八咫烏と呼ばれ、 玉依姫の父でもあり、 賀茂神社の祖でもありますから、 オオタタネコと 三島溝咋(玉依姫の父)と 大賀茂都身を一緒にして、 神社の御由緒が作られていると 思います。 正史が神武東征神話を作ったので、 神社の方でも それに合わせるカタチで 作られたため、 3つが重なってしまったと感じます。 富士林さんの本では、 大賀茂津身は オオタタネコと同時代と 系図にありますが、 三輪家・賀茂家の系図では、 オオタタネコの2代後になっていますし、 山城に移った経緯が、 第二次東征時の 登美家の当主だったということですので、 第一次東征の八咫烏とは、 オオタタネコであれば わたし的には 整合性がとれます。
@nagaotakahiro803
@nagaotakahiro803 10 ай бұрын
@@girasole4172 様 丁寧にコメントを入れて下さり感謝致します。 が、書かれた神々の繋がりを記している系図が無いので理解出来ませんでした。。 書かれている神は分かります。どこの誰は認識出来るのですが、繋がりを示す物が残念ながら持っておりませんので分かりませんでした。 しかし参考にさせていただきますので解説ありがとうございます。 girasole様の想いは理解出来ますが、購入した同タイトルの本の中で購入時期が少しズレた程度で記載が変わっているのは正直、口伝への信憑性に関わってくるとこですから疑問です。 改訂したのであれば「改訂版」として販売するべきだと思います。 大元出版は過去に取材を受けて発売された本があまりにも内容が違いすぎて無念だった思いを受け継ぎ立ち上げた出版社と聞いております。 で、あるなら尚更です。 タイトルが違う本、著者が違う本で内容が異なるのは理解出来るとこでもありますが、同じタイトルでかつ同じ著者である本で購入時期が違うだけで系図が変わっているのは理解し難いです。 私の持っている「出雲王国とヤマト政権」では下照姫は八千矛王と◯と記載された姫と思われる人物の娘です。高照姫・味鋤高彦とは異母兄弟。 しかし、知人が購入した「出雲王国とヤマト政権」の系図では八千矛王と多岐津姫の子は高照姫・味鋤高彦・下照姫と兄弟となっております。 それはいかがなものかと思います。この本、大女夫か?と思われても仕方ないのではないでしょうか。
@girasole4172
@girasole4172 10 ай бұрын
​@@nagaotakahiro803 さま 返信、ありがとうございます♪ おっしゃる通りだと思います。 更に、わたしが読んでいて、 どう読んでも文脈的に 間違いだという文章もあり、 自分で鉛筆で人物を 書き直しているところもあります。 全体的に見て、 普通なら 校正係がちゃんと直すであろう、 凡ミスや、 回りくどい表現が多く、 素人出版という感じが否めません。 お書きになっている出版の経緯は、 吉田太洋さんの本のことですね。 ひとつのきっかけには なったろうと思いますが、 本当に重要だったのは、 別のところだったろうと 思います。 最初に富當雄氏が 本を出したとき、 出版されるや否や、 全部買い取られ、 活版まで持ち去られたという 尋常ではないことが起こります。 出雲では、 絶対にこの伝承を 外に出したくない人たちが、 実際に存在するのです。 ですから、 自ら出版社を立ち上げ、 本当に信用のおける人たちだけで、 ゆるい内容の本を出しながら、 売り上げが目的ではなく、 いつか世間が 受け入れてくれる状況になるまで、 細々と出版社を維持して来たのだと 勝手に想像しています。 普通なら雇うべき、 プロの校正係もいない状態で。 人選は一番慎重だったと思います。 いつまたスパイがもぐりこみ、 活版ごと消してしまうということが、 あり得るからです。 初期のものは、 一般的な歴史に かなり合わせてあるようです。 世間を刺激しないためです。 ですが、 今、こんなに世間に出回るようになり、 もう、消し去ることは 不可能だと思います。 《改訂版》ぐらいは 入れて欲しいですね。 わたし個人的には、 全てが伝承ではなく、 筆者のそれぞれの観点が入り、 深まってゆく中で、 内容が変わってゆくのは、 好ましく思います。 (吉田太洋さんのは、 伝承部分が少なすぎですが) 宗教の教祖の教えではないことが、 感じられるし、 歴史なんて皆、伝聞なのだから、 本当のことは誰にも分からないと 思っています。 自分の考えだって、 毎日、アップデートしています。 他人の文章を丸呑みするのではなく、 自分の頭で考え、 自分の中で世界を構築していき、 他人がどう思うのも 自由であるべきと 考えています。 些細な違いは自分で考えれば良いですが、 これほどのものが、 表に出たこと自体が、 重要だと思っています。 ですが、 かなり有名になりましたので、 出版ももう少し、 プロ意識を持って、 おこなって欲しいですね。 全く、賛同いたします。 貴重なご意見、 出版社にお伝えになったら いかがでしょう?!
@littleriver1281
@littleriver1281 10 ай бұрын
初コメ0回視聴!これは神が私に見ろと言っている!
@user-up9os1mm3i
@user-up9os1mm3i 10 ай бұрын
🎉おめでとう❣️
@ezMoMongar
@ezMoMongar 10 ай бұрын
これだけルーツの重要地点を整理してもらえると面白くて益々知りたくなってしまいます。 執念にしても徐福が一代でこんなに首尾よく日本に食い込めるのかな というのと、 神社の神様って血や死などの穢れは相容れないイメージなので鳥居の由来や生贄は、何だか異質な感覚が??
@boudare2111
@boudare2111 10 ай бұрын
血は不浄ですもんね。 門を赤く塗るって意味では過越祭と繋がるんでしょうが、防腐効果が高く珍重された「丹(水銀朱)」の朱色が鳥居の朱の意味だと思います。
@ezMoMongar
@ezMoMongar 10 ай бұрын
​@@boudare2111 なるほどー。鳥居の朱色は赤色と別物で本質は祓いの方なんですね。
@yuichi8167
@yuichi8167 9 ай бұрын
銅鐸が突如、出雲と近畿で作られなくなった理由がピッタリですね。 一世紀前に出雲で作られなくなり、その後近畿でも作られなくなった。 そして銅鐸の事は古事記、日本書紀に出てこない事にも繋がりますね。
@user-sb3mk4wh1i
@user-sb3mk4wh1i 10 ай бұрын
最近、八咫鏡は他の神器と比べても特別な物で移動する事すら禁止してると言う話を聞いた。 今回の話が本当だとしたら非常に納得。 現天皇即位の時にも、勾玉と天叢雲剣は儀式に使われたけど、八咫鏡は移動する事が出来ないので使われなかったと言っていた。 ヤバい位、ピタピタ‼️ 八咫鏡を御祭神としてるならおいそれと移動出来ないよね。 次も楽しみにしてますよ〜
@user-fh5ray9j4w
@user-fh5ray9j4w 10 ай бұрын
凄い伝承ですね😄細かい所はどちら側から見るかで変わって来るのでしょうが、大筋の流れは凄く良く妄想出来ます。👍 DNA的に見ても出雲にはD1b系の方が多く残っている様ですし、2〜3万年前にチベットから分かれた人達が日本とインドに現在もいます。そして皇族に繋がる方達が中東からの帰国組だとすると、現在のイスラエルと同じ様にレビで有る一族(皇族)はD1bを継承していて、そうで無い人は女系継続をしながら戻って来たので秦氏はD系では無いのかもしれませんね。でも不思議なのは現代のレビは同じyap+でもE系なので一族丸っと引き上げたと言う事なのか…謎が残ります。😁
@user-fs5kh9bc4u
@user-fs5kh9bc4u 10 ай бұрын
イスラエルのレビ達は、ハマス憎しでパレスチナ人を殺しまくる今のイスラエルの状況をどう見ているのだろう…。コメントを読んでいて、ふと、そのようなことを思い浮かべました。
@rosegold9567
@rosegold9567 10 ай бұрын
インドのチベット人が日本人に似てた!
@user-bd9ms3rd8t
@user-bd9ms3rd8t 10 ай бұрын
秦氏はユダヤ人てのは昔から言われてましたね陸続きだったのかな~?世界は仲 良くして欲しいですね
@biwa108
@biwa108 10 ай бұрын
出雲族が南インドからやってきたドラヴィダ人ではないかと言われるように、農耕文化が伝わる以前に、大航海する人が先に居たのでは?とも考えられています。陸ルートだと、お前ら俺達の土地を通るなという争いに巻き込まれるので、海の道から物々交換(貿易)した方がWIN-WINの関係で利益も出しながら、新しい知識を持っての移動も出来ます。なお邪馬台国と同じ読み方の耶婆提国がインドネシアのジャワ島ですが、南インドから東南アジアの交易、そして東南アジアから九州への交易もありました。魏志倭人伝に倭人は甕棺で埋葬する風習があると書かれていますが、これが南インドから九州に至る海の道の人達なので、もはやユダヤ人以前の人達(自分達が何人とかの自覚はない)が日本まで渡ってきた可能性はありますね
@user-haniru
@user-haniru 10 ай бұрын
この様に真実の歴史が広く知らされ世界を裏で動か構図も明かされUFOまで公開され本当に地球は大転換機なのですね! ありがとうございます!
@user-lu3jr4wr1c
@user-lu3jr4wr1c 10 ай бұрын
孝霊天皇のくだり、いよいよ四国でしょうか。。ワクワクします。あと伊賀忍者も出てきて楽しいです。一武将に所属する忍、から、もっとルーツや背景が複雑だったのだなと認識が変わりそうです。
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
出雲口伝では、ほぼすべての本を持っていますが、四国に特化した伝承は確かなかったかと思います。 これは元々四国が古くからの出雲と加茂氏の領域であったためです。 故に国造も阿波国の南でしたっけ?長氏国造家は、事代主系、つまり富家の分家です。 銅鐸も宗教戦争での埋納となりますから、吉備国侵攻か物部東征での埋納と考えられ、四国の銅鐸の埋納は、出雲族か安倍に近い磯城家(尾張家)によるものと考えられます。 ただ、その時代は吉備国は平型銅剣を配ったと思われますので、銅鐸は吉備国の物ではないと思われます。 遺跡などにも裏付けられているケースとしては、第一次物部東征前のヒボコ播磨侵攻→敗残勢力が伊都島半島と淡路島に逃げ込んだ→ごっさかいと遺跡(景初以前の時代の鍛冶遺跡)があります。 出雲の分家の忌部氏はそのころに物部氏の一族のふりをして自分たちを守ったようで、部民としての独立はかなり後年になってからと思われますので、あくまで出雲族として物部の追及をかわすために銅鐸を埋めたのだと思います。 ただ、全国で11個ある最古形式の銅鐸は四国ではなく淡路島から出ていたと記憶していますので、戦乱による後退を意味するのであればなおさら忌部勢力による埋納ではないと考えられます。
@user-lu3jr4wr1c
@user-lu3jr4wr1c 9 ай бұрын
@@110nari8 さま ありがとうございました。私の知識が全く追いついてなさそうで恐縮ですが、よく聞く阿波忌部氏は事代主系出雲族なのに、徐福系物部氏のふりをして残ったと理解しました。違ってたらすみません。でも出雲伝承に四国の記録は残っていない、がほんと不思議です。ANYAチャンネルさんもみましたが混乱してきます。大量の祭祀道具は攻められたから埋めてしまった、もしくは自分で埋めた?と。ということは大和とかの前に占領されたということなのかな。ほんと奥深い…私は形や名前を変えたり隠す事で、でも本当に大切なものは守ったのかなぁなんて勝手に妄想しております。
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
@@user-lu3jr4wr1c さま まず忌部氏に関しては、部民姓を賜ったのが後年と思われ、それまでは事代主の分家であった為、単独で名前が残らなかったのはおかしなことではなかったと思われます。 四国の古い部民姓に因んだ大化時代の主要な地名に、忌部は出てきていません。物部とか服部とかそういうのは昔からあったようです。(大陸霊帝ゆかりの渡来氏族である綾部地籍まで出てきているのに忌部地籍はありません) 綾部家は柿本人麻呂の本来の実家の家柄です。柿本家に入る前は綾部人麿と言ったそうです。 後年の律令時代には全国に那賀郡と、海部がおかれましたが、那賀郡は中津臣(中臣=藤原)の管轄です。 まず、阿波という地名の由来も3つほどありますが、その一つに事代主に因んだという説があります。 事代主が国譲り事件で遺体が見つかったのが粟島という場所だったからです。 国造の事代主系の長氏の存在もあり、地名に残るかどうかの勢力の話もあり、正直、巷で騒いでいるほどの歴史が忌部氏単独で説明できるとは到底思えません。
@kdmdouble
@kdmdouble 10 ай бұрын
銅鐸祭祀が今どのような形になって生きているかが気になりますね。 後に仏教伝来に伴い梵鐘となって生き続けている、と想像しましたが、元は中国由来であることに加え、大型の銅鐸に打痕が見つかってなきゃいけませんし……無理がありますか。 ただ、物部と蘇我がここで出てきた訳ですし、仏教伝来や聖徳太子とも繋がってくる気がするんですよね。今後も気になります。
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
出雲伝承興味を持っていただいたようでうれしいです。 その辺の下りは大元出版の「上宮太子と法隆寺」という、第二版の本に出ています。 初版の飛鳥文化と宗教騒乱という本は現在では絶版になっていますが、内容はほぼ同じです。 尚、第二版の本のカバーの裏には、富編集長の写真が密かに乗っています(だいぶ若い時の写真wwww) 多分設定的には結構後の動画になると思われます。
@user-nb1zq6qw2u
@user-nb1zq6qw2u 10 ай бұрын
こう言う話しを聞いてるとワクワクして眠れなくなる😅
@user-xv5mx5sn8j
@user-xv5mx5sn8j 10 ай бұрын
マサキさんの村の話が何時も出てきますが、いったいどんな村なのか気になっています。村の活動を動画で定期的に出して欲しいです!
@user-tl3ky4kc8g
@user-tl3ky4kc8g 10 ай бұрын
スネちゃま回キター 日本神話のキャラでけっこう好き
@junbinonaimononi-
@junbinonaimononi- 10 ай бұрын
徐福とか、竹内宿禰とか、寿命がチートな存在は世襲というか、プロジェクト名なのかなと思ったりします。 堤幸彦監督のスペックに出てきた津田助広みたいな。
@user-fh5ray9j4w
@user-fh5ray9j4w 10 ай бұрын
私もそう思います。スサノオも文明開花の為の現象であり魂の様に思っています。
@user-ve7cc8jg3u
@user-ve7cc8jg3u 10 ай бұрын
出雲口伝、まだ個人的に信憑性が薄いところが多少ありますけど、確かに先代旧事本紀では物部氏は九州から始まったとされてます(*´-`)九州の佐賀県に徐福の伝承がたくさんあったり、物部神社も佐賀県みやき町にあったりするので、徐福=ニギハヤヒ=物部というのも案外本当でもおかしくないのかもしれません(*´ー`*)
@gfgxxxQoQ
@gfgxxxQoQ 10 ай бұрын
次の本は図解ピタピタ神話パラレルワールドでお願いします! オリジナルのイラストで神様をビジュアルで把握できるのがありがたい!でもオシホミミが好きw とりあえず、出雲口伝は司馬さんはなんでトミマサオさんをW氏にしたんだろう、という謎で早くも行き詰まってんですけどww
@maji-co
@maji-co 10 ай бұрын
大田タネヒコさんの、糸目顔と見開き顔の切り替え演出が秀逸すぎて、内容が頭に入ってこなかったw (大事なとこなのに…w)
@user-ph7wk3vn5r
@user-ph7wk3vn5r 10 ай бұрын
何回も見て復習します。
@user-kj4tm9nf2l
@user-kj4tm9nf2l 10 ай бұрын
前出でしたらごめんなさい。どうか是非手塚治虫さんの火の鳥太陽編、宇宙生命編の考察と、日本人本来(ユダヤ人入植前)の本当の日本の土地神と産土と共存していた遺伝子の記憶を呼び覚ましてほしいと願います。私には土地を護り大きな振動を和らげる方法しか思いつきません。サムさん方なら言語化して日本人意識を大きく変換させることが出来るのでぜひお願いします。
@nyao561
@nyao561 10 ай бұрын
小説読んだよー!読みやすかったよ〜😊友達にも勧めるね!
@yu-kari1071
@yu-kari1071 10 ай бұрын
面白かった~! やっぱり出雲口伝すごいわ✨ 銅鐸、銅鏡の辺りとかとくに!
@user-no7yd7tj4j
@user-no7yd7tj4j 9 ай бұрын
つい最近ふしぎ発見でやってた福岡の古墳から出てきたビーズのような装飾がおそらくエジプトで作られてたって話ともはまって驚いた エジプトとイスラエル(パレスチナ)も地理的に近いしこれも物部に繋がるんだろうか
@user-wn8rb4jc6b
@user-wn8rb4jc6b 10 ай бұрын
そう言えば北九州とその周辺は平安時代前半まで物部氏一族が支配していた様子。 企救物部(現在の門司区)、遠賀物部(現在の水巻・海老津付近とその周辺)、香春物部(現在の小倉南区の南部)…etc. ちなみに今も子孫が居て、複数が神社で働いてるみたい。
@maritbird3571
@maritbird3571 10 ай бұрын
出雲口伝は少しだけ知ってましたが、今回の出血大サービスデクラスは驚きの連続でした。 象徴はまさかの太田タネヒコ〜〜!😂
@user-mn8xm7mj3s
@user-mn8xm7mj3s 9 ай бұрын
いつも楽しくワクワクさせていただいてます。 私の叔母が嫁いだ先が村雲さんです。 ビックリしました。
@user-ou2uz3zr4f
@user-ou2uz3zr4f 10 ай бұрын
初めてコメントします。 いつも楽しく動画を拝見させて貰っています。 実家の近くの熊野神社で1月に蘇民祭という裸祭りが行われているのですが、今回の動画で蘇民の意味がその様な事だと知ってびっくりしています‼️
@crow-lt1lu
@crow-lt1lu 10 ай бұрын
伊勢神宮の内宮に祀られる興玉神は猿田彦又はその子孫の大田命の別名であると神名秘書に記されていて 大田タネヒコは猿田彦と深く関係しそう。なんとなく八咫烏と猿田彦は被る点が多い感じがする ちなみに伊勢神宮の興玉神は一般人の立入りは禁止されていて参拝できません
@user-gs3bs2cp2b
@user-gs3bs2cp2b 10 ай бұрын
十三って😓大阪にも同じ地名があるけど。。。 そういうことなんか?😱
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
土佐も十三湊も全部富と読めるのと、富山も富士も、そのような語呂合わせの地名はほぼ富に関係するという意味だと思います。あとは鳥見や鳥海もとみと読んだらしいです。ただ、富家の以前の名前は向家なので、北海道に富がつく地名がやたら多い理由はよくわかりませんが、単にお金持ちが多かったのかも知れません。
@user-gs3bs2cp2b
@user-gs3bs2cp2b 10 ай бұрын
@@nihontaro9 豆知識サンキュー👍面白かったし、少し豆知識ふえた😄
@nihontaro9
@nihontaro9 10 ай бұрын
@@user-gs3bs2cp2b 様、 喜んでいただけると、とても嬉しいです。 有難うございます。
@user-vy2uw4yi8v
@user-vy2uw4yi8v 2 күн бұрын
😊​@@nihontaro9
@biwa108
@biwa108 10 ай бұрын
日本書紀は藤原不比等が編纂に関わるので藤原氏史観の歴史書ですね。出雲口伝は、藤原氏以外や藤原北家から追いやられた元は藤原氏だった人も含めた皇室に関わりのあった人達の歴史書とも言えるのかもしれないですね。 ユダヤ説は、宇宙人説がいきなり出てくる感じなので抵抗感あります😅
@恙恙
@恙恙 10 ай бұрын
えーでも中華で非常に栄えた景教とか原始キリスト教ですけどそれって教祖以外はほぼほぼユダヤ教だったって事ですよ😁
@biwa108
@biwa108 10 ай бұрын
日ユ同祖論もあれば朝ユ同祖論もあるので、統一教会の文鮮明も朝鮮民族も虐げられた民族だから失われた十支の末裔だと布教してるので、ヤバイですね。 またGHQは昭和天皇を政治利用するためにやってきて、今も天皇陛下がロックフェラー財団に挨拶に行かれる。 ロックフェラー財団はユダヤの大富豪なので、天皇とユダヤを結びつけるのは危険。 皇室を消滅させたい人達が、天皇=ユダヤ説を好むので、よろしく無かったりします。
@user-ye2zt6su8k
@user-ye2zt6su8k 10 ай бұрын
知り合いに登日と書いて「とび」という苗字の人居たなぁ…兵庫出身だったけど。 漢字は違うけど読みが一緒なので聞きながらなんか気になってしまった😅
@piyopiyo8r
@piyopiyo8r 6 ай бұрын
愛知県民目線から見てて、村雲と尾張国のルーツの話が衝撃だったのと、真清田神社に尾張開祖の神として天火明命が祭られているか繋がってきて興味深かったです。 出雲口伝は正史というより一説としてではありますが、 いままで漠然と地元なんかあるな〜と思っていたものが、もっとルーツを調べて見たい、面白い、と思えるきっかけになりました。
@user-je5bh7hs2b
@user-je5bh7hs2b 10 ай бұрын
武璒神が南の方に后を探しに行く途中で蘇民将来、巨旦将来に会う話に出てくる南の方の地は徳島県海部郡海陽町宍喰地区と宍喰の伝記に書かれてました。 宍喰には八阪神社があり日本三大祇園の一つです。一説には宍喰八坂神社が元祖だと言われてます。宍喰では疫病まじないとして大正時代頃まで茅の輪を戸口にぶら下げる風習があったそうです。また、八股オロチを退治したあと助けたアシナヅチの娘と結婚したと言われてますが、宍喰と言う地名は「阿波脚咋別」が古名だと言われ関係性が強いと思うのですが… 四国の端っこの田舎に古事記に出てくる伝説があるのは不思議でないですか?
@110nari8
@110nari8 9 ай бұрын
蘇民将来って、渡来の物部氏が、我々を大事にしないと罰が当たるぞって流した風説だったような気がしてなりません 蘇民=蘇州=スサノオ族ですよね
@user-dv3fo5dm6c
@user-dv3fo5dm6c 9 ай бұрын
ちなみに徐福は元の名前はジョセフだとおもいます。
@user-3khm6c12k9
@user-3khm6c12k9 10 ай бұрын
あ、会津〜😭この話何度聞いても泣ける
@tokiwa52869
@tokiwa52869 10 ай бұрын
いつも有難う御座います🙏 八咫烏様〜 待っていました!!
@mlkankagi261
@mlkankagi261 10 ай бұрын
今までの考察動画と一致していて、伏線回収回ですね。青森県がとても熱いです。そろそろ青森県リサーチをお願いします🤲
@user-vc1ic6mp2o
@user-vc1ic6mp2o 7 ай бұрын
いつも有意義な動画有難うございます。大加茂真也著「八咫烏の超日本史」もぜひ参照してみて下さい。
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