江戸時代の冬の生活!江戸庶民にとって冬の暮らしは『生き地獄』だった…

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Күн бұрын

電気もガスもない環境で、江戸庶民は寒い冬をどう乗り切っていたのでしょうか?
その暮らしぶりをひも解いてみると、暮らしの工夫や知恵が見えてきます。
今回は「江戸庶民の冬の生活」についてご紹介していきます。
====================
▼目次
0:00 イントロ
0:31 粗末な長屋での暮らしとは?
3:00 生活の知恵で冬を乗り切った江戸庶民
5:12 とにかく鍋好きだった江戸庶民
7:10 冬の一日ルーティン
▼BGM提供
・音楽素材MusMus様→musmus.main.jp/
・魔王魂様→maoudamashii.jokersounds.com/
・PeriTune様→peritune.com/
・DOVA-SYNDROME様→dova-s.jp/
・甘茶の音楽工房様→amachamusic.chagasi.com/
・ポケットサウンド様→pocket-se.info/
・音の園様→oto-no-sono.com
▼イラスト提供
・Adobe Stock→stock.adobe.com/jp/
・ACイラスト→www.ac-illust.com/
・Vecteezy→www.vecteezy.com/
#江戸時代
#冬の生活

Пікірлер: 27
@user-in2jy7ov6n
@user-in2jy7ov6n 6 ай бұрын
江戸時代は小氷期だったから現在よりも寒かったのに、ろくな暖房器具は無かったんだな。
@msss8036
@msss8036 6 ай бұрын
平和な現代に産まれただけでラッキー、日本に産まれりゃ勝ち組ですよ。
@takaos7992
@takaos7992 6 ай бұрын
今より気温が低く風通しのいい夏仕様の家屋で暖房は火鉢のみ。 真冬には室内でも0℃近い寒さだったと思われます。
@snowpapua
@snowpapua 6 ай бұрын
江戸時代の布団の高額さは驚きます。これはきっと棉花が多くの肥料を要したためで、江戸中期以降は北海道でニシンが獲れるようになったため綿の値段が下がりました。それまで庶民はありったけの衣類を掛け布団として用いていたようです。
@komaichi1-1
@komaichi1-1 6 ай бұрын
仕事帰りに一杯は今も昔も変わらないんですね😅
@user-zo5oi5wb3s
@user-zo5oi5wb3s 6 ай бұрын
江戸時代は小氷期に該当し、ロンドンのテムズ川やパリのセーヌ川は何ヶ月も凍結して、人々は氷結した川を歩いて渡っていました。 それ位、江戸の街も寒かったのです。
@user-meriodass
@user-meriodass 6 ай бұрын
江戸時代だったら 田舎住まいで 白川郷みたいな住居が ベストだったんですね
@696330
@696330 6 ай бұрын
他所の動画でも同じコメをしたことがありますが、高校の頃の古典の先生の余談で「あの時代は寝る時は薄っぺらいせんべい布団しかなかったんです。そこで彼らは寒さをしのぐために何をしたと思いますか?それは・・ガマン!ガマンをしたんですよ。」
@Arikui-gl8ml
@Arikui-gl8ml 6 ай бұрын
冬でもわらじ履きは、キツイですね。わらの長靴は、文明開化以降でしょうか。暖かいんですよね。ドテラは江戸時代からですか。冬の寒さに苦労したんですね
@user-sc9yj1dm2m
@user-sc9yj1dm2m 5 ай бұрын
厳しい環境を生き抜いてくれた、我々のご先祖に感謝です。
@user-sr6ew9sh7l
@user-sr6ew9sh7l 6 ай бұрын
火鉢や長火鉢は歌舞伎の小道具としてよく見ます
@user-yo9mi1se8y
@user-yo9mi1se8y 6 ай бұрын
いつもありがとうございます。
@user-lh5eu8qz8s
@user-lh5eu8qz8s 4 ай бұрын
自分はまだまだ幸せなんだなあって思えました。
@hondacoupe
@hondacoupe 3 ай бұрын
自分の地元、筑前福岡藩は江戸時代から豊富にとれる石炭を惜しげもなく燃やしていたようです。(石炭利権で結構イザコザ起きてる) 今でも福岡都市圏東部の旧産炭地(筑豊ではない)跡付近でも石炭がゴロゴロしているので拾って帰って火をつけると凄い火力で燃える。 当時は普通に露天で石炭が採集されたと思われ、一足早く明治時代のような石炭利用していたから、一口に江戸時代と言っても地域によってずいぶん違う。江戸は最盛期100万人と言われて、それぞれが薪や焚物、炭を利用するとなると膨大な量が必要であるにもかかわらず薪炭生産地から大八車等で運んでいることを考えると、一人当たりの使用量は最低限にならざるを得ないと思う。
@lupin20xx
@lupin20xx 5 ай бұрын
落語のねぎまの殿様ききたくなりました
@polestarg6512
@polestarg6512 6 ай бұрын
オレなら火鉢でたき火かな。(笑) オフクロは、和裁、洋裁が普通に出来たな。 昔の人は普通だったんだな。
@kamenkizoku3939
@kamenkizoku3939 3 ай бұрын
布団が高級品だったんですよね それは昭和に入ってからもで、震災や空襲の時に荷車に布団を入れて逃げるのは高級品だった為なんで。 庶民の家も寒かっただろうけど、それは旗本なども同じだったんじゃないですね。 和式建築の木造建屋は底冷えする寒さだったでしょう。 令和に生きる日本人でよかった。今日も暖かい羽毛布団でエアコン25℃にして寝よう。
@user-iz5of3gs3c
@user-iz5of3gs3c 6 ай бұрын
江戸時代の人々に感謝しますーたくましい人々文化を生み出した庶民ーこの人々がいなかったら今の時代はないだろう~たくましさー礼儀ありーものを大切にする習慣ーやさしさー思いやりー耐え忍ぶ精神ー何もかもが教科書だー逆に現代より人間らしいいや人間だ‼️
@user-kz6gd9gn2g
@user-kz6gd9gn2g 6 ай бұрын
江戸時代は小氷河期だったらしい。
@user-zu6tc9mb7s
@user-zu6tc9mb7s 6 ай бұрын
圧倒的に物がない中でも慎ましく生活していたのだと思いました。
@fivepointedstar196
@fivepointedstar196 6 ай бұрын
江戸は、まだマシでしょ。 国土交通省東北地方整備局のHPから資料文献を借りると 明治時代以前の東北地方では、数年に一度の割合で凶作の年があったことが、歴史文献から分かります。そして、中でも宝暦(1750頃)、天明(1780頃)、天保(1830頃)の飢饉はとても悲惨で、仙台藩の『三大飢饉』として語り継がれてきました。 胆江地区でも、「牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児(えいじ)を食う母親もあり…(胆沢町史より)」とある。
@user-fg3vs5jb7m-hy1ss
@user-fg3vs5jb7m-hy1ss 6 ай бұрын
まったく。田舎のネズミと都会のネズミっていう童話があるけど、どちらにも いい所もあれば悪いところもあるということではなく、いい事ばかりじゃない という教訓としてとらえてます。
@huihui1842
@huihui1842 6 ай бұрын
ん、今の半島にある 将軍ランドみたいじゃんか😆
@bestthemudafuckin
@bestthemudafuckin 6 ай бұрын
昔のが純粋で全てが楽しいだろうなあ
@tacossalsa7471
@tacossalsa7471 6 ай бұрын
猫がカイロ代わりに。
@user-hz7fn1qj5o
@user-hz7fn1qj5o 5 ай бұрын
猫なんてこの時代にはないよ
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