【国鉄時刻表】1964年9月西鹿児島駅 鹿児島本線 JAPAN NISHI-KAGOSHIMA station; KAGOSHIMA LINE time table 1964

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ともやん君TV 時刻表研究チャンネル

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Күн бұрын

【時刻表の紹介】
1964年9月ダイヤ改正後
西鹿児島駅 鹿児島本線 時刻表です。
決して本数は多くありませんでしたが、
九州・本州各地へと向けた列車が走っていました。
今では見ることができない、
バリエーションに富んだ列車をお楽しみください。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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お借りしたBGM
フリーBGM DOVA-SYNDROME
ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
#国鉄 #鉄道 #昭和39年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #鹿児島本線 #西鹿児島駅  #枕崎線 #鹿児島 #過去鉄

Пікірлер: 63
@user-rh3bx2dc1o
@user-rh3bx2dc1o Жыл бұрын
ともやんさん、西鹿児島駅をUPして頂き有難うございます、私の亡き父が奄美大島から関西方面に移動するのに利用した駅です。乗車した列車は急行「霧島」車両も当時の国鉄標準客車、なので夏場はクーラは無く扇風機や窓を開け、売店で購入したボンタンアメや冷凍みかんを食べて暑さを忍んでました、また機関車もSLが牽引してたので車内に煙が入って顔が真っ黒になった、なので下車する駅に着いたらホーム上に洗面台が有って顔を洗ったというエピソードを聞かされました、無煙化された現在では何処の駅も洗面台は無くなりましたね。今年は思い出のある駅の時刻表をUPして頂き有難うございました、来年も楽しみにしています。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 「西鹿児島駅」思い入れがあり、以前からUPしたいなと思っていた駅です。 今となっては大変貴重なエピソードですね。やはりクーラーが無いというのは大変厳しかったのですね。しかもSLとなれば気軽に窓も開けられず、お父様のご苦労が想像できます。 もし当時にタイムスリップして乗車できるのであれば、是非とも夏以外で乗車したいなと思います。 来年も皆様に喜んでいただけるような動画を作成していこうと思っております。 どうぞ来年もよろしくお願い致します。
@kataakeo7730
@kataakeo7730 Жыл бұрын
この頃は本当に地方交通が充実していましたね。 南薩線(のちの鹿児島交通)や、宮之城線直通が結構あったんですね。いずれもなくなってしまいましたが。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 当時の路線網と現在の路線網を並べてみると、当時の地方交通の充実ぶりがよくわかりますね。しかし残念ながら徐々にバスや自家用車の勢いに負けてしまい、姿を消していったこともよくわかります。
@pananaq0810
@pananaq0810 Жыл бұрын
またいいチョイスの駅をありがとうございます。鳥栖行きがそこそこありますね。本数は少ないものの東京方面の優等もしっかり確保してあって国鉄の偉大さに思いを馳せます。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 「西鹿児島」という名称は寝台特急の終着駅のイメージを持つ方が多く、当時の思い出がよみがえる良い駅ですよね。 本数は決して多くはないですが、九州や本州の各都市へのアクセスを考慮してあり、ダイヤ作成者の意図を感じられる時刻表になっていますね。
@kochihae8673
@kochihae8673 Жыл бұрын
昔の時刻表を紹介してくれるシリーズは他にもありますが、やはりこのデザインと曲(特に今回の) が一番好きです。今後もお身体に気をつけて連載を続けてくれると嬉しいです。 では、良いお年を。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 また、動画について嬉しいお言葉もいただき大変ありがとうございます。 このBGMは本当に良い曲ですよね。何度も聴いています。 来年も、楽しんでいただける動画をお届けできるように頑張ってまいります。 Kochi Haeさんも良いお年を。
@yamayuki
@yamayuki Жыл бұрын
あけましておめでとうございます。 ここでもまた急行「霧島」が見れ、ここの動画のまさに常連列車だとある意味感動しております。急行「さつま」の編成を見て、国鉄は停車駅で駅弁でも買ってくださいとでも言っているのでしょうか、昼夜ぶっとおしで約22時間も走るにも関わらず食堂車がないなんてちょっと同情してしまいました。そしてこの動画の一番の注目列車が急行「フェニックス」、まさにほぼ九州一周。こういう列車にも終点まで乗ってみたかったですね。 今年もこのような動画を楽しみにしております。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 いつもご視聴とコメントありがとうございます。 仰るように急行「霧島」はこの動画の常連さんですね。どうしてもその個性が光っていますので取り上げてしまいます。急行「さつま」はタイミングよく、どの食事の時間帯でも長時間停車(10分前後)していますね。乗客はみんなこの時間を利用していたのかなと想像しています。 「フェニックス」は名称と中身の双方ともに個性あふれる列車ですね。九州観光に利用してみたかったです。 今年も楽しんでいただける動画をお届けできるよう、頑張ってまいります。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
食堂車を連結するのはあくまで東京行きであり、ステイタスシンボルとしての要素もあったものと思います。 ただ、食堂車の食事の値段は駅弁と比較して高かったこと、長距離急行では車内販売が充実しており、そちらを利用されたものと思います。さらに駅では弁当の立ち売りも行われ、客車の窓越しに駅弁と代金の受け渡しが行われていました。 長時間停車は機関車の付け替えによるものもあり、駅ではホームにある洗面台で顔を洗う人も多かったそうです。 私も平成初期に門司駅で見たことがあります。
@ikkakun4810
@ikkakun4810 Жыл бұрын
素晴らしいチャンネルを来年もよろしくお願いします♪ よいお年を!
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 毎回いただくコメントを拝見するのを楽しみにしております。 来年もどうぞよろしくお願い致します。 ikka kunさんも良いお年を!
@user-jd8fl1ur6o
@user-jd8fl1ur6o Жыл бұрын
この当時、特急は1本だけの運転で、まさに「特別(な)急行」ですね。はやぶさは東京まで22時間35分、当時は、鹿児島本線も博多近郊が複線電化ですが、単線でSL牽引、丸一日かかって上京。特別急行に乗車するのは、裕福な階層だと思います。 国鉄時代は変わった経路を走る列車が多かった。 西鹿児島駅〜博多駅〜宮崎駅を馬蹄型に結んだ「急・フェニックス」。多分、西鹿児島〜博多を結ぶ列車と博多〜宮崎を結ぶ列車の運用を一本にした感じですね。 普通の行き先も「薩摩大口」、南薩(後の鹿児島交通)乗入列車とか、今では、廃止されて無くなってます。 急行の桜島、霧島は27か28時間、さつまが名古屋まで約22時間走行してますから、乗客も大変です。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 まだまだ特急は「特別」な存在であった時代ですね。はやぶさの2等寝台を利用したとしても、東京ー西鹿児島で約4200円(現在の価値で約4万2千円)の料金が必要になることを考えると、気軽に乗れるものではないですね。 当時の国鉄は乗り入れも多く、運転経路も複雑で、時刻表を読んでいても楽しいですね。鉄道が様々な移動需要の受け皿になっていたことを思わせますね。
@user-jd8fl1ur6o
@user-jd8fl1ur6o Жыл бұрын
@@tomoyankun さんへ。 正和39年だと、国鉄の特急はまだまだ高嶺の花、庶民には縁遠い存在ですね。 鹿児島本線でも、夜行の普通列車が設定されて居ますね。
@jops-tv4202
@jops-tv4202 Жыл бұрын
昔は西鹿児島から東京や大阪方面に行く長距離列車も存在していたんですよね。一日以上かけて行くというのがスゴいというか……。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 新幹線と飛行機のおかげで日本各地が近くなりましたが、この当時の時刻表を読んでいると、日本は決して狭くないことを実感しますね。
@Cypher-stm
@Cypher-stm Жыл бұрын
長距離列車が行き着く南の終着駅、「ご乗車お疲れ様でした」という一言が身に染みる。 対東京の長距離列車と今は亡き宮之城線の普通列車が時代を感じさせるな
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 鉄道に興味がある人間なら一度は目にしたことのある「西鹿児島駅」ですね。残念ながら今まで訪れたことはないですが、親しみを感じる駅名です。 仰る通り、地方交通線がまだ元気だった時代ですね。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
30年前、大学生の頃に西鹿児島を訪れたことがあります。貧乏学生の周遊券+ユースホステルの旅でした。 指宿に行こうとして西鹿児島駅の公衆電話から指宿の二つのユースに電話したところどちらも満員。諦めてフェリーで桜島に渡りました。それはそれで観光バスで展望台に行ったこと、湾岸戦争で海外を諦めた卒業旅行の方と話したりと感動ものでした。 その西鹿児島駅が「中央駅」を名乗る時代が来るとは思いませんでした。 最近関西の某大学の学生KZfaqrがしきりに枕崎を目的地或いは出発地にした動画を配信していますが、枕崎まで行けば良かったと思い返しております。(稚内は行きました。)また行けるかなあ。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
お気持ちよくわかります。当時は「そのうち乗れるから今度で良いか」と思い、そのまま乗ることができずに廃止になった列車が数多くあり、思い返すたびに後悔の念がよみがえってきます。 TSUYO Sさんも近いうちに枕崎まで行ける日が来るとよいですね。
@user-gp4tm9ni3j
@user-gp4tm9ni3j Жыл бұрын
東京からはやぶさ 京都からきりしま→なは 新大阪からなは、あかつき、明星 門司港から有明→つばめ 長距離特急の終着駅として活躍した南の名駅 かつては東京~西鹿児島は22時間30分程度だったが、九州新幹線全線開通に伴って東京~鹿児島中央は6時間30分まで短縮した
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 情報をわかりやすくまとめていだたき大変嬉しいです。 当時の「急行フェニックス」で西鹿児島を発車して6時間30分後にはやっと「小倉」に到着するところですから、新幹線の速さを恐ろしいほどに実感できますね。
@SA-ey9md
@SA-ey9md Жыл бұрын
こんにちは。 馴染みの鹿児島本線を取り上げていただき興味深く拝見、 小倉から西鹿児島まで繋がってるのねと再確認(笑)でした それにしても急行フェニックスの運行の長さ…驚きしかありません。 反対周りならすぐ行けるのに😊 当時は宮崎は新婚旅行で人気だったから熊本福岡方面からの需要もあったのでしょうね。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
こんにちは。 いつもご視聴とコメントありがとうございます。 九州新幹線のおかげで近く感じるようになりましたが、この時代の所要時間を見ると、九州も広いことを実感します。 仰る通り、急行フェニックスは、終点まで乗り通すことは想定していなかったでしょうね。反対回りなら約2時間で到着できますもんね。 一年間で結婚する組のうち、約35%が宮崎を新婚旅行として選んだ時もあると聞いたことがあります。本当に人気があったのでしょうね。
@user-em4ti9tk5u
@user-em4ti9tk5u Жыл бұрын
あれれ!熊本と博多からは肥薩線・吉都線経由のえびの号が既に走っていました。 確かに宮崎は新婚旅行の聖地、大阪から宮崎行きの全車A寝台編成、急行ことぶき号が懐かしい。 大安吉日は急行青島号などグリーン車も大賑わい。
@user-fz4qk1mj2z
@user-fz4qk1mj2z Жыл бұрын
​@@user-em4ti9tk5uさん 全車A寝台というのは「マロネ40」(1等寝台A)「オロネ10」(1等寝台B)「マロネ41」(1等寝台C)と総動員でしたからね。
@user-em4ti9tk5u
@user-em4ti9tk5u Жыл бұрын
@@user-fz4qk1mj2z 時刻表見てよだれ垂らしていた子供時代にベッドのマークに一等や二等だのと記載がありました。 等級は理解出来てもA・B・Cの区別の意味が分からずって言うか乗ったことが無いのでちんぷんかんぷんでした。 ベッドの種類と知ったのはのちのち。当時の時刻表は夢を記載していた。
@user-ue2xg6gs9h
@user-ue2xg6gs9h Жыл бұрын
いつも楽しみに見させていただいております。 64年9月といえば、東京オリンピックのひと月前ですね。 対東京を意識して作られた時刻表ではないかと思います。 それ以前からあったのかもしれないですが、東京行きの急行には寝台車と食堂車が連結されていますね。 急行には無かった全車両冷房付20系特急はやぶさ号はまさに特別だったのでしょうね。 博多行きが準急かいもん号だけだったというのも意外でした。 特急、急行の停車駅という事で充分だったのでしょうね。 行先の都市名が勝手にその都市の知名度アップに繋がっていると思うので、今では誰もが博多=福岡ですが、その頃の鹿児島の人達は博多ってどこ?って言う人も多かった気がします。 鳥栖行きの客車が多いですね。 客車基地があったのですかね。 準急かいもん号は名前の通り2便のうちのどちらかは山川か指宿発だったかもしれません。 以前、どこかの記事を見て、指宿から博多行きがあったのだと思った事があります。 新しくアップされる各駅の古い時刻表楽しみにしております。 1968年10月のいわゆるヨンサントウの西鹿児島駅の時刻表が見たいです。 鹿児島本線電化が1970年です。 2年ほどキハ82特急有明号が走っていたはずなので、その頃に興味があります。🙂
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 この時代では、冷房付きの車両は希少性が高く、まさしく特別な列車だったのでしょうね。 鳥栖駅は、鳥栖機関区があり有数の規模を誇っていました。確か1980年代まで活躍していたと思います。 準急かいもんは、仰る通りで1964年9月時点では「第2かいもん」が山川駅始発でした。下りは「第1かいもん」が山川ゆきとなっていました。 1968年10月の改正で鹿児島本線は大きく印象が変わりますね。一気に優等列車が増発され、にぎやかになっています。少し時間がかかると思いますが、とり上げさせていただきますね。リクエストありがとうございます。
@user-xy2cm5kq1q
@user-xy2cm5kq1q Жыл бұрын
普通列車で熊本行きが無いのが意外でした。(団体で1本あるだけ) そして、夜行普通・門司港行きという鹿児島本線をほぼ全線走破(鹿児島本線の起点・終着は隣の鹿児島駅)するというスーパー普通列車😄😆😀
@tentaclealma3535
@tentaclealma3535 Жыл бұрын
3:45 第二かいもんのキハ55の説明で、快適とは言えないと説明されたが、当時はあんな列車のクロスシートでも快適だった。 しかも、スプリングコイル式の座面は今のウレタン式なんかと比べ物にならないぐらいよかった記憶があります。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 貴重な経験からのコメントありがとうございます。 当時の座席には今の座席にない座り心地の良さがあったのですね。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
明けましておめでとうございます。 鹿児島から東京まではやぶさでも22時間かかったのですね。それでもかなりの需要があったものと思います。 他方で博多方面への列車が少ないことが意外です。 九州は県庁所在都市にはそれぞれ大きな繁華街があり、よほど大きなビジネスや旅行でなければ買い物は天文館あたりなど市内で完結していたのでしょうね。 特急、そして新幹線で移動は便利にはなったものの大都市に吸い取られてしまうは残念なこととも思います。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 いつもご視聴とコメントありがとうございます。 博多方面への列車が少ないことは私も意外に感じました。天文館は隣県からも訪れる人がいると聞いていますし、仰る通り、人の生活は市内で完結できていたのかもしれませんね。移動時間が短くなればなるほど、大都市へと集中する傾向がありますよね。仕方ないとはいえ、地域の特色が薄れていくのは寂しいなと思います。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
@@tomoyankun さま 平成の初めごろは鹿児島や熊本から福岡に週末に向かう方の一群は特急列車の名前から「つばめ族」と呼ばれていました。 この動画の時代は福岡に出るにも準急で5時間半かかり、頻繁に出られるところではなかったものと思います。鹿児島を出て福岡に向かうのは転勤族か九大に入学される方だったのかもしれません。(集団就職のメインは京阪神でした。) 九州における九大の人気は昔から根強いものがあるらしく、母方の田舎の佐賀県でも国立なら九大へという流れがあったそうです。 九州の都市間の主力列車、後年はつばめ号のルーツとなる準急のかいもん号がキハ55の編成というのも意外でした。58系はまだ長距離のエース急行が中心で準急までは手が回らなかったのでしょう。 次は佐賀駅か鳥栖駅の動画があれば嬉しいものです。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
返信ありがとうございます。 当時の九州にお住いの方々は当時京阪神に集団就職していたのですね。調べて色々な記事を読んでみて大変勉強になりました。 リクエストありがとうございます。時間がかかると思いますが、作成させていただきますね。
@user-fz4qk1mj2z
@user-fz4qk1mj2z Жыл бұрын
TSUYO Sさん 当時は、鹿児島線は久留米以南が非電化で、「C60」(「C59」の改造機)や「C61」といった所謂ハドソン機が活躍していました。
@user-gp8xq9lm1m
@user-gp8xq9lm1m Жыл бұрын
いつも楽しく視聴しています この時の日豊本線の起点は西鹿児島駅ではなく鹿児島駅だったのですか? 個人的に出生地が大分県なので日豊本線が気になっています😅
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 残念ながら日豊本線の起点については詳細な記録を持っておらず、情報を検索してみてもいろいろな記述があり、はっきりとしませんでした。 日豊本線の時刻表もいろいろな支線へと直通しており、大変面白い時刻表です。今後取り上げさせていただきますね。
@kataakeo7730
@kataakeo7730 Жыл бұрын
もし可能なら、1972年3月の岡山まで新幹線が開業したときの山陽本線(下関・九州方面)の「岡山駅」の時刻表を作って頂けると、とても楽しいのではないかと思っています。 1972~1975年だけの特殊な特急列車とかたくさんありそうな気がします。
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Жыл бұрын
まずは岡山始発の寝台特急ですね。確実に3年間しかありませんでした。新幹線からの乗り換えで需要が見込めると考えたのでしょう。 昼間の急行でしたら新幹線の岡山開業前でも山陽地区の利便性を図るための岡山始発はあったものの九州方面への直通急行は大阪や京都、遠くは東京からのものでした。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 山陽新幹線延伸に伴う移行期間の時刻表は、私も大変興味があります。残念ながらその時代の時刻表を持っておらず、探し続けているところです。ですが、手に入った際には是非取り上げたいと思っております。
@kataakeo7730
@kataakeo7730 Жыл бұрын
@@tomoyankun ヤフオクで売られているようです。 自分で買ってお渡ししても良かったのですが、ややこしくなりそうなので、購入していません。
@kovno7
@kovno7 Жыл бұрын
いち! 来年もよろしくお願いします
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 早速コメントをいただき大変嬉しいです。 来年もどうぞよろしくお願い致します。
@alooga555
@alooga555 Жыл бұрын
昭和52年4月12日に出水駅で発行された国鉄線190円区間の硬券を持ってます。どこまで行けたのだろう?
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 昭和51年の時刻表では31~35㎞の運賃が170円、36~40㎞の運賃が200円でした。 北は佐敷、南は西方の辺りまでは行けたようですね。
@user-em4ti9tk5u
@user-em4ti9tk5u Жыл бұрын
子供時代に名前が付いた列車に乗ったのは急行しろやま号でした。一生忘れません。 八代駅を10:00頃に乗りました。博多に午後着。 西鹿児島を前日夜に出るから相当な遅れですね。
@user-gp4tm9ni3j
@user-gp4tm9ni3j Жыл бұрын
西鹿児島発となると長距離列車が数多く走行していた 急行東京行きは24時間超えのロングラン 丁度その頃に日豊本線経由東京行きの寝台特急富士が24時間超えで走行した (1980年10月改正まで、以後宮崎に短縮)
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
いつもご視聴とコメントありがとうございます。 当時の西鹿児島駅はにぎやかですね。 今となれば飛行機か新幹線の利用となるのでしょうが、当時は列車移動がメインの時代ですから、ちょうど今のような帰省シーズンには混雑していたのでしょうね。 切符の確保から長い乗車時間と、大変だったのだろうなと思います。
@planertetutabi3531
@planertetutabi3531 Жыл бұрын
まだこの時代は優等列車そのものが貴重な存在であり、後に鹿児島本線の主要列車は[有明](→[つばめ])、日豊本線は[にちりん]に集約される様になりますが、後にその[有明][にちりん]に取って代わる元となる急行(準急)列車の時代でしたね(笑) 新幹線も漸く東京~新大阪間で翌年に開業予定の頃でもあり、九州管内の列車もさることながら…種別を問わず発着する列車の大半が長距離長時間運転の列車か他線に直通する列車ばかりで、まだ列車本数が限られていた事もあって列車1本辺りの需要が相当高い時代だったかと思えます。 この時代の九州管内優等列車の中でやはり目立つ存在なのは…[フェニックス]だと思います。当時としてはかなりハイセンスな愛称名であるし、現在も福岡~宮崎間高速バスの愛称として親しまれており、私個人的にも日豊本線側で幼少期の頃から良く乗った(厳密には「乗せられた」…ですが)列車で、思い入れは大きいです。 何せ、特に鉄道好きな訳でもない…当時宮崎在住だった私の祖父母ですらこの列車の事を良く知っており、「[フェニックス]に乗って宮崎へおいで」…と、子供の頃に良く言われたモノです(笑) 私が乗っていた頃は特急[有明]や[にちりん]もキハ80系気動車特急として既に誕生しており、私の乗る[フェニックス]は既にキハ58系の冷房車になっていましたが、当時キハ80系特急は手の届かない憧れの列車でした。 また[はやぶさ]も大学受験の頃から在京社会人時代だった頃の帰省に大変良くお世話になった列車であった事もあり、現在の東北・北海道新幹線の愛称になってかなり月日が経過しているにも関わらず…未だに違和感を感じます。 この時代の[はやぶさ]は既に20系化されてはいるものの…まだ「ブルートレイン」や「寝台特急」と云う言い方は一般に浸透してはおらず、「全車寝台の特別急行列車」とか「特別急行寝台列車」…等と云う呼ばれ方がされており、当時の時刻表の表記にも「寝台特急」と云う種別マークは存在しておらず、あくまで「特急(特別急行)」の一種として扱われていたと思います。また「全車寝台」と唱いながら非常に貴重な20系1・2等座席車もまだ僅かに連結しており、この車両に乗れる人は当時少なくとも一般庶民ではかなり難しいレベルであり、相当裕福な家庭環境に育った方だけだったと思われ、正に羨ましいばかりでしたが、当時はそれだけ特急列車は贅沢な乗り物であり、今の列車に対する感覚とは随分違っていましたね(笑) 長くなり失礼しました🙏
@user-ue2xg6gs9h
@user-ue2xg6gs9h Жыл бұрын
「はやぶさ」が東北新幹線というのに違和感があるというのに、私も激しく同意です。😅 本当はJR九州が九州新幹線全線開業時の為の「のぞみ」と同等の速達便用に温めておいた名称が「はやぶさ」だったと思うのです。 新青森開業時の名称公募で、ブルートレイン「はやぶさ」が引退して欠番の間に東北新幹線の名称に決まってしまった。というのが真相だと思います。 公募さえ無ければ、今頃、「みづほ」ではなく、「はやぶさ」が鹿児島中央⇄新大阪を往復していたと思いますね。 私はE5系の「はやぶさ」を見るたびにちょっと悔しい気持ちに未だになりますね。😢
@planertetutabi3531
@planertetutabi3531 Жыл бұрын
@@user-ue2xg6gs9h 返信有難う御座います。正直…最高時速320km/hで疾走する[はやぶさ]…これ自体は正に「言い得て妙」とはこのことであるかの如く…個人的にもホントに相応しいネーミングだとは思っているのですが、まさか東京から北へ向かう列車へ命名されるとは想像もしていませんでした。新愛称を命名するなら北海道の某有名シンガーソングライターの歌にも唄われた[はつかり]…と云う永年東北本線を最速達で全線走破し続け、旅人に親しまれた東北を代表する様な大御所名があった筈ではないのか?…と嘆いたりもしました。 更におまけにせっかく永年候補に挙がりながらも「疫病の別称」等と云われてずっと採用が叶わなかった[はやて]が、やっとの想いで晴れて東北新幹線筆頭の最速列車として命名されたのにも関わらず…その栄光はほんの一時だけで、今はまだ僅かに残ってはいるものの…東京には一切顔を出さない朝夕の地方都市間のみを結ぶ区間列車に成り下がってしまい、鉄道愛称の変遷は何時の世も諸行無常の世界だと想い知らされます。 九州新幹線の速達列車となった[みずほ]もまた[はやて]同様…存続が危ぶまれている列車の様であり、今年3月のダイヤ変更で大半の列車が当面の間毎日運転の臨時列車扱い…となるみたいですね。見方を変えれば…もし九州新幹線の速達列車が[はやぶさ]になっていたとしたら?…そう考えると今回の[みずほ]の減量ダイヤ変更は[はやぶさ]でなくて良かった…と思えなくもありません(笑) 因みに…1964年当時の[みずほ]は東京~熊本・大分を結ぶ特急列車として運転されており、この大分編成が独立したのが後の3代目[富士](後に東京~西鹿児島となって日本最長距離列車になる)でしたね。
@user-ue2xg6gs9h
@user-ue2xg6gs9h Жыл бұрын
「はやぶさ」は西の列車のイメージが強いので全く頭になかったと思われるJR東日本はおぼろげに「はつかり」のネーミングを用意していた気がします。 私も青森までなら伝統のこのネーミングが一番相応しいと思います。 「はやて」は東京へは来なくなってるのですね。 E5系=「はやぶさ」のイメージがかなり強いので、わかりやすく東京からの速達便は統一したのでしょうね。 50代になる私ですが、やはり「はやぶさ」の方がネーミングとしては響きます。 今度のダイヤ改正で「みずほ」は大半が臨時列車扱いですか。😞 そろそろ800系の置き換えも考える頃だと思うので、長崎と同じN700Sの導入になるのかの次の世代の新型式の導入になるのか、その時の「みずほ」がどうなるのか楽しみです。 かつては20系の頃なのでしょうか。 「みずほ」が大分に乗り入れていたとの事。 長崎、熊本のイメージしかなく、同じく長崎県とか佐世保のイメージしかない583系の頃「みどり」が大分に乗り入れていたりと、まだまだ知らなかった事が多そうです。 色々と教えていただきありがとうございます。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 お二人とも、詳しいながらも大変わかりやすく、貴重な思い出話もあり、楽しみながら拝読いたしました。 当時から鹿児島から九州内や本州への移動需要があったことを考えると、列車が大変混雑することもあったのでしょうね。帰省シーズンの切符の確保は大変だっただろうなと思います。 私もやはり「はやぶさ」は九州方面へと向かうイメージが強く、東北地方へと向かうイメージはいまだにないですね。ですが、「はやぶさ」というスピード感のある名称は、新幹線としての利用には合っているのかなと思います。伝統のある名称が、これからも日本のどこかで活躍していってほしいなと心から願います。 読ませていただき、大変勉強になりました。ありがとうございます。
@planertetutabi3531
@planertetutabi3531 Жыл бұрын
@@user-ue2xg6gs9h 日本の列車愛称と云うのはどうも昔から一度ケチが付いてしまう(何らかの理由で短命に終わったりする)と、結局その後に折角採用されたとしても永続きしないのが暗黙の認識の様であり、[はやて]も戦前のS4夏に実施された同年9月に運転開始される予定の東京下関間初の愛称付き特別急行列車の愛称一般公募でベスト10に入った候補であり、「疫病の別称」と云われて忌み嫌われていたにしては意外にもそれなりに人気はあった様にも思えますが…どうにも列車愛称としては定着しない運命にある…のでしょうね(笑) [みずほ]は36-10改正で東京~熊本間に運転開始された特別急行であり、運転開始時はまだ旧形客車編成でパッと見当時の夜行急行と殆ど変わらない編成だったと思われます。後の38-6には20系客車化されて付属編成が大分へと足を伸ばす事になります。その後は再び熊本発着列車(付属編成は博多回転→後に全編成熊本発着化)になりますが、47-3に14系化、新幹線博多開業の50-3には付属編成が長崎にも足を伸ばしています。実は運転開始から約1年は毎日運転の臨時列車で、今正に現在の新幹線[みずほ]の今後の運転計画と全く同じ状況下での運転だった…と言うのも何か因縁めいています(笑) 方や昼行列車の[みどり]の運転開始は36-10で、当時はキハ80系気動車による大阪~博多間特急でした。同改正では同じく京都~博多間客車特急[かもめ]もキハ80系気動車化され、これまでとは一転して京都~宮崎・長崎を結ぶ分割併合特急となります。 後に39-10で[みどり]は分割併合運転となり、大阪から基本編成が熊本、付属編成が大分へと向かう列車になりますが、早くも翌40-10には付属編成は大分のまま変わらず基本編成が筑豊本線経由の佐世保発着に変更になります。なお熊本方面は[かもめ]が西鹿児島・長崎間運転となりカバーし、その代替えで宮崎方面は大阪~宮崎間気動車特急[いそかぜ]が新設されます。 [みどり]はその後42-10で新大阪~大分間581系電車列車となり、夜行の電車寝台特急[月光]と昼夜兼行の共通運用を組まれたのはご指摘の通りです。それに伴い[いそかぜ]は[みどり]の佐世保編成を継承して大阪~宮崎・佐世保間の分割併合特急となります。 43-10では再び九州気動車特急の改変が行われ、[かもめ]が長崎・佐世保特急となり、大阪~西鹿児島・宮崎間特急として[なは][日向]の分割併合列車が新設され、それまでの大阪~佐世保・宮崎間特急[いそかぜ]は廃止となります。 48-3で[みどり]は岡山~大分間が1往復増発され2往復となり、当時の臨時特急[夕月]はこの[みどり]の運用間合いで運転され、まだ向日町に在籍した489系が運用に付いた事も。48-10で[なは]が485系電車化され、日豊本線が南宮崎まで電化された49-3改正で[みどり]は大阪→大分・岡山→宮崎・岡山←大分・新大阪←宮崎の2往復が485系で運転されます。翌月には最後まで残っていた気動車特急[日向]も485系電車化されます。因みに私は後に大増発される485系電車化された[有明][にちりん]等よりもこの宮崎[みどり]の方が九州で先に乗った485系電車特急でした(笑) 50-3でこれらの特急は全廃されますが、この様にかつての九州入りする元気動車特急群は各列車短い期間ながら九州各地に顔を出す列車でした。長文並びに誤字記載間違い有りましたら失礼🙏
@user-ps3hd7wy5y
@user-ps3hd7wy5y Жыл бұрын
次は、鹿児島本線熊本駅をお願い致します。
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 熊本駅も当時色々な列車が走っており見ごたえがありますね。 時間がかかると思いますが、作成させていただきますね。リクエストありがとうございました。
@sakura_ouka
@sakura_ouka Жыл бұрын
12時34分発 普通 鳥栖 西鹿児島から9時間もかかるの?
@tomoyankun
@tomoyankun Жыл бұрын
ご視聴とコメントありがとうございます。 ほとんどすべての駅に停車し、出水や水俣、熊本で10~20分程度停車するため、約9時間かかっていました。 ちなみに今ですと、鹿児島中央を12時30分発の列車に乗れば、鳥栖には18時44分に到着できます。随分速くなったなと思います。
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