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太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために、長野市松代の山中に極秘のうちに掘られた地下坑道跡が松代大本営(松代象山地下壕)です。総延長10kmに及ぶ巨大な地下壕ですが、現在は500mほど無料で見学できるようになっています。
第二次世界大戦末期、1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実化し、敗戦が濃厚となった旧日本軍は、大本営(戦時中に設置された日本軍の最高統帥機関)や政府機関を長野県の松代に移転するという計画を進めました。
本土決戦を想定し、海岸から離れた場所への政府中枢機能移転計画を進める上で最後の拠点として選ばれたのが長野松代です。
昭和19年11月11日から工事ははじまり、翌20年8月15日終戦の日までのおよそ9か月の間工事は続きました。一日二交替から三交代で昼夜を問わず突貫工事が行われ、全工程の約8割まで完成したそうです。
工事には多くの朝鮮人や日本人が従事しました。その数は6000人とも7000人とも言われています。地下壕の入り口付近には「朝鮮人慰霊碑」が建っています。強制労働だったのかは定かではありませんが、暗い中で過酷な労働を続けたのは間違いないでしょう。
松代大本営の地下壕が掘られたのは、象山、舞鶴山、皆神山の3箇所です。3つの地下壕の長さは計10kmにも及びます。このうち現在、象山地下壕(ぞうざんちかごう)のうちの519mが一般に公開されています。
舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省(現宮内庁)として予定されていた建物が現在も残っています。
松代には、こんな歴史があったのかと改めて考えさせられます。終戦がもう少しが長引けば、日本の首都がこの信州の地に移転していたかもしれません。
象山地下壕に入るには、まずは受付に立ち寄ってください。どこから来たのか問われるので、挨拶をしながら答えましょう。パンフレットももらえます。入場は誰でも無料です。
安全のため用意されているヘルメットを着用して壕内に入ります。感染症の影響を考慮して全て消毒済みです。
-----松代が大本営に選ばれた理由(引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
大本営の建設場所に松代が選定されましたが、計画案の選定理由は以下の通りです。
1.本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場(長野飛行場)がある。
2.固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
3.山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
4.長野県は労働力が豊か。
5.長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
6.信州は神州に通じ、品格もある。
7.松代に縁起の良い、松という文字が含まれていた。
当初「松代倉庫」工事として極秘に進められていましたが、日本人労働者の証言では、当時は、地元はもちろん、周辺地域の村では「大本営と天皇陛下が東京から移ってくる」と噂が広がっていったようです。
噂になった原因は、大規模な工事であり、長野電鉄松代駅に列車で輸送されてくる、大量の物資が住民の目に留まったからだとされています。
以上、一部引用-----
松代象山地下壕(松代大本営跡):長野市市松代町西条479-11
※無料で入れます。
※近くの「象山記念館」(電話番号:026-278-2915 住所:長野市松代町松代1446-6)で検索してください。
駐車場はありません。代官町(象山東)駐車場(無料)をご利用ください。駐車場から地下壕までは徒歩約5分程度です。あるいは有料の駐車場もあります。
近くに標識がいくつか出ていますが、全て「松代象山地下壕」の名称の表示になっています。
おすすめの場所です。松代にはこういった歴史もあるんですね。この辺りに寄る機会があれば是非お立ち寄りください。戦争について考えるよい機会です。
#松代大本営#松代象山地下壕#戦争遺跡#長野観光