急行宗谷 函館駅発車まで

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急行宗谷

急行宗谷

Күн бұрын

録音:1976年(昭和51年)6月5日
青函連絡船に接続して道内各地へ次々に列車が発車し、その間にも入れ換え作業が行われていて活気がありました。
動画を撮りたくても、8ミリフィルムは高価で手が出せず、せめてもと音を録りました。
宗谷の自由席に着席後はずっとテープを回し続けた長い録音ですが、適度に編集しました。
00:00 各列車案内
01:39 宗谷発車前車内放送
04:12 江差・松前行発車
05:46 おおぞら3号発車
08:09 おおとり発車 すずらん1号到着
11:00 宗谷発車

Пікірлер: 137
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 Жыл бұрын
かつては急行摩周釧路行、急行オホーツク網走行、急行宗谷稚内行の三階建て列車が網走行、釧路行が特急おおとりになったと同時に急行宗谷は小樽経由になり、さらに釧路行が特急おおぞらとして独立してこの姿になりました。5分おきに発車するのはかつて三階建て急行だった名残です。国鉄がまだまだ元気だった時代ですね...
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
乗客が飛行機に移り始めた頃ですが、まだまだ広域輸送を担っていた国鉄の頼もしさが感じられました。
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p Жыл бұрын
三本立ては今の北斗9号、11号、13号に相当する 今は約1時間の間隔で出るようになった
@user-nr1wq1xb2j
@user-nr1wq1xb2j Жыл бұрын
当時は石狩平野を堂々の15両編成で走る多層建て列車だった様です。
@asakazefuji
@asakazefuji 2 ай бұрын
この1976年に実施された大幅値上げで航空への転移が進みましたね 東京~札幌では1965年にはすでに航空のシェアが高くなり、70年代前半は国鉄は輸送量横ばいで航空だけ年々上昇していましたが、後半になると国鉄は輸送人員が減少に転じます。そして青函連絡船の減便、千歳空港駅の設置で広域輸送から撤退した格好となりました。
@anklady
@anklady Жыл бұрын
まだ函館が北海道の玄関だった時代、懐かしいですね。そしてスケール感が半端ないです。「おおとり」「おおぞら」が全席指定も、特別感満載です。自由席や青函連絡船に乗船するのに乗船通路を走ったのを思い出します。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
この時も連絡船を降りて急ぎ足でホームへ向かいました。まだまだ乗客が多かった時代です。 「宗谷」はほぼ満席になり、ウロウロしながら写真を撮ることができませんでした。 発車間際になると降りる人もいました。見送りの人が座って喋っていたのですね。見送りの人も多い時代でした。
@user-vb8zd2we7j
@user-vb8zd2we7j Жыл бұрын
稚内駅まで行くのに、現在函館駅から博多駅まで新幹線で行く場合の所要時間に匹敵。
@user-rh9cf8mp5e
@user-rh9cf8mp5e Жыл бұрын
初めて北海道に行った時は、寝台特急はくつる、連絡船23便からの特急おおとり乗り継ぎでした。いい時代だったなぁ
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
「はくつる」から「おおとり」とは豪華旅ですね。わたくしなどは急行の自由席がほとんどでした。それでもいい時代でした。
@user-wj5xh2cl9q
@user-wj5xh2cl9q Жыл бұрын
東北線廻り電車寝台から早朝便のお金に余裕ある旅行者の王道乗り継ぎですね。(笑) 私も小学生時代に函館の親類宅までこのルートを使いました。 でも学生時代からは八甲田でした。
@user-uz1vj3nw5e
@user-uz1vj3nw5e Жыл бұрын
電車🚃寝台特急「はくつる」、高校生時の修学旅行で上野から青森まで、利用したな。(60代道民)
@hiro825yc
@hiro825yc Жыл бұрын
客車ホームが4番線までしか無かった当時の函館駅で列車のやりくりしてたのが凄いですね! また、懐かしい音源と共に駅構内の賑やかな様子も思い浮かんで来ます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
優等列車の連続発車に到着列車、貨物の入れ換えなど、当時の函館駅の活気を感じ取って頂けましたら嬉しいです。
@user-wj5xh2cl9q
@user-wj5xh2cl9q Жыл бұрын
今の函館駅5番線のある場所には、かつて連絡船に載せる貨車が沢山、停まっていましたね。当時はコンテナ以外にも色んな種類の貨車がいました。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 11 ай бұрын
基本青函連絡船発着にあわせて列車の発着が行われていたので0~4番の5線でいけたのでしょう。今は余剰過ぎているのは何か残念...
@yuuharupapa
@yuuharupapa Жыл бұрын
投稿お待ちしてました、今回も貴重な音源ありがとうございます 当時の函館駅の賑やかな雰囲気が伝わってきます
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
質素なスライドショーでも、待っていて下さる方がいるとは嬉しいことです。 当時の函館駅の活気を感じ取って頂けましたら幸いです。
@user-zu4ve3ni1o
@user-zu4ve3ni1o Жыл бұрын
発車ベル、札幌駅も昔この音でしたよね😊懐かしい😍
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
懐かしさを感じて頂けましたら何よりです。
@kokikoki-cd2jn
@kokikoki-cd2jn Жыл бұрын
愚直に函館から釧路、網走、稚内へと直通、さすが昭和。こうでなきゃいけない。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
広域輸送を担っていた国鉄の意気込みですね。まだまだ価格面では飛行機よりも優位な時代でした。
@user-wk2ij1fr9g
@user-wk2ij1fr9g Жыл бұрын
大阪~青森~札幌~稚内経由でS53年白鳥、青函連絡船、特急おおぞら1、急行天北号で行ったバージョンです。大阪からだとこのルートしかないので、時間的に宗谷号は無理でした。北海道って、大きいですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
稚内へ行くは「宗谷」だと到着が夜遅いので「天北」が便利でしたね。 「天北」は便利な時間帯だからか、混んでいた印象です。
@pad53835
@pad53835 Жыл бұрын
この時間の函館駅はゴールデンタイムですね。上野を夜出るとこの時間になるわけで。江差松前行きも脇役で頑張ってますね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
連絡船の深夜便に接続して、早朝に「おおぞら」「北海」「ニセコ」と続く時間もありますが、やはりこの時間が一番ですね。鉄道輸送の頼もしさを感じたものでした。
@user-lp6jb4ej5g
@user-lp6jb4ej5g Жыл бұрын
今回もありがとうございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
こちらこそご視聴とコメント有難うございます。
@ichidoureysol1964
@ichidoureysol1964 Жыл бұрын
1976年(昭和51年)録音との事で、さすがにこの頃の思い出はNETテレビ(テレビ朝日)朝7時台放送の国鉄提供番組「みどりの窓口」で、特急おおぞらもおおとりも毎日のようにグリーン席も普通車指定席も満員だった記憶しかありません。急行宗谷号指定席は取り上げられなかったと記憶します。 青函連絡船5便に青森で接続していた、寝台電車特急の常磐線経由ゆうづる3号?と東北本線経由はくつる号も満員だった記憶が有るだけです。 おおぞら3号、おおとり号、宗谷号ともにこの時代には乗車出来ませんでしたが、1982年に辛うじて別列車ながら食堂車キシ80で海鮮フライ定食を食べながら乗車して、宗谷号には乗車する事が叶いました。おおとり号は無念です。各列車各路線のその後の運命を思うと無情ですが、音声記録だけでも伺えてとても嬉しいです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
「国鉄みどりの窓口」見ていました。懐かしいですね。鉄道ジャーナル社が作成した「走れ!特急」シリーズは毎回楽しみでした。
@speedbird1209
@speedbird1209 Жыл бұрын
いやぁ懐かしいですね。これら列車に乗って北海道に行ってました。1976年頃のおおぞら2号は併結編成で6+7両の13両長大編成でした。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
下りおおぞら2号は滝川で旭川行きと釧路行きに分割されていましたね。旭川に顔を出す「おおぞら」が異色でした。
@user-zi8jl2fp9p
@user-zi8jl2fp9p 4 ай бұрын
松前線は今の津軽海峡線でしょうか?この時代のロングラン列車は終点まで給油せずに走れたのですよね。当事の車掌さんの手記には途中給油したことは書かれていなかったので
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 4 ай бұрын
青函トンネルは、当初、松前線の渡島福島付近に接続する構想だったようですが、将来の新幹線構想を見据えて木古内で接続になったようです。 昔は津軽海峡線に乗っていると、車窓から時折松前線の廃線跡を見ることができましたが、今では廃線跡もわからなくなりました。
@user-cv8tl5xc3r
@user-cv8tl5xc3r Жыл бұрын
この時の、活気ある時の函館駅行きたかったなぁ~。 まさに、北海道の玄関口でしたね❗ それが、今は…。😔
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
何と言っても青函連絡船の存在が大きかったですね。 青函トンネル開業後は、寝台特急の発着や海峡線と函館本線の接続などで、別な賑わいを見せてくれていたのですが・・・
@user-br1yz8wf9y
@user-br1yz8wf9y Жыл бұрын
去年、車で北海道に行ったときに稚内駅に行きました。 線路が終わってる場所で「ああ、これが日本で一番北の線路か」と感慨深かったです。 昔はもう少し先まであったようです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
北の最果て稚内・・・という響きだけで行ってみたい気持ちになりますね。 戦前はドーム式防波堤の中まで線路があって、多くの人が樺太へ渡る船に乗り換えていた・・・と遠い昔の情景を想像いたします。
@user-pq1hp5xo1j
@user-pq1hp5xo1j Жыл бұрын
青函連絡船の食堂で食べた海峡ラーメンがめちゃくちゃ美味かった。懐かしいなぁ。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
海峡ラーメンは人気メニューでしたね。値段もまあ手頃だったのかな。
@tukemen
@tukemen Жыл бұрын
北海道の端から端。半日かけて乗ってみたかったですね。大変でしょうけど。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
現代は車両が快適になり、乗車時間も短くなりました。長距離を行く列車がなくなり、乗り継ぎになりますが、乗り継ぐ駅で食料や飲料を仕入れる旅もまたよきかな・・・と思っております。
@user-nb6dg4qu8m
@user-nb6dg4qu8m 2 ай бұрын
稚内までほぼ半日かぁ・・・リクライニングのグリーン車でも体バキバキになりそう。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 2 ай бұрын
直角、4人向かい合わせのボックスシートで長時間はきつかったですね。グリーン車は高価で雲の上の存在に感じました。
@user-ty1jb4er6m
@user-ty1jb4er6m Жыл бұрын
昔特急と言えば山線が当たり前だったのに今では海線になっちゃいましたね❗
@sarah_connor48
@sarah_connor48 Жыл бұрын
全部のエンジンが「カラカラカラカラ」ですね。 釧路に帰るときは、基本は1便系列で、5便系列は遅すぎるのでつかわないで遅くても3便系列でした。 函館の11時ってのは釧路の真夜中でしたね。 自由席はホームを走れよ、と言わんばかりの前の方w それにしても、すずらん1号の釧路行きってのが気になる・・・・ 何もかも皆懐かしい
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
釧路行き「すずらん1号」は夏休みの頃に運転されたようです。札幌までなら9月の祝日などにも運転されたようです。 混雑を避けて夏には旅行しませんでしたが、「釧路行きすずらん」という放送を録音したかったです。
@AS-wt8vq
@AS-wt8vq Жыл бұрын
昔の特急は食堂車もあって優雅だったな。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
食堂車もやがては一部のブルートレインや新幹線だけになり、それも廃止になってしまいましたね。 近年流行のレストラン列車よりも「食堂車」という雰囲気の方が優雅な気がします。
@kazkonishi4026
@kazkonishi4026 Жыл бұрын
当時は8ミリフィルムは高価でしたね。一眼レフカメラもコダックフィルムも高いと感じておりました。周遊券で夜行急行列車を宿代わりにしていた時代です。いい時代でした。音聞けるだけでも、私は国鉄時代の過去の旅の回想が出来て、自分勝手に楽しんでおります。音、最高ですよ。脳トレーニングにもなります。ありがとうございます。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
高品質な音源ではありませんが、過ぎた遠い昔の情景を心に描いて頂けましたら嬉しいです。 目に映る写真や動画よりも、むしろ耳から入る音声の方が、人それぞれに様々な情景を思い描けるかな・・・とも思います。
@user-kd4hc4rd7i
@user-kd4hc4rd7i Жыл бұрын
あさひがわ と言うのが時代だな
@user-nj7cj1zz8j
@user-nj7cj1zz8j Жыл бұрын
停車駅や経由地は違いありますが、3連続で函館から滝川まで並走する列車が走るの圧巻ですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
「おおぞら3号」の5分後に「おおとり」が発車ですが、その間隔が微妙に開いていき、札幌到着の時点で間隔が13分に開き、両者の間に「いしかり5号」が割り込んでいました。札幌からは「いしかり」の5分後に「おおとり」が追いかける感じです。 当時の時刻表を眺めていると楽しいですね。
@tomiyakaratomikawa
@tomiyakaratomikawa Жыл бұрын
当時の函館駅を振り返ると、出口改札の左手には公安、その奥にはトイレとたくさんの洗面台。 待合室には旅のレストラン日本食堂、キオスク、立ち食い蕎麦。 列車改札口は3ヶ所。自由席目指して連絡船下船客と競争。 江差松前線や函館本線ローカルのゼロ番ホーム。 高さが低いゴムが敷いている跨線橋の階段。 ホームのみかど売店、 3・4番ホームの優等列車。 構内の入替風景と控え車。 函館運転所の留置車両どれもこれも懐かしい。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
函館駅も当時に比べて綺麗になりましたが、昔のごちゃごちゃしていた感じも懐かしく思います。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 4 ай бұрын
鰊と石炭が大漁、或いは大量に採れた頃の北海道はまさに黄金の時代。 本州の北の果て、青森から連絡船で着いた函館は、縦横無尽に延びる北海道の鉄道の始発駅。 北海道の鉄道が賑わった黄金期でしたね。 今では考えられない長大編成。 個性豊かな車掌さんの車内放送と駅の放送に、あぁ、今から北の大地を旅するんだなぁって実感。 この動画はいつまでも残して欲しいですね。 この頃の北海道の鉄道を知っている者として思い出に浸れます。 因みに私は大阪在住ですが、国鉄時代からの大の北海道ファン。 地元大阪の鉄道よりも北海道の鉄道の方が利用回数は多いです。 地元の大阪では車ばかりでですからね。 いつも貴重な動画を有難うございます
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya 4 ай бұрын
渡道が青函連絡船から飛行機に移り始めた頃でしたが、まだまだ鉄道も活気があり、函館も北海道の玄関口として賑わっていました。 室蘭本線などで「道外禁止」とあるセキを見ると「北海道だなぁ・・・」と感じたものでした。
@user-xb4qo6my5j
@user-xb4qo6my5j Жыл бұрын
中学の修学旅行で函館から深川まで乗りました。いいですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
中学時代の修学旅行。長い列車の旅ですが、みんなと一緒で楽しかったことと思います。
@tomihisahirano9447
@tomihisahirano9447 Жыл бұрын
ホームにて「そばどんぶり争奪戦」経験しました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
ホームで食べるそば、何とも言えませんね。そんな蕎麦屋さんも少なくなってしまいました。
@tomihisahirano9447
@tomihisahirano9447 Жыл бұрын
@@kyuukou-souya そうですね。音威子府の駅そば、なくなってしまいました。寂しい限りです。
@mtom0114
@mtom0114 Жыл бұрын
当時の函館駅の活気が感じられて感動です。きれいな音源、本当にありがとうございます。私の(記憶のある)初北海道行きは1M、1、1Dの青函深夜便ルートでしたが、函館到着時、気動車列車が3本並んで待っている姿は今も記憶に強く残っています。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
青函連絡船から函館駅のホームに降り立った時の情景は、多くの方が印象深く心に残っていることと思います。 特にこの時間は、江差・松前行き、釧路行き、網走行き、稚内行きと続きましたからね。
@user-vj7xt6fv1f
@user-vj7xt6fv1f Жыл бұрын
山線沿線住民にとっては特急並の格があった急行宗谷でした。まあ、実際この数年後には特急に格上げされましたけどね。それにしても、特急おおぞらが走っていた狩勝峠の手前区間も廃止とは、時代と言えばそれまでですが、寂しいものですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
本当に路線の縮小はさびしいですね。 廃止になる路線にもこんな輝いていた時代があったことを偲んでいただけましたら嬉しいです。
@user-it6kf5ep9c
@user-it6kf5ep9c Жыл бұрын
青函トンネルができる前までは函館駅は賑やかだったのですね。私の母が修学旅行の時に青函連絡船に乗って北海道に行ったようで確か寝台列車日本海→青函連絡船→特急おおぞらだったそうです。おおぞらは全車指定だったようで下船時急がなかったようですが他の列車に乗る乗客が後ろから追い越すように猛ダッシュで駆け抜けたらしいです。父の場合は宇高連絡船に乗った時に高松駅で自由席に座りたいので猛ダッシュで下船したらしいです。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
ご両親がお話ししたことを思い出されたのですね。 このスライドショーをきっかけに、様々なの記憶がよみがえりましたら嬉しいです。
@HokkaidoExpressTrain261
@HokkaidoExpressTrain261 Жыл бұрын
自分はこの時代には、まだ生まれてませんが昔の函館駅には道内各方面に向かう長編成の列車があったのは知ってましたが、まさか5分おきに発車する優等列車があったのは知らなかったですね。現在は函館から道内各地に向かう優等列車は無いですが(特急北斗は除く)。北海道新幹線が札幌まで開業したら、山線は部分廃線、函館駅は特急列車が来ない駅となり、更に特急北斗が廃止もしくは短縮されますね。個人的には青函連絡船時代から2016年北海道新幹線開業までのが北海道の鉄道で一番楽しかったですね。最近は鉄道ファンだった自分、最近はロードバイクにシフトチェンジしてしまいましたが。もちろん、今も鉄道も好きですので、輪行を使った旅行や廃線巡りもしたいと思います。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
遠い昔、青函連絡船があった頃の函館駅の活気を想像して頂けましたら嬉しいです。 新幹線札幌延伸後の函館駅がどうなるか気になります。 新函館北斗から分岐する線路を作り、現在の函館駅に乗り入れて、函館~札幌を新幹線で乗り換えなしにする構想もあるようですが、お金もかかることですし、ハードルは高そうですね。
@user-kq4sd3jh2b
@user-kq4sd3jh2b Жыл бұрын
おおぞらもおおとりも、森も八雲も長万部も通過で洞爺まで停まらなかったんですね。 銅鑼の音がいかにも連絡船って感じで懐かしいですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
この頃は特急と急行が役割分担していましたね。それだけ乗客が多かったということですね。
@user-wj5xh2cl9q
@user-wj5xh2cl9q Жыл бұрын
この列車、洞爺まで運転停車も無く、運転士の連続運転時間ギリギリがこの駅だったのだろうなぁ。 まだキハ183が誕生する前、キハ82のタイフォンが懐かしい。
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p Жыл бұрын
昔のすずらんの停車駅が今の北斗の停車駅になっている
@oomori405
@oomori405 9 ай бұрын
長万部町に住んでいた者ですが、そのおおぞら、おおとりの通過が子供の頃はとても(なんだか)悔しかった思い出があります。特におおとりは一日に1本でしたから「なんで停まらない」と。
@user-rh5kh9wr9z
@user-rh5kh9wr9z 21 күн бұрын
​​@@user-wj5xh2cl9qこの連続運転(函館ー東室蘭)が後に組合で問題視されて両列車が長万部に停車して乗務員交代するようになったかと思います。でもこれから間もなくこの時間帯の輸送力が過剰という事でおおぞらの函館ー札幌間が廃止されたかと思います。
@3poko
@3poko Жыл бұрын
函館駅の賑わいとアナウンスが嬉しくなります。駅弁にもなった「北の家族」ですが、NHK朝ドラはこの番組から記憶があります。NHK朝ドラ100サイトでも見られるオープニングの函館の街と青函連絡船が函館に到着するシーンを見たかったんだと思います。それで小学校へは遅刻寸前でした😅 それにしても函館駅が北海道の入口だった頃の列車の発車は壮観ですね。釧路網走稚内行きが5分ごとに出発。手持ちの時刻表79年12月を見ると、3号が5号として同時刻発になってますが、このままのダイヤでした。でも81年8月を見ると3号は9時40発で5号の運転はなくなっていました。この時点で減量されてたんですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
函館駅の活気を感じ取って頂けましたら嬉しいです。青函トンネル開業後も、寝台特急の発着、ホームの増設、海峡線と函館本線特急列車の接続などで賑わっていました。 新幹線が札幌まで開業した後はどう変わってしまうのでしょう・・・
@user-ty1jb4er6m
@user-ty1jb4er6m Жыл бұрын
それにしても、この駅の数函館から稚内って凄い😲
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
駅に数もさることながら、駅間も長く、北海道の広さを感じます。
@sanfuraibow9998
@sanfuraibow9998 Жыл бұрын
北海道の路線がにぎやかだった時代ですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
時刻表を駆使して、次はどれに乗ろうか迷うのが楽しかったです。
@nekooyaji8736
@nekooyaji8736 Жыл бұрын
駅員氏やカレチ氏の肉声の案内や発車ベル音、旅情や趣があふれてますね。自分も当時、列車を使って函館から北海道旅行をしたことがあるので、とてもなつかしく感じます。それにしても今でも函館から札幌方面に特急列車は出ているのにここまでの旅情はあまり感じないですね・・。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
駅も車内も自動放送が主流になってしまいましたが、たまに北海道を旅行する身にとって、現代の函館~札幌の「北斗」もまた楽しいです。 新幹線札幌延伸後は、きっと「昔は海を見ながら走っていて良かったのに・・・」と思うことでしょう。
@bibilu2007-man
@bibilu2007-man Жыл бұрын
この列車は、上野発の夜行列車を受けた連絡船に接続する列車ですね。 上野からは、急行八甲田、特急ゆうづる、特急はくつるを受けるので、夏休みなんかは超満員だったと覚えています。 周遊券で乗れるのは自由席だけなので、宗谷の自由席は激混みだったのではないでしょうか。 キハ82もキハ56も、食堂車も歴史の彼方に消えてしまったのが残念です。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
この時は6月で夏休みではありませんので「激混み」というほどではありませんでしたが、空席がパラパラとある程度でほぼ満席でした。 長い編成の特急、急行が続発していて、それでも、そこそこの乗車ですから、全体に乗客が多かったのですね。 青函連絡船の全盛期は過ぎていましたが、まだまだ活気がありました。そんな函館駅の雰囲気を思い出して頂けましたら嬉しいです。
@user-fs3bl4fj7v
@user-fs3bl4fj7v Жыл бұрын
急行宗谷8両編成は長い部類ですね。旭川駅止まりありもいかにも長距離列車を表していると思います。そしてあさひがわの呼び名が懐かしいです。また函館駅構内放送もまさに旅の情緒と思いますとともに北海道の玄関口が表れていると思いました。釧路行きおおぞら,網走行きおおとりも名車であったと話します。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
この時は「宗谷」で函館を離れましたが、駅に佇んで眺めているだけでも楽しかっただろうな・・・と思います。
@planertetutabi3531
@planertetutabi3531 Жыл бұрын
列車の始発∕終着駅である函館駅…こうした駅の構内案内放送は一般的な駅の案内には無い一種独特なモノがあり、この時代は優等列車の種類も多く、しかもまだ青函連絡船が現役稼働中の頃で、利用客の人の流れも現在とは異なり、まさに函館駅が活況を呈していた事が、こうした列車旅客案内からも想像できる貴重なモノですね。 函館を発着する各優等列車も、現在と同様に札幌方面に向かう列車では有るものの…更に長距離、長時間を掛けてその先の稚内、網走、釧路に直通する列車がある頃で、当時の一般庶民はまだまだ特別急行や特別車両は贅沢な時代に、急行のBOXシートに何時間も揺られての道中はさぞや大変だった事が想像出来ますね。 駅の様々な列車案内放送、宗谷の車内案内放送、国鉄気動車のアイドリング音、昔ながらの発車ベルの音、出発進行の気動車タイフォンの音、発車して行く∕到着した列車の走行音等…どれを取ってもホントに懐かしいワンシーンを連想出来る音ばかり…もう何度か他の車内案内放送の音声動画も視聴させて頂いておりますが、どれもホントに良く記録を残されておられ感服いたしております。有難うございます🙇
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
丁寧なコメントを有難うございます。 高級な機材も使用していない素人の録音ですが、当時を知る方には懐かしんで頂き、ご存じない方には遠い昔を想像して頂き嬉しい限りです。
@tomm187ab
@tomm187ab Жыл бұрын
上りの稚内、函館間、乗車したことがあります。 大雪の日で、運休するかと思っていたら、当時の北海道の国鉄は雪に強かったのと 優等列車へのプライドでしょうか。 宗谷本線、とにかく吹雪で周囲が何も見えない中、飛ばしてましたね。 あれで踏切にストップした車がいても 見えないだろなと思いましたよ。 特急が運休で札幌から、函館まで行く人ですごい混雑しました。 函館で連結部の車体にこびりついた雪とツララが、強く印象に残っています。 冬の北海道はとにかく寒くて、でも列車内は二重窓に煖房が強くて、ついつい寝てしまいましたね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
初めて北海道を訪れたのも冬でした。以来、すっかり北海道が好きになってしまいました。 雪で足止めされたこともありました。その時は不安でしたが、今となっては印象深い経験でした。
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u Жыл бұрын
旭川は、なぜか駅名は「あさひがわ」市の名前は「あさひかわ」
@user-hy7by8tx9h
@user-hy7by8tx9h Жыл бұрын
郵便局は あさひがわ 福留功男の本名は ふくどめのりお
@79fortune30
@79fortune30 Жыл бұрын
生まれてないけど、この頃はガチで熱いな!
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
こんな時代もあったことを想像して頂けましたら嬉しいです。
@channelsada3849
@channelsada3849 Жыл бұрын
今では停車するようになった八雲、洞爺、倶知安などは当時からしては一部の特別急行は通過扱いでしからね。(現在のおおぞら号は停車、かつてのおおとり号は通過扱い) あと、おおぞら号も現在の札幌始発ではなく、古くからの北海道の玄関口にあたる函館始発なのが面白いですね。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
石勝線開業後もしばらくの間は千歳空港(南千歳)~札幌を往復してまで函館と釧路を結んでいましたね。 函館中心から札幌中心になったのも当然と言えば当然ですね。
@a-ki876
@a-ki876 Жыл бұрын
貴重な音源ありがとうございます。 他の方のコメントで急行摩周釧路行き・急行オホーツク網走行き・急行宗谷稚内行きの三階建てという歴史を知り、あらためて「おおぞら3号」「おおとり」「宗谷」が5分おきに出発する理由がわかりました。 まさに青函連絡船からの連絡輸送であり、都市間輸送ダイヤの現在とは異なる使命だったと言えるでしょう。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
昔の三階建て列車時代は乗ったことがなく、古い時刻表で知るだけです。 さすがに当時、録音した人はいないでしょうが、車内放送、聞いてみたかったです。
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p 11 ай бұрын
今の北斗9、11、13号のスジに相当する
@plum6184
@plum6184 Жыл бұрын
日本全国が本当の意味で鉄道連絡していた…
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
まだまだ鉄道が元気な時代でしたね。
@user-hl3rx6wm4b
@user-hl3rx6wm4b Жыл бұрын
貴重な音源ありがとうございます! つい、駅弁などの値段に目が行ってしまいました。 内容は違うと思いますが、似ている弁当の価格を比較してみました。消費税0%から10%ですが、「北の家族弁当」は同じ名前で2倍にしかなっていないのに驚きです。・・ がみき鰊弁当(みがき鰊?)350円→鰊みがき弁当1000円。 北の家族弁当500円→北の家族弁当1100円。 えぞちらし弁当450円→蝦夷ちらし1400円 かにすし400円→かにめし1100円
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
音声に付ける写真も動画もなく、苦し紛れに作った時刻表加工画像ですが、そんな画像でも丁寧に見て下さる方がいて嬉しいです。捨てるに捨てられなかった古い時刻表が大活躍です。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Жыл бұрын
貴重な音源公開ありがとうございます。 幼い頃、祖母に連れられて乗車した七重浜からの江差線の普通列車を函館で下車した際に、 向かいのホームに停車中のキハ56系長編成の列車が宗谷だと教えて貰った記憶があります。 以降しばらくの間はキハ56系=急行=宗谷という思い込みが続きました(笑) 一度でいいから函館から稚内まで宗谷を乗り通してみたかったですね。 因みに余談ですが、私の幼い頃の記憶にある(この動画の)時刻表の江差線745D(木古内行)は3両編成で、 上磯で一番後ろ1両切り離し、先頭2両は木古内行でした。 上磯で切り離された1両は752D函館行となり、この1両が函館に到着すると、 既に停車中の(723D)3両を連結後、723Dとして再び木古内方面に出発して行きました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
旅行者にとってはたまにしか見ることができず、わくわくした光景が、沿線の方には日常の風景・・・ということが、ふと羨ましく思います。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 Жыл бұрын
745D木古内行はうp主さんが2本目にあげていただいた急行「せたな」の折り返しですね。急行「せたな」「えさし」「松前」が遜色急行だったためかキハ56系急行「宗谷」「すずらん」が妙に神々しく見えたものでした。なお、723Dの後ろ2両江差行はキハ46+キハユニ25でしたが、キハ46が検査の日はキハ27が連結されていたので「これ、本当にいいのか?」と思ったものでした。幼い時の記憶です...
@user-ds2gz6um1d
@user-ds2gz6um1d Жыл бұрын
函館から稚内へ直行する急行なんて、現在から見ればすごい。乗ってるだけでも疲れるが、通しで乗った人はいなかったろうな。寝台列車で朝、青森到着前に車掌から 青函連絡船の乗船名簿(緑色のハガキ大の紙)をもらって、名前を書いて青森桟橋前のポストに入れたのを思い出した。懐かしい
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
初めての北海道旅行、それまで知らなかった乗船名簿を夜行列車内で受けたった時、「ああ、明日の朝は海を渡るんだな・・・」と異国の地へ渡るような緊張感を感じた覚えがあります。 函館まででもかなり遠かったのに、さらに道東、道北へと続く列車の旅・・・北海道の広さを感じました。
@user-ds2gz6um1d
@user-ds2gz6um1d Жыл бұрын
@@kyuukou-souya 今となっては、懐かしいですね。
@kiro80gut
@kiro80gut Жыл бұрын
駅構内に響くディーゼルエンジンの音が懐かしいですね~(^^ )♪ 残念ながらこの時間帯は盛岡から向かう場合に寝台特急はくつるのグリーン車に早朝五時台に乗車しなければいけないので利用をしたことがありませんでしたσ(^◇^;)。 乗ってみたかった特急おおとりと急行宗谷・・・。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
「はくつる」のグリーン車から「おおぞら」。豪華乗り継ぎが羨ましいです。 当時は急行の自由席にばかり乗っていましたので。
@user-vv4hs3qh3n
@user-vv4hs3qh3n Жыл бұрын
青函連絡船時代の列車体系が存在する列車の中でも北海道の端から端まで行く現在では考えられないスケールの列車ですね。急行宗谷も昭和56年10月改正で札幌で系統分割され函館~札幌間は特急北海となり北海は2往復に増えたものの既存の函館~旭川間列車(函館本線完全走破)も札幌に短縮されてしまいました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
函館~札幌間が特急北海に格上げになった時は、それだけ乗る人が多かったから・・・と思っていたのですが、今思うと北海の2往復は案外短い期間でしたね。 特急、急行が走り、山線もまだまだ活気がありましたが、やがて普通列車だけのローカル線になり、新幹線札幌延伸後は廃止になろうとは・・・夢にも思いませんでした。
@user-vv4hs3qh3n
@user-vv4hs3qh3n Жыл бұрын
@@kyuukou-souya そうですね。特急北海も昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正で特急北斗に統合される形で廃止され同時に山線から定期優等列車も消滅してしまいましたね。
@dreamliner0801
@dreamliner0801 Жыл бұрын
あぁ、楽しいなあ…。今日も連れて行ってくださりありがとうございます。 ひっきりなしに発車する長距離列車、傍らで淡々と進む貨物の入れ替えに弁当売りの声、カラカラと鳴り続くディーゼルエンジン、そして優しくも物悲しい音色の発車ベル…。 桟橋からは、トランクを提げた背広姿の紳士や両手にボストンバッグを提げた新婚旅行の夫婦が流れてきて、 手元の特急券と案内表示を見比べてはそれぞれ「おおぞら」「おおとり」に吸い込まれていき、 リュック姿の学生旅行者はそれを横目に「宗谷」へ、そして改札から来る担ぎ屋のおばちゃんたちは江差・松前線の気動車へと乗り込んでいったのでしょうね。 車内に漂う煙草の煙と板張りの床から漂う油のにおいを細ーく開けた窓から逃がしながら、さて、今日はどこまで行きますか?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
当時の様子を想像し、情景を心に描いて頂けて嬉しいです。 青函連絡船に函館駅。独特の雰囲気がありましたね。
@user-vb9xy7ee9h
@user-vb9xy7ee9h Жыл бұрын
すっかり春になりましたね。今年は、春が駆け足でやってきました。 駅の案内放送は、自分に関係する放送を聞き分けていたので、 各列車の案内放送を全て聞くことはなかった気がします。 改めて聞くと、味わいがありますね。特に、案内の声だけでなく、 発車のベルの音や乗客の声が聞こえてくるのもいいですね。 5分おきに、遠距離列車が発射して行くのも、この時代ならではですね。 今では、あり得ませんね。 この当時のレコーダーは、重かったのではないですか。電池も含めると かなりの重さになったのでは。予備の電池も持ち大変だったことだと思います。 視点を変えたアップロードで楽しめました。いつも、ありがとうございます。 書き込みが遅くなってしまいました。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
桜の季節もあっという間に過ぎてしまいましたが、ある年の5月に母親を連れて行った時、稚内公園でお花見をしていたのが印象的でした。とっくに散ってしまったと思っていた桜の花に日本の広さを感じました。 始発駅発車前の長回し録音を編集し、音声も画面も単調な作りになってしまいました。今回は長いだけで、ご覧になる方も退屈かな・・・という思いでUPいたしましたが、予想に反し、あっという間に視聴回数が伸びて驚いております。 この時間に乗車された方も多く、皆様それぞれに思い出があるのですね。 函館駅の活気、発車を待つ間のワクワク感などを想像して頂けると嬉しいです。 余談ですが、荷物の重さで思い出しました。昔は長期旅行の際、使用済みフィルムケースの筒に10円玉を詰めていったものです。公衆電話用ですが、テレホンカードが出た時は便利になったものだと思いました。
@user-vb9xy7ee9h
@user-vb9xy7ee9h Жыл бұрын
@@kyuukou-souya様 稚内公園、あの高台にある桜と稚内市内、海が一緒に見えると きれいでしょうね。桜の時期に行ってみたいです。 「フィルムケース」、密閉性もよくて結構色々と使いましたね。 便利でした。懐かしい!
@shinkoba3397
@shinkoba3397 Жыл бұрын
この当時、急行と特急のグリーン車って、仕様が違っていたんでしょうか?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
当時はグリーン車など雲の上の存在で乗ったことがありませんでしたが、急行と特急でそれほど差がなかったように思いますが・・・
@user-dl2oj3je8o
@user-dl2oj3je8o Жыл бұрын
長旅ですね。 上野から夜行列車 青森から連絡船 函館から特急急行 そして 急行宗谷が走った山線が 廃止される
@user-ci2jn1eb5i
@user-ci2jn1eb5i Жыл бұрын
廃線になっていない路線が沢山 だけどもこの国鉄赤字線を全部足しても北海道新幹線の赤字額に及ばないのでは?
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
新幹線札幌延長後は黒字をたたき出し、ローカル線を支える・・・そんな構図にはなりそうにないですね。残念ではありますが・・・
@user-cv8tl5xc3r
@user-cv8tl5xc3r Жыл бұрын
確かに、そうですね!
@user-kd4hc4rd7i
@user-kd4hc4rd7i Жыл бұрын
エンジン性能良くなったとは言え 今の特急って停車駅多過ぎだな
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
確かにその通りですね。昔は急行があったからこそ、特急は停車駅を絞ることができたのですね。
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p Жыл бұрын
2000年以降は五稜郭、新函館北斗、白老、新札幌にとまるようになった 森、八雲、長万部、伊達紋別、洞爺、登別は通過するものがいくつかあった
@nnorio1251
@nnorio1251 Жыл бұрын
今羽田から稚内まで2時間か すげぇ。 二日間かけて東京から連絡船で函館まで渡り宗谷乗って稚内まで行きたい。
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
連絡船で渡った函館は正に「はるばる来たぜ・・・」という感じでした。 さらに道東、道北への列車に乗り継ぐと北海道の広さを感じました。飛行機では味わえない「旅」ですね。
@tetsu0804
@tetsu0804 Жыл бұрын
「あさひかわ」じゃなくて「あさひがわ」だったんですよね。
@user-xb4qo6my5j
@user-xb4qo6my5j Жыл бұрын
あ、もちろん「宗谷」ですよ。
@ib4950
@ib4950 Жыл бұрын
どうして北海道に寝台列車が無かったのだろう
@kyuukou-souya
@kyuukou-souya Жыл бұрын
寝台は札幌を中心に各地へ、あるいはその逆の需要で、時間も短かったのですね。 昔は函館発の昼行列車が札幌で寝台車を増結してそのまま夜行になった例もあったようですが。 札幌発の夜行急行「狩勝」は寝台車が6~7両、指定車3両、うちグリーン車が1両、自由席なし、という編成で昭和末期に残っていましたが、北海道に本格的な寝台列車が走り出したのは青函トンネル開業後ですね。
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