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【ゆっくり解説】卑怯過ぎて名を轟かせた戦国最悪の卑怯者5選

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日本史ヒストリア【ゆっくり解説】

日本史ヒストリア【ゆっくり解説】

Күн бұрын

【ゆっくり解説】卑怯過ぎて名を轟かせた戦国最悪の卑怯者5選
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#日本史 #ゆっくり解説 #卑怯者

Пікірлер: 350
@user-lf5ej5wj3l
@user-lf5ej5wj3l Жыл бұрын
仙石秀久と山内一豊は、あの世で一領具足達に突かれる無限地獄におるぞ
@engawanoneko2435
@engawanoneko2435 Жыл бұрын
最終的に大名として生き残った仙石秀久の名誉が江戸時代を通して全く回復されない時点で 戸次川の戦いが言い訳不能な失態だった事が良く分かる
@user-tm5kh2cw6e
@user-tm5kh2cw6e Жыл бұрын
こいつが先鋒になって釣り野伏せで戦死してれば…。
@Laurel-2.5clubs
@Laurel-2.5clubs 11 ай бұрын
​@@user-tm5kh2cw6e 長宗我部信親も戦死することはなかった
@user-jr3px8zk5e
@user-jr3px8zk5e 11 ай бұрын
あれは・・・・あの尼子、大内を滅ぼし、 秀吉さえ簡単には勝てなかった毛利を 散々苦しめた大友やその大友苦しめた龍造寺を 赤子の手を捻るが如く壊滅させた。 島津を長宗我部だけで、戦えは、無理だと 秀吉に分からないはずがない・・・・ これは小牧長久手で、秀吉を妨害した仕返し人事 の一貫じゃないかと
@user-tm5kh2cw6e
@user-tm5kh2cw6e 11 ай бұрын
と言うか、仙石が四国攻めで苦戦したので その当てつけ(報復)で四国諸将に無理な戦闘を指示したとも 言われてますね。@@user-jr3px8zk5e
@moyasi5321
@moyasi5321 9 ай бұрын
馬謖と仙石秀久
@motoyukihirai777
@motoyukihirai777 Жыл бұрын
一領具足の件があるから、山内家は土佐で今一つ人気がないのだと思います。
@user-ii4gb9mk1v
@user-ii4gb9mk1v Жыл бұрын
幕末にまさか長宗我部の家臣の子孫達に復讐されるとは…
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki Жыл бұрын
後は勤皇党の大弾圧ね😮
@user-py7kl4ru8d
@user-py7kl4ru8d Жыл бұрын
​@@user-ii4gb9mk1v返り討ちにしとるやんけ。土佐藩から明治政府に行ったの後藤や板垣とか上士だし
@taroyamada6685
@taroyamada6685 6 күн бұрын
だが全てを龍馬に持っていかれるというオチ。
@user-ec9dl7qg2k
@user-ec9dl7qg2k Жыл бұрын
朝倉宗滴「犬畜生と言われようが勝つのが武士の本分」
@user-mu1eo5qf6l
@user-mu1eo5qf6l Жыл бұрын
大義名分の無い裏切りは支持されないゾ
@rok839
@rok839 Жыл бұрын
武士は、犬とも言え、畜生とも言え、勝つが本にて候
@user-yb7gl3rg3o
@user-yb7gl3rg3o 22 күн бұрын
そもそも大義名分なんてそいつの匙加減次第では?
@simanagasi
@simanagasi Жыл бұрын
流れ的に見ても、仙石秀久が戸次川であんな事しなければ山内一豊による大虐殺も起こらなかった。四国大名にとって不幸の連鎖。
@tostom3701
@tostom3701 Жыл бұрын
山内家は相撲事件以上に幕末までもアパルトヘイトを続けたから嫌いなんだよなあ
@reef22222
@reef22222 Жыл бұрын
二代忠義が野中兼山を登用して融和政策を図りましたが、三代忠豊以降元に戻っちゃいましたからねえ
@user-cz1ev1vl5m
@user-cz1ev1vl5m Жыл бұрын
まあそれも仕方がない面もあるんだよな。 そのアパルトヘイトの連中の方が『身分が上』というとんでもない事実があったりするからな(笑) 経済的には完全に負けてるし(笑)
@user-jf9tf6pe1n
@user-jf9tf6pe1n Жыл бұрын
長宗我部の旧臣達も仕方無いことと割り切って山内に恭順すればまた違ったかも知れない。
@chevalier0316
@chevalier0316 Жыл бұрын
@@user-jf9tf6pe1n それ。そもそも浦戸一揆なんてガイジムーブ起こしたから徹底的に粛清された訳やし
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
そもそも土佐なんて薩摩並の蛮族エリアを凡庸な大名が統治したらそうなるっしょ
@user-mn6ks9om4l
@user-mn6ks9om4l Жыл бұрын
一方的に裏切った荒木に対して、戦国大名としてはものすごく甘い提案、解決策出してる信長を鬼畜扱いとは恐れ入る。
@user-rg4qm7nk5j
@user-rg4qm7nk5j Жыл бұрын
裏切りや失敗をしたとき、メチャ叩かれる場合と、そうでない場合がある。 秀吉だって手取川の前に勝手に帰っちゃったし、利家も賤ヶ岳のときに勝手に撤退して勝家の敗因をつくった。 ふだんの人なりが、影響してるんだと思う。
@rok839
@rok839 Жыл бұрын
荒木は、逃げ続ける中で「道糞」として名前を変えるところが、完璧な悪者になり切れない人間味を感じて好きなんよ
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 6 ай бұрын
荒木村重の場合は「家中唯一の親織田派であった村重をクーデターで追放した親毛利派の家臣達が村重の名前で謀反を起こした」というのが真相ではないかと思ってましたが・・・・・ 村重を説得に赴いた黒田官兵衛が長期幽閉されたのその事実が官兵衛にバレたからではなかったかと。
@user-xs9gg5hk5p
@user-xs9gg5hk5p Жыл бұрын
この中で荒木村重だけは超優秀なんだけどな。なんなら織田方面軍団長になっててもおかしくない。地盤がなかったのが痛かった。
@user-hv9gg9im8i
@user-hv9gg9im8i Жыл бұрын
私も、そう思ってます。 むしろ、好きな武将です。
@mogamiga_oyoshi
@mogamiga_oyoshi Жыл бұрын
信長公は説得しようとしてたのにね。だからこそ怒りは倍増した
@user-zz8jc4pi9w
@user-zz8jc4pi9w Жыл бұрын
文化人としても知られている側面もあるので、文武両道の傑物なんですけどね。 優秀であるからこそのやっかみもあったのかも。
@user-gl6zw8gq1n
@user-gl6zw8gq1n Жыл бұрын
氏素性がわからない秀吉とか明智の下につくのが嫌だったんやろな
@user-ij6in3fb8x
@user-ij6in3fb8x Жыл бұрын
軍資金or毛利への手土産にしようと思って名物茶器を持ち出したら、「妻子よりも茶器の方が大事」とか言われてしまった。
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
コメ欄が案の定山内家への集中砲火で夏草
@kawauso_daisyogun
@kawauso_daisyogun 3 ай бұрын
高知県民からしたら気に入らないだろうねw(by高知県民)
@user-nm5fh5dk5f
@user-nm5fh5dk5f Жыл бұрын
信雄より長益(有楽斎)の方が卑怯者感ある
@user-qy2yg7xi8z
@user-qy2yg7xi8z Жыл бұрын
卑怯者というより臆病者かな?それ故生き長らえたともいえるのだが。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s Жыл бұрын
@@user-qy2yg7xi8z 本能寺の変の時やろうと思えば信長を脱出させる事できたのに それをせず自分だけ逃げて生き延びたからね
@linn19991
@linn19991 Жыл бұрын
@@user-co4uy9zu1s 信長でなくて息子の信忠の方じゃなかった? ま、有楽斎が卑怯であることにに変わりはないがw
@ckhvklbff
@ckhvklbff Жыл бұрын
織田の源五は人ではないよ
@user-zt8mq7pj6z
@user-zt8mq7pj6z Жыл бұрын
信忠生存していれば、歴史が大きく変わってたのに。
@jacknovak-tm1hb
@jacknovak-tm1hb Жыл бұрын
私はスロバキアにいた頃、大学で日本の戦国時代の歴史を学習しました。 戸次川の戦いは豊臣秀吉の陰謀があると思っています。 秀吉が仙石に渡した手紙では「援軍が来るからそれまで守りに集中しろ」という内容でしたが、仙石が君主の命令を破ってまで戦ったのが不自然に思いました。真の命令は「島津と戦って長宗我部を弱体化させろ」だったのではないでしょうか。 長宗我部は豊臣に屈したとはいえ、かなりの力を持っていて、後継者の息子も才能豊かな人物だったようです。秀吉としては非常に厄介な存在だったと思われます。 次に、派遣された豊臣軍の武将である仙石秀久、十河まさやす、長宗我部元親は過去に敵同士であったため折り合いが悪くなるのは必然です。話し合いもまとまらないだろうし、何かのアクシデントが起こることを期待しているような組み合わせです。 戦いの結果は豊臣の惨敗で、十河と長宗我部の息子は命を落とし、指揮官の仙石は無様に逃げたにも関わらず処刑されなかったのは、単に秀吉の昔からの家臣という理由だけではないでしょう。
@user-nh4lr6er5e
@user-nh4lr6er5e Жыл бұрын
村重君より中川君の方がヤバい
@user-lv5ee5qx9g
@user-lv5ee5qx9g Жыл бұрын
山内は器に過ぎた所領を与えた徳川も悪い
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Жыл бұрын
国も大名(譜代じゃないし…)も厄介払い(国を保てねば改易、鎮圧できたら儲けもの)したかったのかも…。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s Жыл бұрын
掛川城差し出しただけで 5万石が24万石だもんな
@user-sw3jo6yg9n
@user-sw3jo6yg9n Жыл бұрын
@@user-co4uy9zu1s 徳川家康は土佐の石高はもっとあると思っていたらしい。
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
それはしゃーないっちゃしゃーないよ 大阪夏の陣で豊臣家滅ぼしたけどその時点で250年近く続く幕藩体制が出来るなんて思いもしない訳で まだ火種燻る時代は必然的に有能さより忠誠心の高い武将(或いは反乱を恐れ意図的に凡庸を)取り立てて政権を固めるより他なかった
@user-gf4zc1cf6h
@user-gf4zc1cf6h Жыл бұрын
卑怯者って言うから権謀術数の成り上がり宇喜多直家や表裏比興の者、真田昌幸なんかを期待してました。 今回の武将は小賢しい狭量の小物しかいませんね。 この中で実力者は荒木村重だけやんね!そして個人的には仙石が一番嫌いだー
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon Жыл бұрын
荒木村重は明智光秀や羽柴秀吉を超える織田家臣団の中でも飛び抜けた出世頭だったものの、与力として付けられていた高山右近(もしくは中川清秀)の配下が包囲されている本願寺へ兵糧を運び込んでいる事が発覚、信長に事情聴取の為に呼び出されるも、行ったら成敗されるという右近(清秀)の言葉に乗せられて謀反を決意したと言われてますね。 村重の計算では右近と清秀を前衛として持久戦に持ち込み、本願寺・毛利の支援を受けて信長の討伐軍を撃退する予定だったものの、信長は短期決戦を目指し北陸などへ遠征中の方面軍まで呼び寄せる想定外の規模となる討伐軍を編成、張本人である右近(清秀)は戦わずしてあっさり降伏してしまい、信長率いる討伐軍は何の障害も無く有岡城を強襲します。 ところが有岡城は広大な惣構を持つ堅城だったので信長が指揮する強襲に揺るぎもせず、これに驚いた信長は一転して長期戦に切り替えたのである程度は村重の思惑通りになったのですが、本願寺も毛利も織田勢に苦戦を強いられて戦況を打開するめども立たず、一年近く包囲された末に村重一人生き残る結果になったとか。
@japan-man
@japan-man Жыл бұрын
あの時代の摂津勢ってコロコロ寝返って、本当に信用できなかったからね…。 中川云々のくだりは「信長公記」あたりに記述があったような気がします。 仮に謀反がなければ、明智の代わりに四国担当になれていたかもしれませんねえ。
@user-py7kl4ru8d
@user-py7kl4ru8d Жыл бұрын
清秀や右近が織田に降るの促して人質も傷1つ付けずに解放した聖人荒木
@marieiru
@marieiru Жыл бұрын
土地をもらったら、最初に一揆と正面から戦って鎮圧していった秀吉の部下たちがシンパシーを受けるのは、こういった背景だったのね。
@user-uv5xf9gp2x
@user-uv5xf9gp2x Жыл бұрын
「根切り」といって、民間に分け入ってゲリラ掃討戦。当時の宗教勢力は実にタチが悪かったから。
@yamatanooroshi
@yamatanooroshi 11 ай бұрын
徳川慶喜「何て卑怯な奴らなんだ」
@ansorgii
@ansorgii Жыл бұрын
江戸時代に入ってもしばらくの間は「騙される方が悪い」という考え方が一般的だったし、忠義だ武士道だと言う話は後から作られたものだから、この人たちのやったことは当時としては当たり前のことだったと思うよ。
@TheA9817020
@TheA9817020 Жыл бұрын
幕末に中心になっていくのが下士というのも因縁めいてる。
@mmoriya2063
@mmoriya2063 Жыл бұрын
信雄は無能とか言われながらも、生き残って子孫も残してるから 最後まで生き残ったものが強者を体現した存在ともいえる。
@user-ns1od3fb3m
@user-ns1od3fb3m Жыл бұрын
北条との交渉をやってたし、口が上手かったんでしょうかね? あいつは何もできんやろと思われてたこそ、生き残れたのか?
@queirrelel
@queirrelel Жыл бұрын
信長が天下人だったとは認められません 足利義昭が将軍として鎮座していました 禅譲された秀吉の天下は認めることは可能だと思います また軍規的には 馬鹿の仙石は軍に当たるよりも城を抜くべきでしたねと言いたい それか大友の防衛に専念すべきでしたかね 敗残の兵に責任を取らすだけの秀吉も秀吉ですね それで自滅したんでしょう 攻め急いで自軍を滅ぼした者に破滅あれ
@user-ck4cv3jh1j
@user-ck4cv3jh1j Жыл бұрын
同い年の兄弟でも26歳で切腹させられた信孝とは対照的な結果
@user-by6kk1ps2q
@user-by6kk1ps2q Жыл бұрын
でものぶおの子孫は天童藩に移転した後、凄まじい重税を課しましたよ。
@d89ascyuuka
@d89ascyuuka 3 ай бұрын
子孫になったら他人よ あの信長の子がのぶおなんだもの
@akihiro3649
@akihiro3649 Жыл бұрын
山内家のやり方は後に多くの藩士から反感を買って最終的に坂本龍馬による大政奉還に繋がっていく訳か…。
@haru-entmotaku
@haru-entmotaku Жыл бұрын
歴史って過去から未来へ因縁が続いて行くから面白いですよね。
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei Жыл бұрын
龍馬は大政奉還には無関係。
@user-oc7lp4ko7p
@user-oc7lp4ko7p Жыл бұрын
とはいえ、一領具足とかいう特殊な武装集団を放っておいて一揆でも起こされた日には仕置の不手際を理由に改易の口実にされますからねぇ。
@user-xh2tt8bm4w
@user-xh2tt8bm4w Жыл бұрын
坂本龍馬による???
@user-br9qp6zz4i
@user-br9qp6zz4i Жыл бұрын
坂本龍馬の家は裕福な金貸しで郷士株を購入して武士になってるからそれは当てはまらないと思う
@user-ck4cv3jh1j
@user-ck4cv3jh1j Жыл бұрын
功名が辻では山内一豊の…軍師官兵衛では荒木村重のエピソードが描かれてましたよね
@user-dv1zu9mg4y
@user-dv1zu9mg4y Жыл бұрын
信雄の安土城放火は怪しいけど 出来がよくなさそうなのは確かだ だけど情報リークなら結構多くの人がやってそう
@nagatomiyama3095
@nagatomiyama3095 Жыл бұрын
軍艦✘ 軍監○ 動画の中だけなので変換ミスだと思うけど、一応。
@user-xr1jp4cm8d
@user-xr1jp4cm8d Жыл бұрын
信雄の一族は幕末どころか現在進行形で子孫は現存している。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s Жыл бұрын
ただしフィギュアスケート出身の某氏は無関係
@Hentaisan69
@Hentaisan69 Жыл бұрын
功名が辻では部下のカマキリおじさんが勝手にやったことになっていましたね ドラマとしては大変面白かったです
@Odoroku-tomoya4n10
@Odoroku-tomoya4n10 Жыл бұрын
カマキリおじさん、幼なじみの千代に横恋慕していた設定だしな………
@user-xz5lk1lb4s
@user-xz5lk1lb4s Жыл бұрын
仙石が一番ムカついたね その後長男を死なせた元親は心を病むんだよね
@yasutaka2784
@yasutaka2784 Жыл бұрын
卑怯過ぎってのは違うんじゃないですかねえ
@user-fe9ed3pl4w
@user-fe9ed3pl4w Жыл бұрын
信雄からしたら自分の父親の地盤をかっさらっていった元農民に対して何も思わないわけがないんだよな。寧ろやり返してせいせいしてそうだし、割と世渡り上手の有能だったのかもね。
@user-qy2yg7xi8z
@user-qy2yg7xi8z Жыл бұрын
荒木村重が卑劣に思えるのは、奥さんおいてにげたことかな?
@japan-man
@japan-man Жыл бұрын
宇喜多直家「やったぜ」
@user-os5dw7lz7y
@user-os5dw7lz7y Жыл бұрын
三大梟雄定期
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
​@@yamadataro4393 陶晴賢「まったくやで」 山中鹿之介「おいコラお前ら全員並べ」
@user-mg8pn7ti9f
@user-mg8pn7ti9f Жыл бұрын
村重は利休十哲の1人で、本能寺の変後堺に行き秀吉に誅される事もなく茶人道薫として過ごしたので、正に芸は身を助けるだと思います。
@kvrg8582
@kvrg8582 Жыл бұрын
仙石はこんな大失態をしても最終的に10万石級の大名になるんだから凄いもんだ。 汚点は間違いないが、切り替えていけるポジティブ思考も大事だよね。
@tau758
@tau758 Жыл бұрын
その子孫が民主の仙石?
@user-tn2hp8vc8e
@user-tn2hp8vc8e Жыл бұрын
仙石に関しては宮下英樹先生の漫画「センゴク」シリーズを読むといいと思います、まあ主人公だけあってかなり仙石よりの話ですが、キャッチコピーが戦国時代最も失敗して最も挽回した男。
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Жыл бұрын
@@tau758 読み(あっちは仙谷)が同じだけですが、まあ、本質は似たようなもんでしょう。 俺もあの糞議員の名を知ってまず仙谷秀久を連想したもんです。
@user-wl3hz2cp3s
@user-wl3hz2cp3s Жыл бұрын
それどころか外様のなのに一時期は他の譜代よりも高待遇を受けてたww
@hirose795
@hirose795 Жыл бұрын
仙石って四国の人には親の仇みたいに恨まれてるからなあ。 長宗我部信親をあんな死に方させたから。
@user-rk4sd1gu2q
@user-rk4sd1gu2q Жыл бұрын
山内一豊が大河の主人公に なったとき笑ってしまった。 あんな雑魚キャラやるくらいなら他にいくらでもいるのにね。
@shimishimi43
@shimishimi43 Жыл бұрын
大河の主人公は一豊ではなく千代だったと思います。
@user-qy2yg7xi8z
@user-qy2yg7xi8z Жыл бұрын
あれは奥さんの千代さんがメインだからな。一豊はオマケ。
@Odoroku-tomoya4n10
@Odoroku-tomoya4n10 Жыл бұрын
因みに武田鉄矢(坂本竜馬の信奉者であり「お~い!竜馬」の原作者)が憎むべき敵である山内家の家臣役を演じた時、悩みながらもその役を引き受けたのだが、その理由が「土佐に入る前に死ぬ役」からだそうで……… 更に言うと「お~い!竜馬」は山内家憎しから山内容堂をことさら極悪人に描いており、山内家の子孫からクレームがきた程。 とうとう作画担当の小山ゆうが武田鉄矢の指示「山内家は最後まで悪役として描け」を無視するようになった。
@user-ns1od3fb3m
@user-ns1od3fb3m Жыл бұрын
四国では盛り上がってましたよ。 後年、歴史好きになって??でしたが、あれは奥さんの物語だから、、。
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
功名が辻、読んでな
@user-ez3nl9ik8o
@user-ez3nl9ik8o Жыл бұрын
山内は堀尾氏の献策を自分のものにしたんだから、本当救いようが無い よく大河になったもんだわ
@user-ry8wk8qj9w
@user-ry8wk8qj9w Жыл бұрын
大河ドラマが放送中に高知に帰ったが、高知駅のパンフレットがめっちゃ捨てられてた(笑)
@user-xv6ne9ec4l
@user-xv6ne9ec4l Жыл бұрын
まるっとさくっと千夜のお話だったりして、功名が辻…😅
@CX-EURO400
@CX-EURO400 Жыл бұрын
やっぱり高知県の英雄は、土佐の出来人と呼ばれた長曽我部元親なんでしょうね。
@user-on8eg4xe7d
@user-on8eg4xe7d Жыл бұрын
高知県の人からすると長宗我部の大河の方が良かったでしょうしね。高知県で山内家はよく思われてないから、妻を前に出して女受け大河の形にするしかなかった。
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei Жыл бұрын
小説功名が辻でも 一豊と千代の最後の会話は 一豊「わしが無能だからか」 千代「はい」 だったし、 一豊は一貫して「良くて中の下」 くらいの書かれ方をしてましたね。
@user-lc3rp3uz5k
@user-lc3rp3uz5k Жыл бұрын
大坂の陣は秀吉の画像は秀頼に変えようよ…
@user-od5mn9zu7j
@user-od5mn9zu7j Жыл бұрын
信雄の血は巡り巡って皇室に入ったことを考えると歴史って面白いなと感じる
@user-qp6ql1yc2r
@user-qp6ql1yc2r 11 ай бұрын
徳川の思惑で土佐行が決まった山内氏 後の世に土佐の下士が坂本竜馬を輩出して大政奉還の一役を担ったのは皮肉
@user-ng6nr7id9v
@user-ng6nr7id9v Жыл бұрын
安土城放火犯は他にも色々な説があるから……。
@user-pq3wm5db8b
@user-pq3wm5db8b Ай бұрын
土佐の国では山内家は身分差別作ったから山内家より長宗我部の方が人気ありますよ。板垣退助と坂本龍馬みたいなもんかな。長宗我部の方大河ドラマにして欲しかったね。それかジョン万次郎とか。
@user-qt2fo6rp5h
@user-qt2fo6rp5h Жыл бұрын
信長に不憫と言わせるとか… それはそれとしてノッブの見せしめ容赦ねぇな。
@user-mf4yl8sd8h
@user-mf4yl8sd8h Жыл бұрын
山内一豊がいなければ土佐の武士の上下関係も出来ずに坂本龍馬等の幕末土佐の英雄も誕生しなかった。と、考えると複雑です。
@KayN61
@KayN61 Жыл бұрын
滝川雄利はこの後秀次事件や関ヶ原(西軍につく)の時なども上手くくぐり抜け、片野藩の藩主になるも晩年は娘の早逝、跡継が病弱ゆえに片野藩は二代で絶家になるなど晩年はやや寂しいものでした
@Laurel-2.5clubs
@Laurel-2.5clubs 11 ай бұрын
仙石のせいで長宗我部は滅んだようなもん
@human2737
@human2737 2 ай бұрын
龍馬伝にも出てきた上士・下士って山内一豊の時代からあったのか…
@jager1370
@jager1370 7 ай бұрын
山内一豊は若干仕方ない気もするな 旧長宗我部の家臣を登用してはならないって徳川からも言われてたかもしれんし
@natsuhio21
@natsuhio21 Жыл бұрын
山内一豊は大河ドラマの主人公に抜擢されたほど(しかも原作は司馬遼太郎)なのに 全国でも高知でもそんなに人気なくてむしろその後にゲームですごいビジュアルで出てきた 長宗我部元親の方が圧倒的に人気・認知度が高いのが全てを表してるなw
@user-oh4fj7fh3v
@user-oh4fj7fh3v Жыл бұрын
地元だけど山内一豊みんな知らんよ 同級生が街頭インタビューで有名な武将で山内一豊言わされてた そいつ引っ越してきたやつだから地元全然関係ない
@nakaiti3780
@nakaiti3780 Жыл бұрын
山之内一豊はこっそりやりくり上手で戦支度をしてた妻の伝説のほうが有名かな 長曾我部は土佐の土豪から一時は四国統一したので人気があると思うが西軍に加わって家が断絶したからout!
@user-ci7jg7oi6j
@user-ci7jg7oi6j Жыл бұрын
まぁ、山内家は外様だし仕方ないよ それに比べて長宗我部元親は実力で四国統一してるからね
@user-vp4xs1ex2y
@user-vp4xs1ex2y Жыл бұрын
いや長宗我部も大概だったよ、ホントに戦国BASARAのきっかけのおかげだと思う。 それまで秦神社とかも今みたいに盛り上がってなかった。 山内家の大河ドラマ功名が辻は、酷い所業は全部忍び役が被っててちょっとそこが残念でした(まぁそうしないと純朴キャラでいられませんが)。 やっぱり高知といえばの坂本龍馬や幕末の郷士たちの頃の山内家はドラマや小説でも敵陣営にしか感じられませんし、好感度は地元民にはないでしょうね(泣)。 まぁ長宗我部も酷いことしてるとこもあるし、戦国のならいっちゃあならいかと思ってます。両家とも好きです。
@user-fr7bd1sh1w
@user-fr7bd1sh1w Жыл бұрын
武田鉄矢は功名が辻で一豊の家臣の役をやってたけど、最初は断ってたみたいね。土佐の上士下士制度を作った一豊が好きじゃなかったんだって
@user-fr2bt7zd6n
@user-fr2bt7zd6n 6 ай бұрын
(図々しくて厚かましいのね)
@user-hk6ng6dk2f
@user-hk6ng6dk2f Жыл бұрын
長曾我部は盛親が兄を殺さなければ土佐半国確保されていた
@user-kz3vi1lt8s
@user-kz3vi1lt8s Жыл бұрын
滝川雄利さんの参考画像にしてるお方が…丹羽長秀さん?
@kawauso_daisyogun
@kawauso_daisyogun 3 ай бұрын
当時は「卑怯」が褒め言葉だったらしいね 真田昌幸も、表裏比興の者とか言われて有名だったし
@user-kg4rp2sh4z
@user-kg4rp2sh4z Жыл бұрын
前者3名はきっちり栄達を掴んでるので 卑怯者と言われるよりも企みや時勢に抗えず滅んだ方がよほど情けないと言う話 (荒木道糞君以外は)
@user-nb5fg2wg4p
@user-nb5fg2wg4p Жыл бұрын
久武親直が入ってない!(笑)
@user-nh6ji8db6s
@user-nh6ji8db6s Жыл бұрын
歴史は詳しくないが、山内一豊は寝返りまくりで、大河ドラマになったり評価が高いのが分からんかった。 四国は大変だったんじゃないかな?
@junmoriyama7565
@junmoriyama7565 Жыл бұрын
山内一豊の所業はもともと藩の転覆に繋がりかねない一揆の首謀を捉えないとならないやむを得ない事情があったし、鎮静後は長宗我部の家臣も、同じように公平に寵じているあたり、やはり土佐の名君とされるのは腑に落ちる
@fanicsion
@fanicsion Жыл бұрын
山内一豊の愚行が、幕末には坂本龍馬をはじめとした土佐藩出身の志士を産んだわけで、歴史の面白さでもありますよね
@user-ch6kg1xe2u
@user-ch6kg1xe2u Жыл бұрын
山内一豊みたいな器がないのが一時の善行で器にそぐわぬ領地を与えられると、そこの人々は疫病より大禍だよな しかもそれが幕末まで続く山内家独自の身分制までやられたら、歴史的に暗愚と言われても仕方ない
@chevalier0316
@chevalier0316 Жыл бұрын
いうほど暗愚か?
@xxjuikl
@xxjuikl Жыл бұрын
あれで長宗我部の旧臣押さえ込んでちゃんと統治したんだから暗愚ではないだろ
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b Жыл бұрын
@@chevalier0316 暗愚ではないだろう。一領具足への対応は苛烈だったとは思う。 しかし・・・グズグズしていたら徳川幕府から仕置き不行届きとか突かれる恐れがあったから 早急に鎮圧するためにも謀略を駆使するしかなかったとも思える。
@user-py7kl4ru8d
@user-py7kl4ru8d Жыл бұрын
その山内家独自の身分制で明治政府に重鎮そこそこ送り出してるのはなんや?
@user-ut7yj7ng5l
@user-ut7yj7ng5l Жыл бұрын
私は、稲富祐直···。彼だけは、どうしても許せない。一色家、関ヶ原の戦いで細川ガラシャの護衛を任されていたのに放棄、逃亡。ほとぼり冷めてから徳川家へ。
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
なお鉄砲は得意
@toshis3972
@toshis3972 Жыл бұрын
山内一豊を上げるなら黒田親子や戸田勝隆も上げないと。卑劣さで言ったら黒田親子の方が酷いし苛烈さで言ったら戸田勝隆の方が酷い。他にも豊臣徳川の有名武将が参加した九戸政実の乱で九戸城の惨殺とか天下の軍と思えない卑劣さ 山内一豊が卑劣でないと言わないけど、豊臣大名は大なり小なりこの手の事をやっている。行政名人と知られる加藤清正も肥後国一揆の後に入ったのに恫喝や脅迫を駆使して反対派の国人を追い出している
@user-wf4ku9hy2p
@user-wf4ku9hy2p 11 ай бұрын
本当に卑怯なのは荒木村重より中川清秀でしょう。 村重「清秀おめぇ何で本願寺に兵糧送ってんだ!俺まで信長様に謀反の意ありって思われるだろうが!」 清秀「ゴメンゴメン!でもさー、信長って一度疑ったら絶対討ちに来るよ?もうやっちゃうしかないじゃん?」 村重「くっ…こうなったらしょうがない…信長を討つ!」 清秀「頑張ってね!ところで信長様、村重のヤローが謀反を企んでます!アイツの情報売るんで僕だけは許してください」 村重「」
@user-mu1eo5qf6l
@user-mu1eo5qf6l Жыл бұрын
卑怯なことをするなら大義名分は用意しないといけない
@huji8757
@huji8757 Жыл бұрын
最初に言っておくけどこの戦国時代は思うほどカッコよくはなく 裏切りに裏切り虐殺粛清もうドロドロな時代だった。 でもそうでなければこの時代は生き残れなかったんだと思う。
@user-ck4cv3jh1j
@user-ck4cv3jh1j Жыл бұрын
荒木一族処刑も一つの虐殺💀
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki Жыл бұрын
いうて光秀や小早川秀秋には手厳しい声多いよね😮
@sansei9
@sansei9 Жыл бұрын
@@pianochandaisuki基本的に家を滅ぼした奴には酷い言われようだった時代。擁護する人が誰も居ないから悪名とか押し付けられまくりだし。
@user-qo1mc5ty6t
@user-qo1mc5ty6t 11 ай бұрын
​@@pianochandaisuki 光秀→準備不足すぎ 秀秋→東軍に付くことには特に問題はないが、アル中で死ぬのは情けない。
@MrNKOlev
@MrNKOlev Жыл бұрын
前田利家がいない。やり直し。
@user-ik2kf4od7w
@user-ik2kf4od7w Жыл бұрын
センゴクにおける織田信雄は割と好きなんだけどな。 基本ダメな奴だけど後半、秀吉・家康を掻き回して一瞬父信長の不穏な顔を覗かせるシーンは何かを期待させさるものがあったよ。 結果ダメな奴だけど。
@seijuro_1111
@seijuro_1111 Жыл бұрын
決して「正々堂々戦おう」なんて高校野球みたいなことやっていたわけではないし、生き延びるためには卑怯でもなんでもやらざるを得ない時代だったわけだろ。 それこそ、家康なんて卑怯につぐ卑怯を繰り返して天下人になったわけだ。
@Kaito5327
@Kaito5327 Жыл бұрын
信雄の裏切りは、織田の社稷を簒奪した豊臣に対する意趣返しの意味も含まれていた。
@user-ef5bk9oo5s
@user-ef5bk9oo5s Жыл бұрын
荒木村重がその後文化人として大成して道糞となるところが本番
@gunsoviva1633
@gunsoviva1633 Жыл бұрын
へうげもの〜
@sk4423
@sk4423 Жыл бұрын
1番卑怯な家康がここに上がらないのも、勝ち残ったからなだけ。 生き残らなかった奴等の方が、卑怯じゃなかったから殺られただけ。
@ChiseNyan
@ChiseNyan Жыл бұрын
同じ卑怯でも愛される武将とそうでない武将がいるよね 真田昌幸なんかはすごく人気があるのに
@user-ww3lc7bi6b
@user-ww3lc7bi6b Жыл бұрын
真田昌幸は大勢力を相手に見事な立ち回りを見せたという事、また次男の真田幸村の活躍にあやかっているのも大きい。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s Жыл бұрын
昌幸は卑怯じゃなくて比興だからね 意味的には同じだけどニュアンスがちょっと違う
@user-vu7yx2rm2w
@user-vu7yx2rm2w Жыл бұрын
滝川雄利て、日本武尊みたいだね…
@user-gl6nj9un7h
@user-gl6nj9un7h Жыл бұрын
卑怯というのとは若干違う気もしないではない。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s Жыл бұрын
真田昌幸の卑怯とはまた違うよね
@user-cm8gi8mo6t
@user-cm8gi8mo6t Жыл бұрын
@@user-co4uy9zu1s 昌幸のは比する者を興せずの表裏比興ですけどね
@user-py7kl4ru8d
@user-py7kl4ru8d Жыл бұрын
​@@user-cm8gi8mo6t別に比興にも卑しいとかいう意味はあるけどな。ただニュアンス的に卑怯よりは面白いって意味も含んでる感び
@user-ll8zw2ce6z
@user-ll8zw2ce6z 11 ай бұрын
現代だとデーブ大久保とか仙石秀久っぽいよな
@gona16kyu
@gona16kyu Жыл бұрын
滝川勝利が丹羽長秀にしか見えない
@user-ic2hw9th6e
@user-ic2hw9th6e 2 ай бұрын
村重としては利害があまりにも複雑すぎてうまく説明でなきないので いっそのこと卑怯者呼ばわりされたほうがいいのかもしれない
@user-lo3xw5di7x
@user-lo3xw5di7x Жыл бұрын
信雄よりも有楽斎の方が…
@user-sk1nh2og7x
@user-sk1nh2og7x Жыл бұрын
卑怯者と言うなら本能寺後、織田家の血筋を立てず自らが天下人となった最悪の簒奪者秀吉もここに並ぶ曲者 晩年の立ち振る舞いも酷い有様 死後に家康に天下取られるのも自業自得よ
@user-gf5uv4uz7m
@user-gf5uv4uz7m 11 ай бұрын
火蓋は切られるもの
@akihiro8811
@akihiro8811 Жыл бұрын
現代とあまり変わらないね。
@user-tu4of9lz4k
@user-tu4of9lz4k 11 ай бұрын
信雄のことずっと"のぶお"って読んでた...
@user-fb7bt7wl5x
@user-fb7bt7wl5x Жыл бұрын
動画を上げる前にチェックするなりできませんか? 大坂の陣の際に秀吉の肖像画とか、、、 そもそもこの時代に卑怯とか言ってられない。いかに生き残るかということが大事なのに手段は選んではおれん。
@user-ct1zg6bh8n
@user-ct1zg6bh8n Жыл бұрын
山内一豊は謀叛を食い止めただけで、卑怯とは言えないのでは?
@user-ze3zr1qb6e
@user-ze3zr1qb6e Жыл бұрын
山内の策は諸葛孔明が得意とした、火計じゃな。
@73moto
@73moto Жыл бұрын
佐々成政も肥後を貰った後に一揆を起こされて秀吉から改易で切腹されたし、秀吉温故の大名で家康から家光までの間に改易されたのが多いから山内一豊は生き残りの為に止む得ない手段だったと思う。
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Жыл бұрын
川尻秀隆と異なり成功したから評価される一面も。
@user-cz3pb4im8z
@user-cz3pb4im8z Жыл бұрын
長宗我部以外に、三好も反対したかと…
@user-gf4yq1cj5v
@user-gf4yq1cj5v Жыл бұрын
今の時代の方が比べ物にならないくらい 卑怯者の権力者さまたくさんいると思います😊 当時は生死がかかっていることもあったので 許されることもあったと思います
@user-uc7mx7ux8q
@user-uc7mx7ux8q Жыл бұрын
土佐に入る時は井伊直政の入れ知恵を参考に、長曽我部の残党を鎮圧した!
@user-lv1px8gc2w
@user-lv1px8gc2w Жыл бұрын
山内一豊この中で一番卑怯者。これの末裔の山内容堂もな。ここには居ないが黒田長政も似たような事してたよな。
@koro2ton2
@koro2ton2 Жыл бұрын
9:15 も・・・木造
@user-eu3tx1iz1l
@user-eu3tx1iz1l Жыл бұрын
卑怯とかはない 勝てばいい時代
@user-oc6ju5jk1k
@user-oc6ju5jk1k Жыл бұрын
卑怯こそ 兵法の一部 生者に対する 褒め言葉!
@user-tf1qz1mv6v
@user-tf1qz1mv6v 11 ай бұрын
卑怯者。そう誉めるな。
@user-vp4xs1ex2y
@user-vp4xs1ex2y Жыл бұрын
個人的に好きな神社巡りだけど、長宗我部崇敬関連と山内崇敬関連の神社は参拝同日に被ったらいかんのかなぁとなんとなく思ってる。 神様になったら皆同じと信じたいけど
@user-mw3bq1st5z
@user-mw3bq1st5z 8 ай бұрын
卑怯者・・・としては・・・小早川秀秋・・・とか ・・・大谷 吉継 配下で・・・関ケ原の戦いで・・・吉継を裏切った武将たち・・・賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を裏切った前田利家・・・武田勝頼を裏切った 穴山梅雪とか 小山田信茂・・・も同様やろな。😬😬😬😬😬😬😬😬
@hibikiyamazaki8543
@hibikiyamazaki8543 Жыл бұрын
五指には入らないかもしれないけど、自分は織田長益を挙げたい 本能寺の変に際して、二条城に立て籠もった甥の織田信忠に向かって 「ここは織田家当主として潔く腹をお召しなされよ」と切腹を強要しておいて 自分はちゃっかりと逃げ出しているという 「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ召させておいて 我は安土へ逃ぐるは源五」 京の民に囃されるのは、マジでクズだと思います
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki Жыл бұрын
大坂の陣の時も狡猾でしたなあ😮
@user-nc3zl8up5e
@user-nc3zl8up5e Жыл бұрын
荒木村重は時期的にみて、三木城救援のために播磨襲撃の準備をしていた毛利水軍と連絡をとるために尼崎へ移動したもので、別に卑怯でも何でもない。尼崎移動の直後に毛利・雑賀・小寺連合軍が三木城包囲の秀吉軍を攻撃している(平井山の戦い)。小寺政職も臆病者でも何でもなく、三木城救援のために戦っている。平井山の戦いが毛利方の大敗北で終わったので結果的に不発になったということ。 なお、降伏・逃亡した順番で言うと、三木城の別所⇒本願寺⇒小寺・英賀衆⇒荒木で、本願寺降伏後も一人、最後まで戦っていたのが荒木村重。
@user-cz3qh5zz3t
@user-cz3qh5zz3t 11 ай бұрын
荒木は上月城の尼子を救援する羽柴勢に同行していた。上月城へは明智含む織田の援軍もやって来たにもかかわらず、別所への対応を優先するとの理由で上月城をあきらめ撤退。毛利勢の追撃をくらいながら敗走する羽柴勢の情けない姿も見ていたはずで、この時点で毛利のほうがよほどマシに見えてたかも。
@user-kk2nv6yf7q
@user-kk2nv6yf7q Жыл бұрын
…ん、真田昌幸は?
@user-fx9zh8ec2d
@user-fx9zh8ec2d Жыл бұрын
そのうち紹介されそうですね
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei Жыл бұрын
「表裏比興」は老獪とか喰わせ者 という意味で 「卑怯」とは違うから 出さなかったのでは?
@user-py7kl4ru8d
@user-py7kl4ru8d Жыл бұрын
​@@yamadataro4393動画に出てるやつ大半がそうやんけ。まあ昌幸は主君がピンチやから寝返ったろって感じではないのもあるけど
@user-sq1fo9lj9j
@user-sq1fo9lj9j Ай бұрын
山内一豊どうしても好きになれぬ武将。
@user-oo9vg2vk3q
@user-oo9vg2vk3q Жыл бұрын
浅井長政・松永久秀・徳川信康・荒木村重・佐久間信盛・明智光秀 信長のストレスゲージが頂点に…
@twintail1723
@twintail1723 Жыл бұрын
山内一豊は天正大地震で一人娘が乳母と城の下敷きになって死んでるからある意味可哀想
@user-ij6in3fb8x
@user-ij6in3fb8x Жыл бұрын
その後、何処からか拾って来た男の子に跡目を継がせようとするものの(一豊の隠し子説有り)、妻の千代から「何処の馬の骨かも分からぬ捨て子に頭を下げて素直に従う程、お人好しな家臣などウチにはおりません」と却下される。
@user-uh8ni5yo8l
@user-uh8ni5yo8l Жыл бұрын
荒木村重一族惨殺シーンがたけしの新作で描かれるのかなー。
@hayatoyoshida3122
@hayatoyoshida3122 Жыл бұрын
あれ、小早川秀秋は?
@notolmitedexpress
@notolmitedexpress Жыл бұрын
滝川雄利初見武将だけどクソ有能やん、調べてみよ。
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