うさぎの道案内?
0:49
Жыл бұрын
貴重映像!羽幌炭砿バス
3:25
国鉄羽幌線 最後の日
9:07
3 жыл бұрын
Пікірлер
@user-ol7nk6jm6s
@user-ol7nk6jm6s Ай бұрын
まだ若い頃?太陽高校定時制にいってました曙から築別炭砿寄の桜ヶ丘と言うところにあった羽幌機工という工場の事務所で働いていましたが1年に1回炭鉱に連れて行ってもらっていましたが跡形もなく寂しく懐かしく探してきましたがとうとう分からずじまいでした
@user-ul6ki2pz7s
@user-ul6ki2pz7s Ай бұрын
先週三山に行ってきたよ。胸が締めつけられる想い。 働いてた人も住んでた人も悪くない。悪いのはエネルギー革命という名の国の政策。 いつの時代も国民が被害者。
@だからすみませんって言ってるじゃないか
@だからすみませんって言ってるじゃないか 2 ай бұрын
5年!?🥺
@user-ut7rn3dh1w
@user-ut7rn3dh1w 3 ай бұрын
懐かしい! とても貴重な映像で当時を思い出しました、 約3年近く通学で利用していました。
@terrazo
@terrazo 3 ай бұрын
とても貴重な映像を残せましたね☺️👍
@user-ow7xf2cn9z
@user-ow7xf2cn9z 4 ай бұрын
最終列車の発車合図を出した方は、羽幌線と共に鉄道から去ったようです。 羽幌線と自らの鉄道員人生に幕を下ろす発車合図で、心にきてしまいました。
@user-go3rz5sn9l
@user-go3rz5sn9l 4 ай бұрын
この時、近くの食堂に勤めてました。最後の日はすごかったです。寂しいですが、仕方のない事でしたね。今も町は人口がこの時より減って哀しいです。
@Alzaar_The_Gunzel
@Alzaar_The_Gunzel 5 ай бұрын
At least we have other 8620s preserved
@user-jo1yb9kx8d
@user-jo1yb9kx8d 7 ай бұрын
せめて博物館で、保存するべき車両を解体するなんて
@RogersMonodukuriCH
@RogersMonodukuriCH 7 ай бұрын
可哀想だが、部品だけでも残して欲しかった… 部品があれば今の動態保存機の形見になるだろうに…
@kesemoi100
@kesemoi100 8 ай бұрын
廃校になった学校の黒板には巣立って行った人たちの落書きがあるんですよね。 それを観ると切なさを感じますわ
@kesemoi100
@kesemoi100 9 ай бұрын
毎年屋根の雪下ろししてたのじゃ 潰れてしまうのは当然だな
@kesemoi100
@kesemoi100 9 ай бұрын
操業時住んでいた方々にとっては懐かしい映像でしょうね 思い出は心の中に
@user-fw2yk5jp9w
@user-fw2yk5jp9w 9 ай бұрын
羽幌線は昭和58年に乗りました。羽幌駅で降りて天売島にオロロン鳥を見にいきましたよ。デーゼル列車がとても懐かしいですよね素晴らしい映像をありがとうございます!
@user-dx3xn6vh1y
@user-dx3xn6vh1y 6 ай бұрын
私は1976年の20歳の時に国鉄の周遊券を利用して道内だけでなく天売・焼尻・利尻・礼文を回りました。そう、天売島に行くときに羽幌ユースに一泊しました。天売・焼尻ユースはもうなくなってしまったんですよね。さみしいな。
@masakaki3670
@masakaki3670 9 ай бұрын
貴重な映像ありがとうございます。1950年上羽幌生まれです。母の実家がある羽幌から上羽幌まで冬は、馬そりで帰って来た記憶が残っています。
@user-ir9dm7eg4h
@user-ir9dm7eg4h 11 ай бұрын
北辰中学校の閉山卒業式でした。卒業後本州に就職した同級生はどうしてるかな?会いたですね。
@anjing2728
@anjing2728 11 ай бұрын
国としての文化遺産と言う概念が我々日本人にはないんですよ。欧米のように絵画や建築物同様に鉄道も自分の国の遺産と言う文化がない。この国はある意味で災害国家だから仕方ないけれど、それでもドイツやイギリス、アメリカでは復元どことか新造までしてしまう国力の底力を思い知るのです‼️金の問題じゃないのです。
@makomezzo
@makomezzo 11 ай бұрын
1970年まで築別炭鉱に住んでいました。懐かしい映像です。
@terrazo
@terrazo 11 ай бұрын
今はほとんどが森に戻っていますが当時は本当に栄えていたんですね❗
@terrazo
@terrazo 11 ай бұрын
ずいぶん長いこと道案内してくれましたね☺️
@sakuranbow123
@sakuranbow123 Жыл бұрын
去年、ぷらっと近隣を走ってみたが、本っ当にな~んにもなかった。かつてこんなに活気があった地区だとは到底思えないというレベルで、当時を想起させる廃墟すら殆ど見当たらないという。。。
@user-sw6kw4ds1x
@user-sw6kw4ds1x Жыл бұрын
幼稚園までバスで行ってました。
@user-ig4qh4dj5z
@user-ig4qh4dj5z Жыл бұрын
ハチロクじいさん「嫌だーー‼︎‼︎わしはまだ死にたくない‼︎‼︎‼︎」 重機「へへへ、貴様をステーキか、カツ丼か、唐揚げか、フライか、天ぷらにして食べてやる〜。」 ハチロクじいさん「嫌だ〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎やめてくれ〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎死にたくな〜〜〜い‼︎‼︎‼︎グワァァァァ〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
@hanakara-milk
@hanakara-milk Жыл бұрын
東京花屋(駄菓子屋)にオクサワ(おもちゃ屋)にサービスセンターに八幡屋。 街中にいつも流れていた♪浮島音頭で どどんとねっ♪笑 当時はまだ賑わいのあった羽幌も過疎化が深刻のようで💧 町から離れ もう40年。 ふと思い出したアボちゃんとスッコのその後が気になって仕方ない。
@user-ng4ou4ng4y
@user-ng4ou4ng4y Жыл бұрын
まだ木造校舎の頃に次兄が教員をしていましたが、私が昭和39年8月に転職するまでの半年間程居候していました!😄
@hmasahikawa
@hmasahikawa Жыл бұрын
30年後の札幌ドーム。
@oki4300c
@oki4300c Жыл бұрын
『名羽線は一部私鉄の軌道上を乗り入れる計画だった』☜驚きました。こんな秘密が有ったのですね。動画内には詳細な地図もあり、一部は供用されていたようなので、国のエネルギー転換計画発表があと1年遅ければ実現していたのかも知れません。あぁ~惜しい!
@calcnoon
@calcnoon Жыл бұрын
残念ではあるけど、 北海道も人口減少に伴い 撤退戦にてこれもその一つ。 SL残してももはや保守できる 人員も居らず危険鉄屑化する 前に解体とな。
@yumemiraino8066
@yumemiraino8066 Жыл бұрын
この動画を消さないで下さいm(_ _)m
@user-dx3xn6vh1y
@user-dx3xn6vh1y 6 ай бұрын
消さないで‼
@user-cc1sb5gy1s
@user-cc1sb5gy1s Жыл бұрын
同じ炭鉱にゆかりがある北九州平成筑豊鉄道に茨城から一両来ました
@asahiyamakumasan999
@asahiyamakumasan999 Жыл бұрын
アタシも兎さんを追いかけた事あるよ。道路蛇行しながら走るから後ろからついて行くしかなくて・・・余りにも気の毒なので、こちらが止まると・・・兎さんも止まってしまい、こっちを見ている状態。こっちが走り出すと、兎さんも走り出す・・・その繰り返し。結局、兎さんは急カーブで路肩に脱出した。 ・・・兎さん、ごめんね。
@user-ix1lw3tw1p
@user-ix1lw3tw1p Жыл бұрын
築別炭砿駅横にエッソの給油所がありますね。時代を感じるサインポール。で、いつ頃昭和石油に変わったのだろう?
@MrMinet333
@MrMinet333 Жыл бұрын
しょうがなかったのかな。 でも、日本の輪郭の一部を描いていた鉄道インフラを剥がしたことには今も釈然としない思いが一抹。
@masugatabenkei
@masugatabenkei Жыл бұрын
集まってるけどこういうの葬式鉄っていうんでしょ。
@saskiyoshiaki
@saskiyoshiaki 3 ай бұрын
当時は「葬式鉄」の言葉はございませんでした。
@gradewolf5648
@gradewolf5648 Жыл бұрын
不思議の国へ導きされそう
@SBBCFFFFSRE460
@SBBCFFFFSRE460 Жыл бұрын
炭鉱だけど、ちょっとした自治体規模を形成していたのは、凄いですよね。 それにしても昭和は復興、復活の良い時代だった。炭鉱ももう少しエネルギーとしての期待値があれば、羽幌も違う形になっていましたかね。。
@hidehikoanno
@hidehikoanno Жыл бұрын
たった5年でお払い箱とか悲しすぎる😅まあTVゲームで言えば専用ソフト5本しか出ずに失敗したPCエンジンスーパーグラフィックスってとこか。
@hamuradebu
@hamuradebu Жыл бұрын
美味しそうですね。 柔らかいけど、噛めば噛むほど味が出るってタイプです。
@anemone819
@anemone819 Жыл бұрын
蒸気式の操重車は初めて見ました
@user-er8cj2tl2q
@user-er8cj2tl2q Жыл бұрын
私は通信工事をしている者です。昨年調査で築別地区に行きました。夕方、丁度旧太陽小学校近くにある主馬内沢ゲート辺りを旧築別炭坑駅方面に作業車で走っていると先にリュックを背負い自転車に乗った若い女性が現れました。特に気に留めず追い抜く時にチラッと見た所、四角いライトが2つ付いているまさに昭和時代の自転車で両肩には三つ編みのおさげが揺れていました。私は築別に来たのは初めなのでここら辺に住んでる人なのかな?程度でした。追い抜いてちょっと走った所で調査場所を過ぎてしまった事に気付き直ぐUターンしました。今の女性こちらに向かってたのできっとすれ違うだろうなと思って来た道を戻りだしたんですが主馬内沢ゲートまで来てもすれ違う事はありませんでした。途中曲がって行く道も無かった様に思います。そして築別には人が住んでいそうな感じも無さそうでした。心霊体験しましたと言いたい訳ではなく、今思えば身なりも自転車も今の時代からすると違和感があり、もしかすると当時築別炭坑に住んでいた女性が今もここで生活してるのかなと、ほのぼのした気持ちになりました。
@user-em2cu8ms1y
@user-em2cu8ms1y Жыл бұрын
大五ビル、は今でも札幌市にありますね。
@user-dg4hw5cr5k
@user-dg4hw5cr5k Жыл бұрын
昭和34年日活「にあんちゃん」では、九州での炭坑景気が下火になり、中小炭坑の閉山を扱っていますが、この映像を観ると、北海道では四十年代に入ってもまだ余力があったんですね。
@moki0907
@moki0907 Жыл бұрын
野生ですか?飼われてたものだったら少しかわいそう
@user-cm3bc8eq2y
@user-cm3bc8eq2y Жыл бұрын
野生です。白いのはまだ冬毛で、夏が近づくと白い毛が抜け茶色い毛になります。
@mad1186
@mad1186 Жыл бұрын
35年前くらいでしょうか。夏休みに幌延から留萌まで乗り通しました、立客はいませんが満席でした。 天気も良く国道走行のライダーさんと挙手の挨拶しながら楽しませてもらいました。
@user-ui2tu1tc6v
@user-ui2tu1tc6v Жыл бұрын
熊でなくて良かったですね(@_@)
@user-cm3bc8eq2y
@user-cm3bc8eq2y Жыл бұрын
3月に子連れの羆と遭遇しました。子連れの親熊は車にも体当たりしてくるので、さすがに近づかなかったです。
@seiroukon5867
@seiroukon5867 Жыл бұрын
これこそドキュメンタリー。真実。Nなんちゃらはじめ、似非糞マスゴミの垂れ流すものなぞ、やらせ、でっち上げのインチキであることがよくわかる。配信ありがとうございます。
@user-kz7oq5hy7v
@user-kz7oq5hy7v Жыл бұрын
当時、旧羽幌炭鉱のバス路線は今にあたる『ゾーンバス』と言うシステムを採用されていたのかぁ。 函館市より、半世紀先に進歩した感じです。😮
@DamianZlelinski
@DamianZlelinski Жыл бұрын
潰れた様さえ、かっこいい
@party_parrot_
@party_parrot_ Жыл бұрын
留萌本線亡き後、ターミナル駅留萌さえ跡形もなく消えてしまった 羽幌線はセレモニーは盛大だが、最終は物寂しい感じだったんだね 留萌本線は最終がセレモニーだったけど羽幌線のそれよりかは少し小さかったのかな
@user-oe1tj4nh4j
@user-oe1tj4nh4j Жыл бұрын
北海道から鉄道がなくなるのは悲しいですね。