。。。おおおおお。。。。身につまされる内容。。。。。っす。 母の父、つまり、八丈生まれ八丈育ちの爺ちゃんは、一貫して地方自治に携わったが。。。末の孫の俺は、まだこの世に生を受けていなかったため、一族の集合写真には間に合わなかったわけだし、その横顔と後ろ姿は知っているが、結局話をした記憶は全くないのだが、後に俺だけを抱っこして撮ってくれた爺ちゃんとのツーショット写真は、俺にとって特別であり、89で天に帰ったときには、学園で授業を受ける私のところに寄ってくれ。。。「あ。。。おじいちゃん?」。。。とわかったし。。。直後、担任に呼ばれ、その死を知ったが。。。。理解ある母の言葉を受け、定期学力考査を優先し葬儀には参列せず。。。その次の長期休暇に、独り、八丈に飛んで。。。婆さんが大切にしまっておいた 若かりし頃の爺さんの持つ船が網に引っ掛けた特大さんごをみなで分けた後のかけらをその石にまぶしたピンクグレーの美しい墓に、独身の伯母二人に連れられて参ったことを思い出した。。。 つまり、爺さんは、毎朝五時に起きるとともに、アメリカ爺さんとよばれる帰国者から譲り受けた8人の子どもたちの為のその家中の部屋のカーテンを、有無を言わせず、無言でザーーーーっ!!ザーーーーっ!!!と。。。開け放ち、太陽の光で家を満たすのが、日課であった。。。と、私と姉は、母から、繰り返し繰り返し聞かされたからだ。。。 1900年7月14日生まれの爺さんが亡くなったのは、齢89の時のこと。。。。彼の五女の婿である私の父が世界の飛行場を視察した出張時に買ってきたフランス革命200年記念の印の入った2つの大きな深皿で、今、ベトナムのフォーを頂くとき、私は、感慨深く思います。。。 。。。爺さんの葬式より学力試験を優先させた末の孫として。。。私も朝に強くなります! Thanks Moogy, for your encouraging words to us!!! Yes, I will.