7:55 Yontan Tony(読谷飛燕 Ki-61-Id)は帝国陸軍第19戦隊(その前は第55戦隊)所属機と考えられており米海兵隊VMF-322により鹵獲・整備され、1945年7月21日にチャールズ・クンツ少佐により嘉手納にて鹵獲後初飛行したとされているようです。 8:14 飛龍は、岐阜県各務原で接収された5機がアメリカに送られ、FE-2200/T2-2200からFE-2204/T2-2204の登録記号が付与されています。FEはオハイオ州ライト・フィールドに置かれた外国機評価部門に送られてきた機体に付与された記号でForeign Equipment(外国機)の意味です。外国機評価部門はのちTechnical Data Laboratoryの第2部門(T2)になり、所属機の記号ははFEからT2は変更されます。アメリカに送られた飛龍5機のうち少なくとも3機は護衛空母コア(USS Core CVE-13)に載せられ1945年11月14日に横須賀を出港しカリフォルニア州のアラメダ港に運ばれました。そこから何らかの方法でペンシルベニア州のミドルトンに運ばれ評価試験を受けています。その後ニュージャージー州ニューアークのAOAMC(Atlantic Overseas Air Material Center)で一時保管されたのち1946年中に廃棄処分となっています。8:53の写真はニューアークで撮影されたものです。ただFE-2200/T2-2200は博物館への保管計画があったようで1946年9月18日に博物館に運ばれたとの記録があるそうですが、その後の行方は不明です。