Пікірлер
@qwerty-td6qt
@qwerty-td6qt 10 сағат бұрын
ホツマツタヱ、興味深いですね 文献史学では時の政府が公式に編纂を行った歴史書を正史と呼んで研究対象とし、執筆編纂の経緯が疑わしい書物を偽書と呼んで研究対象から除外するのですが、正史の内容が正しいとは限らず、偽書の中に正しい内容が含まれないとも限らないため、日本の文献史学は学問とは呼べない大和政権史観の宗教だと思います 古史古伝や出雲口伝などは、時の政権から滅ぼされたり支配されたりした部族が、恨みを込めて真の歴史を後世に残したような背景が垣間見え、時の政権が正史に書かなかったことを補完する内容も多々あると感じます 誰しも地元贔屓や身内贔屓はあるため、伝承の過程で粉飾や改竄も多分に混じっていると思いますが、偽書と呼ばれる歴史書もカミライズさんの様に神社伝承や遺跡や祭祀などと突き合わせて見ると、真の歴史が見えてくることが多々あると感じています
@qwerty-td6qt
@qwerty-td6qt 12 сағат бұрын
解説をありがとうございます 諏訪大社のことを深く調べたかったので、とても助かりました ご紹介頂いた内容から察するに、上社は縄文時代からの祭祀場で、下社は古墳時代に大和勢力から出雲を追われて諏訪に避難してきた建御名方一族の始祖神でしょうね 上社のミシャクジ信仰は、生命や食物の生誕を司る神への信仰ではないかと思われますが、どうやら出雲のサイノカミ信仰とは思想が異なる様ですので、出雲出身の建御名方一族とは無関係なのだと思います。龍蛇信仰は出雲族のものなので、本来のミシャクジ様は蛇ではないでしょう。男魂の石像や神木が御神体の様なので、ミシャクジ様は姿形のないアニミズムだと思います。建御名方一族が龍蛇信仰を持ち込んでミシャクジ信仰が変化し、冬ごもりなどの祭祀ができたのではないでしょうか 後続の動画でご紹介頂いている様ですが、守谷氏が行っていた御頭祭はユダヤ教旧約聖書の説話とそっくりですので、おそらくヒッタイトあたりの古代文明から東西に伝播した信仰なのだと思います。これはミシャクジ信仰とも別の信仰でしょう。鹿の狩猟と稲の収穫に関係している様なので、諏訪へ伝来したのは縄文時代の晩期から弥生時代なのではないかと推測します つまり、諏訪大社には3種の信仰が混在しているのではないかと思います
@user-pe7hg6fz8j
@user-pe7hg6fz8j Күн бұрын
このお盆に4社ともお参りに行って、御朱印コンプのきんちゃくもらいました♪ でも旧御射山神社は知らなくて、また今度の機会に行ってみようと思います。 教えてくれてありがとう。 ミシャグジとタケミナカタのどちらかを選ぶのではない。 両方共と仲良くしているのが諏訪なのかもしれませんね。
@user-ut9uo3iq4p
@user-ut9uo3iq4p Күн бұрын
いつも配信ありがとうございます 石棒は縄文時代の環状集落のシンボルであり、その中心地には墓地があり、それらを囲うような形で集落ができています
@mikihisadao
@mikihisadao Күн бұрын
美しい湿原と神々しい場所ですね。環状列石の中央に御頭が奉げられている様子を想像してしまいました。
@wakuwakug
@wakuwakug Күн бұрын
「手水=てみず」は間違い。秋宮の巫女さんが隣はさざれ石でした。
@mecom3450
@mecom3450 Күн бұрын
御頭祭を見ると明らかに古代ユダヤ教の影響があるので、ミシャグチもミ・イサク・チと分節化できるという説に一理ある気がします。阿波に元宮があるという説もあり、物部神道が流れ着いたとも考えられます。
@ch-po7dr
@ch-po7dr Күн бұрын
大神神社⛩️の御神体は三輪山で間違いないかと思われます。 トリフィールド(磁場検知器)を使って検証して三輪山周辺にはかなり強力な結界がはられてる事が証明されましたよ。
@auldlang
@auldlang Күн бұрын
古代中東辺りの遺跡には人間の身体と合体している牛の頭や角、鳥の羽や頭、蜥蜴の頭、蛇、魚の胴体、更に龍の顔は狼・鹿の角・蛇の身体・蜥蜴の手足、などあります。人間には及ばない生物の能力や霊力を手に入れたかったのだと思います。ミシャグジは元は供えた生物の能力や霊力を、何かと引き換えに分け与えてくれる神ではないでしょうか。
@qwerty-td6qt
@qwerty-td6qt 2 күн бұрын
比較神話学で言う「水平移動する神」でしょうね 出雲の土器にも、鳥装をしたシャーマンがカヌーの様な丸木舟に乗って神を迎えに行く「神迎え」の祭祀が描かれており、杵築大社の参道の先にある浜でも、同様の「神迎え」「神送り」の神事がある様です 植物が春に芽吹いて秋に実をつけて冬に枯れて行く様を、神が春に来て秋に去っていくと言う神の移動だと信仰したのでしょうが、その移動が天と地の垂直方向ではなく、海に向かって水平線の向こうと言う水平方向の移動とするのは、海洋民族の特徴です 出雲族が古代に東南アジア方面から舟でやってきた海洋民族だったことの痕跡だと思います
@qwerty-td6qt
@qwerty-td6qt 2 күн бұрын
素晴らしい動画をありがとうございます 古代史好きで纒向にも何度も行っていますが、その近くに出雲と書かれた信号があって、何だこれはと強く印象を持っていました そこに出雲族の集落があって神奈備山を祀っていたとは驚きました 磐座まで行かれてご紹介いただきありがとうございます 記紀の出雲の国譲り神話、崇神記の三輪山説話の舞台を見た思いがします
@user-fw5jy1zf7y
@user-fw5jy1zf7y 2 күн бұрын
海(アマ)村雲大王の剣は 本来なら 海(アマ)大王家が保持者のところ、 三代タマテミ大王の 出世~大王即位に絡み、 村雲大王と姫タタラ五十鈴日女命の 同父母とする 傍系王族の尾張家が 高尾張の大王宮に安置されていた 海(アマ)村雲大王の剣を 勝手に持ち出したのみならず 海(アマ)宗家である タマテミ大王に渡す事を拒否。 更には 大王相続権を持ち出して ゴネ始め、 大王家と対立。 更に拗れに拗れて 本格的な内乱に発展する始末。 所謂、倭国大乱の 前哨戦、火蓋が切られた。 孝。が付与された歴代の大和王国の天皇(大王)が この大和王国の内乱の時代。 大王(天皇)家が 統治力を喪失して 数世代にわたる内乱など あり得ないから 削除❗ それに付け入る形で 同祖(徐福)親戚の 九州の物部王家(神武)軍が 大和に進攻した。 紆余曲折の末に大和を席巻した物部王家軍により 旧海(アマ)王朝勢は 大和から一掃された。 フトニ大王(孝霊天皇)は 出雲王国から 播磨~吉備地方を奪取して 大吉備王国を建国。 更に余勢を駆って 女系本宗(親戚)の出雲王国に進攻して蹂躙した (第一次出雲戦争) ↑が、桃太郎の鬼対峙。や スサノオのヤマタノオロチ退治 等のネタになったらしい。 尾張家や近しい傍系王族の海部家らは 中京地方に入り、 尾張(海)家は 大和時代より保持する 海(アマ)村雲大王の剣(草薙剣)を保持して中京地方に盤きょ。 (後に件の剣を奉納したのが熱田神宮。) 伊勢神宮に 件の剣が有ったなどと言う事は無いく 全くの絵空事 海部家はそこで尾張家と分かれて 父祖創業の地である 丹波に回帰して 大丹波王国を建てた。 更に余勢を駆って 隣の但馬に進攻して北部地域を奪取占領したと言う。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 2 күн бұрын
守屋山、ユダヤにもモリヤ山ありました。モーセがジェホバ神に石板に二枚に十戒書きユダヤの守るように与えた山 諏訪にも渡来の人々が縄文から由来していたのでしょうね
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 2 күн бұрын
雷ミカズチに出雲からタケミナカタ追われて気持ち悪いターミネーターかカンドロイドの超ロボット神の腕が剣になる天照の使いに閉じ込められた尊ですね
@1133ak
@1133ak 3 күн бұрын
拝見して色々勉強になります。この磐座について・・・今年6月末頃、内宮参拝している時に、アラハバキと・・テレパシーなのか脳に伝達があって、、不思だなぁと思っていたが、帰ってよくよく調べていたら、内宮とアラハバキ磐座と、何だがの関係がある事がわかりました。自分は普通の人です(笑)そんな普通人にアラハバキ伝達は、正解がない世界でも、確信出来る関係があるのではないでしょうか。自分も色々な磐座が妙に気になりだしました。
@user-ut9uo3iq4p
@user-ut9uo3iq4p 3 күн бұрын
いつも動画配信ありがとうございます そもそも、武一族ってどこから来たのか謎ですねよね 次回も楽しみにしております
@user-cv3wd7tr4q
@user-cv3wd7tr4q 4 күн бұрын
そもそもタケミナカタは山をも単体で動かすぶっ壊れの神様、タケミカヅチが強すぎるだけで、タケミカズチに腕の機能を破壊されたとは言え、タケミナカタがミシャグジ 様に勝ってても不思議ではない、タケミカズチがタケミナカタより遙かにぶっ壊れなだけ、そのタケミカズチに神武天皇を勝たせる為に、直接加勢しろと命令した天照大神もぶっ壊れ、さすがのタケミカズチも天照様、それはちょっと(; ・`д・´)と、代わりに猿でも勝てる剣を神武天皇に授けますよ、と進言してる辺りが日本神話の面白いところ
@khiro-vv8uo
@khiro-vv8uo 4 күн бұрын
諏訪大社の参詣者です。動画を楽しませて頂きました。諏訪大明神、お諏訪さま、の他に武者神(むしゃがみ)さんとも呼ばれています。 明治時代に世襲が廃止された後も大祝の家は続いていたのですが、今から10年ほど前に終に滅んでしまいました。とても残念ですね。
@00simaya40
@00simaya40 4 күн бұрын
天照と素戔嗚の言い伝えは稚日姫と素戔嗚のやり取りで 天照は男神、饒速日だったと‥ 蛭子=恵比寿 男神天照は女性天皇の持統天皇が女神天照大神とされたお話ですね。 だから瀬織津姫が六甲山頂の磐座で祀られてたんですね。 ホツマツタエで語られ、六甲山に祀られる瀬織津姫の傍にはペトログリフが刻まれた岩々‥ 六甲山と言えばカタカムナと繋がりますね。 生田神社旧神主家は出雲族神門家系譜の海上氏だったとも聞きます。 なのでJR神戸駅周辺には明治時代まで神門村が在ったそうですね。 神戸の地名は、この神門姓が土地に付くと変じて門が戸と成ると聞きます。 島根県神門郡の川には神戸川があるがその一例ですね。 神戸西側半分は播磨国で元出雲の西端に位置して居ましたからです。 京丹後国から播磨国は丹後国を中心とした元出雲で京都府亀岡市の出雲大神宮が江戸時代まで出雲大社だった。 今の出雲大社は江戸時代まで杵築大社と呼ばれた素戔嗚の妻、稲田姫の出生地でした。 だから、現出雲大社には素戔嗚を祀る素鵞社がある訳です。 家の一族は、播磨国古代氏族で、丹後国を賭けて戦った新羅王子の天日槍と大国主の戦いで 丹後国を天日槍に奪われた大国主が死守したのが播磨国で、その大国主とした戦ったのが家の一族だったと聞きました。 それを知る切っ掛けが京丹後国の元伊勢・天橋立 籠神社別宮 和貴宮神社神主に任官した嶋谷出雲守の任官の際の経緯を そこのブログサイトに和貴宮神社の古文書掲載の内容を知った人から聞きました。
@mitsumi.830
@mitsumi.830 5 күн бұрын
動画配信していただき、ありがとうございます☺️ 地元民ですが、知らないことばかりで知ることができ嬉しいです! そして、熱田神宮へ参拝に行った際に案内していただいたところへも参拝してまいりました! なんだか、ほっと暖かい気持ちになりました♡ 次は、大高の方へもお伺いしたいと計画中です♪
@kouchannetwork
@kouchannetwork 6 күн бұрын
多祁御奈刀弥神社 主祭神 建御名方命 所在地 徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1 諏訪大社の縁起にもこの諏訪の社は、阿波の諏訪から勧請されたと記載されています。 記紀の矛盾をもっと深掘りして神社のご紹介をお願いします。
@user-ut9uo3iq4p
@user-ut9uo3iq4p 6 күн бұрын
かみらさん、いつも配信ありがとうございます 諏訪大社の歴史を探る上で大切な神社がありますので紹介します それは、愛知県一宮市にある真清田(ますみだ)神社です 諏訪大社の御神宝である真澄鏡と関係があるようです 更には八栄鈴とも関係が.. 真清田神社ではお守りの名が弥栄守だったかは記憶が曖昧ですが、馬との深い関係にあります すなわち、古代の牧が東山道沿いにあったことが挙げられるます おそらく、牧には必要な黒ぼく地 帯が東山道だったのかもしれません タケ一族🟰武集団が馬の管理から、牧を支配していた一族だった可能性があります ちなみに愛知県一宮市は愛知では一番古い銅鐸(八王子銅鐸)が出土しています 久米舞 八王子神(滋賀県) 滋賀県栗東市トレセン 茨城県美浦村トレセン 天竜川 武豊騎手 茨城県守谷市 鹿島神宮
@houka-2024
@houka-2024 6 күн бұрын
写真、動画撮影は禁止されているはずですがご存知ないのでしょうか?
@kuronekobchan6030
@kuronekobchan6030 6 күн бұрын
天照とはアマテルクニテルアメノホアカリニギハヤヒのこと。女でなく男であり大歳のことである。大国主は子の事代主に判断をゆだねたのではなくすでに亡くなっていた。事代主は長兄ではなく出雲は末子相続であり弟で、タケミナカタが兄でした。
@user-nm7jq3pq9x
@user-nm7jq3pq9x 6 күн бұрын
序章ということはこれからも諏訪大社を取り上げてくれるのですね。首を長くして待っています。
@user-qk1mx5mp4m
@user-qk1mx5mp4m 7 күн бұрын
いつも楽しく拝見させていただいてます 私もKZfaqで神社巡りをしており参考にさせていただいております 神ライズさんがあげてある神社は必ず神仕組みがあります 動画で上げてますのでなんとなく〇〇を是非ご覧くださいませ
@hat8301
@hat8301 8 күн бұрын
二つの奥宮には子供の頃無理矢理連れられて伺ったことがあります、阪急から歩かされたのでしんどかった記憶しか無いw
@sdelico
@sdelico 12 күн бұрын
初めて動画を拝見しました ありがとうございます 数日前に 六甲比命大善神社に参拝に参りました 少しお話しをされた方が神社を管理されている大江幸久先生でした 瀬織津姫が伊勢内宮に西宮として天照大神の東宮の隣に本来は祀られていたことを 日本国民全員に知らせることが 日本を本来の姿に戻すのに必要な事なのではないかと気付きを得ました (現在の伊勢神宮で行われている式年遷宮の東宮と西宮の位置です 兵庫県西宮には廣田神社に瀬織津姫様が祀られていますもんね 西宮という名の一致は偶然ではないでしょう) 陰陽並び立ってこそ調和と平和が保たれる レムリアとアトランティスの融和とも 龍族の再集結とも繋がっていると感じました 日本が変われば世界が変わる 世界が変われば宇宙が変わる 八百万の神々に感謝 名もなき神々に感謝 森羅万象に感謝です ありがとうございます
@kouchannetwork
@kouchannetwork 13 күн бұрын
いよいよ伊の国。神社マニアであれば、伊(倭)の国の古社とその云われを賢察してください。神話との関係性が見え、記紀の見方も変わると思います。
@user-hw6hm1il5c
@user-hw6hm1il5c 14 күн бұрын
最後までは見てませんが、初代イザナミ様ご本人から直接話を伺って気になったので検索して動画拝見いたしました。 私も彼女に会うまでは古事記?の話を取り込んでましたが彼女の話から火事が原因みたいなのでホマエでしたかそちらが正しいと思います。 ずっとまえにイザナギ様よりイザナミ様の捜索を頼まれていまして探す策もなかったのですが会えてそのことがイザナギ様にも伝わったようでイザナミ様はイザナギ様がイザナミ様を今だ思っておられたことに驚いておられました。丸石の話もあるんですが省略。私のとこに出てこられたイザナミ様のメインの話はイザナミ様が画家に降りて描かれた絵画の話でした。 ・・イザナミ様が描いた絵画見たことありますか? すごいですよ
@user-gq4gv2ce7g
@user-gq4gv2ce7g 14 күн бұрын
ホツマツタヱの内容を正しくご理解されてのこの動画作成に、とても嬉しく思っております。これからも宜しくお願い致します。 申し遅れましたが、私は古事記とホツマツタヱという著書を上梓した小深田宗元と申します。 あなた様と交流させて頂けましたら嬉しいです。
@kami-rise
@kami-rise 13 күн бұрын
ご連絡ありがとうございます😊ぜひとも書籍を購入させていただき、今後の動画作りの参考にさせていただきます!
@maleta41
@maleta41 16 күн бұрын
天の岩戸、伊雑宮ともにほとんど書籍にも載ってないような逸話があります。 ちなみに健脚の方は天の岩戸から内宮まで山道を歩いて行くことができ、その道は天空街道と呼ばれています。 夏場や秋は蛭が多発するので、冬をおススメしますが、健脚でないと時間がかかってしまい、 迷いやすいこともあり、自信がある方は是非歩いていただきたい道です。
@user-ut9uo3iq4p
@user-ut9uo3iq4p 17 күн бұрын
こばやし寺の仏さんが美観維持の為、腕立て伏せ、腹筋、スクワットに励んでいたこと思われます  ただ、日本の仏様には品位が加わるので、脳ミソ筋肉のような、極端な方向にはいかないところが仏教思想の深さを感じますby アントニオいのちビンタ
@akisuzu55
@akisuzu55 17 күн бұрын
若宮社にはじめてご参拝させて頂いた時、お寺そのものの外観に驚きました。 神仏習合時代の名残でしょうが、破壊されずに残って本当に良かったですね。 オオタタネコ尊は令和の時代も国民を守る為に大奮戦されています。
@user-di2gx8pi1v
@user-di2gx8pi1v 17 күн бұрын
西宮市民ですが廣田神社や大祓詞等解説誠に有難う御座います。 瀬織津姫の詳しい解説有難う、この度チャンネル登録致しました。
@user-kz8wk6mn3y
@user-kz8wk6mn3y 19 күн бұрын
瀬織津姫は天照大御神の皇后です。  天照大御神は瀬織津姫をはじめ13人の皇妃がいらっしゃいました。
@user-rg2yw2uv5j
@user-rg2yw2uv5j 19 күн бұрын
廣田神社には天照大御神も祀られていて、伊勢神宮から見て西にある御宮なので、西宮(にしのみや)と呼ぶようになったとか。 西宮市の名称の由来が廣田神社というのは所説あるにしても、とても歴史的ロマンがあって魅力的だなと思いました。
@user-kz8wk6mn3y
@user-kz8wk6mn3y 19 күн бұрын
瀬織津姫は天照大御神の皇后です。天照大御神には瀬織津姫の他にも12人の皇妃がいらっしゃいました。
@tadayuki-wk7zj
@tadayuki-wk7zj 21 күн бұрын
清めの雨の中の参拝有難う御座います。甲山の左下に北山貯水池がありそこから200m位下にムカツ媛磐座があります。(個人所有地なので入れませんが)この辺りが旧社では?また六甲比命大善神社を発見し管理している大江幸久ご夫妻(ここの有料、無料の資料、展示物作成)がいらっしゃれば詳しいお話しも聞けます。大江先生に聞きましたがこの辺りは瀬織津姫が晩年過ごした地であり、天穂日命の世話もしていた様です。又、2年位前に判明したそうですが瀬織津姫のお墓はここでは無いとの事で場所も教えて頂きました。大江先生のお話をKZfaqで上げている人もいて、先生の本もAmazonで購入出来ます。次に行かれた際にお会い出来る事を祈ってます。
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 21 күн бұрын
クシヒコ大物主のお墓がダンノタイラの磐座で出雲村は墓もりの為人々が住んだのですか?ありがとうございます
@user-lx5rz2ml5u
@user-lx5rz2ml5u 21 күн бұрын
古代の人々は磐座に神々が降りて感謝を祭りで、稲作の太陽🌄の日差しなど重要でだったのでしょう
@user-gk5gj3bz5u
@user-gk5gj3bz5u 22 күн бұрын
瀬織津姫は、大祓詞の中に出てくるので知っていましたが、秀真伝で現れるのですか。 廣田神社といい、カタカムナといい、六甲山は奥が深いです。まず巨石があり、麓の 芦屋には会下山遺跡もある。さらに井村宏次氏によれば、会下山遺跡は卑弥呼が山口県 から奈良へ向かったさいの経由地跡であるとも(マグモニーグルによる過去透視と一致)。 卑弥呼はチベット出身と言われるが、天皇家との関係、古史古伝との関係はいったいど うなるのか?。奥が深すぎる。
@user-rz3th8cl6t
@user-rz3th8cl6t 23 күн бұрын
主動画ならびにコメントもハチャメチャで見るに値しない、、。
@tokyo-fashion6195
@tokyo-fashion6195 23 күн бұрын
確かに瀬織津姫神社は全国に数社しか無いようですが内の1つが徳島にも御座います。淡路島の隣ですので是非、徳島にも足を伸ばされて見ては如何でしょうか?余りにも不気味に神がかった伝説が多く、古事記から見事に隠された不思議の徳島へ\(^o^)/
@user-fc8qx8gr2l
@user-fc8qx8gr2l 23 күн бұрын
カミライズさん深掘り動画配信ありがとうございます。私も有名どころと言うか神社仏閣巡りが好きで色んな処に行きますが自分が住んでいる近所の白鳥神社の大神様とこれまた近くの諸輪御嶽神社の大神様に「地域住民の命をお守り下さり感謝申し上げます。」と仕事休みの日曜日などにお参りさせて頂いております。
@r6m697
@r6m697 24 күн бұрын
兵庫や神戸ってスゴい神様や土着民族の信仰の跡が残ってたりするスゴい地なんじゃないかと最近考えさせられます。 もっと兵庫や神戸、淡路島など特集みたくなっちゃいますね😊
@user-no6ec7mk5d
@user-no6ec7mk5d 24 күн бұрын
初めまして。 向津に関しては、都からの向こうの津、でムコウツあるいはムカツと呼ばれていたという説もあるようです。 瀬織津姫の名前は日本各地で出会えますが、向津比命はこちらの土地の名前に関わっていることもあり、ローカルの神様の印象でした。 廣田神社の奥宮(石宝殿)は ネットの情報では『車で鳥居を潜って上がる』とされている道に 車止めがあったというお話を聞いているので (常に車止めがされているかも不明ですが、近くに車を置けるスペースが極端に少ないそうで) また行かれる際には情報収集が必要かもしれません。 自分もご挨拶したいのでこの夏が終わる前に向かいたいです。
@NewTiretube
@NewTiretube 25 күн бұрын
スマホのショート動画で興味を持ち、改めてノートパソコンで幣立神社と検索をしてこちらのチャンネルを拝見させて頂きました。静岡市在住なので日帰りの出来る諏訪大社、箱根神社、などを廻っておりますが死ぬまでに是非一度お参りに行せて頂きたいと思いました。
@user-hg5zy8bk1z
@user-hg5zy8bk1z 25 күн бұрын
空欄ですが大祓詞は明治時代ソ連との戦争の時所々書き換えられたり消されたりされています。 ので空欄には元々の大切な詞があったと思います。 例えば出雲大社などの様に皇室とは関係がない所には元々の姿形を記した文章そのままの大祓詞が現存してると私は思います。 三罪の記述のところには深い文言がありだから罪は消えるとの事で元々の大祓詞を復活する必要がと考えます。
@user-hg5zy8bk1z
@user-hg5zy8bk1z 25 күн бұрын
伊勢神宮内宮の正殿は現在20年毎に代わっていますが初期の頃は左側に天照大神で右側に瀬織津姫命だったと記述されているとのことです。 でもこの記述は表には出ませんネ。 それから静岡県の瀧川神社は瀬織津姫命誕生の地として有名ですが私の考えですが その昔富士山系には文明が栄えていた。 そして富士山は噴火で消えたことで次に九州で栄えた時キカイカルデラの大噴火で散り散りばらばらになって今日に至る。 なので九州に祀られている姫様は元は富士山以前からなので瀬織津姫命は古代神のひと柱だったのではと思います。