なぜ邪馬台国は日本の歴史書に、のっていないのか??【ゆっくり解説】

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古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

5 ай бұрын

「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願い致します。
yabaikodaishi@gmail.com

Пікірлер: 355
@urasimatarou
@urasimatarou 4 ай бұрын
魏志倭人伝、正確には三国志『魏書』の「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条。 邪馬台国までのコースは1里を何キロと設定するかでバラバラになる。 それより魏志倭人伝にははっきり「伊都国の南に女王国がある」と書かれている。 書紀に藤原不比等の意向が反映されてるのは間違いないだろうね。 蘇我氏三代、馬子・蝦夷・入鹿。いずれも、普通名前につける字ではない。改ざんされている可能性が高い。
@hikaru0814
@hikaru0814 5 ай бұрын
面白いんだけど、一説に過ぎない内容を真実みたいに言われるとウーンってなるわね。
@taishiforest4603
@taishiforest4603 5 ай бұрын
魏志倭人伝によれば女王国の東は海でその向こうは別の倭人の国だという 纏向遺跡は九州や大陸の出土品が少なく、当時の畿内勢力が九州以西と疎遠であったことがうかがえる 卑弥呼当時は畿内と九州が別の勢力だったと見れば良いだけではないのかね?
@user-fw7sn8ot6l
@user-fw7sn8ot6l 3 ай бұрын
宮崎からの東征がよくわからんことにならんか?九州から征服してったのに九州が別勢力とは…東征後に締め出されたのかな?邪馬台国勢力に九州から。その割に国造り軍やら長髄彦軍やらを東征軍が征伐するくらい勝っちゃうんだよねーそこが謎よな。火山噴火でもこの頃にあって逃げ出したとかなのか?
@NOBBU_
@NOBBU_ 2 ай бұрын
@@user-fw7sn8ot6l普通に九州にいた邪馬台国とかの勢力が東征して近畿勢力を飲み込んだ…ってので辻褄は合いそうですけどね。恐らく神武東征のことを仰ってるんだと思いますがあくまで神話なんでそのことをモデルに記したんじゃないでしょうかね。
@user-sc4pr4ms4u
@user-sc4pr4ms4u Ай бұрын
⁠@@user-fw7sn8ot6l神武東征って皇族の一人を日向に置いてったって書いてなかったっけ?その残った人が収めた国もヤマトになるから、ヤマトは九州と畿内両方にあって後に九州のヤマトは卑弥呼が収めるようになったんじゃない?  後々畿内ヤマトに敵認定されたってことは卑弥呼は皇族では無く、国を乗っ取った誰かということになるかもね
@user-oe6ou3ph1z
@user-oe6ou3ph1z 3 ай бұрын
大和国の姫皇子様(やまとのくにのひめみこさま)を魏が邪馬台国の卑弥呼(やまたいこくのひみこ)と聞き間違えたってのがどう考えてもしっくりくるよなぁと思います。
@Petal_Of_Sand
@Petal_Of_Sand 3 ай бұрын
当時の言葉は現在の言葉とは発音から全く違うからそういう聞き間違いはしないと思う
@user-yh5db1to3o
@user-yh5db1to3o 3 ай бұрын
「やまたい」というのは日本語読みで、中国語読みだと「やまど」と発音すると聞いたことがあります。音声学や言語学的なアプローチからも、もっと研究が進むといいですね。いずれにしても魏志倭人伝が、さもものすごくしっかりした歴史書のように言われますが、書いた本人は日本に来たこともなければ、人から聞いた伝聞の伝聞をちょろっと「こんな国あるらしいで」くらいのノリで書いた・・・という可能性を誰も指摘しないんですね。相手が中国だから?(笑)
@user-pw2zb8xu9j
@user-pw2zb8xu9j 2 ай бұрын
三国でさえそれぞれ発音が違ったと言うし、当時の魏語の発音と、倭語の発音をそれぞれ再建した上で比較して論じないと、ヒミコとひめみこが似てるぅとか、今の北京語の発音がヤマトに似てるぅとかはあんま意味ないと思う。
@user-ko5sv5jv3x
@user-ko5sv5jv3x Ай бұрын
@@user-yh5db1to3o 人殺しで裏切り者であった鎌足の末裔が朝廷ででかい顔するためにでっちあげた乞食や日本食器などよりはまともだろうな。
@user-cr6bb5iq8s
@user-cr6bb5iq8s 3 ай бұрын
普通に使者の口伝を文書化したわけだから、日本で言うひめみこ(姫巫女)が卑弥呼、やまとこく(大和国)が邪馬台国となまって伝わり当て字になったと思うんだがね。
@user-dl4bh4tu7h
@user-dl4bh4tu7h 2 ай бұрын
当時の日本人が使ってた言語って大和や邪馬台国を「やま~」みたいな発音するようにデザインされてたのかな 戦国時代の言葉ですら現代人には理解不可能らしいし、弥生時代とか古墳時代なんて発音とか全てにおいて完全に別言語なんじゃないかって気も おまけにこれまたどういう発音してたか謎だらけな古代中国語の書物がソースなわけで、邪馬台国がヤマトに繋がる発音だったかってのはちょっと個人的に疑問が残る
@user-wr8gh6ro3z
@user-wr8gh6ro3z 2 ай бұрын
そうですね私が聞いた話では卑弥呼はただ巫女で青い目をしていてギリシャ人だと言う説もあります⛩️
@user-jg3cg8sb1e
@user-jg3cg8sb1e Ай бұрын
中国人でも古代の文章の読み方がわからないので、ヒミコとは便宜上そう読んでいるだけです。 日本語も同じように古代の漢字はなんと読むのか正確にはわかっていません。 当て字の説は、現在に近い読み方をしていたという前提での説なので、推測にすぎませんよ。 中国語も日本語も漢字の意味は大きく変わっていないそうですが、読み方を確認する方法がないのです。
@nekoyama5417
@nekoyama5417 5 ай бұрын
その節は大変お世話になりました
@user-oj2eh7to4h
@user-oj2eh7to4h 5 ай бұрын
バブル世代ですよね?(笑)
@kanyakawasaki6907
@kanyakawasaki6907 5 ай бұрын
記紀の編纂がクーデターで蘇我氏滅亡後だから、察そうよ。
@tarishihiko
@tarishihiko 5 ай бұрын
邪馬台国は九州にあった別の国だと解釈した方がスッキリします。大和政権とは別の国だから無視したんじゃないかな。記紀に富士山が出て来ないのも、富士山より東は別の国だったから。 それで説明出来ないでしょうか。邪馬台国の入れ墨の風習も、大和政権にはまったく残っていないし。
@user-iv4bf8yw1c
@user-iv4bf8yw1c 5 ай бұрын
私もそう思います、畿内説をとっている教授や古墳学者はそもそも記記、倭人伝を読んでない。
@user-zg8mf3zc9m
@user-zg8mf3zc9m 5 ай бұрын
私も邪馬台国は九州にあったと思いますが、日本書紀が邪馬台国を無視しているわけではないです。日本書紀は魏志倭人伝の卑弥呼を「神功皇后のことか?」と書いており、卑弥呼はヤマト王権の人と言ってるような言っていないような書き方になっています。その理由は、卑弥呼をヤマト王権の人だというと三世紀の段階で、ヤマトの王は共立される程度の弱い存在であったことになり、卑弥呼がヤマト王権の人ではないというと三世紀の段階でヤマト王権は倭国を代表していなかったことになり、どちらも都合が悪いので、曖昧にしているのです。  また富士山より東は別の国と言ってますが、ヤマトタケルは関東や東北まで遠征活動をして平定していますから、日本書紀や古事記が富士山より東を別の国とみなしていたというのはありえないですよ。さきたま古墳群の稲荷山古墳の鉄剣銘では明らかにヤマトの大王のことを讃えています。古墳時代中期までには九州から東北南部までは同じ国として統治されるようになっています。
@tarishihiko
@tarishihiko 5 ай бұрын
@@user-iv4bf8yw1c 九州説以外あり得ないですね。魏志倭人伝に、帯方郡から邪馬台国まで1万2千余里とはっきり書いてある。皇帝から莫大な仕度金をもらっている使者は、いい加減な報告をしたわけが無い。ウソがバレたら、たぶん一族郎党処刑ですから。
@tarishihiko
@tarishihiko 5 ай бұрын
​@@user-zg8mf3zc9m なるほど。面白い説だと思います。ただ、中国の史書に書かれた事実は変わりません。卑弥呼の所属がどうであれヤマト王権の地位が変わらないのなら、卑弥呼の所属を曖昧にする理由も無いのでは? 日本の代表富士山は、ヤマトタケル一行が絶対に見て驚いたはずなのに、記紀に記述が無いのは本当に奇妙です。当時東国は完全な支配にはなっていなかったと個人的に考えています。
@tarishihiko
@tarishihiko 5 ай бұрын
@@user-iv4bf8yw1c 九州説以外、あり得ないですね。倭人伝に帯方郡から1万2千余里で行くとはっきり書いてあります。皇帝から大額の支度金をもらった使者が、いい加減な報告をするわけが無い。ウソがバレたら、たぶん一族郎党処刑されたでしょうからね。
@user-mx5qx5oj9c
@user-mx5qx5oj9c 5 ай бұрын
当時勢いのあった一豪族について後世の人達が知らなくても不思議ではない。書物もなかったわけだし。
@user-yr2oo6wd1b
@user-yr2oo6wd1b 4 ай бұрын
日本書紀に載って無いと言う事は大和王権とは別の国という事なのか?
@user-wb9fv4if1i
@user-wb9fv4if1i 2 ай бұрын
邪馬台国の時代は、日本は統一されていなかったってだけでは? 九州を中心とした邪馬台国、近畿を中心としたヤマト王朝があって、前者が倭と呼ばれ中国と国交があったけど後にヤマト王朝に征服された なので卑弥呼も倭の五王も倭の話でヤマト王朝の話では無いから記紀に載っていない
@user-wb3sn7wb9h
@user-wb3sn7wb9h 4 ай бұрын
生涯未婚の女王である卑弥呼と実権を握っていたとはいえ、皇后である神功皇后 を同一視するのは無理があると思うんだよなあ それと、蘇我氏が邪馬台国出身である根拠は? 邪馬台国=大和王権ではないという立場?
@user-mh7me7eu8g
@user-mh7me7eu8g 2 ай бұрын
その神功皇后が退治した、北九州のタブラツヒメがヒミコ【代々の役職名】の事だと思ってる。 まあ一説だけど。
@user-qg9jk7vx5m
@user-qg9jk7vx5m 5 ай бұрын
まだ手付かずの遺跡があるから新しい発見の可能性がある
@kabayakiunagi3936
@kabayakiunagi3936 Ай бұрын
後漢書「倭」、三国志「倭人」(いわゆる魏志倭人伝)、宋書「倭国」、隋書「倭国」、旧唐書「倭国」、旧唐書「日本」、新唐書「日本」、宋書「日本国」、元史「日本」、明史「日本」まで支那の日本記述はアップデートされ続けています。そのなかで日本は元々倭の奴国と同じと書かれていますね。神武東征についても。 そして三国志の邪馬台は、大和と同じであると随書では断言しています。これをどう解釈するか。 気になるのは三国志では朝鮮半島その他周辺国をすべて国号で論じているのに対して、倭のみ「倭人」と記述していること。 おそらくまだ統一国家としては認めていなかったのではないかと思われます。
@user-kz7oq5hy7v
@user-kz7oq5hy7v 5 ай бұрын
邪馬台国の場所も不明になっている理由が解りました。(ある程度) 古書である三国志の「倭人伝」では、対馬、壱岐、松浦半島、福岡市を含む奴国の地域、糸島半島(福岡県糸島市)まで把握しているものの、後の行程が不明になっていると聞いています。 奴国は、福岡市の東区・博多区・中央区辺りも含まれており、博多区に九州朝日放送本社近くに「那の津」という地名があると聞いたことがあります。😮
@mkat2087
@mkat2087 5 ай бұрын
平安時代には邪馬台国の位置はもう綺麗さっぱり忘れ去られていたらしい。ただ飛鳥時代にしても出土した銅鐸すら何か全く分からなかった事を考えると、この時点で邪馬台国の位置を知る人はほぼ居なかったと思われる。
@user-wi2lw6ec2g
@user-wi2lw6ec2g 5 ай бұрын
卑弥呼さんは巫女さんだよ
@user-fw5jy1zf7y
@user-fw5jy1zf7y 5 ай бұрын
姫巫女(ヒメミコ) 乃至は、 日女命 (ヒルメのミコト)
@user-hc7tp5qg8c
@user-hc7tp5qg8c 3 ай бұрын
イギリス人はドイツをジャーマンと呼ぶが、ジャーマンという国は正確には存在しない。 中国人は日本の女王を卑弥呼と呼んだが、日本からみればそういう名の人物はいなかった。(?)
@user-qd1fb2tt1l
@user-qd1fb2tt1l 3 ай бұрын
日の巫女
@user-re2dg4pv5y
@user-re2dg4pv5y 3 ай бұрын
魏志倭人伝には 卑弥弓呼(ヒミヒコ) 邪馬台国の敵国(南に隣接)狗奴国の男王 という記述もある 卑弥呼は役職名でしょ🥸
@ty-lp2to
@ty-lp2to 5 ай бұрын
伝説上の人物で物証もなく都となる場所すら特定出来ずにいるからです
@user-fw7sn8ot6l
@user-fw7sn8ot6l 3 ай бұрын
伝説ゆーて邪馬台国しか倭国の記述が詳しく残ってないから滅ぼされるまでは確実に無いとおかしいだろ。何にもないものを魏なり隋なりが書き残す必要感じないだろ?
@user-hj5wo8cy4g
@user-hj5wo8cy4g 5 ай бұрын
魏志は本当適当だと中国国内でも゙正史に含まれていません
@user-sb7uc8lh6g
@user-sb7uc8lh6g 3 ай бұрын
あくまでこの動画の作者の感想ですってことわり入れた方がいいかと
@user-ec5yd5xk3l
@user-ec5yd5xk3l 5 ай бұрын
なるほどなぁ💡
@mcv1653
@mcv1653 5 ай бұрын
消えたとか消されたとかいうより7世紀には3世紀のことは分からなくなってたというのが本当じゃないんですかね。 ところでネタ本は何でしょうか? 読みたいですね。
@yola8
@yola8 5 ай бұрын
ワイも同じ考えで、当時のヤマト朝廷に伝えられてきた伝承や書物の中に卑弥呼は無かったのだろうな
@ribot981
@ribot981 5 ай бұрын
西涼を獲得した蜀の地図出てきたw
@dice-koz206
@dice-koz206 5 ай бұрын
邪馬台国もそうですが、倭の五王が記紀に一切記されていないのも古代日本の消された闇でしょう。 倭の五王はそれぞれ対応する時代に即位していた天皇が比定されています。 しかし、南朝に朝貢し朝鮮半島の高句麗と百済を除く国々の支配権を認められていた、という結構重大な外交記録がすっぽりないのはおかしなことです。
@TOM-ed4od
@TOM-ed4od 5 ай бұрын
熊襲の女王
@tanabatatume2720
@tanabatatume2720 3 ай бұрын
良く分からない。藤原氏が蘇我氏を恨んで抹消したがったからその出自を消そうとした?? そもそも不比等は蘇我の女性を妻に迎えているし、今に残る藤原氏の祖である北家の始祖たる不比等の次男・房前の母親がその蘇我の女性なんだけど
@npzetumu6263
@npzetumu6263 4 ай бұрын
唐突に蘇我氏のルーツが邪馬台国と言ってるけど、そう考える根拠が何一つ語られていない 何なの、この動画
@user-sh8tc8xw7m
@user-sh8tc8xw7m 3 ай бұрын
勉強になります。神功皇后の没年が268年ならほぼ同じ時代なんだね。120年ほどずれてる気がする。工学博士芸人 遼子規キンジロウ
@javsjf
@javsjf 5 ай бұрын
中臣の鎌足の出は、茨城県鹿嶋じゃなかった?
@user-cx8kp9vr9b
@user-cx8kp9vr9b 5 ай бұрын
「卑弥呼」とは中国側からみた蔑称なわけで、漢字の当て字にとらわれず当時の漢音の音のままに、日本では呼ばれていたはず。
@762forest_railway
@762forest_railway 4 ай бұрын
卑弥呼は卑の巫女と言う意味だと思う おそらく本名ではなく職業名
@user-cx8kp9vr9b
@user-cx8kp9vr9b 4 ай бұрын
@@762forest_railway もちろん、卑弥呼を「鬼道」の「巫女」という説があるのは知っています。でも、当時の中国の周辺国に対して、中国がつけた国名が、漢字の意味から蔑称を多用している現実を考えると、卑弥呼には意味がなく、当時の倭人の音を当てたといるのが妥当だと思っています。
@762forest_railway
@762forest_railway 4 ай бұрын
@@user-cx8kp9vr9b どちらにしても本名ではないね
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
卑弥呼を巫女や御子とする話は卑弥弓呼との類似性に整合しないように思う。
@HOPE-ch8rk
@HOPE-ch8rk 4 ай бұрын
​@@zennin375 卑弥弓呼のそれは魏の役人が書き間違えただけじゃないかと思う。正しくはヒコミコ、つまり彦命。 現代の我々だってハーレーダッドビソンをハーレーダビッドソンと呼んだりするだろ?
@user-kz4ck9hm5u
@user-kz4ck9hm5u 5 ай бұрын
邪馬台国→当時の中国の王朝での読み方『やまどぅ』→ヤマト、そして卑弥呼→日ノ御子 だから同一
@user-bc5ip6lz2v
@user-bc5ip6lz2v 4 ай бұрын
日の「御子」→巫女じゃない?
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
この話をする人ってみんな卑弥弓呼を無視するよね
@user-dm6dl5yw9v
@user-dm6dl5yw9v 3 ай бұрын
そもそも擬似倭人伝は海外の書物だから日本人が思ってる日本の歴史では無く、海外視点からみた日本なんですよね。特に古い書物は自国に都合良く書かれてる場合が多いのであてにならないんですよね。
@Hayato_Takezawa
@Hayato_Takezawa 5 ай бұрын
不比等は元は、史と書いたらしい
@kazuyatoda1687
@kazuyatoda1687 3 ай бұрын
魏志倭人伝なる他国の書物を参考にしているから真実が見えない!
@raplussports5375
@raplussports5375 4 ай бұрын
蘇我氏のルーツが邪馬台国であるという根拠は?
@user-cr6bb5iq8s
@user-cr6bb5iq8s Ай бұрын
そもそも、日本の今の大和朝廷からの系譜と邪馬台国は全く別ものだと思う。 当然、今の系譜だと自らの支配の歴史しか残さないんじゃないかな。
@hiroshi-itou
@hiroshi-itou 4 ай бұрын
ルパン一世の妻がヒーミコちゃん
@user-qd1fb2tt1l
@user-qd1fb2tt1l 3 ай бұрын
まじかっ!
@blndmj777
@blndmj777 Ай бұрын
これを見て「なるほど、そうだったのか」となる人用の動画
@user-ng4ou4ng4y
@user-ng4ou4ng4y 3 ай бұрын
卑弥呼って、中国が卑しい巫女と蔑視した呼び方をしていたのを、学者が勘違いしていたのでは?😅
@user-lw7xv9et2h
@user-lw7xv9et2h 5 ай бұрын
漢字の当て字は誰がやったんだろう
@user-bc5ip6lz2v
@user-bc5ip6lz2v 4 ай бұрын
魏です。中華は古代から辺境の地を貶めて「卑」とか「奴」とか「倭」とかの良くない意味の漢字をあてたのです。
@user-zi3vr6me7u
@user-zi3vr6me7u 4 ай бұрын
@@user-bc5ip6lz2v 中国の史書は次代の王朝が編纂するので、晋も容疑者に数えるべきでしょう。
@namwons33
@namwons33 2 ай бұрын
魏志(魏書)を書いたのは東晋の人だから、その辺りの人かも?
@user-wr8gh6ro3z
@user-wr8gh6ro3z 2 ай бұрын
ワタシの聞いた話では卑弥呼はただ巫女で青い目でギリシャ人だったと言う説もあります🧐鋼鉄ジーグ二世⛩️
@norirumi8644
@norirumi8644 5 ай бұрын
霊夢と魔理沙が『稗田って人』って言ってるのクッソ面白い。 原作の元ネタと被っちゃうからある程度しょうがないよね。
@tomoyuki36
@tomoyuki36 5 ай бұрын
日本では卑弥呼と呼ばれてなかったんでしょうね。 それより三国志の蜀の領土が広すぎな気が、、、
@user-mx5qx5oj9c
@user-mx5qx5oj9c 5 ай бұрын
荊州が入ってる場合と入ってない場合がある。
@user-ur2hu2bu5c
@user-ur2hu2bu5c 5 ай бұрын
確か卑弥呼と言うのは魏王が付けた名前で 日ノ本を下に見た言い方だったらしい。 違ったらすまん
@user-ny7fy6so3g
@user-ny7fy6so3g 5 ай бұрын
​@@user-ur2hu2bu5c卑しいですからね。倭国も「小さい身長の奴らの国」の意味ですから。
@user-xj8sy1of8w
@user-xj8sy1of8w 4 ай бұрын
本来は日巫女だったんじゃないかなぁ 中華思想的に他国を下に見る訳だからマイナスイメージのある漢字を使って卑弥呼。 邪馬台国も同様で本来大和国であるところを邪な馬の国で邪馬台(ヤマト)国みたいな。
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
@@user-ur2hu2bu5c 魏王が名付けたのではなく魏が字を充てただけなのでは?
@user-iv4bf8yw1c
@user-iv4bf8yw1c 5 ай бұрын
別の文化を持つ国と考えると箸墓古墳が前方後円墳である自体、卑弥呼の墓では無いことがはっきりわかる。なのにいまだにNHKやある古墳学者が箸墓卑弥呼説を言ってるから呆れる。
@kanyakawasaki6907
@kanyakawasaki6907 5 ай бұрын
NHKは信用ならないのはわかり切ってるので。早く消滅させないとね。
@user-dv3fo5dm6c
@user-dv3fo5dm6c 5 ай бұрын
なんで別だと思ったんですか?
@user-gl2it7jq8o
@user-gl2it7jq8o 3 ай бұрын
別の文化を持つ国だったんですか?
@user-oc9hi1je9l
@user-oc9hi1je9l 3 ай бұрын
魏志倭人伝には「倭人の墓には棺は有っても石室が無い」みたいに書かれているのに、 古墳の写真を見るかぎり、石で作った部屋が有ります。 なので、古墳では無い事が解るかと思います。 すみません、変換ミスのため編集いたしました😢
@kanyakawasaki6907
@kanyakawasaki6907 3 ай бұрын
和のナ国だから少なくとも大和ではないよね。それに明らかに九州の地名ばかりだと。
@user-ol2nw2hz9j
@user-ol2nw2hz9j 5 ай бұрын
卑弥呼・トヨ朝貢記事そのものは神功皇后の所に移動して載せているが、位置がおかしいという形でないよという話になるのかな。卑弥呼と豊は神功皇后と一緒にはできないよね。 難升米と都市牛利が誰かも興味が出てくる。
@user-rt1dp9zj6k
@user-rt1dp9zj6k 5 ай бұрын
弥生時代にも文字らしきものはあったみたいですね。その解明が日本のルーツを知る大きな手掛かりになると思うが、現在の国体を揺るがしかねないから進まないんですかね😅
@ahsakasa7
@ahsakasa7 5 ай бұрын
天照大神は?
@user-pv9wf4jy6w
@user-pv9wf4jy6w 5 ай бұрын
日本古代史最大の謎は。 卑弥呼ではなく、台与。
@user-qx8dm7mv9n
@user-qx8dm7mv9n 5 ай бұрын
歴史ってある人に都合よく書き換えちゃえばそれが歴史になるって、真実は当時の人にしかわからないことだらけなんですね😅
@user-dn4kc3ve2n
@user-dn4kc3ve2n 5 ай бұрын
まあ女がトップなんてありえへんからね、こんなもん創作よ
@user-ve7un8hy7m
@user-ve7un8hy7m Ай бұрын
漢からもらった金印には「漢の倭奴の国王」とある。かんのいぬいの国王 と読める いぬい=イヌイット=縄文人=熊襲族では無かったのか..?その末裔の女王が卑弥呼..。 熊襲族の女王が志那の書物には登場しても..ヤマト政権の歴史書にその名前が出て来る事は 当然..有り得ません..!.
@user-vv1jy8nf9u
@user-vv1jy8nf9u 5 ай бұрын
一応日本書記にも魏志倭人伝のことは載ってるし卑弥呼もたしか載ってたんでは?
@dice-koz206
@dice-koz206 5 ай бұрын
卑弥呼は魏が呼んでいた人名で、記紀には同一人物が魏志倭人伝に記されたものとは異なる和名で載っている可能性はありますが、それが誰なのかは不明。 神功皇后のことを魏は卑弥呼と呼んでいた可能性はあるところです。
@user-vv1jy8nf9u
@user-vv1jy8nf9u 5 ай бұрын
卑弥呼は載ってなかったね魏志倭人伝のことは載ってたけど神功皇后の欄に魏志倭人伝のことがよりによって載ってんだよねまあ
@user-uu3xy7pj9g
@user-uu3xy7pj9g 5 ай бұрын
卑弥呼に相当する人は実在してたけど、その人を日本(邪馬台国)では卑弥呼と呼んでいなかったから話が拗れてるってだけな気がするんだけどな
@user-lq9di3lf4l
@user-lq9di3lf4l 4 ай бұрын
ここは結構良く調べたチャンネルだな。 でも俺、全部のゆっくりチャンネルがごっちゃなんだよな。
@user-ge9rs6bh3w
@user-ge9rs6bh3w Ай бұрын
個人的好きなのは遷都なんです
@junjun4919
@junjun4919 4 ай бұрын
邪馬台は日本語の発音1音を中国語の1字に当てはめた。よって日本語では「やまたい」ではなく「やまと」「やまて」「やまつ」など3音で発音された。 中国語では、文字は意味や形態などで表現されるが、中国語にない外国のものを外国人が表現するようにいう場合には、外国語の1音を中国語の1字で表現する。例:Elvis Presly ⇒ 中国語:猫王、外国人の発音の中国語の表記:猫王為什麼要叫猫王 『旧唐書』(945年)では「倭國者、古倭奴國也。日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。」(「倭国(わこく)は、かつては倭の奴隷どもの国だった。日本国は、倭国(わこく)の分家(あるいはその系統)なり。その国は太陽に接しているため、日本と名付けた」) 『新唐書 日本伝』(1060年)では「日本、古倭奴也」(「日本(やまと)は、かつては倭の奴隷どもだった」)。つまり倭は九州にあったが(たぶん一部の人々が)東方に移動して、畿内に移った分家 (あるいはその系統) と考えられる。分家は(倭国から見て)日が昇るところにあるため日本と名付けられた。 『魏志倭人伝』では、倭国 ((「わこく」=日本人は「私の国」の意) を奴国 (「なこく」=中国人は「かれらの国」の意味で「奴隷たちの国」と表現した)) といい、その国は 福岡辺りにあったが、その分家(あるいはその系統)の女王國は奈良にあり、その頃、魏の使者が来たということではないでしょうか。(たぶん台与/臺與「とよ」または壱与/壹與「いよ」の治世) 女王國は九州の倭国 (わこく)に対し、倭(やまと)と呼ばれた。『倭人伝』では「やまと」を中国語の文字に1字1字あてはめ、「邪馬台国」(やまと こく)と表記した。 「倭(やまと)は国の真秀(まほ)ろば 畳(たたな)づく青垣 山籠れる倭しうるわし」(倭建命(ヤマトタケル)・古事記 712年)の「山籠れる倭」より、この時代の倭は、奈良にあった。 奈良では、倭國 「わこく」※を「やまと」と読んでいたが、中国語の倭の意味が「馬鹿なチビ」なので、のちに文字を「日本」に替えて「やまと」と呼んだ。(壬申の乱 (672年) で勝利した天武天皇が、国号を「倭」から「日本」に変更した) ※「倭」だけだと日本語の「わたし」の意味なので「倭國」とした。
@user-yq6zl7fs7c
@user-yq6zl7fs7c 2 ай бұрын
持統女帝の生涯を描いた漫画『天上の虹 持統天皇物語』で蘇我入鹿がクズに描かれましたが 悪者扱いされたことと関係があるのかも
@kentmike9428
@kentmike9428 5 ай бұрын
継体天皇は越前(福井)から近江(滋賀)の北部浅井郡が勢力範囲。鉄の生産跡もあり、雪国とはいえ、越前は良港を持ち、九州を経由しなくても、出雲や加賀など日本海ルートを持っていたはず。渡来人の末裔(弥生人)と考えるなら、新羅や高句麗方面から直接日本に渡来した可能性が高いと思われる。  また、継体天皇即位の前に丹後(丹波)地方に行き、天皇即位の依頼をしたが断られた(逃げた?)ためという記述の信ぴょう性はどの程度なのかわからないが、系譜的には丹後(丹波)の方が先だったのだろう。つまり、丹波(丹後・丹波・但馬)から越前近江にかけて同族の天皇家の筋(親戚関係)であったことが伺われる。  物部氏は京都(山背)以南淀,茨木、高槻あたりが根拠地大阪湾まで支配していたかもしれない。  継体天皇は即位後すぐに奈良に入らず、枚方葛葉方面に都を構えた約20年間。  蘇我氏は、奈良西部和歌山寄り生駒周辺がルーツのような気がします。以前は古墳造成の指導者のひとりだったのでは  加茂氏もまた、この周辺にルーツあり、それ以前は四国徳島吉野川流域にも痕跡がある。その後京都北部に勢力を持つ陰陽系の一族。  ちなみに泰氏のルーツは九州北部に痕跡があり、後の宇佐神宮や英彦山、八幡信仰と関わりがあり、用明天皇の恢復に尽力した功により、畿内に呼び寄せた経緯がある。その後、京都市内、丹波亀岡、篠山など分波していく。彼らの一族は各地方にも派遣されたため、各地に痕跡がある。  話は戻るが、継体天皇の系譜つながりで、推古天皇や聖徳太子がいるので、ルーツは越前、近江北部にあると思われる。  中臣氏は本来祭祀を執り行う家系で、忌部氏と争っていた。忌部氏は古墳時代から大きな勢力を持っていた。本拠地は以前は九州かもしれないが、飛鳥時代は京都山科が本拠地であったようだ。  藤原氏は持統天皇時に文武天皇の家庭教師として登場する。本家中臣氏とは系譜が違う気がする。分家が関東にあり、春日大社の鹿など関東のにおいが強い。力を持った後、本家の藤原氏を祭祀専門に戻し「中臣氏」に戻した。自分の血筋のみ「藤原姓」を名乗らせている。  疑問①継体天皇は朝鮮半島に行くのに、九州を経由する必要があったのか?   加賀・敦賀は現在でも直接の航路がある。新羅や高句麗へ行くのなら、自分たちの過去の人たちが来たように直接、行けばよかった。
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 4 ай бұрын
弥生人といわゆる渡来人は違うと思うが
@kentmike9428
@kentmike9428 4 ай бұрын
@@yskztkhs7986 違うかもしれません。しかし、ここでいう渡来人については自説があります。DNAにより近畿地方に渡来系が多いこと。普通、九州から渡来人がきたら、そちらの方が渡来系DNAが多くなるはずではありませんか。  天の日鉾伝説。新羅の王子が妻を探しに来て、そのまま滞在した話。  滞在場所は但馬の出石。大国主と戦ったのは兵庫南部で回遊したのは近畿、近江、越前から舞鶴を通過して但馬です。  滋賀県の発掘調査で鉄器を造るのに砂を利用したのは近畿の方が早いとのこと。  つまり、古代から九州を通過せずに、弥生時代から直接近畿へ来ていたというのが、自説です。よって、近畿の人で渡来した人の祖先は弥生時代に来た人という意味です。  新羅、高句麗方面からというだけで、現在の朝鮮に住んでおられる民族と同じとは限りません。あくまで経由地として  まさか、縄文系の人が天皇の系列とは思っていませんよね。
@nemirgame
@nemirgame 5 ай бұрын
なんで卑弥呼は存在して、伊邪那岐伊邪那美は存在しないの?
@user-dl4yq9df4k
@user-dl4yq9df4k 2 ай бұрын
消されたという答えありきで考察してるからガバガバだな
@hide-wq3oz
@hide-wq3oz 5 ай бұрын
魏志倭人伝自体が偽書とまでは言わないが魏王の威光を記した書物とも言われるので誇張された物になってる可能性が高い。 であれば魏志倭人伝にしか卑弥呼の記載が無いのも納得が行く。
@user-dv3fo5dm6c
@user-dv3fo5dm6c 5 ай бұрын
誇張は十分あり得ますね。ただ魏王にではなく司馬懿にですね。 司馬懿が当時の朝鮮半島まで魏の範囲を広げた。その結果 邪馬台国の女王の使者がこれた。これは司馬懿の功績で親魏大月氏王に匹敵するこうせきである。
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
@@user-dv3fo5dm6c 話ができない相手だった
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
@@user-dv3fo5dm6c 知らんがな
@user-dv3fo5dm6c
@user-dv3fo5dm6c 4 ай бұрын
@@zennin375 確かに魏志倭人伝も誇張や中華思想に基づく蔑視は存在してる。 でもそれでも魏志倭人伝の方を重視してるのは記紀がそれ以上にアレだから それを無視して魏志倭人伝は中国のだから信用できなーい みたいな女子高生みたいなこと言い出す人がいるよねって話
@zennin375
@zennin375 4 ай бұрын
@@user-dv3fo5dm6c 知らんがな
@user-cp4zw7hm8g
@user-cp4zw7hm8g 4 ай бұрын
強かったら、壊されないでしょ。歴史から消された滅びたってことになる。また新たに君臨者が出現する。仏門かっっっっ
@user-yt9fq6ug3l
@user-yt9fq6ug3l 2 ай бұрын
卑弥呼と卑弥弓呼がなあ。天照大御神と須佐之男何じゃないかなと。豊与は天照大御神と須佐之男の子どもじゃないかと。宇気比(うけい)で2人は子作りしてるからなあ。 国譲りは、荒神谷遺跡の380本の銅剣と関係ありだと思う。 親魏倭王の金印はいずこ?
@LITTLE_FAT_SHAFT
@LITTLE_FAT_SHAFT 5 ай бұрын
そもそも、東の島国の蛮族の事を、正確に記録しようなんて意図もなかったでしょうからね。 場所はよくわからんが、とにかく遠くからきた事にした方が、我々の箔がつく。 蛮族だから、国名と国王に使う漢字は当て字で、ちょっと馬鹿にした文字使ったれ。 こんな感じでしょうね。
@user-zi3vr6me7u
@user-zi3vr6me7u 4 ай бұрын
結構な大軍を動かして戦争した相手の、豊臣秀吉でさえ、明書では「薩摩の出身で島津の親戚」と書かれてるぐらい、大陸の認識なんてエエ加減なものですからね。
@user-sj1wn2if8m
@user-sj1wn2if8m 4 ай бұрын
当て字なら 夜露死苦みたいな感じ?
@ATI_PC
@ATI_PC Ай бұрын
郷土史家は認めたがらないが、近年は畿内説でほぼ決着が(纏向遺跡発見以来) 蘇我氏の本拠地は葛城の辺りらしいので、磐井の乱云々は大伴氏との関連も。。 二倍歴も近年は無理があるとされていることが多い。。 邪馬台国が意図的に消されたかどうかってのも、文字伝来以前の話で、編纂時から500年も前だと 伝承だけでは詳細わからなかっただけでは?(銅鐸が掘り起こされたものだって、コレ何?って感覚だった事は記録からわかっているし。。)
@user-me4zm7wr3i
@user-me4zm7wr3i 14 күн бұрын
畿内にあったとすればなぜ道中にあったはずの国々を記していないのでしょう また、戦いの多い朝鮮半島の動向を知っていれば銅剣をもっと有していたはずです。九州から出土する銅剣の数は畿内と桁違いに多いです。戦があった場合の友好関係を築く目的もある倭への出向に 畿内へ行く理由は何ですか?
@ATI_PC
@ATI_PC 14 күн бұрын
@@user-me4zm7wr3i 推測の域を出ませんが、、 卑弥呼の時代は3世紀中頃、日本書紀・古事記などの編纂が、7~8世紀のタイムラグがある点(道中に有った国々の名前すら伝承から消えていた可能性すらあります。) また、白村江以降は大陸半島事情に干渉しない内向きになっていき、やがて遣唐使の廃止以降国風文化に。 むしろ、争いを避けるからこそ、行き来の頻繁な所を避けて都を作ったは妥当性が高くなるのでは? 実際、防人や六波羅探題など半島・大陸の警戒は、時の朝廷も欠かさずやっていた訳で。 (例えば、実例としては、秀吉の朝鮮出兵に失敗した後、徳川家が江戸に拠点を構えたのは、大陸事情から影響を避けたってのも一理あったかと。) そして、祭具としての青銅器に武器としての機能がどれほどあるかと言えば。。(形骸化、宗教化したものかと。。) 中国では既に、(より強度の高い)鉄器による農業革命が起こっており、青銅器が武力として優位に働いた時代では無かったはずです。 また、九州からも銅鐸が見つかった事で、以前ほど、銅矛・銅鐸文化圏の違いは言われなくなったかと。。 何れにしろ、九州王朝説よりも畿内説の方が考古学や歴史学では現代説得力を持っているのは事実のようですよ? ロマンとしての矜持的部分では、言説が残っていくのでしょうけども。。
@user-wu6by1rd9w
@user-wu6by1rd9w 5 ай бұрын
クラウザーさんは、卑弥呼を◯した事が あるそうだぞ。
@user-zf5bh9ev2l
@user-zf5bh9ev2l 5 ай бұрын
当時の王の「秘め子」の隠語説は無いかな
@user-re2dg4pv5y
@user-re2dg4pv5y 3 ай бұрын
大化の改新で古文書を集めて全て燃やした📚🔥のでそれ以前の資料は殆どない🗾🥸歴史は勝者が作る📚
@user-vf3bg5vg4c
@user-vf3bg5vg4c 5 ай бұрын
宇佐神宮に卑弥呼さんが眠っている?
@user-bc5ip6lz2v
@user-bc5ip6lz2v 4 ай бұрын
眠ってない笑
@user-xt3jt8tp4n
@user-xt3jt8tp4n 4 ай бұрын
そんな説もありますね 名前が卑弥呼に似てる女王(女神?)を祀ってる話
@user-oc9hi1je9l
@user-oc9hi1je9l 3 ай бұрын
私も宇佐神宮だと考えています😊 古い時代を考える学問(考古学)はロマンでできていると思っています😄
@user-kz5zn1sy8c
@user-kz5zn1sy8c 4 ай бұрын
卑弥呼は日御子(天照の子孫)の蔑称、魏志倭人伝を記述した中国人の陳寿から見れば日(太陽)は中国皇帝のみが名乗れる尊名、又、女性が倭国の王になったと言うこととが信じがたく、その女性は仙人のような人物に違いないと信じて(古来から中国では東海の海中には蓬莱と呼ばれる仙人の国が存在する信じられていた)、倭国からの使者を卑弥呼(天照)が派遣した使者に違いないと勘違いしたため、国名や方角、道程が混同して、古代の倭国の位置や歴史の混乱を招いている。 尚、元々のヤマト国は北九州にあり、魏が建国される少し前に、日本では神武東征により現在の奈良のナガスネヒコの国を併合して、ヤマタイコク(ヤモトが大きくなったのでヤマト大国)を建国、対中国に対してヤマタイコク(倭大国)を国名として使用したものと考えられる。 尚、後の時代に倭が和に代わり大和をヤマトと読むようになったと言われている。
@mikiohirata9627
@mikiohirata9627 5 ай бұрын
別の説では卑弥呼は魏の王朝からすれば周辺国の野蛮人の代表者なので倭国の言葉 でヒミコと呼ばれる音に中国から見て卑猥な野人の意義の漢字を用いた思われるし 倭国の倭の字も蔑みの対症と思われる字を用いたと言われる。現在の辞書には倭の 意義は古代日本と出て来るけど語源までは調べなければ判らない。 ひみこは日の巫女という意味でそれこそ天照大神の事であるとされている解釈も 有るしその後を継いだ台与の事も含めて伊勢神宮に崇めれれている人の事だとする 解釈が一番スッキリすると感じましたよ。耶摩台という感じも中国人が使った当て字 で古代音読みですればヤマトと読むべきであるという説もどういう訳か広がらない のが不思議です。どうして中国人が書いた古代の日本を説明する分が千数百年も後 の日本人が使っている読み方にしている事の不可思議さに気付かない学者ばかり なのが本当に不思議です。 国粋主義者によって古代からの日本史が捻じ曲げられてきた歴史が有るから大きな 声で反論できないのかも知れませんね。
@satoshiwatanabe2840
@satoshiwatanabe2840 3 ай бұрын
古代の日本は天皇家が治めていたことになっているので卑弥呼のようなどこの馬の骨だか分からない怪しい女性を歴史書に登場させるわけにはいかなかったのでしょう。
@user-dp6rw1bz3q
@user-dp6rw1bz3q 5 ай бұрын
キンジルシで視聴やめた
@user-yk1tn2yd7l
@user-yk1tn2yd7l 3 ай бұрын
普通に考えると、邪馬台国卑弥呼とされる人物は天津神系ではないのではないか
@GpenTeacher
@GpenTeacher 5 ай бұрын
四国だったりして
@user-tg7ei9wm4w
@user-tg7ei9wm4w 5 ай бұрын
これは推測でしかないけどおそらく日本の1部ではなく独立した国家みたいな扱いだった可能性を考えると未だに書物や場所がわからんのが納得いくかなぁと……🤔昔の沖縄みたいな扱いだったのかなぁと(´・ω・`)
@user-lz2ng8ev4q
@user-lz2ng8ev4q 5 ай бұрын
卑弥呼=日ノ巫女ではないでしょうか さらには大和でヤマトと読むのも不自然です。邪馬台をヤマトと読むほうがまだニ音近いのです。って火の鳥かよ✋💨
@user-ol4cf5ns8t
@user-ol4cf5ns8t 5 ай бұрын
結局 なんにもわからない
@mondedo2622
@mondedo2622 Ай бұрын
志賀島で金印が見つかるまでは、魏志倭人伝の話が真実か日本国内では眉唾だったので正史に載せて来なかった。 志賀島で金印が見つかって魏志倭人伝の話はマジだったと定説になったのはかなり遅い。
@jsetagaya1482
@jsetagaya1482 5 ай бұрын
中国側の名称だし実は日本の記録に登場してる可能性もある。候補は何人かいるよね
@taka7218
@taka7218 5 күн бұрын
倭人伝というくらいなので倭の小国だけを記述しているとは考えられない。九州にしてか行っていないのでそこから先は和人に聞いた話です。船だったら何日・歩くと何日というのは和人の距離の表し方だからです。なので九州のみの国か西日本の大半を支配する国が邪馬台国です。問題は卑弥呼の居場所です。古事記によると当時西日本を支配していたのは日本国です。どういうことでしょう。一年を2年で計算すると日本は紀元前2世紀始まりではなくて紀元2世紀始まり、起隋書倭国伝に出て来る大王や魏志の卑弥呼と天照の年代が一致したりして・・・。
@asa01053
@asa01053 17 сағат бұрын
茨城県邪馬台国です!卑弥呼は鹿島香取のお姫様。または日の巫女。シャーマン。
@ryukyusn1180
@ryukyusn1180 3 ай бұрын
日本の本名は「ヤマト」ですね🎉 中国人はそうは読めず「ジッポン」とか発音していたのだろう。 これが西洋に伝わり「JAPAN」となった。 ちなみに。。沖縄奄美では鹿児島以北を今でもヤマトと呼んでます。
@user-sf9lc5te65
@user-sf9lc5te65 5 ай бұрын
中臣氏は神社の神主の一族です。
@user-on1nb9wy9h
@user-on1nb9wy9h 5 ай бұрын
たしか永井鋼鉄人口伝では邪魔大王国って九州だったような
@user-dg6sd9sc7v
@user-dg6sd9sc7v 5 ай бұрын
殷元倭の言葉が遺っている。倭=日本(大和朝廷)とするのは誤り、日本列島に倭民族(環太平洋、九州)と大和民族(本州、南関東)とアイヌ民族(関東以北、北海道)がいたと思う。
@hmaki1518
@hmaki1518 5 ай бұрын
アイヌ固有の遺伝子はないらしい
@user-tg7cx6up8y
@user-tg7cx6up8y 5 ай бұрын
アイヌと蝦夷(続縄文に由来する人)は別物だと思います。
@ATI_PC
@ATI_PC Ай бұрын
@@user-tg7cx6up8y 遺伝子的にはアイヌと最も近いのが縄文系だけどな。。東北蝦夷とアイヌ蝦夷が北方との交わりの割合で異なる程度。
@saitaasagao8741
@saitaasagao8741 3 ай бұрын
日本じゃなくて台湾とかなんじゃないの?1番違和感を感じるのは日本人は刺青を好まないのに、卑弥呼の時代の倭人が刺青をしていると言う記述。もし、卑弥呼が日本人ならどこかで刺青禁止令とかが出てないと辻褄があわないんだけどね。
@user-oc9hi1je9l
@user-oc9hi1je9l 3 ай бұрын
刺青の話は平安時代辺りでも漁師の風習として残っていたらしいのを何かで見た気がしますが、何所で視たのか思い出せません。すみません😅
@saitaasagao8741
@saitaasagao8741 3 ай бұрын
@@user-oc9hi1je9l そうなんですね。ありがとうございます😊
@saitaasagao8741
@saitaasagao8741 3 ай бұрын
@@user-oc9hi1je9lそうなんですね。ありがとうございます😊今は銭湯にもいけないのでどこかで刺青に対する価値観の変化があるはずですよね。
@lanza1st
@lanza1st 3 ай бұрын
個人的な見解ですが、卑弥呼は官職名で本名ではないか当時の口語を文字にあてはめた際に誤って伝わった可能性があるかと。 邪馬台国も同様に口語が当て字になった際に誤って伝わったのではないかと思っています。 邪馬台国は大和政権と何らかの太いパイプがあって、九州地方のどこかにあり、天孫降臨伝説に何らかの関係 (例えば道案内やある程度の滞在先)があったのではと考察します。 もしくは、奴国にあった入れ墨文化が邪馬台国にもあったとどこかのタイミングや読み違いで混同されていた可能性があり、 邪馬台国は大和政権の九州での出先機関的国家、または大和政権が九州での足掛かりとして小国をまとめた国家集団かと。 そのため抗争や戦が絶えなかった可能性があるかと思います。 そうでなければ九州にいたはずの卑弥呼の墓が箸墓古墳では?という考古学的研究の仮説が出てくるのに無理があると思います。 記紀編纂期には文字的記録があったにせよ消失していたにせよ、編纂期の大和朝廷の「不都合な真実」を含んでいたこと、 もしくは、大和朝廷=当時の日本で認識されていた国名や個人名で表記したことにより、魏志倭人伝との齟齬が発生しているのでは? と、素人ながら微妙にまとまりのない推論を立ててみました。
@user-fw7sn8ot6l
@user-fw7sn8ot6l 3 ай бұрын
倭国の【わ】も、我を表す【わ】を魏側が当て字しただけって説あるからなー。
@lanza1st
@lanza1st 3 ай бұрын
@@user-fw7sn8ot6l さん なるほどですね。 口語の当て字でもいろんな説があったり、 当時の政治的事情から蔑称をあえて当てたり していたかもしれませんね。
@Drxkoko
@Drxkoko 4 ай бұрын
中国って、他国に対して卑下したネーミング(匈奴とか)するから、邪馬台国も本来は大和国だったのでは、そして卑弥呼は姫巫女(ひめみこ)、あるいは王女だったのではと思ってる。
@kenn8438
@kenn8438 5 ай бұрын
いや、卑弥呼は倭王であって、邪馬台国の女王とは一言も書かれていないですが...
@ht1828
@ht1828 5 ай бұрын
片寄ってますね。
@user-ol2nw2hz9j
@user-ol2nw2hz9j 5 ай бұрын
何でも2で割れば、長い年数を説っ名づけるのはおかしい気がする。日本書紀と古事記で数字が違う場合、それで説明づけるのは説明不足という気がする。
@user-re2dg4pv5y
@user-re2dg4pv5y 3 ай бұрын
当時は今の一年を二年と数えたとの事で当時の天皇家が100才以上と長寿である理由との説がある📚
@ruhoutin
@ruhoutin Ай бұрын
・当時はまだ統一されておらず、別の王朝が存在していて、それが消されただけ ・「親魏倭王」の金印を貰ったのがまずかったから このへんだと思うけどなぁ。
@d.u_u.b
@d.u_u.b 5 ай бұрын
古事記、日本書紀より古いのは大化の改新の時に巻き添えで焼かれたんだよね その書物かそれよりも前の書物があったら載ってた可能性もある。 聖書に外典というのありますがそんな扱いの本
@user-iu5vo7ig8i
@user-iu5vo7ig8i 5 ай бұрын
神代文字もある
@user-wp4hl2jz6p
@user-wp4hl2jz6p 5 ай бұрын
@@user-iu5vo7ig8i神代文字はでっち上げという説があり、学会では無視されているそうですよ
@user-oc9hi1je9l
@user-oc9hi1je9l 3 ай бұрын
説って言うか、今ある偽書と言われる文献は①文字は違っても文法や言葉の使い方が江戸時代になってからのものな事と、②他の文献にその文献の記述が無い事と、③江戸時代に古事記の二次創作が流行したという記述の日記や手紙類が複数在る事から、江戸時代に書かれた文献はまず偽書とレッテルが貼られる事に😢
@user-in6ji6cb4l
@user-in6ji6cb4l 5 ай бұрын
卑弥呼は日の国の皇女なんだよ。
@kazuyatoda1687
@kazuyatoda1687 5 ай бұрын
邪馬台国も卑弥呼も正確な名称とは言えないだろう。百歩譲って正しかったとしても、卑弥呼は役職名の様な物だから当時 何人も存在しただろうと思われる。そもそも魏志倭人伝なる中国の書物の内容だからあてにならない。
@meshirua
@meshirua 3 ай бұрын
熊津
@user-zq2gk9fu6b
@user-zq2gk9fu6b Ай бұрын
卑弥呼が歴史に登場しないの、そんな凄い人が居たら、天皇が、霞んでしまう為です、、天皇の先祖、天照になっていますからね
@hironobumuragaki7594
@hironobumuragaki7594 5 ай бұрын
😂卑弥呼って、向こうでの呼び名じゃないの?日本では何と呼ばれていたのか? (コレは、みんな書いてるな。)
@fujiwara_shino
@fujiwara_shino 5 ай бұрын
蘇我氏が邪馬台国にルーツを持つなら、蘇我氏の本拠地は南河内から葛城周辺とされてるんだから、邪馬台国は畿内ということになるんじゃないのかな。
@user-no9qp3gi7j
@user-no9qp3gi7j 5 ай бұрын
大昔読んだ本は墳墓に置かれた埴輪等が言語の役目していた説を唱えていた。 その著者によれば蘇我馬子は仰ぎ見る存在で「おおきみ」であったと言う。 私もその説に賛同する。既に天皇家は別格であり、天皇家以下で時の最高権力者であった蘇我氏が「おおきみ・大君」=「大王」であった。 後醍醐天皇と同じように最高権威者である天皇家の中大兄皇子が後の藤原氏始祖の中臣鎌足と手を組んでクーデターを起こした。既におおきみだった蘇我氏を中臣と同じく大臣(おおおみ)と呼称して誤魔化したのだろう。 聖徳太子なんて、血筋的にも蘇我氏の方に近い。蘇我蝦夷が聖徳太子の皇子を排除したのは「おおきみ」の座を奪われるのを恐れたという方が合理的だろう。
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