【衝撃】坂本龍馬の新事実 3選

  Рет қаралды 264,752

日本史サロン

日本史サロン

Күн бұрын

Пікірлер: 550
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 2 жыл бұрын
【訂正】 3:44頃 「薩摩藩上層部の思惑(しわく)のもと~」と読んでいますが、正しくは「思惑(おもわく)のもと」です。 5:52頃 1886年としていますが、正しくは1866年です。 大変失礼いたしました。
@analysis0505
@analysis0505 Жыл бұрын
メインテーマとして取り上げられた”坂本龍馬”がの名前が”阪本龍馬”になってたりするのも気になりました…😅
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon Жыл бұрын
@@analysis0505 こちらは本のタイトルのため誤りではございません。
@analysis0505
@analysis0505 Жыл бұрын
@@nihonshi-salon   書物によって名字の表記が違うこと教えていただき感謝です。 ありがとうございます😄
@Laurel-2.5clubs
@Laurel-2.5clubs Жыл бұрын
近藤長次郎を語るなら土佐藩出身で高知城下の饅頭屋な出で、勝海舟とも面識ある人物と言わないと。 あと、薩長同盟は坂本龍馬の功績とは誰も思ってないでしょう。 中岡慎太郎や他の土佐・薩摩・長州の藩士とかも関与してないとできないでしょうから。ただ、その場に居たから裏書きを頼むような事にはならないのでは?
@nunkomareta
@nunkomareta Жыл бұрын
「1866年」ではなく「慶応二年」ではないですか?
@Your_Life_is_Good
@Your_Life_is_Good Жыл бұрын
司馬遼太郎の書籍は歴史資料として扱ってはいけない
@user-ym3in3er4m
@user-ym3in3er4m Жыл бұрын
坂本龍馬関連の記事を執筆した歴史作家たちはどう反論する?。
@yukikaze18
@yukikaze18 Жыл бұрын
そうなんですよね(笑)まあ、戦後生まれの人間の殆どが司馬遼太郎が描いたフィクションである坂本龍馬を信じてますがね。 私の爺さんたち(100歳以上)は坂本龍馬?よう知らん。と口をそろえて言ってました。なお、「薩摩の腰抜け」は合言葉だったようです。
@keiwan1007
@keiwan1007 Жыл бұрын
史実風フィクションと分かってて読む分には面白いよね 三国志演義みたいな感じ
@user-ou5bv6tz4t
@user-ou5bv6tz4t Жыл бұрын
どれもあてにならんよ🤣 明治維新を美化する為の裏側の御都合主義、、今目の前にいる人々とそんな変わらん🤣 現実が真実でよくねえ😆
@user-tf6ki2ut9x
@user-tf6ki2ut9x Жыл бұрын
池宮彰一郎もダメですか?
@user-rm7wj9qp4q
@user-rm7wj9qp4q Жыл бұрын
30年ほど前だったか、その家の家主が急に「ここが亀山社中だった」と言って見学できるようにした(ただの古い家だが)。無料で見学できたが、募金箱が置いてあり家主がその前に座っていた(募金箱は透明な箱で小銭が入っているのが見える)。 近所の住民達は、「誰も聞いた事がない話だ」と笑っていた。 しかし今では、亀山社中記念館となっている。
@user-vs9jy8ut6c
@user-vs9jy8ut6c Жыл бұрын
行った事があります 龍馬が付けた刀傷が柱にあって ありがたく見た覚えがあります 眉唾物だったとは・・・
@user-dr3ud6er2j
@user-dr3ud6er2j Жыл бұрын
類似した話しで京都市伏見に幕末の寺田事件の現場の船宿寺田屋がありますね。 鳥羽伏見の戦いで焼失したのですが、船宿寺田屋が造られて人気観光スポットになりましたね。 歴史愛好者の抗議で京都市が調査して家主が白状しました。  再建した物として、大変な人気です。 坂本龍馬絡みです🙇
@user-rm7wj9qp4q
@user-rm7wj9qp4q Жыл бұрын
@@user-vs9jy8ut6c 刀傷?家の中まで入ったのは開業当初のみですが、当時はありませんでした(少なくとも寺田屋のように説明はなし)。後からそういう話になったのかも知れません。
@user-rm7wj9qp4q
@user-rm7wj9qp4q Жыл бұрын
@@user-dr3ud6er2j 寺田屋に行ったのは40年程前になります。「司馬遼太郎の小説は史実に基づいて書かれている」とマスコミが紹介していた頃です。皆が触って黒光りした刀傷や風呂場を見て「よく当時のままで残してあるなぁ。司馬氏の小説は事実に基づいているなぁ」と感心した憶えがあります。今は「入場料返せ」としか思いませんが・・・
@user-vs9jy8ut6c
@user-vs9jy8ut6c Жыл бұрын
@@user-rm7wj9qp4q 行ったのは確かに30年くらい前です。確か床柱か何かに傷があり案内の人だったか付箋のようなものだったか忘れましたが龍馬がつけた刀傷だと説明がありましたよ。
@user-ry7my4yc1t
@user-ry7my4yc1t Жыл бұрын
高々150年前の自国の歴史を紐解くのにすらこれだけの苦労。「歴史とは勝者による創作物」とはよく言ったものですね。
@katorizm
@katorizm Жыл бұрын
ちなみに動画内で使われてる「長州藩」も存在しませんしね。正確には「萩藩」です。歴史はみんながそう思い込むとそれが事実となってしまいますよね。
@yukikaze18
@yukikaze18 Жыл бұрын
これが戦後体制です。歴史は勝者にとって都合の良い歴史に塗り替えられます。この件は長州人の私には常識です。坂本、いや司馬をもてはやした理由も良く分かりますよね。
@user-iz1uh7dw8b
@user-iz1uh7dw8b 2 жыл бұрын
なるほど そうなの〜 と思う事ばかり面白いです。60過ぎてやっと自分の時間が持てるようになり今年からユーキャンの「大人の学び直し日本史講座」というのに挑戦しています。このチャンネルも見させて頂き、勉強させて頂いてます。わかりやすく家事の合間にパッと見て気分転換させて頂いてます。ほんと楽しいです。ありがとうございます😊
@freeeasytips7365
@freeeasytips7365 Жыл бұрын
英国側の資料から竜馬は諜報要員として雇われ活動していた事実が明らかになり、紹介している本も近年出てきました。「研究者が手を出しにくいテーマ」であるというのは、単に司馬遼太郎史観に邪魔されるだけではなく、外国による日本国内での工作を広く知られたくない人々の影響、工作があるのではないでしょうか。
@Goo_gle
@Goo_gle 9 ай бұрын
人はなぜ、歴史小説を事実と思い込んでしまうのか?
@mu1me2mo1
@mu1me2mo1 11 ай бұрын
日本史の二大創作キャラと言ったら坂本龍馬と明智光秀 龍馬に関する創作の詳細たくさん説明してくださりありがとうございます
@paparos
@paparos Жыл бұрын
むかしNHKが歴史スペシャルかなんかの番組で 「坂本は薩摩藩から賃金を得て間者として長州の内情を探っていた」といった当時の領収書や手紙などを元に歴史考察した番組があったが 高知県民や行政からの強い抗議があり、謝罪まではなかったものの、これ以降この考察を推す番組は見られなくなった 竜馬の役割は「竜馬がゆく」以降、高知はもとより日本近代化の礎としてのヒーロー的存在でいることだ
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
そのような程度の人物に木戸孝允があのような手紙を書くだろうか?そして維新後に飲み友達になった山内容堂に坂本龍馬の話を聞くのだろうか? さらに死ぬ間際まで手元には龍馬の書簡の下書きを大事に保管していましたよ。(これは近年TVのお宝番組で取り上げられて新発見と騒ぎになった)
@paparos
@paparos Жыл бұрын
@@sakawayo608 確かに、木戸だけでなく西郷や板垣、中岡、武市その他大勢の幕末の大スターたちが竜馬を褒めたたえたと言われていますね、 そういった私信をいくつか見つけた司馬が「坂本竜馬像」を作り上げたのかもしれません、 通説とされている船中八策も大正以降に書かれたものではないかという説が濃厚らしいですし。亀山社中も実際に竜馬がかかわってなかったかもしれないという方もおられる(曖昧 まぁ、歴史上の人物が通説とはかけ離れていたということはよくあることなので、私としては「そうかもしれないね、見たわけじゃないからわからんけど、、」くらいの雰囲気でいます。
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
@@paparos さんへ。 幕末の差し迫った状況から、少し安堵の雰囲気が流れたその一瞬に起こった事件が龍馬暗殺でした。 明治維新後3年も経つと幕末が遠い過去のように感じたと、志士として活動されていた皆さんが異口同音に述べています。 そうした風潮の中から実はあの人が・・ということで、龍馬もヒーローに祭り上げられていったと思います。(龍馬伝のようなもので) でも事実を知っている人がそれを否定したら、それ以上は拡散もしなかったと思います。
@user-iv6mo3jz6e
@user-iv6mo3jz6e Жыл бұрын
幕末維新の人物で坂本龍馬は過大評価されて、榎本武揚は過小評価されている印象
@user-zj9qz3tl6y
@user-zj9qz3tl6y Жыл бұрын
榎本さんもですが、小栗忠順など他の幕臣も過小評価されてるのが残念で仕方ないですね。 個人的には幕臣が大好きです。
@user-lu3xf8xd2w
@user-lu3xf8xd2w Жыл бұрын
箱館戦争は榎本武揚抜きでは語れないはずなのに、これまた司馬さんの『燃えよ剣』の影響で土方歳三に持っていかれてしまっている。
@onhon8484
@onhon8484 Жыл бұрын
榎本さんは明治時代からが本当の活躍の印象。小栗さんの死去は日本の損失。
@takatunex
@takatunex Жыл бұрын
感情的にならず、ニュートラルなスタンスで事実だけを提示して下さる良動画ですね! 武田鉄矢先生にも是非視聴していただきたいです。
@relena2071
@relena2071 Жыл бұрын
司馬遼太郎さんの小説は「竜馬がゆく」であって「龍馬がゆく」ではないですからね。 今風で言うならば「この本語りはフィクション云々」となるわけですね。
@user-hc7kj6ln5e
@user-hc7kj6ln5e Жыл бұрын
確認はしていませんが司馬さんが『これはフィクションです だから字を1つ変えました』 と語っていたと言う事です
@user-cx7pm6dl1w
@user-cx7pm6dl1w Жыл бұрын
教科書も竜馬ですよ。龍馬でも竜馬でも、どっちでもいいんですよ。
@user-uw9qu5zv4v
@user-uw9qu5zv4v Жыл бұрын
歴史作家の早乙女貢先生が何十年も前に坂本竜馬や高杉晋作の虚像について書かれていました。吉川英治先生の宮本武蔵なども大衆小説としては素晴しい作品ですが武蔵の半生が余りにも虚像過ぎて歴史的観点から正しく知ろうとするには無理があります……そう言う意味では司馬遼太郎先生の坂本竜馬像も同じと言えますね。
@user-xd9jq9dx3h
@user-xd9jq9dx3h Жыл бұрын
誰がとかでは無くて小説は全部フィクションです。 僕は読まないです。 それよりも歴史研究家が書いた本の方が読んでて楽しいですよ。
@user-uw9qu5zv4v
@user-uw9qu5zv4v Жыл бұрын
@@user-xd9jq9dx3h /いやぁ~それはある意味真理ですね ♪ そう思う僕もいるのですが……
@user-xd9jq9dx3h
@user-xd9jq9dx3h Жыл бұрын
@@user-uw9qu5zv4v 幕末なら山村竜也さんの本がお勧めです。言うまでも無いかも知れませんが。 どちらかと言うと新撰組寄りですけど他の事でも詳しくて内容も面白いですよ。
@user-uw9qu5zv4v
@user-uw9qu5zv4v Жыл бұрын
@@user-xd9jq9dx3h /わざわざ教えて下さり有り難うございます!        山村竜也さんの著書は読んだ事が無いので        早速探して読んでみます ♪♪
@acountgmail8354
@acountgmail8354 Жыл бұрын
歴史小説では著者あんたは盗み聞きしていたのかと思うほど、個人的な会話が描き込まれていますからね。
@user-by6oz1cj6s
@user-by6oz1cj6s Жыл бұрын
中岡慎太郎が革命家と言えるのにたいして、坂本竜馬は幕末の混乱に乗じた単なる商売人でしかないと思っています✋ 本人も政治や軍事に興味を持っていなかったし、勝と行動を共にしていることも彼の政治的な立場を表しているでしょう。比して中岡慎太郎の評価が低いのが残念ですね。
@user-li9zy8qv1z
@user-li9zy8qv1z 9 ай бұрын
でしかないは言い過ぎ。 彼がどれだけ身分差別なくしたいと願ったか文書に残ってるよ
@y_kagami
@y_kagami Жыл бұрын
とても勉強になった
@suoguy
@suoguy Жыл бұрын
概要欄の訂正も含めて、素晴らしい報告動画でした。
@user-ov4rx5es8o
@user-ov4rx5es8o 9 ай бұрын
成し遂げたものがないだけで、西郷や桂ら他の偉人達が龍馬について語ったとした言葉が多くあるからそれらの言葉が全て嘘だったてことにならんかぎり、それなりの人物だったとは思うけどね
@alienloveyoutube
@alienloveyoutube 21 күн бұрын
同感!最近の「1じゃ無ければ0」みたいな考え方にはウンザリします(´・ω・`) ゴルバチョフが一人で渡米してレーガンと覚書を交わして、その場に居合わせただけの無名のメキシコ人パンピーに裏書きしてもらう訳ないだろって思いました(笑)
@user-ov4rx5es8o
@user-ov4rx5es8o 20 күн бұрын
@@alienloveyoutube 薩長同盟裏書のやつね なんでもない奴にそんな大事な書類にサインさせないわな 創作、脚色は多い人物だろけど当時歴史を動かそうとした人物達の多くと交流があったのは事実だろからそれでいーじゃんて感じやね俺は
@b.keaton5993
@b.keaton5993 Жыл бұрын
この動画のタイトル画面にも使われている坂本龍馬の写真がそもそも元の写真を大幅に加工しまくった「ほぼCG」と言える物であるのが何やら龍馬像というのを象徴しているようで興味深い。加工して加工して加工しまくっている訳である。
@DANJOUNOTYU
@DANJOUNOTYU Жыл бұрын
坂本龍馬暗殺も、当時有名なのは中岡慎太郎で、ターゲットは中岡慎太郎でついでに殺された説も聞いたことがあります。
@h.yamazaki
@h.yamazaki Жыл бұрын
現代人の坂本龍馬像って殆ど司馬遼太郎(とその小説に基づく映画、ドラマ)が作ったのでしょう。今、河井継之助の「峠」を読んでるんですが(小説なんだから当たり前)相当作者の主観で書いてますよね。
@user-qe4oj4ef2t
@user-qe4oj4ef2t Жыл бұрын
『峠』の多くは、今泉鐸次郎著『河井継之助傳』のコピペです。
@vivanichiren
@vivanichiren Жыл бұрын
暫定的な史実に照らして物語の虚構性を指摘してゆくのも面白いですが、次の段階としては、なぜそのような歴史像がその時代の人々にグっときたのか、書き手が依拠した歴史研究やイデオロギーは何か、他の作品や学術言説などにどのような影響を与えたか等、多角的な思想史研究の問いに視点を移せると、知的実りがより豊かになると思います。
@user-jy4bc3pw1d
@user-jy4bc3pw1d Жыл бұрын
現在の龍馬の史実が明治になってからの土佐藩のイメージアップの為に書かれたのは知っていましたが、紀州藩との裁判や武器商人のイメージが強かったので腑に落ちました。
@hide196944
@hide196944 Жыл бұрын
土佐藩のイメージアップに坂本龍馬が登場したんじゃないよ。 日露戦争のプロパガンダに坂本龍馬が利用されて世間が知ったんです。 坂本龍馬 田中光顕、昭憲皇太后で調べると分かると思います。 時代的には汗血千里の駒の約20年後ですけどね・・。 薩長同盟も船中八策も勝海舟との出会いも書かれていない汗血千里の駒に人気が出たとは思えませんよ。 坂本龍馬も乃木希典にしても司馬遼太郎は面倒の種を残したもんです。
@user-jy4bc3pw1d
@user-jy4bc3pw1d Жыл бұрын
@@hide196944 そうでしたか。薩長土で土佐だけ明治政府内での議席の少なさに龍馬主人公の物語が書かれたと、書物で読みました。 歴史は面白いですね。
@hide196944
@hide196944 Жыл бұрын
@@user-jy4bc3pw1d さま 土陽新聞版では、坂本龍馬初登場は第4話であり、全68話中26話で登場しなかったそうです。 また、竜馬没後の話が10話近く記載されているそうです。 没後は板垣退助と後藤象二郎の話なのですが、作者は板垣退助の関係者です。 また、伊藤博文による板垣後藤欧州視察で落ち目になった事を不快に思っていた人だそうです。 なので、土佐自由民権運動家の自称土佐勤王党の正当継承者を主張する自由党板垣・後藤の為に書かれた物語で正しいと思います。 単行本化の際、編集者により板垣退助も後藤象二郎も退場させられたそうです。 板垣退助、後藤象二郎、中岡慎太郎、武市半平太らに関してはは地元の年寄りから祖父母らからこんな話を聞いたなんて聞く事がありますが、坂本龍馬に関しては聞いた事が無いんですよ・・。 坂本龍馬生誕地の石碑もありますが、ココ!ではなくて、この周辺かな?って程度です。 汗血千里の駒は明治16年新聞登場なので当時話題になっていたら生家の場所もハッキリと残ってると思われるが、その程度です。 板垣退助の為に汗血千里の駒が書かれ 自由民権運動の象徴になり 日露戦争のプロパガンダに利用され 大正デモクラーの自由主義の象徴となり 高知市桂浜の青年有志による竜馬像に繋がると思います。 戦中の金属供出では仙台城の初代伊達政宗騎馬像も供出されています(不使用で終戦まで放置、現在は1965年寄贈2代目)が、竜馬像は供出命令が出されていない事も政治のプロパガンダの名残りか?とも・・。
@user-ni6vq2sb5w
@user-ni6vq2sb5w 2 ай бұрын
幕末の坂本龍馬の実像は、現代なら竹ニャカフェイ蔵…なん…やろか🙄🤔😵‍💫❔
@samidare423
@samidare423 Жыл бұрын
司馬遼太郎の小説の存在が大きいですね。 しかし、今では「国盗り物語」はファンタジー歴史小説に近いものとなっています。 斎藤道三は親子二代にわたること、北条早雲は老人ではなかったし名前すら伊勢宗瑞であったことなどが史実となっています
@masao750
@masao750 2 жыл бұрын
龍馬さんは下級武士の次男坊だから土佐藩を動かすのは物理的に無理。 現代でいえば大企業のパートタイマー社員。 そんな龍馬だが勝の紹介を機会に西郷ドン、小松帯刀、横井小楠、松平春嶽、桂、高杉、久坂、大久保一翁、桐野利秋、武市、後藤らと交友関係があったのは凄い。
@user-qp4cn6rk7x
@user-qp4cn6rk7x Жыл бұрын
勝と龍馬、ハッタリ同士で馬が合う
@Gonta-xl5lz
@Gonta-xl5lz Жыл бұрын
勝海舟仕込みの黒船操船術で薩摩、長州、巻き込み、最終的には、郷士のせがれが、上司の後藤を動かしたというのが痛快じやありません?
@user-fv7zc7re6e
@user-fv7zc7re6e 2 жыл бұрын
大学で「亀山社中についてその設立の経緯と歴史、果たした役割についてまとめてください」って課題でてるからこの動画まで辿り着いたのに、、、、 どうすればええんや笑笑
@eijiharukawa8676
@eijiharukawa8676 Жыл бұрын
明治の御用学者の創作である と言ってあげればよろしい。なお単位についてはもらえないかとw
@user-vg4lj6ly4l
@user-vg4lj6ly4l Жыл бұрын
新説を書いてあげたらいいかと思うw株式会社?それは「創作」ですとw課題なので、ちゃんと資料名も書かないとダメだからねw
@user-dr3ud6er2j
@user-dr3ud6er2j Жыл бұрын
鹿児島の歴史家原口泉さんの著書 龍馬を超えた小松帯刀が、古文書調査に基づいて論証されております🙇 薩摩藩が秘密工作として亀山社中を造り、社中頭に大杉宗次郎を抜擢しておりました。 坂本龍馬は長州藩と渉外を担当です。 大杉宗次郎は内紛で龍馬に殺されました🤣
@user-cf8rx8mc9n
@user-cf8rx8mc9n 2 жыл бұрын
大変興味深い動画でした。ありがとうございます。参考文献として挙げられていた本も読みたくなりました。龍馬が実際にどれほど重要な役割を果たしていたのか今後の研究で明らかになると面白いですね。それによっては暗殺事件の意味合いも大きく変わるかもしれません。
@dorachanR1223
@dorachanR1223 Жыл бұрын
坂本龍馬が教科書から消えかかった理由 ・薩長同盟→物語の創作 ・大政奉還→単なる耳学問 薩長同盟を締結させた人物 小松帯刀(西郷隆盛の上司)こまつたてわき 島津久光(薩摩藩 国父)しまづひさみつ 久光がYESかNOを言うかで決まる 船中八策→耳学問 勝海舟、大久保一翁(おおくぼいちおう)、佐久間象山が言ったことをまとめて言ったのが船中八策 龍馬オリジナルではない
@scottbodyshop
@scottbodyshop Жыл бұрын
オリジナルじゃなきゃいけないのかな。
@user-tw6lb5iw1h
@user-tw6lb5iw1h 2 жыл бұрын
歴史の事実と坂本龍馬という物語の面白さは別ってことで。
@user-hc7kj6ln5e
@user-hc7kj6ln5e Жыл бұрын
それが分かっているうえで楽しんでるならば良いのですが 実態はそれを真実と思い込み さらに創作をこれでもかと作りまくっているから変な事になってしまうんで
@user-vg4lj6ly4l
@user-vg4lj6ly4l Жыл бұрын
関ケ原の戦いが史実と物語は別だというのと同じだと思います。史実だと天下分け目の戦いって感じではないけど、物語は面白さがありますしw
@user-ne7lp4xq8r
@user-ne7lp4xq8r Жыл бұрын
なかなか切り離して考えられないからねどうしても
@user-ww9qf8je2e
@user-ww9qf8je2e Жыл бұрын
司馬遼太郎の作品は太平記と同じく歴史小説であり歴史では無いと言う事ですね。 我ら凡人は太平記史観から抜け出す事が大変なように司馬遼太郎史観から抜け出すのも大変だ‼
@user-zu2vz3vh1v
@user-zu2vz3vh1v Жыл бұрын
10年前くらいによくこの手の話を知恵袋で回答してたな、確かに坂本龍馬は狂信者が多いから、事実書くと発狂する回答者が結構いたんだよね・・・・・。
@user-kj5vg3ok8v
@user-kj5vg3ok8v Жыл бұрын
歴史上の人物がドラマ化される過程で美化されるのはこれはもう物理現象のようなもので仕方がない。特に織田信長と坂本龍馬の二人は小説・テレビドラマ等の創作回数が多く、これは端的に美化が繰り返されるという事になる。信長の場合は『信長公記』という根本的な伝記があるからまだいいのだが坂本龍馬の場合はそもそも伝記すら残っていない。明治時代に書かれた小説で人気が出たらしいがその小説には「薩長同盟の立役者」「船中八策」の有名なエピソードがないとか。龍馬伝説は明治から昭和にかけて長い時間を費やしてコツコツと創作されたらしい。
@IzumizukiPinky
@IzumizukiPinky Жыл бұрын
日本全国を猛スピードで旅をしていた徳川光圀公。 白い馬(サラブレッド)に乗って海岸線を駆け、暴れ回る徳川吉宗。 お白洲の時に刺青を見せる金さんこと遠山 景元。 十人の勇士がいた真田幸村こと真田信繁。 全部実在した人物だが、全部創作。坂本龍馬もこれでいいじゃないか。
@user-xq5nb6ko1k
@user-xq5nb6ko1k Жыл бұрын
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は「フィクション」としては面白いんだけどいい歳したおじさんがあれを「史実」にして酒飲み話をされると頭が痛くなるんだよなあ。
@_Love_And_Peace
@_Love_And_Peace Жыл бұрын
何事も鵜呑みにすべきでない。
@m21y37
@m21y37 Жыл бұрын
ありがとうございました。登録させて頂きました❣️
@daikon404
@daikon404 Жыл бұрын
今どき司馬史観を信じてる人がいる事に驚いた
@tetsu-chan5414
@tetsu-chan5414 Жыл бұрын
高知県民は信じてる人が9割です。当たり屋・鐘でした解決するヘタレ・刀🔪オタクで腕は無いが購入で借金苦してた‥史実を口👄にするとキレますよ
@user-vm8qw3oz1q
@user-vm8qw3oz1q Жыл бұрын
司馬「史観」と云う言い方が草 司馬遼太郎の本来の史観は当人の太平洋戦争への従軍から来ていて、従軍中の「なんか変だね」と云う厭戦気分から来ているので、特攻精神が「天皇陛下万歳」か「おかーさんありがとう」なのかの違い。
@user-ni8zx1uf8k
@user-ni8zx1uf8k Жыл бұрын
龍馬は司馬遼太郎の小説が元。
@j-kenny
@j-kenny Жыл бұрын
坂本龍馬と司馬の竜馬を同じと考えている人間が沢山いますよね! 武田鉄矢などは特にそうですね! この動画を見せてあげたいですね❤
@user-zh2lc6ys9o
@user-zh2lc6ys9o Жыл бұрын
これはおとぎ話ですよ、って言う意味合いも込めて「竜馬」なんだろうね。 聞いていて楽しい、面白ってもんは疑うべきなのにね。
@Gonta-xl5lz
@Gonta-xl5lz Жыл бұрын
武田鉄矢さんは、竜馬がゆくで惚れ込んで漫画の原作まで書かれてますが、そこなところは、ちゃんとわかつたますよ。にわか竜馬ファンでないからね。
@user-ve1be6ur8q
@user-ve1be6ur8q Жыл бұрын
土佐藩の郷士である坂本龍馬が脱藩して幕末動乱期に活躍したという事実は変わりません。ただし、『竜馬がゆく』の創作部分を認識しておくことも大切だと思います。
@BUENA0707
@BUENA0707 Жыл бұрын
こんな創作のような人物が日本史上最高のヒーロー、偉人中の偉人として認識されている日本って大丈夫なのか??歴史は史実に基づいて評価されるべき。
@user-py7lc8be9c
@user-py7lc8be9c Жыл бұрын
自民族礼賛を目的としたプロパガンダが 広く大衆に「事実」なんて認識されている ような世界一の歴史修正主義国家だからな。 韓国よりはるかに酷い。 江戸時代礼賛言説なんて その大半がデマに基づいている。
@user-qc2xo9tw9d
@user-qc2xo9tw9d Жыл бұрын
そもそも坂本龍馬の小説は、高知の「土陽新聞(現高知新聞)」「汗血千里駒」に明治16年に連載された事に発端する。後に岩崎弥太郎に取材した内容が元のようです。日本中の人が龍馬を知るのは戦後の大河ドラマ「竜馬が行く」を見てからです。
@jj8hgc
@jj8hgc Жыл бұрын
そもそも坂本龍馬を世の中に引っ張り出した新聞記事”葉山の御夢”が、もう・・・ね😅
@emmaakane6043
@emmaakane6043 Жыл бұрын
明治に同人誌書いた本人は史実として残ったことに驚いてるかもね
@jamescameron6630
@jamescameron6630 Жыл бұрын
戦前の教育では中岡慎太郎の手柄が全て坂本龍馬のものになっていてビックリした。シベリア抑留から帰ってきたら世の中変わってた。
@user-dr3ud6er2j
@user-dr3ud6er2j Жыл бұрын
興味深い楽しいお話し、ありがとうございます✌️ シベリア抑留は耳学説ですね🤪
@tsurutsurutai
@tsurutsurutai Жыл бұрын
薩長同盟における坂本龍馬の(薩長両藩の立会人的な)証人説も疑義が提起されていますよね? 薩摩には薩長同盟に関する公文書的なものが一切なく、木戸孝充が藩に報告するにあたり証人となったレベルで、薩長同盟の書面に龍馬の署名があるとされていますが、当時としては珍しい朱色の墨で為されており明治期に加筆されたとの説も…。まあ、司馬遼太郎の書籍は、龍馬ではなく竜馬・・・極端な話、水戸黄門・暴れん坊将軍的な歴史フィクションとすればよろしいかと思います。
@yu-hs2zr
@yu-hs2zr Жыл бұрын
龍馬の史実を世間が勘違いしたのは司馬遼太郎の竜馬が行くと漫画、おーい龍馬だろう。 坂本家は身分が低いなんて事はなくて、実際は富豪、幕府に貸す側。
@yhira2010
@yhira2010 2 жыл бұрын
みずほ銀行を中途退職してふらふらしていた人物になぜか白羽の矢が立ち、三井住友銀行とみずほ銀行の経営幹部のご指名で、重要な経営判断を打ち明けられ、潤沢な活動資金を与えられ、対財務省工作と両行提携の下工作を託され、業務提携約束の証人になることを頼まれ、さらには提携後の業務計画策定にまでその意見を取り入れられて参考にされる。そして、数年後、両行は業務提携を大々的に発表するにいたり、その人物は功労者として称賛されるも、惜しいかな、不意の病に倒れ敢えなく…。 (もちろん架空のよたばなし。) あり得ますう? そう、定説と違う仮説思考すると、誰が龍馬の口をふさいだ、あ、いえ、暗殺したかもいろんな答が出そうですね。
@maxmax1999max
@maxmax1999max Жыл бұрын
みずほ銀行中途退職~なら、第一勧銀、富士、興銀の合併話をまとめた高知銀行中途退職者が~でいいのではないかと、のちのちまで内部がまとまらないみずほ銀行=明治政府じゃあんまりですかね。当時ありえないと思われた薩長同盟からすれば、さくら銀行と住友銀行の合併をまとめた尼信中途退職者の方がいいかも。
@user-vp5zq5hm4h
@user-vp5zq5hm4h Жыл бұрын
最近観た歴史動画のなかで一番面白かった。
@SoyNipponjin
@SoyNipponjin Жыл бұрын
良い動画です。
@napplog
@napplog Жыл бұрын
いつの時代も便利な駒として都合良く使われる龍馬様
@wesyokohama
@wesyokohama Жыл бұрын
そもそも、あまり新説がないような・・・ 船中八策以外は「竜馬が行く」でも書いてあるのでは?
@besnw
@besnw Жыл бұрын
辻褄があわない疑問が少し埋まった気がする
@skuway
@skuway Жыл бұрын
桂浜の坂本龍馬像はいつ建てられたんですか?司馬さんの龍馬がゆくの後ぐらいなのかな?
@user-wf6km9tm2k
@user-wf6km9tm2k Жыл бұрын
A historical novel should be written based on the historical facts.
@user-jd5gf7oo7x
@user-jd5gf7oo7x 2 жыл бұрын
参考文献の『龍馬暗殺』を書いた歴史研究者は、“きりの さくじん”先生です。鹿児島県のご出身で本能寺の変の研究でも超有名。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 2 жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます!訂正させていただきます。
@mejirorock54
@mejirorock54 Жыл бұрын
未完に終わった「風雲児たち幕末編」も、ほぼ薩摩、長州、幕臣の描写で占められ、龍馬は雑魚キャラ扱いになっていきました。みなもと太郎氏も当初は龍馬中心で描こうとしていたようですが、史実を調べていて無理と気がついたのでしょう。
@user-hx7ri6uy4r
@user-hx7ri6uy4r Жыл бұрын
面白かったです。船中八策を作った竜馬については、いくら何でもかしこすぎやろと、自分も以前から随分違和感を感じてました。でも竜馬の活躍が今に伝わる話の半分でも十分に魅力的なのは間違いないですね
@TK-fe6vt
@TK-fe6vt Жыл бұрын
司馬遼太郎自身が『自分の小説で史実に忠実なのは、坂の上の雲、だけだ』と述べている つまりその他の作品は、実在の人物をキャスティングした創作である、ということ 司馬遼太郎の小説を、事実と誤認している人の多いことよ
@suesuedesune
@suesuedesune Жыл бұрын
いまは資料館や教科書などもこの内容で統一されているのでしょうか?
@user-in7qx4ly6f
@user-in7qx4ly6f Жыл бұрын
司馬遼太郎の作品大好きですが、どのタイトルも展開が似ていて段々飽きましたね…。 坂本龍馬の事跡、作中ですと八面六臂過ぎて身体が足りない印象有りましただけに、納得でした。
@YANAGITAtokinori
@YANAGITAtokinori 2 жыл бұрын
そうだったんだ。龍馬ファンだったけど事実じゃなかったんだね。本当のことが分かって良かった。ありがとー。
@user-jt1od4wv7m
@user-jt1od4wv7m Жыл бұрын
アホみたいに龍馬ヅラする武田鉄矢によーく教えてやってくれ。
@junyaauki9211
@junyaauki9211 Жыл бұрын
司馬遼太郎さん自身、竜馬がゆくは、坂本龍馬のりょうの字を変えて小説だから、と、言ってたみたいですけど、見事に、歴史が変わりましたね。  歴史作家の書いたのが、独り歩きしましたね。
@nakakukiatsushi
@nakakukiatsushi Жыл бұрын
なるほど やはり世に広く知られてる英雄像てな脚色が多いものですね 三国志の史実と演義みたいだ
@kurokuro1048
@kurokuro1048 Жыл бұрын
もともとは、ローカル新聞の連載物として見出された人物。(もちろん、土佐ね。薩長閥の全盛期に土佐にも英雄は居ないかってね。土佐藩は倒幕・明治維新にほとんど関係無いから、脱藩した連中からとね。) その連載物が地元で人気が出て、全国紙へも転載。それとほぼ同時期に、皇后の夢枕に竜馬が立ったと侍女が新聞社に。(もちろん、その侍女は土佐出身だとか) それで一気に全国的に知名度が知れて人気者に 海神扱いにされて、小学校で習う歌の中にも出てくる有名人に。 司馬遼太郎の前の話。ここでも司馬遼太郎が坂本龍馬神話の火付け役みたいな勘違いされてる方が多いけど。 戦前の方が異常なんよ。
@user-ke3hc6qb4g
@user-ke3hc6qb4g 2 жыл бұрын
司馬遼太郎の小説は、史実に忠実だというイメージがあったので、驚きました。 歴史の新事実、面白いです。たくさん配信してください。
@wtk297
@wtk297 2 жыл бұрын
新選組の沖田総司は実際は平べったい顔で「ヒラメ」と呼ばれていたのに司馬遼太郎が美男子として世に広めたというのを聴いたことがあります。司馬遼太郎は自分の足で歩いて取材もされていたようですが、小説なので面白くするためとか当時はまだ見つかっていない資料があったりとかで創作と史実が混ざっているのでしょうけれど、読み手には全部が本当にあったことに思えてしまうのでしょうね。
@user-jr2uv1bs1d
@user-jr2uv1bs1d Жыл бұрын
あくまで小説なんですが、創作臭さがなくて史実のように読者が感じてしまう。 学問的には、ある意味悪魔の書ですよね。
@user-st3td1fq7u
@user-st3td1fq7u Жыл бұрын
そんな人初めて見たわ。『国盗り物語』とか明智光秀がまるで忍術使いであるかのような記述があるんだから、子供の頃から司馬先生の小説はすべて創作(だからこそ面白く文芸価値がある)と思って読んでたけどな。
@user-ne7lp4xq8r
@user-ne7lp4xq8r Жыл бұрын
そもそも本人が史実とは別物だって言ってるのに、周りがそれを聞いてくれなかったんだよ、その挙げ句に歴史観を歪めたみたいに悪者扱いされるときもあるから気の毒な人だよ
@hshiga
@hshiga Жыл бұрын
司馬遼太郎はフィクションだらけですよ。小説としては面白いですけど。歴史学者ではないですね。
@user-qf9sw4hv7b
@user-qf9sw4hv7b Жыл бұрын
高知は、勝手に維新の10傑にも坂本いれてます 嘘は、いけないですよね。 ホームページにも載っけてます。 ありえません。真実を載せるべき
@herewegowearethereds
@herewegowearethereds Жыл бұрын
坂本龍馬の顔を福山雅治だと思っていたら中井貴一だったようなもんだよ
@toyoslash1744
@toyoslash1744 Жыл бұрын
こんな重要な書類に直接仲介もせず重要重要人物でもない坂本龍馬が裏書しますかね?
@tukemononozu3993
@tukemononozu3993 Жыл бұрын
良い作品です。ありがとうございます。
@user-sc8iz4rj2r
@user-sc8iz4rj2r Жыл бұрын
実際、龍馬は歴史の片隅に埋もれていたような人物で、司馬遼太郎さんの小説で、今の龍馬像が定着した感がある。個人的には人物ではないと思う。
@user-fb3fk4dp7g
@user-fb3fk4dp7g Жыл бұрын
判り易い解説、ありがとうございます! 土佐藩の脱藩浪士が、薩長同盟の重要人物とされているのに違和感を感じていたのですが、こちらの動画を拝見してスッキリしました。 現代に定着している竜馬像は、政府がメディアを通じて作り上げたものだったのですね。
@user-pp5mw3kb8o
@user-pp5mw3kb8o Жыл бұрын
司馬氏にはウンザリ。 好きで沢山読んだのにな😢 物語を史実と捉えてしまった自分が悪いのだけど😣
@user-xo8yb8si1w
@user-xo8yb8si1w 2 жыл бұрын
3:44あたりで「薩摩藩上層部の思惑(しわく)の下~」とおっしゃっていますが、前後の意味から思惑(おもわく)が正しいと思います。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon 2 жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます。 おっしゃる通り、「おもわく」ですね。読み違えてしましました。 固定コメントで訂正いたします。
@user-sw5ph1zf9v
@user-sw5ph1zf9v 2 жыл бұрын
@@nihonshi-salon このコメントを固定した方が面倒が少ないと思われ。
@hideosumiyoshi3747
@hideosumiyoshi3747 2 жыл бұрын
司馬遼太郎の「坂の上の雲」をよんだとき、「司馬の小説は講談だ」、「著者は講談師以上に、見てきた様な嘘をつく人物だ」と 判断しました。 司馬史観がどれだけ歪んだ歴史像を作り出しているかを、丁寧に明らかにしていただきたいものです。
@tarouokamoto1403
@tarouokamoto1403 Жыл бұрын
司馬遼太郎の小説面白かったですね😁小説なので面白いかどうかはとても重要です。別に偉人のように書いてるわけではないですしね。最新研究と言われても何か名前を売るための説のような感じですしね。後で作られた伝記が史実でないと断言もいかがなものか?まあ話し半分な感じです。面白いですが。どちらにしても魅力的な人物であることは間違いないと思います。
@user-tp4hb3nk6w
@user-tp4hb3nk6w 2 жыл бұрын
確かに最近の研究によって龍馬は評価が落ちてることは確かですね。しかし龍馬の功績は一脱藩志士としてはかなり大きいものなので、龍馬を単に否定する人が増えないことを願っています。
@user-rj4tk3mm9b
@user-rj4tk3mm9b Жыл бұрын
薩摩藩が諜報員として多数抱えた他藩出身の浪人、その多数の中の一人とういう評価だと思います。
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
@@user-rj4tk3mm9bそういった内容の書かれた当時の文献等を知りたいところです。
@kimi.machino
@kimi.machino Жыл бұрын
龍馬の行動に関しては創作が独り歩きしていることは龍馬を研究すればよくわかる。 この動画も史実であるのか創作であるのかは、きっと永遠の謎になるでしょう。
@user-lr9ci1jb2q
@user-lr9ci1jb2q Жыл бұрын
「汗血千里の駒」や「竜馬がゆく」については知られているし、小説ですからそのように読むわけですが、数々の新説異論が絶えないのもまた龍馬の魅力じゃないかと思っています。 ただ、船中八策については、では誰が創作した物でしょうか? 慶應丁卯十一月 坂本直柔の署名の入った建白案は誰が書いたものだと言っていますか?
@arktkm
@arktkm Жыл бұрын
2回も暗殺される程の人物ではある 単なる調整役にそこまでするだろうか?
@user-es3dp2gt6p
@user-es3dp2gt6p 3 ай бұрын
テロリストを治安部隊が粛清したって話
@user-rd3rj7kr8n
@user-rd3rj7kr8n 2 жыл бұрын
薩長同盟は龍馬の他にも月形潜蔵とかが絡んでいたようだよ。
@andoh01
@andoh01 Жыл бұрын
小学生の頃は竜馬とか勝とかすげぇと思っていたけど、最近はアレだなと思ってる 竜馬は実は過大評価だったのでは? とか勝は人の褌で功績を稼いだヘタレだとか
@user-yb9xp1bt9p
@user-yb9xp1bt9p Жыл бұрын
坂本龍馬は、薩長にとって体の良い『使い走り』『便利屋』だったようにも感じられる。 結局何処まで行っても歴史的な立ち位置は─主役ではなく─脇役であり、一歩間違えれば『その他勝利大勢の一人』として歴史に埋もれてしまったのかも知れない。 ところが死後暫くして、様々な思惑をもった人物によって引っ張り出され、多くの人々に知られるようになったのは、(ある意味)希にみる幸運児でもあったと言える。
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
事実としてお話します。同じ土佐藩の重役である寺村作善の慶応3年の日誌に、西郷・大久保といった面々との会合の出席者の氏名を 「我が藩の巨魁なる坂本龍馬・中岡慎太郎も同席にて・・」と記しています。そして龍馬が暗殺された後に土佐藩の福岡孝弟は越前の松平春嶽へ拝謁し、事の顛末を知らせています。誰も気に留めない人物であれば、このように重職にある人たちが、せわしく動くとは思えませんよね。
@user-yb9xp1bt9p
@user-yb9xp1bt9p Жыл бұрын
@@sakawayo608 なるほどそうなのですね。ありがとうございます。 そうなると司馬遼太郎の小説等で現在のように世間に知れ渡ることが無かったとしても、歴史専門家や研究者からは「知る人ぞ知る」人物として─現在のように人気者になるかどうかは別にして─評価されたのかも知れませんね。
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
@@user-yb9xp1bt9p さんへ。 その通りと思います。 維新後の歴史上の人物は坂本龍馬の存在価値は分かっていたと思います。だから維新後の薩長政府に嫌気を感じた人達が、龍馬をかつぎ出して宣伝したと言えるでしょう。(日露戦争前の「皇后の奇夢」の話がいい例です)
@tk2pene655
@tk2pene655 Жыл бұрын
グラバーのな
@user-en5gs1fd3f
@user-en5gs1fd3f 11 ай бұрын
明治維新で最も日本の為に決断したのは慶喜公だよね‼️イギリスやフランスの植民地にならずにすんだのも大政奉還で終わらせたはずだったのに会津藩や長岡藩を朝敵として殺戮を見せしめの様にやった‼️話せば解るなんて奴はそうはいないよ‼️暴力革命だよ‼️
@user-to7rb7rq8r
@user-to7rb7rq8r Жыл бұрын
何年か前某テレビで虚構の英雄坂本龍馬を放送していた、明治維新で薩摩と長州は利益を得たが土佐は得るものがなかったので虚構の英雄坂本龍馬ができた。
@user-dr3ud6er2j
@user-dr3ud6er2j Жыл бұрын
明治維新で薩摩が利益を得たとするご意見は修正して頂きたいと思います! 江戸期の薩摩は佐渡金山の二倍以上の金産出の藩でした。 不思議と知られておりませんね。それの莫大財を藩の為でなく富国強兵に使っておりました。 長崎に初のドック式造船所を造り大坂に綿糸機三千台からなる蒸気式の近代的紡績工場を造り綿織物産業の礎。 横須賀の造船所も島津家の資金ですね。そして、西郷どんと大久保が無責任な西南戦争ですね。 お金を使っただけで故郷の破壊者でした。
@ym-zo6uv
@ym-zo6uv Жыл бұрын
新事実というか、新しい説としてそのような視点もあるのかと考えさせられました! 子供の頃から様々な所で龍馬について聴いたり、見たり、読んだりしてきた自分の中のロマン溢れる龍馬像をこれからも大切にしていきたいと思います。
@gtr3482
@gtr3482 Жыл бұрын
最近の龍馬下げ運動はすごいからね 加来耕三という人が龍馬が北辰一刀流までやってないと言ってたからな ちゃんとその後目録が発見されているのにもかかわらず
@kazu7668
@kazu7668 11 ай бұрын
下げというか史実を検証すると、たいしたことない奴だった、となってるだけで、 これを創作や妄想でないことをあることにしてた謎運動の方が異常なんよ
@user-ri4zj1op4b
@user-ri4zj1op4b 2 жыл бұрын
そう言われると確かに龍馬は一介の浪人だからな。藩と藩を結ぶ締結書類に正式に名を連ねることは出来ないでしょう…。 だけど、その書類に裏書きを求められる事やその行為そのものが普通出来ないでしょ…。 よほど薩摩や長州の要人達と仲が良く、その同盟実現に尽力していたからこその裏書き=証人ではないでしょうか。 明治以降の書き手によって龍馬がどんどんとヒーロー化されていたことはその通りだと思います。物語を作るにおいて都合が良かったのでしょう…。 しかしながら、藩からの許しを得て江戸に行けたこと、そこで黒船騒動を見聞きして勝海舟に会い、弟子として過ごせたことから始まる龍馬の歩みは、やはり魅力的なストーリー=史実だと思いますよ。
@user-cx7pm6dl1w
@user-cx7pm6dl1w 2 жыл бұрын
龍馬が一介の浪人って本当なの? 確かに脱藩して浪人になった龍馬は、刀の柄を売って手拭いを巻くほど零落していた(樋口眞吉の日記)。しかし、そこまで零落した一介の浪人が、なぜ天下の貴人である越前公松平春嶽に拝謁できたのかな(続再夢紀事)。一介の浪人が、いきなり軍艦奉行並の勝海舟に面会したり、その勝の紹介で幕府の重臣大久保忠寛に会えるのだろうか。さらには、一介の浪人がなぜ「薩摩や長州の要人達と仲が良く」なれたのか。 学会の偉い、しかし頭が固くて龍馬を過小評価したい先生たちは、それは「たまたま」だと言う。俺はそうは思わない。きっと理由があったはずだ。例えば、龍馬が嘉永6年に初めて江戸へ出府したとき、佐久間象山の五月塾に入塾している。入塾の正式な日付は12月1日だが、それ以前から出入りしていた可能性もあるだろう。そして、象山の妻は勝の妹だ。その頃、吉田松陰も五月塾に出入りしていた。伊藤博文から「どこへ行っても受け入れられる人間」(伊藤公直話)と言われた龍馬だ。まだまだ未解明なことがいっぱいあると思う。
@user-rg4le5gk9z
@user-rg4le5gk9z Жыл бұрын
高度成長期の昭和の時期に司馬遼太郎の小説が世相に押されるように持て囃され、テレビの大河ドラマで火が着いた「坂本龍馬」。 33歳の若さで幕末を駆け抜け、後の明治維新の影の立役者と、つい最近まで波瀾万丈の人生を送った悲劇のヒーローとして私もそのストーリーを信じて止まなかった。しかし、その龍馬の人生を含め様々な出来事は司馬遼太郎の創作と史実を結びつけたフィクション。時間が経つにつれ、まことしやかな庶民の歴史となってしまった。坂本龍馬を始め傑出した人物達や幕末から明治にかけての研究、検証が近年進むと劇やテレビ、教科書、特集の雑誌などで随分と史実と違うことが報告されている。龍馬の後ろにいた資金提供者(大名、藩主や欧米人など)の繋がりを詳細に調べれば、これからまた新しい真実が発掘される事でしょう。少々戸惑いもあるが、歴史好きにはたまらないね・・・正に「事実は小説より奇なり」
@pctsukasa
@pctsukasa Жыл бұрын
つまり、歴史の教科書にわざわざ乗せなくてもよい人物だということかな。 個人的には、ずっと前から薩摩藩と長州藩の【使い走り】っていうイメージだったんだけど…
@user-kn3zc2ll9s
@user-kn3zc2ll9s Жыл бұрын
盛っているというだけで坂本龍馬が魅力的な人物ということは変わらない。
@harunahyuga
@harunahyuga Жыл бұрын
いや、それこそ小説やドラマからの印象でしょ
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
司馬遼太郎の小説で 竜馬がいく の文字どうり 龍馬ではなく竜馬だ‥かなりの創作があることを匂わせている。 この小説で何十年も忘れらった人物に脚光が当たったため人物像が肥大化したのだろうと思う。 無名に近い人物を通じてこの幕末の時代がどうであったことを小説にしたつもりであったが‥ それに反してこの時代のことよりもこの人物に注目を集めてしまったということなのだろう。
@user-us6ui1xv5p
@user-us6ui1xv5p Жыл бұрын
武田鉄矢さんはどう思ってるんやろうか
@user-lw5vi5qr7l
@user-lw5vi5qr7l Жыл бұрын
竜馬大好きな武田鉄矢に見解を聴いてみたいなあw
@user-lw5vi5qr7l
@user-lw5vi5qr7l Жыл бұрын
@@ts7049 武田さんは龍馬ではなくて竜馬が好きなんでしょうね
@user-qw1lk3gu3n
@user-qw1lk3gu3n Жыл бұрын
1886年だと明治に入ってるんですが。1866年の誤りでは。字幕です。
@nihonshi-salon
@nihonshi-salon Жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます。 固定コメントにて訂正を入れています。大変失礼いたしました。
@user-js5pb4rl1e
@user-js5pb4rl1e Жыл бұрын
司馬さんの本は、小説だから、面白くないと売れないんですよ。歴史に興味を持つきっかけになればいいんですよ。ただ作中にある竜馬がアメリカ型の民主主義を目指していたというのは、司馬さんの思想を竜馬を使って読者に刷り込もうしているようにも見えなくはないけど。もっと真実を知りたい人は、いろいろな角度から勉強すればいいと思います。私は、明治維新を成功させた功労者は、廃藩置県を受け入れた、殿様達だったと思います。
@jyankuro15
@jyankuro15 Жыл бұрын
船中八策って、どうも大政奉還以降に考えったぽいよなぁ。
@user-fy3fc4lr3m
@user-fy3fc4lr3m Жыл бұрын
長州が薩摩の貿易船を沈めたことや禁門の変など長州と薩摩(特に久光)との間には大きな確執があったと推測されますが、それらの解決に黒田長溥の力が有ったのではないでしょうか?
@user-dk9yd9rw3h
@user-dk9yd9rw3h Жыл бұрын
近々教科書から消えるって話を聞いたなあ。 「おーい竜馬」原作であり龍馬ファンである武田鉄矢さんの心中はいかなものでしょうかねえ・・・ 「風雲児たち」のみなもと太郎先生は龍馬が活躍?する時期を描く前に亡くなられたけど天国で内心ほっとしているかも。
@user-iu5kf7tr5t
@user-iu5kf7tr5t 2 жыл бұрын
映像途中の刀を持った銅像は桂浜の坂本龍馬像ではなく、室戸岬の中岡慎太郎像です。
@sakawayo608
@sakawayo608 Жыл бұрын
本当の歴史を知りたければ、小説ではなく「坂本龍馬関係文書」等の書籍を読むことを勧める。
@user-ji9ip1rx3s
@user-ji9ip1rx3s Жыл бұрын
そうなると龍馬が暗殺される理由がかなり薄くなってしまうのでは?? それも間違いなのか
@user-sn3ne5vc1b
@user-sn3ne5vc1b Жыл бұрын
いちいち理由を考えるから間違えるのでは? 時代考えればある程度の役職などにいれば排除の対象になると
I Took a LUNCHBAR OFF A Poster 🤯 #shorts
00:17
Wian
Рет қаралды 8 МЛН
If Barbie came to life! 💝
00:37
Meow-some! Reacts
Рет қаралды 78 МЛН
Schoolboy Runaway в реальной жизни🤣@onLI_gAmeS
00:31
МишАня
Рет қаралды 4 МЛН