終航後に臨時運航された青函連絡船 十和田丸(往路:S63.6.11)

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M-san

M-san

4 жыл бұрын

青函トンネルの開通により昭和63年(1988年3)月に運航を停止した青函連絡船は、その年に開催された青函博等に協賛して一時的に復活運航されました。その時の様子です。乗船したのは青森発函館行き臨時1便 十和田丸でした。復路の臨時4便も別ファイルでアップしてあります。
詳細はこちらをご覧ください。
c5557.cocolog-nifty.com/blog/2...

Пікірлер: 16
@gomdah863
@gomdah863 2 жыл бұрын
この時のクルーは船長以下全員、元乗組員OBによって行われました。函館船員区の現職船員は終航と共に別の部署(JR残留者は陸上勤務)へと異動となりました。今だと保安上、ブリッジに部外者を入れる事は出来ないと思います。貴重な経験だったと思います。
@m-san1253
@m-san1253 2 жыл бұрын
RPテコブさん、貴重な情報をありがとうございます。乗組員OBの方々によって運航されていたのですね。初めて知りました。この時にはまさかブリッジに入れるとは夢にも思わず、持参していた8mmビデオカメラでブリッジ内の様子を夢中で撮っていました。 昨年初めて八甲田丸メモリアルシップを訪ねてきました。ブリッジに行ってこの時のことを懐かしく思い出すとともに、初めて車両デッキに足を踏み入れ、その大きなに圧倒されました。臨時運航の際はさすがに車両甲板の見学はありませんでした。 乗組員OBの方々で運航されていたことについては、RPテコブ様からご教示いただきましたとして、ブログの本文に追記させていただきます。どうもありがとうございました。
@enbateauat
@enbateauat 2 жыл бұрын
はじめまして。 動画を見て驚きました!航行中の操舵室に入れたのですね…これは一生の思い出ですよねぇ!😉👍
@m-san1253
@m-san1253 2 жыл бұрын
Atsushi TKSMさん こんばんは。はじめまして。コメントありがとうございます。 この時は青函トンネルの開通により、青函連絡船は定期運航を終了した後の、観光要素の強い臨時運航でしたので、このような計らいをしてくれたのだと思います。あの大きな船の操舵輪が車のハンドルより小さかったのに驚きました。 おっしゃる通り、一生の思い出になりました。
@enbateauat
@enbateauat 2 жыл бұрын
@@m-san1253 返信ありがとうございます! あれだけの人数が操舵室に入っておられる光景は、かなり驚かされるものでした…船員さんと会話されてる方もいらっしゃいますし。 ほんと、とっても羨ましいです…良い時代でしたねぇ☺️👌
@m-san1253
@m-san1253 2 жыл бұрын
Atsushi TKSMさん 再びのコメント、誠にありがとうございます。 私はこの数年後に、1度だけ日本籍のクルーズ船に乗る機会に恵まれましたが、その時も乗船客を対象にした操舵室見学会がありました。 操舵室見学は無理だとしても、またいつか船旅を楽しみたいと思っています。そのような機会が訪れると良いのですが。
@user-cv9tz5kf8j
@user-cv9tz5kf8j Жыл бұрын
M-san様 青函連絡船終航後に開催された青函博時における復活運行ですね。当時高校3年生でした。 前年自転車輪行して内地から北海道を駆け巡った際も青森からは十和田丸でした。 函館出身の伴侶は、終航前年に内地への修学旅行でもお世話になりました。 伴侶と初めて会ったのは、メモリアルシップ摩周丸の横にあったビロングスというお店でした。 青函博の会場は、伴侶の実家から歩いて行ける場所だったので期間中に友達と訪れたそうです。 貴重な映像ありがとうございました。
@m-san1253
@m-san1253 Жыл бұрын
函館の塩辛様 こんにちは。コメントありがとうございます。前年に十和田丸に乗船されたのですね。また、函館は奥様のご出身地でおふたりの出会いの地でもあるのですね。 機会があれば昔を思い出しながら、現在も運航している民間の青函フェリーに乗ってみたいと思っていますが、未だに実現できておりません。
@user-to8tu8tv6i
@user-to8tu8tv6i Жыл бұрын
貴重な動画をありがとうございます。 やはり十和田丸の汽笛は優しく端切れの良い声ですね。 青函連絡船の著作物では、3月の廃止は記してもこの「アンコール運航」に触れない年譜は多いんですね。 貨客船姉妹とタグボートの各2隻のフネ、それらの乗組員や地上要員と多くの方々が最後の日々に携わっておられました。 輸送の主役を下りたとはいえ無事故と定時運航に腐心されていたはずです。 それだけに最終日の翌日正午に回航5011便として青森を発つ折り、長い汽笛を鳴らしつつ「ありがとうございましたーっ!さようならーっ!」とスピーカーから響く涙声は忘れられませんね。
@m-san1253
@m-san1253 Жыл бұрын
三丁目分隊員さん こんばんは。コメントありがとうございます。 真の最終運航となった回航便を青森からお見送りになったのですね。乗組員の皆さんも感無量だったことと思います。 私は臨時運航も含めて3往復しか乗船する機会はありませんでした。いつか機会を見付けて今も運航されている青函フェリーに乗って、連絡船のことを懐かしむ旅をしてみたいと思っています。
@user-to8tu8tv6i
@user-to8tu8tv6i Жыл бұрын
@@m-san1253 様 お返事ありがとうございます。 私は昭和末期に青森に居りましたので、冒頭の到着シーン…「あおも〜り あおも〜り」の節回しとブロワー音だけで「あー、着いたな」の気分が蘇ってきます。 未だ乗っていませんが今は新幹線なら3時間半程度なんて夢のようです。 港内の埠頭も形が変わり去年2022年には青森駅も橋上化と、記憶にある風景は次々と失われつつあります。 私も身体が元気なうちに今の青函の地と海峡へ行きたいですね。
@m-san1253
@m-san1253 Жыл бұрын
@@user-to8tu8tv6i 様 青森には昭和末期にお住まいだったのですね。 先月、津軽鉄道の撮影に行く途中、青森駅に立ち寄りましたが、連絡船への跨線橋に繋がるホームからの階段はまだ残っていたものの、シャッターでふさがれ跨線橋には行けなくなっていました。新しい駅ビルも建設中で、数年後には更に様変わりしているのではないかと思います。
@user-se4oe8ns5l
@user-se4oe8ns5l 2 жыл бұрын
青函博の協賛で夏場に1日2往復運航してましたね、確か羊蹄丸と十和田丸で夕方から朝方までの停泊時間を宿泊施設としてみどりの窓口で販売してました、喫茶店、食堂、売店も営業してました。
@m-san1253
@m-san1253 2 жыл бұрын
青函局さん コメントありがとうございます。 青函連絡船に乗るときには食堂で海を見ながら食事するのも楽しみでした。 夜間の停泊中には宿泊施設としても機能していたのですね。この時にはそのような扱いがあったことは知りませんでした。情報ありがとうございました。
@r005675
@r005675 20 күн бұрын
復活運行当初は、航行中に車両甲板の船尾扉を開けて見せる(もちろん車両甲板から)イベントがあったようですが、安全上の理由で運輸省からお咎めがあり中止したようです。 主様は6月乗船とのことですので、ほんの初期のみのことだったのでしょうね・・。
@m-san1253
@m-san1253 20 күн бұрын
こんばんは。コメントありがとうございます。 そのようなイベントがあったのですね。見てみたかったです。車両甲板にはメモリアルシップとして青森港に係留されている八甲田丸で初めて入りましたが、航行中に船尾扉を開けて走るのを車両甲板から見たら、迫力満点だったでしょうね。経験してみたかったです。 私の時には操舵室の見学のみでした。
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