母親との思い出にとらわれて、病んでしまっている人へ。どうしたらいいか?【精神科医が一般の方向けに病気や治療を解説するCh】

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精神科医がこころの病気を解説するCh

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3 жыл бұрын

00:30 母親との和解
01:45 母親の人生を話すことで理解がすすむ
03:08 理解することで何を目指すのか
08:10 話すことがうまくいかいない原因
今日は「母親との和解」というテーマでお話しします。
和解といっても、今回のお話は現実的に和解をするのではなく、あくまで「個人の精神の中での和解」ということです。
お母さんと一緒に旅行に行けるようになったとか、手を取り合って仲良くするということではありません。
精神の中で「とらわれ」が減るということです。
■母親の人生を話すことで理解がすすむ
母親との思いに囚われてしまってなかなか自分の人生を歩めない、幸せに生きていけない人はたくさんいます。
そのような場合、薬で治ることではありませんので、カウンセリング(診察)を受けましょうとなります。
そうなると、カウンセリングでどんなことを話せば良いかと皆さん思われると思いますが、1つの正解としては「エピソードを通じて、母の理解がすすむ」ということです。
診察:
n回目「母親の人生」
n +1回目「母と祖母」
n +2回目「母の友人・恋人(父)」
n +50回目「母の浮気・暴力」
診察のn回目では「母の人生はこうだった」とざっと喋り、
次の回では「母と祖母の関係はこんな感じだった」と喋り、
次は「母の友人関係」
「母と父、どのような恋愛をしてきてどんな夫婦関係を送ってきたのか」などを少ないピースから考えたり紡いだり、そこに自分の人生経験も交えながら「お母さん」という人物像を作り上げ、ストーリーにしていくという作業をやっていきます。
ある程度喋ってみたら、もう一度「母の人生」を振り返って総論を語り直してみたりということをやっていきます。
そうすると「お母さん」の理解が進みます。
お母さんはどんな人だったのか、母親という役割はどういうものだったのか、といったことがわかってきます。
■理解することで何を目指すのか
わかってくると何が良いかというと、目指す先はこちらです。
・他人(自他の区別)
まず「他人」なのです。親子といっても他人なのです。赤ん坊として生まれてきたときには自他の区別はつきません。母親と自分の区別のない一体感の世界で過ごしていて、小学生ぐらいになると、なんとなく違うんだろうなというフワフワした状態で子供の時代を過ごします。
思春期に入ったころに「あれ?自分と全然違う!」と気づきます。
そして自他の区別がどんどんついていきます。
ところが、もともとは一体のものだったのでどこかその幻想性にも長く包まれていて、剥がれきれず、いつまでたっても他人と思いきれません。
もちろん自分の家族でなければ他人と思えるのですが、家族にはなかなか他人と思えません。ですが、これも理解が進んでいくと「やっぱり他人だな」「気が合わなかったな」「似すぎているな」といったことがわかってきます。
 
・血と本能
とはいえ、他人と言っても本当に他人というわけではありません。「血」の繋がりがあります。
長い時間を一緒に過ごしてきたというのは特殊です。少なくとも子供のころは母と自分が同じであるという一体感の幻想を持っていたわけですから、そういう特殊な関係です。
子供は親を憎めないという本能もありますし、逆に思春期に入ったら親のことを憎むような本能も入っています。そのようなことがわかってくると、人間は動物であり、脳に支配されている生き物なのだ、自分の感情は脳が生み出しているものなのだ、ということがわかってきます。
・反復強迫
母親とのこじれた関係を他の人とも繰り返すことを、精神分析の用語で「反復強迫」と言うのですが、それが起きていることに気づきます。母親とのケンカのようなものが恋人関係でも起きているなど。
・自然と通わなくなる
このような理解がなんとなく進み、いろいろなことを話しているうちに自然と通院しなくなるというのが母に関する精神疾患の流れであり、オーソドックスな治療です。
すべてを喋らないと理解が進まないというわけではないし、すべてを理解するなんて不可能ですから、患者さんごとに「落としどころ」があるようで、その落としどころに応じて治療が終わるという感じです。
今まで本当にいろいろな「お母さん」の話を聞いてきました。
■話すことがうまくいかいない原因
この動画を見ている人は「実際の臨床はそんなに簡単じゃないだろう」と思われるかもしれません。
それでは、うまくいかない場合の理由を挙げてみます。
・自閉性、精神病性の問題
まずは原疾患が治療されているのか、もしくはその限界性をどれだけ理解しているのか、ということです。
自閉性(ASD)は発達障害の問題ですが、他人の心を理解することが苦手な人が多いので、母親に対する怒りも自閉的な問題で理解が進まないことがよくあります。エピソードを喋っていっても、それで理解が深まったかというと並列的で理解が深まらない感じもあります。とはいえ、喋ると整理されていくのでそんなこともないなとも僕は思っていますが、「教科書」的にはこのように言われています。
精神病性の問題というのは、うつ病、躁うつ病、統合失調症の問題ということです。このような原疾患的な問題、例えばうつのせいで母親との嫌な記憶が思い出されて問題がこじれるのであれば、そもそもうつ病を治さないといけません。薬を使って精神病性の問題を治療していくことが大事です。
・否認、抑圧、投影…抵抗の問題(トラウマ)
心理的な機制(防衛機制)があります。「母親との問題はない」と否認したり、「よく思い出せないんです」と抑圧したり、母親への怒りを主治医に向けるという投影があります。主治医のことをもっと近くに、母親と重ねて同じものと見る投影同一視といったこともあります。
このような抵抗の問題があるときは治療が難しく、トラウマや虐待の問題があるときはこのような問題が起きやすいです。
別の語り口にきりかえる。エピソードを取り扱うにしても、タイミングを見計らうといったことをしないと進みません。 
・構造の問題
精神科の外来という短い時間の中でも「先週に先生と喋った後にお母さんとこういうことがあって…」と立て板に水のようにスラスラとプレゼンをする患者さんも多くいますが、照れながら苦しそうに一言二言喋るだけで精一杯という人もいます。
それでももちろんよいのですが、カウンセリングの場で時間をかけて話したほうがいいよな、みたいなケースもあります。
また、現実的に現在も母親との関係が続いていて問題が起き続けている場合は、エピソードを喋っていても仕方がない、今の問題を取り扱うべきということもあります。
・逆転移の問題
これは一番あってはならないのですが、主治医側の問題です。治療者側が自分の中の母との問題を解決していないと、結局そこの押し付けになってしまいます。
例えば僕の母的なものとして自衛隊の話をよくしていますが、僕の中での自衛隊問題がある程度解決していなければ、同じものを患者さんに押し付けてしまう恐れがあります。
「組織なんて良くないよ」と言ってみたり、もしくは過度に理想化して「やっぱり規則正しくやらなきゃダメだよ」言ったりしてしまうことです。
押し付けられても患者さんも困りますので、無意識的な問題が起こらないように逆転移の問題を解決しておく必要があります。
このようなことがうまくいかない場合の原因かと思います。
今回この動画を上げようと思ったのは、「エピソードを語る」ということです。
エピソードを語るのは恥ずかしいですし、喋ってはいけないのではないかと患者さんは思いがちなのですが、喋って良いのです。
それがカウンセリングであり精神科の診療です。
母親との間に問題がある場合は、母の理解を進めることが大事です。この動画を見ている人も、お母さんの人生、年齢、出身高校、出身大学をきちんと喋れる人は少ないのではないかと思います。
そういうことを理解していくと母親との和解が進んでいきます。
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『精神科医がこころの病気を解説するChとは?』
 一般の方向けに、わかりやすく、精神科診療に関するアレコレを幅広く解説しています。動画における、精神分析や哲学用語の使用法はあくまで益田独自のものであり、一般的(専門的)な定義とは異っているところもあります。僕がもっとも説明しやすいとたまたま感じる言葉を選んだだけなので、あまり学術的にとらないでいただけると嬉しいです。
                  早稲田メンタルクリニック 益田裕介
『自己紹介』
益田裕介
防衛医大卒。陸上自衛隊、防衛医大病院、薫風会山田病院などを経て、2018年早稲田で開業。専門は仕事のうつ、大人の発達障害。といいつつ、「なんでも診る」ちょっと変人よりの町医者です。
趣味は少年ジャンプとお笑い。キャンプやスキーに行きたいです。
2020年6月5日より断酒継続中。
【参考】
厚労省みんなのメンタルヘルス www.mhlw.go.jp/kokoro/
カプラン 臨床精神医学テキスト第3版
#母親とは #母子 #トラウマ #反復強迫

Пікірлер: 108
@user-pu5zf5yn3x
@user-pu5zf5yn3x 3 жыл бұрын
辛いですね。普通の家庭に生まれたかった、少しでも。
@mana_ballerina
@mana_ballerina 3 жыл бұрын
子どもに母親の人生を振り返らせる時間を必要とさせない親になりたいと思いました。
@kakosae
@kakosae 2 жыл бұрын
う、泣ける
@user-qq8uj7lj8k
@user-qq8uj7lj8k 3 жыл бұрын
父も母もそれぞれ事情があって、それぞれの環境でつらさがあったからああなってしまったんだなと、大人になってからわかりました。愛し方が下手だっただけでちゃんと愛してくれていたことも理解しています。それでも連絡しようとは思えないし対峙したらうまく話せないと思います。もう乗り越えたつもりですが、やっぱりつっかかるものは消えないって感じです。難しいですね。
@koyamo995
@koyamo995 2 жыл бұрын
母親と和解できたかどうかはともかくとして、母親の人生を客観的にみるのは大事だと思いました。 私の場合、ずっと私の人格が悪いからひどいことをされても仕方なかった、母は実家で子供のころから両親につらく当たられてかわいそうだから仕方なかった、彼女の心が癒えるといいなと思っていました。 しかし、よくよく考えてみると母親の人生の問題は母が自分で解決すべき問題だし、おそらく世間体のために私を産んだこと(赤ちゃんのころから愛してなかったんだと思います)、劣等感が強く人に暴言を吐き、弱い立場の子供をはけ口にしていじめるのはどんな事情があろうとも許されることじゃないなと思い、私は何も悪くなかったんだと腑に落ちました。 自分責めがなくなるだけで心も体も軽くなったような気がします。 家族だからという枠を外してみたとき、他人であったら絶対許せないし訴えてもいいくらいだと思っています。
@erif4866
@erif4866 6 ай бұрын
母のことを許したい&大切にしたいのに、過去の辛かった思い出ばかり蘇って前に進めない😢愛されていたときの方が多いと思うのに母のこと考えるとひどい暴言や虐待ばかり思い出して涙が勝手に出ちゃう
@dodo0228
@dodo0228 3 жыл бұрын
何歳になっても、母が亡くなっても、『呪縛』(笑)みたいなものがあり、少しばかり生きづらさを感じております。
@user-bg7cx1sv9r
@user-bg7cx1sv9r 3 жыл бұрын
母親が躁鬱病です。以前は今より感情のコントロールがうまく出来ないような人でした。 自分が中心みたいな感じで、思ったことはすぐ口に出す人でした。 そのため傷つくようなことも言われましたね。娘だから何を言ってもいいだろうって感じで、考えてから言うということが出来ない人でこういったら相手が傷つくんじゃないかと考えられない人でした。 うつ病で入退院を繰り返し家にいたことはあまりなかったです。一般的な家族がそろっての暖かい家庭ではありませんでした。 母は今病気で入院しています。優しくしてくれたこともいっぱいあったので憎んでいるわけではありませんが、今まで言われたことで傷ついたこともあるんです。 いまだに思い出して辛くなることもあります。 病気だったから仕方ないんですけど、なるべくはそう考えるようにしています。
@Arielumielu
@Arielumielu 11 ай бұрын
正直大人なった今、母を客観的かつ冷静に見れば見るほど、化け物にしか見えないし、思わない。 今はやっと直視出来るようになったけど、子供の時は本当に恐ろしくて仕方なかった。 母は母だし、もう本当にどうでもいい。 苦しまざるを得なかった自分、受け入れざるを得なかった自分と和解したいと思います。
@kurochis4296
@kurochis4296 2 жыл бұрын
これは永遠のテーマかも。。西尾和美さん、信田さよ子さん、斎藤学医師、スーザンフォワードさんの本を読み漁りましたが、いざ母について向き合うとなると、かなりのエネルギーが必要なんですよね。。
@user-mx6zw4dc7j
@user-mx6zw4dc7j 2 жыл бұрын
母が許せないまま何十年も生きてきたので、とても興味深かったです。
@MK-mg9kn
@MK-mg9kn Жыл бұрын
母に虐待に近い扱いを子供時代に受けていました。今の母はその頃とは違い、受け入れすぎるくらいに自己犠牲が強く優しくて、逆に心配でした。一方であの頃の抑圧されてきた自分が取り残されていて、どうにも動けなくなってしまったタイミングで、初めてカウンセリングに行きました。そこで、しっかりと聞いてもらって、母の行動を客観的に整理してもらって、あの頃の私の声を聞いて受け入れてもらって、ようやく、自分が納得できました。母の幼少期は過酷で、虐待を受けていたことは知っていました。どれだけ苦労して育ててくれたのかもわかっていたから納得していたつもりだったのですが、私は無理矢理自分を抑え込んでいたのだと気づきました。きっちり整理してもらって、吐き出す。表現する。具体的なエピソードをもって。結局、しょうがないってことなんですが、そのプロセスが一番大事なんだなと実感しています。意志の力でしょうがないと思い込む、ではなくて、吐き出して整理されて結果しょうがないと思える。そこは似たような作業なのに180度違うなと。だからいろんな人の脳みそに助けを求めてみるって大事なんだと思いました。いつも本当にありがとうございます。
@milk0621
@milk0621 3 жыл бұрын
母や父の事をずっと恨んでいて、突然の死で、苦しみました。 2人は4ヶ月違いで亡くなったのですが、両親の死でこの親から解放されたと笑っている自分もいました。 その後なぜ両親は、子ども(私達姉妹)に寄り添ってくれなかったのか?ずっと考えてきました。 それで分かった事がありました。 両親も自分の親から愛された感が無かった事。 決して私たちを愛していないわけではなかった事。 愛情の掛け違いに気づきました。 ようやくこの両親の子どもとして産まれて良かったのだと思えた瞬間でした。
@third4229
@third4229 2 жыл бұрын
あれ、他人だぞ? がなんか素敵に見えました。
@user-in6is8jo8h
@user-in6is8jo8h 2 жыл бұрын
母親と母親の交際相手から性的虐待を受けていたけど、当時の母と同じ年齢以上になっても理解できない。 同性や1人の人間としても絶対に許せない。 仮に母も同じ目にあった事があったとして、それを実の娘にやっていたなら尚更許せない。
@ta-shumi
@ta-shumi 3 жыл бұрын
私はあなたに酷いことをしていたんだね。ごめんね。と母が謝ってくれた後に、生い立ちを話してくれたことがあります。 母も父に叱られながら物を教えられたと言っていました。 母の母は心臓が悪くて家ではいつもソファで寝ていて、初潮の時も何も教えてくれなくて姉から教わったそうです。 育った環境がそうだったから、私に対してもどう接したら良いのかわからず結果的に虐待をしてしまったのだろうと理解はしています。 母とは一緒に出かけたりして今は仲良くやっています。 それでも私の中には感情を上手く表現できない抑圧があり、ここ7年位より前のことは上手く思い出せないです。 この件は前回のカウンセリングで初めて心理士さんに話したので次回のカウンセリングから何らかの提案があるのかもしれないと思っています。 先日一人で母との問題に向き合おうとしたら頭が痛くなって、気持ちも凄く落ち込んで次の日まで調子が悪かったので一人でするのはやめることにしました。
@user-ih2yk9ty3r
@user-ih2yk9ty3r 11 ай бұрын
やっとこの動画を視聴することが出来ました。親を理解するために親族に話を聞いたこともありますが、怒りが消えません。 遡っても親族の自死、精神疾患があり何の因果かと思います。代々子育てが下手なために愛着形成の失敗を繰り返してきたようです。 事実を知っても許せません。生い立ちを虐待を正当化する理由にされても納得が出来ません。服従するしか生きられなかった頃は自分が悪い、生まれてきてごめんなさいと罪悪感と孤独でいっぱいでした。 悲しみはいつからか憎悪と怒りに変わりました。物理的な距離がなければ衝動的に殺めてしまいそうです。だから逃げ続けています。勝手に間を取り持とうとする人間に同様の怒りを抱えることもあり困ります。 過ぎたことだ、忘れろと自分に言い聞かせ過去を反芻しないように心がけることしか出来ません。
@channelshampoo
@channelshampoo 3 жыл бұрын
母親は私に結婚しろ。恋愛はするな 見合いは許す。という人です。 家出して男性と同棲していて貧乏していたら 粗末な格好で帰ってくるな。家は着物や毛皮でみんな来るんだ。 と言ってくる。 結婚式場で働いていたら サービス業は恥ずかしいと言ってくる。 子供の頃も兄に髪の毛をつかまれて振り回され泣いたら 泣くな。嗚咽なら許す。と言う。 下の子産んで、と子供の私が言うと いたけどいらなかったから処分したよ。と言う。 (中学まで中絶とわからず、産んで殺したと思っていた) 目の前で他人の子供を指差して あんな子が欲しかった。と言ってくる。 食事を作りながら、私がテレビを見てると手伝えと怒鳴る。兄は男だから見ていいと言う。 兄は引きこもり、男はどんな女よりも偉いと私を殴り 母親はいたぶられながら面倒を見ろと言ってくる。 歳を取って母親が施設に入り、 私はかねてから計画していた兄再教育を施し 兄は長年の引きこもりから、1人暮らしして働いている。 兄が、僕たちは妹の言うことを聞くべきだよ。と母親に話しかけると の垂れ死んでやる。って 怒り狂ったと兄が言っていた。 お手上げ的な母親です。 子供の頃から父親と○○して私を産んだ女と思って、本人にも言っていました。 家事もあまり出来ず、父親の奥さんとしても出来ず、私が影の主婦として支えないと家族全滅してしまう危険もありました。 母親から否定され続け、手柄を横取りされ自分がやったと言う母親。 家族を支えがんばったのに母親の周囲から自立もしない半人前と言われ、 私個人は社会で仕事が出来ると評価され そのギャップに苦しんでいます。
@user-ef3gm1de5w
@user-ef3gm1de5w 2 жыл бұрын
母親の様にはなりたくない✨一心で生きてきた気がします。  似た所もあるけど、 部分的に理解出来る所もあるけど、いつも遠い目で見る自分がいます。出来るだけ母親とは 遠い生き方がイイと確信しています。
@user-no8oj7ji9s
@user-no8oj7ji9s 2 жыл бұрын
親を他人と見られるような歳になって、動揺せずに親と話せるようになったと感じる。親に世話になっていた若い時は、感情を掻き乱されて苦しかった。 治療者も問題解決していなければ、患者を治療出来ない、っていうのはすごくわかります
@user-wo8ew8bw3u
@user-wo8ew8bw3u Жыл бұрын
子供の頃、「親の有難み」の押し付けで、物心着いた頃から、育ててやった!、産んでやった!と言われて来ました。酒乱だったのかお酒でトラブルも多かった母には嫌な記憶ばかりです。今でも何かあると嫌な記憶が蘇り辛いです。80代の母。先行き不安です
@miyeong34
@miyeong34 2 жыл бұрын
養子縁組と養母の自殺を経験しました。カウンセリングを受ける機会もなく、苦しみから逃れたい一心で自分と向き合い続ける中、看護職となりようやく自分の人生を生きたいと思えたのがほんの3年前。先生の動画を見て自分の向き合い方は間違ってなかった事を知りました。ホッとして、自分の生命力の強さに自信が持てました。ひとことありがとうとお礼を言いたくてコメントします。
@uy6137
@uy6137 Жыл бұрын
いつも有難うございます。 私はおばあさんになりましたが、両親特に母に分かってもらえなかったという やり場のない気持ちがくすぶっています。母はいまだに会う度に「こうあるべき」と説いてきます。 母は介護が必要な歳なので、どうつきあえばよいのか、子として人として放っておけず悩みます。(人生相談or愚痴になってしまいますね😓) これからも先生の知識と臨床経験からよいお導きをお願い致します🙇😊
@user-cv3sv3dj4f
@user-cv3sv3dj4f 3 жыл бұрын
難病を患った時にカウンセリングを受けて、自分の生い立ちからの人生を抑圧から記憶を思い起こして客観的に整理し、結果心理士さんにサバイバーだと言われ、やはり自分の親は毒だったんだと気づくことができました。 ただ母だけにフォーカスして問題を捉えると危険だなとも思います。母親も社会的な生き物であり、子育て時に良好な精神状況であったとは限りません。自分の場合は両親同士の関係は良好そうですが、子育てなどに見て見ぬふりだった父親にも問題があると考えています。 子育ては難易度が高いにも関わらず、親としては誰もが初めての経験であり、母親(父親)だけで解決しなければならないことが山ほどあります。そこで母親(父親)が孤立していると問題が起きやすいのではと、私自身が子育てをしていて感じます。 生育環境の問題については精神科治療だけでなく、カウンセリングの利用が不可欠だと考えます。通常はエピソードが長年に渡り複数存在するはずだからです。 私は精神疾患は投薬などで何とか寛解に持ち込みましたが、別の身体の難病になってしまい社会生活が出来なくなりましたので、親を許すつもりは全くありません。親との距離感は自分で決めて納得しています。それもカウンセリングでの生育環境の問題の整理が出来たからだと思います。 多くの人たちがカウンセリングをもっと気軽に受けられる環境になるといいのにと切に思います。
@user-mj4wx1vg7x
@user-mj4wx1vg7x 2 жыл бұрын
他人なのに圧倒的に支配される絶望感
@user-nx4uc5et2b
@user-nx4uc5et2b 3 жыл бұрын
父親には殴られました。父と母は毎日夜中まで大声で怒鳴り合い包丁まで出ました。離婚して裁判などゴタゴタでした。母親には医学部にすすむことを強制されたけど本人は記憶喪失になっています。褒められたことがありませんでした。何をしてもヒステリックに怒鳴られました。今は体裁ばかり気にします。母親のトラウマや祖父母への理解も以前よりはすすみましたが自分の年齢が上がるにつれ父母のあまりの未熟さに苛立ちます。
@manamuu44
@manamuu44 Жыл бұрын
この先生の、一言一言が重くびっくりしました。軽いテンションで話していますが全てが本質をついていると思います。軽く聞き流せるレベルじゃない動画です。
@mamama-fl8cu
@mamama-fl8cu 3 жыл бұрын
こういう問題こそ、先生が仰っていた通りカウンセリングですよね。私自身、母娘&親子問題、他諸々でカウンセリング(精神分析的心理療法)歴週2回で8年になります。保険がきかないのが残念です。もっと多くの人が受けたら良いのにと思います。日本で保険がきくようになる日は来るのでしょうか。
@venusxxx-px5zu
@venusxxx-px5zu 3 жыл бұрын
小さいころから母親が恐怖でした。叩くし怒鳴るだけだったから。 祖母が亡くなってから、少しずつ母親らしくなっあつきた矢先に、脳梗塞で寝たきりになってしまいました。いまだに本当は甘えたかった。でも生きているだけでまだ、救われてます。子供は親の愛を永遠に求めるんですぬ。
@signi2400
@signi2400 2 жыл бұрын
精神分析的心理療法を受けています。 「虐待を受けていた人の特徴」の動画を見ていてこの動画が気になり続けて見ました。 涙が止まらなくなり先日のカウンセリングで母親の事を先生に聞かれて話せなくなってしまったことを思いました。母親のことを話すこと大切なんですね。この動画を見て少しずつ前に進めるといいなと思いました。
@yuuko6495
@yuuko6495 3 жыл бұрын
私の地方にも、先生のような精神科医師がいたらと思います。 幼少から母が怖くて、亡くなった今でも夢に見ます。 精神科に通院していますが、こちらでは専門のカウンセラーさんがなかなか見つかりません。 他県に通院するのも、気力とお金がかかりますしね。
@kolokolo0614
@kolokolo0614 2 жыл бұрын
話すことが大事なのはわかる気がする。理解し、消化していける。 自分自身、心の問題は今まで誰にも話さずに、自分の中で向き合ってきた。心の整理はできても、自分の心の押し入れにしまったまま。今は、このコメント欄に書き込んで、吐き出して、益田先生にハートマークをぽちっとしてもらうことで、安心して手放していけている気がする。私の荷物を1人では下ろせないけど、益田先生のぽちっとでおろせていけるから、ひたすらに感謝。
@sharishari9587
@sharishari9587 3 жыл бұрын
この話は日本という国(古い時代)風習とかも関係していますね。うちの父は父親の顔を知りません。小学校入学とか戦争で亡くした為覚えていない様子で、子供の頃の話など私たちへも一切話したがりませんでした。父の母は女で一つで兄弟7人ぐらい(ここも私は曖昧💦はっきり何人いたのか知りません)育てなくてはならず、子供に手をかける事が出来ませんでした。だからといって私がよく母に言われた事「お父さんは家族を知らない人だよ」「あなたは女なんだし」「だから我慢しなさい」って、それは違うだろ〜と思うんですよね。私は両親とも和解とかする事は無いですし全てが今さらの話なのですが。 見栄っ張りでもあったので「出来る子」という物を創り出すのに必死の人達でした。うちは会話も何もなかったので普通の家族という形じゃなかったですね。親とは成人後も兄弟差別など色々あり結局縁を切りましたが自分も同じ事を子供に繰り返さない様に今は必死です。毒親毒家族って無意識に受け継がれてしまうらしいので。
@user-nm6wn7ck2x
@user-nm6wn7ck2x 2 ай бұрын
先生のお話も参考になりますが、コメント欄で私と同じように母親に苦しんでいる方が沢山いらっしゃって、打開策は難しいけど私だけじゃないってわかって救われています。
@shia_san_channel1514
@shia_san_channel1514 3 жыл бұрын
以前に認知行動療法のコメントをした者です。 うーん、大変興味深いし面白いです。益田先生の動画を見ていると、精神医学って結構自分の人間性を客観視したり、成熟させたりに役立つのだなぁと感じてます。
@Cookie-pc4pu
@Cookie-pc4pu 2 жыл бұрын
子供の頃から母親に怒りを持ち続けて来ました。今でも手が触れたりすると不快感があります。
@hanakaze-xn5vs
@hanakaze-xn5vs Жыл бұрын
益田先生のKZfaqを見てまだ日が浅いけど私も母もADHDのようだという視点を得てから、母や過去に対する考え方に変化が出てきたと思います。単なる凸凹であった、と思うと違うアプローチが増えて嬉しいです。ありがとうございます😊
@user-nz4qi6jn2w
@user-nz4qi6jn2w 3 жыл бұрын
こんにちは👋😃 私も母とは、全く気が合いませんでした。妄想は酷かったです。母は私を理解しようとはせず、全て医者任せでした。他人の病気には医学書で調べてあげる位偽善者です。本当の私の悲しみを理解してはくれないまま亡くなってしまいました。 私はずっと母の呪縛に苦しめられています。精神科のお医者さんはカウンセリングは全くしてくれないです。女医さんに変わってカウンセリングをしてもらえるようになりました😃
@hono1006mei0226
@hono1006mei0226 3 жыл бұрын
恨みこそはしないけど、一歩引いています。 高校を推薦で合格したと公衆電話から電話したのに嘘つくなと言われ、内定書見る迄おめでとうの一言もなし。兄の時に不合格で二次で合格したのがあったからと言い訳してましたが。 幼少時から父方の親戚の罵倒。父への育ちが悪いだの罵倒。本人は事実を言ってるだけのそうですが。 結婚生活や子育てに疲れうつになり、2週間でいいから療養しに帰れと旦那に言われ事情を話して帰ったら気分転換にと無理矢理市内観光ツアーに連れて行く。息をするのもイヤで無気力になり寝込んでいるのに。怒るのってエネルギーがいるので言いなりでした。 ちょっと良くなり、離婚を決意したら別居する費用だけは出してくれました。うつなんて良く解らない、睡眠薬ってどんな感じ?あんたはもっと図太いと思った等。理解しようとするのではなく、バカにする。もうムリだと用事がある時は父を介して伝えるようにしています。コロナを理由に正月もGWも帰らなかったから楽だった。
@user-su8qe8tc3k
@user-su8qe8tc3k 3 жыл бұрын
ただただ母に「ごめんね、悪かった」という一言をもらえれば私の気持ちは全て解決する気がするのですが、その気配は無さそうです😓それさえもらえれば、もう責めるのもやめられると思うのに。理由なき怒りに理不尽でも理由を教えて欲しかったなあと思うので、自分の娘には感情的になってしまった後などは素直に子であっても謝っているのですが、その様子を見て私の母は「親が謝るな。」の一言なのでまだまだ遠いかと😅 でも、母と同じ歳になってくれば、ああ、母も助けて欲しかったのかな?など想像できるようになってきました。 先生のかみかみ具合が自然で大好きですよ〜🤣作り込んだ動画じゃないので素直に視られて良いです👍‼️
@CN-qi4sl
@CN-qi4sl 2 жыл бұрын
母をどうしても許せないし許す気も無いし何かをして許せるようになるとも思えないので複雑な気持ちで拝見しました。
@nekoneko333
@nekoneko333 Жыл бұрын
カウンセリングで母親や父親について話すけど 両親は愛し合っているのか嫌いなのかよく分からないままです 混乱した中で育ってきて よく死なないで済んだなって思いました 治療が進んで親のことをもっと理解できる日が来る日を願ってます
@user-fv8ui5xs1o
@user-fv8ui5xs1o 2 жыл бұрын
親は離婚したけど母には母の正義や主張があり父には父の正義や主張があったわけで、それを加味しても子供としてはなんでもっと互いに解決する努力を講じなかったのかと 長年恨んでます。思春期も母とは結構話したつもりですが自分が高校生になる頃にはアル中でいろんな人に迷惑をかけ毎日酒に溺れる母だったので、そのことも未だに不快です。 つい最近でも本人に話すと「私は悪くない」「あの人(父)が○○したからこうなったんだ」と主張するだけで昔のような家族4人で集まれる家庭がなくなってしまった 子供の気持ちを微塵も考えない辺り本当に気に食わない。でもそれも自分の視野の狭さというか自分には見えてない何かがあったり自分の考え方が間違っているんじゃないかと思ったりする。 「私にも間違いがあったね、ごめんね」と何故一言添えられないのか。私は被害者だと言い続けるのか。その辺を理解してあげられないのがやはり他人ということなのかな。 難しいね。
@MegaAKQJ10
@MegaAKQJ10 2 жыл бұрын
うちの母親も「私はこんなに苦労したの!だから愚痴くらい聞いてよ、私の悔しさ悲しさ理解してよ!!!」 そればかりでした。他人の前では恰好つけて、子供にグチグチ。 幸せになってはイケナイ気がして、自分のことを話せなくなりました。 母親も苦労して大変だったんだなぁって理解してよ!!!!と言われ続けてるので、あきらめモードです。 恨む気持ちがあるのに、理解してあげなくちゃが先にきて、自分が嫌いになります。
@user-ps1le6ci8k
@user-ps1le6ci8k 2 жыл бұрын
先生のレクチャーを聴いてると精神科医になりたいと思う。 その事を子どもに言ったら笑われてました。 でもね。それくらい興味深いです🎶
@user-ds3xy4ng9x
@user-ds3xy4ng9x 3 жыл бұрын
しどう先生が「精神科をもっと身近に」とおっしゃるように、こういう「孤独と依存の病」ってあまり精神科は聞いてくれないです。精神科の領域というより、社会問題な気がします。 孤独な人が、死んじゃうんだけどね。
@mana_ballerina
@mana_ballerina 3 жыл бұрын
分かります。 どちらかというと"心理学"("なんな哲学)の領域に感じますよね。
@mitarasi73
@mitarasi73 2 жыл бұрын
この動画を見ながら、母の人生を考えてノートに書き出してます。
@bamby1840
@bamby1840 2 жыл бұрын
母との関係が上手くいかず、関わらない事を決めて3年経過しました。母は、私を辱める発言をしては、他の兄弟たちと笑い物にしていました。幼い頃は、ちゃんと出来ない自分が悪いと持っていました。大人になっても、バカにするように発言が無くならず、自分の子供にも害が及びそうになった為、関わりを断ちました。 自分も母親として、子供を一人の人間として関わるように、お互いを尊重できるようにと思っていますが、たまに母のようなものの言い方になる自分がいてハッとします。私も経験からしか行動出来ていないなと反省します。 母を理解したり和解したりする事は、私にはとても難しいですが、母の人生を考えてみるのはとても参考になりました。ありがとうございます。
@glabichay-hbb
@glabichay-hbb 2 жыл бұрын
母親の生い立ち…私散々きかされてきたので、話せますが…ちゃんと別人だと分離させてとらえられているか?はよくわからないのですが…共依存関係からは多少離れられたような気がします。そして最近はなぜか、母親に会うと、この人は誰なんだろう?と思うようになりました。母親という記憶ごと解離しちゃったのかなぁ…わからないので主治医にきいてみます…。 いろいろ参考になります。
@yoonminimoni9579
@yoonminimoni9579 2 жыл бұрын
この人は誰?の感覚、なんとなく分かるかもしれません。 私の知っている母とは別の人になってしまったような感覚があります。
@haruka0275
@haruka0275 3 жыл бұрын
カウンセリングで、私は母に十分に甘えられなかったことを話しました。 光の柱を目の前に下ろし、お母さんを天に修行に送り、代わりの人を連れてきて沢山甘えます。その後修行が終わったお母さんが降りて来てお母さんに甘える、というものを受けました。 不思議な感覚で涙が止まりませんでした。30代ですが、胸にずっと閉まっていたものを出してスッキリしました。
@user-tl7fi9fc7u
@user-tl7fi9fc7u 2 жыл бұрын
母とのエピソードトークよくわかりました。 私の母は認知症になり一人暮らしが厳しくなり、高齢者住宅に住んでいます。今度行った時に父との 馴れ初めを聞いてみます。
@eunhyurika
@eunhyurika 2 жыл бұрын
よくよく考えたら「母親」役割以外の母の側面を全く知らないということに気付きました。 この動画を通して母親についての振り返りが自分の中で少し進んだ気がします。でもやっぱり頭で、知識で理解したとしても心がついてこない、、どうしても機制がかかるってことは、根本的には拒否してるのかなぁ、、難しいですね .. 。
@yuda0801free
@yuda0801free 2 жыл бұрын
要するに明らかに他人である女性を自らの好みで好んで強く強く愛していてそれを求め続けていただけ(自分は万能感を与えてくれる母を自ら進んで強く愛していて求め続けた)という理解になってきました。何十年という月日の中で自らが愛し続けていた女性は実は明らかに他人であり続けていたのにそれを自らは母と呼びその関係は更に「母子関係」と名付けられていた事を良い事に猛烈なイチャラブメロドラマを繰り広げていたという事実に自分は恥ずかしさを覚える事もなかった!しかもそれも自分が46歳のオッサンになるまでの間ずっと。。。
@tomoeredman5275
@tomoeredman5275 2 жыл бұрын
この問題は、生きているうちずーっとつきまとうという人が結構いらっしゃるのではないでしょうか。 私の父は30年以上前に他界しましたが…私自身が父の亡くなった年齢に達しても、父への謝罪の念から解放されることはありません。きっと、彼方の世界まで持っていくんだろうなと思ったりします。このことに関して、カウンセリングを受けたこともありますが、そのカウセリングは私には効果がなかったようです。母のことは、自分の中で得心致しましたので大丈夫ですが。 何年経っても、命日の前後は調子が悪くなります。
@user-ws3nz7dp6k
@user-ws3nz7dp6k 3 жыл бұрын
家族との思い出、あまり楽しいものはないけど、 普通にうまくいってるから少しましかなぁと思います。だけど私が、おとなしいけど、客観的に話しすぎるところがあるからか妹とは、全くうまくいかない…
@arinna630
@arinna630 2 жыл бұрын
もう道徳的にどうでも良いかなあ…何の価値も与えたく無い。家出したし。 どんな生い立ちだろうと心を殺した事実と傷は消えない。 家族という言葉は必ずしも幸せを指し示す言葉でもなく、子どもの永遠の敵で、血の楔 なのに、夢に出て苦しめてくる家族達…助けてという自分の呻き声で目が覚める 嫌だなあ…
@yoonminimoni9579
@yoonminimoni9579 2 жыл бұрын
この先生の動画で、悪夢を繰り返し見る人みたいなのがありました。よかったら見てみてください。
@nomi8111
@nomi8111 2 жыл бұрын
むしろ母親が自分の生い立ちや性格の問題を振り返らずぼけっと子供産んで育てられる育てられるー!って母親になったってことに対しての軽蔑だけが増して行くわ
@yoonminimoni9579
@yoonminimoni9579 2 жыл бұрын
いつもわかりやすい動画をありがとうございます❁⃘*.゚ 優しいトーンで話しながらも時々入るセルフツッコミのおかげで暗くならずに観ることができます。笑 先生のおかげで、自分が健康な精神状態ではないと気づくことができ、カウンセリングに行こうと思えました。色んな問題を一人でどうにかしようと悩みすぎたようです。 こんな素敵な先生が世の中にもっと増えてほしいですね😌
@user-pd4de2kc2e
@user-pd4de2kc2e 2 жыл бұрын
物心ついた頃から続く希死念慮、初回の未遂が5歳、もしかして、母からの虐待が原因?と悩んだこのお盆休み。 でも、明日の外来までは、精神科で話せないです。 子(8)も診察室に入るから… でも、話すかな。 「この家の子」が辛すぎて、ハタチすぎに戸籍を抜く方法とか探し回った記憶も残っています。 昨日、整骨院の施術中に虐待されていたことと、前の夫とかいう輩からDV受けていたことをフラッシュバックしたので、話すかな… そうでないと、漢方の変更の口実がつかない… ちゃんと話を聞いてくれる主治医なので、話すしかない。 あと、カウンセリングでも話しますが… 母の出身校を鹿児島出身じゃない先生に話してもわからんかも… カトリック系の女子高なんですが…
@user-nl8zb1tn8w
@user-nl8zb1tn8w 2 жыл бұрын
これは面白い。やってみます。
@myuu611
@myuu611 3 жыл бұрын
ヤングケアラーの友人を助ける方法はありますか?
@quoshi8734
@quoshi8734 2 жыл бұрын
私の母は人を見下す癖のある人でした。 祖母には教養がないから私は苦労したとよく言っていました。 でも祖母は樺太出身で7歳の時にお母さんが亡くなって、北海道に移住したりしてるので 教養がないのは仕方ないのですが 祖父も祖母が母に責められてるの公平な考えがないので守ってあげなくて、 ほったらかしで 私が大きくなったら、 母の見下し癖は私に来ました。 姉は母が嫌いと言っていても、 母にそっくり似てしまって 何かと人をバカにするのが得意でした。 最近思い出して笑ってしまったのは 私が小学生の時 母の車に乗っていたら 対抗で前から自転車に乗った友達のお母さんが、向かって来て 「きゃーデブがこっち来る〜」 私は友達のお母さんだよとは言えませんでした。 私の母は単身アメリカ留学に行ったり、教養と行動力はありましたが 内面はただのバカです。 母の理解は進んでますが やっぱりウツになってから家から追い出されて 他の家族の家にも入れてもらえず(みんな自前の家を持ってるのに) 寂しさが今でも不安に残っているせいで たまに無条件に歓迎される時にうれしくて泣いてしまいます。 居場所が欲しいと本当は思ってますが、そんなのどこにあるのか分かりません。
@null13481
@null13481 2 жыл бұрын
両親の生い立ち、祖父母の生い立ちもある程度聞いていて、まあ仕方ない面もあるとは思うけれど 自分があまり生きていたいと思っていないからか あんな親と同じ血が流れていて似たところがあると思うとぞっとする。 それもあって自分は子孫を持たないことと親を反面教師にすると決めて生きてきた。めでたいことに子供は持たずに済みそうだが結局反面教師には出来ていない。だから自分で自分に腹が立って仕方ない。
@user-yhu__riko
@user-yhu__riko 2 жыл бұрын
母が恋愛と性については、一切タブーだったので。19の頃から男女交際の世界に入って結婚まで、ずっと怯えながら逢瀬をする、みたいな状態でした。朝帰りとか、嘘ついて東京に泊まりに行くとかありましたが、その時も常に母の存在が怖くて、夜ほぼ眠れませんでした。 26の頃から突然母が、父に早く結婚させないととお見合いの話を忙ぎ出しました。 その時点でも、今付き合ってる人や好きな人がいるのとか一度も聞かれた事がありませんでした。その頃の交際相手は誰にも口が裂けても言えない相手だったので、、お見合いの話が出ると、辛さと怒りで顔が真っ赤になって涙が出るので、バレないように、抗不安薬を飲んだりしてました。 最終的に疲れて、親の流れに乗ってみました。そしたら考えられないような現実。相手はお金を持ってるドクター。男と会うのに、親が喜んで送り出す。驚きでした。楽でした。 それまで付き合ったのは、フランス映画のような感情が揺れに揺れる相手ばかりで、夫はそれが無くて。淡々と孤独をひょうひょうと生きている姿に、新鮮味と尽くしてあげたいっていう。よくあるカサンドラ妻の入り口に入って行ったのかな。
@user-yhu__riko
@user-yhu__riko 2 жыл бұрын
病気になってから、夫とのパワーバランスは9対1ぐらいになって。具合悪くても、頑張って頑張って、炊事掃除洗濯、会計をやって。それだけでくたくた。出来ないくらい具合悪いと。すいませんすいませんて、なって、やってもらうごとにカードを切っていく感じで辛かったです。 夫は私の体調が悪くなると冷たくなる傾向も出てきて、私は働けないと、使えない家政婦みたいに扱われてしまうという、憤りも感じつつでも、夫への脅迫感がすごかったです。 やらないと怒られる。ご飯作ってるのに胃が痛すぎる、でもここで作るのやめたら、どうなっちゃうの。みたいな。 これ、母に感じていた強迫観だったのか。と今感じました 今。ほぼ無くなりました。笑 私は割と元気にいつも機嫌良く暮らしている。 そのかわり、夫が、嫌みを言ってきたり、それでも私が平気だと、うなだれ、いじけて、 ここ1週間あたりからは、私にあまりしゃべりかけなくなってきました。 私は彼を虐めたり、やり返したりしてるつもりは無いのですが。
@user-sc5wo6uj5w
@user-sc5wo6uj5w 2 жыл бұрын
先生、動画のUpありがとうございます。  私は神奈川県の某所で施設警備員をしていまたが、そこには自衛隊を退職した方が多くおり、自衛隊もいろいろだなと観察をしました。  でも、先生の仰ったように、自衛隊のように規律正しく、整った組織はないと思い込み、何でも、自衛隊式で推し進める人がいて往生しました。多分、先生の仰るように自衛隊を除隊後、除隊原因の整理がついていなかったのかと今私は理解が出来ましたが、その人はきっと今も引きずっているんだろうなと思うと可哀そうになりました。  私も、そんなに愛した組織なら噛り付いてでも退職までいたらよかったのになぜそれが出来なかったのかが今でも疑問ですし、聴いてみたかったです。
@xiangtako2746
@xiangtako2746 3 жыл бұрын
母はひたすら外面、対面を気にする人です。自分の顔に泥が塗られたと思うと家に帰ったらすぐに暴行が始まりました。私が結婚して主人がパチンコ依存症だと分かった時色々言って来ても本人に言いなとっぱねたら逆行するし、くだらない事でさえ人の顔色を見続ける。 弟の嫁にラーメンを食べに誘われたけど嫌いな豚骨ラーメン屋さんで…こんな事位断れなかっのか⁉️😂私にはここ嫌だとか言ってるけど。 主人がパチンコ依存症だったから言いたいことがあったのは分かった。 だけど直接言えず私に。実家は自営業者なので要するに跡取りの弟に💴の迷惑かけるな。でした。 だからもう連絡もしていません。
@gengoro1
@gengoro1 2 жыл бұрын
思い出話いくらやっても、治らない、愛着が何もない、学校から帰るとき ウチへ帰るのが喜ばしいという子供と、またあの家に帰らねばならない、あーイヤだというのでは 議論も何もない、議論してもどうなるものでもない、話せばなんとかなるって思える状態って 単なる軽い軋轢レベルじゃないのか
@ma859
@ma859 3 жыл бұрын
母も未熟や欠点を持っている一人の人間ですよね。 反復強迫というんですね。なるほどです。結局あちこちで色々な方々と母対私の関わりを繰り返していたと言えます。性格、個性や価値観が違うために、ボタンの掛け違えのようなコミュニケーションが取れていなかったこと、互いに誤解ばかり重ねていたことがたくさんあったと最近わかってきました。色々認識しても、いまだ継続している関わりはかなりストレスです。私が色々症状を抱えている時だからでしょうか。
@megumisuzuki7930
@megumisuzuki7930 2 жыл бұрын
自分の母について年齢くらいしか知らないです。自分が生まれる前のことを聞いていいのか分からないし、聞く勇気はありません。母のプライベートに踏み込むなんて私にはとてもできないです。
@LILI-nk3dt
@LILI-nk3dt 2 жыл бұрын
先生のお話、良く分かります。私も母の生い立ちや親との関係、父との関係や結婚生活についてじっくり考え自分の年齢とも重ね合わせた時に(例えば自分が何歳の時母が何歳だったかなどを)母を許せるようになりました。母が過去のことを謝ってくれたのが1番大きかったですが今は母と友達のように仲良く出来ています。私自身が本当に精神的に楽になり今はとても幸せです。母が生きている間ずっと親孝行をしていきたいです。母が亡くなってからでは遅いので早く気づけて良かったです。
@noriofujimaki7854
@noriofujimaki7854 2 жыл бұрын
昭和の時代と平成、令和での母親の立場や在り方は必然的に違うとも思います。  働いて子沢山でも家事をこなして仕事をし、毎日目まぐるしくて、大声で叱り時には頭をどついたり(笑)  1人1人に愛情を注げていないことも多かったけれど病気したり泣いて帰ってきた子には途端に優しく寄り添う。 そんなとても強くて優しい母親を見て育っていた昔の時代がよかったのかなと思います。  今の親は、子どもを自分の思い通りに育てがちな人が多いように思います。  子ども側も 【目に見えて手に取れる愛情】を求め過ぎることに親の在り方があるとも思いました。 いつもありがとうございます。
@chikore_KPQP
@chikore_KPQP Жыл бұрын
19歳で独立するまでに母に植え付けられた様々なトラウマや出来事を半年前に母に話したところ、本人は一つも覚えていませんでした。 それどころかその時の状況を根掘り葉掘り聞かれたことに相当なショックを受けた事からエナジーバンパイア認定し疎遠にして3ヶ月が経ちました。 3ヶ月前に適応障害、パニック障害、鬱病を発症した時も労りや心配の言葉もなく心底幻滅しました。 私はただ、ごめんねと言って欲しかっただけなのに。 多分恨んでいるのだと思います。 早くこの呪縛から解放されたいです。
@user-de3nd6vk9m
@user-de3nd6vk9m 2 жыл бұрын
両親とも、自己愛性人格障害だと思われました。本人達は、そんなこと毛頭もないでしょうが、自身の人生を奪われました。私は、もう、歳です。一世紀の半分を生きて来ました。振り返ると悔しくて悔しくて・・・ついこないだ、「てめぇぶっ○ろして、あたしも四ニ体」と、📩しました。血気盛んだった頃は、絶対黙ってなかったでしょうが、今は、もう80過ぎと、70後半です。何も反論して来ません。当然絶縁しています。せいせいしました。
@user-md6pm9gm2w
@user-md6pm9gm2w Жыл бұрын
昨日、喘息が出ました。そのとき、子どものときに喘息になると発作などがうるさいと怒鳴られたのと、発作を数ヶ月我慢したのを思い出して、ますますしんどくなりました。 喘息がひどくなるといつも思い出して嫌になります。息が吸いにくく窒息しそうで怖いのに怒鳴られてしまうあの辛さがよみがえります。 薬はさぼれないなと強く思いました。
@user-yy6eo5wb9m
@user-yy6eo5wb9m 2 жыл бұрын
産みの母は、私が1歳半の時から入退院を繰り返し、4歳の時に他界しました。 育ての母は、私が7歳の時に、父と結婚しました。 父は、私が18歳の時に他界しました。 その他、いろいろありました。 2013年に双極性しょうがい二型と、診断されました。 息子と、夫に支えられながら、今に至ります。 わたしは、人と深く関わる仕事をしています。益田先生の動画は、仕事においても、私生活においても、ありがたいです。ありがとうございます♩
@user-nv2qq1lp9r
@user-nv2qq1lp9r Жыл бұрын
母は既に亡くなっていますが、益田先生の様に親を恨んでも良い…と言ってくれた人は居なかったので、少し心が軽くなったきがしました。(それまでは、親の事を悪く言うなんて罰当たりだとか言われたり、ただ…愛情の無い親は居ないんだから知識が無かっただけだったんだろうとか言われたりで、自分が責められているようで、次第に誰にも話せないと思うようになっていました。) 知識が無いなら、知識をつけようと何故努力しなかったんだ。一人の人間を育てるのに、そんな努力もできなかったのか…と思っていましたが、発達障害だったのなら、仕方無い部分もあったのだなと思えました。 コメント欄には私の様な思いをしてきた人達が沢山居るんだということがわかった事でも、自分だけがおかしいとかでは無かったと、罪悪感も薄れていった感じがします。 発達障害だともっと早くからわかっていれば、それ相応の対応も出来たし、私自身の人生ももっと違っていただろうと思うと悔しい、哀しい思いもするので、中々完全に許せる迄には至りませんが、理解は進みました。
@imawoimada1639
@imawoimada1639 Жыл бұрын
母はスポック博士の育児書初版を今も大切に書棚に置いています。 長女の私に対し、乳児期からスポックの教えに忠実に接してきたそうです。看護師として働く母は、乳児を早く自立させる(親が楽になる)必要があったのでしょう。都会で生きる若い女性が唯一縋ることができたのが育児書だったようです。若い父も非協力で孤独だったのでしょう。(ならばそもそもその環境で産まなければよかったと思うのだが…) 昔から私は母から(所有物かペットに対する甘えの意味で)指一本でも触られるのが生理的にむりです。隣に座るのも気持ち悪いです。事実なのでそのように母に伝えています。 私はあの女を絶対に許しません。 これを「囚われている」と称すのでしょう。母とは会うし、食事をするし手伝いを請われたら断りはしませんが、知り合いのオバサンだと思っています。
@diesimperii
@diesimperii Жыл бұрын
反復強迫という言葉は初めて知りましたが、ずっとそれ、感じてました。昨年亡くなった母のことは、これまでの人生で、何回か、考える機会がありました。なくなって、改めて、母の人生を考えました。多分、人を本気で愛したことがなかったのだろうな、と。母自身、母(私の祖母)に愛されなかったようです。祖母は同居してましたが、私が物心ついた時にはすでに、母は祖母を完無視していて、いつも緊張した、変な空気でした。父とも、当時よくあった、職場結婚。今のような社内恋愛ではなく、上司が職場の二階などで、年格好も良いから結婚しては、という。叔母(母の姉妹)から聞いた話では、戦争のせいで、せっかく友達ができても、疎開して、友人は少なかったと。兄のことは、愛せたようですね。私のことは、「あんたは本当に憎たらしい子だね」と。
@user-zq6qt2lf7b
@user-zq6qt2lf7b 3 жыл бұрын
こんばんは!私は毎回先生の動画を見ていますが話がおもしろくて診察やカウンセリングで直接話ができたらいいのになぁと思っていますが、今電車で心療内科に通っていますし早稲田まで通うとなると遠いのでちょっと困ってます!😥中々親のこととか言えない雰囲気の先生やカウンセリング受けたくてもマスクしないとダメそうな部屋なので、マスクができない私を理解してもらえないとカウンセリング受けたくても受けられないのでどうしたらいいのか…😖
@naomishiota1719
@naomishiota1719 2 жыл бұрын
母はまだ健在ですが 私の幼少期から長い間 うつ病等の精神疾患を患っており ヤングケアラーでした。 子供時代はなぜこんなに家に生まれたのか恨みながら生きてきました。自分勝手で嫌な思い出しかありません。 もう高齢なので私が大人な対応を取れるようになって成り立っていますが、未だに子供を所有物と認知しており、上から目線で指示をしたりコントロールしようとしてきます。 もうあきらめてはいますが、病気のせいでこんな母になってしまった事、先生の動画で勉強し少しは理解できるようになりましたが、苦手な人として私の中でインプットされてます💦
@yasok_us
@yasok_us 2 жыл бұрын
自分について興味もないだろうと説明して来ませんでした。これからは、思い出話をしてみようと思います
@user-el3jj3zq8l
@user-el3jj3zq8l 2 жыл бұрын
酷い毒母と向き合い、母親役をやりながら、自立している人を見ると自分なんかと思ってしまいます。でも、その方も他人の誰かと出会い育てられての今があると書いていて私は出会なかったし、出会う機会も自分で潰して来たんだなと思いました。
@user-bv4it7yf8p
@user-bv4it7yf8p 2 жыл бұрын
私自身精神的に不安定な時期があり、泣いたり怒鳴ったり、11歳ごろまで子供につらくあたってしまいました。 20歳になった今もトラウマで苦しんでいる子供に、親としてはどう接すれば良いでしょう?
@uminotsuki7
@uminotsuki7 2 ай бұрын
数奇な人生でした。病が増える前に母と和解したいです。というより私が憎むのをやめたいです😢母がなんとか元気なうちに子育ての助けを借りたい。 なんとなく母の生育歴も思い出し、好きな音楽や映画もかなりの影響を受けています。それほど昭和も母も悪くなかったのになぁと。 ただ今会ってまた否定されると私が怒りそうで、助けを借りるか迷っています。 孫に向けて、コナン観にいこう、とか美術館行こう、と連絡が来て「それ全部、今度行こうねと私が子どもと約束してたやつよ。私の子育ての邪魔をしないで!もう連絡もしばらくしてこないで!」と怒ってしまったからです。 ごめんなさいごめんなさいと思う時と、やっぱり腹が立つ〜!となる時があり、疲れます😢 カウンセラーさんに一日中側にいてほしいです。
@user-tp2oc3sk1n
@user-tp2oc3sk1n 3 жыл бұрын
KZfaq動画で、親を悪者にして憎むようにするような動画がありますが、あのような動画って治療中に見て親子関係が悪化しないのかな?と思ってしまいます…😞 離れるのは必要だけど、親を憎んで、その気持ちが違うところで爆発して事件を起こしたらどうするんだろう😵 私は、私の中で和解していたはずなのに、毒親関係の動画で頭がワーッとなった時期がありました😣 毒親ではあったのだろうけど、親にも、嫁いだ先の立場や、学校の先生が余計なことを言ったり、もしかしたら親にも障害もあったのかも?と思うので、益田先生の和解の動画、とても心が温かくなりました😊✴ 私も親の立場になって、周りの雑音に流されそうになるときがあるので、私は私!と思いながら、「過保護すぎなんじゃない?」などの言葉は聞き流しています😅 親から発達障害への必要な工夫や、困り事に共感されなかった子どもが、親が年老いたときに、加齢から来る困り事に共感をしてくれるとは思えないし、家族以外にも共感し難くなると思うので、いつも子どもの気持ちを聞くようにしています 聞いて聞いて聴く内に、子ども自身も気付いていなかった困り事が出てくるので、困り事に寄り添うことの大切さを改めて思い知らされます💡 大人になったら、自分で考えて行動するしかないので、子どもには、自分が幸せと思える方へ進んで欲しいです💞 配られたカードの中で、幸せに生きて欲しいです🥰
@user-lt3bo6cm9f
@user-lt3bo6cm9f 2 жыл бұрын
助かりました。ありがとうございます(◡ ω ◡)
@user-mr4bl9yf7p
@user-mr4bl9yf7p 2 жыл бұрын
カウンセリング 母も人間 思春期とは自他の区別 反復強迫 数奇な運命 などで理解につなげる。 原疾患 心理的規制 逆転移 頭の中にもう一人がいるような感じ? 否定するような敵ならば悪さしまくりだべ‥ まずは敵を知るみたいな?
@クレネ人ユウコ
@クレネ人ユウコ 7 ай бұрын
有難うございました。益田先生の動画も参考にしますが、やはり精神科の主治医を信頼する事も大切だと気付き!タイトルに「一般の方」向けと書いて下さっていると気付きました。失礼しました、主治医の指示通り脳を休ませます。
@thunthun5189
@thunthun5189 Жыл бұрын
「反復強迫 」 😢 医学で すでにわかっていることだったんですね 旦那、上司 との関係性の中で 、そうなのかもと 思っていたことでした。 もっと早く、カウンセリングを受ければ 私の30代、、40代はいきやすくなっていたのかも😢
@thunthun5189
@thunthun5189 Жыл бұрын
そして、母と同じような人生を歩んでいる気がして、とても怖い でも、母の方が自由に発言して、思うように行動している 母からは 離れた世界にいるのに、自分自身で 子どもの時の状況から抜け出せないでいることが わかるのに、抜け出せないでいる😢 もう 解きたいです
@user-yc9re6gv9x
@user-yc9re6gv9x 3 жыл бұрын
10月10日は、お好み焼の日です。
@merayama832
@merayama832 Жыл бұрын
やってみたいけど母親と向き合うのが嫌だ
@entani1661
@entani1661 2 жыл бұрын
いやぁ~程度というものがある。 言えないし書けない、コメント欄を汚してしまう気がする。
@user-bs1km3wg9y
@user-bs1km3wg9y Жыл бұрын
善財童子は成長譚
@user-uh1ew1fw7v
@user-uh1ew1fw7v Жыл бұрын
訊かれれば話すんだけどな。 自分からはどうしていいかわかりません。
@user-yc9re6gv9x
@user-yc9re6gv9x 3 жыл бұрын
お好み焼で、黙るんです。
@lisasasasaan
@lisasasasaan 2 жыл бұрын
母は末っ子気質なので、私が母に反発すると私が諦めるまで口も聞いてくれず、態度で圧迫してきます。 なので私は過去に自分の感情を押し殺して諦めてきました。 極めつけは私の結婚でした。夫と母が私の取り合いを始め、最終的に離婚しました。 母に離婚させられた気持ちが強くて、三年経っても不安障害改善しないままです。 ようやく出来た、心から安心できて落ち着ける存在を奪われたのですから。。
@michikorhoden2590
@michikorhoden2590 3 жыл бұрын
私は母を15歳の時に亡くしました。その時猛烈に母に反抗心があったので、50歳になった今でも、母へのその時期の感情がそのまま凍結されている感じです。 母が生きていれば、その後の関係性なども変わったでしょうし、母について学ぶ機会もあったのかもしれませんが、何せ反抗期真っ盛りの時に亡くなってしまったので、今でも反抗心しかない感じです。50歳ですが、母への気持ちは15歳なんです。 35年もこうなので、多分一生こうなのかも…(^_^;) 最近は母も大変だったのかな、と自分に言い聞かせようとしていますが、やっぱりあまり思えてないかも(^_^;)
@pinkypurple5
@pinkypurple5 2 жыл бұрын
誰でも子供を持てる世界は いかがなものかと常に感じる。 特に自殺や他殺や 精神疾患の事件、 虐待ニュースなどを見たりすると。 車と同じ免許制にしたらどうだろうか。
@user-vy2xq4yo8y
@user-vy2xq4yo8y 2 жыл бұрын
「母親」は「他人じゃない」。愛着障害の根本はそこにあるのに何をおっしゃっているんでしようか?かく言う私は幼少期に育児放棄にあった「愛着障害者」です。叔母や祖母に育てられて立派な「愛着障害者」となりました。こんなクリニックはお勧めしません。笑
@user-rn1rb6ls1d
@user-rn1rb6ls1d 3 жыл бұрын
冒頭噛みすぎやろ笑
@bbrom552
@bbrom552 2 жыл бұрын
どうしてそんなに口の音がクッチャクッチャと頻繁に鳴るのでしょうか? 話に集中できません。 癖のようなものでなかなか難しいのかもしれませんが、できれば鳴らないようにしていただけると嬉しいです。
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