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Chikarishi Settlement - Tracing the History of a Tragic Village Destroyed Overnight by Fire
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鬼の子の末裔が住まう地は1300年前から続く歴史と伝統が根付く修験の聖地だった【前鬼集落 - 限界集落】
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「もう死んでもよい・・・」悲劇的な歴史を辿った満蒙開拓団、帰国後に拓いた集落の現在の姿とは【菅平集落 - 廃村探訪】
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historica
Күн бұрын
Пікірлер: 85
@73-LIFE-
10 ай бұрын
母親は4人兄弟で、上2人は満州で産まれたらしい。爺さんは満州で刑事をしていて、そこで終戦を迎えシベリアに抑留されたが、その後家族全員で無事に日本に帰国した。 帰国して海沿いの村で民宿と漁をして生計を立てていた。そこで母親は生まれた。 俺が中学生くらいまでは毎年その民宿に行っていたが、今はもう爺さんも婆さんも亡くなってしまった。 口数の少ない爺さんだったが、船に乗せてくれて漁に連れ出してくれたり、魚の食べ方を褒めてくれたり、この動画を観て小さかった頃の事を思い出させてもらった。
@lenaphotography8607
10 ай бұрын
私の祖父は七人姉妹弟がおり全員満州生まれです。祖父の父(曽祖父)は警察官をしており、満州引上げの際に『警察官だから自分は一緒に帰れないから…姉妹弟を頼む…』と駅でお別れをしたそうです。戦後、引上げ船の情報が入ると父親が帰って来るのではと曾祖母と今か今かと待っていたが、ある日、家に箱を抱えて訪ねて来た方から『箱に入った白い石ころ』を『遺骨』です。と渡され、それが最後だったと聞いてます。満州では日本の様な生活を送り、日本人も満州人も仲が良く近くの満州人の家に遊びに行ったり宿泊したりして満州のお友達と良く遊んでいた事、満州の人達はとても優しく良くしてくれたと話して聞かせてくれます。曾祖母は七人の子供を連れ帰る際に、子供の革靴·自分の着物等、今まで裕福だった生活品を全て食べ物と交換しながら、いつ殺されるか分からないなかを必死に帰って来たが、帰ってくる途中…『小さな手のかかる子供は殺してしまおうか。』と曽祖母は思っていたそうです。帰って来たら歓迎はされず、曽祖父の実家から荒れた小さな土地しか与えられなかった為、毎日毎日土地を耕し小さい家を作り、満州で警察学校に通っていた祖父は学校に通わず働き生計を立て満州での生活とは真逆の貧しい生活だったとの話でした。昔の満州での写真は皆が幸せそうな顔をしています。『戦争が無かったら満州で皆で幸せに暮らしただろう…』と遠い目をしながら、いつも話が終わります…。
@madrimex11
10 ай бұрын
私の父も満州の小学校に通いました。5人兄弟でしたが、やはり全員連れて帰国することが難しく、祖母は末っ子の女の子を満州に置いてこようとしたそうですが、三男が「絶対に嫌だ!」と言い張り、女の子を背負って離さなかったそうです。今その女の子は80過ぎの伯母になっています。・・・学校で歴史を一通り教わっても、実際の日本の国土の上で何が起こっていたのか、今まであまり想像することをしてきませんでした。お二人のおかげで、遅ればせながらこの国の形がうっすらと感じられるようになり大変感謝しています。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。
@NagiSakura009
10 ай бұрын
女性満州開拓民の引き揚げ記録の文間から当時の心理が分かるような気がする
@user-my8fm6it3i
10 ай бұрын
国の政策により満もう開拓団として中国東北部に移住し、戦後命がけで日本に帰ってきた人々が故郷に耕す田畑はなく、新しく開拓した土地がやっと軌道にのり、お米がとれるようになったら、今度は国の減反政策・・・国の政策にふりまわされた人生のような気がしますが、離村された方たちのその後の人生が幸多いものであったと思いたいです。戦後たった30年間しか存在しなかった集落があったことを初めて知りました。
@moaitakenaka6352
10 ай бұрын
同じような経緯の開拓地を知っています。 なぜこのような場所にとのことでしたが、 私の聞いた話では満蒙開拓団に参加した人は農家の次男坊、三男坊が多くて先祖伝来の土地は与えられてなく、 出稼ぎ先の町も空襲に遭って食い扶持が無くなるのが確定していたので、国策で開拓地を用意したとのこと。 因みに開拓地は割り当てではなく、募集だったそうです。 開拓できれば自分の土地に出来たそうですが、山奥での生活(特に冬季)は厳しく町の復興が為されるとともに、皆さん開拓地を離れたようです。
@ATA133PCI
10 ай бұрын
内地では、戦争で多くの人が亡くなっていましたが、満州や台湾からの引き上げ者で昭和20年末以降人口が激増し、戦前の人口をあっという間に上回りました。 そうした人たちが入る入植地は、耕作に向かず放置されていた土地ですから、必然的に山奥が多くなったのです。 中には広島駅に隣接した練兵所跡地の入植者のように、いくらもしないうちに駅拡大の用地買収で大金を手にした例もありますが、これはレア中のレアです。
@toidayo
9 ай бұрын
人生色々あるんだね、先祖の苦労が有って今の我々がある、 情報のない時代だから最初から間違ってる。
@user-cc3cr4bf5p
10 ай бұрын
いや素晴らしい! 期待以上の「作品」に仕上がりましたね。フィールドワークでの出逢い、聴けたお話も良かったし、何より引き揚げ女性の回顧録には情景がありありと思い浮かび、ウ国戦争初期に住民が手荷物のみで駅まで列を作って逃げていた姿を思い出し涙が出てしまいました。(特に黄色い防寒着を着た5歳位の少年がウワーンと泣きながらひとり歩いていた姿は今でも胸が締め付けられます) 今回は題材も良かったし、巡り逢いも良かったし、回顧録を探し当てた調査力も加わり、代表的作品になったと思います。 「戦争の話も残していかないといけない、と思った」とアンドウさん2回言ってましたね。ハイ、大事なことですからね。 興味を持たれた方へは、飯田の満蒙開拓平和記念館をお勧めします。ソ連軍南進から逃げ惑う入植者達の悲惨なエピソードが沢山読み聴きできます。が、「可哀想だ、気の毒だ」で終わったのではエンタメにしてしまっているに過ぎない。2度と起こさない為の具体的選択をそれぞれが心に決める為の動機になればと願います。 オカヤスさん、アンドウさん、ご苦労さまでした。
@cagliostrozero
10 ай бұрын
苦労して満州から帰って来て、ゼロから村を作るのも大変だったでしょうね。
@masahira7678
10 ай бұрын
今回も楽しく見させていただきました。私の祖父もシベリア抑留を生き延び、昨年99歳で亡くなりました。酔うとよくシベリアでの話をしていましたが、今になって思えばちゃんと記録しておくべきだったと思います。
@user-eo3wp7rl2r
9 ай бұрын
人生で、一番衝撃を受けたの本はシベリア抑留関係です。関連書籍をいくつか読みましたが、当時の方達の地獄の苦しみや心情を思うと、それだけで涙が出ます。 せめて、お祖父様がどのような事を語られていたか、メモ書きでも残されたらいいと思います。日本の歴史の貴重な体験談です。 そして、様々な場所に投稿して後世の日本人に残して下さい。
@user-cv1zn8xw5p
10 ай бұрын
大変にご苦労さまでした。また一つ忘れ去られた場所にささやかな光が当てられました。満州引揚者に依る開拓地は日本のあちこちに沢山有るみたいです。今はもう誰も居なくなって廃村となってしまった土地今もまだ人々の暮らしが次いている土地。様々な事情がそこには有る事でしょう。いづれにしても今の私達には想像もつかない途轍もない苦労の連続であった事でしょう、その様な歴史の上に今日の日本が有るということを私達は忘れたはならないと思います。
@akanosoufu
10 ай бұрын
戦前戦中戦後の話はよく耳にしますが満州組の話はホント貴重ですね こういった話はアーカイブとして残さないといけないでしょう
@takuyayamamoto2078
10 ай бұрын
僕の母方の親戚の人が満蒙開拓団でした、その人はすごく気前が良くお年玉いっぱいくれていい人でした。帰国後銀行のボイラーマンから最後は銀行の案内がかりされてました。お亡くなりになりましたが優しいいいおじさんでした。
@a.r.i6476
10 ай бұрын
戦争、満州移民、帰国後も開拓、と政府に翻弄され続けた時代の悲哀に胸が締め付けられました。満州でも国内でも開拓団は誇りを持って入植したが筆舌に尽くしがたい苦労をしたようです。私の父は生きていれば番組に出てきた男性と同じ年で、満州で生まれたので満男といいました。満州での暮らしは軍の関係の祖父母の場合は最初は良かったようです。祖母は引き揚げのときの苦労を何度も何度も語りました。やっと引き揚げてきても空襲で焼け野原で、いる場所がありませんでした。祖母の実家に身を寄せるも、遠い親戚から何から集まっており、狭いところに大勢で暮らしたようでした。うちの実家とは遠いですが、名古屋の駅の近くに所有していた良い土地を空襲で失った人の話はよく聞きますね。
@YM-kq1nbm
10 ай бұрын
長い事老人福祉に携わっていたので戦時中戦後は私には考えつかないほど大変だったのはいろんな利用者さんから聞きました 話ながら泣かれてしまう方もいたので在命している方は死ぬまで忘れられない出来事だと思います お二人にも今後も何かのご縁があれば是非、この様なお話も動画として記録を残して欲しいです 亡くなった祖父もシベリア抑留者だったので、何とか日本に帰って来れたとポツッと言った事を思い出しました
@mada6-yoshi5
9 ай бұрын
満州に渡った日本人の歴史興味深く拝見しました。 私の母は満州で軍部の事務仕事をしていたので、ソビエト侵攻を早く知り無事に引き上げることが出来たと聞きました。 満州の人は優しくて饅頭の作り方を教えてもらったとか。 戦争というエゴや憎しみでなく、人は誰でも平和を望んでいることを忘れないで欲しいです。 本当に貴重な取材をありがとうございました。
@kkkidemitsu4296
10 ай бұрын
今回もとても興味深い動画をありがとうございます。 8年前に他界した父が上海からの引揚者でした。 「あの頃はみんな苦労したから」 あの世代はそういってあまり話したがらない人が多かったですが、もっと話を聞けば良かったなあ、と改めて思いました。 これからも楽しみにしています。
@ytb9418
10 ай бұрын
貴重な体験記を紹介いただき、心に重く響きました。筆舌に尽くしがたい体験で全く言葉が出てきません。。。
@hemuhemuful
10 ай бұрын
「ポツンと一軒家」風から一挙に興味深いお話が・・・貴重な回でした。
@Yubayasun
10 ай бұрын
戦災により日本に身寄りが居ない満州帰りの移民は関西、特に京都が多いと思ってたんですが、こういった方々も居たんですね。 戦後生まれ70代で純日本人家系だけど目が青いご老人を知ってます、親は満州帰りだったそうです。
@user-ec2mf1ks3o
10 ай бұрын
配信お疲れ様です😊 菅平集落には当時の方はいらっしゃらないけど、別荘を持たれている方と松戸集落の最年長の方から貴重なお話を伺えましたね。やっぱりお2人は持ってらっしゃる。 私の母方の伯母が満州で生まれた方で(昭和19年生まれ)、そのご家族は揃って帰国出来たらしいのですが、残留孤児にならなくてよかったと。多分親が向こうの方から習われたらしい、皮が分厚い美味しい餃子を伯母に食べさせてもらったことがあります。 せっかく生きて帰ってきても、敗戦で焼け野原になってしまった国土。引き揚げ者を養う余力はなく、また実家でも大家族は養えず。今度は食糧増産と自助努力のために、開拓民が募集されたのでしょうね。 考えさせられる動画でした。 これからもご安全に。
@user-ju5wc5kn6t
10 ай бұрын
私の居住する場所近くに湖を干拓して引き揚げた方に土地を与えたと習いました。 減田で生活が成り立たなくなり再び離散してしまい人生不運と嘆いたと知りました。
@user-ty4pt5dt6q
8 ай бұрын
満州からの引き揚げは、たいへんだったようです。要人は、情報をいち早くつかんでいて、混乱前に引き揚げたので、帰国もすんなりとできたひとが多かったようです。一般人やソ満国境近くの方々は、本当に苦労されたようです。そして、早く帰国した人は、開拓しやすい所を得たときいています。 又、原発設置地域と開墾地はリンクすると、読んだ記憶があります。開拓なんて、並み大抵でできることではありません。清崎と言う地区に移られたのも、仕方がないように思いました、何時も動画ありがとうございました、ございます
@camg100
10 ай бұрын
引き揚げの意味を知ってる人って意外と少ないと思います。引き揚げ地はあちこちにありましたが、実際の感じというのは舞鶴にある引揚記念館が有名ですね。歴史的観点からのみで言ったら各地で残ってる貴重なものですし、こうやって形に残す大切さあると思います
@user-yh2kb3if2j
10 ай бұрын
安藤さんもいいけれど、やさしいオカヤスさんもいいな。ひ弱そうでいて、しっかり安藤さんが沼にはまらないように守ってるとこ。男らし!話もどしますが満州引き上げの話は、小学生の頃学校の先生からいろいろ伺いました。私50代ですがまわりにたくさんいらっしゃいました。私がきけたのは、子供時代に引き上げた話。辛い移動と兄弟が亡くなったこと。その当時の人の生命力の強さ凄いとおもいます。博多港は引揚者の希望の第一歩なんだそう。空襲で焼け野原だったはずなのに・・。米倉斉加年さん。ちばてつやさん等たくさんの有名人も手記を残されていましたよ。
@user-ws9qf1wj6f
10 ай бұрын
historicaのアンドウさん・オカヤスさんこんばんは~ 満蒙開拓団の方々が開拓されたのが菅平という村だったのですね。 おぉ~トラクターが残されてますね。最初お話をしてくださった方は別荘として買われたんですね~ お話が聞けて松戸という集落まで案内していただき集落の年長の方に貴重な話を聞けてよかったですね。 昔はもっと水源が豊かだったのかもしれませんね~だから稲作もできたのかも・・・ ちょっと言葉に表せませんが心にしみるお話でした。勉強になりました。ありがとございます。 お食事美味しそう~とろろ芋がいいな~
@user-ly5uw1hh1o
10 ай бұрын
意義ある配信でした。 廃村にも時代や事情がある。 良く捉えていると思います。 これからも頑張ってください。
@NB-se6ep
10 ай бұрын
満州開拓団が帰国後は、やはり僻地の開拓地に入植した人が多かったですよね。入植後、余りにも条件が悪くて、また移住した人が多いと言われていますよね。山道は、ジムニー意外だと、軽トラが最高ですよね。山道を勢いよく走る軽トラについて行くのは大変ですよね。
@fsm-life9566
10 ай бұрын
ウチの祖父母も満州から引き揚げて来ました。戦後の生活の大変さを母から聞いたのを思い出しました。設楽町は祖父母が住んでた所とはそれ程離れてないので現地の人達と方言が似てて懐かしかったです。
@user-dd2mv2by3m
10 ай бұрын
私の古里は、愛知県岡崎市の東部のかなりの山間部の地域です。 田口は奥三河だということですが、タグチという地名は、私の父親たちの会話には出ていましたね。 戦前の山間部の部落と部落とのつながりは、戦後のわたしたちでは、もうわからないですね。 タグチという地名の不思議な響きだけが、幼心に残っています。 おそらく、私の古里の山間部から、尾根伝いで、田口まで、行き来できたんでしょうね。 まぁ、三河武士たちの、戦の往還道で、つながっていたんでしょうかね。
@user-ze4bp1zs4n
10 ай бұрын
着眼点が、素晴らしいと、思いました。日本のことを知ることは、これから、もっともっと大切になるかもしれません。頑張って下さい。
@user-se6qr3xd5g
10 ай бұрын
満蒙開拓団で満州で御苦労して、やっと帰国して、山地を開墾したと教わった。日本で新しく生活する為の基礎を作るのは今では想像出来ない重労働だったそうです。国の政策に翻弄されたと聞きました。 切ないです。
@takasi2411
10 ай бұрын
何時もご苦労様、新しい切り口の廃村調査だったね日本各地に満蒙開拓団引き上げ者の集落が存在しますが自分の住む東美濃の近くである設楽町にも大陸で苦労された人たちの集落が有った事を知る事が出来ました。 ある意味この集落に住まわれていた方々も歴史の被害者で有ったのでしょう後期高齢者の自分は今の境遇に感謝して残りの人生を過ごします今回も有難うございました。
@dede_n8abc
10 ай бұрын
イチコメ! 開拓に行かされてやっと戻ってこれたと思ってもまた開拓…つらいな 地元の廃村はむしろ機械とかの残置物が多い廃村が多い😅
@jynsawai1631
10 ай бұрын
私は皆さん見たいに 詳しいことは解りませんが。御二人のは動画は興味深く拝見してます、とにかく奥が深い❗これからも長く 続けて下さい。🙇
@g_-10
9 ай бұрын
別チャンネルでもいいけど、もっとインタビューした人の話しを聞きたい 取材地域に関係ない話しはカットしてるんでしょうが、それにはそれの価値があると思う
@echo883_echobrigade
10 ай бұрын
とてもとても濃い回でした。祖母や母の世代、実際に会ったことのある人々が生きた時代の歴史は、ロマンでは片付かないざわめきが胸に広がりますね。 また、ジムニー大活躍の回で、いつも以上に楽しく拝見しました。タイヤもかっこいいの履かれてますね。 これからの配信も楽しみにしています。
@tokotoko117
10 ай бұрын
いつも、楽しく拝見しております。メンバーシップは賛同できませんが・・・ 「オカヤス」さんは、動画の中では「ヘタレ」みたいに「アンドウ」さんに言われてますが、普通に体力は、 並の人よりあると思います。 これからも頑張ってください。
@user-ex7og7ut1q
10 ай бұрын
新しいジャンルですね! 凄い取り組み、今後も応援させて頂きます。
@YuYNaN5253
10 ай бұрын
ポツイチって何かと思った🤣 今回もいい取材でした。おじいさんのお話も含め、グッと来ました。
@user-my8fm6it3i
10 ай бұрын
おふたりの食事風景を見ていると心がなごみます。 オカヤスさんがご当地名物を食べてくださるので、自分も食べてみたいなぁと思います。 「ウォーリーをさがせ」がでてきて、懐かしいです。息子たちが幼いころに買って見せた本です。
@mikiono1126
4 ай бұрын
ものすごく貴重なお話。歴史を裏付けるような間接的なお話。本当にすごいと思いました。そして真剣にお話を聞くあなた方も立派!素晴らしい。
@user-take-3110
10 ай бұрын
まだここの開拓地はましです。 新潟の高地の開拓地は悲惨を極めたようです。😫
@moaitakenaka6352
10 ай бұрын
新潟、富山方面は平地でも潟(河川沿いの湿地帯)で稲作には向いてない土地だったようですね。 潟地での稲作風景は「どぶね農業」で検索すると映像が出てきます。 現代農業から比べると結構な衝撃映像です。
@user-ny8ic4ov6r
10 ай бұрын
ありがとうございます!
@neu_historica
10 ай бұрын
SuperThanksありがとうございます!
@user-nn4xp7rw7s
10 ай бұрын
耕運機は懐かしいです 畑を耕したり 苗代を作ったり 水田を田植え前に耕したりと 苗を植える作業にも使ってましたね 満蒙開拓団の方達は大変苦労をされたと父親から聞かされた事が有りました終戦直後にソビエト軍が国境を越えて来た話も父親から聞いた記憶が有ります 今は亡き父親は戦争中の事は多くを語りませんでしたが満蒙開拓団の事はよく言ってましたね 当時父親は戦車部隊の整備兵として従軍していたと聞きました 戦争の悲惨さ繰り返さないで欲しいですね!
@fighters7357
10 ай бұрын
わさび多いのは、良いご飯屋さん。 長めの動画だったけど、しっかり見れました。
@akizuki101
10 ай бұрын
25:15 あたり松戸の背景の石垣に注目。薄い板状の石を積み上げていて菅平集落と類似性があるのかな。
@user-mr2wt2fv5q
10 ай бұрын
昔の話をしっかり?きくことが出来ました、
@user-kx5uy5uw9j
9 ай бұрын
いつも動画を楽しみに拝見させて頂いております。ありがとうございます。初めてコメント致します。 さて、同じ愛知県の奥三河の住民として特に今回の動画は興味深かったです。今回の北設楽郡設楽町の隣に北設楽郡東栄町という場所がありまして。そこに今は廃村となってしまった、大入(おおにゅう)という部落があるのはご存知でしょうか? 是非そちらにも行っていただけませんか?私の持ってる知識、資料なら喜んで渡します。 どうかよろしくお願いします。
@user-of9fo9ds4k
10 ай бұрын
満蒙開拓団などと言われてますが、実際は大日本帝国政府による棄民政策ですからね。また彼らが日本に戻ってきたときにあてがわれた場所で最も有名なのは成田闘争の現場となった三里塚ですね。苦労して帰ってきて天皇の領地だった成田を与えられ、また空港を作るからとそこからも追い出されたのですからキレて当然です。他にも六ケ所村や双葉町など原発関連の場所も多いですね。
@user-ty4pt5dt6q
9 ай бұрын
原発地域と開拓地と重なります。先に帰国した偉い人たちは、いい土地もらったので、荒れた土地があとから引き上げた方のものになりました
@user-kj2pv4yi3f
10 ай бұрын
久しぶりにここに出会いました。有難う、」いつも、とても良いコメントあり、俺も叔父一家の満蒙開拓団だったこと知ったけど、どんな悲劇だったか聞けなかった。知ると、涙出てきて、悔しいし、当時の政権に怒りが尽きない、、、俺には、260年余の戦さしなかった江戸武士政権に愛着と尊敬が益々募るし、それをぶっ壊したクソ薩長派の明治以降が大きらいだ。反吐さえ!
@akizuki101
10 ай бұрын
ポツイチ的、ご縁でのご案内ありがたや~。^^
@saltaste
9 ай бұрын
昨年亡くなった祖母が満州生まれでした。 生前、五人兄弟のうち女の子2人は満州に置いていかれそうになったと言う話を聞きました。別れる寸前のところで連れて行ってもらえたと.... 動画中の満州移民の証言も踏まえると、そのような出来事はたくさんあったのだろうなと感じます。 他の方もコメントされていますが、もっと話を聞いておけばよかったなと改めて思いました。
@KF-dl1wm
10 ай бұрын
いつも大変なのにありがとうございます。
@person7215
10 ай бұрын
光人社のNF文庫で満蒙開拓団にいて終戦のときソ連軍から逃げて、八路軍につかまるも、八路軍に入隊、北満から江南まで転戦して昭和30年代に帰国した人の手記があったな。
@ToyotomiHideyoshiGre
9 ай бұрын
満州と言えば二日市保養所を思い出す。日本では戦前、戦中、戦後直後の事はタブー視されているかな。 GHQに焚書にされた7000冊の本も公にする時期かもしれない。
@user-cj3zb4ok7v
10 ай бұрын
日本中に満州帰国開拓村があるのですね秋田県になるのですが私の叔母も開拓村の牧場に嫁いでますがもう限界集落化しています
@user-tz4xw3km6o
9 ай бұрын
茨城県水戸市内原には今も満蒙開拓の歴史の跡が数多くあります。ここにはかつて訓練所があり数多くの満蒙開拓団が満州に送られました。
@user-pc4kk8tf3q
10 ай бұрын
どうしよう…醤油壺が気になって夜しか寝れん…
@user-nt3hg5jd5i
10 ай бұрын
私の主人と一歳上の義兄は満州で産まれ、引き上げる時は当時の中国人に譲るように言われたが拒否し、命からがら引き揚げたそうです。 その後は現、茨城県坂東市に移り、何軒かが寺に御世話に成りながら酪農を営み、今は 皆さん、廃業されています。
@Gekitakubaibai
10 ай бұрын
s16年生まれ 1941年だから御年82歳か 元気そうな
@ochitarou
10 ай бұрын
朝の連ドラにうってつけの題材キタコレ(*゚∀゚)
@KENJIKATO-oh7ph
9 ай бұрын
父方の祖父が設楽町田口の出身で、もしかしたらこの地の人達と関わりがあったのではないかと思いを巡らせました。
@youchany
10 ай бұрын
ここは 三国山の南側 ここから東にかけては 入居地や移民団集落がおおいですね。
@user-xm1vs6zt3u
6 ай бұрын
私の亡くなった父は、16歳に、満洲開拓団として、満州に行き、戦後まで、居て、無事帰って、私達兄妹五人を設けて、60歳まで生きました😊
@tea8132
15 күн бұрын
戦争はあかんよね。 祖父は生まれたばかりの私の母を残して、中国奥地で戦死しました。祖父の無念さ、残された祖母の悲しみ、母は大人になって記憶にない父を思い時に泣いていました。祖母も運動会で活躍している私を見て涙していました。 戦争は悲しみしか生みません。 今のウクライナがそうなんだろうな。 何故過ちを繰り返すのか。愚かだ。
@reikoamano102
3 ай бұрын
古いガラス瓶好きな人もいっぱいいます。
@9sol884
10 ай бұрын
数年後、SSR醤油壺ステッカーが出ることになるとはこの時の2人はまだ知らないのである!!
@user-yj1dj8ib7l
10 ай бұрын
ニコメ!
@user-ih3wh9ur6z
6 ай бұрын
聖書のイザヤ2章4節 神は国々の中で裁きを下し、多くの人々を正しい方向に導く。 彼らは剣を鋤きに、槍を鎌に作り替える。 国は国に向かって剣を振り上げず、彼らはもはや戦いを学ばない。
@user-eo6so5mn6j
10 ай бұрын
いわば日本の余剰人口が辿った歴史。。。満蒙に行かせておいて働き手を徴兵するとか、訳わからん。はじめから日本の僻地開拓なら、満蒙の悲劇は無かったろうに。。。
@user-ep3yy6gh2o
9 ай бұрын
ごめんね、ヘアーをすっきりしてほしいです。
@hana-ye9wi
9 ай бұрын
当時は産業が無かったから次男三男達は地所を求めて満州に渡ったんですね 私の父母も満蒙開拓団でした、帰国後も地所(田畑)を求めて再度開拓をしたんですね 当時は開拓者には家も国から与えられました
@09030030183
10 ай бұрын
お疲れ様です♪
@09030030183
10 ай бұрын
涙が出ます
@user-ze4bp1zs4n
10 ай бұрын
着眼点が、素晴らしいと、思いました。日本のことを知ることは、これから、もっともっと大切になるかもしれません。頑張って下さい。
30:41
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テキヤとヤクザの違いは、信仰する神。【テキヤ稼業のフォークロア】#23
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واو! هذا الطلاء لذيذ جدًا 😋 مقلب الطعام! #مدرسة #كوميديا من SmashCrush
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