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/ @kamitabi
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▫️目次
00:00 OPENING
00:25 長老から聞かされた『衝撃の事実』
03:01 長髄彦の最期
04:51 口伝だからこそ、価値がある情報
05:20 長髄彦は、『逆賊』だったのか?
06:37 主祭神『長髄彦』を『武乳速之命』にした理由
07:26 『武乳速之命』は、春日の神。中臣・藤原氏との関係があるのでしょうか?
09:02 登美の里の人々が語り継ぐエピソード
11:53 右殿左殿は、スサノオご夫婦ではなく、ニギハヤヒご夫婦ではないでしょうか?
13:14 長髄彦の人物像
14:04 長髄彦の血は、途絶えてはいない
14:39 長髄彦を祀る神社 宮司様の決意
14:53 八咫烏の正体
18:39 長髄彦とイワレビコ
▫️添御縣坐神社
公式KZfaq) / @user-pr1wu2gn4f
公式サイト)soumi.sub.jp
⚪︎御祭神
たけはやすさのをのみこと
建速須佐之男命
たけちはやのみこと
武乳速之命
くしいなだひめのみこと
櫛稲田姫之命
建速須佐之男命・櫛稲田姫之ご夫婦
農耕神として崇拝されていた。
江戸期は、神仏習合され『牛頭天王社』と称されていた。
建速須佐之男命→牛頭天王(ごずてんのう)
櫛稲田姫之命→頗梨采女(はりさいじょ)
⚪︎神旅の考察
たけはやすさのをのみこと
建速須佐之男命 → 饒速日命
たけちはやのみこと
武乳速之命 → 長髄彦
くしいなだひめのみこと
櫛稲田姫之命 → 登美夜毘売(三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)
▫️単語・意味
⚪︎宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)
父:邇芸速日命、母:登美夜毘売(長髄彦の妹)
物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる
⚪︎社家(しゃけ)
代々神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)のこと
⚪︎天孫族(てんそんぞく)
高天原より降臨した
天照大神などの子孫を神別の『天孫』としている。
⚪︎逆賊(ぎゃくぞく)
君主や国家にそむき、これを裏切る悪人、謀反人をいう。
⚪︎たけちはやのみこと
武乳速之命
亦名は、天児屋根命(アメノコヤネのみこと)
⚪︎春日神(かすがのかみ)
春日明神または春日権現とも称される四柱の神。
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神
⚪︎春日大社と興福寺
神仏習合の関係
興福寺は藤原氏の氏寺であり、
春日大社は藤原氏の氏神を祀る神社です。
⚪︎熊野三党(くまのさんとう)(宇井、鈴木、榎本)
八咫烏の三本足は、熊野三党(宇井、鈴木、榎本)を表す。
鈴木家累代の家紋は、八咫烏。
⚪︎藤白神社(ふじしろじんじゃ)
和歌山県海南市藤白
藤白神社の敷地内には、平安時代に熊野から藤代の地に移り住み、
約122代続いたと言われる鈴木氏の屋敷跡があります。
ここを拠点に全国3,300あると言われる熊野神社を建立し、
『熊野信仰』を広めました。
藤白神社の御祭神は、饒速日命
▫️メッセージ
宮司様は、氏子様の意思を尊重し
添御縣坐神社の宮司を引き受ける
決意を新たにされました。
私は、一人でも多くの方に
宮司様のメッセージが届く事を
心から願っております。
神旅
▫️まとめ
この地の伝承では
長髄彦との最終決戦は残念ながらあったとの事
但し、
『これ以上戦えば滅んでしまう。』
と判断した長髄彦は、自身の命と引換に民を残した。
長髄彦の御霊はこの山に祀られた。
そして
登美の一族の血は受け継がれ
その末裔様方が、
この社を代々守り続けておられる。
この山は、円墳の形状をしている事から
古墳ではないかと調査されましたが
その可能性は否定されました。
つまり、ここは長髄彦のお墓ではありません。
祀られているのは長髄彦の御霊ということ
信長と同じ謎が残されているという事かも知れません。