死んだら「無」になるか【死後の世界はあるかないか】

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仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太

仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太

Жыл бұрын

「死んだらどうなるか」というテーマについては、さまざまな宗教思想があれこれ語っていますが、所詮証明できないので、考えても仕方ない、とこの問題を不問にしているのが現代人の姿勢です。
とはいえ死ぬのは100%、ならば「死んだら私はどうなるのか」は、ほかならぬ自身の将来なので、あれこれ考えてしまいます。
その考えの一つに「死んだら無」というのがあります。
有力な意見の一つに数えられます。
中には「死んだら無に決まってる」と言う人もありますが、別に決まってるわけではありません。
学問の世界では、死んだら無なのか、有るのか、これは結論が出ていないので、死んだら無、だと決めつけるのは早計です。
科学的、学問的な態度とは言えません。
世界的に著名な脳外科医ペンフィールドは、患者の露出された脳に直接、電気刺激を与えて、何を感じたかを聞くという、特異な実験を繰り返し、二十世紀の脳研究に画期的な成果を残しました。
彼ほど生きた脳に触った人はいないといわれたペンフィールドは、生涯、「心」は全てニューロンの働きで説明できるという「唯物論」の立場で研究を続けてきました。
しかし最後に彼は、脳と心は別だと考えるほうが、合理的だという結論に達しています。
「脳の神経作用によって心を説明するのは、絶対に不可能だと私には思える。(中略)私は、長い研究生活を通じて、なんとかして心を脳で説明しようと試みてきた。そして今、これまでに得られた証拠を最終的に検討しているうちに、人間は2つの基本要素から成るという説の方が合理的だと考えられることを発見して、驚異の念に打たれているのである」
(『脳と心の正体』)
脳の研究に生涯を懸けた第一級の科学者が、脳だけで心は説明できないと言っています。
「死んだら無」という意見は「そうかもしれず、そうでないかもしれない」ということであり、あくまでも「その可能性もある」とのことで、そういう点では「死んだら生まれ変わる」「死んだら天国」「死んだら何かの一部になる」など数ある選択肢の中の一つです。
その正誤は死んでみなければわかりません。
生きているときは絶対わからないから考えても仕方ない、とみなあきらめてしまい、考えると暗くなるだけだ、生産性がない、とも言います。
しかし人間にとって必ず向かう行先が真っ暗闇なのは、決してどうでもいい問題ではありません。
気にするなと言われても、気にしないで済む問題ではなく、気になってしまいます。
それどころかこの問題は私たちの「生」全体に得体のしれない不安の影を宿し、底知れない虚しさ、さびしさ、孤独、恐怖を呼び起こしています。
この問題に「あきらめられない」と諦めて、敢然と立ち向かわれたのがシッダルタ太子、のちのお釈迦様でした。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
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Пікірлер: 124
@byBuddhism
@byBuddhism Жыл бұрын
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。 peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
@SkyBeast2009
@SkyBeast2009 Жыл бұрын
死んだら魂だけになる。無になるのは肉体。
@user-ek6xu8wl2i
@user-ek6xu8wl2i Жыл бұрын
今この世界で生きてるこの命も死後の世界なんだと言えるんじゃないかな 無限の命が死んだ後に生きてるんだし
@rivasai
@rivasai Жыл бұрын
菊谷先生のお話はいつもわかりやすく面白いので動画UPを楽しみにしています。亡くなった人の事を「旅立った」とよく表現しますが、まさに次の世界への旅立ちなのではないかと思っています。
@user-hs4ot2xk5e
@user-hs4ot2xk5e Жыл бұрын
毎度動画配信ありがとうございます 色々宗教チャンネルある中、菊谷先生の話が一番聞きやすいです AKBの前田あっちゃん(笑)からのガンダムのアムロ・レイのくだりでより一層親近感湧きました 話のもって行き方、流石です 死後の世界について想像すること 人類の永遠のテーマだと思います 人間の魂も素粒子力学レベルまで考えれば、いつの日か答えが出る時代が来ることを信じて生きて行きたいです また勉強もせず悪行を重ね続けてれば地獄の世界もあるのかな?と 自分は死後の世界に備え安牌を考え六度万行の日々の実践と案ずるより産むが易し精神で人生乗り切りたいです 死後の世界は意外に楽しいところかもしれませんしね
@yy0410
@yy0410 Жыл бұрын
お聞かせ頂き、誠にありがとう御座いました。 伺いながら感じたのですが、私に前世やこの身に入る前の記憶はありませんが、我々は何回も何回も現世に蘇りをしてきた中、身を亡くした後の魂の世界を無意識の中に知っているので、冥福を祈ると言う素直な感情が自然に備わっているのではないかと思いました🙇
@tm3r905
@tm3r905 Жыл бұрын
勝手な想像ですが・・・ 私は、死んだら一旦、無になるが、その次に生まれ変わると信じています。 その生まれ変わりの先が、前世の行いで決まると思っています。 その生まれ変わりが、人間であるとは限らず、日頃の行いが重要では? そう思いながら、日々精進しております。
@atera_sayusa
@atera_sayusa Жыл бұрын
ぱっと見おじさんな人の口から「AKB48」という単語が出てくるのはなかなかシュールですね💦悪いというわけではないですけど 科学的にも質量保存の法則とかエネルギー保存の法則とか「変わってもなくならない」ということは証明されているのに、しんだ場合のみこれら法則を無視できるとは思えません。どうなるのか証明できなくても「なくならないらしい」ということはわかって行動すべきですね✨
@user-qs3gx4ob5i
@user-qs3gx4ob5i Жыл бұрын
いつも興味深いお話をありがとうございます。本当にわからないことだらけです。年をとると、死を身近に感じます。親が死んだり、周りの誰かが死んでいくと、自分の番が近づいているのだなと思います。孫が生まれると、この子は今までどこにいて、どこから来たんだろうと、ふと思ったりします。自分もある瞬間から生を受け、この年まで生きてきて、今に至っている。そのことの不思議も、そしてやがて死んで、この私というものがなくなった世界が続いていく・・・なんとも不可思議であります。
@catcat6823
@catcat6823 Жыл бұрын
どちらにしろ、死ななきゃ分からないから、自分の気が楽になる方を信じればいいかと思います。
@user-om3rw4sh3k
@user-om3rw4sh3k Жыл бұрын
とても勉強に、なりました。尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
@user-to3tq6md5l
@user-to3tq6md5l Жыл бұрын
ありがたいお話。ありがとうございます。
@ksc4850
@ksc4850 Жыл бұрын
ありがとうございました。🙏🙇 (菊谷隆太先生動画視聴メモ) ★死んだら「無」になるか 後生の一大事(死んだらどうなるか)の解決が仏教の目的 1.変わり続けるものと一貫して変わらないもの(肉体1年で98%、私という存在) 2.実は全くわからない(無知の知) 3.深い人間性は気にしている(冥途の幸福・冥福、慰霊、頭で無と分っていても)
@1tteyoshi
@1tteyoshi Жыл бұрын
ありがとうございます!
@m.a.r.u.5679
@m.a.r.u.5679 Жыл бұрын
お話が上手ですね!
@user-gw6no6pe7r
@user-gw6no6pe7r 3 күн бұрын
死ぬとどうなるか、ではなく、動物も昆虫も死にたくないんです。人間もしかり。つまり死ぬプロセスが怖いんです。 私たちは皆生まれながらにしてそれをインプットされているのです。
@user-kw5sj7uw7t
@user-kw5sj7uw7t 25 күн бұрын
菊谷さん ご苦労様です 。 少し動画と 意味合いが違いますが 、昔 NHK で 小宇宙 人体という 番組を見たことが あります 。 その内容が 私たちの 体の中 というのは まさにこの世と同じ という感じです。 その時はすごく驚き というか 感激でしたね 幼稚園があって 小学校があって中学校があって 高校があって 大学 あって 選ばれた 細胞 が 社会で 活躍する そういう風な仕組み だったと 覚えています。 本当 その時は驚きでした。😲
@user-lq8po3ns1i
@user-lq8po3ns1i Жыл бұрын
肉体の変化凄いですね...だから、 老化するのかと思いました..  私とは、と、 考えた事ありませんでした。肉体は、持ち物、 最近よくわかります。   有難うございました。🙇‍♀️
@user-qw5os4gz2b
@user-qw5os4gz2b Жыл бұрын
すごい 赤鬼青鬼 コックピット笑 楽しくて解りやすいお話ありがたいです 合掌
@user-sm8hs2pd4q
@user-sm8hs2pd4q Жыл бұрын
お話、よく分かりました。。
@user-gu8ft4tg3c
@user-gu8ft4tg3c Жыл бұрын
菊谷隆太先生、こんばんは。🌃🤱🌆🤱今日も、ステキな解説を、ありがとうございます。🍞🤱🥐🤱🍞🤱🍪🤱
@user-ps9mq3cb7i
@user-ps9mq3cb7i Жыл бұрын
興味深く聞かせていただきました。「死んだらどうなるのか」正直わかりません。しかし、私の心の奥底には死後を信ずる心いや恐れる心と言った方がよいかもしれません。その心は確かにあります。恐れるというのは死後の世界があると認めているのかもしれません。
@user-yq1jz6ts8q
@user-yq1jz6ts8q Жыл бұрын
私も先生と同じ仏教徒です。死んで無になるなんてあり得ない❗️三世永遠の生命です。私も最愛の父を亡くした際、色々と仏法の勉強はしていましたが想像を遥かに超える喪失感に見舞われましたね、人の心は割り切れるものでは無いと言う事を体験しました。でも、先生の言われる様に、繋がっていく生命であるが故に、残された者が追善回向して、ご冥福をお祈りすることが故人を偲ぶ行為であると確信するものであります。
@user-jg2be7wr9k
@user-jg2be7wr9k Жыл бұрын
ありがとうございます✨
@user-wm8ee9ub2d
@user-wm8ee9ub2d Жыл бұрын
▼葬式や法事も亡くなった人のためというよりもむしろ世間体のためのような気がします。コロナ禍で家族葬が一般的になって来ましたが、コロナ以前では親戚、町内、友人、会社を呼ばない葬式なんて、何てあの家はケチな家なんだろう、と噂になりかねません。▼そのような儀式でも全くしないと家族といえども祟られるのではないか?バチが当たるのではないか?と思う気持ちもあります。▼自分が死んだら盛大な葬式をしてくれ、なんて言う人が一体どれだけいるでしょうか?普通、葬式や法事などに大金を使うんだったら、少し贅沢な暮らしを残された者たちにはして欲しい、と思うのではないでしょうか。自分にはそう思っても他人にはそう思えないのが人間なんでしょうね。▼もっとも、本当に他人のためだけに尽くせる人、布施行ができる人なんて滅多にいないと思います。黙祷している自分って何て善人なんでしょう、って思いながら黙祷するんです。
@user-hi8py4nt5k
@user-hi8py4nt5k Жыл бұрын
地獄の沙汰も銭次第 タイムリーで云えばフィリピンの監獄とかw
@sugamasayoshi65
@sugamasayoshi65 Жыл бұрын
今日も色々興味深く面白い話をありがとうございます。
@user-vr7ep9de7o
@user-vr7ep9de7o 4 ай бұрын
死んでも自分という存在はなくならない、と考えている人はこの世界にどれだけいることだろうか。死してなお考えることが続くように、霊魂不滅なのである。
@妄想女子の日常
@妄想女子の日常 Жыл бұрын
生きている時は心と体は一体だと思います 脳ストレスから体に不調が現れますし体に損傷があれば気持ちにも痛みが現れます しかしながら死んだら体は残りますが心(脳)は離れ体だけの脱け殻のような感じに思います 死後がそうならば心と体は一体のようで一体ではないのか… 体を借りていただけなのか… 脳がニューロンであるならばその脳は宇宙の空間と同じようなものなのではないだろうか まだまだ未知の世界で学ぶところが多いです
@user-yn3mc5ki2k
@user-yn3mc5ki2k Жыл бұрын
いつも有難うございます。「私とは何か?」のお話の譬えで、AKBをあげられていたのは分かりやすかったです。また死んだら無になるという人が、自らの死・本当に近しい人が亡くなったときに、死んだら無になるとは言えないのでは?との内容は、本当にそうだなと思いました。そしてそうした死に直面した時に感じる心を後生の一大事と言い、その解決が仏教に教えられていることを学びました。有難うございました。
@ttt571
@ttt571 Жыл бұрын
いや、自分もそうだが死んだら無になると考えている人は自分や親しい間柄である人の死についても同じように考えていると思うが。天国からお父さんやお母さんが見ているよとかいうのはそのように考えて生きている方が精神衛生上いいからそのように言っているだけでリアルにそのように考えているわけではないと思う。
@beenoro8
@beenoro8 Жыл бұрын
生きる事は苦。 せめて死んだら無になる事が救い。
@abon8083
@abon8083 Жыл бұрын
称名滝、初めて聞いたので調べたら富山県にあり名称が法然に由来があるとのこと。 画像も見ましたが凄い名瀑でした。知らなかったの私ぐらいかな?
@user-lg9qh5zr5b
@user-lg9qh5zr5b Жыл бұрын
お釈迦様は死後の世界が在るとも無いとも言っておられなかったと聞いております。
@isshindo-Masatomo-Hyakutake
@isshindo-Masatomo-Hyakutake 2 ай бұрын
感情がある物質世界から死後の世界を見れば、素晴らしい世界のように思えるけど 実際感情は物質世界にしかない。 感情があるから素晴らしいと思える。 大切なのは「どの世界から見ているのか?」 結局素晴らしいと思っている「この物質世界」が一番素晴らしい。 隣の芝生は良く見える。
@pon42930
@pon42930 Жыл бұрын
ありがとうございました
@user-tu7ns4ti8k
@user-tu7ns4ti8k Жыл бұрын
一つ質問があるのですが、3世の因果でロシア皇帝の子供に生まれた人が幸福の絶頂から革命で銃殺された場合、その子供には何の因もないのに銃殺されたという不幸が実現した時、因果の法則から訳のわからないことになるのではないでしょうか?皇帝は自己の失敗という因が存在するから納得できますが。
@takasansuz
@takasansuz Жыл бұрын
釈迦自身の原始仏教では、輪廻から解脱出来なかった者は来世で修行を続ける。しかし今世の修行で輪廻から解脱したなら、その人の死後の行く末は知る由もない(=無記)と説いたんでしたよね。
@kouzoushimamura2878
@kouzoushimamura2878 Жыл бұрын
😄 結局 わからないのかぁ・・・・ 「死」って亡くなった当事者も周りの人も 素直に受け入れられない現実なんでしょうね
@user-nb7hb3fy5d
@user-nb7hb3fy5d Жыл бұрын
旅行だって行ってみなければ解らないのに彼方の世界がどんな所か解りませんね。なんせガイドブックや道中記など有りませんから。
@tontin8279
@tontin8279 Жыл бұрын
死後の世界があるかと言うことも大問題ですが、今生きている世界も自分を含めた人間にはそう見えているだけで世界そのものではないと言うのが認識論の一つの回答であるのなら、死んだ後に見る世界も恐らくそう見えるだけの世界であって死後の世界そのものではない様な気がします。 またそうでなくともこの宇宙で我々が現実としている世界がこうしてこうある様に見えるのは、例え死後我々が無になるとしても、事実として現にこうある様に見えたりあったりするわけですから、もし我々個々人ではなく宇宙や世界そのものが無くなったりしても宇宙には宇宙自体を含め現にこうした世界や我々を生んだ何かがある、或いはあったという事実は宇宙自身の記憶として永遠に消せないだろうと思います。 でもゴリゴリの物理学者でも何故宇宙にも「誕生」と言う言葉を使うのでしょうね。そこには死生観が働いている様に思います。
@ehikaru3502
@ehikaru3502 Жыл бұрын
物理学も西洋的な死生観(世界と我々は創られた)に縛られているところはあると思いますね。 何かしら全ての大元を見つけたい一心で、宇宙の果てから、最小の量子まで、研究し続けているが見つからず。 なので物理学者も最近では、仏教をはじめとした東洋的な死生観が正しいのではないかと回帰してる節があります。 仏教では一切は因縁果によって生じ、宇宙も永遠と生滅を繰り返していて、全体としてみれば終わりも始まりもない輪廻の世界と説かれてます。 科学は常に仮の答えを出しているに過ぎません。 人の解き明かした法(法則)は常に未完成であるが、仏陀の説いた法は変わらない。 とは、そういうことなんだと思います。
@tontin8279
@tontin8279 Жыл бұрын
言葉を使う以上精神世界で語るほかないですが精神世界に限れば確かにおっしゃる通りかも知れません。 でも東西で優劣をつけるのは少し待った方が良いと思います。 仏陀が実際どう言ったかは分かりませんが輪廻の世界だとすると、じゃあ神を否定するかのような科学的な進化論との兼ね合いはどうなるのか、それはそれでまた別の問いが生まれるかも知れません。 仏教の役割は他の宗教と同じ様に生死にかかわる宗教性と社会的な道徳性を持っていると思います。 地獄、天国、輪廻等の存在は事実かも知れませんが、一つの物語としてそれに必要なものなのかも知れません。 本当は誰も何時生まれてきてこの世界が今だわからぬように何時死んでどうなるのかわからないのではと思います。 科学の役割は一歩ずつ事実を積み重ね、あの世を解くのではなくこの世を解くことだと思います。 ですが、人間の想像力は明日のことや未来のこと死後のことを想像し答えを要求する一方で同時に不安としてそれで苦しみます。 その為、思い煩うなと示したのは確かキリストだったような。 それと仏教の眼目としては永遠に続く輪廻の世界からの「解脱」も説いているかと思います。 その意味ではもし「無知の知」を説いたソクラテスと仏陀とが巡り合えていたなら親友になっていたかと思います。
@user-no8dt5fv9g
@user-no8dt5fv9g Жыл бұрын
死んだら無になるなんて、思ったことは、一度も有りません😮あの世は、絶対に有ると🎉、だから、生かされているんだから、この世に生まれたことに、いみがあるんだと、一生懸命自分の魂をみが
@user-no8dt5fv9g
@user-no8dt5fv9g Жыл бұрын
魂を磨き意味の有る人生にして生きたいと思います。
@kokei2559
@kokei2559 Жыл бұрын
死後の世界が有ればいいなと思いますね。肉体は消えても魂は残り 宇宙に浮遊し新しい肉体に宿る。私は其れが輪廻転生だと考えてますが、、最近犬は前世が人間だったような気がするんですよ😄
@スメラ皇
@スメラ皇 Жыл бұрын
物凄くダイナミックな表現になって恐縮ですが、無を認めることから学ばないと、この世界の大自然宇宙の「おかげさま」を抱きしめることはできない。🫂🙏
@ytaka0319
@ytaka0319 Жыл бұрын
いつも為になる動画ありがとうございます。私は、死後の世界はあるかどうか分からず考えても無意味だと思っているのですが、仏教では死後の世界があると定義されていると思います。その世界を創った人は誰なのでしょうか?また、その世界を創った人を創った人は誰なのでしょうか?その創った人を...と永遠に続くように思えますが、その答えみたいな物があれば教えて頂ければ幸いです。宜しく御願い致します。
@ehikaru3502
@ehikaru3502 Жыл бұрын
仏教では「世界があって自分が存在する」ではなく「私という存在が世界を作っている」と教えられます。 自分という存在への執着が、この身体と世界を関連付けて世界と認識させている。 また、この宇宙自体は誰が作ったものでもなく、成住壊空(生滅)を途方もない時間をかけて永遠に繰り返していると、説明されています。 だから、この我々の宇宙には始まりはあっても、全体的に見れば終わりも始まりもない。 諸行無常、諸法無我の輪廻にあり、ゆえに苦しむのが私たち衆生ということですね。
@ytaka0319
@ytaka0319 Жыл бұрын
返信ありがとうございます。「私という存在が世界を作っている」という事ですが、「私という存在がなかったら世界はない」という事にはならないのではないでしょうか。また「私という存在が世界を作っている」が「私が世界を考える事が出来る」が前提だとした場合、後生があると思えばあるし、ないと思えばないという事になるかと思います。宗教と物理世界を結びつけるのは無理があるというのであればそうなのかも知れませんが...
@ehikaru3502
@ehikaru3502 Жыл бұрын
@@ytaka0319 私という存在がなければ世界はない…は、たしかに仏教の観点ではそうなりますね。 ただ、仏教では無というのはなく、あくまで空であるとも説明されます。 見えなくなっても、何かしらの因を伴う空であり、それらが因縁和合し物事や現象、身体も仮に形作られると。 目の見えない人や、耳の聞こえない人が、他の人と同じ世界を共有できないように、自分が考えているこの世界が、絶対的で普遍的なものではないということを、教えられています。
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v Жыл бұрын
宗教と科学の一番の違いは「信じる」という絶対不可侵領域ですね。仏教では死後の世界は有るといえば有る、無いと言えば無い。色即是空 空即是色のように般若心経に書いてあります。キリスト、ユダヤ、イスラムは世界は神が作った。神は誰が作った?それは愚問で、答えは「迷わず信じなさい。」でしょう。
@ytaka0319
@ytaka0319 Жыл бұрын
@@ehikaru3502 この世は諸行無常で、健常者間でも同じ世界の共有は難しいかと思います。人に限らず、なんらかの存在がなにかしらに影響する(バタフライ現象みたいなもの)もあるとも思います。ただ、それと後生とは別なのではと思いました。
@user-qt4gz4ck8j
@user-qt4gz4ck8j Жыл бұрын
死は怖いです。子供の頃地獄話しで脅されて恐怖です。
@user-ro9nf7jk6b
@user-ro9nf7jk6b Жыл бұрын
「人の体を作っている物質は1年間で95%入れ替わる」という話は養老孟司先生のお話ですが、彼の死生観は「人間は自分の死を知ることが出来ない」というものです。 人が死ぬ時は脳の機能が停止しているので、自分の死を感じる脳が機能をしていないから、自分の死を自覚することは無いのです。 養老先生の死生観は『死とは他人の死のことです』と言うものです。 人が死んでも知人の記憶からその人が消えることは有りません。 人は死んでも他人の心の中で生き続けるのです。
@kkokusaikcenter8920
@kkokusaikcenter8920 Жыл бұрын
慰霊とか、先に亡くなった子供を気にかけるのは、人間の感情だと思います。私には、前世も後世もあるのかないのかわかりません。あるのならそれを証明する必要があると思います。ないなら、ないと証明する必要があると思います。(仮に前世の報いが現世で結果として現れるというような話は、前世や現世、後世があることを証明してからのお話だと思います)
@user-zq1nh4cv6l
@user-zq1nh4cv6l 3 ай бұрын
死後の世界はない。生まれ変わりもない。人間は、この世にぽっと現れ、ぱっとなくなる存在だと思う。へんに、期待を持たせるより、一度の人生、最後まで、目いっぱい生きることを教えたほうがいいと思う。
@handle_K.T.
@handle_K.T. Жыл бұрын
「私」を「認識し行動を促す主体」と考えるなら、それは心の波を意味するのでしょう。 心の波は生前も続いており、それを実際に辿った(過去世の想起)ことを基に語られているのが仏陀の教える輪廻です。 仏教の前提は輪廻であり、輪廻を否定するなら仏教を学ぶことは無意味でしょう。 (仏教は苦の滅尽を目指す教えですが、いずれ無になるなら苦の滅尽をわざわざ目指す必要はありませんから。) 実際に沙門果経等にも書かれていますが、過去世を想起するのは悟りの中間地点であり、心を鍛えれば自身で確認可能なこととして説かれています。 そうなると、一番分かりやすい死後の世界は「今生きているあなたの住む世界です」となりそうです。 前世から見たら、まさに今が死後の世界ですから。 そうやって六道(欲界)を延々と廻るのが輪廻だと説かれます。(色界や無色界もありますが、少々特殊なのでここでは割愛します。) 輪廻は苦しみの世界だと説かれます。 天界や色界、無色界は苦しみが少ない世界ですが、無限とも思えるほど輪廻を廻るなかでは、いずれ悪趣にも落ちるでしょう。 そうであればこそ「輪廻からの脱出を目指してみたらどうですか? やり方なら教えますよ。」と、仏陀は語られました。 まぁ、「そんなものは無い」と思っていても良いとは思いますけどね。 相当頑張らないと過去世なんて思い出せないのだから、無いものと同等だとの考え方もありでしょう。 あとは、各自が何を信じ、何を実践するかの世界なのでしょうね。
@user-bm6ts9bx9d
@user-bm6ts9bx9d Жыл бұрын
魂が生き続けます!
@user-dr3mp5fl7f
@user-dr3mp5fl7f Жыл бұрын
「世の中には 答えのない問いと 答えのある問いがあります。 生きる意味は 答えのない問いです。 答えのない問いは 放っておきなさい」 アルボムッレ・スマナサーラ/1945年スリランカ生まれ。世界最古の仏典を持つスリランカ上座仏教長老。 著作100冊以上のベストセラー作家。
@ttt571
@ttt571 Жыл бұрын
生きる意味はあるだろう。人それぞれその手段こそ違えどもみんな幸せにあるために生きているんだよ。それに例外はない。
@user-dr3mp5fl7f
@user-dr3mp5fl7f Жыл бұрын
@@ttt571 さん。 意味は、自分で見出すもので、本来は生まれることも、死ぬことも、生きることにも意味はないと思います。 人が考え出すものです。
@user-sv8rd3wv8k
@user-sv8rd3wv8k Жыл бұрын
こんばんは。 とても興味深いお話でした。 解らないから不安、というのは皆同じなんですね。 いつもわかりやすい解説をありがとうございます🙏
@user-bz3qy4xk3o
@user-bz3qy4xk3o 2 ай бұрын
死んだら無になるかどうかは、結局はわからないというのが結論。 人間は何でも判りたい生き物だが、判らないことを抱えて生きるしかないのだろう。一種の矛盾を抱えながら。 しかし、無になれるのであれば、これはまた清々しいことであり、この世のあらゆる複雑な問題をクリアできるということではないだろうか? 生も死も根源的には大きな違いがあるものではなく、どちらでも大きな問題ではないのではないか、という感覚を持つようになって来た。 歳を取って寿命が尽きて死ぬ者もいれば、若くして戦争や病や事故で死ぬ者もいて、皆同じ死なのだから。
@toshiowatanabe9421
@toshiowatanabe9421 Жыл бұрын
死ねば無になる、意識あるいは魂は永遠でない、これが子供の頃から恐怖でした。 肉体がなくなっても精神は恒久的に存在してもらいたい、そう願っているのです。 後生、六道というも、ここでは仏教でも「わからない」ですか、少し残念です。 荘子の逸話は読んでいます。塵から生まれて塵に還るというエピクロスの原子論と似た諦観ですね。
@user-ym1fi6ws5y
@user-ym1fi6ws5y Жыл бұрын
生まれ変わりと因果応報は絶対の法則
@user-mc3jn5lq9g
@user-mc3jn5lq9g 11 ай бұрын
仰る通りです!大事な事は今こうして生きていて死が来るその日までどう生きるか!と言う事でしょう❣無明から無明へ・・光明時こそ唯心所現!善因善果!悪因悪果!を心得て日々是好日!心を開いて一生学び続ける事でしょうねえ・・・❣ファイト一発リポビタンD!
@GIN796
@GIN796 Жыл бұрын
AKB人気メンバーの例に大島優子を入れてほしかったと思う元優子推しのヲタ←
@user-lu9su3rz2c
@user-lu9su3rz2c Жыл бұрын
死んだらどうなる❓と語る生きてる先生が不思議である🤭
@takachandeep4166
@takachandeep4166 Жыл бұрын
無とすると今の貴方は変わりますか? また、有とすると今の貴方は変わりますか? 変わるとする人には一大事。どちらでも変わらないと考える人にとっては有も無もそれは意味がないことになります。 正にこの今、貴方はどうありたいのか? ありたい姿に向かって、この今をどうするのかが大事なことなのでしょう。 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始まりに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し。
@T-tn2er
@T-tn2er 3 ай бұрын
有るとも無いとも言えないと言うのが釈迦の態度じゃなかったでしたっけ?
@youitou5518
@youitou5518 Жыл бұрын
お釈迦様もあるともないとも答えてませんでしたね。また分からない事は考えるなってお弟子さんに言ってたと思う。違ったかな?
@user-vd7ep5ht6j
@user-vd7ep5ht6j 6 ай бұрын
死んだら、自分の本体の魂のいる霊界に帰るだけ。 地獄にいるなら地獄。 天国にいるなら天国。
@user-bz8rk7bo8m
@user-bz8rk7bo8m 4 ай бұрын
子供の頃は 大人達の言い伝えで天国の事、地獄の事を教えられて来た。 でも、母は信じて居ませんでした。 天国も地獄も生きてきたおこないで良い事をした人は天国に行けて悪い事をした人は地獄 と言う教え。 死んだら自分が消滅 灰になるだけ。と思ってます。
@user-dg4hw5cr5k
@user-dg4hw5cr5k Жыл бұрын
仏教仏教と言ってるけど、いわゆる大乗仏教は釈迦と関係ないのに 釈迦の名前を出す矛盾。死後についても霊魂についても転生についても釈迦は言及してないだろ。それを後世の末学共が、無を空と言ってるんじゃないのか。
@user-rq7dw9hs3u
@user-rq7dw9hs3u Жыл бұрын
くまこさんの、ヒロシに聞いてみたら解かるのでは???
@jayzieach2538
@jayzieach2538 Жыл бұрын
脳を入れ替えられたら、別人になるような
@sisihihi6539
@sisihihi6539 Жыл бұрын
死んだら時間を感じないから、 直ぐに時間を感じる何かになる すなわち、1000兆年後も一瞬で飛び越えてしまいう そして、時間を感じる何かに到着する
@pon42930
@pon42930 Жыл бұрын
実体を、持たせることが 常になってますので、苦しみます、😢
@user-sb7rq5jj9w
@user-sb7rq5jj9w Жыл бұрын
お尋ねしますが、仏様は死んだあとの衆生は教化救済して下さらないのですか?また、私たち人間は生きている間にしか、後生の一大事の解決が出来ないのですか?私は死後も引き続き修行できると、思いますよ、善道界に生まれたらね❗
@inspectormorse9337
@inspectormorse9337 Жыл бұрын
私は、死んだら肉体から素粒子が飛びだし、「原意識」(=大いなる宇宙=すべて=神と表現する人もいる) と繋がると考えています。
@user-en7sc2ov1e
@user-en7sc2ov1e Жыл бұрын
生まれつき脳障害または発達障害の人認知症の人は生まれ変わりまたはあの世にいったらどうなりますかね、生まれ変わりに脳障害で生まれ変わった意味がないですよね。試練ですかね?
@user-dr3mp5fl7f
@user-dr3mp5fl7f Жыл бұрын
「生まれる事にも、死ぬ事にも、生きる事にも、意味はない」 アルボムッレ・スマナサーラ(1945年 - )/スリランカ出身の僧侶。スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。
@user-dr3mp5fl7f
@user-dr3mp5fl7f Жыл бұрын
kzfaq.info/get/bejne/n99hn8hprpu6f2g.html
@user-lg3gi7xc4z
@user-lg3gi7xc4z Жыл бұрын
天文学的数字の受注が入り夜勤をする。疲れたら休みたい。呼び出しが一番きつい。死ぬまで!!!
@user-hl7br5pc3z
@user-hl7br5pc3z Жыл бұрын
死んだ後の世界も因果応報も存在しています、早く犯罪をやめたほうが一生の為になります、来世の為にも!!!
@user-zn5ht8on6p
@user-zn5ht8on6p Жыл бұрын
全くその通りです 私も以前は死後は無い派でしたが 仏様と出会って自分勝手な思い込みだった事を察っする事が出来ました 自分のやった行いが自分の結果となる 正しくその通りですね
@user-qd8qr5wr4k
@user-qd8qr5wr4k 11 ай бұрын
どの宗教も全て人間が想像したフィクションであるのに、死•前世•あの世を語る。人間は何と面白い生き物だ。
@user-vu3iz5rl9t
@user-vu3iz5rl9t 3 ай бұрын
脳=心=私=肉体です、つまり脳が死ねばすべて死にます 生は死で終わりですので死後などありません、10歳の私と20歳の私と30歳の私は違いますけど、変わっているでしょうどこが同じなのですかね??
@user-vu3iz5rl9t
@user-vu3iz5rl9t 2 ай бұрын
証拠はありません、私(心)が独立した存在であるという証拠もありませんので。
@user-qs3gx4ob5i
@user-qs3gx4ob5i Жыл бұрын
どうすればその平生業生できるんですか? どうしていつも結論をいってくれないんですか? 有料の講座へ入れさせるためのKZfaqなんですか?その後親鸞会に入信させるというコースですか?
@yellowsexymonk8523
@yellowsexymonk8523 Жыл бұрын
死んだらどうなるかもわからないのに商売したり結婚して子ども作ったり正気の沙汰ではないな。でもなんでついそーしちゃうんだろか?
@user-qd8qr5wr4k
@user-qd8qr5wr4k 11 ай бұрын
どの宗教も何故、莫大な金が集まるのか?儲かると言う字は信者と書く•必要悪か⁉️教えてください☆
@YoichiroYawata
@YoichiroYawata 7 ай бұрын
後生があるかどうかなんてどうでも良いことだと思います。所詮、この宇宙の創生(138億年前?)から果てしない時間を掛けて生まれて来た生命の一つに過ぎない。生命自体も、所詮空しいもの。ましてや人間なんて。なので死んだらどうなるか、なんて問題は議論する価値もないと思います。後生の一大事と言われても全くピンと来ない。ただ、しゃべることもないし、活動もしない、只の物体に還るだけでしょう。 最近親が死んでその遺骸も、焼却後の骨も見たが、ただの物体でした。(勿論腐敗したら、臭くてそばにいたくはなくなるでしょうが。) 今生きている自分も、繋がれてきた夥しい生命の成れの果ての一形態でしかない。そして、忘れてはならないのは、全て大元は無だということです。 やがて死んで、その先にある世界をみることができるのだとすれば、それはそれで非常に楽しみではあるが、逆に何もなくなって無感覚になったとしても、何も怖いことではありません。そんな先のことを怖がっているよりは、今という時間を楽しみ尽くして生きていきます。
@makokisi2104
@makokisi2104 Жыл бұрын
親の死後まで生きれない
@user-gw8ok4oh4v
@user-gw8ok4oh4v Жыл бұрын
とどのつまり宗教は死を扱う物だなあ。そこに行き着くと思うなあ。 幸せもそこになあ。不幸もそこになあ。神さま、仏さま等はいずれもなぁ。 毎日あげる水や酒等なあ。しんどい時はしないが、それをすることで心が落ち着く。 それと生きていた時の思い出は多分その人が生きている限りなあ。 ある意味で思いでもなあ。
@user-lr8lr9bb3t
@user-lr8lr9bb3t Жыл бұрын
主人は自分自身は無だといいます。でももし子供が亡くなったたら無だと思うのは嫌だなぁとも言います。 地獄天国はないと思うけど子供には天国に行ってほしいと。矛盾だらけ。(笑) 俺、なんでこんなへんてこな考えなんだろう?って言ってます。 将来主人の考えが擦り合うときがあるのか楽しみです。
@user-vb8yq6mx8e
@user-vb8yq6mx8e Жыл бұрын
真実は、死ねば無、だとして、それをそのまま伝えたら勘違いしてしまう。誤解して、変な道に進む可能性もあります。 無になるからこそ、今が尊い、死は自分の死。残された人にはその生きた証が影響として、受け継がれていく。 だからこそ、良い影響を残して死ななければと悩む段階にいたることが悟りかもしれませんね。
@user-dr3mp5fl7f
@user-dr3mp5fl7f Жыл бұрын
「世の中には 答えのない問いと 答えのある問いがあります。 生きる意味は 答えのない問いです。 答えのない問いは 放っておきなさい」 アルボムッレ・スマナサーラ/1945年スリランカ生まれ。スリランカ上座仏教長老。
@user-px7py5mp3q
@user-px7py5mp3q 11 ай бұрын
死んだらどうな、るのか、さいごまで聞いたけど、なんにも答えてない。時間の無駄。
@user-ni1um8nq5k
@user-ni1um8nq5k Жыл бұрын
@user-bt6zw2py1e
@user-bt6zw2py1e 10 ай бұрын
肉体と私は一体です、肉体=私=肉体です、肉体が死ねば私も死にます、死後は無になるのではなく、私語の世界は無いのです。
@goro1956
@goro1956 Жыл бұрын
教えてほしいと思う事が間違いだよな、謙虚に論理的に考えれば、魂も肉体も無になると思うのが普通だよ、厳密に言えば火葬なら灰と骨になり、やがては土と混じり合い存在は永遠にするだろう、土葬でもいずれは土になり存在はあるが、魂などは無になるとするのが妥当なだろ。魂は輪廻転生するとか俺は全く信じない。
@user-nx5dn7hv9g
@user-nx5dn7hv9g Жыл бұрын
はい、無です。
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