【国鉄時代】急行「白兎」 京都発米子行き キハ58系

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旅一郎

旅一郎

Күн бұрын

昭和61年10月。廃止まで10日あまり
京都駅から米子行きの急行「白兎」に乗りました。
目的は旧客だったので、八鹿までの乗車ですが、車内の様子がよくわかります。
懐かしの「萩乃家」の弁当も見られます。

Пікірлер: 307
@saionjikotone9476
@saionjikotone9476 5 жыл бұрын
福知山に住んでいて、丹後、丹波、白兎、だいせんと様々な急行に乗っていたことを思い出しました。気動車時代が懐かしいです。昔に戻れるならと思いを馳せれる映像に感謝です!!
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
saionji kotone ありがとうございます。 当時急行はあまり注目してなかったのですが、撮っておいてよかったです。 懐かしんでもらえて嬉しく思います
@user-vv1ph4ws7x
@user-vv1ph4ws7x 4 жыл бұрын
平成時代に入ると高速道路網の開通や延伸でぇ国鉄から引き継いで来た急行列車は全廃され、国鉄がの急行列車が走っていた区間は民間のバス会社が地域交通の足として活躍してます。
@user-ltd_nihonkai
@user-ltd_nihonkai 5 жыл бұрын
窓全開で音や景色を撮れた良き時代ですね。今じゃとても考えられない。 トイレは垂れ流しで線路が見えていたのが懐かしく思えます。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
ザ・ファイナル超号 金 窓を開けてその土地の空気が感じられ、旅してる感がありました。 閉じられた空間から景色を見てもテレビで見ているのと変わりませんね
@gaikaomiru
@gaikaomiru 5 жыл бұрын
幼稚園のころ止まってるときにうんこしたらいかんよ、と言われたけど我慢できなくて・・・。東京オリンピックの年に長崎線での出来事でした。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
キハ28・58形に非冷房車は過去に在籍した実績がありまして、福フチ在籍組ではキハ58 38・65にキハ28 64の3両、金ツル在籍組ではキハ28 65・66の2両(後者サイドは金ナナからキハ28 2166、天カメからキハ28 2317、天ワカからキハ28 2327、米ヨナからキハ28 2411・2412をそれぞれ迎え入れたことにより1986年3月に解雇)の計5両がいました。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
アルミまたはステンレス製の和式便器自体は後に垂れ流しではなくなりまして、左下のペダルを踏めば自動的に薬剤の入った液体で流してくれる仕組みに変わりました。
@showgeebeats4322
@showgeebeats4322 4 жыл бұрын
キハ58系の車両はよく見たし撮りましたが、乗車は叶わぬ夢でした。 窓全開に開けれるのが魅力ですね。 4年前の夏、京都から豊岡まできのさき乗車で通りました。 電化の山陰線も良いですが、やはり30年前大阪から米子までだいせんで通った時のイメージを覚えていたので、懐かしいい気分にさせてくれる動画でした。
@minzusan
@minzusan 4 жыл бұрын
子供のころ父親の実家の鳥取まで帰省するときに使ってました。必ず年末で雪が降ると遅れがでて7~8時間なんてことも・・・。懐かしく拝見させていただきました。 貴重な映像です。ありがとうございました。
@zard4700
@zard4700 3 жыл бұрын
当時綾部、福知山までよく乗ってましたが、この白兎はこんでたイメージがあります。保津峡あたりで車掌さんがわざわざアナウンスしてくれてたのもいい思い出。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
そんなアナウンスもありましたね。餘部とかも
@user-gq7ph4vw5b
@user-gq7ph4vw5b 4 жыл бұрын
当時のビデオカメラって、バズーカ砲ぐらい大きかったのに、7両全てを探索するとは、すごい神経ですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
ぴーまん 逆にテレビカメラと思って、ピースする人とかいましたよ
@mikion35
@mikion35 5 жыл бұрын
当時のグリーン車は今と比べものにならないくらい重厚な雰囲気でした。普通車との差が半端なかった思い出がありますね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
風格がありましたし、グリーン車に車掌が乗っていたので人手がかかっていましたね。
@onokaikei7
@onokaikei7 5 жыл бұрын
そうそう(。・_・。)
@rhscm989
@rhscm989 5 жыл бұрын
当時の急行「丹後」は、宮津線乗り入れは別とすると東舞鶴までならグリーン車・普通車指定席ごと乗り入れた実績はありますが、その先の小浜線へは1982年11月までの名古屋からの「大社」(それ以降は福井発着の編成(こちらは全車自由席のみ)を初代「はしだて」に改称して1992年3月まで継続)1往復を除き、あくまでも普通車自由席のみの編成が乗り入れることが基本的で、東舞鶴を飛び越えて小浜線にも乗り入れる「丹後」では、同線内を普通列車として運転することを前提としていたためなのか、普通車指定席はおろかグリーン車の設定すらありませんでした(「わかさ」も同様に全車自由席のみ)。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
今でもそうですが、グリーン車利用の際は乗車券・急行券または特急券(但し普通車指定席とは異なり年がら年中自由席特急券を適用)のほかに一定距離に応じたグリーン券が必要で、グリーン車自体が「高嶺の花」だったとしか言いようがありませんでした。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
それは別としますと、1992年には普通車指定席に使用することを前提として(但し必ずしもそうだったとは限らず、「丹後」または「わかさ」の普通車自由席に使用されたことも実際にあった)、新幹線0系車両からの廃車発生品である簡易式回転リクライニングシートに交換され、内装の化粧板まで一新した7200番台も登場しました(その代わり座席定員数はオールボックス席時代の84名から64名に減らされました)。
@MrCZW777
@MrCZW777 5 жыл бұрын
古き良き時代とはこういうの言うんですね。とても素晴らしいです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
MrCZW777 評価ありがとうこざいます。 この改正で急行らしい急行や旧客がなくなり、古の旅ができなくなりましたね
@yabumatsu
@yabumatsu 5 жыл бұрын
貴重な投稿ありがとうございました。 昭和40年頃に途中下車された八鹿の隣の江原に住んでいました。 ジーゼル急行の雰囲気がよく感じられます。 但馬や丹波で大阪や京都に行きましたがとにかく時間がかかって しんどかったですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
yabumatsu 昭和40年代はまだ列車も利用客が多く混んでいたのではないでしょうか。 僕が精力的に乗っていた50年代後半から国鉄末期までは、無駄に長い編成でガラガラが基本でしたので、気楽に乗れていました
@user-it7oe7iv3w
@user-it7oe7iv3w 4 жыл бұрын
このエンジンの音は耳に焼き付けています。懐かしい、
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
佐々木一朗 カラカラっという音が優しく眠気を誘いましたね
@gu-gu8884
@gu-gu8884 4 жыл бұрын
キロの走行中の動画は本当に貴重ですね。排気ガスと油の匂いがしてきそうな素晴らしい動画です。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
gu- gu ありがとうございます。 勇気出して車内を撮った甲斐がありました
@user-im6jf4vi2j
@user-im6jf4vi2j 4 жыл бұрын
とても懐かしい動画をありがとうございます。昔の京都駅に在った貨物駅?、嵯峨~保津峡間、キハ58系、久しぶりに出会えてとてもうれしかったです。ありがとうございました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
メー助 ありがとうございます。 京都駅の山陰本線ホームの雰囲気は全く違ったものになりましたね。 汽車旅という言葉が似合うところでしたね
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
メー助さん> 嵯峨(現在の嵯峨嵐山)~保津峡間は新線切り替え後も営業キロは変わりませんでしたが、保津峡~馬堀間はそのあおりを受けて営業キロが1.6km短縮され、京都~亀岡間は従前までの21.8㎞から20.2㎞に変更されました。これにより京都~保津峡間から馬堀以遠各駅相互間では、運賃額の値下げが行われた区間も複数発生しました。
@kengou1733
@kengou1733 4 жыл бұрын
祖母が元気だったころ、何度も行き来した路線でした。現在のような前面展望が不可で、開け放った窓から懸命に前を眺めてました。なるべくDD51けん引の客車に乗りたくて、1本列車を遅らせて欲しいとワガママを言ってました。今では少なくなったキハ40が、当時はイヤでイヤでたまりませんでした。通勤型の車内が路線に不似合いだと思いましたし、オレンジ一色の車両が・・・子供心にもガックシでした(笑)
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
京都駅から乗る時もキハ47の時はがっかりでした。 やっぱり客車列車が似合いますね。
@user-gu8wn3kt3w
@user-gu8wn3kt3w Жыл бұрын
同感
@user-se2px2um1x
@user-se2px2um1x 2 жыл бұрын
山陰本線における長大編成の気動車急行、とっても魅力的でしたよね。 そして山陰本線の起点となるプラットホームが、同じ京都駅の新幹線プラットホームの華やかさとは全く対照的で、 「B面の京都駅プラットホーム」としてのステイタスを誇っていたのが非常に面白いと思ったものです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 жыл бұрын
京都駅のB面というのはなかなか素晴らしい表現ですね。新幹線と蒸気機関車が共存した時代もあり、歴史が詰まっていましたね
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
実際には嵯峨野山陰線用プラットホームとして現在に至るまで独立しているわけではなく、現在の0番ホームと連絡通路を介して現在の30~34番ホームと結合してホームを一体化している関係で、その間は端から端まで約550mもあります(現在の嵯峨野山陰線用ホームがまだ1面2線しかなかった時代から)。
@user-ce9kf3vw3z
@user-ce9kf3vw3z 3 жыл бұрын
懐かしい動画ですね、僕も、田舎が若狭高浜で、キハ58京都発10時15分、若狭高浜13時09分、急行丹後1号網野、敦賀行きに、乗って帰りました。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
仰る通り京都から小浜線西部エリアへのご旅行・帰省等に重宝がられていた列車でしたが、下り1号は西舞鶴から各駅に停車するかと思いきや、実態はそうであっても西舞鶴~東舞鶴間にも急行用の列車番号4901Dが割り振られており(敦賀行きの2両編成が京都~東舞鶴間で急行「丹後」1号として運転されていたのはこのためで、東舞鶴から改めて普通列車用の列車番号が4955D改め4937Dに再度振り直され、引き続き小浜線内すべての駅に停車しながら敦賀まで運転された)、確実に東舞鶴までの急行料金を徴収されるいわば「変わり種」でした。
@campusmizuho7464
@campusmizuho7464 5 жыл бұрын
おお。今日はリバイバル(と呼べるのかどうか)急行白兎、DD51+12系の編成が走る日なので、それに合わせてのご投稿でしょうか。 今や京都から米子まで乗り換えなしで行ける列車は1本もありませんね。乗車券+急行券だと特急よりも安いし、素晴らしいサービス。 また、近頃話題の「バリアフリー」(乗り換えの手間が減らせる)でもあるのではないでしょうかね。いい時代でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
campus mizuho タイミングは偶然です。 先にアップした746レシリーズです。 アップした後今日リバイバルに気づきました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
campus mizuho 長距離輸送、ネットワークこそ国鉄の存在意義でしたね。 接客態度がなってないと言われますが、 笑顔の接客が見たいなら百貨店に行けばもっと本式のサービスに触れられます。
@rhscm989
@rhscm989 5 жыл бұрын
今ですと、新幹線「のぞみ」+特急「やくも」の時代ですよね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
新幹線+在来線、あるいは東北のように新幹線+ミニ新幹線という流れは 古来からの街道であった「~道」のつながりを無視しているのでどうもしっくりきません。
@Kurotake7829
@Kurotake7829 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 新幹線+在来線という流れは日本に新幹線という存在が生まれたことが全ての発端ですね。それが博多まで線路が延伸して、東北や新潟へ新幹線が…。こうして、新幹線+在来線ということが当たり前…と言いつつ、奥羽本線の改軌や、ローカル線を含めて急行全廃やら新幹線の延伸で一部は崩れつつあります。在来線が100%主役も一部を除いて新幹線に完全に譲渡してます。新幹線が太い幹、在来線特急や高速バス(在来線特急が完敗した区間)がそこから分岐する江だという感じがします。
@YasuobuNAKANISHI
@YasuobuNAKANISHI 5 жыл бұрын
懐かしい光景ですね。こんな旅は、もう二度とできないのが、残念です。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
そうですね、できないと思うとさらに乗りたくなります。
@goh1123
@goh1123 5 жыл бұрын
大変貴重な動画を有難うございます。キハ58系による山陰長距離気動車急行、大阪から「だいせん」京都から「白兎」名古屋から「大社」(昭和57年11月廃止)憧れの急行列車でした。特に「だいせん」「白兎」は一度は乗ってみたかった急行列車でした。(だいせんは夜行も含めて)自分が国鉄急行型が大の好物なので京都ー福知山間で「丹後」に態々乗りに行ったことが有ります。動画に出たきた「萩ノ家 」丹後に乗った時に京都駅で買った駅弁の「竹籠弁当」を思い出しました。キハ58系急行に最後に乗ったのは2005年、芸備線の「みよし」でた。キハ58系の定期急行これが最後かと思うとやり切れない気持ちになりました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
matudaira katunari 大社は長かったですね。 関西なので縁はなかったですが。時刻表でいつも気になってました。 ちなみにご存知かもしれませんが、萩乃屋の弁当は京都駅から押し出されましたが、駅前で営業は続けており、事前に電話予約すれば100円の配達料で改札口まで持ってきてくれます。 また京阪三条と出町柳のコンビニで540円の幕の内を売っています。 京都から旅立つ時はいつも買って出かけています。
@goh1123
@goh1123 5 жыл бұрын
旅一郎さん そうだったのですか、あの駅弁の老舗「萩乃屋」が京都駅から押し出されてしまたのは知りませんでした。残念です。京都から帰る時、土産にも、よくここの「竹籠弁当」を買って帰りました。手軽に京料理が食べれると評判でした。今は電話予約をしなければ手に入らないということですね。情報有難うございます。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
こういう事情です。先にかいてありますが、京阪三条と出町柳のコンビニ「アンスリー」に売ってますが、午前中に売り切れることが多いです。 train-hotel.net/haginoya-kyoto.html 075-361-1301 応援してます。
@erenapink
@erenapink 5 жыл бұрын
京都駅のホームは今ははるかが停まってる場所ですよね?! 同じ場所とは思えないくらい今はきれいになりすぎてます(笑) 先頭車がいっぱい入ったキハ58の長編成はステキですね! そして音が懐かしい♪
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
ERENA☆女子鉄道旅チャンネル 厳密には、元々の京都駅1番線を埋めてホームを拡張した(今の0番線) ので、はるかが止まっている場所は元々の1番線に続く線路です。 1番線と2番線の間には通過線と留置線がありました。 その頃の動画もあるのでまたアップします。 草津線の50系からも、見えているかも知れません。
@jxfds369
@jxfds369 5 жыл бұрын
私は大阪ですが、香住と浜坂に親戚が多く住んでいたので当時の山陰へ向かう特急・急行はよく利用していました。 特急ではさすがになかったですが、急行ではグリーン車でもこの当時は中刷り広告が車内に吊るされてたりしてたのですね。R17型の臙脂色の座席はほんと、普通車の垂直背もたれの座席とのその居住性の差は歴然としてましたから、今以上に風格と富裕感があったように思います。 グリーン車も好きなのですが、普通車のあの青色のモケットも今となったら懐かしくてイイですね。
@user-wc5lg6fv6i
@user-wc5lg6fv6i 3 жыл бұрын
二条駅近くで生まれた私にとってこの動画はめっちゃ嬉しい😂 この動画を撮影された時は最初のシーンで映っていた子供の団体ぐらいの年齢かなぁ〜。 鉄道少年だった私はよく二条駅に行って、特急あさしおや急行丹後、白兎などの列車を見てましたね。 あの頃の山陰線は本当に良かったです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
旧客、新客(12系や50系)キハ58.キハ181、すこし前は80系 まさに非電化区間のなんでもありでしたね。
@matmat6501
@matmat6501 5 жыл бұрын
白兎も保津川沿いの旧線も間に合わなかったですが、これは乗ってみたい列車の一つでした 優しい音色のDMH17エンジンに身を委ね、ボックス席で足を伸ばしてのんびり寛げるキハ58の旅は至福の一時でした グリーン車の白い肘掛けカバーも懐かしく、グリーン車の特別な雰囲気を作っていたように思います 当時の旅は本当に楽しかった、動画を見て改めてそう思いました
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
子供の頃は急行の価値がわかりませんでしたが、末期になってようやく、本式急行の良さに気付きました。 だいたい空いていることが多かったので、ボックス占有で旅を楽しめましたね。 リアル版ノスタルジートレインというところでしょうか
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
丹後7号・東舞鶴行きは綾部で1回だけ進行方向が逆転しますが、西舞鶴から宮津線に乗り入れる丹後1・5・9号は同駅で2回目の進行方向逆転があるため、再び京都出発時点と同じ向きに戻ります。 それはさておき、舞鶴線(綾部~東舞鶴間26.4㎞)内でもグリーン車座席の向き(下部のペダルを踏めば簡単に180度回せる仕組み)を進行方向と同調させた人は実際にいたのかな?
@pixy-_9876
@pixy-_9876 5 жыл бұрын
僕は高校生なのでこの時代には産まれてなかったのですが すごくいい列車だと思います。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
Zero S1GMA 実際使い勝手のいい列車でした。 よく「ボックスシートで大変だった」という意見を見ますが、平時はワンボックス一人が標準だったので、実際には今のリクライニングの特急シートで足を伸ばせない状況より楽でしたよ。 スピードもディーゼルの割に速く、今の電車特急「きのさき」との所要時間差は、京都ー城崎で25分程、これは保津峡の新線切り替えのハンデを考えると結構なものです。ちなみに福知山ー城崎間では今の電車特急と全く同じ1時間6分でした。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 京都~城崎(現在の城崎温泉)間は、保津峡付近新線切り替え後における1993年3月改正時点での急行「丹後」3号で約2時間50分、現在の特急「きのさき」1号で約2時間20分と30分の差があります。 なお京都丹後鉄道宮豊線コウノトリの郷~小天橋間の各駅は、宮福線・天橋立・網野経由で乗車するよりも、豊岡経由で乗車すると早く到着するそうです(京都~久美浜間は豊岡経由で2時間31分、豊岡で特急「きのさき」1号から接続を受ける普通到着2分後に網野から快速に化ける特急「たんごリレー」1号と小天橋で交換するダイヤであるため、小天橋にはわずか2分差で豊岡経由の方が早く到着する)。
@atsushimizushima966
@atsushimizushima966 5 жыл бұрын
私は東京育ちの人間ですが、この動画を見て、なぜか幼少のころ父親に連れられて急行アルプスで甲府に行った時を思い出しました。気動車、電車の違いはあれど急行列車の車内の雰囲気は確かにこんな感じでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
atsushi mizushima 急行は特急のようなよそ行きの顔より、少し人間味がありましたね。空いた車内でゆっくり車内販売から弁当や酒を買う。 旅の楽しみが詰まっていました
@yoshi7927
@yoshi7927 4 жыл бұрын
11:23からの車両は座席モケット等、原型に近いですね~! 座席に付いた取っ手が円形なのも良いですね!
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
しかしながら座席に設けられた取っ手は、同じく福知山にいたキハ28 2441やキハ58 751などからは円形ではなくなりまして、1968年に登場するスカート付きのキハ28 3000番台やキハ58 1100番台と同様に線路方向に向きが変わり、同時に角形とされました。 またこれらのグループからは荷物棚が木綿製の網棚ではなくなり(後に積み荷の重みで木綿がちぎれてしまうのを防ぐため、一部車両はステンレス網に更新)、プラスチックパイプに変更されました。
@ststkg14
@ststkg14 3 жыл бұрын
1998年くらいに、上郡、智頭急行経由の特急に乗りましたが、それよりずっと前でしょうね。のんびりしていて良い時代を感じます。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
1998年からだとさらに10年以上前になりますね。 1998年から現在まで20年以上経っているのですが、ほとんど変わりませんね。 やはり国鉄とJRの間に隔絶がありますね
@user-pf8rz1ov3k
@user-pf8rz1ov3k 5 жыл бұрын
白兎号は亀岡通過ので特急あさしおの次に早い列車でしたね。 亀岡~京都間や亀岡から城崎温泉に行くときによくキハ58系急行丹後に乗りました。 乗務員室の運転席の反対側は特等席でした。何とも言えないディーゼルエンジンの カラカラカラカラカラカラカラカというアイドル音や、加速時のエンジン音などが懐かしい思い出です。 一度、京都駅から白兎に乗って鳥取まで行った記憶も思い出しました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
かわたけ 急行の良さをを知るのは割と後のほうで、白兎が園部通過だったということもノーチェックでした。 当時急行はどれをみてもキハ58で前に「急行」と書いてあるだけで、サボを見ないと列車名が分からず、魅力もわかっていなかった、子供でした。
@user-pf8rz1ov3k
@user-pf8rz1ov3k 5 жыл бұрын
旅一郎さん(笑) 私も同じです。 急行だけでは 白兎か丹後か判りませんよね(笑) 年齢的に、同世代の様な気もするのですが・・・。 発車時のエンジン全開で加速してノッチオフでの ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~ん・・・・。タタンタタン、タタンタタン・・・。 好きでしたよ。 後、子供の頃にSLが走っていたはずなのですが、見た記憶や乗った記憶が無いのです。 DF50ゃDD54が青と茶色の客車を引いてたのや50系のエンジ色の客車を引いてたり 運転席と客室の隔たりが腰辺りまでの扉で仕切ってあったキハ20系など・・・。 中学高校に入ると、亀岡駅で京都駅まで切符を買って止まっている特急や急行に飛び乗り 京都駅でしれ~っと下りて行ったり(笑) 寝台特急出雲・いなば、寝台付きだった山陰号など・・。 懐かしいです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
母親が鹿児島出身で毎年寝台特急に乗って帰っていましたので、関西ブルトレは詳しいですよ。 親と一緒だと特急しか乗らなかったのですが、伯父にスキーに連れて行ったもらったとき、山陰に乗りました。座席でしたが。 時代はずっと下がって自分で旅行するようになってから、山陰の寝台も一度だけ乗りました。 山陰の動画をアップされている方がいて kzfaq.info/get/bejne/gal5mambqbu0c4U.html 京都駅の雰囲気といい、そのまま入り込んでしまいそうです。
@steam-non
@steam-non 5 жыл бұрын
浜坂の母親の実家に帰省する際に乗りました。 当時小学生ですが、ビデオカメラなどなく、先頭車のデッキで餘部鉄橋から写真撮影したりしてました。 京都駅から馬堀あたりの車窓は一変してしまいましたが、非常に好きな景色でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
嵯峨を出てからの景色を経て、丹波の国に入っていくということが実感できました。
@Dennis07021
@Dennis07021 5 жыл бұрын
1965年の8月に松江から京都まで急行「白兎」に乗車しました。当時は編成の半分が福知山線経由の大阪行きでした。この頃は普通車の指定席は無くグリーン車も全席が指定席ではありませんでした。指定席が取れなくて松江駅からグリーン車の自由席を確保しました。夏休みの時期で、この動画と違い車内は満員でした。動画は運転区間が米子駅までに短縮された晩年の「白兎」1970年代は廃止された大社線の大社駅まで乗り入れていました。現在の山陰線は京都から鳥取、米子、松江方面に乗り換えなしで行ける列車は全て無くなり、城崎温泉駅までの電化の代償に保津峡沿いを走行する風光明媚な旧線区間が廃止になりました。トンネルばかりの新線は乗車していても面白みに欠けます。キハ58系はアルプスの牧場のメロディーで始まる車内放送、普通車が空いている時なら脚を投げ出し夏場なら窓を全開にして駅弁を楽しむ優雅なひと時を過ごすのに最高の車両でしたね、この車両が全廃になり寂しいです。京都駅の山陰線ホームは気動車、旧型客車が一番似合います。電車は何故か違和感がありますね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
Emilio Dandy 1965年といえば本当の国鉄最盛期の頃ですね。 急行が幹線の主力で、特急には「特別」感があった頃と思います。 僕がかろうじて動画に残せたのは、国鉄解体直前の残り香のようなものだけなので、往時を知る人には物足りないかもしれませんが、白兎は割と雰囲気を残していたと思います。
@takuue5148
@takuue5148 4 жыл бұрын
私もこうした空いているボックス座席に座って急行列車で旅をしてみたかったです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
taku ue 本当にいい時代だったとおもいます。 多客期以外は基本的にすいていましたから、ボックスシートで大変だったというのは、満席の場合のことで、実際にはボックス一人なので、満席のリクライニングよりずっと楽でした
@user-db8np8vi1y
@user-db8np8vi1y 3 жыл бұрын
急行列車は周遊券でよくお世話になりました。 懐かしいです。 電車急行は165系。 気動車急行はキハ58系の思い出があります。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
ワイド周遊券の行き帰りやミニ周遊券で便利に使えましたね。 周遊券も長距離急行も無くなって、本当に旅行がしにくくなったと感じます。
@user-eq6dc9uj2g
@user-eq6dc9uj2g 2 жыл бұрын
キハ58系懐かしいです☺子供の頃を思い出しますね☺
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 жыл бұрын
エンジン音が優しくて好きでしたね。キハ65はうるさかったですが。
@hiroshiseno6068
@hiroshiseno6068 4 жыл бұрын
舞鶴出身の私にとっては懐かしい限りです。乗ったことはないですが。もっぱら丹後専門で京都まで2時間かかってましたね。今の特急はがらがらで寂しい限りです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
瀬野浩志 ありがとうございます。 この当時の急行は編成が長く活気がありましたね
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
特急ならびに急行料金は原則として50㎞を超えるごとに料金が変わる仕組み(最初の50㎞まではランクA)となっており、京都~西舞鶴間は50㎞を超え100㎞圏内に納まっているのでランクBが適用されるものの、京都~東舞鶴間は保津峡付近が新線に切り替わった後もタッチの差で100㎞を超えてしまうため、ランクBよりも若干高いランクCが適用されます(但し二条~東舞鶴間につきましては営業キロにして100㎞圏内に納まっているため、料金額はランクBで済みますが)。 特に京都を16時台に出発していた「丹後」7号は、キロ入り6または7連の堂々たる姿で、2時間余りかけて東舞鶴までたどり着き(そのため同区間において「丹後」で2時間を切るダイヤは1本たりとも実在せず、最速でも特急「タンゴエクスプローラー」1号から西舞鶴で1駅間だけ運転する列車に乗り継ぐ約1時間45分が目一杯だった。現在は約5~10分短縮)、同駅で先行の小浜線下り列車に追い付いて接続する段取りでした。
@sabo5255
@sabo5255 4 жыл бұрын
JRになってから鉄分が消失してしまった私で今は専らクルマ(もちろんMT)で移動する私ですが、この素晴らしい動画を拝見していると。。。懐かしい気持ちで鉄旅がしたくなってきました。といっても今となっては叶わない夢ですけどね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
僕も95年くらいから車になってたのですが、東京へ移動した98年頃からまた鉄道へ復帰しました
@user-kc2in8mk2r
@user-kc2in8mk2r 5 жыл бұрын
キハ58系のこの音、この雰囲気、大好きです。今の優等列車は二人掛けのリクライニングシートばかりですが、このボックスシートが一番ですね。グリーン車キロ28の車内映像は貴重ですね。格の高い車輌でしたが冷房電源用の4VKを搭載していてホームでは凄く喧しかったのですが、車内ではどうだったのでしょう?
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
らいちゃん グリーン車の車内ですが、意識はしてませんでした。 多分静寂だったと思います
@rhscm989
@rhscm989 5 жыл бұрын
もともと、急行券は終始座席が指定になっていなかったので、普通車指定席をチョイスしたい場合は乗車券・急行券の他に指定席券が、グリーン車をチョイスしたい場合は乗車券・急行券の他にグリーン券が必要だったという、いずれにしても最低3枚の切符が必要な、いかにも厄介な組み合わせでした。
@TANAKEN2009
@TANAKEN2009 4 жыл бұрын
一昨年にスーパーはくとに乗って倉吉迄出たことがありますが、正直あまりいい体験ではありませんでした。 乗り心地はともかく、音が半端なくうるさい。 一瞬「こいつキハ58のエンジンを再利用しているのか?」なんて疑いましたよ。 次に倉吉に出るときは体力に問題はありますが、愛車を運転していくことになりそうです。(泣)
@user-xc4tx4tf9i
@user-xc4tx4tf9i 5 жыл бұрын
田舎か鳥取で子供の頃、よくこの列車使って帰省してたわ 京都まで片道5時間以上かかるからまあ、疲れた
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
がんばりマッシュルーム 今は5時間も乗ることはないので良い体験ですね。
@user-pn7yj4ev1d
@user-pn7yj4ev1d 5 ай бұрын
初めてコメントします。 白兎、丹後、丹波等の走行動画懐かしいです。 窓全開して、座る人が居なければ足を伸ばしたり、車掌室の椅子に座ってたり、窓の開かない特急よりも好きでした。 また動画を楽しみにしています。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 ай бұрын
ありがとうございます。 なんとか「白兎」の記録に間に合ったので撮りました。 混んでるとしんどいですが、僕が乗っている時はほとんどボックス占有できていたので特急より楽でしたね。 急行でも車内販売がいたので旅している気分が高まりましたね。 他にも丹後の車内動画もありますのでまたご覧下さい
@user-dk1yu8te5c
@user-dk1yu8te5c 3 жыл бұрын
懐かしかったです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
ありがとうございます
@user-um1zp8ef1n
@user-um1zp8ef1n Жыл бұрын
旅一郎さん、懐かしい映像ありがとうございます。この頃埼玉県に住んでいたのですが、春休みに北近畿ワイド周遊券を使って特急、急行に乗りまくっていました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
ありがとうございます。 この頃の山陰本線は、特急、急行、客車鈍行とバラエティに富み楽しかったですね
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
@@user-tabiichiro さんにはら まきのさん> 1982年に当時流行していた周遊券をさらにグレードアップした「青春18きっぷ」(当初は「青春18のびのびきっぷ」の名で発売され、後に「のびのび」の名が取れる)が初めて発売を開始しますが、当時流行していた周遊券とは異なり特急・急行に乗車できないルールは現在も変わっていません。 しかし京都~福知山間を約2時間半~3時間かけて旅行したい人にはお勧めのきっぷです。
@pururu12
@pururu12 4 жыл бұрын
昔、オムロンに居た頃、倉吉の人たちがよくこの列車で帰省してましたね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
倉吉にオムロンがあるのですか。知らなかったです
@kizineko_tama
@kizineko_tama 4 жыл бұрын
素晴らしい映像ありがとうございました。両親が京都・兵庫北部の出身だったので(住まいは京都市内)、祖父母のところに行くときは急行「丹後」をよく利用していました。「白兎」にも乗っていたかも知れません。保津川沿いを走っている時は、保津川下りのお客さんとお互い手を振っていましたね。トンネルや橋の数を数えたりもしていました。キハ58のエンジン音最高です。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
保津川沿いの景色はやはり長距離列車でいきたいですね。
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
特に京都市内や南隣の宇治方面からはともかく、東海道新幹線(首都圏・中京方面)からの乗り換え客も含め舞鶴市内や丹後地域(固定電話の市外局番が現在の「0772」で始まる地域)へ帰省する乗客は、保津川沿いの景色(現在のトロッコ列車が走るルート)を見ずにはいられないことが日常茶飯事でした。
@sandako3348
@sandako3348 4 жыл бұрын
懐かしいです。もう大分前に「あさしお」化されていたと思っていたけれどこんな動画を見られるなんて。その昔は「白兎」は「いなば」と併結になるまでは、京都を10両編成で出発し、二条を出ると綾部まで無停車の別格急行でその頃は田舎に帰る際に良く乗ったものです。ローカルはまだキハ17が幅を利かせてる頃でしたが。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
それはまだ白兎が本当の急行の頃ですね。 この動画は末期も末期、ギリギリのとこだったので、鳥取から先は快速、園部停車でもう風格がハゲかけていました。
@sandako3348
@sandako3348 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro さん 当時は本当に急行の出雲市行きだったんですが段々米子から快速とか普通列車になってしまい、「あさしお」が出来て「いなば」と併結になって7両になったころは哀れに思ったものです。そのころは「あさしお」に食堂車がついて営業していたのだから相当古い話ですよね。この旅一郎さんが映像を撮っている頃は私はテープ録音でしたが835レとか録音したものが残っています。
@user-xr9nb8uq2t
@user-xr9nb8uq2t 5 жыл бұрын
白兎は10両編成で前5両が出雲 中3両が米子 後2両が鳥取でした。亀岡園部も通過してました 別格の急行だったと思います
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
岡崎正雄 おっしゃる通り、園部通過でした。(亀岡はどうだったかな?) 末期は園部も止まり、だいぶ格が落ちてきていました。
@user-vf1id6ch9j
@user-vf1id6ch9j Жыл бұрын
白兎、懐かしい思い出ですね。私も乗りました。余部鉄橋では名勝である旨の観光放送がありました。急行「だいせん1号」新大阪発、益田行、「丹波」「丹後」と山陰本線には名急行が沢山ありました。今、キハ58の車内の匂いと座席を体験したら泣いてしまうかもしれません。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
「だいせん」1号は編成も長く長距離を走るので、丹波よりエリートに思えましたね。 客車にこだわっていた頃であまり意識していませんでしたが、この動画にも映っている友達が急行ファンでよく勧められて乗っていました。 この日も勧められていなかったら乗らなかったかも知れません。 今となっては贅沢な話ですね。
@user-bj6gz4wk2f
@user-bj6gz4wk2f 5 ай бұрын
子どものころ母方の実家がある綾部まで「白兎」を利用していました。昭和40年代のことですが京都駅発15時05分と記憶しています。当時はこの線区に特急はなく急行「丹後」「白兎」「出雲」。特急「まつかぜ」は福知山線経由でした。昼間の急行で綾部まで一番早かった(1時間19分)「白兎」。ホームで買えた駅弁やお茶、ネットに入ったみかんなども懐かしい。走行音・エンジン音とともにディーゼルの排煙の匂いが蘇りました。ありがとうございました。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 ай бұрын
1時間19分でしたか! 53.10以降国鉄の優等列車はスピードダウンが目立ったので僕が乗った頃より速かったかもしれませんね。 今の電車特急でも、1時間5分ですから14分の差は保津峡の新線化だけの差ではないでしょうか
@Bob231776
@Bob231776 5 жыл бұрын
車内販売のお姉さんが聖子ちゃんカット✨
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
Bob231776 可愛らしいですね
@user-iu3pq9cm9i
@user-iu3pq9cm9i Жыл бұрын
またまた泣けました!懐かしく、そしてすぐ思い出せます。ボックス独り占めで駅弁食べて、車内販売でつぶつぶオレンジを買って飲む!今考えれば贅沢でした。あの頃は京都から福知山へ帰る=急行丹後であり、あさしおに乗ることは文字通り特別でしたが、いま見ると急行のほうが魅力的です!白兎やだいせんは別格で丹波丹後但馬は手に届く感じ、若狭はしだて美保は謎でした。貴重な動画ありがとうございます!
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
ありがとうございます。急行「丹後」は長く残っていたので乗る機会も多くありました。 阪神大震災のあとも和田山から乗った事があり、車内販売で買う様子の動画を上げています。
@candycandy2011
@candycandy2011 2 жыл бұрын
旅一郎さんの動画を見ていると当時の時刻表どうしても参考書 ?として必要不可欠だと悟って1975年1978年1980年1982年と1985年の時刻表を見ていますが本当この頃素晴らしいです特に1985年の時刻表に関しては既に福知山線から旧客消えてたのに山陰本線ではいまだ現役でキハ58系急行「白兎」が同じくキハ58系急行「だいせん」と同様に山陰本線の一部で普通列車含め当時の山陰本線というのは何と充実してたんだと思いますキハ47系と言うものの旅一郎さんが当時の山陰本線の面影を求めて旅すると言うよりも山陰本線に拘る心理がよく解りますよね。そして山陰本線の事を偉大なるローカル線呼びこよなく愛でた今は亡き宮脇俊三氏の昔の姿に 旅一郎さん自身が今となっては近づいているのかもしれません
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 жыл бұрын
ありがとうございます。 旧型客車の魅力に気がつき真剣に追いかけ始めたのが、84年で、大阪駅、京都駅の旧客運用が最後の時でした。まだ全国でも走っていたこともあり、全然危機感を持っていなかったのですが、 翌年福知山線は12系、山陰本線京都口は50系が基本となり、旧客に乗るのに福知山まで行かなければならなくなりました。 急に焦ってとにかく山陰本線ばかり行くようになりました。 59.2、60.3、そしてとどめの61.11はいつも時刻表を眺めていたのでよく覚えています。
@user-gx7nc5px1q
@user-gx7nc5px1q 2 жыл бұрын
キハ58だけでなくキハ55も並結されていますね。ボックスシートの立ち席時の取っ手が違うのでよく分かります✨☺️ 急行用車輛ですが、境線のようなローカル線にも普通列車として走っていましたので懐かしいです🙏
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 жыл бұрын
キハ55が連結されているとは気がつかなかったですが、頭もたせがないタイプの座席はキハ58系の初期型ではないかと思います。 キハ55系列を見たのはこの当時姫新線くらいだったように記憶力しています。
@rhscm989
@rhscm989 5 жыл бұрын
6:51~9:48 当時の国鉄(のちにJR)山陰線としてはまだ勢いがあった時代における味のある映像、このたびはアップロードありがとうございました。それはさておき、上りの京都方面の片道1本のみでしたが、敦賀を9時17分(もう一方は城崎(現:城崎温泉)を8時50分(宮津線・舞鶴線経由))に出発し、京都に12時59分に到着した「丹後8号」「わかさ2号」といった2層建て列車もありましたよね。こちらは綾部~京都間では園部・亀岡の両駅にもちゃんと停車していましたよ。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
急行わかさ、丹後も懐かしいですね 乗ったんですが、動画を撮らずじまいでした。(まだ価値を感じていなかったと思います)
@user-bm1de8hx3n
@user-bm1de8hx3n Жыл бұрын
ただただ、郷愁にさそわれ、「国鉄時代の価値」が、描かれていますネ。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
ありがとうございます。 見せたいものが伝わっていますか
@user-bm1de8hx3n
@user-bm1de8hx3n Жыл бұрын
@@user-tabiichiro はい。遺産的に個性が、にじみでています
@douga9996
@douga9996 3 жыл бұрын
ブラインドを下ろさなくなった国鉄末期の様子が伺えますが7両程度に車掌2人、運転室も2人乗務はまだ国鉄を示しています。やはり「何にも用事はないけれど、白兎に乗って八鹿に行こうと思ふ」という感じで乗車されたのですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
ありがとうございます。 まるで内田百閒先生のようですが、実際そうでした。 目的はここから折り返し篠山口行き旧客を捕まえるためでした。
@douga9996
@douga9996 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 折り返しの旧客は40系気動車が横で「けろろんろんろんけろろんろん」と歌いながら、またはまかぜやあさしおなど特急は「やーい床も木のオンボロびんぼう汽車」などと叫びつつ、「らららんらんぱあん」と停まらずに行ってしまったのでしょうね。
@sabo5255
@sabo5255 4 жыл бұрын
車内販売といえば、153系新快速も時間帯によっては車販ありましたよね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
153系新快速は乗る機会がなかったのですが、急行車両そのままなので旅気分があったでしょうね
@sabo5255
@sabo5255 4 жыл бұрын
ブルーライナーの愛称で京都-姫路2本/時、草津-西明石が1本/時、堅田-西明石が1本/時だったように記憶しています。当時京都に居た私は京都始発を選択していました。停車駅も草津-石山-大津-京都-大阪-三ノ宮-明石-加古川-姫路で基本的に内側線(電車線)を走っていたと思います。当時は運賃面で私鉄に負けており、新快速はいつも座席確保できていました。古き良き時代ですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
砂防堰堤 117系が出たとき京都駅の展示会に行きましたが、シートは転換クロスで阪急みたいだと 思った反面、デッキ洗面所が無くなった事に気がつかなかったです
@user-bu1cx3uu6w
@user-bu1cx3uu6w 4 жыл бұрын
乗り通すのは大変だったろうけど、乗り換え考えると乗りたかったな。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
ガラガラの時期なら程よい疲れで楽しったですよ。 お腹が空いたら土地の弁当を売りにきますし、走る生活空間でした。
@user-bu1cx3uu6w
@user-bu1cx3uu6w 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro そうですよね。その当時でしたら、弁当買ったりしながら、駅観察とか面白かったろうと思います。
@yamac8
@yamac8 4 жыл бұрын
貴重なホームビデオが一般の人にも観れる時代が来るとは思いませんでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
yama 。 そうですね。このまま死蔵されるところでした。 テレビで出る映像には限りがありますし、ニュースになるようなセンセーショナルなものしか残っていませんので、 日常の動画を見ていただける事は嬉しい限りです
@yamac8
@yamac8 4 жыл бұрын
はくとって急行だったんですね。ずいぶん昔の映像でしょうけれども、 58系ディーゼル急行の雰囲気がよく伝わって懐かしかったです。 58系の意外と無い室内のアングルも良かったです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
yama 。 今のスーパーはくととは走ってる路線が違うので、どちらかといえば、特急「きのさき」がその系譜になります。スーパーはくとは、「はまかぜ」の発展系に近いのではないでしょうか。
@bibilu2007-man
@bibilu2007-man 3 жыл бұрын
懐かしのキハ58急行ですね。 東北地方にもいっぱい走っていましたが、ほとんどが非冷房車、冷房準備車で、冷房がかかっていたのは、急行しらゆき金沢行きと急行きたかみ仙台行きの一部でした。自由席が冷房で指定席が非冷房といったこともあったようです。 その後五能線や花輪線や奥羽本線の快速にも弘前運輸区のキハ58系が入りましたが、やはり窓側のひじ掛けは優等列車ということで喜んで乗っていました。 本日は、雪の影響でほとんどの区間が運休になりました。国鉄時代なら何としても動かしていたのですが、保線区も廃止になり、事前に告知すれば運休してもバス代行も出さないというJRは落ちてしまったようです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
東北でキハ58系統に乗ったのは、民営化後に東北ワイドで回った時からだと思います。 八幡平も快速になっていましたが、非冷房のキハ58でびっくりした事を思い出します。 おっしゃるよう、最近は「安全」を縦に、本当に必要のないところまで止めている気がします。
@user-yz8is6qd3d
@user-yz8is6qd3d 2 жыл бұрын
いい音ですね~💯😃
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 жыл бұрын
ありがとうございます。キハ58系のエンジンはいいですね
@user-yz8is6qd3d
@user-yz8is6qd3d 2 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 懐かしいです。動画ありがとうm(_ _)mございます
@tk_g6529
@tk_g6529 3 жыл бұрын
敢えて言わせてください。 これこそ、THE鉄道!
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
ありがとうございます。 そのように評価していただけるのが最高の賛辞です
@djapan5948
@djapan5948 3 жыл бұрын
車内のなんとも言えない油の焦げたような匂いがたまらんかった
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
そうでしたね。 思い出しました。 丸一日乗っていたらにおいがついたように思います
@user-fj4dh7mo7b
@user-fj4dh7mo7b Жыл бұрын
懐かしいですね。僕も急行 白兎に乗った事が有ります。保津峡辺りの今やトロッコ列車が走る線路は、昔はキハ58が走っていましたね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
そうなんです。 線路が残ったのは嬉しいけれど、「トロッコ」とアトラクションのように思われているのが複雑な気持ちになります
@user-fj4dh7mo7b
@user-fj4dh7mo7b Жыл бұрын
@@user-tabiichiro 様ご返信ありがとうございます。 保津峡は景色が良いですね。保津川下りの手漕ぎ船が有名です。嵯峨野駅からトロッコ列車に乗って馬堀駅で降りて保津川下りに乗るパターンが多いです。
@user-zt4zq3kw2m
@user-zt4zq3kw2m 4 жыл бұрын
懐かしいです。 キハ58系は、母方の祖母宅へ行く時によく乗りました。 二条駅のすぐ近くに、父方の祖母宅がありました。 二条駅を出てすぐ右手に山陰線に隣接する形(山陰線の北側)で、祖母の耕していた畑がありました。 それが見れるかと期待したのですが、映像は二条駅から一気に保津峡になりました(笑) 祖母の耕していた畑が見れなかったのは少し残念でしたが、二条駅が見れたのは懐かしかったです。 祖母宅の畑で遊んでいる時に、山陰方面へ行く汽車が大好きでした。 汽車が畑の前を通過すると、急いで線路内に入ってレールに耳を当て、音がしなくなるまで汽車の線路の音を聴いてました。 音が聴こえなくなると立ち上がり、山陰線は一直線に西へ伸びてますので、汽車が豆粒になり見えなくなるまでずっと見てましたね。 夕焼けの空、西へ一直線に伸びる線路、豆粒になる汽車、それと枕木のペンキの臭いが、今でも心に残っています。 母方の祖母宅が山陰地方で、初孫の私を凄くかわいがってくれ「これに乗って、お婆ちゃんに会いに行きたいな~」とよく思っていました。 今は二条辺りは高架になって風情も無くなり、自分の心の中にしか昔の景色が無いのが残念です。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
ケンケン ありがとうございます。 二条駅近くで撮影した動画もあるので、こちらにありませんか funny-video-online.com/watch/q5i3k4q3u5t2j3u5y2w5p5.html
@user-zt4zq3kw2m
@user-zt4zq3kw2m 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 様 早速のお返事、ありがとうございます。 惜しいです! カーブを曲がり山陰本線が西へ向かって、一直線になった所に祖母宅の畑がありました。 陸橋から距離にして、約300m先です。 七本松通り(当時は踏切がありました)のすぐ西に畑がありました。 畑は見れませんでしたが、映像の陸橋や太子道の踏切とか大変懐かしいです。 そこを歩いて通ったことが、懐かしく思い出されました。 山陰線は電化が遅れ旧客も長いこと走っており、長大編成の列車が多く見られた上に単線であり「遠く」へ行くという雰囲気があり凄く好きでした。 懐かしい映像をありがとうございます。
@130km7
@130km7 5 жыл бұрын
当時の白兎は特急列車並みに停車駅が少なかったような・・・ 後にほぼ同じダイヤで特急に格上げされたのではなかったか?
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
130km新快速 末期の白兎は亀岡、園部も止まる普通急行になってましたが、やはり安い急行券が魅力だったと思われますので、特急にされたのでしょうね
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p Жыл бұрын
福知山線と山陰線の福知山ー城崎電化でまつかぜ、だいせん、丹波を北近畿に置き換えて捻出された181系で白兎と但馬4-5号を特急格上げ 但馬の方は米子一城崎はまつかぜのスジにくっつけた
@onokaikei7
@onokaikei7 5 жыл бұрын
この動画も素晴らしいですね(。・_・。)
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
n o ありがとうございます。 急行にもそれなりの風格があり、その上に特別急行があった時代ですね。
@user-lc4zh1ry8m
@user-lc4zh1ry8m Жыл бұрын
当時、京都発着の急行として主流だったキハ58系。舞鶴方面の丹後や小浜線経由のわかさ以外にも運用があったんですね。あさしおで米子行があったのは知っていますが、急行列車の白兎にも米子行があったのは知りませんでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
丹後は府内短距離が主体でしたが、白兎は山陰本線をずっと繋いでいく性格の列車でした。 57.11まで?は園部を通過するので特急と並ぶ存在でした
@user-wh3im9uh1e
@user-wh3im9uh1e 4 жыл бұрын
この年の9月出雲大社にいきました。帰りのまつかぜ4号に乗り城崎で急行白兎を見ました。その年の11月ダイヤ改正で白兎はあさしおに変わりました。当時中学二年でした。いろいろな列車が廃止になりました。最後に乗った20系のだいせん 、キハ58のだいせん2号、締めは、特急まつかぜ4号でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
八木英人 この年11月ダイヤ改正は実質国鉄民営化後を見越した作りでしたので、旧型客車、夜行列車、長距離急行などが一気になくなりました。 最後の姿をみれてよかったですね。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
15:39 エンディングの八鹿駅。 本来なら福フチ・金ツル所属の車両は京都出発時点で貫通ホロの付いた車両が先頭に立つはずですが、本動画では逆に貫通ホロの付いた車両が最後尾を向いています。何か理由でもあったのでしょうか?
@user-ln4oz2ev1r
@user-ln4oz2ev1r Жыл бұрын
大阪出身ですから、白兎 大社 丹後 あさしお、は乗ることはなかったです。こんな映像を見るたびにもっと乗っていれば良かったと思います!
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
ありがとうございます。 僕もあまり急行に意識が向いておらず、もっと乗っておけばよかったと思います
@rhscm989
@rhscm989 4 жыл бұрын
あと少しで1日ももう終わり。 明日仕事なのに強引に夜更かしして丸々見続けてしまいました。 やっぱり白兎や丹後の映像は味がありますよね。 何と言っても注目の的は京都を10時15分に出発していた「丹後」1号。綾部でスイッチバックして西舞鶴で網野行きと敦賀行きとに分割します。敦賀行きは西舞鶴から先は各駅停車の普通列車になると思いきや、東舞鶴までは急行扱い(そのため東舞鶴までの急行券が必要)。東舞鶴から気を取り直して正真正銘の普通列車として運転し、最終的には敦賀に14時50分に着くというものでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
rhscm989 あの頃の時刻表を見ると、それぞれの列車が見えてきますね。 バラエティに富んで、様々な利用客に合わせた運用で組まれ今よりずっと便利だったと思います。 評価ありがとうございます
@rhscm989
@rhscm989 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro あと少しで1日ももうおしまい。 1980年10月1日改正時点における、この10時15分発「丹後1号」はともかく、約3時間後の「丹後5号」の通った京都~山陰本線・舞鶴線・小浜線経由敦賀までの188.5㎞を4時間35分かけてぶっ通し乗車するという贅沢な旅はもう二度とできないのが悔やまれます。また、逆方向を5時間43分かけて走り抜ける旧客鈍行922列車(敦賀16時31分発・京都22時14分着)でさえ、この上ない贅沢な旅ができていたものだと思います(ただ、これと同じルートで現在の敦賀16時45分発・京都21時05分着にあてはまる敦賀~東舞鶴間940M・東舞鶴~綾部間350M・綾部~園部間1150M・園部~京都間276Mのぶつ切りダイヤでしたら、18きっぷシーズンでも十分に対応できますが)。 現代の人なら、恐らく湖西線経由の新快速あるいは特急「サンダーバード」へ間違いなく逃げるでしょう。 それでは、おやすみなさい。
@rhscm989
@rhscm989 5 жыл бұрын
あの頃の車掌は現在主流のハンディターミナル(車内補充券発行機)もまだ普及していなかったこともあって、いちいち手書きで対応しなければいけなかったのが悩みのタネでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
まさかの元車掌さんですか?
@user-se4oe8ns5l
@user-se4oe8ns5l 5 жыл бұрын
昭和50代後半は宗谷、まりも、狩勝、大雪、しらゆき、赤倉、紀州、等の長距離気動車急行まだ、残ってました、確かに空いてる時ゆったり出来ましたね、北海道は冷房が無いので窓全開でも怒られません、基本的に本州は電車で北海道は汽車です認識の違いは結構感じます、急行気動車豪華編成は見られません、SL+旧客車編成は現在も見れます、新幹線の0系編成だってもう見られませんね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
50年代後半の急行は盆暮れ以外は空いていたので、楽でした。 スピードも特急とさほど変わらず、窓も開くので旅をしている気分になれました。 弁当とお茶は特急のロマンシートよりボックスシートのテーブルに置いている方が絵になる気がします。
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
新幹線0系車両のカットボディでしたら、DD51型ディーゼル機関車とともに並河駅京都方面行きホーム横の広場で静態保存されていますよ。ぜひ足をお運び下さい(昼間は1時間に1本しかありません)。
@user-pf8rz1ov3k
@user-pf8rz1ov3k 5 жыл бұрын
7:31 萩の家・・・。 ステンレスの台車で、おじさんがホームで売ってましたね。 片隅に、魔法瓶(笑)にお湯を入れて・・。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
京都と駅弁といえば萩乃家でしたね。 今は大人の事情で駅から追い出されましたが、駅横で買えるので、僕は意地でも萩乃家の駅弁を食べ続けてます。
@ksrse30
@ksrse30 Жыл бұрын
懐かしいですね。確かにタキイ種苗はそのままです。売り子さんの髪型が昭和ですねぇ。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
当時は最新の流行でしたが、今見ると懐かしいですね。 みんな意識してやってだというのが可愛く思えます
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
当時は梅小路京都西駅はおろか、円町・太秦の計3駅すらありませんでした。
@user-jn6lx8jn4d
@user-jn6lx8jn4d 5 жыл бұрын
私も昭和44年8月に、京都から松江まで「白兎」に乗りましたよ。当時のはこれより古い58系か28系の前期の型で、無段変速でしたので、かなりエンジン音高かったですよ。でも、イイ旅が楽しめました。余部鉄橋も良かったし、山陰海岸の景色も良かったです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
黒田敦哉 僕が生まれて間もない時ですね。 その時でもすでにキハ58というのはすごいと思います その時点で国鉄のサービスが確立していたことがわかりますね!
@mikeke0505
@mikeke0505 4 жыл бұрын
まだ冷房がキロ28だけについていた時代のお盆帰省ラッシュは勝手に入ってるくる乗客だらけだったもんな グリーン専属車掌に暇なしだった
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
子供心にグリーン車の車掌は怖く思いました
@user-jx3ss1yp5c
@user-jx3ss1yp5c 3 жыл бұрын
電車もいいけど、ディーゼルカーもいいね。 走行音がいい。 京都から直接、鳥取や米子に行く列車がないのは、なんか寂しいね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
山陰本線は一本の路線とは思えないほどズタズタですね。 まあ、北陸本線や東北本線のように3セク化されていないのがマシではありますが。 経由線は違いますが、スーパーはくとがかろうじて京都ー鳥取、倉吉を結んでますね。
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
藤井浩さん> 西舞鶴や東舞鶴まで直接行く列車だけは特急「まいづる」下り8列車、上り7列車の計15列車としてそのまま残されています。 気付いてみれば浜坂~鳥取間を走る特急列車はもはや特急「はまかぜ」2.5号の1往復のみで、すっかり元気をなくしてしまいました。
@rhscm989
@rhscm989 4 жыл бұрын
京都での急行「丹後」「白兎」「わかさ」に限らず、同じく京都での特急「あさしお」と新幹線との乗り継ぎ割引(在来線側が半額となる)に至りましては、古くからというか、この時点では既に導入されていたはずです。みんな知ってたかな? 当時は東京~東舞鶴間が京都乗り換えで約5時間近くかかっていたものが、現在は新幹線・在来線ともスピードアップされたおかげで約4時間近くまでに大幅短縮(特急「まいづる」の新設が大きな速達効果をもたらした)。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
rhscm989 新幹線のスピードアップが30分で、在来線が30分とすると、在来線の30分のうち、15分は新線切り替え効果ですかね
@HURAFULAHITORI
@HURAFULAHITORI 4 жыл бұрын
急行赤倉 急行しらゆき 急行いいで DC急行よかったなあ。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
MINOONX いい列車ばかりですね。 長距離で「旅」って感じがしますね
@user-vm4xg3bx4y
@user-vm4xg3bx4y Жыл бұрын
子供の頃、但馬号に、三宮から、香住まで、よく乗った🤗姫路で、駅弁と、駅そばを車内で食べるんが、大好きでした🤤大好きな、はまかぜのカッコよさを引き立てる役目もしとったし🥰
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
兵庫県を縦に繋ぐ但馬は但馬地区から県庁所在地の神戸三宮を結ぶ重要な役割がありましたね。 はまかぜが播但線内無停車なのに比べ、駅ごとに拾っていく但馬は愛される列車だったと思います
@TANAKEN2009
@TANAKEN2009 4 жыл бұрын
田舎が山陰本線沿線で遊びに行くとき、よく山陰本線を利用しました。駅に急行までしか止まらない上大阪の方なので、どうしても「だいせん」や「みささ・みまさか」を利用しがちになるのですが、一度復路を「白兎」にして戻った覚えがあります。まだ、保津峡の旧ルートだった時分、車窓がよかった覚えがありますよ。ディーゼル急行は自分にとって鉄道ファンのルーツみたいなものです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
K TANAKA ありがとうございます。 全国どこでも見られた急行列車は、昔その価値を分かっていなかったのが残念です。 友達は割と急行が好きで詳しく勧めてくれてましたが、最後まで、キハ58 の急行はほとんど乗らずにおわってしまいました。 周遊券で区間利用は多かったのですが。
@user-dz5jj5zo6m
@user-dz5jj5zo6m 4 жыл бұрын
昭和61年10月だとこの山陰本線の二条~花園間にある花園大学の1回生で暇があれば山陰本線の線路の方を見ていました。この後に山陰地方の魚行商を調査して卒論を書くためにしょっちゅう山陰本線に乗りますが急行だと「丹後3号」しか山陰本線を直進せずに仕方なく特急「あさしお」に乗ることもありました。自宅から行く場合は急行「だいせん」でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
魚行商といえば浜坂4:41発福知山行き542列車ですか。 何度も乗っているのでお会いしてるかもしれませんね
@user-it7oe7iv3w
@user-it7oe7iv3w 4 жыл бұрын
車両は、同じですが。昭和59年3月に急行さんべに乗って福岡の叔父、叔母一家の所へ、グリーン車に初めて乗りました。この画像と同じのお客だった。最初で最後のグリーン車でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
佐々木一朗 急行であっても今の特急のグリーン車より格式高かったと思います。 車掌が入り口でチェックしてましたね
@user-us1wc8gw8j
@user-us1wc8gw8j Жыл бұрын
白兎は乗ったことはないですがあさしおや丹後は何回も乗りました。山陰の急行だけボックス席を変えずに貫いたこと、今の考えだと正解ですね。これが最高に良かったんですね😊
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
非電化時代の山陰本線は一周遅れの雰囲気があり、趣味的には面白かったですね。 ダイヤを見るとそこまで遅くもなく、結構使える列車が多かったように思います
@user-us1wc8gw8j
@user-us1wc8gw8j Жыл бұрын
特に二条駅八木駅好きでした、東海道線から乗り継いで都会の中の古い山陰 二条駅にすごく感動しました😊
@user-us1wc8gw8j
@user-us1wc8gw8j Жыл бұрын
ローカル線っぽいところが見所でした今とは違い贅沢で、また今では絶対無いキロ28グリーン席普通列車で料金無料開放、見つけては何回も乗りにいきました、もう一つの贅沢ですかね。路線も駅も今思うと贅沢だった。
@user-fs2wm2xr4x
@user-fs2wm2xr4x 5 жыл бұрын
この頃の二条駅はまだ中線ありの2面2線の対向式ホームだったけど、高架化直前の時は2面2線の島式ホームでした。いつから地上の二条駅が2面2線の島式ホームに変わったのか分かりませんか?
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
東急8590系 正確な時期は分かりませんが、90年頃から高架工事のため、駅舎を前に10メートルほど動かしました。(建物の下に鉄の棒を何本も通し、全体を持ち上げて動かしたものです) ふと気づくと駅舎が前に動いているので、変に感じました。 その時に改札直結の1番ホームが無くなったと思います。
@user-fs2wm2xr4x
@user-fs2wm2xr4x 5 жыл бұрын
訂正 2面2線の島式ホーム→1面2線の島式ホーム
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
東急8590系 ですよねー
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
@@user-fs2wm2xr4x 実際にその姿へ変化したのは、園部~綾部間の電化完成と同じ時期でした(同時に花園駅も、さらにその約4か月後には東舞鶴駅も同一構造へそれぞれ変更)。
@1989naoya
@1989naoya 5 жыл бұрын
二条駅がまだ地上ですね。 保津峡付近は今ではトロッコが走る区間ですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
nao ya 二条駅の地上はカッコよかったですね。
@rhscm989
@rhscm989 Жыл бұрын
nao yaさん> その二条駅地平時代に使用されていた駅舎ですが、現在は京都鉄道博物館の出口ゲートとして再利用されています(内部はミュージアムショップに改装)。
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l 5 жыл бұрын
貴重な映像ですね。山陰本線急行でも白兎号と大社号は京都口で跋扈した準急上がりの急行とは別格でした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
金澤華 そうですね。 本来の急行のあるべき姿だったと思います。 当初園部通過でしたから、尚更です。
@kens2010ful
@kens2010ful 3 жыл бұрын
実に良いです。偉大なるローカル線と評した紀行作家故宮脇俊三氏の言葉が思い起こされました。当時にタイムスリップしたいです。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
ありがとうございます。 この旧客末期の61.11までが最後の国鉄山陰本線のイメージだったように思います。 長距離列車が行き交い、「偉大」なるローカル線のイメージでしたね
@isa-jj2em
@isa-jj2em 5 жыл бұрын
白兎やだいせんとか 米子や鳥取に関西口から平気で走っていた時代 当時からは私は四国の人間だったので この系列だらけの気動車天国で、高松駅が「煙でもくもく」でしたね 58・65系列の初体験が、奇しくも瀬戸大橋が出来る3年前の「土佐」と「いよ」…でした グリーン車が指定席に変更される時代で、 父親が単身赴任の松山に、覗きに行った乗車の際に 帰りの「いよ」は、乗り得感満載だ!と そのグリーン車擬きの指定席を取って乗車しました 3時間半乗車を満喫!しましたが その時の行きがキハ181系しおかぜ乗車だったので 乗り心地感の違いに「愕然」としましたね(涙) やっぱ…特急と急行って、こんなに違うんだ!って(苦笑) 因みに、この系列でダントツに好きだったのは、エアサス仕様のキハ65でした 「土佐」の際のキハ58は、ギコギコサスでの吉野川クネクネ…で…正直…乗り心地…は…(桂浜初日の出ごった返しの帰りで…正直…疲れ倍増!で(苦笑)) 新型の2600なんかも、つい2月前に乗りましたが…その時の乗り心地の感動は…有りませんでしたね 2000系、キハ181、キハ65が 今のところ…個人的な乗り心地マイベスト3ですね…時代が変われども(笑)
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
isa 0309 キハ58と65の乗り心地のちがいは気がつきませんでした。 キハ65はトイレが無いのと、エンジン音がかなりうるさいので(キハ181も)58系の、それも28の方が好きでした。
@isa-jj2em
@isa-jj2em 5 жыл бұрын
急行型気動車代表がキハ58ですもんね〈笑〉 でも、旅一郎さんとは逆で、あの男らしい音と振動少なき乗り心地に惹かれました マスクもスカート付きで…精悍なものも有ったので 因みに、四国は「半分グリーン車」で「半分が汎用」という、へんてこ車両も存在してました(笑)
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
isa 0309 キハ65のパワーでグイグイ引っ張っていく感じはたしかに男らしさを感じましたね
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 3 жыл бұрын
下二桁目が0の急行は準急昇格じゃない急行という記憶があるw だいせんも白兎もそうだったようなw
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
1961年登場の「わかさ」は1966年に準急から急行へ、1959年登場の「丹後」もやはり「わかさ」と同時期に準急から急行へそれぞれ格上げされました(「丹後」のうち京都方面の片道1本だけは1968年まで準急として残存した)。
@bouchikuson7304
@bouchikuson7304 Жыл бұрын
12:50 ここで読書、とても気持ちわかります。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
そうですね。大人の秘密基地のようです
@user-lm7gv1mt5w
@user-lm7gv1mt5w Жыл бұрын
昔の「白兎」は急行 だったのですね❗ 今の 「スーパーはくと」とは 偉い違いですね
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
スピードはスーパーはくとの方が優れていますが、風格は急行「白兎」の方があったように思います
@Bouquetfragrance1
@Bouquetfragrance1 5 жыл бұрын
急行「白兎」京都発米子行き キハ58系の動画映像ですね、素晴らしいですね、旅一郎さん、お見事です。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
ありがとうございます。
@Bouquetfragrance1
@Bouquetfragrance1 5 жыл бұрын
いえいえ、旅一郎さん、こちらこそ、どういたしまして。
@user-vm8vw4yt2s
@user-vm8vw4yt2s 4 жыл бұрын
子供さんかわいいですね(笑)昭和って感じがにじみ出てて……。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
西大寺よしみ 坊主半ズボンというのはまさにそのままですね
@user-fm1eh2di4l
@user-fm1eh2di4l Жыл бұрын
端っこはボックスではなく2人席ですか? 空いてるときは足伸ばせないから窮屈 かわいい坊やですね
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro Жыл бұрын
端っこに二人席が写っていますか? そのイメージはなかったです。 一緒いるこどもは11歳下の弟です
@youjikawabata4170
@youjikawabata4170 5 жыл бұрын
この頃は園部に特急は停まらなかったですよね?今では急行が無いので特急が停まりますが…🚇
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 5 жыл бұрын
Youji Kawabata 基本通過でしたね。 ひょっとしたらこの次の改正で、白兎があさしおに格上げになったので、その時からじゃないでしょうか
@youjikawabata4170
@youjikawabata4170 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 園部にうちの親戚が多数住んでいるんで昔の園部駅と今の園部駅を知ってるんで寂しいですわ。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
Youji Kawabata 昔の園部駅の留置線に客車がいっぱい止まっていた頃は、楽しかったですね。
@youjikawabata4170
@youjikawabata4170 4 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 確かに昔の園部駅は良かったです。駅に駅弁がなく駅前の「淡路屋」で買うんですわ。そして駅前から少し歩くと国道で今では駅の裏側に開発の手が及んで居ります!
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
最終的にすべての特急が園部に停車するようになったのは、2004年10月1日のダイヤ改正からのことでした。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
1980年10月改正当初におけるこの列車の正体がわかりました。 まず大社~米子間は普通244Dとして、米子~倉吉間は快速3846D(通過駅は名和・下市・中山口・八橋の4駅)としてそれぞれ運転(ここまではグリーン車も自由席扱い)した後、いよいよ倉吉からは正真正銘の806D急行「白兎」として一路京都(14時14分着・ここから先はグリーン車が指定席扱いに変わる)を目指します(途中停車駅は松崎・浜村・鳥取・岩美・浜坂・香住・竹野・城崎(現:城崎温泉)・豊岡・江原・八鹿・和田山・福知山・綾部・亀岡・二条)。 折り返しもまたまた14時38分発805D「白兎」で、こちらも倉吉までの途中停車駅は先程の上りと同じ、倉吉から先は指定席扱いだったグリーン車が自由席扱いに変わりまして米子までは快速3845D(こちらは先程の上りに加えて御来屋も通過)、残る米子~出雲市間は普通259Dとしてそれぞれ運転しますが、大社までは行きません。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
1980年時点ですでに倉吉から西が快速だったんですね。 末期の鳥取から西が快速というのは、情けなく感じましたが。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 伯備線ならびに山陰本線伯耆大山~知井宮(現在の西出雲)間電化を反映した1982年7月1日ダイヤ改正で上下とも京都~米子間に見直され、時系列に換算すると以下の通り停車駅の変動が生じました。 まずは上り(京都行き)からです。 1982.7.1:急行区間の停車駅に松崎を追加。 1984.2.1:同じく急行区間の停車駅に青谷・園部を追加。 1985.3.14:快速区間が鳥取まで延長されて列車番号が3826Dに変更。同時に快速区間の停車駅に湖山を追加。京都到着が2分早くなる。 (以上ここまでは、福知山~京都間において現在の特急「きのさき」14号とほぼ同じダイヤで運転してきたが、同列車は京都到着が14時07分と最末期よりもさらに5分早くなっている。) 次は下り(米子行き)です。 1982.7.1:急行区間の停車駅に松崎を追加。 1984.2.1:同じく急行区間の停車駅に園部を追加。 1985.3.14:京都発車が2分早くなって、鳥取以西は快速3825Dに変更。快速区間では鳥取~浦安間を各駅停車化したため、1980年10月改正段階から列車廃止まで倉吉以西における5駅(八橋・中山口・下市・御来屋・名和)通過は変わらなかった。 (当該列車直近のスジは、京都~福知山間で現在の特急「きのさき」9号に当てはまるが、同列車は京都発車が14時25分と約10分早くなっている。)
@user-mb7ov5ur4g
@user-mb7ov5ur4g 4 жыл бұрын
現在のスーパーはくとと比べて名前が一緒でも行き先、経由路線が全く違うのが面白い。 出来たらスーパーはくとも一本ぐらいは米子まで直通してほしいな、無理かもしれんけど。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
それは思います。倉吉って中途半端なきがします
@user-ip3lv9gt4b
@user-ip3lv9gt4b 3 жыл бұрын
今のスーパーはくとはどちらかと言えば姫新線&因美線経由の急行、みささに近いですね…。 父親の里が智頭なので帰省の時は急行みささが定番でした…。 津山でスイッチバックしてみまさかを切り離して砂丘をドッキングする関係で長時間停車してました。 ホームに降りてキヲスクで買い物しました…。🛒 皮肉にも初めてスーパーはくとを利用したのはお婆ちゃんのお葬式でした…。😢
@user-uv1fe2ut9q
@user-uv1fe2ut9q 4 жыл бұрын
今、急行料金を支払うことありますか?このころは500円だったと思う。急行列車も格式があり、さぁ乗るぞって感じでした。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 4 жыл бұрын
今は短距離特急券も500円に下がりましたが、、風格と言う点では昔の急行のほうが、白い服の車掌など、特別感がありましたね
@sobatoba3353
@sobatoba3353 3 күн бұрын
息子さんの「もういい?」が可愛いですね
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 күн бұрын
@@sobatoba3353 ありがとうございます。 実は歳のはなれた弟です。今も時々動画に登場しています
@sobatoba3353
@sobatoba3353 3 күн бұрын
@@user-tabiichiro あっ弟さんでしたか…大変失礼しました。あの時代の京都駅山陰線ホームは朝から夜中まで様々な列車が出入りして楽しかったですね
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 күн бұрын
@@sobatoba3353 時代が一つちがう世界でしたね
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
7:37~7:46で「この景色を見ながら酒を飲み、(改行)弁当を食べることはもうできないのですね。」と9秒間テロップが出てきますが、「京都発の下り急行」に振り絞ってみればなるべく太陽の当たっている時間帯に走っていた「白兎」のほか「丹後」1.3.5.7号のいずれかで、ソフトドリンク片手に実際に堪能してみたかっただけに残念です(特急「あさしお」ことキハ82または181系は冷暖房効果を優先することを第一として、新幹線車両と同じ側窓が二重構造になっていて開閉することができないため)。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
急行で窓を開けて弁当食べるのは贅沢でしたね。実際は風で安定せずハラハラしながらでしたが。
@rhscm989
@rhscm989 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 急行形気動車で夏季でも常に窓が開けられる「非冷房車」。 次に示すシリアルナンバーが福フチならびに金ツルに実際に在籍していましたよ。 福フチ:キハ28 64/キハ58 38・65の 計3両 金ツル:キハ28 65・66の計2両 このうち金ツル組はシリアルナンバーにかかる部分の窓下に「サボ受け」のようなものが付いていましたが、1986年3月に金ナナからキハ28 2166、天カメからキハ28 2317、米ヨナからキハ28 2411・2412、1985年3月には天ワカからキハ28 2327の計5両を金ツル入りさせたことにより、このキハ28 65・66の2両は解雇されました(合計5両あった非冷房車はすべてタイフォンがスリット式)。 これら非冷房車5両は車内に一応扇風機は備わっていましたが、屋上の箱型通風器と車内から通風器を操作できるレバーもそれぞれ実際に備わっていました。
@taketaki
@taketaki 3 жыл бұрын
キハ65も連結していますか。 これが今のスーパーはくと につながっているですね。 はくたか みたいですね。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 3 жыл бұрын
多岐 この編成にはなかったような。 名前は一緒ですが、スーパーはくとは鳥取と関西をダイレクトに結ぶことを使命としているので、まったくの別系統ではないでしょうか
@taketaki
@taketaki 3 жыл бұрын
@@user-tabiichiro 調べてみたら、全くの別物でしたね。 はくたかは車両や経由地が変化してきましたが、一通り繋がってはいますので。
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