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1998年に開催された長野オリンピックに向けて変貌するのかどうか?と考え長野電鉄の撮影を挙行した。実際、本社電車部にてお話をお伺いしたが、短期のイベントに巨額の投資をするのもどうか?との見解によりあまり大きな変化は無さそうだ、と。それよりも地道に車両を旧型から新型にし、駅を整備するなど、一般の利用客の利便性向上に力を入れてゆきたいとのことであった。当時の在籍車両で順次淘汰を予定しているのは0系(OSカー/OSカーI)、2500系(もと東急5000系)で、営団日比谷線から譲り受けた3500系の増備とともに引退となるだろうとの見解だった。
しかし現在ではそれに加えて10系(OSカーII/新OSカー/OS10)も消えているではないか。また長野線の信濃吉田駅は1997年4月から橋上駅となるとの情報をいただき急遽撮影させてもらった。現在、新しくなった駅舎を見ると、かつての様子が思い起こされないほど変貌している。また併用橋の村山橋も新しい橋に架け替わっている。さらに当時は廃止するつもりはないと伺った木島線(信州中野~木島)、また屋代線(屋代~須坂)もすでに廃止されバス転換されている。湯田中駅構内の3両編成用のミニスイッチバックもなくなった。いま思い起こしてみると『大した変化を予定していない』からと言って撮影しなかったら、これらの映像が無かったかも知れないということになる。改めて、日々の記録、また撮影できる時にきちんと撮影しておく事の大事さを痛感する。なお撮影にあたっては長野電鉄本社電車部運輸課の許諾を得ている。