Пікірлер
@user-yr5jh8no1n
@user-yr5jh8no1n 3 күн бұрын
猛暑日のなか人の命を救っているエアコンの発明のきっかけがインクを乾かすためだったとは。
@user-od8zs2nc9u
@user-od8zs2nc9u 12 күн бұрын
YS-11のプロジェクトにも参加したらしい…
@sueco.marinna
@sueco.marinna 16 күн бұрын
ありがとうございます。 なぜ、コンピュータと計測器が分裂したのですか。アジレントは現在どんなビジネスをしていますか?
@hagehagehage
@hagehagehage 23 күн бұрын
CP/Mは店頭で簡単なコマンドを打ってみた程度しかつかったことがなかったんだけど、一つだけ後々まで悪影響を及ぼす仕様があった。それはテキストファイルの終端を^Zで表すというものだった。これのせいでファイルを扱う処理系はテキストモードかバイナリモードか区別して扱わねばならなくなった。これは概ね2000年前後辺りまでに作られた各プログラミング言語には現代まで痕跡が残っている。どうしてこんな仕様にしたのか、その気持は大いにわかるけど、こんな悪影響のある仕様を採用してほしくなかった。 あと改行にCR+LFをつかうというのもなあ。これはWindowsでは今でも現役の仕様だったと思う。これもプログラミングを無駄に複雑にする仕様だった。
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 2 ай бұрын
マジンガーZで神にも悪魔にもなる。を、体現した人。
@user-vp3jr2wo4t
@user-vp3jr2wo4t 2 ай бұрын
私は日本電気のコンピュータのハードウェアの設計、保守を担当し最後ははやぶさの設計で終わり退職しました、でも何度かほかの会社を受けました、その時に富士通も受けました、そのころは六社協定があり、私は知らずに富士通を受けその時の面接官が池田氏でした、なんだか知らないが、池田さんは、私を見て合格と言はれたのを、今でも思いだします、その時に今度は日本電気の社長室に呼ばれ、関本社長から、私に何をやりたいと聞かれ、コンピュータのハードウェアの設計をしたいと言ったのを覚えています、そしてすぐに府中事業所コンピューター開発本部に移されました、富士通はそのままにした時、テレビでニュースで池田氏が羽田空港で倒れたとの、放送を聞き驚きました、その後私は人工衛星のはやぶさの設計で終わりました、すいません自分の事ばかり言いまして。
@user-mm7tw3jc7x
@user-mm7tw3jc7x 2 ай бұрын
日本人の誇り!
@haiso82
@haiso82 3 ай бұрын
いつのまにかメガネを掛けてるし、必ず最後お辞儀の途中で終わるところが好きです。
@haiso82
@haiso82 3 ай бұрын
面白いコンテンツだとおもいます。これからも頑張ってください!
@user-ms9uh5oc2h
@user-ms9uh5oc2h 3 ай бұрын
テスラって、天才なんだけど「商売っ気」が全然ないんですよねw エジソンやマルコーニとは全然ちがう。
@user-ms9uh5oc2h
@user-ms9uh5oc2h 3 ай бұрын
スマホの画面を指2本で広げたり狭めたりしますけれども、この技術を考え出したのは暦本純一という人なんですね。 で、この人が書いた『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』(2021年 祥伝社)という本によりますと、この技術はテルミンから思いついたんだそうです。
@user-rg2zg3bt7e
@user-rg2zg3bt7e 3 ай бұрын
東海道新幹線の開業は1964年です。丁度今年は還暦にあたる60歳!節目の年ですね。🎉🎉🎉
@user-pq5hs2yy9p
@user-pq5hs2yy9p 3 ай бұрын
ノイマンは、どこで亡くなったの?
@user-yh4ln8hq9s
@user-yh4ln8hq9s 3 ай бұрын
天才的な設計士だが軍用機所謂兵器設計者としての定見は無し。その才能も12試艦戦の頃がピークで後のJ2M、A7Mの出来を見れば最早凡才。 陸軍機を20種近く設計し、戦後も現役で活躍した同期の土井武夫とは人間的にも対照的に思える。
@mur8015
@mur8015 3 ай бұрын
全動画律儀に4分なの草
@haiso82
@haiso82 3 ай бұрын
顔が写ってない時間が3分なのかと思いきやそうでもなくて草
@user-jr8do9zp1s
@user-jr8do9zp1s 3 ай бұрын
港の岸に備えて「あの船が今通りました」という報告をするために使われていたという。
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 3 ай бұрын
本田宗一郎と仲が良く、60年前のホンダの2万回転回るファクトリーマシンのフルトラを作って貰っている。
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 3 ай бұрын
NHKの電子立国で出て来ます。 故ポールアレンとビルゲーツがBASIC作ってマイクロソフトの一発目の飛躍したマシン。
@nekomimiz5559
@nekomimiz5559 3 ай бұрын
30年前にNHKで作られて新・電子立国に出て来てビルゲーツと戦った。 技術者としては有能だかビジネスのセンスはビルゲーツに劣る。
@user-qp9kk6ci9x
@user-qp9kk6ci9x 4 ай бұрын
ヴォーバンとやらが作ったんじゃなくてタルタリアのスターフォート 嘘だらけの動画
@user-uy7mm2mh8e
@user-uy7mm2mh8e 4 ай бұрын
とても興味深い動画でした✨ アルテア8080なのでしょうか? アルテア8800なのでしょうか🤔
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m 4 ай бұрын
申し訳ありません! アルテア8800が正しく、8080は誤読です。マイクロプロセッサはインテル8080のため、混ざっておりました。
@user-rd8xc4eurk
@user-rd8xc4eurk 4 ай бұрын
次はマツダ創業者である松田重次郎さんをお願いします
@user-lr6ez2mr8w
@user-lr6ez2mr8w 4 ай бұрын
堀越次郎は単なる凡才。戦闘機の防御力を無視した軽量化で多くの飛行機乗りを戦死させただけ。本当の天災は鶴野正敬だけ。
@user-fj5vi4jy5p
@user-fj5vi4jy5p Ай бұрын
要求性能な
@nao-n5902
@nao-n5902 4 ай бұрын
分かりやすかったです。こういうまとめ動画は少ないイメージがあるのでもっと増えてほしいですね!
@user-gg3ts6xn8x
@user-gg3ts6xn8x 4 ай бұрын
本田宗一郎さんが自転車にエンジン付けて造ってなければ 原付は無かったのかも、、 原動機付自転車と言う名前は 本田宗一郎さんが自転車に原動機を付けたから出来たのかな?🙄
@kodokunasamposha
@kodokunasamposha 4 ай бұрын
キルドールにはゲイツのような商才がなかったという視点もあるだろうが、私はちょっと違った見方をしている。CP/Mは、当時のOSとしては8080/Z80~8086、6800、6502・・・これらCPUに対してパフォーマンスに見合った重さの適切なOSだったと思う。8080系にUNIXライクな形態を採らせたCROMIXなどもあったが、やはり無理があるように思う。かろうじてUNIX系の版図にはいるのは80286や68000からであり、86系なら386からが無理なくUNIXを実装できるパフォーマンスを有していた。UNIXCPUとしては非力な80系CPUの身の丈に合った、使い勝手のよいOSを開発したキルドールは、まずエンジニアとしてのセンスは一流であったと私は思う。その上で、インテルの開発マシンのOSとして開発を依頼されながら、インテルに取り込まれることなく、自立OSとしての権利を手元に留保したのは、優れた商才も同時に持っていたというべきと思う。なぜなら、当時のコンピュータ世界の背景事情としては、バッチ処理を中心にした大型機から、ワークステーション指向のミニコンに移りつつある趨勢のなかで、マイクロコンピュータシステムの開発もミニコンが主流と考えられていたし、マイクロコンピュータ上で動くOSがどれほどのものか・・・という雰囲気はあった。しかしそういう穿った見方を覆してCP/Mは大ヒットを記録し、キルドールは巨万の富を築くことになる。キルドールが唯一失敗したのは、PCDOSを巡るIBMとの折衝であり、不運なタイミングも重なって、結局IBMはゲイツにDOSの開発を託すことになったのだが、もちろんそれはキルドールに商才がなくゲイツに商才があったから・・・という問題ではない・・・と私は思うのです。晩年のキルドールが、自宅にしつらえたサーキットコースでF1マシンを孤独に走らせる・・・この映像が放映されたとき、すでにマイクロCPUの世界はCP/Mを見向きもしなかったが、私は「栄枯盛衰」という言葉をかみ締めながらTV画面を見つめていたことを思い出す。
@lemorin
@lemorin 4 ай бұрын
東芝キヤリアの元ネタの人かあ(人名だったのか)。
@user-ji4ti1md5p
@user-ji4ti1md5p 4 ай бұрын
サイクロイド曲線を描く振り子と描かない振り子 具体的にはどんな構造なんですか?
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m 4 ай бұрын
サイクロイド振り子時計は、サイクロイド曲線を描いた板で振り子を挟むことで、それに沿って振り子が動く仕組みでした。円は普通に振り子を振れば円になりますね。結局のところサイクロイド振り子時計は普及せず、円振り子に調整機能を持たせた時計が普及します。本動画の解説は主にシモン・G. ギンディキン著『ガリレイの世紀』という本を参照しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。
@user-bk8bo1zj6b
@user-bk8bo1zj6b 4 ай бұрын
こちらからすみません❗ 意義あり❗「日本」の「航空先駆者」というなら「江戸時代」の浮田幸吉「ハングライダー」こそ先では?
@user-dg4hw5cr5k
@user-dg4hw5cr5k 4 ай бұрын
そういや早川電気ってのがあったな。三洋電気や松下電気なんてのも。
@THE.Everestlist
@THE.Everestlist 5 ай бұрын
你好
@user-ie6pf7mu8w
@user-ie6pf7mu8w 5 ай бұрын
凄い人ですね!! ありがとうございます😊 ノーベル賞取って欲しかったな〜❤
@toririno
@toririno 6 ай бұрын
ご先祖の情報ありがとうございます。鳥潟家としては3偉人の1人として有名です。 TYK式無線電話機の実物は、いまはスカイツリーのところの郵政博物館にあったんじゃないかな?子供の頃は上野の科学博物館にあって1回見た記憶があります。 ちなみにコンセントをLANとして使うPLCも開発しています。
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m 6 ай бұрын
なんと!貴重なご情報、ありがとうございます。 私はいち技術者として過去の技術者の足跡を調べておりますが、明治大正期の技術者の情報は少なく、たいへん助かります。
@yugureyamanaka2730
@yugureyamanaka2730 8 ай бұрын
リクエストで、日本海軍の戦闘機である「紫電改」の設計で有名な「菊原 静男」(きくはら しずお)も検討願います。
@1019ha
@1019ha 9 ай бұрын
アマチュア無線でお世話になっております。
@1019ha
@1019ha 9 ай бұрын
東芝が大変ですよ。
@THE.Everestlist
@THE.Everestlist 5 ай бұрын
江戸時代からある会社なのに残念😢
@1019ha
@1019ha 9 ай бұрын
マルコーさんありがとう。アマチュア無線で世界と交信しています。73/88
@poj260
@poj260 9 ай бұрын
一コメ
@user-ol7gz8ui3x
@user-ol7gz8ui3x 9 ай бұрын
今週、評論家の山田五郎さんが自身のKZfaqチャンネルでパンチカードを紹介していました。 そこで山田さんは「パンチカードはコンピューターの元祖」と言っていましたが、まさかIBMの創設者がパンチカードを集計に応用した人だとは知りませんでした。
@HidekiFujita1966
@HidekiFujita1966 9 ай бұрын
3;39「”ゆにっくしゅたい”は有害とみなされる」と聞こえたのですが。”ゆにっくしゅたい”とは何だろう?
@user-dd1yp2yi2k
@user-dd1yp2yi2k 10 ай бұрын
ホレリスが生きた年代表記が遡ってないですか?
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m 10 ай бұрын
おっしゃるとおりですね!没年が100年ずれてました。ご指摘ありがとうございます。
@ciao842
@ciao842 Жыл бұрын
新幹線🚅素晴らしいですね
@tomockinh
@tomockinh Жыл бұрын
何で変なところで区切るの?違和感があり過ぎて聞いててイライラする。
@user-gr9fy6ns1p
@user-gr9fy6ns1p Жыл бұрын
ありがとう。バイオリンの歴史も教えてくださいませ?
@tomockinh
@tomockinh Жыл бұрын
読み方下手くそだね。頑張れ。
@mizukimori2049
@mizukimori2049 Жыл бұрын
素晴らしいです!ありがとうございます! 森周一の曾孫です。 昭和鉄工の森周一 氏も紹介していただけないでしょうか?
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m Жыл бұрын
なんと!そうでしたか。ご覧いただきありがとうございます。 森周一さんは本動画の参考にもさせていただいた名著「遊戯機械産業の先駆者たち」にも掲載されていらっしゃいましたね。なにぶん資料が少なくどこまで正確にまとめられるかわかりませんが、そうおっしゃっていただけることは大変ありがたく、検討させていただきます。
@tomockinh
@tomockinh Жыл бұрын
読み方がヘタクソだね。区切る場所がおかしいよ。
@f4802
@f4802 Жыл бұрын
見物に訪れた際、水路閣を知り流れが「左」から「右」に、水路である事を知りました。 この水路は支線との事、また、インクラインの舟の通過には狭くて無理だと思います。 「哲学の道」の流れは「右」から「左」でした。 蹴上の乗船場へのインクラインで上る状況は理解しています。 水路閣が支線だとすれば本線はどこら辺か分かれば教えて下さい。 支線だとすれば何の為のものだったんでしょうかね。
@gulgul8865
@gulgul8865 Жыл бұрын
①琵琶湖から流れて来た第1疏水と第2疏水が、蹴上の乗船場の少し東付近で合流します。この付近から北方向へ「疏水分線」が分かれ、途中で南禅寺付近で東に方向を変えます。そこが「水路閣」と呼ばれ橋のような構造をしています。今度は北方向に流れを変え山にぶつかりトンネルにはいります。ここまでは歩いて行けます。②この疏水分線は2つ~3つのトンネルを経て、途中から「哲学の道」と呼ばれ、最終的には北方にある「松ヶ崎浄水場」へ水道用水を運びます。この疏水分線は幅2mほどしかありませんので船は通れません。③蹴上の乗船場付近の東の山側には疏水の合流点や分線の出発点があるのですが、近づくのは難しく、水路の合流・分離などの構造がかなり複雑そうで、また、一般向けのパンフレットには地図などの詳しい情報を載せた物はないと思われます。④蹴上付近から水を降ろし、西方向には「蹴上浄水場」があり水道水を市内に供給し、西北方向には関西電力の発電所があります。
@f4802
@f4802 Жыл бұрын
@@gulgul8865 詳細な解説に感謝いたします。 私の先入観、思い込み、でご迷惑をかけています。 保津峡のトロッコの記憶が、いい加減な思い込みなどで、水路閣の水音で流れを知った30年もの先の思い出ですが、一笑に伏して下さい。
@YTIKAGEN
@YTIKAGEN Жыл бұрын
先祖の話、なんとなく聞いていましたがここまでまとまった説明、当時の開発競争環境を聞いたのは初めてでした。ありがとうございます。
@user-cx9zn4se4m
@user-cx9zn4se4m Жыл бұрын
ご子孫の方でしたか!ご覧いただき、ありがとうございます。 右一さんは当時の若い技術者たちのヒーローで、FAXを発明した丹羽保次郎をはじめとする後進に大きな影響を与えたとも聞きます。 もっと知られて然るべき方かと存じますので、少しでもそれに貢献できれば幸いです。
@user-vs6hy5hz7t
@user-vs6hy5hz7t Жыл бұрын
堀越さんが、いったいどんな気持ちで戦闘機の設計をなさったのか、誰にも解らないでしょうね。平和な時代だったなら世界に引けを取らない素晴らしい飛行機を作れた人だったのではないでしょうか?少なくとも、僕はそう、信じたいけどね!