Рет қаралды 184
#血天井 #悟りの窓 #迷いの窓
源光庵 ホームページ
genkouan.or.jp/
源光庵は正式な名を鷹峰山宝樹林源光庵という曹洞宗の寺院です。
今から約670年前の貞和2年(1346年)、臨済宗大徳寺2代・徹翁国師によって開創され、
元禄7年(1694年)に加賀・大乗寺27代・卍山白道禅師が住持、以降、曹洞宗の寺院となりました。
本堂は卍山禅師に帰依した金沢の富商・中田静家居士の寄進によって元禄7年に建立され、
ご本尊として華厳の釈迦牟尼佛、脇立に阿難尊者、迦葉尊者をお祀りしています。
「血天井」
⿃居元忠は「三河武⼠の鑑」と称される武将です。
君主であった徳川家康とのエピソードが今も伝えられています。
慶⻑5年(1600年)、家康が会津の上杉景勝の征伐に向けて、
諸将を率いて出兵、その際、元忠は伏⾒城を預かり守り抜く役⽬を与えられました。
会津へと向かう直前、家康は伏⾒城に宿泊して元忠と酒を酌み交わします。
「我は⼿勢不⾜のため伏⾒に残す⼈数は三千だけになる。汝には苦労をかける」と家康が述べると、元忠は答えました。「将来、殿が 天下を取るには⼀⼈でも多くの家⾂が必要でございます。もし、⼤坂⽅の⼤軍が包囲した時は城に⽕をかけ討死するほかありません。
多くをこの城に残すことは無駄であるため、⼀⼈でも多くの家⾂を城からお連れ下さい」と⾔いました。家康はその⾔葉に感激、深夜 まで酒を酌み交わして別れたと伝えられているのです。
君主への忠義のため、また⾃らの誇りのため、そして⼤切な⼈々を守るために戦った多くの武⼠たち。
そうした⼈々をこの地で供養し、その物語をこの地で語り継いでいます。