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開業当時、世界第3位の規模を誇った名古屋のシンボル的存在のボウリング場=「星が丘ボウル」がその半世紀あまりの歴史に幕を下ろすと発表しました。1970年代に日本で巻き起こった、一大ボウリングブーム。
名古屋市千種区の「星が丘ボウル」は、そのブームの先陣を切る1970年にオープンしました。
1フロアに100レーンが並び、当時世界第3位の規模として人気を博しましたが、
2023年の12月5日に半世紀を超える歴史に幕を下ろすと発表しました。
「星が丘ボウルに憧れて入社した」
(星が丘ボウル 蛭川雅文マネージャー)
「『ミックスダブルス』は第28回大会ぐらいまで事務局を担当していた。」
CBCテレビでも昭和から平成にかけて、星が丘ボウルを会場に、様々な番組を放送しました。
(星が丘ボウル 蛭川雅文マネージャー)
「私自身、星が丘ボウルに憧れて入社した。できることであれば続けたいと思っていたが、この決断となったことをご理解いただきたい」
「ボウリング甲子園」と呼ばれた、全国高校対抗ボウリング選手権の第1回大会が開かれた1994年に入社した、星が丘ボウルの蛭川雅文マネージャー。営業終了に悲しさをにじませます。
(星が丘ボウル 蛭川雅文マネージャー)
「健康のために来ている方や楽しむために来ている方に、この場を提供できなくなることが申し訳ない」
木製のレーンや、ピンを自動回収する機械の老朽化が進んだことで、これ以上の存続は難しいと判断したということです。
メカニック担当者「一台一台 性格が違うんです」
(メカニック 宮田健治さん)「1台1台全部、性格が違うんです。人間と一緒。同じことをしてあげても言うことを聞いてくれない」
約20年、メカニックとしてレーンの管理・メンテナンスを行ってきた、宮田健治さん、74歳。手に入らなくなった部品は、自ら溶接・加工して支えてきました。
(メカニック 宮田健治さん)
「この機械を最後まで見届けたい、どうなるのか」一方、星が丘ボウルをこよなく愛した人は…
(福嶋功さん)
「2015年11月にこれだけの点(257pin)を出したので、廃棄するピンをいただいた」
名古屋市天白区の福嶋功さん81歳。星が丘ボウルは人生そのものだといいます。
(福嶋功さん)
「学生時代に女子プロが華やかな頃、それに魅せられてボウリングにはまった。1時間待ち、2時間待ちで待って遊んだ」
マイシューズも、マイボールも年季の入った長年の相棒です。
2022年、日本ボウリング場協会の「ご長寿ボウラー番付」にも名を連ねました。
現在の地位は「前頭」ですが、100歳くらいまで続けられると「横綱」に昇進できます。
(福嶋功さん)
「寂しいですね。ずっとお世話になっていたボウリング場がなくなるのは」昭和から平成にかけて、東海地方のボウリング文化を牽引してきた星が丘ボウル。
コロナ禍の去年の来場者は全盛期の6分の1。それでも2023年は、徐々にコロナ禍前の客足に戻りつつあったといいます。
利用客からも惜しむ声が…
(利用客)
「よく通っていたので悲しい」
「ここでいつもやっていたから、他の所でやりたくない」
「しょうがない。よく我慢して今まで続けてくれた」
この他、名古屋市内では中村区の「名鉄レジャック」に入っていたボーリング場が2023年3月に閉店。
中区のボウリング場「スポルト名古屋」は、2023年12月31日を最後に、営業終了と発表しています。
時代の移り変わりを感じるレジャーの在り方。星が丘ボウルの最後の営業日は、オープンと同じ12月5日です。丸53年となる日にお別れです。
運営会社は、施設の跡地利用などについては検討中だとしています。
(星が丘ボウル 蛭川雅文マネージャー)
「残りわずかですが、皆様の思い出を振り返ってお越しいただけることを心よりお待ちいたしています」
詳細は NEWS DIG でも!↓
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