Рет қаралды 17,774
企画・制作 住友重機械工業株式会社
制作・著作 鹿島映画(株)(現、(株)Kプロビジョン)
ナレータ 生野文治
音 楽 東京BGM
協 力 運輸省航海訓練所
【概要説明】
大恐慌に窮する昭和5年(1930年)、そろって誕生した姉妹帆船、日本丸と海王丸。航海訓練所は昭和30年頃には激動の昭和を生き抜いた両船の代替建造に向けた調査研究を始めている。
日本丸二世の基本概念取りまとめは、建造調査費が認められた昭和56年度(1981年)に行われ、翌年、代替建造が決定。半世紀ぶりの大型帆船建造しかも初の純国産とあって国民の関心が注がれることになった。
建造は、住友重機械工業(株)が担うこととなり、その現場は戦後の帆装復旧やその後の修理工事等を手掛けてきた浦賀工場。水槽・風洞実験を繰返して船体線図や帆面積分布の最適化を図り、新たに製作した1/20の模型によってヤードの旋回角、操帆作業性等を確認し、それらを踏まえた帆走性能が推定された。
昭和59年2月15日、皇太子殿下、同妃両殿下の行啓を仰いで日本丸二世が進水し、帆装、船内諸設備の艤装工事が本格化。併行して、我が国初の船首像の制作が進められた(*)。
竣工を控えて諸々の性能確認のための海上公試が行われた。特に、帆走試験に対する関心が強く、その実施に先立って運輸省内で催された記者会見には溢れんばかりの報道関係者が押し寄せた。洋上での帆走試験、週末にもかかわらず試験終了まで電話での問い合わせがあとを絶たなかった。
昭和59年(1984年)9月16日に完工し引き渡された日本丸二世が実習生を乗せて船出した。国内での訓練航海の途次に寄港した港で盛大な歓迎を受けた同船は、年明け早々の遠洋航海出航を控え、翼を休めるべく年末に晴海ふ頭に帰港した。しかし、日本丸に通常の時間が戻ったのは、元旦の朝が明けてから。新たな年を日本丸船上で迎える生中継に当たった報道各局の関係者の引上げ後だった。
昭和60年1月10日、日本丸二世と海王丸一世がハワイ向け遠洋航海に出航。揃ってホノルル入港の日、海王丸の荒川船長が「風がないのにどうして走るのか?不思議だね!」と日本丸の田邊船長に話しかけている映像が流れる。
我が国造船技術を結集し、初の純国産洋式帆船として生まれるまでの経緯と過程、遺憾なくその力を発揮する処女航海を記録したこの映画は、科学技術映画祭長官賞、ミラノ国際海洋映画祭第1位など国内外の科学映画賞を受賞した。
(*) 日本丸・海王丸の代替建造の動きの拡がりと併行して姉妹帆船に船首像を贈る運動が繰り広げられた。国民の浄財を基に東京芸術大学の先生方により制作された、日本丸の「藍青」(らんじょう)及び海王丸の「紺青」(こんじょう)がそれぞれの船首において、世界の平和、航海の安全を願って輝いている。船側外板のブルーラインは、船首像の髪が風になびくイメージだ。