Пікірлер
@user-do4yq2zz8n
@user-do4yq2zz8n 16 сағат бұрын
曹丕、曹植の兄弟は世に知られているが。二代皇帝曹叡は余り知られずにいるような感じですね。本当に影が薄い。
@user-xi6zg6mf9c
@user-xi6zg6mf9c 21 сағат бұрын
曹操は救国の英雄でしょ。現代にいたら劣化劉備の主張しかしない大衆を尽く蹴散らして国の基礎を作り直してくれる
@user-x47
@user-x47 Күн бұрын
曹叡はこと有事に関してはすこぶる有能だったイメージがある
@user-rh7fw2eb5t
@user-rh7fw2eb5t Күн бұрын
自分は臣下として頂点極めたのに、子供はそこまで位の高くない人と結婚させてるんですよね。 こういうところも好きです
@987987253
@987987253 2 күн бұрын
片言脳筋キャラ
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 2 күн бұрын
2015年に発見された洛陽西朱村曹魏大墓(墓主は曹叡の娘、平原懿公主曹淑かもしれない)の女性遺骨の父系遺伝子は、 少なくとも曹休墓の男性遺骨のDNAの父系遺伝子、亳県曹操家族墓地の曹操の祖叔辈(曹鼎)の父系遺伝子と大体一致している。 O 2*-M 268という高频遺伝子断片が存在し、基本的には血統がかなり純正な曹魏皇族のメンバーと考えられる この「O 2*-M 268」の遺伝子断片は漢王朝の初期には現れないことは間違いないので、曹操と夏侯氏は相国曹参の末裔である可能性はあまりなく、 少なくとも曹参の本家本族ではない
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 2 күн бұрын
実は、 もう一つの側面証拠があり、 曹丕と曹叡の親子関係を論証することができる: 二人とも急性糖尿病の合併症で死亡した。 2人とも死亡前に深刻なショック症状があり、数日連続で正常な食事がなかった 曹操の子辈、孫辈の多人はこの家族遺伝病で早死にしているが、 卞夫人の遺伝子の不良問題かもしれない?
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 2 күн бұрын
卞夫人の甥である卞蘭は長期にわたって喉が渇き、頻繁に水を飲んだ記録があり、 典型的な糖尿病症状。 曹丕本人は甘いものが大好きで、 毎日仕事をしながら直接「石蜜」(氷砂糖)を食べるほどだった 氷砂糖を果物の薬味にするのではなく、氷砂糖をそのまま摂る、口でそのまま食べる。 「蜂蜜にサトウキビをつける」のは、曹丕が発明した行為芸術級グルメである。ブドウ糖、果糖(かとう)と蔗糖(しょとう)の結合 そして毎日お酒を飲んで大量のアルコールを摂取する、典型的な自殺的な食習慣です
@junkaisavoy1020
@junkaisavoy1020 2 күн бұрын
曹操、曹丕、曹叡、曹植は建安風骨、魏晋文学の代表的な人物として、すべて酒好きの芸術家であるが、 曹丕、曹植、曹叡はアルコール嗜好に節度がない。また、食事も問題になります。 曹丕、曹叡はご飯と鶏鴨肉を食べる時、脂身とご飯に蜂蜜をつけて調味料にするのに慣れていて、 しかも高強度の仕事の前に何度も飽食しなければならない 1日多食は少年時代の長期的な兵営生活の習慣、満腹にならない限り、フィットネスの良い習慣になります。しかし皇帝になってからは、1日に多食し、満腹になり、酒をたくさん飲んで、糖分を摂取するのが自殺行為だった。 曹叡はさらに極端で、 36歳で早世し、成年の子嗣を残さなかった。 五石散を吸う官僚や名士と長く接していると、精神状態は徐々に禰衡に近づいていく。 暴食の習慣があるが、体はずっとやせこけている。糖尿病による膵炎、急性ショックで急死し、死ぬ前に後継者問題に何の準備もできなかった
@user-ix6wk7lx6g
@user-ix6wk7lx6g Күн бұрын
これは勉強になる
@meltzkanon
@meltzkanon 2 күн бұрын
コメントの誰も「裏切者」とは思ってないのが答えか。 要害漢中を任され、それを正史でも演義でも立派に果たしたのだから、忠義と能力に優れた人物であったのは疑いが無い。
@Zosan7733
@Zosan7733 2 күн бұрын
相変わらず誤読をそのまま配信してる😅
@liberatumtaiwanae3580
@liberatumtaiwanae3580 2 күн бұрын
今日も台北で楽しく拝見しました."軍師連盟"だと言えば,第7回に,司馬懿と曹操の初対面のやり取りは私が数々の時代劇の中でもかなりな名シーンだと思います🐉 陳羣の貢献は分かりやすく透明化の官僚制度を立て直す事ですね.若い皇帝が受け入れるか陳本人も難しいと思ったはずなのに正直者ですから新しい制度を守る側の主張になったかもしれません.
@user-ik8yc9qq9s
@user-ik8yc9qq9s 3 күн бұрын
曹昂!!!!!!!!!!!!死ぬなぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!!!!!
@shou-sho
@shou-sho 3 күн бұрын
曹叡時代の内政における主なトピックを挙げておきます 1.中書監の台頭  →教科書的には前漢は三公、後漢は尚書、魏晋は中書が政治の実権を握ったとされます。  曹丕が秘書から中書に改めたわけですが「専権の任」とまで呼ばれ尚書を上回るのは曹叡の時代からです。 2.唯才主義の終焉  →曹操が始めた求賢令はあまりにも有名ですが、やはり戦乱期という特殊な時期のものでした。  太和四年(230)2月の詔勅では能力は当然として道義も重視されています。 3.宗室の強化  →曹丕の宗室への冷遇を反省したのでしょう。  太和五年(231)8月、六年(232)2月の詔勅で一族の融和を図っています。 4.刑罰の緩和  →鞭打ちの回数、死刑の条項を削減しています。  鞭打ちといっても(蒼天航路で曹操がやってたように)事実上死刑といっていいものがありました。 5.九品官人法  →曹丕が始めた九品官人法ですが彼はすぐ亡くなり、曹芳の代で司馬懿に骨抜きにされます。  ①文官が地方に派遣され ②現地の評価を聞いてリストを作り ③中央の役人が最終決定する  という形式は曹叡の時代にのみ機能していたかもしれません。 こうやって見ると、全般に曹操・曹丕がやってきたことの発展・緩和という印象がありますね。
@user-fq5cj6xo9e
@user-fq5cj6xo9e 3 күн бұрын
曹丕と曹叡の早死により老顧の相の持ち主の魏の乗っ取りスタートのスイッチが入ったな 曹叡、本当に曹丕の子なのか、わからん。
@ANmeets
@ANmeets 3 күн бұрын
趙雲やな。 趙雲別伝の信憑性が〜とか言われてるけど、そこも認めてるで。 あのダメ出ししまくる裴松之もそんなに間違ってない言ってるし。 趙雲別伝は盛られてるけど、同じようなことはあったって考えてる。 梨の花に例えられる武勇カッコええやん(意味はわからんけど(笑)
@user-ps9zn8lx5q
@user-ps9zn8lx5q 3 күн бұрын
曹叡は優秀ではあったのだろうけど曹家は曹操のような長生きが少ないよね曹叡も六十代まで生きてたらな
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c 4 күн бұрын
曹丕、曹叡と短命に終わったのが魏に取っては痛かったが、どのみち皇族を冷遇したから魏王朝の危機には役に立たなかっただろうな。曹叡の死後、曹爽と司馬懿の対立を何とかしようともしなかったし。いや力を抑えられすぎて何も出来なかったのか。だから後に晋が皇帝を守るために皇族に力を与えたが、逆に皇族同士が野望と私利私欲の塊になり八王の乱を引き起こしたて、中原を阿鼻叫喚にしたのは皮肉なことだな。
@mechadebu
@mechadebu 4 күн бұрын
曹叡「愛情のない親が交わって出来る子供は、何かが欠けた人間に育つのですかね?」
@user-xr6sb7rg7u
@user-xr6sb7rg7u 4 күн бұрын
三国志演義で孔明の儀式のロウソク消した時はムカついたな
@user-jj7tl4zb8c
@user-jj7tl4zb8c 4 күн бұрын
宮殿の増改築をせずに、内政と後継者問題に力を入れれば司馬懿の介入がなかったかもしれません しかし、宗族も曹休と曹真の一族が選ばれるほど宗族側も人材が不足していたのですかね 曹宇が謙虚な性格だったのも宗族にある意味で止めになったことに
@user-nh5vj5lj7z
@user-nh5vj5lj7z 4 күн бұрын
陳寿も草葉の陰で喜んでる
@shou-sho
@shou-sho 4 күн бұрын
ちょっと思考実験をやってみます。 1.曹叡が郝昭を任用したいと思った理由  →郝昭の能力については疑うところはないわけですが、彼が烏桓だと考えればまた別の意味が出てきます。  異民族をいかに政権に取り込んでいくかという、魏晋南北朝時代を貫く課題に踏み込んでいるということになります。 2.陳羣ははたして公明正大か?  →陳羣は洛陽城の造営に反対しました。史書では人民のためであることを強調しています。  本当にそうでしょうか? 検討してみます。  まずは事実の確認。  洛陽が董卓に破壊されたため、首都は許になりました。  曹操は鄴に宮城を築き、禅譲の準備を進めます。  魏王朝が成立したとき、曹丕は五都(長安・譙・許昌・鄴・洛陽)を定めました。  五等分の帝都です(←いいたいだけ)  じゃあ、曹丕が実際にいたのはどこか?  文帝紀読めばわかりますが、半分くらい許昌にいます。  ところで陳羣の本貫はどこでしょう? そう、潁川郡の許昌です。  洛陽の帝都機能強化は必然的に許昌の地盤沈下を引き起こします。
@genzouz2
@genzouz2 4 күн бұрын
的確な策出す賈詡も凄いが言うこと聞いて勝つ張繍も素晴らしい
@tanteino01
@tanteino01 4 күн бұрын
なので諸葛亮は兵の損耗を恐れたと思う。北伐の瓦解は蜀漢の崩壊だから
@user-tb5ul4ee7g
@user-tb5ul4ee7g 5 күн бұрын
少なくとも司馬懿が忠誠を誓う程度には有能だったのは間違いなかった。 そのあとに曹爽一派がやりたい放題したのが致命傷だったのが・・・。司馬懿も曹叡には「義理立て」してたようですし。 諸葛亮の件は「仕方がない」ですよね。たった5年で強国に復活するなんて、あの時代どころか、近世でも考えられないですよ・・・
@user-nj3ct6nm6f
@user-nj3ct6nm6f 5 күн бұрын
魏延に関しては孔明に非があると思ってたんだけど特に仲が悪かったわけじゃないのか。 演義の孔明のせい?で反骨心って反抗的で悪い意味なのかと長い間勘違いしてたぞ。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
史実では諸葛亮はちゃんと魏延を重用し、蜀漢最強の切り札と考えています。魏延も文句こそ口に出してますが、諸葛亮の命令に反したことはありません。お互いにリスペクトを持っていた、様に自分は思ってます(笑)
@wbiwki
@wbiwki 5 күн бұрын
短命だったのがな。
@de-kaode-kao-vu3yj
@de-kaode-kao-vu3yj 5 күн бұрын
陸遜はぽっと出ではなく、孫策と対立していて、孫権の時代に和解しただけ。その間にかなりの軍功をあげているんで、呉軍では有名だったらしい。ただ、孫権からの譜代の将からすと面白くないんで『若僧が!』みたいなことを言われたのかも。コンビニで売っていた三國志雑学みたいな本には、孫権と和解した時に30歳くらいだったらしいので、当時の平均寿命を考慮すると、それほど若くはないきがします。正史では孔明と陸遜は君主なみの扱いなので、当時から別格だったのは間違いないようです。
@de-kaode-kao-vu3yj
@de-kaode-kao-vu3yj 5 күн бұрын
法正が重要視されたのは、玄徳軍が荊州から蜀への移民だったんで、蜀のまとめ役だった法正を諸葛より上に置かないと、クーデターが心配だったからかと。ちなみに入蜀したてのころはスポンサーで義理の兄だった糜竺が諸葛より上位の官職だったこともある。
@de-kaode-kao-vu3yj
@de-kaode-kao-vu3yj 5 күн бұрын
曹操時代の司馬懿の献策は、兵士のことを考えない机上戦略が多かったようで、僻地の高い山を越え『鷄肋』と言われた漢中を攻略したときは、疲れきっていたであろう兵士を前に、このまま蜀も滅ぼそうと曹操に言ったらしい。最近の三國志(KOEI)をやったことがある人なら分かると思うが、漢中から成都までの道のりはとんでもなく長い。外交状況や兵士数だけを考えれば献策は間違いではなかったと何かの本に書いてあった。結局はモチベーション重視の曹操と、効率重視の司馬懿ではウマが合わなかったんだと思う。
@user-ly5sk9vk5f
@user-ly5sk9vk5f 5 күн бұрын
対諸葛亮で功績をあげ、公孫淵討伐もあっさりこなしてすぐ帰ってくる。何をしてもテキパキこなす司馬懿をもう抑えられないと無念のまま死んでいくのが軍師連盟では印象的でしたね。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
それでも最後には幼い日の自分を救ってくれた司馬懿の背中に縋り、唯一、自分を皇帝ではなく曹叡として見てくれていた司馬懿に「愛」を見出すという展開もまた…
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c 4 күн бұрын
幼い秀頼を残して、徳川家康に後事を託した太閤秀吉の気持ちでしょうね。
@user-lb8zs1vg6y
@user-lb8zs1vg6y 5 күн бұрын
現代でも托卵が問題になってるんだから、当時の略奪婚なんて…。 口うるさいお目付け役と聞くと、孫権と張昭みたいだ。 あっちほど過激な大喧嘩はしていないがw
@kan7774
@kan7774 5 күн бұрын
逆に漢中付近を知り尽くした魏延の案である長安強襲採用の未来が見てみたかったわ
@user-dm5og1iw8p
@user-dm5og1iw8p 5 күн бұрын
曹叡は公式の父親である曹丕、真の父親疑惑のある袁煕の両者と異なり内政より軍事面の才覚が高かったというのが面白い所ですね。 曹操の要素を隔世遺伝で受け継いだのか、もしくは曹操の・・・ 孔明からしたら代替わりの直後、さらに国としても北伐に無警戒という状況で曹叡がここまで適切な行動を取ってくるというのは想定外だったでしょうね。
@user-fakegiraikanae
@user-fakegiraikanae 5 күн бұрын
袁紹の次男えんき説有りそうな曹丕の息子曹叡君😅
@gusanama3752
@gusanama3752 5 күн бұрын
帝を名乗らず最初の一族に任せてれば最古の国になれたろうに
@my-eg8ge
@my-eg8ge 5 күн бұрын
ある小説で孫権が言ったセリフ。「曹叡は有能だ。だから怖くない。有能であるがゆえにダメな事も通ってしまう。劉禅は無能だ。だから手強い。すべて諸葛亮を相手にする事になるからだ。」
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
自分の器を知るという意味の大きさよ
@user-xi6zg6mf9c
@user-xi6zg6mf9c 21 сағат бұрын
敵を知り己を知れば百戦して危うからずってことですね
@user-zi5hr1ys8g
@user-zi5hr1ys8g 5 күн бұрын
曹叡の凄いところは第一次北伐のとき張郃を送りこんだことよね。 馬謖からしたら、「何故ここに張郃が!?」って驚いただろうね。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
だから慌てて山に登った、のかもですね
@user-zi5hr1ys8g
@user-zi5hr1ys8g 5 күн бұрын
何故この公孫瓚を演義ではあのようなキャラにしたのか… 作者の想像力の豊かさなのか…
@doryuji
@doryuji 5 күн бұрын
孟達に対する司馬懿の行動の件について、君主によっては司馬懿が咎められてた可能性があるってことだけど、司馬懿は曹叡が賢いから大丈夫と思って行動したのだろうか? 司馬懿に自分が貧乏くじを引いてまで尽くすという印象はないけど。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
司馬懿は確かに政治家だけど、それ以前にちゃんと魏の臣下だと思います
@FUJI335
@FUJI335 5 күн бұрын
私は間違いなく、曹操の血筋だと思います。 むしろ曹丕の妻になる前に、曹操がお手付きした可能性すらあるのでは?とも。 曹丕よりもずっと曹操の才能のほうがよく見える気がします。 ただ、悪いところも…色濃くうけてしまったのでしょうね。
@yasug-nome383
@yasug-nome383 4 күн бұрын
曹操の息子ならあの戦術眼も納得 袁煕よりもそちらの疑惑で曹丕に毛嫌いされる方が自然に思えます
@user-bm8ci1vy5f
@user-bm8ci1vy5f 5 күн бұрын
曹叡が後二十年くらい長生きして、曹操並みに跡取り候補の男子がぽこぽこ生まれていれば魏はもう少し保ったのかも?
@user-zd8my3st1y
@user-zd8my3st1y 3 күн бұрын
それは俺も思います。
@bakumatsuteamrock
@bakumatsuteamrock 5 күн бұрын
軍師同盟の曹叡は神がかってましたね。司馬懿のおんぶシーンも素晴らしかった。
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
マジで曹叡が一番良い役してましたね
@umeske1973
@umeske1973 5 күн бұрын
曹叡も曹操と同じくクセが凄かったんでしょうね。 ただ才能はあるだけに本当に勿体ない。皇帝になるまでが徳川三代みたいで見ている側としては結構面白い展開ですよね。
@user-co6pr5hv2b
@user-co6pr5hv2b 5 күн бұрын
出生から謎が多く曹操と曹丕で取り合ったともされる甄夫人で、曹叡の母親であることは間違いはない。 曹丕も変わっており甄夫人に愛情を注いでいるうちは良かったが、猜疑心も強く悪口を言ったとかの伝聞だけで申し付けることに。 多感な頃に曹叡もおかしくなってもしょうがないが、そこまで曲がることなく成長したのは奇跡的。 魏の基盤は確かに曹家・夏侯家の一族よりも軍師などの名士への力が強まっていた感が否めないので、パワーバランスに苦心せざるを得なかった。
@shou-sho
@shou-sho 5 күн бұрын
「曹叡が秦始皇帝・漢武帝に類する」うんぬんは、能力的なこともあるでしょうがどちらも法家であるという意味も含んでいるでしょう。 原文では「儔(ともがら)」。 これが使われている有名な事例がありますね。「賈詡は程昱・郭嘉の儔。荀彧・荀攸と一緒にするな。」(裴松之)
@user-jl5bg1vg4r
@user-jl5bg1vg4r 5 күн бұрын
出性に関しては曹操と曹丕からの女好きな所はしかっり受け継がれるから問題なさそう
@Kabuto_is_Botchi
@Kabuto_is_Botchi 5 күн бұрын
才能は曹操譲り、浪費家だったのは「自分はここまで大規模な人員を集められるんだ!」と自分の力を臣下に誇示したかったからって所もありそうですね〜 やり方は間違えてるけど…
@user-fo1jk6ur4o
@user-fo1jk6ur4o 5 күн бұрын
曹叡は司馬懿に毒殺されたと固く信じている 大国の二代目が派手好きというのは良くあることではあります(隋の廃された元皇太子とか 曹真は優秀だったのに演義だと全部司馬懿に手柄持っていかれるのよね
@user-pg1oi1nb2q
@user-pg1oi1nb2q 5 күн бұрын
諸葛亮が最も戦った司馬懿の君主だな
@user-yl5wx5kb8j
@user-yl5wx5kb8j 5 күн бұрын
曹叡は、家臣に諫言される事が有っても、それを理由に家臣を殺したりする事は無かったんですよね。 軍才も曹操に匹敵するものであったと思いますし、おまけに天性の美貌の持ち主で威厳に満ち溢れていたとか……。 正直、君主としての才覚は、蜀の劉禅とは月とスッポンで比べ物にならない。 結局、軍才に恵まれた曹叡が存命の時点で孔明の北伐の成功の可能性はほぼ無かったのではないでしょうか?
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
まぁ、君主にもタイプがあるので🌵
@再生リスト作成専用垢
@再生リスト作成専用垢 5 күн бұрын
袁煕「曹叡の父です。この度息子が浪費早死にし、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
@KOUMEI_NO_WANADA
@KOUMEI_NO_WANADA 5 күн бұрын
ややこしくなるから出てこないで
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c 4 күн бұрын
甄夫人。「NTRばらしたらだめよ。(*_*)」
@chano8147
@chano8147 3 күн бұрын
曹丕「やれ」 司馬懿「はっ」
@user-fq5cj6xo9e
@user-fq5cj6xo9e 3 күн бұрын
司馬懿「ポチっとな」 魏の乗っ取りスタートのボタンを押した
@再生リスト作成専用垢
@再生リスト作成専用垢 3 күн бұрын
大魏王朝第四代にあたる曹髦は狂人であり自らの母を殺害しようとし衛兵に殺害されてしまいました至急第五代皇帝を即位させなければ大魏は次の正月を迎えることはできないでしょう。 しかし今現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の制度の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。 空前絶後の戦功、類稀なる政治力を兼ね備えた大魏の柱たる司馬大将軍の厳密なる調査の結果、大魏王朝は貴方こそが帝位継承第一位に値する男子であると断定したのです。 お願いです。 どうか皇帝位を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、太祖の夫人であり、高祖の母でもある武宣皇后の系譜である私と結婚していただく必要があるので無理にとは言いません。私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。 ちなみに言うまでもありませんが私の姓は卞。まずは私の美人画を載せた用紙をお送りいたしますので(貴方だけに見せるぷらいべぇと用紙です)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、同封いたします *「立太子ボタン」* を押してください。 貴方様に断られてしまいますと、三皇五帝以来続いてきた天子による徳が途絶えてしまうのです。 良いお返事をお待ちしております。