【音楽談話51】音楽に信仰は必要?日本人には本当の意味で音楽を理解するのはできないのか・・?音楽の力とは・・?

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車田和寿‐音楽に寄せて

車田和寿‐音楽に寄せて

Күн бұрын

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【車田和寿-音楽に寄せて】
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【参考文献】
ニューグローヴ世界音楽大辞典
#音楽談話
#クラシック解説
#音楽と信仰
#宗教曲

Пікірлер: 138
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
補足: ドイツに住んで15年以上になりますが、「キリスト教ではない日本人には、バッハの宗教曲は理解できない」というようなことを聞いたことは一度もありません。日本人が教会に来たり、バッハの音楽を聴いたりすると、その人がキリスト教徒でなくても、皆温かく歓迎してくれることが多いです。もちろんそのような発言をしない背景には、信仰というものが非常にデリケートな問題であるという事もあります。 信仰のある人が、「信仰のない人」に対して「信じなければ理解できない」という発言は、場合によっては相手の信条を攻撃したり、又は信仰による差別につながってしまう可能性のあるきわどい発言なのです。 ヨーロッパのように様々な宗教の人が集まる場所でそのような発言をしてしまうと、単なる喧嘩では済まなくなってしまう場合が考えられるのです・・。 しかし日本においては、「信仰のない日本人にはクラシック音楽は理解できない」という発言を耳にしたり、コメント欄で見かけることが割と良くあります。 心の中で「信仰のない人にはクラシック音楽は理解できない」と思う事はその人の自由だと思いますが、それを他の人に対して発言する事は、場合によっては中々デリケートな話題でもあるという事を、発言、コメントする前に一度考えて頂けたら嬉しいです。
@seikifujiwara4335
@seikifujiwara4335 Жыл бұрын
音楽を鑑賞するとき、ただ聴いていて自分の感性の発露として感動することが本来の音楽のあり方とも言えます。ただ聴いて心地よい、その時の自分の感情に合致しているということが最優先とも言えます。ただ、曲の背景や意味をなどを知っているとより楽しめるということで解説を聴いたり、自分で背景を調べたりするのです。宗教曲も観賞用の音楽としてとらえれば、聴いていて心地よい、感動するという感性があればそれですでに成功している。より楽しむのであればその背景や意味を知ると良い。そしてその背景や意味を知るために信者になる必要はないということです。音楽に限らず宗教画や宗教建築の鑑賞にも当てはまると思います。ただ、信者にとっては鑑賞の枠より以前に信仰そのものとして捉えるのであって、そこが信仰の有無による違いであると考えます。
@user-mn2vh5ko9l
@user-mn2vh5ko9l Жыл бұрын
すごくいいお話を聴かせていただいたあとのポッキー事件に笑ってしまいました😂😂 いつも音楽の素晴らしさを 伝えてくださり ありがとうございます。
@user-vj3jd4gb2s
@user-vj3jd4gb2s Жыл бұрын
私にとってとても大事なメッセージをありがとうございます。  10代で洗礼を受け、教会音楽から多くのメッセージを受ける事ができたと教会音楽に感謝しています。反面、教会に属している人たちがそれほど影響を受けていないことに気付きました。今日のお話しで非常に納得です。
@fuya7150
@fuya7150 Жыл бұрын
ポッキー、最初の一本、欠けてたり、くっついていたり、大笑いしました。
@xyossiy
@xyossiy 5 ай бұрын
車田先生のこのシリーズの話はとても興味深いです。ピアノが上手く弾けるのを披露している動画より何倍も価値があると思います。
@tetsukoba8412
@tetsukoba8412 Жыл бұрын
キリスト教徒でも無く、それどころか音符もロクに読めず、ピアノもさっぱり。それでも、クラシック大好きで楽しいばかり。宗教とか文化とか関係無く、音楽の力にヤラれてしまった、と考えると何だかとても安心します。素敵なお話しをありがとうございました。❤
@fossilest
@fossilest Жыл бұрын
車田先生の動画を見るとなぜかポジティブになり心があったかくなる気がします。 同じような主張をしても攻撃的で何か心がささくれてしまうようなチャンネルも見かけますが、先生の動画を観た後は厳しさもありながらなんだか明日が楽しみに感じるようになります。 もちろん我々にとって異文化であるクラシック音楽を理解することはやはり容易くはないはずですが、それでも道はつながっていることを感じさせます。 これからも素敵な動画を楽しみにしています。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
😊😊
@user-bk2mv4cv9o
@user-bk2mv4cv9o Жыл бұрын
いつもありがとうございます。本当に共感します。 ポッキー、最高でした。
@user-qi2bl9vd3h
@user-qi2bl9vd3h Жыл бұрын
船旅がさぞキツかったんでしょうね、ポッキーにはw
@user-ln8ym9dj1i
@user-ln8ym9dj1i Жыл бұрын
今回も大きなテーマでした。 私は音楽や芸術は理解できるかより先に、楽しめるかが第一だと思います。それはクラシックに限らずジャズやロック、各国の古典音楽や民族音楽でも同じです。おもしろいと思えばその先により理解したいと思う気持ちが湧いてきます。それを導くのはその音楽の美しさとそれに共感できるそのひとのセンスいかんです。 いちリスナーと演奏者との違いはあるのかも知れませんが、例えば日本の尺八や和太鼓を演奏する海外の方もたくさんいますが、日本の仏教や神道を理解しないと教えませんよ、と言うことはありません。ヨーロッパのオーケストラのオーディションでもキリスト教徒以外はお断り、ということもないでしょう。 音楽や芸術は、それぞれの文化や宗教の違いを認め合い、感じ合い、考え続けるためにある。のですが、先ずは楽しめないと始まりません。演奏者の方々頑張ってください。
@user-hl3pc5ts6m
@user-hl3pc5ts6m Жыл бұрын
実はお仕舞まで見なかったんですがコメントの皆さんが「ポッキー」って書いてあるのでまた見て観ました。いやいやほんと「あんなお話をなさったのに子供みたいですな!」最高のお開きですね「純真」とは「純粋」とは、が観て取れて先生の「天真爛漫さ」には言葉がないです。Mozartの音楽には幼い子供みたいな「天真爛漫がある」を思い出しています。
@brirante33
@brirante33 2 ай бұрын
いつも貴重な話しありがとうございます。
@user-kx9dv2xm7w
@user-kx9dv2xm7w Жыл бұрын
今日はまたとても有意義なお話し、ありあとうございます。いやはや音楽にか限らず、芸術と言われるものに日々親しんでいますが、それが日本のもの、西洋ものに限らず疑問も思っていたことを上手く言葉にしてくださってあってとても参考になりました。ありがとうございます。
@user-up5us3ss4f
@user-up5us3ss4f Жыл бұрын
特に有難い回です。ずーっと引っかかってきた疑問でした。 これでいいのだと思う反面、もっともっと音楽を聴く耳と心を育みたいです。 これからも、よろしくお願いします。❤ グリコのポッキーも国を超え文化を超えました。美味しいですよね♪♬♫
@bach-daidaidaisuki
@bach-daidaidaisuki Жыл бұрын
私は仏教徒ですが、バッハの宗教作品が大大大好きです。 バッハの宗教作品を聴いている時間だけ、私は一時的にキリスト教に改宗します・・・😅 どんな宗教を信仰していても「宗教心」があれば、バッハの宗教作品は理解できると思います💖
@twhmlk8344
@twhmlk8344 Жыл бұрын
ポッキー😂 みっともないっておっしゃるところに 品性を感じました〜❤ 私も日本を離れて約20年、さらにコロナで3年ほど帰国してませんが、日本製品特に食品は高くてちびちび食べています。ほんとポッキーのように普通の物が高級品です!手に入るだけいいんです。売ってない物もたっくさん有りますから、青のりかけてお好み焼き食べたいとか…
@kyokoholland3296
@kyokoholland3296 Жыл бұрын
大変に興味深く伺いました。私はカトリックの両親のもとで赤ん坊の時に洗礼を受けてクリスチャンとして育ちました。そして30代から縁あって北欧に長く暮らしています。 欧州での生活に比較的スムースに馴染むことが出来たのはクリスチャンだったから生活文化にも理解が早かったということが確実にあるかと思います。しかし音楽の理解ということは確かに車田さんのおっしゃる通りで人の感性に響くものであるからキリスト者でなければということは絶対にないと思います。逆に仏教徒ではない私でも京都のお寺などお寺などを訪ねればとても静かで満たされた気持ちになります。
@aiko3811
@aiko3811 Жыл бұрын
学生時代から目上の方に「クラシックを本当に理解したいのなら信仰しなきゃ無理だ」と言われ、演奏していくことの辛さがありました。興味深く聞かせていただきました。信仰しているからこその風貌、ものの見方、考え方があるなと、わからない自分自身を責めることもありました。お話を聞いて、自分も堂々と演奏して良いんだと思うことができました。ありがとうございました。
@amabile7965
@amabile7965 Жыл бұрын
真剣な動画の後のポッキーwwあんなにくっついてるの初めてみたwww
@naosato1244
@naosato1244 Жыл бұрын
音楽に信仰は必要ではないけど、信仰という枠組みを通じた音楽の在り方は、本来音楽を聴くことの重要な部分と重なるんだなーと思いました。つまり演奏の出来栄えよりも、音楽が伝えようとする「心の声」に耳を傾け、それを感じとり、感謝する心。
@singasong2214
@singasong2214 Жыл бұрын
私はクリスチャンなので、賛美と音楽についてコメントしようかなぁと思いながら見てたのですが、、、 ポッキーwwww 先生の普段の動画では見られない表情を拝見でき貴重でした!大笑いしましたwww
@masayoyairo9150
@masayoyairo9150 Жыл бұрын
歌う側としては、神への賛美を捧げたい、湧き上がる気持ちがあるかないかは、違うと思います。いつもありがとうございます♪
@lifestyletokyo5347
@lifestyletokyo5347 Жыл бұрын
自分の人生でクラシック音楽が勇気をくれた。だから自分はクラシック音楽を愛している。クラシック音楽が無かったら目も当てられない人生を送っていたはず。
@user-lj1sc9bs4t
@user-lj1sc9bs4t Жыл бұрын
今までここまで説明出来るレベルではありませんでしたが、車田さんの考えと私の音楽に対して思っていた事がほとんどそっくりそのまま同じでなんと言うかほっとしました。upありがとうございます、安心出来ました。
@ttsuda2029
@ttsuda2029 Жыл бұрын
タイトルからして、今日はとても重たい回だと思い、私なりにいろいろ感じながら視聴しました。が、最後のポッキーに異常に反応して(笑)、めちゃくちゃウケちゃいました。え?なんの話だっけ?って感じで..笑 この地球を超えた宇宙の共通言語は「数字」と「音楽」だという話を聞いたことがあります。人種も民族も言語も文化も宗教も超えて、惑星をも超えて...。音楽って奥深いですね。
@issui299
@issui299 Жыл бұрын
毎回、とても興味深いお話、ありがとうございます。私は美術関係の仕事をしているクリスチャンです。音楽はもっぱら鑑賞する側ですが、車田さんのお話には共感することや教えられることがたくさんあって、楽しんでいます。今日のお話もとても納得するものでした。私は一応(笑)長くクリスチャンをやっていますが、文学であれ音楽であれ美術であれ、「信仰がなければ分からない」という考えは正しいとは思っていません。信仰を持っていて(というのも曖昧な表現ですが)、生活の中に聖書の言葉に接する機会がそれなりにある場合、音楽をより深く理解する助けにはなるかもしれませんが、「なければならない」というものではないと思うのです。 同じキリスト教と言っても日本の教会には日本独特の性格がありますから、その環境の中だけにいる人が果たしてヨーロッパのクラシック音楽を理解できると言えるかどうかも疑問です。やはり、おっしゃるように最終的には個人個人の感じ方の違いに関わってくるように思います。 最初に出てきた「改宗してしまうのではないかと恐れている」という言葉は笑ってしまいました。最後の、くっついたポッキーも。
@unaginobori
@unaginobori Жыл бұрын
私はバッハが好きなので、礒山先生の著書「J・S・BACH」(講談社現代新書)のあとがき「バッハの音楽はキリスト教を信じていないとわからないのでしょうか?」に対する「信仰に関係なく、かならずわかります」という記述が本当に拠り所でした。 礒山先生にはお世話になりました。「I教授の部屋」懐かしいです。
@lavendermint8308
@lavendermint8308 Жыл бұрын
今回特に自分にとって大切なお話でした。ありがとうございました。心が解放されました。 今回のお話を心に留めながら、音楽の持つメッセージに耳を傾けていきたいと思います💐💐 ポッキーが全部くっついていたとは…驚きですね😅☕️
@katcat1303
@katcat1303 Жыл бұрын
「教会信者の方々の音楽の聴き方」を例に、演奏技術の批評を超越しての音楽鑑賞の仕方についての部分は、とりわけ興味深く、深く納得いたしました。いつも素晴らしいお話を楽しく拝聴しております。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
ありがとうございます!
@user-hl3pc5ts6m
@user-hl3pc5ts6m Жыл бұрын
「車田さん」こんにちは!久々に先生にお会いしたいな~ッて思って「タイトル」に惹かれて今朝も拝聴させて頂きました。「音楽の聴き方」についてのお話で「演奏の良し悪しの先」にある「メッセージに耳をかたむける」は目に鱗でした。就中「音楽は音楽、信仰は信仰」「音楽とはなにか?は聴く人にゆだねられている!」素晴らしいお話でした感動しました。余談:音楽の初めは声からで、言葉からで、「抑揚」が付いていた、つまり「声楽音楽が音楽の初め」本で読みました。鍼灸の先生が「グレゴリアンチャントを聴きながら治療する」って治療中に聞いたのでyoutubeで産まれて初めて「1500年前の讃美歌」聴いてみましたコーラスです、88歳の時でしたが、なんてったらイイか「こころおだやかになりました、それはそれは将に天国にいるようで!」オリジナルに少し音が足してあって、やや編曲もしてある旋律で聴きやすかったです。実は僕も「主よ、人の望みよ喜びよ」が大好きなんですよ。初めて聴いたのは弦楽合奏だったと思う、歌詞はなかったのでつまり器楽音楽としての体験でした。あの3連音符の流れに目から「水でてきました」「ドレミファソラシドの暖かさに感動しました」先生のお話はメディアの中でも稀有な存在のようで嬉しいです。またよろしくお願いいたします(90歳)
@user-ti9nc1xy6e
@user-ti9nc1xy6e Жыл бұрын
クラシックに特化した動画だとは思いますが、実は、今回のお話は、他の世界中の音楽の本質でもありますね。興味深いお話でした。🎶
@mihoho3338
@mihoho3338 5 ай бұрын
聴き手の立場では、その通りだと思います❤でも、演奏者の方は信仰がなくても、表現がどこまでできるのだろうー、なんとも不思議な気もします。
@user-ox6sv4yf1c
@user-ox6sv4yf1c Жыл бұрын
この配信見て良かったです。 自分は三線をやっていて、主に八重山の民謡が中心ですが、内地生まれの自分には永遠に溝が埋められないのではというジレンマを感じていました。また自分はクラシックから音楽に入ってその延長で三線をやっているので根っこにあるものも違うのでそれをどうしたらよいかというのも課題でした。でもそういった自分の出自は変えられないし、それを包み隠さず出していくしかないですね。それからポッキー高いんですね。明治カールも今では西日本限定になってしまいました。自分は大阪なので普通に買えますが送りましょうか?笑
@satoshimatsuyama4086
@satoshimatsuyama4086 Жыл бұрын
磯山先生という方は、ご自分の良心に対してとても正直で、謙遜な方なのかなあと思いました。 神ご自身が、人間の肉の体をつけて、この暴虐で満ちた地に降りてきてくだり、十字架につけられ、ご自身を死に渡すことにより、その引き換えに私たち人間の全ての罪(アダムの罪)を贖い、私たちを罪の奴隷から自由にしてくださった。 この喜びの「福音」こそが「マタイ受難曲」です。 音楽には、この「歓喜」を知らしめる大きな力があります。 信仰とは、盲信ではなく、この知識の後に繋がるものであり、それが更に聖書の正確な知識を伴って深められ、醸造されて行くものです。 ですから、信仰がなくても、音楽を通してなんらかのメッセージを感じることができます。 まさに、バッハの音楽は、そのような目的で書かれたのですから、聴く前から信仰を持っている必要は全くないのだと、私も思います。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
😊😊
@maron3008
@maron3008 Жыл бұрын
私は、風の音に信仰や音楽やメッセージや・・・を聞き取ることができます。 音楽についても受け止めてが何を受け止めるか自由でいいと思います。 音楽の作り手の手を離れ、演奏者が受け止めて解釈を加えて演奏した後も演奏者の手を離れ、聞き手がどう受け止めるかは自由だということです。 これは、聖書やお経のような書物においても同じだと思うほどです。 当然、学問や政治、世相についてもそうです。 同じものを共有するコミュニティーによって解釈が変わってもいいと思います。 逆に、宗教を意識しないで作られたものを宗教的に解釈を加えてもいいと思っています。 一人一人が受け止めることに制約などありません。 どういう解釈をするかということについて共感してほしいときは、同じ解釈をするコミュニティーにいれば安泰です。 相反する解釈があってもいいと思います。 それぞれのコミュニティーが議論し合うことで、より深い見識をうることができると思います。
@user-op3ik2ns7u
@user-op3ik2ns7u Жыл бұрын
私は感性がない、感情表現がない、と言われ続けています。喜怒哀楽がない気さえしてきました。私は古典歌曲が好きみたです。歌が自分を慰めてくれるからです。音楽が私に寄り添ってくれるからです。優しいです。私はマタイ受難曲も、お坊さんのお経も、心に寄り添ってくれる気がしてしまいます。それに癒されています。
@user-sc1vf1ff9p
@user-sc1vf1ff9p Жыл бұрын
いつもながら、車田さんの動画は論点を良く整理していただいていて、勉強になります。 プロテスタント・ルター派のバッハ『主よ、人の望みの喜びよ』を含む、カンタータ147番《心と口と行いと生きざまもて》をカトリック教会で聴いた事があります。 録音や普通の演奏会場で聴くのとは違う感銘を受けたので、『演奏の良し悪しではなく、音楽のメッセージに耳を傾けようとしている』というお話には得心が行きました。 宗教曲については、聖書を読むまではいかなくとも、その概略を書いた『聖書物語』等を読むと、より理解が深まると思うのですが、それと音楽の力というのはまた別の問題ですね。 そういうことも含めてこれからも音楽を楽しんでいきたいと思いました。
@user-bk9ez3zp5i
@user-bk9ez3zp5i Жыл бұрын
クリスチャンです。教会にはいかないクリスチャンであって、どの宗派・教派にも属していません。 わたしは「信仰」するために、必ずしも「教会に属する必要」はない・・・神のみ言葉と直接触れ合うことで、キリストにあって神との交わりを持つことができると・・・思っています。(もちろん、「信仰」という言葉をどう定義するかにも寄りますけど・・)  それとだいたい同じような「ロジック」で、クラシック音楽とのいわば「交わりを持つ」・・この動画では「共感」という言葉で表現していましたが・・・そのために、いわゆる「信仰」は絶対必要条件ではないということで、とても納得しました。  それはそれで・・・別の側面からですが・・・「演奏者は、その曲の背景などを知ることが重要」とおっしゃってましたね。何年も前に、讃美歌集のCDを買って聴いたことがあります。おそらく「音楽的」には、完璧に歌われていたのだと思いますが・・・心の迫ってくるもの何もない、悲しいほど「スカスカ」な演奏でした。  「おそらくプロのミュージッシャンを動員して録音したものだろうけど、きっとそのほとんどは、この讃美歌で歌われている「思い」・・つまり「信仰」・・には全く、あるいはほとんど無知であって・・ただ「譜面」をそのまま歌っていただけなのだろう」という「メッセージ」が伝わってきただけのCDでした。  何を言いたいのかというと、確かに、「音楽」に共感するためには「信仰」あるいは「聖書の知識」はいりません。同感です。しかし、その演奏にいわば「命」が吹き込まれるためには、ただ、「音符通り」に演奏する以上の「何か」が必要と思いました。  もちろんその「何か」は、「キリストを知る」事に限定される必要はないかとは思います。が・・・やはり、その曲に込められた作曲家の思いを知り、また、それに演奏者自身の経験や思い、心を込めて演奏された音楽は、キリストについての知識がある・ないにかかわらず、聴衆の心に響く音楽になるののでは・・・と、思いました。  大変、素晴らしい動画をありがとうございました。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
ありがとうございます😊😊
@hahauesama
@hahauesama Жыл бұрын
このテーマは何十年もの問題です💦 親が某S学会だったので、キリスト教系の歌を歌ってると「邪宗の歌を歌うな!」と鬼の形相でよく怒られました。。。。 今度、声楽でマスカーニのアヴェマリアを習います キリスト教徒でもないのに歌うのは失礼かもなあって、未だにひっかかってしまう・・・ けど、ポッキーが全部くっついてるのを見て、どうでもよくなりました😅 ありがとうございます!
@user-lj1sc9bs4t
@user-lj1sc9bs4t Жыл бұрын
アヴェ・マリアは勿論マリアに捧げた歌ですが必ずしもマリア限定にしてしまうことは勿体ない気がします、例えば歌詞はそのままだとしても他の誰かを想い当てはめてみては如何でしょうか。
@hahauesama
@hahauesama Жыл бұрын
@@user-lj1sc9bs4t ありがとうございます💦 私の頭の中では、とても純粋で清い存在のマリアさまなので、そんな人が私の周りには一人もいないのです😭
@seikifujiwara4335
@seikifujiwara4335 Жыл бұрын
某学会がいうところの「邪宗」とは仏教における他宗派であり、キリスト教などの仏教以外の宗教については邪宗と呼ばないので、誤った某学会員だと思います。某学会員である歌手を何人も知っていますが私よりも積極的に宗教曲を勉強していますよ。某学会の外郭団体である某音楽協会は他宗関連の音楽演奏を招聘していますので、邪宗の歌を歌うななどと鬼の形相で怒るのは本当の学会員ではないのではないでしょうか。ただ、某学会がベートーベンの第九交響曲を演奏しているのを、宗門の僧侶たちが外道礼賛だからけしからんと言っているということをきいたことがある。坊主たちにとってはキリスト教は外道なのですね。
@flutelovemimiu
@flutelovemimiu Жыл бұрын
長く演奏し続けられている曲には、その曲自体に何か不思議な力があるように思います。聞いているだけで心が揺さぶられるからです。私のような知識がない人間にも何かを語りかけてくれているように思います。書物として受け継がれてきた聖書と音楽として受け継がれてきた曲たち…どちらも神聖なものに感じます。聖書を理解しようとする人たち、長い年月をかけて練習し曲を演奏する人たち…その真摯な姿は似ているようにも思います。
@user-do1su5eb3b-omanga
@user-do1su5eb3b-omanga Жыл бұрын
最後の最後が最高でした😸😹
@yosiyukimk2ysyk
@yosiyukimk2ysyk 7 ай бұрын
100才を超えるようなお年寄り、あるいは体の不自由な人のインタビューを時々聞きますが、字幕がなければ何を言っているのかわかりませんが、御家族や介護している人はきちんと聞き取れていますね。 やはり聞き取ろうという気持ち次第なんでしょうね。
@tweety8670
@tweety8670 Жыл бұрын
音楽って理解しないといけないものなのだろうか。純粋に音を楽しみ、自分の感性が求めるままに聴くのが心地好い。
@user-sx6xe1eq1p
@user-sx6xe1eq1p Жыл бұрын
・高校生の時、バッハのロ短調ミサ曲の公演放送(カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団)に聞き惚れていました。当時は、カトリックとプロテスタントの違いも解かるはずもありませんでした。 ・その後、成人してプロテスタント教会で洗礼を受けてから、その違いは分かりましたが、少しずづ「信仰の無い人が、バッハの音楽を演奏したり批判したりするのはどうかな?」という上から目線になっていたことを、大いに反省しています。 ・チョコレート菓子は、夏場は冷蔵庫に入れておかないとダメですよね。経験があります。私だったら居直ってコーヒーに入れてかき混ぜて頂きますね・・・エヘッ!
@user-sx6xe1eq1p
@user-sx6xe1eq1p Жыл бұрын
・リヒターは、同曲のレコーディングではオーレル・二コレをフルーティストとして起用していますが、東京公演ではパウル・マイゼンをソリストとして起用しています。この人の音色が素晴らしかったのを覚えています。ブラスバンドでフルートを吹いていた私の憧れ的存在です。CDとして発売されていますね。
@toshiyaisono9582
@toshiyaisono9582 Жыл бұрын
個人的には、宗教に対する信仰までは必要ないと思いますが、理解は必要かと思います。理解がないと、何故曲がこのような構成になっているか、 すら分からないと思います。私はこういう気持ちになったのは、ビーバーのロザリオのソナタを聞いてからです。 また、祈りの気持ちは万国共通と思います。祈りの気持ちを感じて曲を演奏したり聞いたりすれば、作曲者の気持ちに近づけるような・・・ 勝手な個人的解釈です^^
@user-eu7pp4pg5b
@user-eu7pp4pg5b Жыл бұрын
いつも拝見させてもらってます。ポッキーの日というのがあって、毎年11月11日です、しかも私の誕生日でございます。その日は手元にたくさんのいろいろなポッキーがそろいます。グリコの方が見ていましたら、是非とも、くっついてないポッキーを車田さんに進呈してもらって、召し上がっていただきたいと思います。  メインの音楽と宗教については、弦楽器を演奏する立場としては、バッハの平均律クラビーア曲集などのようには純粋に宗教とは別格の意図があるし、音楽の演奏技術や器楽演奏におよぶ、深い洞察があると思います。
@user-pn2ql9mj6j
@user-pn2ql9mj6j Жыл бұрын
バロック時代の音楽修辞学は神学との関連が非常に強く カール・リヒターから鈴木雅明に至るまでバッハ演奏において信仰の深さが果たす役割は極めて大きいなと感じ入ることは多々ありますが,それは信仰の有無といったようなあやふやな定義で分けられるものでもなく 嘗ての教会文化・理論込みの音楽文化への真摯さ・作曲家への敬意・音楽そのものへの敬虔さ(畏怖?)それらを表現に実装する勤勉さと感性こそが両者を分かつのだろうと最近は思うようになりました 一神教故の精神性は確かに日本人には馴染み深いものではありませんが,音楽への愛を通じ時代や文化を尊重し愛する姿勢が突破できる壁も決して少なくないと信じます
@user-yd3xd4uw3p
@user-yd3xd4uw3p Жыл бұрын
今回も興味深く、また考えさせられるテーマで楽しめました。😊 宗教を理解しないとクラシック音楽は本当には理解できない、という人はそのお考えをご自身の胸の中だけで大事に留めておいて頂きたいです。そのような証明できないことを声高に叫ばれると、その人の品格も疑われかねませんので。😅 他にも、楽譜が読めない人はその曲の本当の凄さは分からない、とか主張なさる方もいらっしゃいますよね。確かに、キリスト教の信者で高度な音楽教育を受けられた方には、そうでは無い人とは違う別の何かを感じられる事もあるでしょう。それはそれで良いと思います。しかし、その考えを正しいものとして周りに押し付けるのは迷惑だと思います。 要は、自分の感じ方こそが本物であり、それ以外の感じ方は不完全である、と根拠のない偏見を外部に発信することに、私は偽物臭さを感じます。😌 その意味で、今回の映像も非常に満足度と納得度の高い内容でした。☺️
@skoyhuck
@skoyhuck Жыл бұрын
日本人のクラシック音楽を好む方に本質的テーマを語って下さり、ありがとうございます。 日本は、明治以降、欧米文化が入り込み、一部の知識層がキリスト教に入信しました。 今日でも多くの日本人が英語学習する上でGOOD-BYを理解出来ないと言う事になります。 動画の中で何かを敬う事、共感する事、他者の傷んだ心に寄り添う事、それらを全て理解は、出来ないけれど(他者の心の中は、全ては、理解出来ない。)共感し、寄り添う事が大切であると教えて頂きました。 主よ人の望みの喜びよ、第九、ドイツ語は、分かりませんがこれからも聞いていきます。
@morinojuon
@morinojuon Жыл бұрын
ポッキー、大爆笑してしまいました!(笑) 私は家の事情でキリスト教に改宗することができません。改宗したら絶対ダメってわけじゃないんですが、家業が宗教施設の修繕業をしていたので、タイミングを見失いました。 小学生の頃の趣味が宗教書サーフィンだったので、ひととおりの知識と経験はありました。それでも、キリスト教の宗教音楽プレイヤーでありながら、キリスト教の信徒ではないことで差別やイジメもありました。悩んだ分だけキリスト者の感情を深く学べました。お互いが思いやっていきたいと願います。
@kojiyuo1891
@kojiyuo1891 5 ай бұрын
『音楽は音楽。信仰は信仰。』 まさにその通りだと思います。 その一方、音楽を通して信仰に目覚める人もいます。 我が国のバッハ研究第一人者の礒山雅先生のエピソードは大変興味深いですが、無理に自身の信仰心を否定するのも不自然に感じます。 確かに、音楽に信仰は必ずしも必要ありません。信仰がなくとも音楽に共感することができます。とはいえ、音楽は信仰を助け、信仰は音楽をより味わい深いものとするのは否めません。 音楽は、時に、人を信仰に導く力があります。私は、10代、20代のの頃、バッハはじめ、素晴らしい音楽に出逢えたこと、そして何十年も経ち、中年期を過ぎ(音楽だけがその理由ではありませんが)プロテスタントの信仰を持つようになったこと、神に感謝しています。
@sara.1735
@sara.1735 Жыл бұрын
深いお話有難うございました。 ・教会に住まわれた経験をお持ちということも凄いなと思います。 ・宗教の枠を超えて音楽に接してよい事、音楽のメッセージに耳を傾けるとその先のものが見えてくる事。書道好きなキリスト教徒の方が写経を楽しんだり気持ちが整ったりするのと似ていますねと思いました。 ・ポッキーの件、苦しみから解放され漸く天に召す事が出来た感動の映像でした。正に先生は主。 ・話は違いますが先生の生活圏でグリュスゴッツは通用しますか?
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
グリュスゴッツは使わないですね。それはミュンヘンあたりです。
@user-yb7um4ll8t
@user-yb7um4ll8t Жыл бұрын
たくさんの動画からたくさんのことを学ばせていただきありがとうございます。 宗教音楽を中心に演奏活動しているアマチュアの合唱団にいたことがあるのですが、プロテスタントの信者さんと信仰されていない方と混在しておりました。信仰の有無に関わらず、一体となって演奏活動を続けられているのは、車田さんが動画で仰っていた「共感する力」、「想像する力」なのかと思うことができました。 信仰心にとどまらず、音楽をどうしてやるのかという意義にも触れる、とっても良い解説に感服いたしました。ありがとうございました。
@mattsong3975
@mattsong3975 Жыл бұрын
宗教音楽の理解について、信仰の有無はよく話題になります。「音楽は音楽として存在している」というご指摘は確かにそのとおりだと思いました。これは、標題音楽と絶対音楽の違い、歌詞のある曲と歌のない曲(歌詞を聞いても、それが外国語であると、歌のない曲と同じかもしれませんが、…?)の違い、を議論するときにも、アナロジーとして使えるように感じ、実はいろいろ複雑だなあと益々思ってしまいました。 話は戻りますが、マタイ受難曲などですと、信仰心のある方は、音楽的感動とともに、宗教的感動もあるのかなと思っています。
@user-xd4id5pq3m
@user-xd4id5pq3m 10 ай бұрын
海外のオーケストラと、4回、合唱の、ソリストとして、宗教曲を歌わせていただきました。私は、毎日御仏壇に、手を合わせて育ち、今も同じですが、歌ったとき、曲と、一体となって歌っていました。キリスト教も、仏教も、同じなのでは、と思いました。いつも有り難うございます。
@user-zy6tj6fb4b
@user-zy6tj6fb4b Жыл бұрын
まさにその問題は教会を練習場所として毎年ミサ曲を歌う合唱団に所属する合唱団の団員である私にとっては長い間悩んでいたことでした。 全く先生のお話に賛同いたします。ラテン語で書かれた典礼文を理解しながら音楽の勉強は別にしております。 明解な解答をありがとうございました。😊
@user-jm4gz5mq7e
@user-jm4gz5mq7e 7 ай бұрын
音楽と信仰┄このようなテーマでのお話しに、このチャンネルへの関心と信頼を深めました。最後のリラックスタイムでのポッキー、笑いました。
@1727orykkl
@1727orykkl Жыл бұрын
深い意味のお話ありがとう感謝😂
@reachyamauchi
@reachyamauchi Жыл бұрын
あります!あります! 溶けてくっ付いて1つになったポッキー ある意味ラッキーですよ
@user-rs2zv2pc6z
@user-rs2zv2pc6z Жыл бұрын
音楽は音楽でよかった🎵🎹✨宗教は色んな宗派ありますからね😥作曲家の方の信仰の想い入れがあるならその宗教を信仰より学習してみたらいいですよね😃🎵🎹✨最後のポッキーの引っ付き具合は😂
@taekoasano8735
@taekoasano8735 Жыл бұрын
仏教徒の私もこの宗教問題で悩んでいたので「待ってました」 磯山先生のテレビの講義はすばらしかったです。ご著書も持っています。
@HiromiMaruyama
@HiromiMaruyama 5 ай бұрын
私は無宗教ですけれど、自分にはバッハがいてくれます。何かあった際はバッハが救いの手を差し伸べてくれます。人それぞれでいいと思います。
@satomii7046
@satomii7046 Жыл бұрын
いつもありがとうございます😊 今回も分かりやすく納得のできるお話でした。 というのも、私はキリスト教徒ではありませんが、聖書に対する信仰があります。 音楽、宗教、聖書。 どれも、それに対する信仰とそれに対する愛が理解を深めるのだなと思いました。
@HansSchmidt2006
@HansSchmidt2006 Жыл бұрын
難しい問題を綺麗に整理していただき有難うございました。キリスト教徒ではない私は、ミサ曲を歌う時は聖書に書かれた奇跡を物語として伝えようとしましたが、本当に信じることはありませんでした。それでも歌っている自分は音楽として感動しましたし、聴衆の方も感動して下さいました。そういう付き合い方で今後も音楽を聴いていこうと思います。
@user-df5ym9dx8t
@user-df5ym9dx8t 7 ай бұрын
アベマリアが感じました。どの作曲家でも好きです。皆良いですよね!
@Marie-nz2yn
@Marie-nz2yn Жыл бұрын
車田先生 とても勉強になるお話をありがとうございました。バッハに近年ハマってます。バッハを本当に理解するにはプロテスタントにならなければいけないのかなどと思ったりしましたが、お話を聞いて気が楽になりました。ポッキー笑 フランスに住んでますが、フランスもミカドで、ミカド=ポッキーだと思ってました。今度食べ比べてみます 笑
@queens3857
@queens3857 Жыл бұрын
興味深いトピックですね。 私は黒人音楽が好きで、いわゆるゴスペル=黒人霊歌というものに触れたくてアメリカに暮らしていた頃黒人地区のバプティスト教会のクワイヤー隊に入っていた事があります。 その時の超絶に歌が上手かった牧師さんから「ゴスペルというのは今も毎年新しい曲が作られ、増え続けているんだ。人を励まし、愛を讃える内容であれば私はそれはゴスペルだと思っている」と聞かされました。 信仰というより、その音楽を育んだ文化や社会的背景を知ることは、その音楽を理解する助けにはなると思いますが、特定の宗教信仰こそが必要だ、とは思えませんね。 バッハを聴いているとプロテスタント的なある種のストイックさは感じはしますが。
@user-ox2kv7fy1g
@user-ox2kv7fy1g Жыл бұрын
音楽に限らず、芸術の根幹には当然ながら宗教性が関与してくると、ゲーテは述べてますがその通りですね。少なくとも、インスピレーションを得たいなら、人知を超えたものに魂を寄せないと無理だと思いますね。
@user-do8qp1ut8h
@user-do8qp1ut8h 9 ай бұрын
ありがとうございます!
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada 9 ай бұрын
どうもありがとうございます😊
@user-vr7wc7il6c
@user-vr7wc7il6c Жыл бұрын
音楽を感じる上では関係ないと思います。 信者になる必要はないけども、ある程度はキリストの物語を知っていると、 歌詞があるものなど、理解の助けになる場合もある気がします。
@k.kawasaki5966
@k.kawasaki5966 Жыл бұрын
車田先生の意見に賛成です。音楽は音楽で、信仰は信仰で別問題だと思います。 例えば何教でも、天地創造の神を、ヤファウェー、アッラー、大日如来、天の御中主と宗教によって言葉を変えているだけでおんなじです。キリスト教、イスラム教、仏教、神道でも関係ありません。ただ、バッハの宗教音楽を新約聖書に記されたイエス・キリストのエピソードなどを知らずに演奏することは、見せかけ、張りぼて、まやかしの薄っぺらい演奏になってしまいますので聖書を読むことは大切だと思います。例えば、コレルリやマンフレディーニのクリスマス協奏曲ではキリストの生誕に際しての感情がものすごくよく表現されていて素晴らしいです。しかし信仰は別問題で仏教でも神道でも問題なく、改宗は不要です。
@user-lj1sc9bs4t
@user-lj1sc9bs4t Жыл бұрын
完全に同意します
@user-vw9su4lx4d
@user-vw9su4lx4d 7 ай бұрын
キリスト教に帰依する前に、 バッハのこの「主よ、人の望みの喜びよ」に出会い、弾き続けているうちに、気がついてみると、クリスチャンになっていました。教会でご奉仕させていただいたこともありましたが、今は、自分の中で完結してしまっている感があり、自分なりの解釈ができてしまっているのは、必ずしも良いとは言えないのではないか、と思うこともあります。
@ThereThere56
@ThereThere56 Жыл бұрын
わたしはキリスト教系の大学の神学部に入って、いずれ洗礼を受けるはずが、大学で比較宗教を学び、世界を旅するうちにその機会を失ったまま現在に至ります。 一方、在学中にバッハ専門の合唱団に入りその演奏を聴いた思い出はかけがえのないもので、私の中では、音楽と信仰を巡っていろいろと複雑な感情があります。 個人的にはおっしゃる通り、何かを敬う気持ちはどの文化圏も共通の感情だと思います。
@NO-td4hm
@NO-td4hm Жыл бұрын
磯山先生、クリスチャンじゃないんですね!カンタータの講義、めっちゃ羨ましです😆リヒターのカンタータ集のライナーを書かれていたので、それがきっかけで先生の著作はかなり読みましたよ!
@user-gd4nx4io7h
@user-gd4nx4io7h 10 ай бұрын
キリスト教徒以外も宗教音楽を素晴らしいと思うからこそ、その音楽は素晴らしいと思います。 余談?ですが、イエス・キリストはユダヤ人で中近東の褐色黒髪の有色人種で絵画にあるような白人ではありません。イエス・キリストの実際の顔はこんなだろうと研究されたものがありますが、それを見てしまったら宗教音楽はまた別のものになっていたかもしれませんね。 しかしクラシック音楽のチャンネルなのにこんなに笑わせてもらうとは思わなかった😂ポッキーはアーモンドクラッシュポッキーといちごポッキーが好きです。
@user-ig8ro9lm5m
@user-ig8ro9lm5m Жыл бұрын
音楽のメッセージ❗しっかりと聞きたいと思いました。音楽と信仰難しい問題かもしれないけど、私は、両親がクリスチャンで私もクリスチャンです、。が音楽と信仰やっぱり別物だと、お話し聞いて思いました。今とってもピアノ弾きたいです😅でもどうすれば弾くことが出来るか分からないです😢次のお話し楽しみに待ってます🎶🎶素敵なお話ありがとうございました😊😊😊
@7N2HBV
@7N2HBV 11 ай бұрын
バッハのミサ曲、モーツァルトのレクイエム、フォーレのレクイエムなど宗教曲は好きですが、キリスト教徒でないと真のところが分からないので共感できてないのではないかと思っていました。車田先生の「音楽は人間の根本的感情に訴えかける」という言葉は大きなよりどころになりそうです。
@user-ou7jr8zf4q
@user-ou7jr8zf4q 10 ай бұрын
信仰がなければ音楽のメッセージを受け取れない、なんてことはありませんよね。 音楽は人の悲しみや喜びの深い部分に訴えかけてきます。 ヨーロッパの文化は輸入されたものだから、木を見て森を見ず、と言うのか、自分が見た木だけが全てだと思ってしまう人がいるんじゃないでしょうか。バッハはプロテスタントだから、カトリックの教会では演奏できなかった、と言う話が(日本で)ありました。だけど、ヨーロッパでそんなことはないですよね。 ただ、ヨーロッパを理解するにはやっぱりキリスト教が文化の根っこにありますから、知識はあった方がいいですね。 私は高校時代キリスト教の学校だったので、聖書を勉強しておいてよかったなあ、とあとから思ったものでした。
@user-cf6iz8cd1p
@user-cf6iz8cd1p Жыл бұрын
ポッキーの話が一番文化の違いがわかる。(笑)
@tsuneonishioka3118
@tsuneonishioka3118 10 ай бұрын
私は音楽ってすごい力があると思っています。違う目線から見ると音楽が宗教に利用されてきたんだと思っています。
@kunchnetoyo9330
@kunchnetoyo9330 Жыл бұрын
😄 ビデオのおまけのポッキーのところ、とても面白かったです。私は緑色の包装のmeijiのチョコレート効果「CACAO72%」を毎日少しずつ食べていますが、甘過ぎず健康的だと思っています。高カカオポリフェノール含有が宣伝文句になっています。もしドイツのお店で見つけられたら一度試してみられてはいかがでしょうか。
@user-gq1pr5ub2l
@user-gq1pr5ub2l Жыл бұрын
音楽として『美しい~😔✨』と思う気持ちには抗えないですよね。学生の頃アレグリの『ミゼレーレ』に心打ち抜かれた者としては。
@midori8517
@midori8517 Жыл бұрын
イギリスに住んでいます。ヨーロッパの音楽に対する考え、宗教はある意味大陸とも違いますが、とても共感します。ただ、教会などの空間は実際足を運ぶといいかな、と思います。
@user-tc2nz5ov2b
@user-tc2nz5ov2b Жыл бұрын
車田先生 今日も私にとって大変タイムリーなご投稿でした!ありがとうございます(^_^) パイプオルガンを始めてから、特に強くなった気持ちでした。 友人で、音大卒でなく趣味程度の人でも、クリスチャンではあるけど、正直弾くテクニック的にはイマイチ、でも、音楽的には結構いい演奏をする友人もおり、また曲をよく知っていて、行事の意味なんかも理解しているので、ハンフ、ナインベルガー、ブクステフーデ、ヴィエルヌ、ヴィドールと言われても全然わからなかったピアニストの私からすると、ちょっと悔しいというか納得のいかない感じもありました。。。 おっしゃる通り、信仰心で全て解決するなら、信者は皆プロ級の演奏者や聴衆な訳で。。。理解や勉強はして演奏しますので、俄仏教の私も、結構イケてる演奏だと思います(^_-) ポッキー残念でしたね(^_^;)ライプツィッヒに行ったとき、日本のミネラルウォーターがアンビリーバブルな値段だったのを思い出しました(^o^) 因みに、私もパイレックスよりハリオの方が好きです(*^O^*) 現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
@seikifujiwara4335
@seikifujiwara4335 Жыл бұрын
宗教曲には典礼のために作曲されたものと演奏会用に作曲されたものがあるそうです。レクイエムなどは死者のためのミサ曲として具体的な死者のために書かれたものが多く典礼目的だったと言えます。しかし演奏会のための演奏としても聴く価値のあるレクイエムはクリスチャンでなくても好んで聴けるといいます。そもそも音楽は理解するものではなく感じるものであるから、宗教曲になると途端に理解しなければならないということはないでしょう。私は宗教曲は好きではないので歌いたくないのですが、団に所属していると歌わなければならない機会があります。ミサ曲などは和声や対位法の勉強にはとても良いと思います。
@user-ne2df5ul9o
@user-ne2df5ul9o Жыл бұрын
本当の信仰とは言えないかもしれませんが、演奏者が作者の信仰を感じそこから生まれた感情を声楽を含めた音楽で表現してメッセージを伝えることは可能なのではないかと思っています。 PS:全部くっついたポッキー笑えました、外国に行き日本のお菓子に出会えると何かのご縁と思って買ってしまうことあります。
@donsuke777
@donsuke777 Жыл бұрын
キリスト教では無いと思ってる日本人ですがかなり文化的に繋がってると思います
@user.jjjohnstone
@user.jjjohnstone Жыл бұрын
私には信仰心の欠片も無いのですが、好きな作曲家と聞かれれば、 躊躇いなく、バッハとブルックナーと答えます。とても信仰心の強かった 2人なので、私にも潜在的信仰心でもあるのでしょうかw バッハは大好きなのですが、こと宗教曲となると少々敷居が高く 聴くのを躊躇って来ました。ロ短調ミサ曲などは老後の楽しみに 取っておこうという感じでしようかw モーツァルトのラウダーテドミヌムは大好きな曲てす。
@user-op3ik2ns7u
@user-op3ik2ns7u Жыл бұрын
宗教曲という言葉もしりませんでした。私は絵画を見るために聖書を読みました。叔母が信仰のある人の歌はそのままで美しいと言っていました。音楽と信仰は別のものだと言っていました。音楽の心の声を聞き取るというのは新しいです。直訳するとチンプンカンプンなものがありますが、何故か聞いていると気持ちが通じる。心の声は必ずしも歌詞として表現されてないんですね。
@tomoyukifukushima5588
@tomoyukifukushima5588 Жыл бұрын
よく歌詞についてその言霊以上に解説をする人がいますが、嫌悪感がありました。音楽と信仰についても同じですよね。
@zettonz1
@zettonz1 Жыл бұрын
「信仰の壁」、「キリスト教」の壁に焦点を絞れば、日本人におけるこれらの問題について一番最初に鋭い考察というか、問題を明快に示したのは夏目漱石でしょうか。 キリスト教を軸として文明や芸術、文化を発展させてきた西洋の伝統と近代主義が日本に与える影響の問題です。 芥川龍之介の自殺の原因にも突き当たる問題ですが、最近、この問題に対して山本七平賞を受賞された新進気鋭の文芸批評家の浜崎洋介氏が、点を線で結ぶような評論をされていて非常に興味深かったです。 西洋はキリスト教と物質文明(科学主義)と ヒューマニズムが有機的につながっているので、これらが矛盾したり相反したりせず、神に似せられてつくられた人間を中心とした合理主義が自然と成り立つのですが、日本人はまったく違うので、ここにおいて西洋の文化の壁にぶち当たった時、日本人としての内的自己が引き裂かれる問題が生じるようです。礒山氏の「恐怖」もここと関係しているのではないでしょうか。 内村鑑三や新渡戸稲造はキリスト教に改宗してこれらの問題を乗り越えたかのように見えますが、逃げのようにも感じられます。 しかしこれらの問題を、クラシックに限らず、音楽の純粋性、「音楽そのものの力」は越えていくのかもしれません。ブルーハーツのボーカルの甲本ヒロト氏の洋楽の聴き方が、「音楽そのものの力」を「共感」するようなものだと解しました。英語の歌詞を理解できないことが幸いするんですね。 信仰が無ければ見えてこないものもあるやもしれませんが、しかしそれはむしろ共感する世界を狭めてしまうようにも思います。 信仰と聞くと日本人は一歩引いてしまいがちだと思いますが、祈る心と捉えれば、より深く広い世界が見えてくるのではないかと思いました。 「共感する力」と「想像力」は、スマホが当たり前の現代の子供達から急速に奪われていっているもので、これからますます芸術文化受難の時代となっていくと危惧しています。人工知能の問題もあり、芸術家の根本的な存在意義が問われているように思います。それは人間の存在意義と同義であり、メタバースと人間の共存は無理だと私は考えますが…。 スマートシティもごめん被りたいです。 ドイツのポッキーの値段は日本の2~3倍ですか。 海外から招聘する大編成のオーケストラの経費が1億円以上増えているそうです。 あるコンサートでは入場料を当初の1万2000~2万8000円から、1万5000~3万2000円に値上げしたとか。日本の経済的凋落、デフレによって、日本人が海外の一流の演奏に接する機会は激減していくことになりますが、しかし日本のオーケストラにとっては、これはチャンスなのでしょうか? 動画にオチがついていて面白かったです。ポッキー食べたくなりました。 失礼しました。
@momosuki8372
@momosuki8372 Жыл бұрын
理解できないかもしれないが、十二分に宗教音楽から喜びを受ける事は出来ます。
@user-rn2oh7fd8e
@user-rn2oh7fd8e Жыл бұрын
私は創価学会員ですが、クラシック、ロック、ジャズ、ブルース、カントリー、艶歌 等々何でも聴きます。バッハのマタイ受難曲もモーツァルトのレクイエムもフォーレのレクイエムもCDを持っています。でも、キリスト教に改宗しょうなんか思った事はありません。学会歌に勇気をもらった事もあれば、ヘンデルのラルゴに心を揺さぶられた事もあります。車田さんのお話を聞いて、本当にそうだなあと思いました。ドイツのオーケストラの話、すごく良かったです。以前、ケーゲル指揮ドレスデンフィルを聴きに行った事があるので、アアそうなのかと、勉強させられました。ありがとうございます。
@seikifujiwara4335
@seikifujiwara4335 Жыл бұрын
学会が毎年やっているベートーベン第9交響曲を、宗門の坊主からは外道礼賛だと言われたという事件を知っています。
@user-rn2oh7fd8e
@user-rn2oh7fd8e Жыл бұрын
@@seikifujiwara4335 そういう事があったのは知っています。はっきり云って心の狭い人達だなと思います。いいものはいい。只、それだけです。ツェッペリンを聴いて、第九で新年もありました。可笑しいかも知れませんけど。
@user-qi4bz7pk3t
@user-qi4bz7pk3t Жыл бұрын
ある坊主が自分は家宗は浄土真宗ですと言ったら「浄土真宗は地獄に落ちる」と言われたことがある❗ 音楽はもっと広いものがあると思います❗音楽は宗教を越えているとおもいます‼f(^_^;
@masayoyairo9150
@masayoyairo9150 Жыл бұрын
おまけに😂
@user-dc7hc8xs7b
@user-dc7hc8xs7b Жыл бұрын
かの、朝比奈隆さんが、著書にて、スイスとフランスの国境でブルックナーの交響曲第七番を演奏しようとした際に、楽屋に訪れた老紳士から、カトリック教徒でも、ないのに何故ブルックナーの交響曲を演奏するのかと議論をふっかけられたそうです。 しかし、CDにもなっている聖フロリアン教会の公演ではノヴァーク版の権威である、レオポールノヴァーク氏から大絶賛を受けました。 朝比奈さんは、ノヴァーク氏に、彼の版を使わなかった事について、詫びましたが、ノヴァーク氏は、そんな事は関係ない実に素晴らしい演奏だったと、朝比奈さんを褒め讃えました。 もちろん、好き嫌いは分かれるところ、ですが、信仰や宗教の知識にを参考にするのは大事かと思いますが、それに囚われ過ぎない方がよいと思います。
@Rain.-eh5ly
@Rain.-eh5ly 10 ай бұрын
マーティンスコセッシ 映画(最後の誘惑) 音楽も素晴らしいですよ。 遠藤周作(沈黙) 答えはこの辺にあるんじゃない🎉
@user-mq1mm7mr8k
@user-mq1mm7mr8k Жыл бұрын
いつも興味深い動画をありがとうございます。 そもそも、音楽とは勉強しないといけないものなんでしょうか。どなたか、感性だけで演奏している方はいらっしゃらないのでしょうか。
@yasukitokuhara4840
@yasukitokuhara4840 Жыл бұрын
クラッシック好きですが、今だにバッハの音楽好きになれない。
@HG-qj1us
@HG-qj1us Жыл бұрын
私の様な単にクラシックが好きというファンにとって、信仰について考えた事はありません。音楽研究家ではありませんし演奏を聴いて どう感じるかだけです。車田さんの考えに共感、納得しています。 ポッキーは残念でしたね。 ところで、話がこの動画の話題と全く違いますが、、故ジェシー・ノーマンさんの声に魅力を感じていますが、あの厚みのある声と、音域の 広さは他の歌手には無いように思えますが、あの体格だからでしょうか?
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