Пікірлер
@aobatuduki6147
@aobatuduki6147 3 сағат бұрын
現代でこんな列車乗ったら気がおかしくなるな。
@LEX-fc1kb
@LEX-fc1kb Күн бұрын
現在は滋賀県最大級の乗降客数を誇り、特急ひだも停車する草津駅に停車する急行があったかどうか気になります。
@tyama1224
@tyama1224 Күн бұрын
東海道新幹線が開業しても急行なにわとかは残りましたよね。東京-名古屋も東海も残ったし、名古屋-大阪も比叡が走っていた。やはり当時は新幹線はまだ高嶺の花だったからですかね。
@user-ys5sq7pw9y
@user-ys5sq7pw9y 2 күн бұрын
雪で思いだしましたが『JR千歳線・北広島駅』の時刻表はどうですかね? 気動車時代、電車時代、エスコンフィールド最寄り駅に成ってかなり変わったと思うのですけど😄
@Kedama7
@Kedama7 3 күн бұрын
懐かしい!シュプール蔵王で夜通し起きてた(寝る場所ない)ので、翌日のスキーが眠くて仕方なかったこと覚えてます。
@user-rk4cm7fr6u
@user-rk4cm7fr6u 3 күн бұрын
「かすが」は晩年も810名古屋発だったなぁ。
@user-fe9kg8ju9w
@user-fe9kg8ju9w 3 күн бұрын
池袋、高崎は通過なのね。 この頃ってまだ山手貨物線の渋谷駅って出来てなかったんだ...
@BroadAppeal1982
@BroadAppeal1982 3 күн бұрын
静岡から東京帰る時に親に連れられてよく乗りましたねぇ 親はソコソコの時間で乗り換え無しで移動できる手段で重宝していたようでした
@user-jd8fl1ur6o
@user-jd8fl1ur6o 3 күн бұрын
1987年1月ですと、国鉄時代ですね。4月に分割民営化されてます。 当時はスキー臨時が沢山運転されてました。今とは大違いです。
@user-dx9gp5md3e
@user-dx9gp5md3e 4 күн бұрын
シュプール野沢苗場シュプールすぼいけシュプール滋賀シュプール蔵王の時刻表も作って下さい
@crmccl
@crmccl 4 күн бұрын
懐かしいです。 進学でそれぞれ東京、大阪と離れてしまった親友と共にシュプール号で白馬で待ち合わせて滑った記憶があります。 記憶があやふやなのでそんなのなかったら、すいません。
@user-wo1cz1vw5y
@user-wo1cz1vw5y 4 күн бұрын
僕らの子供の頃と言えば、鉄道、そして特急列車。その中でも、ブルートレインは、際立って見えました。はやぶさは、特に人気も有り、富士と切磋琢磨して、東京〜西鹿児島間を、走って下さいました。お疲れ様でした。もう一度ブルートレインのお姿を拝見したいものですね~!不定期でいいから、お願いします‥
@moshineko863
@moshineko863 4 күн бұрын
駅名 平戸口→たびら平戸口(たびらは小さめ) 運営会社 国鉄(JR九州)松浦線→松浦鉄道西九州線 自治体名 長崎県北松浦郡田平町→長崎県平戸市 現在だと「たびら」も「口」も必要ないのでは
@gingaexpress6539
@gingaexpress6539 4 күн бұрын
シュプール号、たくさん走っていましたね。懐かしいです。 大阪在住ですが、信州方面へのシュプールの利用者とスキーバスが発着する梅田のバスターミナルは夜中でも混み合っていたように思います。 ただ、このシュプールは知らなかったです。大船始発でも驚きましたが、小出終点でまたビックリでした。当時はゲレンデの最寄駅とかで重視されていたんでしょうね。 品川〜新宿間が随分時間がかかっているのが気になりました(赤羽と大宮のダイヤの逆転もそうですが)。スキー客をたくさん乗せるために長時間停車していたんでしょうか?
@user-ty5fm4sg8r
@user-ty5fm4sg8r 4 күн бұрын
高崎駅を乱暴にも通過とは、草な感じが‥‥。 あるいは、主要駅だから《運転停車》だったのだろうか‥‥???
@user-wg9ro4wy9m
@user-wg9ro4wy9m 4 күн бұрын
新宿、池袋、赤羽、大宮の時間のどれかが間違ってませんでしょうか? 赤羽から大宮がおかしい事になってしまってます。
@user-nc5xy5sk6o
@user-nc5xy5sk6o 4 күн бұрын
乗車目的で大船→面白山高原(出発地の案内は面白山高原だが本来の終点は山形)のジュプール蔵王(末期はムーンライト蔵王)の583系と黒姫→神戸(姫路だっけ?)のジュプール黒姫(信越)の485系に乗りましたね。横浜や新宿で583系は異様でしたし黒姫から一旦直江津へ向かってから関西に行く敢えて名古屋スルーも面白かった。今やっても面白そうだけど、他社跨ぎの車両がないからな〜。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 4 күн бұрын
1987年1月といえば、世間はバブル期なのに国鉄は分割・民営化を控えていた。そんな感じでしたね...
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
シュプール号は急行という建前だったのでこの年だけ165系の列車もありましたね。 シュプール号は全席指定でしたが、さすがにボックスシートでと言うのはきつかったのか翌年、JR発足後は特急用の車両になりました。
@user-qi2ng8ld3t
@user-qi2ng8ld3t 4 күн бұрын
金曜日のシュプールで出発、土日スキーを楽しみ日曜の夜の新幹線で帰宅、スキーブームのひとつのパターンだったみたいだな。
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr 4 күн бұрын
土曜会社休みが増えたのもこの頃からでしょうか。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
シュプール号の出だしの頃は往復ともにシュプール号としてのセットでの乗車でした。 JR東日本の管内のパックで帰路が新幹線となっていたのは山形新幹線開通後の蔵王や後期の安比、長野新幹線の開通後の信越、最後のシーズン(2000~2001)のアルペン号でした。行きは夜の在来線、帰りは早く帰れる新幹線は上手い活用法でした。
@user-zr2wp5wx1u
@user-zr2wp5wx1u 4 күн бұрын
スキー客向け列車に通過される岩原スキー場前… ( ´・ω・`)
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr 4 күн бұрын
上越国際スキー場前駅はまだなかった。
@na3_wrrrbdlb
@na3_wrrrbdlb 2 күн бұрын
編成長理由かな?
@nonhouse.0209
@nonhouse.0209 4 күн бұрын
昭和50年代に御殿場線沿線に住んでいました。 御殿場駅の時刻表では、この動画にない急行ごてんば号東京行き、急行あさぎり号新宿行き、始発電車で普通列車の東京行きもありました。 普通列車もスカ色の72・73系から115系に変わりました。
@user-zt4fd4ig7o
@user-zt4fd4ig7o 4 күн бұрын
お、シュプール。 いいねいいね♪ 幻想的な雪の世界を想像できます。 さぁいこう。 あの頃に…。
@tomoyankun
@tomoyankun Күн бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 暑くなってきたこの時期に、雪の世界の涼しさもお届けできれば幸いです。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
いつもありがとうございます。珍しい列車ですね。 シュプール号は東京駅の真ん前にあった国鉄の本社勤務の方が本社前に多数のスキーバスが出ていたことにヒントを得たものとのこと。バブルの時流に乗って活況を呈していましたね。 その当時は横浜から中央道に向かう保土ヶ谷バイパスや国道16号ですら金曜日の夜はキャリアを積んだスキー用の車で混雑していました。 シュプール号は白馬行きで2度利用しましたが、渋滞を避け、行き帰りに休める良き移動空間でした。若い時期の遠い思い出です。
@tomoyankun
@tomoyankun Күн бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 スキーバスがヒントになっているとは知りませんでした。ビジネスアイデアのヒントは日常の風景に隠れているものですね。 自家用車の便利さも魅力的ですが、運転はやはり疲れてしまいます。とはいえ夜行バスは窮屈さで疲れますし、列車の存在は大きかったなぁと思います。
@Kochihae523
@Kochihae523 4 күн бұрын
自分が当時の学生だったらどこかしらのシュプール号に乗っていたと思う。スキーではなくて乗り鉄目的で。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
山形や安比(盛岡駅からバス利用)に向かうシュプール号は画期的でしたね。583系が使われ、寝台もありました。
@hc-ir2dr
@hc-ir2dr 4 күн бұрын
この列車の経路ですが、品川までは東海道線で、品川で山手貨物線に入っていたのでしょうか。 川崎と品川に停車するので、現在の湘南新宿ラインの経路ではないですね。 また池袋に停車していませんが、当時は宇都宮線と高崎線が池袋に乗り入れる前で、池袋には山手線と埼京線のホームしかなかったからでしょうか。
@ajtwmdaj
@ajtwmdaj 4 күн бұрын
多分新鶴線経由で品川そこからスイッチバック?かな?(東京上野ラインは開通して無いので)
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
品川まで東海道線、そして山手貨物線で新宿に停車していたのでしょうね。 21世紀に入ってからの横浜から新宿経由で中央線に向かうアルペン号(シュプールの後釜)もその経路でした。 湘南新宿ラインのルートは開設された当時は画期的でしたね。今は相鉄線からの新宿直通も含めて完全に通勤通学の足として定着しています。
@user-bw9px6pj7q
@user-bw9px6pj7q 4 күн бұрын
80年代後半から、90年代はスキー輸送華やかでしたね。 スキーをしないので、乗ったことはありませんが、各地様々な車両で運転されてました。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
基本的にはスキー場までのバスのチケットと込み、さらには往復ともにシュプール号が前提でしたからね。(後期の山形や盛岡は帰路は新幹線でしたが) 首都圏からの場合行きは夜行でも帰りは昼間、特急に追い抜かれるパターンも多々ありました。 渋滞を避けることができたのは嬉しかったです。
@user-xr3ib9yh2l
@user-xr3ib9yh2l 4 күн бұрын
シュプールか、スキー特急と言えば92年の新特急「谷川」石打・越後湯沢行もリクエストしておきますよ
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
新幹線ができる前は在来線はすさまじい本数でした。 まだスキー宅急便が普及していなかった時代、板を担いで上野駅から夜行列車に乗ることが一般的でした。 新幹線の大宮開通後には大宮駅で新幹線に乗れなかった乗客が上野駅に戻り、夜行列車に乗り込むパターンも存在したとのこと。
@nori-tabi
@nori-tabi 4 күн бұрын
かつては大人気の列車でしたね。今も駅前にスキー場が残っている上越線沿線はその象徴ですね。大糸線なども今や完全ローカル線ですが、90年代くらいまでは次々と夜行列車が走っていたように思います。急行「能登」「きたぐに」に乗ると、北陸エリアを目指すスキー列車、ディズニーランドへ行く団体ツアー列車が次々すれ違っていきました。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
96年にシュプール号で南小谷に向かったことがあります。行きも帰りも新宿から6時間。帰りは南小谷をあとに出るあずさ号に追い抜かれ、さらには竜王で普通電車にも抜かれていました。
@tomoyankun
@tomoyankun Күн бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 定期列車と比較するとかなり遅い列車も多かったですね。 当時はシュプール号を利用した旅行プランも多く存在しており、旅行パンフレットを見ていても楽しかったですね。
@user-zp7mi8br2d
@user-zp7mi8br2d 4 күн бұрын
時刻表TV、いつも懐かしい気持ちで見ておりますが、一言だけ・・・赤羽〜大宮間の時刻表記がずれておりませんでしょうか?
@a378685085
@a378685085 4 күн бұрын
動画お疲れ様です。 時刻表を読み出した80年代終盤はスキー輸送が凄まじかったですね。 スキー輸送の一大中心地だった石打や大糸線信濃森上は今では超閑散駅になりました
@TSUYOS185
@TSUYOS185 4 күн бұрын
鉄道だけでなく新宿の都庁の駐車場からのスキーバスも凄かったですね。今の3列の豪華な高速バスクラスから一台60人乗りの詰め込みバスまで駆り出されました。 バスはスキー場の地元のバス会社から首都圏の電鉄系の貸切バスまで。さらには高速道路も深夜なのに大渋滞。鉄道のスキー列車だけでなく道路交通も変革の時期でした。 シュプール号で行った南小谷駅や白馬駅も衰退。その先の西日本区間ほどではないにせよ信濃大町から北側は厳しくなりました。
@user-er4uw7pg1o
@user-er4uw7pg1o 4 күн бұрын
懐かしいですね、シュプール号。学生時代、男同士だったら夜行で時間を有効に使えるシュプール号を活用していましたが、女の子が混じると何かに期待し、夜行は使わず朝早めから出発して現地一泊にしていた下心も懐かしい…私は走行距離が長く、使用車両も583系で独特の雰囲気があった蔵王が好きでしたね
@user-dx9gp5md3e
@user-dx9gp5md3e 4 күн бұрын
シュプール野沢苗場も583系を使用していた
@RINKOU99
@RINKOU99 3 күн бұрын
で、なにかあったんですか笑?
@user-er4uw7pg1o
@user-er4uw7pg1o 3 күн бұрын
@@RINKOU99 帰京してからでしたね
@user-wo1cz1vw5y
@user-wo1cz1vw5y 4 күн бұрын
富士の言葉を代弁すると、宮崎や鹿児島に向かう方々、ごめんなさい。
@user-wo1cz1vw5y
@user-wo1cz1vw5y 4 күн бұрын
😢素晴らしい!特急や新幹線との競走の中で、たくましく走る姿は、急行の鏡です!
@user-wh5dh7tv8o
@user-wh5dh7tv8o 6 күн бұрын
豊橋育ちの鉄道ファンです。 他の方のコメントにもありましたが、さくらは唯一豊橋に停車する寝台特急で親しみがありました。 この当時は浜松は通過していたのですね、 子供の頃は、はやぶさ、みずほ、瀬戸、出雲、富士、あさかぜ等が静岡、浜松には停車して豊橋は通過するダイヤを見て切なさを感じてました🥲
@busjack1628
@busjack1628 6 күн бұрын
あると思ってたのに無かった 昭和からの駅♡戸塚、安倍川、三郷 王寺で向きを変え和歌山で向きを 変え機関車を取り付けてたんですね♡
@user-se1db4rw5s
@user-se1db4rw5s 7 күн бұрын
どうせなら肥前山口⇔佐世保もやればえェのにィ!(^▽^;)
@KusanoTomoaki
@KusanoTomoaki 7 күн бұрын
制作ありがとうございます。やっぱりこのフォントはいいですね。 父親が長崎出身だった縁で、「さくら」「みずほ」には何度かお世話になりました。特に「さくら」は国内唯一の列車番号1で誇らしかったものです。当時は「なぜさくらとみずほだけは三段式寝台なのか」と思ったものですが、今にして考えれば需要が多かったから乗客減になる15型の導入をあえて見送ったのかもしれませんね。 19時頃の乗務掛の寝台設置のために乗客が皆廊下で待っていたこと。名古屋でも京都でも大阪でも深夜だというのに撮り鉄少年が駅に撮影に来ていたこと。朝6時になると食堂車の準備が出来たと放送があったのでいの一番に乗り込んで洋定食を食べたこと。通過する駅の駅名標に「すおうとんだ」(「すおう」が小さい字)と書かれていたこと。下関で1号車までEF81-300を見に行ったらEF30が来てがっかりしたこと。車内販売が何度も往復していたのに小遣いが足りずほとんど何も買えなかったこと。上段だったのを良いことに肥前山口から長崎まで二度寝したこと。懐かしい思い出ばかりです。
@user-xy8ec9ff4t
@user-xy8ec9ff4t 7 күн бұрын
新鳥栖or博多と武雄温泉で乗り換えれば済むから、現在は東京から長崎はずいぶん早く行けるようになりましたね。  時間はすごくかかるものの、長崎から東京までずっと乗り換えなしで行ける便利さも捨てがたい。 この2つを両立した列車が欲しいところです。
@user-hk9rl6lf6b
@user-hk9rl6lf6b 7 күн бұрын
僕が「さくら」に乗ったのは1983年の3月・僕の中学校入学祝いの家族旅行でした。 夜中の3時くらいにトイレに行こうと起きだすと、親父が廊下の補助椅子に腰掛けて暗い瀬戸内海を見ながら缶ビールをチビチビ飲んでいた(普段は一滴も飲まない人だった)のを今でも鮮烈に覚えています。 当時親父が会社で待遇などでもめていたと知ったのは大分後になってからのことでした(家族旅行も気分転換するためだったのではないかと想像しています)。 親父亡き今となってはあの時すぐ寝台に戻らず愚痴のひとつも聞いてやるべきだったと思っていますが…文字通り「バ〇の知恵は後から出る」というやつですね
@tadashiirie1612
@tadashiirie1612 8 күн бұрын
朝から晩まで上野、東京に入り浸ってた時期です。 懐かしい。
@user-bw9px6pj7q
@user-bw9px6pj7q 8 күн бұрын
JRさんよ。お願いだからフラリと乗れる、自由席のある夜行列車復活させてくんねぇかな(?_?) 新幹線や、在来線の特急群もいいけどよ。こんな「津軽」のような味のある列車、また乗りたいよ
@user-bw9px6pj7q
@user-bw9px6pj7q 8 күн бұрын
岡山から北陸ワイドで北陸をまわった帰路、大阪で山陰ワイドを買い足し、夜行「だいせん」に飛び乗った。自由席。 12系簡リクシートはガラガラで、もちろん向かい合わせにして、足を投げ出して寝た。今ならダメなんだろうけどね。 出雲市から急行「さんべ」に乗り継ぎ、淡々と瀬戸内を目指したのは、若き日の良い思い出。
@user-gp4tm9ni3j
@user-gp4tm9ni3j 8 күн бұрын
ブルートレイン人気No.1 特急界のスター軍団の先頭に立つ人気列車 東京始発の先陣を切って九州に旅立つのはスターたる所以
@MY-xf3tj
@MY-xf3tj 9 күн бұрын
東京を夕方に出て長崎にはほぼ正午に到着・・。
@kataakeo7730
@kataakeo7730 9 күн бұрын
今の都内在住者なら、朝7時台(場所によっては8時過ぎ)に家を出て、羽田に行って長崎便に乗り、正午過ぎに長崎市内に着いてしまいますね。羽田発の九州各都市行の便はどこも混雑しているはずです。
@user-bv2ij2mm1m
@user-bv2ij2mm1m 9 күн бұрын
あこがれてたけどまだ小学生だったから乗れなかった。
@user-xr3ib9yh2l
@user-xr3ib9yh2l 9 күн бұрын
寝台特急「さくら」には食堂車が連結していたな
@user-bw9px6pj7q
@user-bw9px6pj7q 9 күн бұрын
栄光の「あさかぜ1号」ですね。1等車が座席車含め7両!!まさに殿様ですね。 私はあさかぜとつばめは絶対廃止させてはならぬ列車だと思っていて、特に博多あさかぜ廃止の報を聞いた時はショックでしたね。下りの博多あさかぜ、岡山を早朝通過なので、夏休みなど、早起きしてチャリ漕いで見に行ったのは、若き日の良い思い出
@den_ken3
@den_ken3 9 күн бұрын
美濃太田沿線民ですー。北濃・郡上八幡行など越美南線直通懐かしいですなぁ…遠回りでも需要あったんかな!? 多治見行は80年代に一度途絶えたがJR化後にライバルの名鉄を意識し復活ですー(岐阜⇔可児の需要あり)。それにしても優等列車少ないからか普通高山以北への普通列車多いと感じまっせ。
@user-bw9px6pj7q
@user-bw9px6pj7q 9 күн бұрын
今では、山手線並みの運行本数を誇る東海道新幹線も、開業当初は30分ヘッドだったんですね。この後、山陽新幹線を西へと延伸、12両→16両、100系→300系へと車両をどんどん進化させていきます
@korosuke512tr
@korosuke512tr 10 күн бұрын
名古屋近郊出身のボクは東京を一番早く出発して東京に一番遅く到着するさくら号を眺める機会が最も多かったので、今も寝台特別急行列車の代名詞的な存在です。