【歴史解説】朝廷に賄賂?!武士の誉れ 官位とは【MONONOFU物語】

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【歴史解説】MONONOFU物語

【歴史解説】MONONOFU物語

3 жыл бұрын

皆様、MONONOFU物語へようこそ!!
今回の動画は【歴史解説】朝廷に賄賂?!武士の誉れ 官位とは【MONONOFU物語】をお送りいたします。この動画は機械音声であった為、削除し作り直した物になります。是非ご覧ください。
~目次~ お好きな場面からご視聴下さい。
0:03 戦国武士の誉れ官位とは
0:56 そもそも「官位」っていったい何?
4:00 賄賂(わいろ)にあらず、献金によって高い官位を得る
7:46 勝手に官位を名乗る武士たち
11:08 官位を使って政権を盤石にした秀吉
13:21 官位が格式化した江戸時代
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#歴史解説#官位#MONONOFU物語#日本史##戦国時代

Пікірлер: 165
@user-fx8mg7pw4t
@user-fx8mg7pw4t Жыл бұрын
どちらかいうと官職についての話題ですね まぁ官位も官職も裏表みたいなものですが
@user-ym6xo2io8f
@user-ym6xo2io8f Жыл бұрын
織田信秀の説明の時、写ってるのは足利義輝公の肖像画です。
@user-oj6xs4tf1j
@user-oj6xs4tf1j Жыл бұрын
織田信雄が従二位内大臣だったが改易されたあとまわりは扱いやりにくそう
@user-hc8pl4is7v
@user-hc8pl4is7v 6 ай бұрын
朝廷も朝廷で、懐具合が、寂しいのと、武士も武士で、権威が欲しかったって、利害の一致ですよね。
@user-bx2wp3wb8x
@user-bx2wp3wb8x 3 жыл бұрын
朝廷側にとっても大名達からの献金は有難い話。公家、帝、朝廷のいずれもかって収入源だった荘園が無くなってしまった為貧乏に成り、金が欲しい。 大名は逆に金が有っても誇れる地位が無い、つまり成り上がり。 金で官位を買って誇りを手に入れた。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
千田さん、いつもコメントありがとうございます!色々動画でコメントととても嬉しいです!また賑わせて頂ければ幸いです!ありがとうございます!
@user-rs2oy4fl8d
@user-rs2oy4fl8d Жыл бұрын
平安時代から成功という名の献金が行われていた
@daikooroshi
@daikooroshi 2 жыл бұрын
みなさん蘊蓄がありますね、勉強になりました。 親王任官国は、上野こうずけ、常陸ひたち、上総かずさ、の3国です。 物成、人口の多い上国と言われたそうですが、実際親王が常時任官し ていたわけでは無く、前例という事なのでしょう。 上野介は吉良上野介が有名ですが、首を討たれた為不吉として、幕末 の小栗上野介が名乗るまで空席だったそうですが、小栗上野介も首を 打たれてしまいました。 武家官位官職は、初任官から年月を経過して、徐々に昇進しその家の 最高位である極官は、それぞれの家格で決められていました。 津軽の殿様が長期の任官で極官となり、主筋である南部家の殿様が 代替わりで初任官となり、上下が逆転してしまい、南部家の家来が 津軽の殿様の参勤道中で暗殺未遂を起こしたのは、有名な事件です。
@ri._suke
@ri._suke 9 ай бұрын
7:22 この人って足利の方じゃないですか?
@anewreturner1
@anewreturner1 2 жыл бұрын
「正五位」は「しょうごい」 「従五位」は「じゅごい」 「正四位」は「しょうしい」 「従四位」は「じゅしい」 「正三位」は「しょうさんみ」 「従三位」は「じゅさんみ」と読みますよね。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
歴史上、信濃守は最大で5人もの人が名乗っていましたが、誰一人、朝廷から正式に信濃守を与えられた人がいなかった。
@rt-fk6to
@rt-fk6to 3 жыл бұрын
織田信秀の説明で使用されている画像は、十三代将軍、足利義輝だよ。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
rt様、コメント頂きありがとうございます!以前同様のコメントで頂きたしたが、気づきませんでした(泣)!以後きをつけます!
@nonchant
@nonchant Жыл бұрын
キラキラネームは昔から
@user-gx4ef6nv5w
@user-gx4ef6nv5w Жыл бұрын
官位って西欧の公爵等の爵位と同列に考えていいのでしょうか? 明治の爵位は西欧との比較を容易にするため?
@sidetonegawa5252
@sidetonegawa5252 Жыл бұрын
公務員になるとみんな位階があたえられるのですか?
@user-yq2we8st2d
@user-yq2we8st2d Жыл бұрын
江戸城の席順
@yukikaze0315
@yukikaze0315 Жыл бұрын
信長の重臣だった林佐渡守通勝など、戦国時代では家臣レベルでも勝手に 官職を名乗っていたわけですから、同時期に官職がダブって2人以上 いたことはあったんですかね?
@matukawatositane
@matukawatositane 3 жыл бұрын
たまに室町将軍からの推挙で官位もらってる大名いるあたり正規の官位には需要があったんだなあと
@rrm64621
@rrm64621 Жыл бұрын
後北条氏を名乗った北条氏綱は嫁さんが末裔だったとはいえ北条姓を名乗るまでかなり 朝廷に賄賂送って官位上げつつ許可も貰ったそうなので朝廷の影響力ってでかいんですな。
@schimitch3277
@schimitch3277 Жыл бұрын
うちの父親の会社には「刑部(ぎょうぶ)」って女子社員がいたそうです。「主計(かずえ)」「主税(ちから)」って姓も実在するそうですね。
@user-ib9xq6zo2t
@user-ib9xq6zo2t Жыл бұрын
「ぎょうぶ」さんは、珍しい読み方で、「おさかべ」さんの方が多いでしょうか?「服部」さんも官職由来ですね‼️官位は、「位階」が正しく、本来は「位階官職」と言うべきでしょうか?時代によっても、表現や意味が変わる言葉だと思いますが⁉️
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
古い名前によく付けられる衛門とか、何々介とか こうしたのも官位から来ているそうだ 主計とか主税とかは、手持ちに資料がないのでよくわからないが、確か朝廷の律令制に対して武家が定めた階級のことだったと記憶しているが これにあやかって名前にした人もいたようだ
@fujiwara_shino
@fujiwara_shino Жыл бұрын
中学の同級生に「掃部」君が居た。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
@@user-ib9xq6zo2t さん  官職由来だと、鷹司、近衛 がありますが。
@mittak006
@mittak006 3 жыл бұрын
官位とは「従三位下」等のランクのことで、動画に出てくる「○○守」や「中納言」は官職であって官位ではないよ。 官位と官職は密接に結び付いたものだけど、この二つは異なるもので混同してはいけない。 ちなみに現代でも叙勲されたら官位があたえられるぞ。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
M't様、コメント頂きましてありがとうございます!タイトルを官位と官職にするべきでした!またコメントお待ちしております!ありがとうございました!
@gongochi009
@gongochi009 3 жыл бұрын
ちなみに三位以上は「正と従」のみで上下は付きません。四位以下は「正と従」にそれぞれ「上と下」が付きます。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
gongochiさん、コメントありがとうございます!詳細頂きありがとうございます!勉強になります!たたお越し下さいね!お待ちしております!
@user-uj2ro5iz1v
@user-uj2ro5iz1v 3 жыл бұрын
官位っていうのは官職と位階を合わせた言い方 二位とか三位とかは位階
@m19s1d
@m19s1d Жыл бұрын
そう位階
@aya-ff1fl
@aya-ff1fl 3 жыл бұрын
五大老で見ると      官位  官職 徳川家康 正ニ位 内大臣 前田利家 従三位 権大納言 宇喜多秀家従三位 権中納言 上杉景勝 従三位 権中納言 毛利輝元 従三位 権中納言 家康はこの時点で武家の頂点に立っていたんですね。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
ayaさん、いつもコメントありがとうございます!家康公は武家の育ちですからこの時点で征夷大将軍を狙っていたのですかね!またコメントお待ちしております!
@BEKU02
@BEKU02 3 жыл бұрын
家康は立場的にも石高的にも豊臣政権のナンバー2だったしなぁ もし利家が生きていたとしても関ケ原は止められなかったと思う そもそも五大老設立前から病気がちで引退考えてたし
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
BEKU様、コメント頂きありがとうございます!そうなると前田家はどちらに付いていたのか 考察するのもワクワクしますねw!私は家康に付くと思います!!人気のない動画のコメントで嬉しいです!またチャンネルへ遊びないらして下さいね!お待ちしております!
@yh6146
@yh6146 3 жыл бұрын
ただし、家康以外は高い官位についてもすぐに辞めている。利家は大納言を半年、秀家は中納言を2ヶ月で辞めているし、輝元や景勝も中納言を数年で辞めている。その中で家康は内大臣を右大臣昇進まで辞めなかった。これは家康が辞めなかったのでは無く秀吉が辞めさせなかった説がある。当時右大臣以上の官位に付くには必ず内大臣になる必要がある。だから、秀頼が関白になるまで摂家を関白にしない為に家康を内大臣に居座らせた。
@user-qn4qd8pm5p
@user-qn4qd8pm5p Жыл бұрын
安倍晋三 従一位
@user-iw3mv7zz6b
@user-iw3mv7zz6b Жыл бұрын
朝廷のアイコンとして使われいている門の写真は徳川の二条城の唐門ですね。 また毛利輝元の肖像は毛利元就のものになっています。 せっかくよくまとめられたものなのに残念です。
@user-mh9qq7ck7t
@user-mh9qq7ck7t Жыл бұрын
天下第一の名香木である蘭奢待。 天下統一を目指した織田信長が欲しくて欲しくてたまらなかったらしい。その為には公卿の身分が必要だと聞き、朝廷に積極的に進物などを贈り公卿の身分(従三位以上)を手に入れたらしい。
@kuo1830
@kuo1830 3 жыл бұрын
官位官職といいますが、官とは太政官の役職を指し、職は近衛府の役職を指したのではなかったかな? 内大臣とか中納言、地方の○○守などは官、大将や中将などか職、だったと思う。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
岡田様、コメント頂きありがとうございます!情報ありがとうございます!また是非遊びにいらして下さいね~!お待ちしております!
@user-ts6tc9py5l
@user-ts6tc9py5l Жыл бұрын
位階は追贈がまだあります。
@ayuna1614
@ayuna1614 10 ай бұрын
そんなに詳しい訳でもありませんが 少々、批判的な意見を述べさせ下さい…スミマセン🙏 全編を拝見させてもらいましたが 官位とは、官職と位階の二つを併せた総称であるとの認識ですが 本動画では、「官位とは…」と銘打っておりますが その二つの違いの説明もなくて、峻別もしておらず、終始二つをごちゃ混ぜにしてる印象を受けました。 正○位、従○位といった位階(地位の序列)と ○納言、○○守といった官職(ポスト)の二つを連動させて 位階に応じて就ける役職が一定程度に決まっているというのが官位制度(官位相当制度)だろうと思います。 例えば、関白という最高の官職に就任する為には、 従一位 以上の位階に叙任された人でなければならない… という具合に。。 しかし、従一位=関白… という図式がいつも成立する訳でなく 従一位で太政大臣という場合もあったりで、位階に応じて就任出来る官職は複数あるわけで、 そういう意味で、官位の説明では、位階と官職の区別や関係性の説明は必要ではないか?🤔 と思った次第です。 (エラソーにスミマセン💦) 近現代に残ってる官位制度に似たモノとして、軍隊の階級と役職の連動性があると思います。 例えば、旧日本軍では… 連隊長や軍艦の艦長という役職に就くには大佐という階級が必要で 旅団長や駆逐隊司令は少将、 師団長や水雷戦隊司令官は中将… とかでしたので。。 対し、民間企業では、一般には 役職(ポスト)のみで上下関係が決まり 位階や階級のような地位の序列は無いので そういう違いを比較すると、感覚的にも分かりやすくなるのでは??🤔 と大変僭越ながら思った次第です。 大変 長文になり、失礼なことも言っているとは思いますが、寛容の心を持って対応頂ければ幸いです🙏
@user-ur7hl5ek6z
@user-ur7hl5ek6z Жыл бұрын
官位をステータスとして求め、自称しながらも自ら天皇になろうとしなかった大名の不思議。 珍しい例としては、醍醐天皇が禁中(御所)に降り立った鳥をいたく気に入り従五位の官位を授け、 それからこの鳥は「ゴイサギ(五位鷺)」と称されました。 それと正一位の官位を持つ者の笏の材料となったのが「イチイ(一位)」の樹です。
@user-ib9xq6zo2t
@user-ib9xq6zo2t Жыл бұрын
そうです!これが日本史の中の最大の不思議‼️
@user-ur7hl5ek6z
@user-ur7hl5ek6z Жыл бұрын
@@user-ib9xq6zo2t 様 徳川家康・秀忠ですら禁中公家諸法度で朝廷の政治的権限に制限を掛けても皇統を廃する事はせず 自身が天皇にもならずに征夷大将軍に留めてるのですから不思議ですよね。 天皇になろうとした(もちろん失敗したが)のは道鏡と「新皇」を名乗った平将門,戦後に南朝皇統の 末裔を名乗った「熊沢天皇」(他数名)くらいです。 あと「ゴイサギ(五位鷺)」は蔵人を除いて従五位以上の官位がないと禁中への参内がまかりならない のですから醍醐天皇の大層なお気に入りぶりが伺えます。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
まあ、欧州ではローマ法王の存在が神の権威である程度、混乱を抑える政治的な意味があったように 天皇家と朝廷の存在は、日本の安定にある程度の意義があった。 その歴史的な必然性は無視できないよ 天皇の存在がなければ、各地の大名がさらに影響を拡大して、日本は分裂した可能性もある 秀吉だって天下を得たのは朝廷に認められたからであり、それがなければ東北の伊達氏とか 中国地方の毛利氏など 京都から離れた地域の有力大名は独立性を強めて、豊臣政権に従わず、混乱がより長引いた可能性もある
@user-nq8op7lm8p
@user-nq8op7lm8p Жыл бұрын
周りも天皇・朝廷から権威を頂いて、( 差は有れども) 皆同じように偉いのに、 その天皇・朝廷を攻めたら、今度は間違いなく自分(達)が攻められる側に成るからでしょうかね。 それも間違いなく日本全国全方位から。 どこにも味方は居なく成るでしょうね。 武力では勿論、道教のようなやり口でも無理でしょう。 道教のような者に関して、神々も許して無い訳ですし。 あと、官位のみならず「氏や姓」なんかも天皇・朝廷から賜ったと言う物も多いでしょうから、 それだって立派な天皇・朝廷由来の権威に成ってる訳でしょうから、 官位が低くても自分達一族の権威の象徴・根源たる天皇を守る者は多いのだと思います。
@supremegarbage9796
@supremegarbage9796 Жыл бұрын
道鏡や将門の先例があり、血統で言えば天皇家は本家(分家は源平)。自分の血筋を否定するようなことはしたいとは思わず、自分たちが皇室を滅ぼし取って代わろうなんてしたら家の名誉は無くなり各地で権力闘争が起きて収拾がつかず、各地で勝手に「将軍」を名乗る武家が出てくるからではないか。
@user-hc8pl4is7v
@user-hc8pl4is7v 6 ай бұрын
追伸、理想と現実で、背に腹は変えられなかったな、不満でしょうけれども、詐欺まがいの事をやらかす者も出て来ちゃったりはね。
@user-cx6jo1mq8s
@user-cx6jo1mq8s Жыл бұрын
江戸時代限定です。 大名の官職は上から順に大納言(尾張・紀伊)、中納言(水戸)、参議(加賀前田)、 中将(越前・会津・高松の各松平、彦根井伊、薩摩島津・仙台伊達)、少将(国主、一門)、 侍従(准国主、一門、上層譜代)です。 位階は従二位(尾張・紀伊)、従三位(水戸・加賀前田)、正四位上(彦根井伊)、 正四位下(越前・会津)・従四位上(高松・薩摩島津・仙台伊達)、従四位下(国主、准国主、一門、上層譜代等)、従五位下(一般の大名) なお、越前守や左衛門尉とういうのは「通称」であって、官職ではありません。 従って、例えば従五位下・日向守という人は従五位下という位階はあるが、無官という事になります。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
前田本家は内大臣で極官は右大臣では有りませんか?。  其れから、江戸時代は左右大臣と内大臣は一人では無く、複数人が任官しています。
@user-cx6jo1mq8s
@user-cx6jo1mq8s Жыл бұрын
@@user-uk7yx6ji9u 前田本家というのは加賀藩の事ですよね? 13代斉泰の正二位権中納言が最高です。 前田本家は内大臣で極官は右大臣← どこでこんな大嘘を聞いたのですか? 御三家ですら大・中納言なのですよ。 武家で大臣になれるのは将軍だけです。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
@@user-cx6jo1mq8s さん  御指摘の通り、加賀藩ですが、前田利家は徳川家康が内大臣に任官した時に大納言に、右大臣に任官すれば内大臣に任官しています。  その後、薨去に際して右大臣が追贈されたはずですが。
@user-cx6jo1mq8s
@user-cx6jo1mq8s Жыл бұрын
@@user-uk7yx6ji9u さん 私が調べた限りでは利家の極位極官職は従二位・権大納言でした。 家康が右大臣に任官したのが1603年、利家は1599年に死去しています。 なお、死後に従一位が追贈されています。 利家が内大臣であったとしても、加賀藩の官位は従三位参議が極位極官です。 実は幕府によって各家の官位が定められているのです。 前田家を例にとると、元服時に正四位下少将に叙任されます。 家督相続時に中将に任じられて、50歳で参議を兼ねます。 その後、60歳で従三位に叙せられます。※寛保三年御定による 斉泰が中納言に昇ったのは正室が将軍の娘という特例によるものです。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
@@user-cx6jo1mq8s さん  返信ありがとうございます。  利家は従二位大納言に任官したのは秀吉薨去の年で、没年に内大臣に任官したとドラマでやっていましたが、それではそのドラマの時代考証が間違っていた事になります。  内大臣に任官しても、大納言は辞す必要はなく、子の利長以降、前田本家当主は加賀宰相と呼ばれていたんですが、実は大納言だったんですね。  因みに秀吉は摂政になっても、筑前守の官職は手離さなかったそうです。
@Radames2024
@Radames2024 Жыл бұрын
官位を勝手に自称するだけでなく、ありもしない官位を勝手に捏造して名乗っていた例もあったそうですが、何か知ってますか?
@officialyoutubechannel9198
@officialyoutubechannel9198 Жыл бұрын
豊臣秀吉が名乗らせた「琉球守」と「台州守」のことかのう?
@MyForestStudio
@MyForestStudio Жыл бұрын
東百官とか有名ですね。 頼母とか左膳とか
@kuo1830
@kuo1830 3 жыл бұрын
江戸期は平の大名は従五位下 ○○守、 国持ち大名は四位中将、準国主は少将あるいは侍従のように家格で決まっていました。 五位の○○守は諸大夫といいますが、だいたい家によって名乗るものは決まっていました。例えば前田本家は筑前守か加賀守とか。 ですが、好きなものを名乗れたようです。 ただし、同姓で被らなければ。 例えば松平越前守は越前松平家が普通名乗るのですが、越前家で名乗っていなければ他の松平家が越前守を名乗っても良かった。 ただこれも独占と優先というものがあって、薩摩守は島津家の独占のため、島津家以外では名乗れません。 越前守は松平を名乗る家では越前家が優先のため、空いていれば他の松平家が名乗ってもいいが、越前家が使うとなったらかえなければならなかった。越前家以外で松平越前守はいませんでしたが。 柳沢吉保は初め出羽守を名乗っていましたが美濃守に変わったのは綱吉から松平姓を下賜され松平出羽守となるところ、松平出羽守は越前家の分家である松江松平家が優先であっため名乗れなかったためです。
@user-dr6kr3oj6s
@user-dr6kr3oj6s Жыл бұрын
江戸期の大名は従五位下のほかにも国持ちではないが、従四位下になれる家がありました 国持ちでも家によって、当主になってどのくらいで本来の官位になれると決まっていて、 若死にする当主が多いと大納言になれる家格でも中納言のままとかも多いです 会津藩も会津中将といいながらも少将止まりの人も多いですね。これは水戸藩と差をつけるためという側面もあるようですけど。
@CHOCOBOLIA
@CHOCOBOLIA Жыл бұрын
世間もその官位で認識しているので ほぼ世襲。簡単に他家では使い難い
@藤晴廉
@藤晴廉 Жыл бұрын
俺も官位を自称してます。
@dreamyumika
@dreamyumika Жыл бұрын
関白は太政大臣より上位といわれるが、必ずしもそうではない。 関白はそもそも官位相当がない。そのため、関白以外に本官ともいうべき官に任ぜられている。 多くの場合は本官として太政大臣に任ぜられるため、関白の地位は太政大臣の地位となる。 太政大臣は定員が一名であるからこの例示では関白が最も高い地位となる。 ところが、時代が下ると、関白のみで本官に任ぜられない人が出て来る。 そうなると関白の地位が定まらないことになるので、朝廷は一座宣旨を出して 関白がどの官職よりも最も高い地位であることを示させた。 一方、関白になっても一座宣旨を受けない例もある。 かの豊臣秀吉は関白を豊臣秀次に譲り秀次は関白宣下を受けたが、秀次には一座宣旨が出されなかった。 一座宣旨を受けた秀吉は太政大臣や一座も辞さなかったため秀吉の方が上位のままであった。 太政大臣豊臣秀吉、関白左大臣豊臣秀次の順番である。 太政大臣と左大臣では通常、太政大臣の方が上位であるが、 左大臣に一座宣旨が下れば、左大臣が太政大臣より上位となる。
@user-vq7xp2xz6i
@user-vq7xp2xz6i 3 жыл бұрын
毛利輝元の画像毛利元就じゃ?…
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
千葉様、ご指摘のコメント頂きましてありがとうございます!同様のコメントを頂いております!大変失礼致しました!これに懲りず何卒宜しくお願い致します。
@gongochi009
@gongochi009 3 жыл бұрын
「従五位」の読みは『じゅごい。“じゅうごい”は誤り。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
gongochi様、コメント頂きましてありがとうございます!大変失礼いたしました!以後気を付けて参りたいと思います。
@user-nj2fe9qk6o
@user-nj2fe9qk6o Жыл бұрын
×官位→○官職
@alexale4074
@alexale4074 Жыл бұрын
何故に家康が将軍になれたのか理由を教えてほしいよ
@chairrider4395
@chairrider4395 3 жыл бұрын
人ならぬモノが官位や名誉に預かった例もありますね。天下三槍の一振り日本号が正三位、8代吉宗の時の🐘、毛色は変わるけど島津久保の一字拝領(笑)茶トラ猫ヤス。氏郷の蒲生姓乱発もニヤリと出来る。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
chairさん、いつもコメントありがとうございます!像は知っておりましたが、日本人号にも・・・初めて知りました・・ 勉強になりますw。いつもありがとうございます!
@chairrider4395
@chairrider4395 3 жыл бұрын
@@mononofu3163 官職の唐名呼びってのもあって水戸光圀の黄門、武田信繁の典厩、小早川秀秋の小金吾、歳久の受領名由来の金吾さぁ、中務少輔豊久の中書、おそらく信長の右府、家康の内府も同じ類いかな。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
chairさん、いつもコメントありがとうございます!私も昔に水戸のご老公がなぜ黄門か調べた事がありますねw!それが小学生の時、友達に言ったらポカーンという顔でしたw興味がない人に言ってもそうなりますねwまたのお越しをお待ちしております!
@asaichban9842
@asaichban9842 Жыл бұрын
江戸時代には一定の取り決めはあったと思うが 戦国時代は勝手に守名乗りをしてたんでしょ 武田二十四将なら 鬼美濃と言われた 原美濃守 とかは
@asu2999
@asu2999 Жыл бұрын
武士側も朝廷側も本気で天皇家が神の子孫と思っていたのか?思ってはいないけど、そのシステムを利用していたのか? どちらなのだろうか?……… 日本では易性革命が起こらずヨーロッパ諸国以上に血統主義が残った理由が知りたい…
@user-eh5vb4mz7p
@user-eh5vb4mz7p 2 жыл бұрын
大名の家臣で、官位を得られたのは、尾張 紀伊 水戸や加賀 越前 会津の三家 家門の重臣にかぎらレていた よって、その他の大名の家臣は、甲斐守は、名乗れず、単に甲斐と呼ばれた。伊達重臣の 原田甲斐 伊達安芸が知られています。 であるなら、かの浅野の家老 大石内蔵助は、単に、大石内蔵になるが?なぜだろうか
@masao750
@masao750 Жыл бұрын
江戸幕府内では官位で呼びあっていた。 家康が相談相手の佐渡を呼べと言ったところ、 佐渡守を自称している本多正信と藤堂高虎が来たので、 ややこしいので朝廷から正式に正信には佐渡守を、 高虎には和泉守を貰ってやった。
@user-ry3du7we4k
@user-ry3du7we4k Жыл бұрын
今の時代劇はダメだよな。アホな視聴者に分かるように武士なら忌み嫌う名前で呼び合ってる。まるで現代劇だ
@kakaka290
@kakaka290 Жыл бұрын
@@user-ry3du7we4k 自分が知ってることを知らない人を見下すアホみたいなキッズいて草
@user-ry3du7we4k
@user-ry3du7we4k Жыл бұрын
@@kakaka290 お前はそう思ったことないのか?例えば大河の江とか見て、なんとも思わなかったか?その程度の返ししかできないお子様なのか
@CHOCOBOLIA
@CHOCOBOLIA Жыл бұрын
明らかに目下、侮っているくらい 「本名で呼ぶのは失礼」 江戸期以前からの話。名前に様を付けても 使う事自体がダメ 天皇陛下を「徳仁さま」と呼ばないでしょ 呼び捨てにできるのは、この世に2人だけ 何も貴人に限った事ではない 現代の我々だって、家庭でそうしてる 親や兄姉からは呼び捨てにされても 親や兄姉を名前で呼ばないでしょ 呼んだ途端、同格の様に感じるから
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei 3 жыл бұрын
官位には定数が決められていたので 大名や武士が官位を使うと公家が官位を 得られなくなるため公家諸発度発布以降 武士の官位は員外官(いんがいのかん)と して朝廷の定数とは別枠とされます。 この時から武家官位、公家官位という 呼び方をされるようになります。 ちなみに位階に関しては実は現代日本 でも使われており、故人に対してのみ 追贈されています。 吉田茂は従一位、竹下登は正二位などを 死後追贈されています。 ただし例外として 中曽根康弘元総理は海軍主計少佐時代に  従六位を持っていた為に生前から 従六位・大勲位とされており 死後従一位に追叙という型をとられて います。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
ぽんこつさん、いつもコメントありがとうございます!毎回お詳しい解説ありがとうございます!いつも勉強になります!またコメントお待ちしております!ありがとうございました!
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u 3 жыл бұрын
在日や帰化人も貰ってるから御都合だろうな?
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei 3 жыл бұрын
@@user-ti1gj2xg2u まぁ…それを言ったら王貞治さんは 現在でも中華民国国籍ですが国民栄誉賞  第一号受賞者ですしw いずれにせよ陛下の御名前で叙される 物に差別的なものがあったらマズい でしょう?
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
戦国時代の戦国武将の官位に関しては、ほとんどが自称であり 朝廷から正式に認められたものである方が少なかったそうだ。 現在の官位に関しては実態があるわけでも、たいした特権があるわけでもなく 名誉として与えられるのだから、別に構わないでしょ。 それこそ宮中行事に呼ばれたりとか、行事での序列が官位で定められるとか その程度の特権なら、特に問題があるとも思えないし。 こうした名誉を与えることは与える側にもあまり負担はないし、与えられた方は帰属意識や職業への意欲が高まる事もあろうし 私は悪い事ではないと思うよ
@tarosuke1218able
@tarosuke1218able Жыл бұрын
阿蘇大社の大宮司の阿蘇氏は、献金もせずに正三位だったから、かなり名家なんだろうな😎 そんな阿蘇家をおっぺした島津家はやはり田舎モンというか礼法・儀礼とは無縁な感じだな(笑) 島津家も鎌倉時代から薩摩から出た事ない地元名士だけど(笑)
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki Жыл бұрын
近衛家とつながってるからんなことはないよ。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u Жыл бұрын
島津は元寇前までは鎌倉に居住していたのでは?
@eb447
@eb447 Жыл бұрын
水戸黄門の『黄門』が中納言なのは有名だけど何で中国読みにするんだろうね。その方が箔がつくから? まあ今でも意味もなく日本語を英語にしたり名前をカタカナにして洋風にしたりとかあるから、昔ながらの日本人の舶来信仰ってことか。
@user-vc4dd4qy6h
@user-vc4dd4qy6h 3 жыл бұрын
所々脱字誤字あるで〜
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
坊や様、コメントありがとうございます!これ以降気を付けて参ります!ありがとうございました!またチャンネルに遊びにいらして下さい!お願い致します。
@user-lp1tf7bq7w
@user-lp1tf7bq7w Жыл бұрын
じゃあ従五位下はあまりすごくなかったのね
@yv9hisi
@yv9hisi Жыл бұрын
現代でも叙位叙勲がありますが、これも庶民には無関心な、選定理由もよくわかんないものですもんね。 高校時代に校長先生が、もらったばかりの勲章を付けて写真に収まってた満足そうな顔は今でも忘れません。
@user-pontem
@user-pontem Жыл бұрын
叙勲には運用基準があります。学校長の場合は 我が国の学校教育「公立学校関係」の振興に貢献し、特に功績が顕著であることが認められる年齢70歳以上・敎育関係従事年数31年以上、学校現場歴20年以上。元高等学校長・全日中会長経験者には瑞宝小綬章、元小中学校長には瑞宝双光章。 運用上以前から現職の公立小中高校の校長先生は推薦条件を満たさないので叙勲されないんです。私立70歳以上ならあり得ますが内容からは判断つきかねます。 但し褒章は別。こちらを貰ったのではありませんか?藍綬褒章が教育部門で見た目勲章ですからw
@user-eq8tv1fz9v
@user-eq8tv1fz9v Жыл бұрын
暴力団員にとっての・・・受勲・・・やろ。
@yorksonoda
@yorksonoda Жыл бұрын
官位と官職は違うかな、、
@dreamyumika
@dreamyumika Жыл бұрын
官位とは官職と位階の総称にして略称。 官職は位階を含まない官職のみを指す。 官職の官とは端的にいえば律令記載のもの。基本的には官位相当があるものを官という。 例えば、大納言の相当位は正三位。中務卿の相当位は正四位上。 職とは律令制定後、新たに設置したもの。基本的には官位相当がない。 例えば、摂政、関白、征夷大将軍など。 多くの場合、職には本官ともいうべき官に任ぜられている。 例えば、征夷大将軍で内大臣。 よって、この場合、征夷大将軍の地位は内大臣の地位となる。 但し、どの世界にも例外があるように、 本来は律令にない中納言は官位相当(正四位上。のち従三位に格上げ)も伴って設置されたため 官の部類に属す。 一方、菅原道真は官位相当がないので、官位相当を定めるべきだと上奏したが、結局、沙汰止みの様相で 官位相当が定まらなかった参議は職の部類に属す。 一方、位階は従二位とか従五位下といったいわゆる序列上の位を指す。
@user-jz8gh8lj7p
@user-jz8gh8lj7p 3 жыл бұрын
個人的に二つのキーワードがあって何も解説されてないところが気になりました。『征夷大将軍』と『弾正』です。 この二つのキーワードで二つの動画を創れると思いますので、全て書きません。けっこう面白い動画が創れるかと思います。 兎に角、朝廷は貧乏でしたから、うp主さんの暇がありましたら『官位』と『官職』の違いや朝廷への献金が認められた 武家からの献金の相場を説明して頂けたなら賄賂との区別が分かりやすいと思います。
@hs_8194
@hs_8194 3 жыл бұрын
確かに!あと、賄賂に的を絞って1つ1つの官位の相場とか見てみたいですよね☺地方とそうでない大名で賄賂にどれくらいの差があったのかなど。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
めにあおばさん、いつもコメントありがとうございます!ヒント頂きましてありがとうございます!官職でも動画を作れればと思います!また動画で色々気づかれましたら何なりとお申し付け下さい!これからも何卒宜しくお願い致します!ありがとうございます!
@user-jz8gh8lj7p
@user-jz8gh8lj7p 3 жыл бұрын
@@mononofu3163 さん こちらこそ、いつも楽しませて頂き有り難く思います。戦国時代の官職ですが自分勝手に名乗っていた武将もいましたので間違えると突っ込みのコメントが入ると思いますので宜しくお願いします。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
めにあおばさん、お気遣いありがとうございます!これからも宜しくお願い致します!
@user-cj8qe9bg8k
@user-cj8qe9bg8k 3 жыл бұрын
大名といえば○○ノ守というイメージですが、国の名前でも上下があって、 江戸時代では、一つでも格上になろうと、大名が幕閣に多額の賄賂を送っていたそうですね。 戦国時代でも、平和な時代でも、武士の憧れは同じだったのでしょうね(´・ω・`)
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
吉川さん、いつもコメントありがとうございます!祝、頂きましてありがとうですww国のランク、山城守や近江守でもランクがあったというとこですね! 大国小国などですかね?勉強になります!またグレイト同様、宜しくお願い致します!
@user-cj8qe9bg8k
@user-cj8qe9bg8k 3 жыл бұрын
@@mononofu3163 昔、小説で読んだ、うろ覚えの記憶でしたが、ググって見たところ ④「国」にはランクがあり、4段階に分けられます。 大国:大和・常陸・陸奥など 上国:山城・三河・安芸など 中国:安房・丹後・土佐など 下国:和泉・伊賀・伊豆など 当然、国司(~守)の官位(ランク)も差が付きます。例えば、 大和守:従五位上 山城守:従五位下 安房守:正六位下 和泉守:従六位下 となります。 とありました。 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1036873330 間違えてなくってよかったです(´・ω・`)♪ グレイトも楽しみにしてますね~^^
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
吉川さん、詳しい調べて頂きありがとうございます!私こういうの実は大好きなんですね!! 江戸城内での伺候席とかw勉強になります!ありがとうございます!
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
何々ノ守とか、何々ノ介とかは、旧律令制における国司の事であり。身分的には六位以下とそれほど高い官位ではなかった 江戸時代になると、大名の多くは従五位以上の身分を認められ、大夫の身分を与えられていた。 有名なところになれば浅野内匠頭あたりがこれだ。内匠頭とは大夫の身分のことだからな 将軍が正二位内大臣であることを筆頭に、御三家の尾張・紀州徳川が大納言、水戸徳川が中納言など 有力大名は諸大名より高い官位を認められてはいたけどね まあ、武士の格は石高で決まるが、石高は限りがあるし、政治的な地位に合わせて石高を与えるのは色々と難しいので 官位でバランスを取ったわけだな
@kuo1830
@kuo1830 3 жыл бұрын
大名は○○守という受領名には頓着していなかった。先祖が名乗ったものをそのまま名乗るのが多かったようです。 家格向上は受領名ではなく位階を上げることが大事で、なんとか四位になりたくて努力していたのです。 越前は上国で佐渡は小国だから越前守の方が家格が上かというとそうではなく、大事なのは位階。 受領名は独占とか優先があると別のコメントに書きましたが、他にも同役で被らないとか、上司と被らないとかとかありましたね。 大岡忠相が能登守から越前守に改めたのは越前守が上位というのではなく、同役の中町奉行の坪内定鑑が能登守だったから。
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
岡田様、コメント頂きありがとうございます!商品頂きましてありがとうございます!越前守になったのはそういう経緯だったんですね!ありがとうございます!また是非遊びにいらして下さい!
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
越前守とか、ほとんどの大名のそれは実態はなかった。大岡忠相にしても越前に領地を構えたことは一度もなかったそうだがな。 ただ、国主大名の官位に関しては実態があった。 薩摩藩主は左近衛中将兼薩摩守と名乗る事が多い 加賀藩主は左近衛権少将加賀守と名乗る事が多かったが、扶桑守と名乗ったりもした 扶桑は日本の別名だから、日本の国司という意味だな
@qQ-Qp
@qQ-Qp Жыл бұрын
正一位 豊臣 関白 従二位 徳川 内大臣 従三位 上杉 中納言 ↑公卿の壁 正四位下 毛利 参議(公卿扱い) 従五位下 ↑殿上人(貴族)の壁 ↓地下 時代もあるけど、秀吉って凄いんだな。30個あるランクの頂点に立ったんだな。
@user-qn4qd8pm5p
@user-qn4qd8pm5p Жыл бұрын
従一位 安倍晋三
@user-fl2lo4nt3q
@user-fl2lo4nt3q Жыл бұрын
@@user-qn4qd8pm5p 従五位 椎名巌(桂歌丸)
@user-tf5ym8li2i
@user-tf5ym8li2i Жыл бұрын
@@user-fl2lo4nt3q 十六歳 松本伊代…
@user-jm5zl4rf8h
@user-jm5zl4rf8h Жыл бұрын
repご無礼、豊臣秀吉(生前従一位) 織田信長(生前正二位) 徳川家康(生前従一位) すべて正一位叙されてます、ただし死後叙位です。豊臣秀吉 織田信長は大正になってからです。徳川家康はじめ徳川歴代将軍の多くは亡くなってからしばらくして叙位されております。生前叙位は戦国時代以降は三条実美くらいです。
@hymn13
@hymn13 Жыл бұрын
秀吉の場合は完全に名も家もない無官(むしろそれ以下)からだから凄すぎて草
@user-vp1cq6ez1r
@user-vp1cq6ez1r 3 жыл бұрын
会社作ったら官位(役職)を作りたいって昔から思ってたよ(笑)
@user-dr6kr3oj6s
@user-dr6kr3oj6s Жыл бұрын
まず、室町時代ですが、本来はその土地を治めている守護大名が家臣などの望みを聞き、幕府に官位をもらえるように執りなしを頼むのです 幕府は前例に則って朝廷に官位をもらえるように頼んだり、幕府が前例に則って武家名乗りを許可していました 朝廷が武家に官位を許す場合ほとんどが従五位、従六位で武家名乗りはその家でほぼ勝手に名乗っていただけです 江戸時代になっても基本は同じで御三家、加賀藩など一部を除くと官位を与えるというのは従四位、従五位のどちらかを家格に合わせて送るだけで名乗りは大名が前例や幕府の許可を確認して決めていました 大名の家臣は大名が名乗らせましたが、守とか介とかは名乗らず○○備後というように名乗りました 朝廷が官位を与えたのは参議▪侍従、少将以上ですね
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u Жыл бұрын
3分40秒辺り、足利家は臣籍降下しているので、征夷大将軍に任官出来る資格がありますが、徳川家康が征夷大将軍に任官出来たのは今持って、国史の謎です。
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki Жыл бұрын
無理やりこじつけて源氏新田一族の子孫にしたと言われてるけども。
@user-np4is2zq9o
@user-np4is2zq9o 3 жыл бұрын
地方の有力大名で一番官位に拘ったのは大内義隆だと思います。 従二位にまで上り詰め官職は兵部卿兼大宰大弐兼侍従。 義隆が文治的大名で朝廷への進物を行った結果ですが、 貴族趣味を持ち束帯姿で牛車に乗っていたそうです😅
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
秋野さん、いつもコメントありがとうございます!牛車!? あー、平安貴族風ですね!いつも詳細頂きありがとうございます!
@user-yj9zd6ty7j
@user-yj9zd6ty7j 2 жыл бұрын
@@mononofu3163 ほりるやろやれやりやるやるやれやりやれやるやるやりやらやれやろやろやら
@eb447
@eb447 Жыл бұрын
そういうのって時代劇的には今川義元のイメージ。そんなことだから毛利や織田に負けるんだね。
@user-cf3gf9kk1t
@user-cf3gf9kk1t 2 жыл бұрын
信長が上総守と名乗ったのは黒歴史ですな
@m19s1d
@m19s1d Жыл бұрын
上総介です。上総国は親王任国で人臣は二等官のスケしかなれません
@user-lj9eo5yr5e
@user-lj9eo5yr5e Жыл бұрын
@@m19s1d その通りなのですが、そのことを信長は知らなかったらしく、若年時に上総守を名乗ってしまっていたそうです。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
信長の時代は、はじめのころは守護大名・斯波氏が尾張を納めていた。 実態はともかく織田家は斯波氏の従家だったわけだから 斯波家より上の官位は名乗らなかったのではないか? 斯波家は応仁の乱では西軍だったが、その従家で、越前を織田家と争っていた朝倉孝景が応仁の乱で主家である 斯波家を裏切り、越前の守護の地位を認める事を条件に東軍側に寝返った。 これによって最終的には斯波家と織田家は越前を追われ、もう一つの斯波家の拠点である尾張に逃れる事になった。 こうした過程があり信長の時代までは、斯波家が名目上、織田家の主家として尾張の守護大名だったのだ。 その後、信長が斯波家を追放し。織田が尾張を名実ともに支配するようになり さらに浅井長政らと組んだ越前の朝倉家と戦い、これを滅ぼしたわけだから 信長は父祖から続く因縁を晴らしたわけですけどね
@user-pontem
@user-pontem Жыл бұрын
@@user-ke1xz7lw3m 横槍失礼します。信長が上総守を自称してもさして問題はないんです。 これは官ではなく受領名に分類されるということ。正式な官ではないいわば通称。大名が私的に家臣に官名を与えるこの時代、当然自称する人物もいたわけです。 お隣美濃では家臣の身で大納言を自称する人物が2代、飛騨姉小路は当主自ら当官である参議の上、中納言を自称したのは極端ですがw 次に斯波との関係ですが尾張斯波は所謂武衛家であり当主は正式な官位を受けしかも受領名は名乗りません。 京官たる左兵衛佐、治部大輔から極位極官は三位衛門督又は兵衛督、自称上総守とは格が違います。 大事なのは当時の認識として官位そのものよりこの官位を得られる家であることがより重視されたということで公家社会がこれなんです。家格。 想像を逞しくすれば信長の上総守、上総介は今川を最初意識したか。今川が上総介、民部または治部大輔を官途としているんですね。 信長の家の官途は弾正忠とありふれており、この中で上総を名乗るのが異例。既に信長の目は斯波には向いてなかったのかもw 余談、親王任国の長官は当初親王以外の任官も想定されていました。呼称は守ですが相当は正四位下。建武政権で陸奥が一時親王任国となりましたがこの時もそのはず。また親王任国の介を守と書く例も少なくはありません。
@user-wn7im1bv3z
@user-wn7im1bv3z Жыл бұрын
信長は官位には興味は全くなかったが、内裏に入る(天皇に会う)ために官位がないと駄目だったので何でも良かった。 面会出来る最低の官位であればね
@sho12340
@sho12340 3 жыл бұрын
従三位(じゅさんみ)、従四位(じゅしい)、従五位(じゅごい)と読みます。官位は基本的には貴族か天皇の子孫に与えられるものであったようです。私の先祖は一弱小田舎武士ですが代々従五位か六位の官位を持ち左衛門尉の官職と中ぐらいの国の国守の称号を持っていました。領地は猫の額ほどのものでしたが貴族の子孫だったので(仮冒はないと確信はあります)もらえたのでしょう。それが君主の大内氏にえらく気に入られたようでした。 官位や官職は簡単にもらえるものではなかったので〇〇右衛門、〇〇左衛門という名前は左右衛門府、〇〇兵衛は兵衛府からあやかった名前だったんです。しかしワルな武士は〇〇天皇の子孫であるとか仮冒して強引に朝廷に官位を出させる者が続出したようです。徳川氏(松平氏)の出自は不明とされています。私の勝手な推測ですが松平氏は三河出身の家ですが先祖は東海道で通行料を取ることを生業にする山賊であったのではないかと考えています。 豊臣秀吉の時は朝廷もしょうがないかと思ったのだと思いますが、さすがに山賊の子孫だけど征夷大将軍の官職くださいと言ったら絶対に朝廷は断りますから必死で仮冒すると考えるとわかりやすいと思います。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
朝廷が人手不足なんで、各地の大名が献金をしたり家臣を送ったりしていたそうだ。 そうした家臣は天皇や朝廷の重臣に仕えるものだから、体裁を取るために官位を与えられていたり、気に入られて高い官位を与えられる者もいたようで 中には主君よりも高い官位を与えられる武士もいたそうだ。 あなたの先祖もそれだったのかも知れないな。 松平氏に関しては、もともと三河の野武士だったと言われる。 野武士というのは、勝手に武士を名乗った武装集団のことであり。 あなたの言う通り、旅人から通行税を勝手にとったり。力をつけたものは勝手に領主を称して領地を占拠して、領民から税金をとったりするようになった。 そうして力をもった者たちが戦国大名となったわけだが 松平家も元々はこれだったようですね ちなみに戦国武将の官位はほとんどが詐称であり、朝廷に認められた正式なものはほとんどなかったそうだ。 別に書いていますが家康も正式な官位を朝廷に求めたが、松平家の素性が定かではないことを理由に拒否されている。
@fujiwara_shino
@fujiwara_shino Жыл бұрын
十二階から始まった冠位(位階) 天智天皇の時に13→19→26階に増えて、天武天皇の時に更に48階まで増えた。 大宝律令にて、増えすぎた冠位を正従、〇位、上下、に整理して30階に減らしたのが位階。
@user-gm8ew6tj2w
@user-gm8ew6tj2w 2 жыл бұрын
私も死ぬまでに官位や称号、勲章が欲しいですなぁ(´▽`) 無論、何か手柄が無いとダメでしょうけど・・・。
@user-fo7mq1tt6g
@user-fo7mq1tt6g Жыл бұрын
昨年亡くなられた安倍晋三元総理は従一位ですが、増上寺で葬儀(家族葬)が行われた際に増上寺から紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士という戒名を授けられています。 同じく増上寺を菩提寺とする家に徳川家があり、徳川家康の戒名は東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士です。 徳川家康の戒名、安倍晋三の戒名どちらにも院殿という戒名がついています。この院殿号は、増上寺にとって最上の戒名であり、それだけの貢献と地位がなければいけません。 増上寺は浄土宗ですので、増上寺に貢献した僧侶にもこの院殿号が送られることがあり、僧侶であってもほんの一握りの僧侶にしか送られません。まして僧侶でもない人でしたら相当な貢献と地位がなくてはいけません。それこそ徳川家康のような。 つまり増上寺は安倍晋三に院殿号を与えたということは、安倍晋三という人物が徳川家康と同格であると認め、同格として扱うと示したということです。
@user-vu2ss8gp5m
@user-vu2ss8gp5m Жыл бұрын
寄進と賄賂は違うんやないかなぁ
@00simaya40
@00simaya40 Жыл бұрын
家の社家や総家武家の江戸時代初期の官位は徳川家由来の様だな。 南北朝時代の元伊勢蘇我家が今伊勢と争い滅亡し戦国を経緯して無人あばら屋かした京丹後の社寺復古に 徳川家譜代で大阪城城代の阿部家が京丹後最古の一族を探し出せと京丹後の2代殿様の京極高広公を呼び出し 探し出されたのが鍛冶屋太兵衛で太兵衛は分宮神社に任官にあたり、古代に播磨と離れ離れと成った島谷氏は同族 なので名乗る姓は島谷氏と名乗りたいとし、嶋谷出雲守と名乗り従六位で任官。 その古代の出来事が丹後国の出雲国盗り合戦の大国主と新羅王子天日槍の戦いで大国主として戦ったのが島谷氏だった。 丹後国を天日槍に奪われ播磨国を死守したのが島谷氏で京丹後国に取り残されたのが嶋谷出雲守の家系だったそうです。 以来、400年京丹後国復古し守って来たのが家の社家で 嶋谷出雲守の丹後国二宮社家嶋谷家は藤原氏日野流の柳原家と親類関係で 同じ出雲族の事代主直系の富家末代の野見宿禰の子孫が南関東国造の大宮・氷川神社神主家の土師氏(本姓が菅氏)の 大江広元流公家の北小路家も藤原氏日野流だし 大江広元は菅原道真公肖りの知略の持ち主とも言えますね。 家の総家武家は元寇の後の足利尊氏嫡男の足利冬直の家臣大河内氏に仕えていた水軍で 嵯峨源氏長者松浦氏の領地で松浦党結成に尽力し松浦氏武家に召し抱えられた家柄だそうです。 その子孫が江戸初期に小笠原巡検士隊隊長に命じられた 廻船問屋島屋を経営の島谷市左衛門尉定重で衛門府名から従六位で任官と推定 (同時期の江戸南町奉行の遠山左衛門尉と同じ衛門府名)。 父は島谷見立(しまたにけんりゅう)と言い中国大陸まで外洋航海に成功させた島谷流航海術で有名な人で 島谷市左衛門尉は小笠原諸島で測量地図を作成し小笠原の珍品を江戸城の徳川家光に献上し 長崎の出島で島屋を営みながら大船建造検閲官をしていた時代から交易品を水戸の水戸光圀公に送って居ての交流から 小笠原巡検士隊長の任務が解かれた後に水戸家の姫君を後妻に娶って居ます。 この任務完了時点で従五位下だったのではとも思えます。 (この大河内氏とは源頼光直系多田源氏の子孫で徳川家康の父親が大河内氏の一族だったとも言われて居ます。) (徳川家康自称の新田世良田酒井氏だと大江広元の子孫の酒井氏で家康も出雲族と言う事になり 同じ大江広元の子孫の上田氏ルーツの出口氏の出口王仁三郎の大国主崇拝大本教と繋がる事に成ります。)
@erpotgear
@erpotgear 3 жыл бұрын
宮本武蔵の武蔵もそうですね
@mononofu3163
@mononofu3163 3 жыл бұрын
erpo様、コメント頂きありがとうございます!新免たけぞうと名乗ってましたがそのたけぞうかと思いました!ありがとうございます!また是非遊びにいらして下さいね!
@sidetonegawa5252
@sidetonegawa5252 Жыл бұрын
武蔵と書いてタケゾウと読んでいたが池田輝政?がむさしと名乗れと言った。これ小説の中での話なのかもしれないが、大名が勝手に付けられたということでしょうか。
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u 3 жыл бұрын
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