【ゆっくり解説 】エミシの謎!!ヤマトからの支配を拒んだ古代東北民族。

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古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

10 ай бұрын

「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願い致します。
yabaikodaishi@gmail.com

Пікірлер: 336
@rocoa6732
@rocoa6732 10 ай бұрын
大和朝廷からではなく、東北地方からみた歴史をちゃんと残していく必要性を感じました😉
@user-df6gm5jp7c
@user-df6gm5jp7c 10 ай бұрын
ところどころにアイヌの画像が出てきて誤解を与える
@makerunakinta6519
@makerunakinta6519 9 ай бұрын
蝦夷は縄文人の子孫で男がD1a2a系統、女がN9b系統が主流。縄文時代は北海道と東北は同じ文化圏だったために文化的にも民族的にも同一だった。だから東北縄文人のmtDNAは北海道から南下してきた北海道縄文人のN9bをメインに、九州から北上してきた本州縄文人のM7aが共通する。 本来のアイヌは男がC2b、女がYやAを主流としたツングース系。そのため成分分析をするとアイヌに一番近のがツングース系のネギダール、次に中国人、次にコリアン、次にオホーツク人、その後コリャーク、★本土日本人、ウリチ 間をおいて ★北海道縄文人、チュクチ、エスキモーの順になるという結果が出ている。 またアイヌには北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yがあるのが特徴で、これらはオホーツク文化人(メインが樺太の二ヴフとほんの一部のカムチャッカ人)と現代のシベリア先住民集団(ツングース民族)に見られます。 つまり、北海道縄文人の直接の子孫である擦文人と東北縄文人は共通性が強いが、13世紀にモンゴル帝国から逃げるようにやってきた少数民族のアイヌを擦文人と一緒くたにして【先住民のアイヌ】とみなしてしまっていることがそもそもの間違いだということ。 明治の初め頃には北海道には57000人程度の人口しかなかった。そしてその8~9割方はアイヌではなく擦文人であって、地名の由来などもアイヌ語ではなく25000年前から住んでいる文字をもたなかった縄文人の子孫の「擦文語ないしは縄文語が由来」がほとんどだと思われます。
@user-be4fh9sr7r
@user-be4fh9sr7r 7 ай бұрын
あまり詳しくは無いのですが、馬を使う蝦夷と使わないアイヌは似て非なる者達と言う認識です。 縄文人自体は樺太千島から沖縄までいたと思います。しかし北海道で縄文人はオホーツク人と出会い(侵攻)、道東あたりに定住したオホーツク人の末裔トビニタイ人と縄文人の混血が北海道アイヌだと思ってます。800年前の事。 アイヌは土器を持たない認識です。 縄文人もオホーツク人も擦文土器まで使ってたと思いますが混血で失う文化ではないと思っており、私はここが謎のままですね。 アイヌは鉄器や漆で和人と交換した物が主流。アイヌも初めの頃は土器製造してたのかなぁ。 蝦夷は普通に東北縄文人と和人の混血では無いのでしょうかね。見た目感じがアイヌに似てても言語が違ったようですしね。似るだけなら交流さえあれば可能ですし。蝦夷は日本語と特徴が似てる部分も有るようですがアイヌは日本語とは全く噛み合わないです。D1a2aが北海道縄文人からアイヌへ比較的濃く繋がり、弥生人から和人に至ってはD系統もあるが北海道縄文人にはほぼ無いO1b2とO2が混ざっており、その分蝦夷はD系統濃度が薄いのだと推測してます。 まだまだ点が繋がってないところが多いのですが蝦夷の認識はこんな感じなのでしょうか。謎が多い民族と思います。
@mariotakahashi915
@mariotakahashi915 7 ай бұрын
ぼくは18まで津軽の五所川原市飯詰という村に住んでいました。800年前はアイヌの部落と言われています。津軽弁にはアイヌ語がいろいろ入っていて子供のころ「チャペ=猫」「マギリ=ナイフ」「ケリ=靴」「オンコの実=イチイの実」などアイヌ語を普通に使っていました。隣の女の子は毛深くて眉毛がウイグル人のように繋がっていてアイヌの血がかなり濃いですね。ぼくもかなり毛深くてアイヌの血が混じっていると思われます。また村人は色白で目が大きくほとんどの人が二重瞼の美男美女です。現在は横浜市に住んでいますが結構一重まぶたの人が多いですね。またぼくの妹の瞳は薄い褐色かちょっとグリーンぽいですね。津軽に住んでいたアイヌは「渡り党」と呼ばれていたようで、明治維新後政府の調査で三厩にはアイヌ人100人以上住んでいたとか。時代とともに純粋なアイヌ人は日本人と混血していなくなるのでしょうねぇ、、
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
それ、毛深くて眉毛が云々は、縄文人の血を引いていたということじゃないかな? 顔の堀が深く、目は二重じゃなかったかな? むしろ、アイヌが縄文人の血もひいていると考えた方が適切じゃないか? 蝦夷も縄文人の子孫だろう。 それにしても、「800年前はアイヌの部落」だなんて、根拠はなんだろうか? 確かに、日本の歴史にアイヌが登場したのは平安時代から噛まl倉時代ごろの文献で、調停に供物を納めたり、朝廷から頼まれて大陸の商品を持ち込んだりしていたらしいから、通商の拠点にしていたのかもしれないな。
@coffeedranker3146
@coffeedranker3146 10 ай бұрын
奥州藤原氏から南部氏や千葉氏へ繋がり、今にでも末裔がたくさん活躍してるのもなかなか面白い。 九州の隼人も有力武家を生んで今でも活躍してるから、歴史って繋がってておもしろい
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
南部氏も千葉氏も、関東武士団の末裔だよ。 南部氏は甲斐源氏の一党だし、千葉市もおそらく源氏だろう。
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
24:06 間違い。弥生人が東北地方へ達したのではなく、弥生文化が東北地方まで伝播した。 事実、岩手県で見つかった弥生人の人骨のDNAは縄文人と全く同じものだった。
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e 10 ай бұрын
DNAでしない事ぬ(´-ω-)ウムソレやったら抜け作としか良い様が無いぬ(´-ω-)ウム男性の染色体と女性のDNAと土器と墳墓からぬ(´-ω-)ウムじゃなくても?発掘物なんだがな(´-ω-)ウムDNAでやるナよ٩( 🔥ω🔥 )و
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
青森、岩手、秋田あたりの弥生集落は少なく、周囲が縄文集落ばかりの中に少し弥生集落が点在するカンジ。俺の地区で弥生文化と言ったら、海岸部に少しある程度。そもそも、双方の文化で住む場所が違っているから、あまり競合しなかったんじゃないのか?
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 9 ай бұрын
@@TIshida360 無理があるww
@TIshida360
@TIshida360 9 ай бұрын
@@taiyonoboru1192 そうですか?ぜひ根拠をどうぞ。
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 9 ай бұрын
@@TIshida360 自分が説明してることに矛盾があることにすら気づいてないwww
@taka586
@taka586 6 ай бұрын
昔の大河ドラマに、炎(ほむら)立つという、蝦夷を描いたのがあった。確か、東北新幹線開業記念だったと記憶してるけど。
@takashihirano793
@takashihirano793 10 ай бұрын
蝦夷は縄文人の一部で千島樺太から南下したアイヌとは全く違う民族でしょう。
@user-iy6qe5rl9y
@user-iy6qe5rl9y 7 ай бұрын
歴史大好き人間です。NHKの番組で「フロンティア・日本人とは何者なのか」という興味部外番組がありましたよ。
@user-nv6qs3ib4z
@user-nv6qs3ib4z 10 ай бұрын
山形県の鶴岡市に地名として「日本国」と二ヶ所名前が付く所があり、当時550~650年前後なんですが、その場所が蝦夷との国境だったそうです。今でも日本国にある工場に大きく「ここは日本国」と記載されておりますよ。
@user-ud3rj2te8h
@user-ud3rj2te8h 10 ай бұрын
おうオレの家の近所の話は恥ずかしいからやめろや
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
私のルーツが羽黒山近辺でそこから下ったところに蝦夷の砦跡の史跡が残っています。私は蝦夷系の人々が地中海近辺の部族が日本に流れてきて住み着いた人々だと考えています。言語的には、アラム語の方言や印欧語のトカラBという研究もあります。ちなみに父は、ロシア人やイラン人などにそっくりでした .
@user-vd7uo8js6s
@user-vd7uo8js6s 10 ай бұрын
@@user-he9mk9gr9f ロシア人とイラン人は別物  まぁ君の言うロシア人がアジア系ロシア人なら分かるが、 白系ロシア人とイラン人は似ても似つかない
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
@@user-vd7uo8js6s ご指摘一理あると思います。 私のロシア人の友達に言わせると ロシア兵そのものらしい。
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
もちろん金髪系以外の。
@mikatuhiko
@mikatuhiko 9 ай бұрын
知り合いの女性が、てっきり沖縄県の人だと思っていたら・・・ 青森県の人でした。 アイヌの男系Y染色体D 1a2aが85%なら、縄文人に近いよね。 樺太アイヌやニブヒは、モンゴル系の顔ですよね。 確かに文化的には、オホーツクやシベリアと同じですね。 口にくわえてビョーンと鳴らす、ムックリは、ユーラシア大陸のウクライナに近い方まで有ります。 着物の紋様は、シベリアの少数民族と同じです。 学者もバカだから、当てにならない所も有りますからね。
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
出雲口伝が大きなヒントになるかも。それにフランス、スイス等に残る「聖ニコラウス祭」に日本のなまはげと似たような風習があり、東北ズーズー弁がフランス語のニュアンスに近いは、フランスでも認識されているようです。
@JJemad
@JJemad 10 ай бұрын
蝦夷は縄文文化を色濃く残していた関東以北の和人の方達で、医学的に分類するのは難しそうです。その和人と蒙古に押され北海道に移動してきたロシア北方民族との混交がアイヌだったはず。日本語の古語や関東、東北地方の訛りや固有名詞、風習のいくつかはアイヌ文化にも受け継がれていると思います。
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
和人はアイヌと対をなす用語だから、アイヌ文化成立以前に存在した蝦夷に対して使うのは適当ではない。 現代のイタリア人のことをローマ人と呼ぶようなもの。
@JJemad
@JJemad 10 ай бұрын
DNA調査されていますし、北海道でも縄文人の骨、見つかってますよ。
@ndsttube
@ndsttube 10 ай бұрын
現在の課題は北方領土に住んでいる民族もヤマト化
@user-vd7uo8js6s
@user-vd7uo8js6s 10 ай бұрын
@@1honshitsuka同化政策で無理やり日本人に組み込んだ 中国のチベット族やウイグル族と同じだ
@user-gn4fy8kz6y
@user-gn4fy8kz6y 10 ай бұрын
強盗のスラブ人とは違う
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v 10 ай бұрын
①シモ・ヘイヘが少年の頃から猟銃を使っていたように、蝦夷は生活で狩猟をしていたので、農業主体の大和民族に比べたら、神レベルで弓が上手だったのだろうね。農作業に比べて急峻な山岳地帯を駆け回ることも生活のためでしょうね。 ②蝦夷は、大和朝廷に絡めとられた出雲のような大国ではない小国の旧和人(諏訪大社、大宮氷川神社周辺などに住まい、群馬を毛の国とか呼んでた人々)で、アイヌ達とは対立又は協力しつつ、村落で暮らしていた。関東でも大和朝廷に組した勢力は古墳を築き中央に服従する一方で、支配されるのを拒んで自治を選び、北方へと移住(もともと縄文時代に住んでいた土地に文明を携えて戻る)した旧和人が蝦夷なんだろうなと。現代のアイヌは旧和人や大和をも忌諱して(押し上げられて)交わらず北方文化に帰った者達かと。
@uA-gy8wk
@uA-gy8wk 10 ай бұрын
サントリーの元会長に熊襲呼ばわりされてたな
@akikawa2540
@akikawa2540 10 ай бұрын
14:46 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の画像が使われていますが、この動画の趣旨との関係性について説明が無いのは残念ですね。
@user-tf5up1rq2k
@user-tf5up1rq2k 10 ай бұрын
蝦夷系の話しになると蝦夷(毛人)と縄文人とアイヌをごちゃまぜにしてるよな。 遺伝的には蝦夷もアイヌも縄文系の血筋だけど、アイヌは13世紀に北海道に流入したオホーツク文化の人々と縄文系が混血した人たちだし、 大和民族にも縄文系のY染色体は3割から4割に及ぶから、蝦夷と大和民族の違いってその縄文DNAの濃淡でしかない。 あれだけ蝦夷と交流してきた大和朝廷側に、蝦夷の言語に関する記録が残されていないのも大和民族と蝦夷が別民族、つまり言語が通じないのならおかしい。 普通、漢文とおなじで、言葉が通じない者同士が交流していくならその国の言語を記録するはずなんだよ。 でも記録しなかったのは、両者の言語に大きな違いが無くて記録する必要がなかったからだろうね。 農業と狩猟文化の違いや、遺伝子の濃淡の違いから体毛や体形などに多少の違いはあれど、そもそも大和民族が弥生人と縄文人の混血種だから、 蝦夷と大和民族が別民族だと断言は出来なさそう。蝦夷と近い関東の人々も古墳時代は俘囚になったけど、彼らは上代東国語を話していたし、 大和民族と蝦夷の違いは朝廷に服属していたかどうか、政治的なカテゴリーでしかない。
@user-akukichi626
@user-akukichi626 10 ай бұрын
素晴らしい。卓見ですね。 至って合理的で論理的な考察だと思います。
@ken-lu4oe
@ken-lu4oe 10 ай бұрын
意見を書こうか悩んでたら全く同意見の人がいた 蝦夷・土蜘蛛はより古い時代にいた血統・文化的に縄文色が強めの大和朝廷へ不服従だった日本人で アイヌは鎌倉時代以降に登場する縄文人の血を引いた北海道の民族で蝦夷と完全に同一には扱えない 北海道では蝦夷の他に粛慎がいた事が記されているので 粛慎が外から来たオホーツク人で北海道の縄文系住民と同化して誕生したのがアイヌなのかもしれません
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 10 ай бұрын
異民族なら、服属した後も蝦夷呼びのはずだねwあと、阿倍比羅夫が北海道まで粛慎を討伐してるのはあまり重視されないのかな
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
オホーツク文化は海岸線沿いに移動する攻撃的な民族。まあ、アイヌは母系社会でどんどん混血OK的なトコあるから(村に男が入って子が生まれれば村で育てる)自然に混じっていったんだろ。あまりに早期に北海道に進出した日本人の砂金採りは、寒さに対抗できず、アイヌ人に逆同化した人たちもいるらしい。 でも、民族っていうのは血縁的なものももちろんあるが、それよりは文化的要素が大きいからなあ。それに、オホーツク文化人(ギリヤーク人)はそんなにアイヌに混じっていないのでは? ちなみに、オホーツク文化人は佐渡ヶ島まで進出している。
@ATI_PC
@ATI_PC 10 ай бұрын
@@ken-lu4oe 粛慎自体が中国史では紀元前の北方騎馬系民族の一つでしかなく、12~3世紀のオホーツク以北とアイヌとの混血を考えると、時代差がありすぎる。 この点も日本書紀が対外的に歴史をそれだけ大陸と同じだけ古い物、威信を高めようとした跡と言える。(有り体に言えば歴史を盛った事に。) 逆に言うと、それだけ民族の差など曖昧で、文化の差異でしか当時は見ていなかった訳ですからね。。
@user-qp2ve9cu4f
@user-qp2ve9cu4f 10 ай бұрын
アイヌや縄文人には騎馬文化はないので、生粋の縄文人かは疑問。 ただ、阿弖流為の勇敢さには惹かれる!
@user-zk4ge6ri2g
@user-zk4ge6ri2g 10 ай бұрын
宣教師ジェロニモ・デ・アンジェリス記した「北方探検記」にはアイヌ人は 騎射の達人であると記しているのでアイヌ人には騎馬文化はがっつりあります
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
ネイティブアメリカンには元々騎馬文化は無かったが、西部劇とか見るとかなり乗りこなしている。学習したんじゃないのか?
@ATI_PC
@ATI_PC 10 ай бұрын
そもそも、牛馬は4~5世紀に大陸から交易で渡ってきたので、騎馬文化は古墳時代以降、大陸側がきな臭い状況で対応した後付の物。 阿弖流為の蕨手刀系統の話とは分けて考えないと。。
@taka_9450
@taka_9450 10 ай бұрын
古代史の連続性で考えたとき、蝦夷が何か特別な人種、部族だと考えるのはどうなのかと思います 大和朝廷の成立期には九州南部に隼人、熊襲がいました それなら、蝦夷が縄文時代の生活、風習に従っていた日本人と言うことになります 隼人も熊襲も異民族ではないので当然でしょう
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 9 ай бұрын
樺太からつながってるとかいうのプーチンに勘違いしてとられると取りに来るかもwww
@RT-qm1tx
@RT-qm1tx 10 ай бұрын
この手の話は陰謀論者が湧きやすい
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e 10 ай бұрын
その通り‼️先ず!アイヌ自体が眉唾物だからな(´-ω-)ウムあんな奴等十世紀くらいの新しい奴等ぬ(´-ω-)ウム我々はそれ以前からの種族だからな(´-ω-)ウム初期からの祖先達は21万年前かららしいぬ(´-ω-)ウム
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e
@desu-Love-God-peace-fo9bj4pu3e 10 ай бұрын
先ず!アイヌ言う奴等はカットしなきゃならんぬ✂️奴等侵略者だからな(´-ω-)ウム我々の方がもっと古いぬ(´-ω-)ウム
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
思考をする人を陰謀論者という人は理解できない。陰謀論というのは、CIAが人々に思考をさせないように、或いは自分たちのした裏仕事がバレないように真実を唱える方を無知な洗脳されやすい層と分離するためにレッテルを貼るための言葉にすぎない。
@user-sd3oz1vm7q
@user-sd3oz1vm7q 10 ай бұрын
うじ虫みたいにうじゃうじゃと...
@YMD260
@YMD260 10 ай бұрын
前方後円墳は関東以北の方が多く古いと聞いた事がありますが…
@asa01053
@asa01053 Ай бұрын
それはユダヤ人の技術
@user-dr6kr3oj6s
@user-dr6kr3oj6s 10 ай бұрын
蝦夷(えみし)はアイヌを含めた大和朝廷に従わなかった民族すべての総称ではないかな だから、時代とともにその構成民族は異なっていると思う 坂東夷のエビスもえみしの音韻変化だと思う 中国化した民族を漢民族とした、ある意味中国の漢民族の逆バージョン
@mondepa9819
@mondepa9819 10 ай бұрын
中国化した漢民族ってどういうこと?
@user-dr6kr3oj6s
@user-dr6kr3oj6s 10 ай бұрын
@@mondepa9819 「中国化した民族を漢民族とした」ですね 中国大陸には漢民族以外にもたくさん民族がいて、覇を競っていたが、他の民族も少しづつ漢民族の文化を受け入れ漢民族となってきたということ 本の漢民族は中原(黄河流域の中部、下流域)にいたのでしょう 秦王朝を開いた秦も隋や唐も混血か文化を受け入れた異民族の国でしょう 中国の歴史を読めばわかりますが、古代から中国は異民族や中国の文化を受け入れていないものたちに取り囲まれており、そういうものたちとの戦争の歴史です 今も言語で民族形成の影響と言えるものが残っています 中国語と一くくりにしますが、中国語は数種の言語といくつかの方言に別れるようです
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
アイヌは北海道で北海道はえぞ。東北のえみしとは関係ない。北海道のアイヌの遺跡文化は東北には一切ない。
@KARAMAZOV_3
@KARAMAZOV_3 10 ай бұрын
@@mondepa9819 漢民族以外の他民族勢力が中華文明に触れてこれまでの文化から中華を受け入れて漢人と同化していく事、 中国ではよくある事
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
@@user-bh9dn3tg9v 事実をしっかり把握することが必須ですよ
@ootayuji7318
@ootayuji7318 10 ай бұрын
HTLV-1というウィルスがあります 地域は九州沖縄そして北海道 なぜ日本の北と遠く離れた南の地域にキャリアの人が多いのか謎です このウィルスは近年日本人研究者が発見しました
@to5148
@to5148 10 ай бұрын
北海道多いって初耳です。最近発見されたウィルスでもないし、どこで情報を得られたのですか?もう昭和ではありませんよ?
@ootayuji7318
@ootayuji7318 10 ай бұрын
@@to5148 北海道に多いというのは現場の血液内科の医師に聞いたものです 私はそのキャリアで現在抗がん剤治療をしています 近年と表すには幅が広すぎましたね 昭和じゃなく令和でしたね失礼しました
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
四国・近畿が渡来系が多かった。キャリアは縄文系だったってことでしょう。以前からそういわれていますし。 2020年くらいに新しいヒトゲノムデータが出てました。研究内容 | 東京大学大学院理学系研究科ヒトゲノム多様性研究室 このデータがキャリアのものとだいたい一致してると記憶していましたが、今キャリアのデータ探しましたが確認できませんでした。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
だから、縄文人に特有な遺伝形質だから、縄文人の遺伝形質が強く残っている地域に多いのではないかと、動画でも言っているよなあ。 北海道では、アイヌやアイヌの血縁者に限ってのことだよなあ。
@user-ez7xs8lv9r
@user-ez7xs8lv9r 10 ай бұрын
新潟県の妙高市と上越市に美守と言う地名がある。蝦夷と関連有ると言われて居る。恐らく3〜4世紀位の話しかと思われる。
@peyonn112
@peyonn112 10 ай бұрын
先日、青森県の鰺ヶ沢に行ってきたけど、地元の人の言葉と町(というより村)の雰囲気を肌で感じて、これは蝦夷だと思いました
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
あの辺りだったら田圃も少く、エゾと日本人の混血が多数だと推測出来そう!
@reyesdelavega3105
@reyesdelavega3105 10 ай бұрын
いやいや、がっつり和人だから。ただし、アイヌ語が青森弁にかなりの影響受けてるのは確か。アイヌ語の単語多いし。津軽弁のイントネーションもアイヌからでしょう。大和のアクセントからだいぶ離れている(日本語らしくない)。当時よっぽどアイヌと和人が混在してたんだなと思います。
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
@@reyesdelavega3105 その様な状況ですか! でも、私のオンナ友だちは、長め顔の青森県産美人です✨ 東北線で南下すると顔が短くなります。また…東北弁は クレオール・ピジンだとの研究がありました!
@NN-he8uc
@NN-he8uc 10 ай бұрын
いや全国的に見れば倭人の遺伝子成分は少ないでしょうね、なぜなら下戸が少ないからです 下戸遺伝子は渡来ないし弥生の由来ですから西日本に多く存在しますしかし関東より北上すると酒豪が多い事から彼らは縄文人即ち蝦夷の遺伝を色濃く残すと言えるでしょう。@@reyesdelavega3105
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 10 ай бұрын
逆だと思うよ。アイヌは本州にいないかったし。@@reyesdelavega3105
@yuki11161
@yuki11161 10 ай бұрын
もののけ姫のアシタカの居た所のイメージ
@user-bi9yo8yj9g
@user-bi9yo8yj9g 10 ай бұрын
エミシとクマソは興味深い
@kghr_9001
@kghr_9001 10 ай бұрын
Wikipediaの記事そのままじゃないですか😢
@THE.Everestlist
@THE.Everestlist 10 ай бұрын
むかし、蝦夷と朝廷の戦いを描いた昔のカラー映画で、何故かアイヌ衣装を着た外タレが混ざっていたなあ、しかも西洋甲冑を着た人がいた
@nyo1634
@nyo1634 10 ай бұрын
もののけ姫のアシタカか
@user-vy4ug8ru4c
@user-vy4ug8ru4c 10 ай бұрын
【縄文文化圏】と【弥生文化圏】の抗争は結局、【弥生文化圏】が 【縄文文化圏】を包み込む形で日本の歴史は進んだんですよね!
@Pescarolo789
@Pescarolo789 9 ай бұрын
複合 単一の民族のみで形成されてるなんてことはない。
@user-pr9wb2pk7e
@user-pr9wb2pk7e 10 ай бұрын
奥州藤原氏はやはりあの藤原氏で奥州から朝庭へ陸奥の産物贈物が送られその目録と送り主名が記された木簡がいくつか現存してるけどね。此方でもアイヌの写真を使って印象操作してるようだが蝦夷とアイヌは別種だよ。蝦夷は関東のみならず畿内にも居た大阪泉州の「和泉/泉」は「夷/い」の住むところ説が有力。また、「泉/いずみ」古地名は全国各地にあるしその割に祀ろわぬ民を征討したと言う事実は余りに少なく、征伐されたのは余りに狼藉の過ぎた特殊な部族だったのでは?との指摘もある。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
東北地方の蝦夷多胎のうち、罪を犯したり、ちょうていの役所に大挙して逆らったりした連中は、捕まった後、地域で英雄扱いされないように、遠隔地に移住させたそうだ。 だから、近くは関東の草深い未開の地に、遠くは、西国へ移住させられたという。 徒歩で移動させられたのだから、何日も歩かされたんだろうなあ。
@user-fw1rd1zd1o
@user-fw1rd1zd1o 10 ай бұрын
前九年の役(ぜんくねんのえき)、後三年の役(ごさんねんのえき) 現在の天皇陛下もY染色体はYAP配列を含み、縄文人の直系の子孫である点で蝦夷と共通であることを忘れちゃだめです。
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
大体、三種の神器は鏡、剣、勾玉でそのうち勾玉は縄文人の文化そのものだからな。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
天皇は、大陸から渡って戻ってきたら、縄文人を駆逐したことは確か。
@minilove4321
@minilove4321 9 ай бұрын
なんで天皇陛下の遺伝子知ってるのさ笑妄想も大概にしろ
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 9 ай бұрын
wwwwwwww
@14masutops20
@14masutops20 9 ай бұрын
蝦夷とアイヌを同じだと話す人が居ますが、北海道では鎌倉時代以前から住んで居たのが蝦夷で鎌倉時代にアムール側流域から逃げて来たのがアイヌです。 その後に、蝦夷の末裔を滅ぼして定住したのが彼等です。 この事を正確に伝えてくれる動画は貴重です。 本当に有難う御座います。
@user-pf4ip9rm9g
@user-pf4ip9rm9g 9 ай бұрын
滅ぼしたのではなく、同化したのでしょう。でなければ、縄文人に一番近いのが、アイヌの説明にならない。
@user-tx2ly5iv8n
@user-tx2ly5iv8n 8 ай бұрын
「アイヌが鎌倉時代に渡って来た」と言う説はデマですよ 文化が渡って来ただけで、住んでる人々は変わってません
@punpun804
@punpun804 6 ай бұрын
同化ではないと思います。アイヌは土器を作れません。@@user-pf4ip9rm9g
@morikumiR
@morikumiR 10 ай бұрын
教科書で教える事ってかなり飛び飛びなんだな
@user-ww9sx3op8y
@user-ww9sx3op8y 10 ай бұрын
朝廷のミニ中華思想で不当な評価を受けてしまったが、東北に半独立国家があったことは間違いない!
@ZX9R_YUMETAMA
@ZX9R_YUMETAMA 10 ай бұрын
東北には朝廷があったとムーで特集を組まれていましたね!
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 10 ай бұрын
ないです。ちょぼちょぼ人間が住んでいただけ。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
熊本にも勢力が存在して、熊襲とか呼ばれたりしてました。地方政権があったんでしょうね。
@user-pn7mz4tc3z
@user-pn7mz4tc3z 10 ай бұрын
アイヌがモンゴルに攻撃され、北海道にのがれたことは文献にも残ってるよ
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
アイヌじゃなくて、ツングース系の北方遊牧民族じゃないか?
@daishiyokota-ok2ru
@daishiyokota-ok2ru 8 ай бұрын
読み方に間違いがあります 日高見國は、 ひだかみこく😁
@enuringo
@enuringo 10 ай бұрын
あーあのるろうに剣心のラスボスの!
@koy1441
@koy1441 10 ай бұрын
もののけ姫のアシタカの住んでた村が東北地方で蝦夷らしい
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
もののけって、物部を意識してそうつけたのかな、宮崎先生?
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
もののけ姫って、物の怪と物部をかけたのか?
@koy1441
@koy1441 10 ай бұрын
@@user-mz8fg1st3p そういえばもののけって幽霊とか妖怪とかいう意味で山犬とはイメージが違う。作中のこだまはもののけって感じだけど、サンとは同じ自然、野生側とはいえそんなにつながりがない。なにか意味ありそうですね。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
@@koy1441 男の子(キャラ名忘却)の方は物の怪に取り憑かれていたと思ったけどね。このアニメについては、最初かは最後まで見たこと無いから、今度見てみよう。
@user-mz8fg1st3p
@user-mz8fg1st3p 10 ай бұрын
93年度大河ドラマの炎立つ第一部あたりがよく、描かれてますね。第二部あたりは、平安化してしまい、藤原氏と変わりなくなってしまいますが。
@user-fr4ft5wl7n
@user-fr4ft5wl7n 9 ай бұрын
蝦夷はロシア北海道より南下してきた集団が三内丸山遺跡に代表される東北地方に土着して夏は狩猟採集冬は家の中に籠って暮らしてきた独自の文明文化を持つ集団だったのではないでしょうか
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
出雲口伝が大きなヒントになるかも。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
冬はこもって? 三内丸山遺跡の時代は、まだ青森は冬も暖かい地域だったと考えられているんだが。
@user-kk8rw3qm4m
@user-kk8rw3qm4m 10 ай бұрын
毛人というのが毛が濃い人だとしたら、縄文人のDNAを強く引く人々の特徴を表していたのかもなぁ、なんて想像すると面白いですね。弥生人からしたら体毛の濃さは特徴的に映ったのかも。
@user-ci3zi4vp3e
@user-ci3zi4vp3e 10 ай бұрын
新編常陸国誌によると明治になってもいまだ常陸国に蝦夷読みはえみすがいたことが書かれています
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
茨城の貧しい漁村出身のデヴィ夫人はもしかすると子孫かもしれない。
@user-pr9wb2pk7e
@user-pr9wb2pk7e 10 ай бұрын
茨城県は、古来より祀ろわぬ民の代表みたいに言われる蝦夷、土蜘蛛、俘囚、佐伯部と関係が深い地のようですね。大和奈良における土蜘蛛の拠点の一つ葛城山を本宮にする立派な一言主神社が常陸市?に鎮座されてるのも好奇心をそそられます。
@user-ci3zi4vp3e
@user-ci3zi4vp3e 10 ай бұрын
どこに蝦夷がいたか知りたいですか
@user-pr9wb2pk7e
@user-pr9wb2pk7e 10 ай бұрын
@@user-ci3zi4vp3e 茨城県内のどこにって事ですか?
@user-ci3zi4vp3e
@user-ci3zi4vp3e 10 ай бұрын
そうです
@morikumiR
@morikumiR 10 ай бұрын
当時地図は出来てたの?測量的なのあったのかな
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
蝦夷って、古代出雲族系の血筋でしょう。「会津」の地名の語源がヒントになるかも。
@sumeramikoto100
@sumeramikoto100 10 ай бұрын
日本書記によると、 蝦夷って馬に乗った騎馬民族で、攻めては逃げてを繰り返す戦法といい、モンゴル系渡来人だった可能性が高い。 秋田でも渤海の剣など、遺品が沢山見つかってるからね。 東北が自称縄文人ってのも無理がある。
@user-tj6pp9rv5o
@user-tj6pp9rv5o 10 ай бұрын
なんで大陸から離れてる東北にわざわざモンゴル系渡来人が来るんだよ、 それなら東北じゃなくて九州とか西日本の方でしょ、 東北に住んでたのは縄文人で合ってる。
@user-rg9tw6fu3m
@user-rg9tw6fu3m 9 ай бұрын
いや、秋田城に渤海から使者が来てる記録はあるんよ。
@sumeramikoto100
@sumeramikoto100 9 ай бұрын
何故大陸から離れてる秋田に渤海の使者が来るんかな??
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
まあ、日本書紀は渡来系の藤原一族が中心に編纂されているとも。出雲口伝が大きなヒントになるかも。そして「会津」の地名の語源も。あの第二出雲王朝と言われている、諏訪大社、三島大社、鹿島神宮等も出雲族系の血筋が造営とも。
@user-xm6kb4pz2p
@user-xm6kb4pz2p 10 ай бұрын
そうなの
@user-zs5kw8sy5e
@user-zs5kw8sy5e 10 ай бұрын
蝦夷 エミシ と言いますが ただ北関東や東北地方の田舎に住んでいた日本人なんですが?
@user-zm2yn3nt4q
@user-zm2yn3nt4q 10 ай бұрын
金と暇があったら、阿弖流為を追いかけたい
@ryoco-hu6ux
@ryoco-hu6ux 10 ай бұрын
是非お願いしたいです❣️
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 10 ай бұрын
やってみー?(やってみろとは言ってない)
@noel8446
@noel8446 10 ай бұрын
そういえば 蘇我「蝦夷」ってなんで蝦夷と呼ばれてたんだろう(´・ω・`)
@tatamizechevalier8512
@tatamizechevalier8512 10 ай бұрын
小生としては日本書紀というのは、蘇我氏を悪者として印象付けようとはしているが、露骨な嘘は書いていないと考えている。 その前提で想像するに、蘇我蝦夷は武芸に秀でていたのではないかと思う。 並び立つものがいないくらい強かったから、畏敬の意味で「蝦夷」かそれに類する言葉で呼ばれていたのでないかと思う。 現代の感覚でいうと、蘇我・ザ・バーバリアンという感じかな。
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
金田一先生は反対しているけど、動画にもあった自称カイ説が正しいと思う。カイを漢字で書いて蝦夷ね。 喜田貞吉や松浦武四郎もそう言っているしな。
@ATI_PC
@ATI_PC 10 ай бұрын
@@1honshitsuka 80年代梅原猛の俗説が尾を引いているようですが、あれは否定要素が強いことでも有名ですよ。。
@user-he9mk9gr9f
@user-he9mk9gr9f 10 ай бұрын
日本書紀編纂(720)後、改ざんの跡があったのですが、その時期は、7~8世紀編纂の最中や、他にも、門脇説では、その後ちょうど蝦夷対策が急務になった時期があり、その時期と重なったのか、悪役の名前に蔑称をつけました。蘇我入(鹿、馬)子、蘇我とは関係ないですが、蛆の貝蛸等、その日本書紀広く読まれるようになったのはかなり後世なので、かなり、改ざんの跡があります。藤氏家伝を書かれた頃ですね。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
今となっては、公文書に書かれた蔑称(悪口)なのかもしれない。 「高橋某(なにがし)」とか、「佐藤のごろつき」のように・・・ 学者たちは、誰もこんな発想は持たないんだろうが、「蝦夷」は確かに蔑称なんだよなあ。
@gorinbasi
@gorinbasi Ай бұрын
たまに「本州に残るアイヌ語由来の土地名」って解説を見かけるけど、アイヌ人のアイヌ民族史研究家の話では、複数存在が確認されているアイヌ部族間でも言葉が通じず共通言語など無かった事からも、現在一般に「アイヌ語」とされている様な「共通アイヌ語」なんて存在していなかったそうですよ、縄文人との混血と言う共通のルーツを持つことからも古い地名も「アイヌ語由来」ではなく「縄文言葉由来」との認識が最も合理的との事です。
@shiranui2
@shiranui2 5 ай бұрын
17:52 おいおい高宗が違うやろー!
@user-fl7jj3we8h
@user-fl7jj3we8h 10 ай бұрын
蝦夷って縄文人じゃないの。北東北と南北海道には、縄文遺跡の数が多い。北海道には弥生時代が無く、続縄文時代となる。アイヌが入ってきたのは13世紀だから、限りなく縄文人の末裔っぽいね。
@user-lz9nw6li5p
@user-lz9nw6li5p 10 ай бұрын
くまそ 蝦夷 両方の血を引く 俺様は 穏やかな心を持ち 激しい怒りを持って覚醒するのか
@user-sv4db8zq1m
@user-sv4db8zq1m 10 ай бұрын
縄文人は戦闘をしなかったんだから、その血が濃い末裔は身体能力は高くても戦士としてはイマイチだったのかもしれませんね。
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
巣伏の戦いで検索
@meow-rv7ih
@meow-rv7ih 10 ай бұрын
アシタカ?
@S_McQueen
@S_McQueen 10 ай бұрын
アシタカだね。
@satosin2660
@satosin2660 10 ай бұрын
動画内にもあったが、蝦夷の読みの一つに『えびす』がある。 『えびす』は『あづまえびす』のように野蛮人の意味として使われるほかに、七福神の一柱『えびすさま』として知られる商売や漁業の神の名称でもある。 これは偶然ではないだろう。 蝦夷の特徴の一つに刺青(彫り物)があるが、海洋民族が刺青を入れるのは洋の東西を問わない習慣である。 つまり『蝦夷(えびす)』も『蛭子(えびす)』も共に海洋民族としての特徴を持ち合わせていると言える。 さらに言うと『蛭子(えびす)』と同一視される『蛭子(ヒルコ)』がアマテラスに先んじて産まれ、海に流された事、『海幸山幸』では兄、つまり先にいた者である海幸を、弟、つまり後から来た者である山幸が従ており、その山幸が天皇家の直接の先祖となった事などから、 『海洋民族の特徴を持つ縄文人を、異なる文化的バックボーンを持つ弥生人が従えた。大和朝廷はこの弥生人の系統である』と言える。 このように、蝦夷を考察する際は、蝦夷と『えびすさま』の関係をもっと重視すべきだと私は考える。
@user-yq2we8st2d
@user-yq2we8st2d 8 ай бұрын
大魔人かと思った(笑)
@user-ud3rj2te8h
@user-ud3rj2te8h 10 ай бұрын
宮城県の鳴子に鬼首(おにこうべ)って場所があって、そこで鬼をやっつけたらしいよ
@user-jd7gb2xt5h
@user-jd7gb2xt5h 10 ай бұрын
アテルイとモレだろ
@No1eagle
@No1eagle 2 ай бұрын
蝦夷に関連するドラマが少ないのが不思議である。
@user-fy9fs1kf4o
@user-fy9fs1kf4o 10 ай бұрын
大谷翔平は蝦夷か
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
平泉にゆかりある源義経の八艘飛びのイメージから「翔」と平泉の「平」を合わせて父親が「翔平」と命名したそうです。
@hanahana5369
@hanahana5369 10 ай бұрын
アテルイ生誕の地の近くに大谷翔平が子供のころ住んでいましたね
@user-vd7uo8js6s
@user-vd7uo8js6s 10 ай бұрын
確かに日本人離れした身体をしてる
@user-lb5zc2gz3f
@user-lb5zc2gz3f 10 ай бұрын
関東以西に移配された蝦夷を200年近くたって奥州に戻すなど無理。朝廷で一度帰還の発議 があったとの記録はあるが、実行された事実は無い。朝廷の衰微とともに以後移配蝦夷は被差別部落民として生きていかざるを得なかった。東北地方に同和地区が見当たらないことがその証左といえる。
@user-pf5pv2is9r
@user-pf5pv2is9r Ай бұрын
蝦夷と縄文人はトラブルなかったのかな? 近くに毛塚という地名がある。 この辺、坂上田村麿呂が わざわざやってきて殺戮を行ったとされる。 よって、毛人を埋めた墓の地という意なのだろうか。 隣の自治体は日高市。 まだ日高見国だった地 幸手 福生 越辺 さって、ふっさ、おっぺ 「っ」 アイヌ系とされる地に入っている。 越生、名細 、猿田 たぶん読めない人が多い地名もアイヌ起源とされている
@t25009235
@t25009235 10 ай бұрын
😮
@user-he7ys8pf5k
@user-he7ys8pf5k 10 ай бұрын
インディアンだと思う。
@user-we6pm9ms7b
@user-we6pm9ms7b 10 ай бұрын
勿来
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
9:18 アイヌの海外呼称なのにえみしにすり替えるな。
@kazuomoriya348
@kazuomoriya348 10 ай бұрын
エミシと縄文人は全く違う。縄文人は馬には乗らない。エミシは渡来人だろう。
@user-tj6pp9rv5o
@user-tj6pp9rv5o 10 ай бұрын
単純に縄文人が住んでた東北に馬が広がってその結果蝦夷になっただけでは?。 蝦夷は渡来人と違って縄文人みたいに毛が濃くて入れ墨をしてたらしいし。
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
下手な学者よりも、出雲口伝が大きなヒントになるかも。
@kazuomoriya348
@kazuomoriya348 8 ай бұрын
エミシは血を飲んでいたと歴史書にある。これはワインである。エミシは馬に乗って弓を使った。これはパルティアンショット、ペルシャ人的である。
@yukkuri_channel
@yukkuri_channel 10 ай бұрын
@colon0311
@colon0311 7 ай бұрын
実際アイヌ人を「蝦夷」と呼んでいました。アイヌ人は蝦夷と呼ばれることを嫌うそうです。江戸初期房総半島を追われたアイヌが茨城を北上していきましたががこの頃確かに蝦夷と呼んでいました。房総半島に『夷隅」(いすみ)という地名がありますが、蝦夷エゾ=蝦夷(えみし)同じ意味でした。アイヌ人が住んでいました。
@colon0311
@colon0311 7 ай бұрын
室町時代後期横須賀市に鴨居という地名があります。この鴨居の語源はアイヌの神「カムイ」です。鎌倉時代にアイヌが出た何でガセネタもいいところです。室町時代に横須賀に居たアイヌが対面の房総半島に追い出されて房総半島の開拓をさせられました。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
アイヌ人が関東まで南下して住んでいたというのは大きな間違いだ。 蝦夷が関東以北に広く住んでいたが、大和朝廷に徐々に同化吸収されていき、北海道似た蝦夷が北方民族の侵略を受け、多数の近kr辻が生まれたためにできたのがアイヌ民族だという考え方が適切だ。 独特の地名も、蝦夷がつけた地名が、死ぬに引き継がれたものだととらえるべきだろう。
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
えぞは北海道だし、画像はアイヌだし、東北のえみしと関係ないものだすなや。
@TATANKA-nf4ck
@TATANKA-nf4ck 10 ай бұрын
笑み氏
@buzen03
@buzen03 10 ай бұрын
蝦夷=縄文人の末裔でありアイヌ人では無い。俗説にはアイヌ語は広く北海道から沖縄にまであるとするがこれも誤り。鎌倉時代に北海道に流入してきたアイヌ人が縄文人の言葉をそのまま流用していただけである。特に札幌以南の地名などは縄文語は元となっている。 合わせて、本州から沖縄までの地名や言語/方言等も縄文語とするのが妥当である。事実、埋葬方法が違うアイヌ人の最古の骨は鎌倉時代以降のものしか発見されていない。 現在でも、他人の土地で暮らすとその土地の言葉を流用する事でも理解できる。死人に口なしだからアイヌ語が語源とする発想は安易すぎる。
@user-ze1mt1bm2u
@user-ze1mt1bm2u 10 ай бұрын
何を言っているのか。縄文人とアイヌには明らかに連続性があるぞ。アイヌのY染色体ハプログループは最大80%以上で縄文人と一致し、これは本土日本人より遥かに高い。アイヌが後の時代に北方から流入したというのは、アイヌが北海道の先住民族であることを否定するためだけに考えられた、竹田恒泰の戯言でしかない。
@user-hj4qh7xf5d
@user-hj4qh7xf5d 10 ай бұрын
「日本刀の先祖」と言われる蕨手刀は岩手周辺(の蝦夷)が起源ですが、北海道でも多くが発掘されています。 つまり大和朝廷に追われた蝦夷(の一部)が北海道に渡った証拠ですね。
@buzen03
@buzen03 10 ай бұрын
追記ですが、縄文人は単一の種族では無いです。沖縄を始め、九州から北海道の南にかけて各部族が地方に点在して互いに交易等を行っていた。そこで共通の言葉なども創り上げられていた。その証拠として、島国とされる日本にどれだけ多くの方言が有るかと言う事です。通訳なしで会話を交わせる様に成ったのは、つい最近昭和の終わりですよ!勘違いしている日本人が多いけど/共通語会話。ちなみに弥生人や先古墳時代人とされる人達は、出戻りの縄文人の末裔です/大噴火前後に生きる為、止もう得ず日本の地を離れた人達。数々の流浪の旅で獲た知識によって国を統治する術を身に付けた。陸稲も水稲も縄文時代には始まっていましたよ、間違っても朝鮮半島や中華からの物ではありません。@@user-hj4qh7xf5d
@user-lb5zc2gz3f
@user-lb5zc2gz3f 10 ай бұрын
蝦夷は縄文人で土着の列島人。大和朝廷に租税を納めていない、律令制公民制度に収まって いない地域の民族をいいます。大和朝廷の官人こそ渡来人が多かった。この動画では平安時代 なか全国に移住させられた東北蝦夷を陸奥に戻したと言うが誤り。そんな事実は無いし、実行 は不可能だ。そのまま被差別部落民として土着せざるをえなかった。
@keroagunso
@keroagunso 9 ай бұрын
「本州アイヌ語」を研究している美少女着ぐるみコスプレが趣味のKZfaqrのことは皆さん当然ご存じですよね?
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
本州アイヌ語・・・それは、古代出雲族系の名残でしょう。
@keroagunso
@keroagunso 9 ай бұрын
@@user-tb6vr1zy2r 着ぐるみオタクさんの本州アイヌ語の研究動画 kzfaq.info/get/bejne/at6ZodGWqZ_Mmo0.htmlsi=-g8O_VPyHLc_R4tC 着ぐるみ主さま「出雲弁は日本語の一方言に過ぎません」
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
@@keroagunso うんそうだね。あと動画、minervaさんのことでしょう?よく見てたね。だが、物足りなくなってね。そこに、フランスの方で、東北弁、俗にズーズー弁のイントネーションが似ている、と言う記事が出てね、すぐ「砂の器」が浮かんだんだ。出雲と言うキーワードにも。で、出雲口伝にたどり着いたら、こちらの方が何倍も面白い。・・・何でも、インド方面の高度な生活文明を持つ、王族のが戦乱を避ける為、今のロシア極東方面の部族の情報で、大海の東に、人がまだ住み着いていない豊かな土地がある、これに一族を上げて移住の賭けに出た。多くの戦乱を避ける為、ユーラシア大陸の寒気の強い地方を選び、困難な旅の後、極東ロシア方面、日本海側に着き、船で津軽半島に一族がたどり着く。そこから、日本海側を移動し、出雲の地にたどり着いた。そこを拠点とし、西は九州北部、そして日本海側を北に、山陰、丹後、北陸、東北に連合国を作り、旧暦10月頃に、豊作の国が凶作の国に収穫物を分け与えた。これが「神有月」の語源とな。どうやら、出雲王国では、稲作のが既に行われていたらしい。他に「製鉄の技術」「酒作り」「薬作り」等も行われていたと言う。・・・後に、中国の始皇帝が、豊作で長寿の薬を持つ蓬莱の国と認識し、始皇帝を唆した徐福が船団を率い、二度目に、出雲王国の主王オオクニヌシと副王コトシロヌシを暗殺し、その仕返しを恐れ、帰国してしまった。・・・この悲劇を境に、出雲から、ある部族は丹後へ行き、そこから諏訪に行き、「諏訪大社」を建て第二王朝を建てた。ある部族は奈良へ住み着き、そこから又一部族が静岡、三島に出て「三島大社」を建て、その後、海沿いを東に向かい、「鹿島神宮」を建てたと言う。・・・長くなったが、実に面白い。・・・そして時間が過ぎ、天皇家の中で、出雲系の血筋の皇族が追いやられ、東北に向かい、落ち合ったのが、後年「会津」と呼ばれる地と。・・他に、吉野ヶ里公園の高楼遺跡と三内丸山遺跡の高楼遺跡の作りは似通っている。・・・長くなってしまったが、返信のお礼に、送ります。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
アイヌが北海道にいたのではなくて、蝦夷がいたんだよ。 そして、北海道で蝦夷とツングース系北方民族との混血が大量に生まれて、アイヌ見んぞ気宇になり、蝦夷の言葉(地名など)を引き継ぎながら、別k離党の言語で生活するようになったと考えるべきだ。
@morikumiR
@morikumiR 10 ай бұрын
そういえば日本ってミイラあまりないね
@user-jd4qz3ky5f
@user-jd4qz3ky5f 10 ай бұрын
ミイラなんて存在できるの中東とか砂漠地域くらいだからね。東アジアはモンスーンの影響でミイラ以外にも昔の遺物が残りづらくて残念。
@morikumiR
@morikumiR 10 ай бұрын
@@user-jd4qz3ky5f そうだったんですね、あまり語られること無かったので知りませんでした
@user-pn7mz4tc3z
@user-pn7mz4tc3z 10 ай бұрын
蝦夷とアイヌは違うぞ。でたらめ言うな。
@cijjeehh2302
@cijjeehh2302 10 ай бұрын
エミシはアイヌでしよう
@user-tb6vr1zy2r
@user-tb6vr1zy2r 9 ай бұрын
出雲口伝が大きなヒントになるかも。そして「会津」の地名の語源も。
@sean2540
@sean2540 10 ай бұрын
蝦夷は縄文語の名残と言うべき類アイヌ語を使っていた人たちで日本全国に地名としてその痕跡があると思っています。例えばソウという発音が残っている場合、その地が谷間で滝があればアイヌ語のソウ(滝)由来と考える事ができます。また○○ハナという岬があったらそれはアイヌ語のハナ(岬)に対応していると思います。日本各地に小田という地名がありますが、海岸または大河川の砂地にある地名ならアイヌ語のオタ(砂)に対応していると思われます。ほかにも数え切れないほどの類例があり、トマリ(港)セタ(犬)コダン、コタン(村)トウ(湖または大きな沼)タッコ(たんこぶ山)ヒラ(崖)ベツ、ナイ(川)など日本全国に存在しており縄文時代からの名残の地名として考慮できると思います。縄文語が類アイヌ語であるとするなら、蝦夷は類アイヌ語を使ったいた人々と想定できそうです。日本語は膠着語、アイヌ語は抱合語ですが、語順は一緒。オホヤマトネコヒコクニクル、古代天皇のおくりなですが、抱合語的ではありませんか。そして最後のクルですがアイヌ語で霊を表す言葉と同じです。ネコは猫ではなくて禰子、神霊を祭る人の子孫の意味ですが、古い時代の日本語は類アイヌ語と濃厚な関係にあったのではないでしょうか。
@user-pr9wb2pk7e
@user-pr9wb2pk7e 10 ай бұрын
アイヌ語自体が有りませんでした。 北海道内の西北部と南部のアイヌに通じる言語がなく、明治だか大正に双方の共通点を探して日本政府の命で学者がまとめ上げたのが現在のアイヌ語なんですよ。本州の蝦夷とアイヌは縁もゆかりも無かった。
@sean2540
@sean2540 10 ай бұрын
@@user-pr9wb2pk7e さん こんにちは。本当にそうですか? 北海道アイヌの菅野さんが西暦1700年代の津軽藩にいたアイヌの名前を読んで大笑いしてましたよ。アイヌは綽名をつけるのですが、(大酒飲み)という名前だったみたい。アイヌ語の研究は江戸期の松浦武四郎から始まり、バテェラー、知里真志保、山田秀三に受け継がれ現在では日本古語との比較などかなり進んでいます。貴方のおっしゃる意味がわかりません。また縄文語がアイヌ語系なのではないか。というのは日本各地に残るアイヌ語で解釈可能な地名が残っていることで想定される事です。アイヌ語自体は西暦1200年前後に成立したと考えられており、それより1000年も前の縄文語とむずびつけるのは難しいのですが、現在のアイヌ語に類似するプロトアイヌ語があったと思います。当然地方ごとに方言があったでしょう。 皆様のお住まいの地域にハナがつく岬はありませんか? ソウがつく滝川はありませんか? ヒラがつく崖地形はありませんか? トマリがつく港はありませんか? ナイやベツ、ペツがつく川はありませんか? オタがつく砂地はありませんか?
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
@sean2540 昔よくあったこじつけ本のネタ。私も昔は影響受けたけど今思えば根拠のない妄言でしかない。
@ATI_PC
@ATI_PC 10 ай бұрын
@@sean2540 そもそもアイヌに文字がなかった事は考古学的にも明白なので、変化をたどりようもないってのが真実です。現存する地名の類推からアイヌ語地名が古く交易を通して残っている所が多いってのも確かではありますが、ソレ以上の言説はダジャレや想像の域を超えません。。
@maymeg6777
@maymeg6777 10 ай бұрын
このトピックはコメント欄で嘘を撒き散らす人が大量発生する
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
そもそも動画が嘘だらけっていう。
@OHOKAMI-pm6wl
@OHOKAMI-pm6wl 10 ай бұрын
蝦夷は出雲系
@user-sw5yi1tb1b
@user-sw5yi1tb1b 8 ай бұрын
蝦夷って大陸のまつかつ系の民族ではないでしょうか? 8月下旬から10月頃まで偏西風が大陸から、東北地方にふいています。偏西風に乗れば来やすくなります。 阿弖流為がまつかつ系の代表みたいな民族かもしれません。
@user-tj6pp9rv5o
@user-tj6pp9rv5o 8 ай бұрын
まつかつ系って何?
@ftjkenec
@ftjkenec 10 ай бұрын
アイヌ人が出現したのは鎌倉時代でしょ。エミシでは無い。
@user-ze1mt1bm2u
@user-ze1mt1bm2u 10 ай бұрын
それは竹田恒泰の戯言。縄文人とアイヌには明らかに連続性がある。アイヌのY染色体ハプログループは最大80%以上で縄文人と一致し、これは本土日本人より遥かに高い。アイヌが後の時代に北方から流入したというのは、アイヌが北海道の先住民族であることを否定するためだけに考えられたデマ。
@user-lq4pv1zd9u
@user-lq4pv1zd9u 10 ай бұрын
​@@1honshitsuka東北出身で元々知ってたけど 今更天皇家がどうとか全く思わんけど
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 10 ай бұрын
​@@1honshitsukaなぜかアイヌ協会に北鮮の連中がいる不思議。
@eezzobgtyu
@eezzobgtyu 10 ай бұрын
縄文人とシベリア系渡来人の混血がアイヌで、鎌倉時代の頃に登場した(中央政権が認識した)というのが最新の説の一つですね。この動画の話は古いというか何というか…出雲、東北、九州に縄文系DNAが残っていて昔の中央政権のあった辺りに縄文系DNAが少ない事を考えれば、当時先進国であった大陸側から渡ってきた人達が大和朝廷を作ったと考えるのが自然。そもそも、大陸からやってきた騎馬民族こそが天皇家の祖先という説は昔からある。
@user-od6ku3zz3e
@user-od6ku3zz3e 9 ай бұрын
北海道のエミシを滅ぼしたのがアイヌ アイヌを滅ぼしたのが松前藩
@ayamasets
@ayamasets 10 ай бұрын
蝦夷も熊襲もアイヌもルーツは南方系古モンゴロイドではなかろうか。アイヌ語が孤立語になっているのは、津軽海峡という障壁と、大和言葉との融合によるもの。アイヌはがんばって樺太と千島列島に進出したけど、千島はカムチャツカの手前で終わっている。
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
津軽海峡は生物学的にはブラキストン線と言って、重大な障壁となっているが、縄文時代にはむしろ津軽海峡を挟んで文化圏が形成され、人々は自由に行き来していた。 車や電車などがある現代人の感覚では、海というのは障壁に感じるが、徒歩や馬しか移動手段がない昔の人にとっては船というのは海流に乗れば座って楽に移動でき物も運べるベルトコンベアーに乗ってるようなもの。
@user-ze1mt1bm2u
@user-ze1mt1bm2u 10 ай бұрын
南方系古モンゴロイド、いわゆる縄文人ですね。後から弥生人が朝鮮半島から渡来して、本州北端以北と九州南端以南を除く列島は弥生化されました。あと、弥生人は朝鮮半島から来ていないと強弁する方がいますが、言語学的に考えれば日本語と韓国語は互いに言語として最近縁であり、弥生人と韓国人は互いに祖先を同じくする民族なのは火を見るよりも明らかなんですよね。
@user-ze1mt1bm2u
@user-ze1mt1bm2u 10 ай бұрын
@user-jf6jv5jl1t 竹田恒泰さんが言ってたんですか?笑
@mitism889
@mitism889 10 ай бұрын
@@user-ze1mt1bm2u 弥生人と韓国人は無関係です。なぜなら朝鮮半島は稲作にあまり適してなかったからです。 朝鮮半島だけでなく満州、そして高度な文明を誇ってた黄河流域でもあまり稲作は行われていませんでした。 はっきり言って米は春秋戦国時代は蛮族の食べ物と思われていたらしいですね。弥生人と韓国人は互いに祖先を同じくすると言う発想は、稲作=蛮族からきてるとしたら納得しますが。
@user-ze1mt1bm2u
@user-ze1mt1bm2u 10 ай бұрын
@@mitism889 韓国人が弥生人と祖先を同じくする民族(どちらかがどちらかの祖先とかではなく、共通の祖先を持つという意味)ってのは、言語学的に答えが出てるから。稲作がどうとか知らんって。そもそも縄文時代は今より暖かかったから遼東半島を回れた可能性があるし、山東半島から朝鮮半島に渡海すれば寒冷地を通らずに稲作を伝えられるでしょ。中国から直接来たなんて絶対あり得ないよ。遣唐使の時代でも東シナ海を突っ切ると半分は遭難するのに、弥生時代の技術では100%無理。昔は海が浅くて中国と地続きだった?そんなに海が浅けりゃ寒冷化で稲作なんて絶対無理だろうな笑笑
@user-tq6mk8xy6d
@user-tq6mk8xy6d 10 ай бұрын
普通の日本人にしようとしたと言う表現はよくない。
@masaharu71
@masaharu71 10 ай бұрын
異民族に対して日本人への同化政策を取っていたのだから、他に言いようがない。
@user-vd7uo8js6s
@user-vd7uo8js6s 10 ай бұрын
事実
@user-oj6nr1nb3h
@user-oj6nr1nb3h 10 ай бұрын
盛岡出身の人が言ってた。 "その辺の地名はアイヌ語だらけなので、多分自分の先祖にアイヌがいるのは間違いないな" と。
@TIshida360
@TIshida360 10 ай бұрын
当時の武士は知行地の名を名字につけた。すると、盛岡藩とか津軽藩の武士の多くには自然とアイヌ語が入ることになる。秋田藩の武士は江戸時代常陸から転封されたから、そういう武士は少ない。
@ATI_PC
@ATI_PC 10 ай бұрын
言葉は交易でも交換されるので。。血筋とは関係なしに。事実日本語の中にも東南アジア圏の言葉との類似性を主張する学者も居るくらいで。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
アイヌ語だったんじゃなくて、蝦夷後だった地名がアイヌ語に取り入れられていると考えるべきだな。 アイヌは、北海道の先住民族じゃないよ。 国会議員たちは、騙されて「アイヌ新法」を作ってしまった。 早く破棄してほしいものだ。 なにもとりえのないアイヌ博物館に年間45億円だとさ。
@user-tx2ly5iv8n
@user-tx2ly5iv8n 8 ай бұрын
熊襲 = 熊 = 陸 蝦夷 = 蝦 = 海や川 隼人 = 隼 = 空 と言う話を聞いた事がある様な無いような。
@tiida000
@tiida000 10 ай бұрын
魏志倭人伝の倭(ワ)国が蝦夷の国で 後に大和が日ノ本を名乗り、唐に蝦夷を連れて朝廷に従い日本は平定されたと紹介して認めさせた。
@bokichi62
@bokichi62 10 ай бұрын
先住民がアイヌ民族、稲作農耕と来たのが長江流域民族、朝鮮半島からやって来たのが戦闘力を持つ鮮卑系民族。残り2つのグループは近縁に当たるアイヌ+鮮卑系のハイブリッド、農耕を持つ長江+戦闘力を持つ鮮卑系の共同体。からスタートしたと思う。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
アイヌは、13世紀あたりに大陸から南下してきた連中だぞ。 遺伝的には、縄文系と北方ツングース系の混血だ。
@user-akukichi626
@user-akukichi626 10 ай бұрын
普通の日本人、普通の人、という表現は好ましくない
@ikirukachigm
@ikirukachigm 10 ай бұрын
秋田藩って久保田藩のこと?なんか当然のように秋田藩呼びでちょっと面食らった
@S_McQueen
@S_McQueen 10 ай бұрын
地元民は久保田藩と呼ぶ方多いのかな?でも全国的には秋田藩呼びの方が多いかもね。 特に間違った呼び方ではないのでは? 仙台藩も伊達藩と2つ読み普通だし、こういうの多いんじゃない?
@user-wi1ot2hk2r
@user-wi1ot2hk2r 10 ай бұрын
〇〇藩という公称が定着したのは‥ 意外と新しく‥藩知事が置かれた明治になってからですね‥ それまでは‥どこそこの〇〇家‥ 等と言っていたのが普通だったようです‥
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
秋田藩て、佐竹藩のことじゃないの?
@user-qe9jy1wp7k
@user-qe9jy1wp7k 9 ай бұрын
ちょいちょい歴史的に不適切な画像入ってる?
@user-eh1nx4dy6q
@user-eh1nx4dy6q 10 ай бұрын
ky 九州ではヤマトに服従した熊襲を肥君族と呼び隼人(まつろわぬ熊襲)攻撃の先兵とした。。 そこからるいすい😂するに😂、エミシはアイヌかなあー
@Bloomerschwater
@Bloomerschwater 10 ай бұрын
×エミシはアイヌ △アイヌはエミシ ⚪︎アイヌはエミシとオホーツク人の混血民族
@gucchiovo1226
@gucchiovo1226 10 ай бұрын
アイヌっぽい顔付きしてたら、アイヌ人になるんじゃないの?アイヌ人になれたら、医療費もタダになるんじゃないの?なんか、外国人もアイヌ人になってるみたいだし、俺も結構毛が濃いから、アイヌ人になれないかなー?
@user-nk3ep9mr7r
@user-nk3ep9mr7r 10 ай бұрын
声が私みたいな年よりには、とっても耳ざわりです。
@user-if1nd8my7t
@user-if1nd8my7t 10 ай бұрын
長い縄文時代(縄文精神時代)があって、そこに流入した流れがあって、縄文精神(宇宙や大地と繋がる高次元意識)は終わりを迎えました。    中東におけるシュメール人が、スメリアン(Smile→スメリアン:笑う人々)から、その様に呼ばれていました。  イギリス人女性が東北を旅した時の記録に、貧しいながらも、日本人の誠実さと、子供達と共に笑って暮らしている姿が記録されています。  蝦夷(えみし)→笑み氏 ※因縁、因果の仕組みを理解する事が、日本人には求められているのだと感じます。これが身魂の洗濯の第一歩なのでしょう…。そして高次元意識へのスタートになるのでしょう…。
@user-vy1ux3rr8p
@user-vy1ux3rr8p 10 ай бұрын
ネトウヨが湧いてきそうな話ですな(笑)
@user-bh9dn3tg9v
@user-bh9dn3tg9v 10 ай бұрын
そういう自らの「頭が悪い」という自己紹介はどうかと思いますが。
@user-gn4fy8kz6y
@user-gn4fy8kz6y 10 ай бұрын
九州にも東北弁に近い言葉を話す人に会った事ある。佐賀の人に。
@Quadra7
@Quadra7 5 ай бұрын
多分、古代に東北から移住させられた蝦夷の末裔が多数住み着いていた地域なんだろう。 確か、一つの地域がまるまる東北弁に似た方言なんだよな。 典型的例が、北海道の方言だ。 未だに、地域ごとに方言が異なる。 ほとんどが、明治以降、維新戦争で敗れた東北地方南部の各藩などからの移住者たちが先祖で、まだまだ混ざり合っていないからだろう。
@user-gn4fy8kz6y
@user-gn4fy8kz6y 5 ай бұрын
@@Quadra7 知ってます。長年に渡り客商売の仕事して来ましたから。北海道出身者にもかなり会いました。イントネーションが東北訛りもいれば、明治以降の関東弁からの入植者の末裔は標準語。わかります。
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