【PIVOTコンビ対談②】茂木健一郎×竹下隆一郎/日米関係についてと敗戦後論/今ここにいたる文脈について/映画「オッペンハイマー」を議論できるか etc

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DESIGN ASSOCIATION npo

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Күн бұрын

00:00 日米関係と敗戦後論
05:43 メディアとの距離
19:00 映画「オッペンハイマー」について
24:10 英語と日本語の違い
28:20 JKローリングとトランスジェンダー論
33:45 銃規制とアメリカ人
40:18 高橋弘樹と成田悠輔
竹下隆一郎 (たけした・りゅういちろう)
PIVOTチーフ・グローバルエディター/執行役員。
pivot.inc/
1979年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2002年に朝日新聞社に入社。ビジネスや経済官庁の動きを取材する経済部記者、デジタルメディアの新規事業を担う「メディアラボ」を経て、2014~15年にスタンフォード大学客員研究員。朝日新聞社を退職し、2016年から外資系ネットメディア「ハフィントンポスト日本版」編集長。21年にハフポストを退職。東洋経済オンラインやNewsPicksの編集長を務めた佐々木紀彦氏らとともに、経済コンテンツサービスを展開するスタートアップ「PIVOT」の創業メンバーに。世界経済フォーラム(ダボス会議)・メディアリーダー、TBS系『サンデーモーニング』コメンテーター。

Пікірлер: 40
@kenmogi
@kenmogi 25 күн бұрын
いろいろ深い話ができてよかったです!
@user-ht4vq1vm3n
@user-ht4vq1vm3n 26 күн бұрын
2回目あったんですね。めちゃくちゃ刺激的でした!このくらいヒリヒリした対談もっと観たい。 英語のリスニングができれば、このレベルのものがいくらでもあるのだと思うと、自分もレベルアップしなくちゃいけないな!
@KosukeHrn
@KosukeHrn 26 күн бұрын
カッコつけなければ、今この瞬間にポッドキャスト立ち上げられますよね! 寝る前に数分の雑談だけでも、竹下さんの英語ポッドキャスト聞きたいです!(そしてそれを聴いて英語勉強したい) アメリカ人との本気の「オッペンハイマー」議論、めちゃくちゃ面白そう!
@nobeoka882
@nobeoka882 25 күн бұрын
”その時にそう思った、だからそうした“これが一番大事なことだとおもいます。だからこそ日頃から自制心をきたえ、平常心を大切にする。 そんな中で”その時にそう思った、だからそうした“事が生きてくると思う。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 26 күн бұрын
茂木先生のジェンダーフリーの事は私も考えてます。ジェンダーを越えた人間の喜びの本質の域にいらっしゃるのを感じます。自由意志と喜びはジェンダーを越えて、概念を越えるんだと思って探求してます。茂木先生はかなり高い本質を追求だれてます。ライアンさんとの本音トーク面白かったです。
@htnkhsyhtnkhsy
@htnkhsyhtnkhsy 24 күн бұрын
人権というとジメッとした感覚がくっついてくるので、基本的人権と言ってます。ライアンさんの言うこと、ちょっと分かった気がしました。
@yoshikawa5807
@yoshikawa5807 26 күн бұрын
原爆について、自分なりの分析をしていました。「戦争を終わらせる」のに一番近いかなと思います。アジアの平和を考えた時に、ソ連軍のドイツ降伏後の対日参戦のことで記事を書いたことがあります。何時戦争が終わるかで歴史が変わってしまうほどの緊迫した一週間でした。アジアの平和が保たれるか?日本が分割されるかの瀬戸際です。結果的には日本は守られて、朝鮮半島が二つに割れました。満州は中国共産党に支配されました。その瀬戸際の原爆の意味は大きいと思っています。あれがなかったら、「一億玉砕本土決戦」が実行されていたでしょう。でも、それが成されないで38度線があるので、この38度線の意味があると思います。38度線の出所もも調べてみました。
@kiyobum
@kiyobum 24 күн бұрын
日本語での発言と英語での発言の内容や深さが違ってくるということを、よく感じています。ライアンさんがおっしゃるように、その言葉が使われている文化の背後や歴史のよる意味の深みや文脈の蓄積が、日本での日本人が使う日本語と、英語ではかなり違ったり、日本語だと薄っぺらだったり、逆に日本人が言うところの意味が、背後の歴史や文化を実際に自分が通過していないとなかなか論理だけでは理解してもらえないようなことなどが、多数あると思います。日本で日本語のみ喋る日本の方とお話するより、日本語だけでなく英語も喋り理解する方とお話した方が、その社会的問題や文化的理解などにおいて、深くて有意義な内容について議論できるなとつくづく感じてます。日本人としての発言を世に出していくには、日本の若い方々も、天皇両陛下のように留学して、英語やその文化を学んで欲しいと思います。英語が話せるイコール初めて世界と繋がる、だと実感します。 また日本人がファシリテーターとして立っていく意味もあると同感します。
@yohyoh123
@yohyoh123 25 күн бұрын
24:09 使う言語についてスイッチが切り替わるの分かる。これに気づいたとき多言語の持つ多様さが分かった。 言葉の蓄積は文脈の蓄積が言葉、単語にあるか。2人の話の文脈をなぞると、日本語はたしかに単一民族的で問題になる事柄が個人のバックグラウンドに影響を受けて派生していかないから新しい言葉に関しての文脈が生まれにくい。言葉に蓄積される質のアップデートがない。 茂木さんは文脈をすっ飛ばしてる印象はある。頭で補完できてるから第3者、補完できない人を置いていく。ライアンは丁寧にいきたい派。茂木さんの気持ちもめちゃめちゃ分かる。対人になった時、文脈飛ばしながら話すと通じないまどろっこしさある。 多様性が構造的にも必要なアメリカがバックグラウンドにあるか、文脈の中で育ったかはかなり大きいなぁ。
@KosukeHrn
@KosukeHrn 25 күн бұрын
成田さんの発言はリップサービス的な誇張表現と思いますが、それを真に受ける人が本当に多いんですね。 ジョークも言えない世の中はつまらないなぁ。
@0827alen
@0827alen 26 күн бұрын
欧米の方が日本人は「礼儀正しい」と言われることが多いと思いますが、いいかえると中身が薄く形式や儀礼ばかりいつも重視しすぎてるという感じは、お話を聴いてても日本社会日本人はどんな場面でも一貫してるなあと思いました笑。開いてるけどどこか閉ざしている感じですよね笑。 これだけ形式性や儀礼性を重んじていると(会話もメールでも中身薄く無駄に形式的儀礼的で長いですよね笑)、中身が薄くなるのは必然ですよね笑。お話の中の「いきなり発話会話に入る」超共感です笑。逆になぜ日本はいつまでたってもそうしないんだろうと思います笑。スモールトークが日本では起きないのも日本人の会話の儀礼性と形式性の重視、手続きが邪魔してそうですよね笑。日本では他人に話しかける、他人と会話、スモールトーク=失礼という感じですよね笑😂話の中身よりも相手の儀礼性や形式性の有無や程度で、最初の判断や評価がされがちですよね笑😂
@unibaasu
@unibaasu 26 күн бұрын
日本人二人が黒船に乗って凱旋して来た様な動画でしたね。同じクオリティの動画が後4本あったら目が醒めるかも知れないですw さておき、グローバルなカメラの前に立つ現代日本人のイメージについての危機感が通底している対談だった様に思います。 流石にエコノミックアニマルもカメラ、眼鏡、七三分けもあり得ねーですよね(苦笑)。
@masai8301
@masai8301 25 күн бұрын
■【38:41】→今回のハイライトですね。難しいなぁ…。月は、見ている時にしか存在しないのか???
@thomasaqinas2000
@thomasaqinas2000 26 күн бұрын
[言葉の蓄積」を根源から観れば、「言葉の発生からの蓄積」になってしまうと思います。  すると言葉は個体間の関係において発生したものの筈で、合図、信号などの伝達(コミュニケーション)媒体(メディア)の進化(それを使う生物様態の進化も含め)をしてきたものだということが、前提になると思います。  その前提でみると、文化の文脈というような事態も確かにあって、いわゆるガラパゴス進化とされるような固有の「蓄積」によって、伝達作用が個体間の関係において、必ずしも一定の作用結果にならないということになりそうです。例えばある言語が、個々の使用経験で統計的に定着した作用になっているのであって、イデア的定義性を以て作用しているのではない、ということになります。実際、「存在」という概念を研究してみても、古今東西個々別々で、文脈を追わないと理解できません。  裏返しに言うと、文脈を変えると伝達作用とその結果も変わることになると思います。問題が違うかもしれませんが、「主観意識と身体との性の不一致」についても、生命の能動性が、個体の置かれた条件という文脈の中で、その不一致の作用結果になる状態を発生したとも考えられます。  ところで「神はサイコロを振るか?」という言葉ですが、「神」という言葉・概念が、多くの人の中で、やはり異なっており、そこを確認しておかねばならないと思います。  根本的には「神」概念は人間の力ある者を表現しており、社会共同体内発生であることは、茂木先生、竹下先生の動画へのコメントで書いてきたとおりです。その人間が諸自然の力にもpersonificationで神・神々を表象し、神話的説明原理を形成したところから繋がっていると思います。  すると自然宇宙の根本原理がサイコロを振るか、という問いかけになるわけで、決定論が偶然か、デネットならスカイフックかクレーンか、イデアか進化か、と言った問い掛けになるのだろうと思います。  結論として思うのは、古代でもエネルゲイアそのものが根本原理でしたが、今の見識でもエネルギー(現実態=存在)が揺らいで情報(何か)になる、エントロピー増大の表裏が自己組織化であると言った観方に、その過程が必然則か偶然かといっている。それは過去のデータから未来のシミュレーションをしている、即ち未来を過去化し決定したものにしようとしている論議だと思います。
@weirdohsrodd
@weirdohsrodd 9 күн бұрын
アメリカとしてはルーズベルトの責任問題にはどうしても、したくないんでしょうね。 また開発はアインシュタインの嘆願によって始められました。
@mn-lj2pr
@mn-lj2pr 26 күн бұрын
👍🏻
@manf-tc1ec
@manf-tc1ec 8 күн бұрын
そもそも日本は国会ですら事前質問用意、官僚が回答準備って異常じゃないかとずーーーっと思っています。
@akirawataseaka-aw
@akirawataseaka-aw 26 күн бұрын
言葉の蓄積、分かる気がします。例えば、 水俣 = Minamata 黒人の命も大切に = Black Lives Matter
@masai8301
@masai8301 24 күн бұрын
私も、そこそこ分かるけど、敢えて、意識的に上位概念で統合して中立に話す様に意識はしますねぇ…。 よって、茂木博士を指示します。
@user-ql2do1jh6i
@user-ql2do1jh6i 26 күн бұрын
言葉の蓄積に関しては英語はoedみたいなものがあるからより言葉の歴史、文脈が重要視されちゃう気がする。 文化研究の側面からしたら日本にもoedみたいに語の歴史を記録したものがあるといいかもしれないけど。
@nonpolinonpori
@nonpolinonpori 25 күн бұрын
オッペンハイマーについては フーバー大統領の回顧録 について どの様な捉え方するのかなぁ~?
@masai8301
@masai8301 25 күн бұрын
■【3:01】→以下の文章を読んだ上で、次の質問をご回答くださいませm(__)m ヴァージニア憲法(1776年)における権利章典_第12条では、以下の様に表現されており、『自由』について区別して使用している様です。 ※ヴァージニア憲法_Section 12. →That the freedom of the press is one of the great bulwarks of liberty, and can never be restrained but by despotic governments. ※ヴァージニア憲法_第 12 条→報道の自由(Freedom)は、自由(Liberty)の大きな防波堤の 1 つであり、専制政府以外には決して抑制できないものであること。
@masai8301
@masai8301 25 күн бұрын
■【質問】→ 包括的基本権である日本国憲法_第12・13条には、共に『自由』が掲げられており、英語訳では、 第12条が“Freedom”、第13条が“Liberty”について言及されています。 そこで質問ですが、何故、同じ自由なのに、英語訳では別々に表現されるのでしょうか? 逆に、何故、日本語版では、敢えて『自由』としか表現しないのでしょうか? そもそも『公共の福祉』の定義とは、何でしょうか?
@kensukesasaki6606
@kensukesasaki6606 25 күн бұрын
こちらの文脈なら英語表記だからこそ明らかにすることであり、翻訳表記上ではこれを表現上の文意として文脈的に分けるわけでしょうから、表記上では”自由”とだけで済まされているのでしょうか。 そもそもの的ならば、声からの表意言語が語源や文脈的なコード体系に拠らざるを得ない記号なのにたいして、東洋の語源的やコード的にも象形化による記号の体系による言語構造からして、翻訳という概念文意の齟齬が露呈しているのでしょうが。 あるいは敢えてと仰る糸を手繰り寄せるなら、リヴァティとは当にことば在りきヒトの世間なる基礎として本来的に扱われることなので、おそらく仰るような何らかの定義として捉えてしまう、否捉えざるを得ない理屈となって、まさに合理、屈して吽となりましょう。 大概の想うことながら、ナイル圏やラテンなどの伝統に根ざした書記のことばに政治的な支点がある説話文脈とインドから東洋圏のことばの流域、特に辺境島国となると個別分離化した存在を対象として益々定義づけに追われるのは郁子なることだと思うわけです。 そこに世間の連なりをなす政治を扱う概念定理が必要とされる日本語としての定義が問われるので、仰る筋合いの分析や意味合い自体の困難さが日本語の表現には常につきまとうのだとは思いました。 竟の結果、つまらぬ余計ついで長くなりました。
@masai8301
@masai8301 24 күн бұрын
​@@kensukesasaki6606 此方こそ、ご返信下さり、ありがとうございますm(__)m 日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。 施行される直前の1947年4月に衆参の国政選挙が実施され、形式上の正当性かつ正統性が担保された事になっています。 しかし、憲法が施行された当時、GHQが進駐しており、必ずしも言論の自由や表現の自由が担保された状況下であったとは言い難いでしょうね。 この事を鑑み、アメリカや英語が前提で成り立った憲法体制という認識でも、凡そ間違いではないでしょうねぇ…。 但し、最終的に日本語で書かれ、日本国民の代表による一定の議論と承認の基に成立した事実があります。しかも、戦後77年間もこの憲法を維持し続けてきた事実から、日本国民にとって一定の理解と共になじんだ憲法であるとも言えます。 そこで、更に、以下の質問を提起します。ご了承下さいます様、お願い申し上げますm(__)m ■【質問】→大日本帝国憲法の英訳文において、第22・29条における移転・居住・表現の自由である『Liberty』が、日本国憲法_第21・22条の英訳文において、移転・居住・表現の自由である『Freedom』に変更されています。何故でしょうか? ■【質問】→大日本帝国憲法から現行憲法に改正された時、『Liberty』から『Freedom』に変更された“自由”の概念には、“表現の自由・居住移転の自由”が有ります。しかし、戦前戦後を通して唯一変わらない『Freedom』な条文があります。それは、“信教の自由”です。何故、変更されなかったのでしょうか? ■【質問】→日本国憲法_第13・31条における”自由”の英訳において、『Liberty』が用いられていますが、これら2つの条文以外の全ての条文においては、『Freedom(またはFree)』が用いられています。何故でしょうか? ■【質問】→NYのリバティ島にある『statue of Liberty(自由の女神像)』は極めて有名ですが、もう一つの自由の女神像『statue of Freedom』は、 何故、日本において特に有名ではないのでしょうか?そもそも、自由の国アメリカは、どちらの自由を掲げた国なのでしょうか?
@kensukesasaki6606
@kensukesasaki6606 24 күн бұрын
ゆるり拝見させていただきました。 ステートオブフリーダム、とは確かに知りませんでしたし、むしろ理解の助けになりました。 また、GHQに管理支配されるなかでつくられた日本語憲法条文の成文化のことは、なるほどですが、その後の間接民主制とされる代議制議会政治が近代社会の嚆矢として成立したプラットフォームである由縁、仰る通りとは思いますが、未だに不問とされる構造の只中として。 あるいは昨今の社会情勢のなかでは、まさにアルゴリズムAI技術の倫理的課題となって憑依しているも自らの課題に違いありませんね。 以降、復々おそらくは余計なこととなりましょうが、当方の少し考えた趣旨内容の羅列です。 ところで不文法の代議制で成り立つ島国社会の英国社会と同様な地政学的意味合いとして、島社会の緩やかさは大陸経由社会の近代法体系に馴染まないことから編み出されてきた落としどころともとれましょうから、同様の近代矛盾を日ノ国社会の背景と考えるなら、そこには微妙な事情が現れてくるのも当然のことでしょうか。 昨今のことでは、比較的小さな社会がゆえに成り立つ薫衆俗を忖度といったりした揶揄る言葉の背景にもあたる側面だと考えたうえで、もうひとつはアメリカ社会が抱える個人の自由とされる法権として、(敢えて日本語文脈なり観相なりに捉えたことばとしての)”自らを守る”という側面を意識した制度体制が身の周りの矛盾を孕むようになってきたというお馴染みでしょうか。 自らというも意識による脳内表記化で”自らを守る”ということについて、不問であった以前からの”自分”という分際として概念化された不文法権だった不問のわけでしょう。 今や自らを守る自分という不問存在が、言語による法権として意識に象形しなければ立脚し得ない自己やらアイデンティティやら、あるいは翻訳の装置自体のなかですら不問となっている本来性の課題が露わになってきたということですね。 便利なる装置という身に纏うことで自然に露わされる分際概念、露わに応じた自然の姿を夢に画く能力もただのヒトなどというのではなく、ただの渡しであった私という自立性を自立時間内に当て嵌めるようなことなのであろうか、というのが情報系の陥るさきとは思うのだが、さてどうなのでしょう。 情報系を脳内に解き明かしても、そもそもその定度が尺度であることぐらい誰のめにも明らかなように、明かされないも明かしてはならないも立脚するための都合目的にことばの理由があるわけだから。 やはり現状思うのは夫々ご自身の経験が自らのことばにして考えてゆく課題のひとつだと明らかに想います。
@masai8301
@masai8301 22 күн бұрын
@@kensukesasaki6606 ご返信、ありがとうございますm(__)m 少しは助けになった様ですね。こちらこそ、相手をして下さり、ありがとうございましたm(__)m
@masai8301
@masai8301 25 күн бұрын
■【37:38】→何が『問題であるか?』を理解できるが、『その問題に対する回答の1つ』に納得していないことは分かる。
@vox_populi7621
@vox_populi7621 23 күн бұрын
竹下氏単独の出演回も含めて3つの動画を大変興味ぶかく視聴した。特に今回の対談でお2人がReHacQに対して(特に、ひろゆきと成田悠輔に対して)ダメ出しをしたのには全く共感する。以前はReHacQのチャンネル登録をしていたが、ひろゆきと成田悠輔の2人を出演させ続けている姿勢がさすがに嫌になり、登録を解除した。PIVOTでの茂木氏・竹下氏の発信(特にExtreme science)には引き続き期待する。(今回IMAGINE イマジン大学のチャンネル登録をしました。)
@codeblueline
@codeblueline 26 күн бұрын
面白いんだけど、議論が飛っ散らかり過ぎ。色々喋り過ぎって言うか…、個人的にはJKローリングのところ、もう少し突っ込んで欲しかった。「言葉の蓄積が大事」とか言うんなら、じゃあ日本人には永久にワカラナイ話だから、表面的なとこだけ一生猿真似してろって、言ってるように聞こえなくもないんだけどね。
@larimarlandcom
@larimarlandcom 24 күн бұрын
兼高かおるさん、すごかったよ あと、翻訳は、できません、言葉は文化だから 例えば、Justiceは、なかなか、日本語にならない
@user-st8vc4iu3g
@user-st8vc4iu3g 22 күн бұрын
茂木さんってアスペルガーなのかな 話が一方的
Alex hid in the closet #shorts
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Mihdens
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#養老孟司 『#ヒトの壁』をレビューしつつ、養老先生のお人柄についてふりかえる。
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宇多丸『オッペンハイマー』を語る:週刊映画時評ムービーウォッチメン【公式】2024年4月18日
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