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1964年の東海道新幹線の開業に向け、試験車両での走行が始まりました。
東京-新大阪間およそ515kmを4時間で結ぶ安全で高性能な“夢の超特急”実現のため、厳密な試験が続けられていました。
当時の映像を、シリーズで公開。
さらに、後半パートでは、当時の映像を「詳しい人」が独自の視点で徹底解剖します。
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1962年(昭和37年)9月8日、2年後の東海道新幹線の開業に向け、神奈川県の鴨宮-大磯間の10kmを走る速度試験が行われました。
運転席など、車内にも技師が詰めます。
のぞきこんでいるモニターには、高速運転を支えるパンタグラフ。
こちらでは、車体のゆれ具合を記録しているのでしょうか。
速度計が時速160kmを示しています。
試験車両が、高速のままトンネルに差し掛かります。
通過する間も、入念に車体の振動や空気圧の変動などを計測して、新幹線のスピードアップを目指します。
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10月10日朝、鴨宮基地を出発する試験車両です。
子どもたちに見送られ、ゆっくりとしたスピードですすみます。
走行試験を行う「モデル線区」のうち、10月4日に完成したばかりの鴨宮-綾瀬間を結ぶ37kmでの、初めての試運転です。
車窓からゆっくりと流れる景色を眺めます。
農作業の手を休め、しばしたたずむ人がいます。
分析のため、トンネルや橋を通過する高速での試験走行が繰り返されます。
“夢の超特急”が、従来の日本鉄道記録である時速175kmを更新する日まで、あとわずかです。
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10月27日午前9時半、鴨宮を4両編成の試験車両が出発しました。
“夢の超特急”のスピードテストです。
速度計が、時速190kmを示しています。
こちらは車体加速度の計算の様子です。
試験は20分ほどで、揺れはほとんどなく、トンネルに入る時にまだ少し耳鳴りがありました。
50mごとにたてられた電柱が流れていきます。
この日記録した時速190kmは、鉄道スピードとしては日本新記録でした。
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10月31日より第3次速度試験がはじまりました。
試乗を待つ人たちでしょうか。
いよいよ試験車両は鴨宮基地を出発。
国鉄は、1963年(昭和38年)の春までに“夢の超特急”の車両構造を決めるため、営業速度よりも速いスピードでの試験を繰り返すとしていました。
高速でトンネルをくぐるときの風圧や車輪がレールに及ぼす力、ブレーキのかけ方などを試験していきます。
速度計が時速200kmを示しています。
神奈川にある第二生沢トンネル付近で、日本鉄道スピードの新記録を更新しました。
1963年(昭和38年)3月11日、「モデル線区」の鴨宮-相模川鉄橋間20kmで走行試験が実施されました。
「下り線がはいってきます」と車内放送。
試験車両が超スピードですれ違う「すれ違いテスト」です。
速度計は時速190kmを示しています。
密閉した車内での風圧計はゼロを記録。
試験車に乗り込んだ、国鉄新幹線総局 運転車両部の高橋部長もテストの好結果に喜びました。
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詳しい人:テレビ朝日 外報部デスク 荒木基
◆速度試験
試験車両の1000形A編成、2両編成。
線路の上を高速で安定して走行できるか調べている。
◆車内の様子
いろいろな測定機器がある。
試験車両ながら車内には灰皿が残っていて、時代を感じさせる。
◆試験中の様子
当時の国鉄としては時速160kmというのは相当なスピード。(当時の)在来線では出ない。
◆右側の線路を走っている
日本の電車は左側通行だが、右側の線路を使用して試験している。
◆線路
ゆっくり走行する車両わきには、線路のなかに子どもたちがいて手をふっている情景。
◆6人掛けボックス席
向かい合わせに6人掛けで座るスタイルを模索していた。実際には導入されず。
◆窓の形
丸みを帯びた0系とは異なる形をしている。
◆鉄橋
まだ片側の線路ができておらず枕木だけ。
単線状態で、試験車両のB編成を走らせている。
◆時速190kmを記録
当時の国鉄にとっては未知の世界。
線路は少しでも幅の差があったりぶれていると安定して時速200km出すことができないため、厳密な試験を繰り返していく。
開業してすぐは最高時速210kmで、そのあと最高時速230kmまで出した。0系はこの速度が限界。
そこから新しい100系、300系、500系、700系と続いていく。
◆新幹線の電気系統
当時の国鉄である東海道線では、現在も同じ1500Vの直流電流。
東海道新幹線では、新たに2万5000Vの交流電流に変えた。全く違う世界。
[テレ朝news] news.tv-asahi.co.jp
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