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一乗谷は、一度コロナ禍前に訪れている。
直線的な谷間で、中央を小さくて浅い川が流れている。
今は大部分が史跡認定されているが、以前は稲田だったとの事。
朝倉氏滅亡後は農耕地にされた。
ところどころ川を堰き止め、稲田に水を供給していたらしい。
小川町下里地区を流れる槻川は、一乗谷を流れる川より広くて深い。
谷の入口部分に、自然石によりダムを構築し、水面を上げ農業用水路に
水を流している。
この水を利用して農業を行う。
余った水はまた槻川へ戻す。
自然に優しい農業用水の供給システムが、下里地区の農業を支え、
庚申信仰の源となったと推測している。
おまけに下里石(緑泥石片岩)の産地である。
長きに渡り、この地区に大きな富をもたらしたであろう。
庚申信仰も二十二夜待信仰も二十三夜待信仰も娯楽を楽しむ要素が
高い。
経済的基盤が裕福でないと、信仰は広まらない。
嵐山町遠山地区と都幾川町田黒地区の水の供給方法は調査中である。
地図で見る限り沼も見当たらない。
<以上>