【卑弥呼】は何者なのか? 天皇との関係は? 古代のミステリー・邪馬台国論争を考えるベースとなる『魏志』倭人伝を読み解く【壱与13歳】(Queen Himiko / Yamatai)

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セピアのゼロから歴史塾

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Күн бұрын

今回はミステリーを考える上での「土台作り」をしていきます。
暗殺説もある三国志のヒロイン・卑弥呼の素顔とは?
00:00 導入
01:54 『魏志』倭人伝を読み解く
03:51 邪馬台国までの道のり
12:26 倭国の習俗・社会
16:40 邪馬台国の政治・外交
28:06 姿を消した倭国
32:15 次回予告
縄文時代
• 【縄文時代】驚愕の先進文明! 日本人は1万年...
弥生時代 概略編
• 【弥生時代】日本人は3000年前に一度滅ぼさ...
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#日本史#卑弥呼#邪馬台国

Пікірлер: 192
@user-tt6im3vy7q
@user-tt6im3vy7q 2 жыл бұрын
待ってました。今回も楽しく勉強させていただきました。次回も楽しみです😄
@Mina-zy6uw
@Mina-zy6uw Жыл бұрын
昨日セピアさんの動画を知ってから見まくっています。 声が聴きやすくて字が美しくてしかも内容がとてもわかりやすい‼️ 作業しながら聴き流しでも楽しめます。ちょいエピソードも面白い👍 学生時代にこういう授業だったらもっと早くに我が国、日本のことが知れたのにな〜😊
@warosu_emperor
@warosu_emperor 2 жыл бұрын
面白かったです この時代のことはわからないことだらけですけど、だからこそロマンがあってワクワクもしますね
@user-sc6xk3sw2p
@user-sc6xk3sw2p Жыл бұрын
大変面白いです⛩️ 字が丁寧でとても綺麗で誠意を感じます。声も聞きやすいです。知るを楽しむ‼️歴史、古典は新しい‼️🎶生き続ける力強さが潜んで今に至った物語ありがとう😃
@user-ut3pp5cp8t
@user-ut3pp5cp8t 3 ай бұрын
古代史がこんなに面白いとは、ありがとうございます☺️
@user-qo4xg5or5y
@user-qo4xg5or5y 2 жыл бұрын
いつも素敵な動画をありがとうございます! 妖術使いの卑弥呼様、というのはとても夢がありますが、古くから原因のよくわからない超常現象などのことを「妖怪」としている(諸説あるようですが)のと同じ感じで、魔術のような特殊能力ではないのかもしれないですね。それでも若い頃から何年も国のトップとして立ち続けた卑弥呼は本当に凄いな…と思います。 学生時代の授業や講義では謎は謎のまま、淡々と終わってしまった箇所なので、色んな説を交えて深掘りしたお話が聴けるのが嬉しいですし、過去歴史を学んでいたときのワクワクを思い出して本当に楽しいです…!次回のお話も楽しみにしております!
@user-qe6ff8vk8g
@user-qe6ff8vk8g Жыл бұрын
卑弥呼とは当時の日本あるお方の悪口です。卑しい、いやしい巫女の意です。
@user-uf4zq7yl2j
@user-uf4zq7yl2j Жыл бұрын
ご苦労様です~毎回良く分かります。😀😀😀😀
@user-mh9og6mo4e
@user-mh9og6mo4e 11 ай бұрын
現在いがみ合っている国のお陰で、貴重な歴史が残された事に皮肉を感じます。 セピアさんの講義は、とても分かりやすいです!
@user-me3zj8kp9y
@user-me3zj8kp9y Жыл бұрын
吉野ヶ里遺跡で石棺が出土しました。また、邪馬台国論争が激しく成ると思う。次回の講話を楽しみに待っています。
@romico.
@romico. 2 жыл бұрын
倭国の風俗・農業・身分・暮らしの細かな描写まで事細かく、滞在中に現地の人と交流しながら調べて進むなら、 邪馬台国までの道程200キロメートルを1ヶ月というのは十分納得いきます。 いろいろな概略を一気に知るには分かりやすい動画ですね。
@tarishihiko
@tarishihiko 2 жыл бұрын
江戸時代の大名行列を想像してみたら、よさそうですね!
@user-qh6gj2hy8n
@user-qh6gj2hy8n 11 ай бұрын
😅
@user-fy1vu9si9t
@user-fy1vu9si9t 2 жыл бұрын
めっちゃみてます!
@worldpeacex9051
@worldpeacex9051 Жыл бұрын
大変分かりやすいです。 こういう先生に教えて欲しかった。
@user-tg8we2fn5b
@user-tg8we2fn5b 2 жыл бұрын
待ってました卑弥呼様!! もし可能であれば日本神話、古事記に興味があるので詳しく聞けたら聞きたいです!
@user-ue6gl9uk3t
@user-ue6gl9uk3t Жыл бұрын
大変分かりやすかったです。
@user-gz1li5kx9o
@user-gz1li5kx9o 2 жыл бұрын
分かり易くてよかった。
@yuu7859
@yuu7859 2 жыл бұрын
この時代のお話をちゃんと聞く機会って滅多にないのですごく面白かったです☺️ 卑弥呼とその後の男王の違いとかを聞いていると、日本って先史時代から女性に祭祀的意義を見出していたんだなと再認識しました!土偶も殆どが女性像らしいですし、後世の斎宮なんかもこの時代から脈々と続いた価値観なのかな?とかいろいろ考えながら歴史の楽しさを感じられた動画でした! セピアさん的邪馬台国はどこなんだろ?と思って見ていたので次回も楽しみにしてます!
@user-vb1jx1ri6h
@user-vb1jx1ri6h 5 ай бұрын
最近このどうがを知り、面白く拝見させていただいています。今回の邪馬台国宇佐説ですが、セピアさんは最近の本でお知りになったようですが、私はその本を読んでいませんが、宇佐説はたぶん推理小説家高木彬光さんが、50年ほど前に小説でお書きになっています。多分今回お読みになった本は、その本の理論を補強した形ではないかと思います。その本を読んでから私はずーっと宇佐説です😊やっと大々的に説いて下さるかたが増えて嬉しいです。わかりやすい歴史解説頑張ってください。微力ですが応援しています。
@privatprivat742
@privatprivat742 Жыл бұрын
最近視聴し始めました 聞きやすくて 興味深いです ありがとうございます
@user-jo4lj6hy9c
@user-jo4lj6hy9c 2 жыл бұрын
面白かった! セピアさんといえば私の中では勇なまやってるイメージでしたけど、歴史チャンネルもいいですね。
@user-hd6dd2ec1f
@user-hd6dd2ec1f Жыл бұрын
卑弥呼さんがなぜ古事記日本書紀にお出にならないのだろうかなと不思議におもっています。
@user-sh2hp7ht1w
@user-sh2hp7ht1w 5 ай бұрын
できたらドラマ仕立てで見たいが、セピアさんの語り口調だけで引き込まれるのもすごいな。 とにかく他のKZfaqよりムダなうるさい音楽なくて、声も良くて、聞きやすい! ファンなりましたよ❤
@lens9039
@lens9039 2 жыл бұрын
太占の存在は漫画のゴールデンカムイのトナカイ占いで知ったので 樺太、ロシアの占い文化だと思っていましたが、 日本の歴史深い占いでもあるのですね。 離れた地でも同じ習慣や文化があったのを知るのはやはり面白いです!
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 2 жыл бұрын
古くは中国の殷王朝から骨を焼いて占う文化はあります。一般的に甲骨占卜と呼ばれています。 元は亀の甲羅などに焼いた針を刺してひび割れの形状によって吉凶をうらなってましたが、エスカレートし人間を生贄として人骨でも占うようになったため殷王朝はその悪政により滅びます。春秋時代以降は甲骨占卜を悪き文化として、とらえ伝えられています。 それが鬼道という文字になったのだと思いますよ。 参考までにヤマト王権は甲骨占卜ではなく、ウケイ(誓約)という吉凶占いをしています。 占いのために実行することを予め宣言し、その通りになれば吉。その通りにならず死んでしまった皇族もいたくらいです。
@user-qf4zo5fy8q
@user-qf4zo5fy8q 2 жыл бұрын
面白かった! ミステリーだからこそ歴史は楽しい! 生きてる間に邪馬台国ミステリーが解明されることを願う。
@hidetoshitakimoto9977
@hidetoshitakimoto9977 Жыл бұрын
良かった!さすがです。蔑称で漢字の当て字を嬉しがって書かれる歴史学者さんばかりだったので、ちゃんと説明してある動画に1年遅れですがたどり着いて安堵しましたw
@y-y4354
@y-y4354 2 жыл бұрын
はじめまして。セピアさんってもしかして10年ほど前、ニコニコ動画でピクミン実況などされてた方ですか? 当時中学生だったのですが、声や落ち着いた実況が好きで楽しみに見ていました。
@gutsenergy2010
@gutsenergy2010 Жыл бұрын
「魏志倭人伝」に「女王国より以北には、一大率を置く。(一大率は)常に伊都国に置く」とある。つまり邪馬台国の北に伊都国があるとする。近畿説では、この表現はできないのではないか。
@hisui_960
@hisui_960 2 жыл бұрын
魏志倭人伝とか学生時代はそんなものあるんだな〜くらいに考えてましたが、そんな昔のものが見つかってその昔の言葉を読めている事がすごいなと思いました。
@user-vp6eg8dr4q
@user-vp6eg8dr4q Жыл бұрын
手書きの文字が丁寧で読みやすいですね。この方の性格が表している感じです。
@paradise6971
@paradise6971 2 жыл бұрын
応援しています。 これからも次の聖書の言葉を思いに留めて頑張ってください。 (格言 22:29)仕事に熟練した人を見たことがあるか。 その人は王たちの前に立ち, 庶民の前には立たない。
@user-le3rf1eu3y
@user-le3rf1eu3y 2 жыл бұрын
この時代はミステリアスすぎて妄想が掻き立てますよねぇ…。手塚治虫先生の火の鳥などにも出てくるのもあって、ファンタジーな感じもしますが日本の歴史なのですよね。 数少ない女性が主導権を握る国家っていうのも興味深いです。しかも、男性が主導権を握った途端に国が傾いた事が疑問だったり…。 色々、課題は沢山ありますが、次回もたのしみです♪
@user-xe5dr1te3w
@user-xe5dr1te3w 5 ай бұрын
セピア先生の歴史講座を毎回楽しみにしてます。九州の私には東大派の九州説を推したくありますが、京大派の畿内説に分がありそうです。より分がありそうなのは阿波(徳島)説ですかね?いずれにせよロマンがありますね😂
@user-bx8kj9ch6b
@user-bx8kj9ch6b Жыл бұрын
とてもいい動画ですね。 魏志倭人伝は陳寿が日本に来て調べて書いたのではなく、日本に行ったことのある人から聞いて書いたというのが有力ですね(個人的には)。ですので、魏志倭人伝が書かれた時の日本と、実際の日本の時代にはずれがあったこと、昔の話や誇張されたものや噂話もあった可能性もあると思います。 当時は読み書きができる人は限られていましたし、書かれたものについて検証などはされなかったと思いますので。 情報に時間のずれがほとんどない現代と当時とでは、別世界だったということを現代人は考慮すべきですね。
@user-bf6ij2ti4q
@user-bf6ij2ti4q Жыл бұрын
やっぱり歴史って楽しい❤
@izumiyaroqji
@izumiyaroqji Жыл бұрын
魏志倭人伝は、伊都国の国のシステムが大半記載されていますね。邪馬台国についてはそんなに記載されていないですよね~。
@hiromihasegawa311
@hiromihasegawa311 5 ай бұрын
「鯨面文身で素潜りで魚を取るのが得意」....「奈良盆地に海はねーよ」で終わりな気がします。
@tarishihiko
@tarishihiko 2 жыл бұрын
古代日本は、魏を支援してるんだな。 でも三国志を読む日本人は、ほとんど蜀や呉が好き!自分もそう。 諸葛孔明が魏に敗れると、悲嘆にくれる不思議w
@himanano
@himanano Жыл бұрын
以前テレビで中国人の言語学者が古語で邪馬台をどう発音して読むのかというのがあった、「やんまたい」と読んでいた。卑弥呼の読み方は「ぺめふぁ」みたいに聞こえた
@user-zm6iw4cl2z
@user-zm6iw4cl2z Жыл бұрын
ヤマイチ国、元々はヤマ、壱の国という意味でしょうね。 また箸墓は大市墓とも呼ばれます。 今でも大和神社所在地の天理辺りは櫟本、つまりイチノモトという地名 ではありますよ。 また二上山の山裾は古市、今市という地名です。
@yamatotakeru2008
@yamatotakeru2008 2 жыл бұрын
真実はシンプル、だと思います。
@user-ey2jz8gi6z
@user-ey2jz8gi6z Жыл бұрын
筑後川を挟んで倭国大乱があったと仮定したほうが合理的。 筑後平野(筑紫磐井、南方系)対 嘉穂、朝倉、佐賀平野(邪馬台国側、北方系)。 嘉穂郡桂川町周辺が邪馬台国発祥地。 水行1日陸行1日、万二千里、イザナギイザナミの墓(王塚古墳、天神山古墳)、大分八幡、大根神社には天岩戸も、その他神話の世界は現存している。その後、宇佐国東方面に卑弥呼一族は逃避した。親族は各地に分散、勢力挽回に5代160余年で筑紫磐井政権を打倒追放、神武東征で奈良に大和朝廷を樹立。詳細は、山下善文で、ユーチューブ、フェイスブックなどで検索すれば分かります。著書も御参照下さい。
@index407
@index407 2 жыл бұрын
セピアさんが中高の先生だったら社会や歴史の授業も寝ずに受けれたのになぁ
@user-le3ji8ur4b
@user-le3ji8ur4b 4 ай бұрын
謎が多く楽しいですね。文字が残ってないからわからないとも言えるし、残った文字も間違いを疑える。こんな事で何百年も論争を続けているのは、それが楽しいからだよね。次を楽しみにしています。
@user-mr2ko6my5l
@user-mr2ko6my5l 3 ай бұрын
ヒミコは太陽を拝んで、色の黒いおばあちゃんです。 だから卑しい弥呼と書いたと思います。
@kaisermuto
@kaisermuto 2 жыл бұрын
中国発音で当て字と思う。イアーマ~トウ~グオ 国はグオ 中国語で嗚呼はウーウって発音するから呼はウだろう。ピ~ミ~ウまたはフィ~ミ~ウかも。でも中国側が言うのと日本側が言うのとでは違う発音だと思う。
@fujiwaragayouato9303
@fujiwaragayouato9303 Жыл бұрын
奄美大島に始まり北へ進んで行った インドの姫と伽耶王子の間の姫君
@nurechin
@nurechin Жыл бұрын
邪馬壱国は陳寿が間違えたわけではありません。(この辺は長くなるので割愛) 台はあり得ないと言いましたが他の史書では全て台の字が使われていることと矛盾します。 また壱ならば一大国も壱と描くはずですが違っています。壱と台が間違えるはずはないという理論も中国語の文章の中では間違いがないということで、邪馬台国は発音の当て字なのでその発音がわからなければ間違えるということは十分にありえます。 邪馬台国はやまと国で間違いないでしょう。ただし大和ではなく福岡県の山門郡のことです。なので臺與もトヨです。 また卑弥呼はよく日巫女と言われていますが火巫女です。 これは火の国(現在の熊本あたり)の巫女ということです。臺與は豊の国(現在の大分あたり)の巫女です。なぜ地名なのかは長くなるので省きます。 あと畿内説を唱えているのは悪名高い考古学会だけで、文献史学では様々な説がありますので騙されないようにしましょう。
@marikosakuya2495
@marikosakuya2495 Жыл бұрын
この頃日本に文字は無かった? 魏の人との意思疎通はどのようにしたのか? 日本語知らない人と中国語知らない人とどの様にしたのか素朴に疑問です
@kenn8438
@kenn8438 Жыл бұрын
ここで言われている原文は楷書で書かれていますが、陳寿の時代には楷書は無かったので実際は草書で書かれていたと考えられます。よって草書から楷書への変換時に間違えられた可能性が大です。古田武彦先生はいろいろいいこと言っていますが邪馬壹国は間違いです。
@user-es1de5th8x
@user-es1de5th8x 2 жыл бұрын
そもそも倭国だって【わこく】なのか? 倭、一文字でヤマトと読んでいたりする。大をつけて大倭→ヤマトだったりする。そして倭の字も蔑称で和が正しいから、大和がヤマトなのだろう。
@kazupon1967
@kazupon1967 2 жыл бұрын
卑弥呼の墓は宮崎県西都原古墳群の一角にある生目古墳群の1号古墳が大きさ(約130mで3世紀当時の古墳時代では九州最大級)も寄り添うように併設された100名の奴婢が埋葬された(生き埋めだったようで、「生目古墳群」の名前の由来です。)地下式横穴墓とかも魏志倭人伝の卑弥呼の塚の記述と一致しますよ! この1号古墳の相似形といわれる箸墓古墳(はしはかこふん)は魏志倭人伝の記述の倍の278mで更に殉葬の墓が近くにないのです。
@SugarPieGuy1961
@SugarPieGuy1961 2 жыл бұрын
邪馬台国ではなく邪馬壱国だというのは昭和の頃、古田武彦氏が唱えた説ですね。ただし現在の学会の主流には無視されている論です。もちろん学説は多数決ではありませんが。 いわゆる「魏志倭人伝」に『邪馬○国』という表記があるのは一カ所だけ。これが複数回登場し、そのどれもが「壱」の字であれば信憑性は高まるのですが。一方、他の中国の史書ではすべて「台」の字が書かれており、それはすべて誤記であるという古田氏の説には無理があると思います。
@tadashifujinaga
@tadashifujinaga 2 жыл бұрын
セールスうまそう!
@user-ij4lg7pk7p
@user-ij4lg7pk7p 2 жыл бұрын
👍
@user-ie9rr2we4j
@user-ie9rr2we4j 2 жыл бұрын
その先が 早く知りたい。 神話から いわゆる初代天皇、そして 実存する天皇の 話も、お願いします。
@mattchan2004
@mattchan2004 Ай бұрын
魏志倭人伝の作者が日本に来ていたと断言するのはおかしいと思います。作者は伝聞に基づいて書いたという説があります。
@user-oc5vg1vh5h
@user-oc5vg1vh5h 2 жыл бұрын
卑弥呼について、学生時代から強い興味をもっていました。邪馬台国の「北部九州説」と「近畿説」、ともに住んだことがあり、地元の方は深く信じ込んでいます。ユーチューブでいろんな方が「独自の邪馬台国 〇〇説」を主張されているのを知り、びっくりしています。卑弥呼⇒神功皇后⇒三韓征伐⇒任那日本府の流れの中で「任那日本府」を焦点を当てた動画が見たいです。
@adgjmptw889
@adgjmptw889 5 ай бұрын
魏と西晋に朝貢した日本(神功皇后)は東朝、北魏(神元皇帝)は北朝なのが日本書紀、後魏書序紀のスタンス。
@ytbupwest
@ytbupwest 2 жыл бұрын
たいへん勉強になり有難うございました。 西暦266年に 壱与が、晋へ朝貢していた事を初めて知りました。 西暦280年には 晋が呉を滅ぼし中国を統一しております。この際、壱与が属する渡来北九州グループは 我が国に渡来していた長江流域出身グループ(呉国=出雲系)に対して 国を譲り渡すよう強要(国譲り)し、西日本を手に入れ、さらには 関東、東北地方をも視野に入れ、大阪、奈良に進出(神武東征 西暦280年~400年)したのではないでしょうか。
@user-dt9zj4xm9s
@user-dt9zj4xm9s 2 ай бұрын
最近壱与に興味がある者です。 歴史はまだよくわかっていないのですが、壱与は北九州にいましたか? 壱与が女王の時代にどこにいたか、知りたいんです。
@sk25209
@sk25209 2 ай бұрын
@@user-dt9zj4xm9s 私思うに 大分県宇佐に30歳くらいまで滞在 その後 畿内へ 特に奈良の桜井辺り
@user-dt9zj4xm9s
@user-dt9zj4xm9s 2 ай бұрын
@@sk25209 ありがとうございます😀 奈良に行ってからは九州には戻ってないと思われますか?
@sk25209
@sk25209 2 ай бұрын
​@@user-dt9zj4xm9s 私は 台与=豊鍬入姫命と考え 豊鍬入姫命は 天照大神を33年間祀ったあと丹波国吉佐宮に4年間滞在されておられ、この時、豊受大神が天上界から降りて、天照大神の食事の世話をされたと言われております。従って 台与=豊鍬入姫命=豊受大神と考えております。豊受大神は 伊勢神宮外宮に祀られています。
@moriritz9715
@moriritz9715 2 жыл бұрын
サムネの卑弥呼像っていつ描かれたものでしたっけ
@koreganihon
@koreganihon 2 жыл бұрын
9:25 ひどすぎる習慣で笑ったwww
@sentarou6969
@sentarou6969 Жыл бұрын
距離とヤマタイという語呂以外に大和地方にあったと言う手がかりはないし、記述からは九州北部で間違いないでしょう。 どこにあったかよりも興味深い内容の方に価値があると思います。太占や入れ墨の文化を持つ中国江南から渡った戦上手の人達が先住民人を征服して奴隷にしているのかも知れません。 三国志は晋の正当性を明らかにするのが最重要なので、遠路はるばる朝貢する感心な国ではありますが、元データの距離や方角に「ん?」と思ったとしてもてもいちいち確認するほどのことでもなかったでしょう。ヤマタイではなくヤマイチであるならますます大和説は根拠レス。
@MrHagehage
@MrHagehage 6 ай бұрын
台でトで考えればすっきりするんだけどな。 日巫女で天照は整合性があるし外宮の豊受がトヨで整合性が取れるしヤマトて整合性が取れるし全部解決する
@SappheirosMiseria
@SappheirosMiseria 2 жыл бұрын
卑弥呼と邪馬台国は長い日本史の中でも本能寺の変と双璧をなす謎だよな。
@yasunori_suzuki
@yasunori_suzuki Жыл бұрын
卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命で、台与が豊鍬入姫命だと俺は思ってる。
@araoaki4983
@araoaki4983 9 ай бұрын
邪馬台国の人間が入れ墨をしていたって魏志倭人伝で書いてあるけど嘘じゃないかなあ?当時の入れ墨文化の資料ってあるのでしょうか?邪馬壹国も臺の書き間違いじゃないかなあ?壱与も臺与(トヨ)で邪馬台国は豊の国(豊前・豊後)と素人で勝手に想像しています。
@comet361
@comet361 Жыл бұрын
よく見ると邪馬台国の台の旧字、下に「豆」がありますね。豆は中国語で「と」と読みますので、その字も同じ読みの可能性が高いです。本当はヤマト国の当て字ではないでしょうか。邪も牙だけだと中国語で「ヤ」、馬は「マ」なので、それなら辻褄が合います。あと、卑弥呼の中国読みで「ピミオゥ」とおっしゃいましたが、「ピミ」は中国語で「秘密」の読み方なので、これも何か関連があるかも知れませんね。実に面白いです。
@kaisermuto
@kaisermuto 2 жыл бұрын
今、ひらめきました。もしかしてヤマト側はヒメって呼んでいたのではないのかと。 ヒメをとかヒメはとか紹介しているうち相手が聞き間違ってヒメヲとかに理解してしまった・・・かもです。位のある女性ヒメと呼ぶのは当然と思います。無理やり主張はできませんが。
@punkpunk2587
@punkpunk2587 6 ай бұрын
卑弥呼の墓は箸墓であるはずがありません。邪馬台国は北部九州ですから、墓は平原王墓や長田大塚古墳、亀山(宇佐神宮)のどれかでしょう。
@user-gi5xg9oc3y
@user-gi5xg9oc3y 6 ай бұрын
魏史の中には、諸外国の記事は多くあるとのことですが、倭国については比較的記載が多めで属国として見てはいるものの全体としては優秀な国家である体で表現されているのだとか言われますが、著者の陳寿の地位や史書の意味合いも関係するようです。倭国の位置も東で一定の距離がある必要もあったのだとか・・・。当時の中国語の発音も正確に分からなければ理解はできないし、全てが魏時代の見分なわけでも無いようで記述そのものを馬鹿正直に真に受けての論争は意味が無いような気がします。 金印が見つかった志賀島、あれが奴国だったとしたら、魏の時代であっても当時の国単位は相当狭い範囲ではなかったのかと想像できます。 稲作が定着し、品種改良や独自の耕作法などの発展と共に、国の規模や位置が大きく変わっていったのかもしれないと思います。 明治維新から150年、邪馬台国から、5王の出現までの期間と同じくらいです。想像を絶するスピードで世の中が移り変わっていったのかと思いますが、ずっと人々は生活し続けていたわけで、遺跡や遺物等の地道な研究で空想ではなく足跡がうっすらとでも確認出来たらよいのにと思っています。
@user-mk3vr4ez3p
@user-mk3vr4ez3p 28 күн бұрын
てことは、金印は誰かの家の下にポツりと埋まってそう
@user-qg2ox6qp7i
@user-qg2ox6qp7i Жыл бұрын
刺青してるのは海人だから奈良ではない
@user-lb7iw8xq7t
@user-lb7iw8xq7t Жыл бұрын
誰か?宜保愛子さんに卑弥呼を霊視お願いした人は居ないんですか?ツタンカーメンはお爺さんに毒殺されたと霊視されてましたよね!
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
倭国
@masamasaict7312
@masamasaict7312 Жыл бұрын
話なかなかうまいのに、伸びてないね。今、阿波説が面白い。どこかを断定してみては?
@user-go2hb9qg1r
@user-go2hb9qg1r 2 жыл бұрын
100歩で140mはむちゃくちゃやろwはし墓の大きさに合わせたいから無理やり解釈するのは良くない
@KARAOKE_BAKA
@KARAOKE_BAKA 4 ай бұрын
判明してからUpしてね😊 若林さん😮
@user-pz4jw1db1q
@user-pz4jw1db1q Жыл бұрын
臺の文字は、邪馬臺として、隋書にも使われています。三国志の時代に、至高の文字であったのに、隋の時代には、そうでなかったとすれば、隋の時代には、皇帝に、憚る事なくこの文字が使われていたのでしょうか。すなわち、隋の煬帝の権威は、三国志時代の皇帝の権威よりも、相当、落ちてしまったと、言う事なのでしょうか。
@sentarou6969
@sentarou6969 Жыл бұрын
隋は300年近いの異民族国家乱立時代の果てに生まれた異民族国家なので、昔の伝統もそっくりそのまま伝わったわけではないでしょうね。
@user-ix8ug3kg1d
@user-ix8ug3kg1d 9 ай бұрын
卑弥呼が没した時は皆既日食だと記録されているなら、地理的に、九州しか有り得ませんね。
@yamashanxia5541
@yamashanxia5541 2 ай бұрын
面白いのは この魏志倭人伝に書かれている内容を 電子化して中国翻訳機に通すとほぼそのまま翻訳されて理解できること。 弥生時代の日本の人々の暮らし状況が色々と書かれています。 一部書くと 当時の日本は且つては100か国以上あったけど30か国に行けるようになりました。 この国では殆どの人は4~5人の妻を持っています。 下層世帯では2~3人の妻を持っています。 法を犯せば、軽い場合は妻を失います、重い罪を犯せば家族・一族全員が殺されます。 身分の差がありますが、お互いに譲り合えば問題ない。 彼らは元々は男性を王としていましたが日本は70~80年間もの間混乱していて その後に卑美胡(卑弥呼)という女王を立てました。 彼女は幽霊のようなやり方で仕事をして人々は混乱する可能性があります。 卑弥呼の死後の後、墓は100段以上の道があり、100人以上の奴隷と女中も一緒に埋葬されました。 その後に男性の国王を立てたが国中に不満が出て混乱して1000人以上が殺し合いをしました。 改めて13歳の女王を立てて国は安定しました。 風俗は猥らではありません。男子はみな被り物はしないで髪を露出しています。 木綿で頭を縛っています。服装は横幅がありただ縛ってあるだけで縫物は殆どありません。 婦人は髪をおでこに垂らして後ろ髪を折り曲げて結っています。 掛け布団のような衣を作り真ん中穴を開けて頭を入れて着ています。 稲やカラムシを栽培し養蚕します。 その土地に牛、馬、虎、豹、羊、鵲は飼っていません。 倭地(日本)は温暖で冬でも夏でも生野菜を食べています。 みんな裸足で屋根と部屋があり、父と母、兄弟は別々に寝ます。 赤い顔料を体中に塗ります。 食べる時は竹で編んだ皿、木をくり抜いた皿を使って手づかみで食べます。 不正確もあるかもしれませんが大体こんな感じです。 多過ぎて書ききれませんが。
@user-lm6qc6jq9q
@user-lm6qc6jq9q Жыл бұрын
江戸時代の与力役割が分かりまあ演歌。私見です卑弥呼護り役から来たのでは。中村門戸」よりヽ(^o^)丿
@user-dg9ul1wg1m
@user-dg9ul1wg1m 2 жыл бұрын
魏志倭人伝の記述内容を「盲信」する訳を知りたい。
@OGSYS999
@OGSYS999 2 жыл бұрын
私は、魏志倭人伝は噂の伝聞ぐらいの情報しか無いのではと思う
@user-dg9ul1wg1m
@user-dg9ul1wg1m 2 жыл бұрын
@@OGSYS999 様 返信 ありがとう 通称「魏志倭人伝」は、AD280-297の間に書かれたとされている。 陳寿47歳から64歳の間。 卑弥呼がAD238以降に魏に使者を送り、「親魏倭王」を任じられたとされる時、陳寿は多分5歳位。(15歳だとしても)実体験ではない。 魏が終わり晋になってから書いた(1700年前頃)のだから、更にその前の事を正確に書けるはずがない。 更に言えば、中華思想における東夷は、無いに等しい。 BC219頃徐福が日本に来たかは別にしても、400年以上前から中華では、東夷に目を向けたひとはいたであろう。 長くなりましたが、通称「魏志倭人伝」の内容は、正確性を100%とすれば、1%も無いと思っているので、「だって書いてあるじゃん」程度のことに熱中できる人たちは、羨ましすぎる。 基本フィクションでしょ。
@sentarou6969
@sentarou6969 Жыл бұрын
​@@user-dg9ul1wg1m様  陳寿は蜀の高官で、魏に滅ぼされてから長い失業時代を経て、晋に就職し国書編纂という大業を任されました。相当な逸材だったのでしょう。 魏の時代の内情は当然知らないので膨大な記録を丹念に調べたり、ベテラン官僚にしっかり取材したはずです。 誰からも非難されないようなものを作らないとクビ、皇帝の機嫌を損ねれば死刑の可能性もあるので、全く架空の話をでっち上げるとは思えません。 また、東夷を野蛮人と貶めてはいても、遠方からわざわざ朝貢に来るのは皇帝の権威と徳をアピールするのにもってこいなので、中華思想にはむしろ重要なことだったと思いますよ。どうでもよければそもそも東夷伝は作らないでしょう。
@lionmarch6357
@lionmarch6357 2 жыл бұрын
身分ので格差あっても同階級の差別がないって素晴らしいですね。その後どうやって男尊女卑になったのかって思ってしまいましたが…
@eduwardotan1879
@eduwardotan1879 Жыл бұрын
日本には、縄文時代から神代文字がありましたよ。今 偽書としている竹内文書などを認めたら、歴史は正されるでしょう。
@segawatakayoshi9074
@segawatakayoshi9074 2 жыл бұрын
魏志倭人伝だけを頼りにしたらそりゃわからないと思いますよ。文献はそれだけじゃない倭人に関する記述のある文献だけでも100冊はくだらない
@user-pc8qs9qv7r
@user-pc8qs9qv7r 2 ай бұрын
🐰2024 5 7面白いね❤
@user-qb8gw8ko9q
@user-qb8gw8ko9q Жыл бұрын
普通に読んだら、卑弥呼は、アマテラスで、弟は、スサノオだよねー。しかも、九州王朝だよね
@user-gp5ec7sf3h
@user-gp5ec7sf3h Жыл бұрын
以前 ニモ 見させて 頂いたと 思うの ですが  わかりやすい 解説  軽快 な 語り口 とで お陰様 で かなり 勉強 に なりました 深く 知れば 知る ほど 興味 深い 内容 で もっと 早く から 勉強させて もろて いれば と 悔やまれ 増す
@shirouto-diy
@shirouto-diy 11 ай бұрын
邪馬台国は阿波です。 調べてみて下さい。
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 2 жыл бұрын
論理的に考えれば、ミステリーっていう程でもないんですけどねー。 あり得ないシャーマンとか過大評価をして文献を無視して妄想ばかり膨らませるからややこしくなるのでは?っと思いますが… 後漢書には倭奴国に金印紫綬して、隋書や旧唐書では倭奴国を国号として扱ってますから、倭奴国とは金印の「委奴国」のことだと推測できますので、 魏志に書いてある通り、伊都国のことだと思います。魏志には伊都国で常に治める。代々王がいる。っとありますから、卑弥呼は伊都国王家の姫だと考えれば、伊都国王家の権力争いと出雲から北部九州にかけて戦争の形跡があることから日本海側で倭国大乱が起こり、権力のない卑弥呼が伊都国の代表として立つことで平定されたと思います。 この過程で出雲や豊国の国々の交流がなくなったのでは?国が統合されたのではなく、朝貢ルートが伊都国だけになってしまった。っということだと思います。 つまり邪馬台国とは伊都国の一部の村や県のことで、連合ではなく、伊都国という国号の領域国家があった。それで伊都国と邪馬台国にしか王がいないという説明がつきます。 魏志を良く読めば伊都国だけ蔑称もなく特別扱いされていることが重要なポイントかと思います。都ですよ! 考古学的に見れば北部九州の西と東で文化が異なりますから、伊都国は筑紫国、肥国、を支配領域としていたと思われます。 そして魏志の通り読めば、邪馬台国は筑紫国南部か肥国南部と考えるべきなのではないのでしょう? また大和王権とは全く関係がないことも、考古学的に見て証明されますし、宋書の衆夷66国の半分程度の30国という記述にも合致します。 さらに倭国とは古の倭奴国、倭国と日本国は別種という記述にも合致します。 ものすごく簡単だと思うのですがどうでしょう?
@kenn8438
@kenn8438 Жыл бұрын
当時の”奴”という漢字に「ト」という読みはありません。よって倭奴国をイト国と読むことはできません。倭の奴国もしくは倭人は奴という意味で倭奴としたと考えられます。匈奴も似たような部類です。
@sentarou6969
@sentarou6969 Жыл бұрын
説得力有りますね!女王二人の時代に戦争は収まったという事から、誰もが認める高貴な家系か占いが当たるとかそんな人達だったんだろうなあと想像してました。伊都国は一大率もあり、中国と太いパイプのある国だったのでしょうね。
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z Жыл бұрын
@@sentarou6969 定説の先入観や作家の学術的に根拠のない論説が、文献に書かれていることを素直に読めないようにしているのだと思います。 今でも阿波説や越説などを本気で信じている人も多いようですが、ほとんどが科学的根拠のない物語にすぎませんので、歴史と小説を一緒にするべきではないと思ってます。
@user-ik8ui9ye7z
@user-ik8ui9ye7z 4 ай бұрын
松前家、津軽家、南部家、安東家、最上家、伊達家、岩城家、相馬家、佐竹家、里見家、上杉家、真田家、徳川家、前田家、佐々家、池田家、丹羽家、筒井家、朽木家、織田家、長宗我部家、毛利家、宇喜多家、九鬼家、大友家、鍋島家、伊東家、立花家、相良家、島津家 ざっと思い付くだけでも、これだけの家が共立して出来たのが豊田政権です。 つまり卑弥呼も呪いではなく、武力で諸国の王を傘下にしたのだと思います。 日本は志那と違い、有力者に全国の大名が従って天下が形成されました。 卑弥呼の時にそれが確立し、徳川幕府まで引き継がれました。 これも将軍家と大名家の連合政権です。 徳川家康も又、共立されています。 卑弥呼の優位性は呪いではなく、出雲の家宝の剣そして高志の家宝勾玉です。 その上に鏡を高々と掲げて、諸国の王達を従えたのでしょう。 御肇国天皇は威張り散らしたのでしょう。 崇神天皇は、幼い頃から雄略を好み神事を疎かにしてたと語ってます。 老いて鎧を着込み馬に乗る事を恥じて、諸国息子に政を任せました。 そして女性本来の役割である神事に没頭する様になったと。
@fukuneco3
@fukuneco3 10 ай бұрын
記述が全然一致してないのに倭の五王=天皇っていうのもあまりに短絡的だね。
@tadano1zinnminn
@tadano1zinnminn 29 күн бұрын
卑弥呼がいた西暦200年代に建設された日本初の前方後円墳箸墓古墳の埋葬者は倭迹迹日百襲姫命である❗❗🫡🥰🤗😁👍 箸墓古墳は吉備の埴輪、出雲の葺石、九州北部の豪華な副葬品といった日本各地の埋葬形態を組み合わせた豪族連合の象徴らしい❗❗🫡🥰🤗😁👍 箸墓古墳の名前の由来は、倭迹迹日百襲姫命が大物主と出会った際、彼の真の姿がヘビであるのを見てびっくりして尻もちを着き、そしたら陰部に箸が刺さって絶命したコトに由来するらしい❗❗😢😢😢 大物主はどうやら大国主の生まれ変わりらしく、大国主が祀られている出雲大社の御神体は見ちゃいけないのだがそれを無理矢理見た人には蛇が飛び出してきたらしい❗❗😅
@ufo19991
@ufo19991 2 жыл бұрын
イヨかトヨかってはなしはヤマタイにそろえてタイヨ(太陽)にしてしまえばいいのに。アマテラスも太陽のことなんでしょう?。そしたら読みにすべて統一が取れる^^
@seiji5431
@seiji5431 Жыл бұрын
こんにちは。漢委奴国王印はカンのワのナコクオウではないです。カンのイのナコクオウです。イの国です。壹は壱の旧字体でイです。だから、邪馬壹国はヤマイコクです。イノ国は伊の国つまり阿波徳島県です。証明は帯方郡から南東12000里(短里76Km計922km)で線を引っ張ると徳島県の神山周辺になります。近くには卑弥呼の居住地跡があります。また、近くには倭の首都に当たる倭大国魂神社(式社内1社)倭大国敷神社裏には大国主のお墓があります。近くの山には丹ありは近くには日本最古最大の丹発掘場と工場地若杉山遺産があります。また、海を東に1000里(76km)渡れば別の倭人がいる。徳島県からなら奈良です。奈良は大倭です。壹予(イヨ)といえば四国二島です。
@user-zx4dz2gt6b
@user-zx4dz2gt6b 2 жыл бұрын
目新しい 興味深いもの まったくなかった 残念
@osamuarima1118
@osamuarima1118 Жыл бұрын
邪馬台国は大和国ではないと思います。同じなら、記紀に記録がないのがおかしいと思う。
@HOSTAKA
@HOSTAKA Жыл бұрын
記紀の制作者たちにとって邪馬台国の存在は「不都合な真実」だったんじゃないかと思います。 皇室の起源に関わる何かが邪馬台国にはあるのかもしれません。
@user-iy4by8fo2u
@user-iy4by8fo2u 10 ай бұрын
他の阿波説のKZfaqrさんが言っていますが、白村江の戦いに負け、攻め込まれるのを恐れた大和朝廷は、国を再編し中国に対決しなければならなかったので、中国に朝貢した歴史を作り変える必要があった可能性があり、古事記日本書紀を史実と違うように編纂したのではないかと考えられます。
@osamuarima1118
@osamuarima1118 10 ай бұрын
@@user-iy4by8fo2u 卑弥呼の時代は白村江の戦い以前だと思います。恐らく神功皇后の三韓征伐のころには邪馬台国は消滅していたと思います。邪馬台国と大和朝廷は関係ないという前提のはなしです。
@yuichihanda3268
@yuichihanda3268 Жыл бұрын
朝貢がないのは、ヤマト政権が強くなって、朝貢することはなく、三国志の呉国もヤマト政権の鉄武器を購入しているくらい強い国だったという意見があります。
@NAO-wq6xe
@NAO-wq6xe Жыл бұрын
中国は鉄、無かったからでしね。 日本が鉄の武器作ってましたね。 曹操の武器も日本人が作ってた
@user-bx4ny1tf1r
@user-bx4ny1tf1r 2 жыл бұрын
かえってわからなくなるかいせつかな。
@user-rs6dn7zl3l
@user-rs6dn7zl3l Жыл бұрын
魏の使者は伊都国までしか行ってない可能性があり解決されてない原因かも
@mannosuke
@mannosuke Жыл бұрын
"ヒノミコ(日御子)"とは、すなわち"天照大神"のことです。当時、天照大神の説明に日之御子という表現をしたため、ヒノミコ(日御子)が魏志倭人伝に"卑弥呼"という蔑称の当て字が使われたものと思われます。
@user-pl5js2ik2v
@user-pl5js2ik2v Жыл бұрын
凄い妄想力。 無い無い
@NAO-wq6xe
@NAO-wq6xe Жыл бұрын
隣国人ファビョッってて草ー。 はいはい、おめでとう。
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BANKII
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