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のだせんいち
皇室の継承式典践祚大嘗祭に麁服を調進している美馬市木屋平
安徳天皇が屋島の合戦ご落ち延び過ごした森遠で生まれました。
日本国の古文書「古事記」の解説書ではなく、古事記の原文を読み解く阿波古事記研究会に所属しています
広報を担当させていただいております。
イベント大好きですから県内各地の寺社仏閣の催事、県内出身アーティスト含めコンサートも大好きです。
19:12
短縮版 古事記に書かれる稲羽の白兎 阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏 2024年7月14日とくしましシビックセンター
Күн бұрын
36:04
鳥取県で聞いた因幡の白うさぎ伝説 令和6(2024)年7月14日 講師:徳島古事記研究会 会長 松下 孝氏
Күн бұрын
1:14
徳島県内トップを切って鳴門市役所連の阿波おどり
14 күн бұрын
0:05
鳴門市阿波おどり開幕
14 күн бұрын
0:43
ふれあい橋
14 күн бұрын
1:39
響華(きょうか)阿波おどり
14 күн бұрын
11:53
豊玉毘賣祭 久武館道場 阿州柳生神影流神楽奉納 阿州柳生神影流兵法剣術豊玉毘賣神社(王子神社)平成28(2016)年2月7日(日)
14 күн бұрын
1:12:55
三木家と大嘗祭 御殿人三木信夫様 2016年6月 国指定重要文化財三木家 平成天皇即位式 践祚大嘗祭を熱く語る
21 күн бұрын
17:15
古事記上巻の舞台は阿波である 徳島みづほ古事記研究会 麻植和代 2024年6月26日
28 күн бұрын
59:01
高志の八岐大蛇は吉野川 徳島みづほ古事記研究会 2024年6月26日阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏
28 күн бұрын
6:23
鮎喰川弁天橋潜水橋竹藪投棄ゴミカップ麺の容器と同一清涼飲料 2024年6月20日回収分別リサイクル
Ай бұрын
40:06
短縮版ここだけ見ればガッテン『卑弥呼は天照大御神と呼ぶ?!』邪馬壹国研究会 会長 土佐野治茂氏
Ай бұрын
45:34
完全収録 高志の八俣大蛇は吉野川 阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏 2024年6月12日
Ай бұрын
11:39
古事記テーマソング 愛(阿伊)の賛歌カラオケ古事記研究会 丸山まつ子
Ай бұрын
1:03:19
歴史を数字で検証する 邪馬壹国研究会 会長 土佐野治茂氏 2024年6月12日富岡公民館
Ай бұрын
15:12
短縮版 高志の八俣大蛇は吉野川 阿波古事記研究会副会長 三村 隆範2024年6月2日徳島古事記研究会
Ай бұрын
35:26
島根で見て来た出雲の話・島根に古事記の出雲はない 徳島古事記研究会 会長 松下 孝氏2024年6月2日
Ай бұрын
7:48
オオキンケイギク駆除作業 2024年6月6日 正法寺川藍住橋下流6日目収集
Ай бұрын
9:08
徳島自動車道 徳島市管理排水溝の汚泥堆積と雑草樹木が育つ
Ай бұрын
19:18
オオキンケイギク駆除作業 2024年5月31日 正法寺川藍住橋下流奥野橋まで5日目
Ай бұрын
3:11
倖せに なれるかな 唄 長保有紀 作詞橋本 淳 作曲 中島 薫 編曲 薗 広明
Ай бұрын
4:05
新宿わかれ雨唄 日野美歌作詞:下地亜紀子・作曲:岸本健介・編曲:丸山雅仁
Ай бұрын
4:35
雨やどり 唄 長保有紀 作詞 浅倉 玲 作曲 市川昭介 編曲 斉藤恒夫
Ай бұрын
4:50
鳴門海峡 歌 日野美歌 作詞 下地亜紀子 作曲岸本健介 編曲丸山雅仁
Ай бұрын
13:26
オオキンケイギク駆除作業 2024年5月24日 正法寺川藍住橋下流猪熊橋2日目
2 ай бұрын
3:11
あなた待ち待ち 笑福亭学光&秋元裕美子 大阪弁
2 ай бұрын
3:16
東京らんでぶう 笑福亭学光&秋元裕美子
2 ай бұрын
18:37
オオキンケイギク駆除作業 2024年5月23日 正法寺川藍住橋下流1日目
2 ай бұрын
15:04
弁天橋潜水橋北岸竹藪に 不法投棄ゴミの中にはMの紙袋と一緒に 指輪を見せ合うカップルの写真も
2 ай бұрын
Пікірлер
@user-px2qt3in6v
6 күн бұрын
多祁御奈刀弥神社が「本諏訪」?779年に信濃国諏訪大社に武御名方神を分霊?こんなバカバカしい話を清聴している人がいるとは信じられません。
@user-ir1jm7ul6f
5 күн бұрын
稔 吉田さん、コメントありがとうございます。
@user-px2qt3in6v
6 күн бұрын
私が参拝した神社では、富山県魚津市の諏訪神社の他に2社が779年より前に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請しています。神奈川県藤沢市片瀬の諏訪神社は723年(養老7年)に、新潟県新発田市の諏訪神社は古く648年(大化4年)にそれぞれ信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請しています。 「糾弾邪馬台国阿波説」なる物騒なチャンネルでは、多祁御奈刀弥神社が歴史を捏造したかのように語っていますが、捏造にしては779年というのはあまりにも年代が新し過ぎます。本気で捏造するなら600年とか称したでしょう。 阿波徳島の神社に多く見られる勧請元と勧請先を逆転させる(ちょっと罰当たりな)お国自慢で悪意はないでしょう。
@user-ir1jm7ul6f
5 күн бұрын
稔 吉田さま、最後まで視聴いただきありがとうございます。
@user-px2qt3in6v
9 күн бұрын
多祁御奈刀弥神社は779年に信濃国諏訪大社に武御名方神を分霊したと称していますが、779年より前に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請した神社は全国に数十社以上あります。私が参拝したのはそのうちの3社です。 国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産に登録されている富山県魚津市の諏訪神社は有名です。この神社は701年(大宝元年)に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請しています。 神奈川県藤沢市片瀬の諏訪神社は723年(養老7年)に、新潟県新発田市の諏訪神社は古く648年(大化4年)に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請しています。 多祁御奈刀弥神社は779年に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請したと思われます。その時期は全国的に信濃国諏訪大社から武御名方神を勧請した神社が集中しておりブームだったのでしょう。
@user-mt1kv6fz8o
10 күн бұрын
大麻植は変ですね❣
@user-ir1jm7ul6f
10 күн бұрын
コメントありがとうございます
@user-gw9cn1sh9e
10 күн бұрын
納得!
@user-ir1jm7ul6f
10 күн бұрын
かっちんさん、コメントありがとうございます。
@DIKOKUKEN
11 күн бұрын
嘘も吐きとうせば!こ😅困った😖💦事じゃなぁ‼️阿波人もっと頑張りましょう‼️👊😆🎵
@user-ir1jm7ul6f
10 күн бұрын
最後まで視聴いただきありがとうございます。
@user-oi7yt3ny9r
14 күн бұрын
徳島・富永・多田・村山・濱崎・井筒・福島・岸・椎木・藤田・豊崎(日和佐) 増田・森口・高田・橋本・別宮(由岐) 廣田・大野・勝瀬・門田・竹内(椿泊) 上記は、それぞれの地区で阿波船団として活躍した有名な家系の苗字です。 末裔たちが博多や長崎にたくさんいます。
@user-ir1jm7ul6f
12 күн бұрын
泉亮太様。コメントありがとうございます
@dtmstar
15 күн бұрын
坂田佳子さんや!!
@user-tm4gw6cj3l
16 күн бұрын
アマテラスというのは政治家のような人で日本の各地にいました。ホツマツタエを勉強なさってください。
@user-ir1jm7ul6f
13 күн бұрын
天照大御神をハンドルネームに素晴らしいですね。
@110nari8
20 күн бұрын
やっぱりこの先生は本当によくお調べになっていますね。 普通のカルト阿波説の人は、荻原墳墓の水銀が外国産であり、卑弥呼時代は我が国は水銀を輸入していた事は考古学的事実ですが、理解しようともしません。
@user-ir1jm7ul6f
19 күн бұрын
コメントありがとうございます
@110nari8
25 күн бұрын
何度聞いてもこの男の考え方の異常さは特筆に値する。正に狂気の阿波説の中心。
@user-ir1jm7ul6f
23 күн бұрын
110 nariさま、視聴いただきその上に無視せずコメントいつもありがとうございます。
@110nari8
23 күн бұрын
@@user-ir1jm7ul6f ひとえに阿波説の先生の公演と言ってもこれだけ人によってレベルの違いが出るんですね。ううーむ。
@user-ir1jm7ul6f
22 күн бұрын
@@110nari8 コメントありがとうございます。やはり一般発売の「邪馬台国」の書籍を中心のお考えと「古事記原文上巻読み解きには大きな違いがあると私も思います
@sorajin1
25 күн бұрын
少年の頃、下の八幡さんで空手の練習してたのが懐かしい😃
@user-ir1jm7ul6f
23 күн бұрын
素晴らしい場所で育たれたのですね。日本国には唯一倭大國魂神社ですからね、まだまだ周辺の古墳発掘すれば世界各地から多くの人が参拝に訪れる場所ですから、清掃作業に全国から集っていただいてます。
@110nari8
25 күн бұрын
今回の公演はかなりまともと言うか本気を感じる素晴らしい公演ですね。 長国と阿波国を区別せずに、島根の出雲は四国の出雲の植民地とか書いてる古代史宿の著者も居るくらいなのに。 阿波国の本当に隠された一族は忌部氏ではなく、他の氏族です。 出雲系→安倍系→忌部系 こんな流れと思われますが、途中で国司が諏方から転勤してきているので、諏方の御子神の神社が長国で展開します。
@user-ir1jm7ul6f
23 күн бұрын
110 nari様コメントありがとうございます
@ponzu1087
28 күн бұрын
同じ憲法と言ってもGHQの憲法は昭和27年に無効になってますから明治憲法に戻して明治憲法の下憲法を制定する必要が有りますね。70年間自虐史観で洗脳されてますから日本は素晴らしいと言えない現在どうすればよいのか?ふることふみは大事だと思います。
@peaojaru3626
Ай бұрын
序盤で見る気がなくなってしまった・・・
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
pea ojaru様コメントありがとうございます。興味がわかないのはしかたがないですね
@user-tr3ul2ew9x
Ай бұрын
ご苦労さまです。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
朝日日章旗様コメントありがとうございます。マイクロプラスチックの怖さを一人でも多くの人が認識をして適正な処理をしてもらえるまでと活動中です。
@user-sm2wp9pp4k
Ай бұрын
古代は海が高く、伊津面など無い。海底
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
MAN SOULさま、おはようございます。コメントありがとうございます。是非チャンネル登録もよろしくお願いします
@user-jl3od4rw2g
Ай бұрын
何を根拠に・・・三村さん
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
ゴシックチャンネルさん、コメントありがとうございます。 是非徳島古事記研究会の開催日に会場で根拠の意味を詳しくご質問くださいね。
@user-nj3yp9qv4p
Ай бұрын
懐かしい!
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
まつじょ様コメントありがとうございます。
@user-kf6xc2lq6j
Ай бұрын
とりあえず参考までに……神武天皇実在論者諸氏は『記紀』の伝承の「古さ」を立論証していることが理由です。それは当該伝承が、いわゆる後世の造作ではないことを立論証していることでもあります。 つまり、神武天皇自身が実在した確実な証拠を提示できていないことが特徴です。 そして21世紀に入り、神武天皇実在論者諸氏は「神武天皇実在の確実な証拠を見つけたどお」と言っているみたいに勢いづいた根拠に、1986(昭和61)年出版の『大阪平野のおいたち(梶山彦太郎、市原実)』(青木書店)の旧河内湖の研究と『記紀』特に『紀』の浪速(なにわ)の地名由来の記述を引っさげているように見えます。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
佐藤裕太様多くの書物からの考察をコメントいただきありがとうございます。
@user-kf6xc2lq6j
Ай бұрын
参考までに……戦後歴史学に影響を与えた、かの津田左右吉は、戦後の著作『日本古典の研究(上)』(岩波書店)第2篇第7章「結語」で、神武天皇から仲哀天皇までの特に開化天皇までの系譜については、「(前略)綏靖天皇から、開化天皇までの歴代に物語が一つも無いということはその歴代の天皇の存在を疑うべき、少なくとも強い根拠になりかねる(後略)」と述べていました。また津田全集第24巻471~472頁に掲載されている津田事件裁判控訴の上申書には「(前略)或る時期に於いて大いに皇威を伸長あそばれた英主、即ち神武天皇の御名によって後に伝えられました御方からの御歴代の天皇の御名はこのやうにして言い伝へられて来た(後略)」として神武天皇と欠史八代の実在を肯定している記述がありました。 以上が私が通読して認識したことです。なお、津田全集第24巻は続田中卓著作集第4巻の268頁を参照したことをご了承下さい。そして長くなったことをご了承ください。 ちなみに私は小説投稿サイト「小説家になろう」に同じ名義で、日本古代史研究論文を小説として投稿・連載をしております。論文なのに小説? と思うでしょう。それは、『記紀』等の文献史料を漢文ではなく、書き下しか現代語訳で記載しているから「小説」と私は認識しております。最後に宣伝恐れ入ります。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
佐藤裕太さん、いつもコメントありがとうございます。
@user-kf6xc2lq6j
Ай бұрын
かの津田左右吉は、戦後の著作『日本古典の研究(上)』(岩波書店)第2篇第7章「結語」で、神武天皇から仲哀天皇までの特に開化天皇までの系譜については、「(前略)綏靖天皇から、開化天皇までの歴代に物語が一つも無いということはその歴代の天皇の存在を疑うべき、少なくとも強い根拠になりかねる(後略)」と述べていました。また津田全集第24巻471~472頁に掲載されている津田事件裁判控訴の上申書には「(前略)或る時期に於いて大いに皇威を伸長あそばれた英主、即ち神武天皇の御名によって後に伝えられました御方からの御歴代の天皇の御名はこのやうにして言い伝へられて来た(後略)」として神武天皇と欠史八代の実在を肯定している記述がありました。 以上が私が通読して認識したことです。なお、津田全集第24巻は続田中卓著作集第4巻の268頁を参照したことをご了承下さい。そして長くなったことをご了承ください。 ちなみに私は小説投稿サイト「小説家になろう」に同じ名義で、日本古代史研究論文を小説として投稿・連載をしております。論文なのに小説? と思うでしょう。それは、『記紀』等の文献史料を漢文ではなく、書き下しか現代語訳で記載しているから「小説」と私は認識しております。最後に宣伝恐れ入ります。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
佐藤裕太様コメントありがとうございます。古代に興味もたれて独自に研究されておられる方のコメント感謝です。 2024年6月阿南古事記研究会での数字で歴史を語るではこの様に土佐野治茂氏が語られています。kzfaq.info/get/bejne/Y8xiaJimqrm3mnk.htmlsi=UHBmafnPaDt6RWnQ&t=1182
@shunponsamurai
Ай бұрын
土左野先生、お身体に気をつけて もっともっと講座お願いします。 いつも勉強させて頂いてます。 頑張って下さい。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
しゅんぽんさん、聴講ありがとうございます。私もできる限り講座撮影をして残して行きたいと考えています。
@rakujin
Ай бұрын
ありがとうございます。研鑽してまいります、宜しくお願いします。
@rakujin
Ай бұрын
明石家さんまさんは、自分の出演番組をよく見返すそうです。 わたしも、さんまさんの真似をして、のださんのチャンネルでよく、さんまさんして、勉強してます。ありがとうございます。 言い間違いも時々、資料も時々間違っておりますが、そこは全体の流れを見て、読み替えていただけたらと思います。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
いつも素晴らしい講座開講ありがとうございます。多くの人が「ガッテン」のボタンを押されていると思います
@110nari8
Ай бұрын
式内社である、御間都比古神社、八桙神社、祁御奈刀禰は全て「長国エリアにあり」全て「出雲系の」長国国造を祀る神社で、成務期に任命 更に後年の任命の粟国造とは別系統という事で流れが始まっています。 国造の系譜に、タケミナトネという人物が出てきます。トネは、女性酋長に対応する男性版で、トネといいます。つまり、国造家のタケミナさんを祀る神社だったという事です。 この事代主系の出雲族と言うのは、ナガスネヒコ伝承からして安倍族の可能性があります。(阿府志) 延喜式最古の写本である九条本には、タケミナトネとで出ています。弥ではなく祢という字なんですね。国宝になってるのでデジタルアーカイブで確認可能 ただ、途中で諏訪神社化したのは事実の様です。 まず、当神社には対になる神社が存在し、そこには事代主が祀られます。当神社は東の宮ともいわれており、西宮が存在します。 あの神社からは更に佐古山に神社が分かれています。その神社は、「諏方社」となっており、佐古山諏訪神社が出来た頃には既に諏方化していたようです。 で、この分祀した諏方社がとても流行った様で、佐古山諏方社に対して元諏訪と書いた可能性の方が高いのだそうです。参考:式内社研究会「式内社調査報告 南海道」の「阿波国名方郡」 諏訪化した事に関する事柄ですが、諏方明神の御子神である出早雄命系の子孫が静岡などの県外に行った形跡が見られます。もしかしたら出早雄命は、それにちなんだ名前かもしれません。 その守屋神長官家のタマルヒメと、出早雄の系譜にタケミナ別神が出てきます。(會津比賣神の系譜) 他の方が言及されている様に、国司などが赴任してきた場合、いきなり入植の様に勝手に神様を持ってこれませんので、先代から引きついだ国造廃止→国司の領域になった際に、タケミナトネの神社に後任の国司の家の神様を祀る事になったのではないでしょうか? 神紋は「違い鎌」で徳島にしかほとんど存在していません。(京都に一つだけあるらしい)諏訪梶にはなっていないので、逆に諏訪信仰は外部から持ち込まれた可能性の方が高いです。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
110 nari様コメントありがとうございます。
@Tanaka-Ichiro999
Ай бұрын
32:24 須佐神社の件、 『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している らしいですが別の神社でしょうか?
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
私は出雲風土記は読む機会が無くて!次回古事記講座で確認してみますね
@Tanaka-Ichiro999
Ай бұрын
@@user-ir1jm7ul6f ありがとうございます。 延喜式神名帳にも記載されているとすると明治での改編はないのでは?とも思います。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
@@Tanaka-Ichiro999 そうかもしれませんね。
@user-ze6gh3iy7z
Ай бұрын
こんにちは、出雲の伝承には拒否反応が出ますか⁇? 一応出雲口伝では八岐大蛇の話は出てこないです。斐伊川は上質な砂鉄が取れるのでそこに移住したって出ています。あと、因幡の白兎は伝承では大和國で応神天皇のお子さんが関係している話と繋がっています。もしこのコメントが気に入らなければ消して下さい m(_ _)m
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
石井健次様 2013年に登録されておられるんですね。人それぞれに氾濫書物からの知識からのお考えですから、コメントありがとうございます。削除はしません。
@user-yi1di1cw4v
Ай бұрын
相変わらず素晴らしい声、50年前ののど自慢思い出した。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
多田晴治さま、コメントいただきありがとうございます。チャンネル登録もよろしくお願いいたします
@user-rb7tq3zc2b
Ай бұрын
多田さん 聞いていただきありがとうございます。
@user-gw9cn1sh9e
Ай бұрын
これはいかんですね。 道路管理者に通報したら如何ですか。 私はたまに通報します。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
堆積率が6割超えないと無理だと、他の場所では聞きましたが、藍住町では一部側溝清掃されました。
@user-oi7yt3ny9r
Ай бұрын
昔は讃岐男に阿波女と言われていましたが、徳島と九州も古くから交流が深かったので、徳島⇔九州で交際してる人が多いですね。『九州男児に阿波女』とも言われ、徳島は九州出身の方も多いし、徳島出身の女性が九州に多く嫁いで行っているみたいです。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
貴重なコメントありがとうございます。
@user-oj8nj8yf4o
Ай бұрын
沖縄決戦 沖縄決戦 勝たずばやまじ この一挙 最期のとどめの一撃に 断固立ちたる 白菊特攻隊 その名やさしき白菊駆って 咲くも散ろうも潔く 栄えある我ら、白菊特攻隊 かつて徳島空白菊特攻隊の隊員であり、戦後の昭和末期、水戸黄門を演じた俳優の西村晃が作詞した、この白菊特攻隊の歌を歌えるのは、いまは百歳を越えられた、西村氏の戦友であり自らも白菊特攻隊員であった茶道裏千家前家元の千玄室大宗匠ただ御一人となられた。はやい機会にこの歌の曲が何人かの手で採譜されんことを切に願う。 なお白菊特攻隊は、高知空、ならびに徳島空で編成されたが、このうち高知空司令として高知空白菊特攻隊を送り出した加藤秀吉 大佐は終戦時、自らが送り出した若人との約束を守って、隊内の井戸に身投げして自決された。司令の自決を予見し、危惧したた周囲の者が司令の身辺がら銃器、刀剣の類を一切遠ざけてしまったゆえの投身自決であったと伝えられる。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
多くの人々が我が祖国の子々孫々の繁栄を願い自決。悲しい現実ですね
@user-il7vb3qb8p
Ай бұрын
駒さん お元気で何よりです。 素晴らしい歌声は変わらないですね!
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
コメントありがとうございます
@user-hv2ez3tn4o
Ай бұрын
もっとハッキリ説明して欲しかった。誰かの記述を思いだしながら言葉詰まり。後からの説明が分かりやすく好感が持てました。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
コメントありがとうございます
@user-oi7yt3ny9r
Ай бұрын
椿泊に根拠地を置いていた阿波水軍(森水軍)は、椿泊以南海部郡の漁業権をもっていました。徳島岩吉さんの子孫は、蜂須賀家から『徳島』という苗字を授かったのかもしれませんね。よって、椿泊や海部郡の漁村は、阿波水軍かつ阿波船団の末裔達が多いと思います。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
情報ありがとうございます
@user-tr3ul2ew9x
Ай бұрын
いつも、いつも、ご苦労さまでございます。 ご立派なお方ですね。心から尊敬いたします。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
この付近鮎喰川下流でこの場所まで過去何度も水没した光景を目にしていますから何れ海に流れ出る可能性がありますから、シジミを採集されておられる方々の健康被害が無いようにと頑張っています。コメントありがとうございます。感謝
@user-lu3id5vb9r
Ай бұрын
いいねぇ〜故郷を思い出します❤
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
嬉しいお言葉ありがとうございます。
@110nari8
Ай бұрын
ここは長国にあった、長国国造家を祀る神社で、事代主系の出雲系の神社です。 成務期以降の、国造家の子孫が建てた神社にすぎません。 阿波国造エリアとは無関係の神社です。 更に、祭神は国造家の人間です。 大国主→事代主→観松彦色止命→健美奈命→甕男立命→麻斯命・・・(土佐国造、長国国造) 阿波の歴史はその源流は殆ど、海部家と出雲系です。 教育委員会の看板と、眉唾の阿波古事記研究会の勝手に作った看板を由緒として説明。恐ろしい事です。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
110 nariコメントありがとうございます。
@user-oi7yt3ny9r
2 ай бұрын
僕の曽祖父の妹が、阿波船団の家系に嫁いで行きました。福岡へ移住して、まだ親戚関係が続いています。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
親類関係継続大切ですよね
@user-hi4ub6tb4h
2 ай бұрын
ゴミ拾いをして下さりありがとうございました。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
地域の方々も雑草刈り取り作業してくれてはいるのですが、車窓から投げ込み隠そうとする投棄物の内容はほぼ同じ品々と弁当店たこ焼きの容器。 誰かがやらないとシジミとかが汚染されますからね
@user-gw9cn1sh9e
2 ай бұрын
今年も駆除作業されてるんですね。 ありがとうございます。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
他地域の放置されどんどんと在来の草花がオオキンケイギクに押さえ込まれ消えていってる現状には閉口ですよね。除草中に大声で怒鳴られたこともありましたがね。
@user-fe3dw2nf7f
2 ай бұрын
良いねえ。澄江チャン応援してるよ❤
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
応援コメントありがとうございます
@user-pq5tu2ox1x
2 ай бұрын
天地=高天原=天之御中主は同じ意味で、ただし、カクレミ。神がその中のいる。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
いつも最後までご覧いただき、コメントありがとうございます。
@user-pq5tu2ox1x
2 ай бұрын
いろはにほへとのいの一番が、委⇒倭=伊予の伊本当は倭をイと呼んだ。後にワ・・倭ヤマトゥ国と阿波ではヤマトゥ国です。
@user-ir1jm7ul6f
Ай бұрын
コメントいただきありがとうございます
@user-pq5tu2ox1x
2 ай бұрын
阿波風土記が本当の鍵カギですが、隠蔽された。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
阿波風土記を誰かが書き写していないかなと思いますよね
@user-ie4yd1bp5u
2 ай бұрын
なぜ阿波が封印され隠蔽され黙殺されたのか🙄🌿🌸。不思議ですよね まずは堅実な講座から 更には大胆な仮説まで そして大いなる秘密が明かされる事を楽しみにしています✊😁🎉🎉🎉❤
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
さなるこ治郎様 コメントありがとうございます。徐々に解明されつつある事は事実ですから、私も今後が楽しみです
@tomo7892
2 ай бұрын
伊面 いずも
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
とも tomoさん、コメントありがとうございます。
@user-gw9cn1sh9e
2 ай бұрын
神戸市在住です。 ひどいですね。 こちらの道路や橋下、歩道にゴミは殆どありませんが、店舗街の側溝にはかなりのゴミが散乱しています。 店舗の方々が整理すればよいと思いますよ、雰囲気がよくなるのに!
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 最近、お尻が拭けない人が増えましたね。
@zakialz1307
2 ай бұрын
新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた で、四国説に大分傾注しましたが、確定要素を追加するならVTR中 卑弥呼の国の周辺の国(町・村)の解説が有りましたが、1800年前の中国語なので日本語でよんでもあまりピンと来ず、祖谷国だけは三古湯の関係でわかりましたが、機会を見て台湾か中国の考古学系の学者さんにすべての周辺の国名を中国語で読んでいただけるような試みをお願いできないでしょうか? 四国確定の条件きが整うような気がしますが・・・
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
全てをご覧いただき、参考になるコメントありがとうございます。ご協力いただける方が増えるとうれしいです。 感謝
@zakialz1307
2 ай бұрын
@@user-ir1jm7ul6f 邪馬台国は江戸時代の儒学者新井白石の誤訳で「台」に置き換わってますが誤訳であった事が記録に存在します。ただ幕府六代将軍徳川家宣命で発覚した為、幕府公認学者の発表と言う事で定常化したようです。卑彌呼の中国語を日本語読みヒミコを定常化させたのも彼でこの事も記録されてますので判明しました。
@zakialz1307
2 ай бұрын
@@user-ir1jm7ul6f もう一つお耳に入れて頂きたいC国専門学者の意見で、魏志倭人伝では、行程が日数・経由地・距離・国(今の市町村)の付近の様子など幾つかの項目毎の説明が有り全体把握の時にアンマッチが出てくる事が最大点となってますが、関連文献が幾つか存在していて選択が難しかったので項目毎に何通りかを続けて表示したような奇異な表示方法になっているとの事で、これは当時の魏国の日本地図がお粗末な出来で話が合わない処を修正している恐れが有り、一番近い項目を選択してそれを正とするのが最適なようです。私もネット検索して見ましたが当時の日本の形状・位置を見てみると驚きを隠せません。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
@@zakialz1307 いつも視聴いただき、コメントも追伸ありがとうございます。やはり次々と科学が解き明かす文研が現れるのは嬉しいことですね。
@zakialz1307
2 ай бұрын
@@user-ir1jm7ul6f もう一つ四国説を裏付ける事を徳島のサイトで見た事が有りますが、国定遺跡となっている若杉山の辰砂に寄る丹が日本各地の神社や始皇帝の神殿の朱色として使用されてるのが確認されている。との記述がありました。何処かの資料に残されてるようなので、他であまり聞いた事がなかったので、ご確認下さい。始皇帝も「失われた10支族」の王族の末裔を確認しており、弓月の名が三代目に有り秦氏と共に末裔で日本に入ってます。
@user-cv2ot8fv3s
2 ай бұрын
上板はイイ所ですね😄
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
永縄さんコメントありがとうございます。チャンネル登録させていただきました
@110nari8
2 ай бұрын
これが地元阿波でも迷惑顔されている阿波説の活動ですか・・・ 阿波には古事記に出てくる神社全てが出てくるって事で色々言ってるようですが、そもそも阿波説の人が言ってる延喜式に本来の高天原が出ていますよね? 豊葦原の瑞穂の国。これは日本を代表する言葉になりましたが、古事記を書いた「人麿」の石見の実家の近くの地籍名です。 そして、万葉集からも分かるように、記紀編集に関して最初に高天原にされたのは、葛城山麓の高天彦神社近くの開けた土地の事です。現在でも高天原参考地の石塔が建てられています。 次に、三諸山に変更になった後、最終的に高千穂になりました。三諸は「神々の住む山」という意味です。 阿波になった事など一度もないですが。 そもそも、出雲は四国にあり、事代主も阿波に居たとか色々な様子ですが、明治まで出雲大社上官家をやってた向家は、事代主の直系の「現在も続く名家」です。直系の本人が行ってる話と全く違いますがww 出雲を島根と言ってる奴は馬鹿であるという素晴らしい講習、堪能しましたwww これが阿波説の公演なんですなw 大倭豊秋津島は畿内の事ではなく、本州の事で、国生み=島生みのこと。わざわざ大倭豊秋津島を畿内として島にしてないあたり、これが阿波説のやり方なのかと目の当たりにしましたw。 最初に産んだのが、淡路島で、そこで蛭子が生まれます。蛭子=恵比寿=事代主。 つまり、「出雲の領域は既に古事記に書かれています。」真実が見えないんですな(失笑) 事代主は、出雲王朝八代目のスクナヒコで、国生み時点で既に前に7代の政権が出雲に存在していたというだけの話。
@user-ir1jm7ul6f
2 ай бұрын
コメントありがとうございます