「死ぬのがこわい」本当の理由と対処法【仏教の教え】

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仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太

仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太

Жыл бұрын

ある看護師の方から聞いた話ですが、末期を迎えた七十歳代の肝臓ガンの男性患者が、何度も聞いてこられる疑問があるそうです。
その疑問というのは
「死んだらどこにいくのかなあ?」
「神はいるの?」
「何もできず、死んでいくだけの今の自分って、なんで生きてるの?」
盛んにこんな不安を口にするそうです。
家族の前では気丈にふるまっているのですが、看護師と二人きりになると、聞いてくる、それがよけい痛々しかった、とのことでした。
「気の弱いことを言わないでください。大丈夫、そんな心配はせず、治療を頑張りましょう」
これしか言えない
でも自分自身、安易な気休めで、言葉が空っぽだな、とその人の表情を見て感じ始めるようになってこられたそうです。
やがて応対に悩み、病室に足を運ぶのをためらう気持ちも出てきたのですが、まもなくその患者は息を引き取っていった、とのことでした。
それまでもその看護師さんは、私のメルマガとフェイスブックを読んでくださっていのですが、この答えが仏教にあるのなら聞きたいと思われて、先日、初めて勉強会に来られました。
ガンも末期を迎え、死を余儀なくされた患者に、現代医学は何をしてやれるでしょう。
モルヒネなどの鎮痛剤や神経への麻酔薬など、ガンの肉体的苦痛はかなり軽減されてきました。
昔のように、激痛にさいなまれたまま死を迎えるケースは、ほとんど影を潜めたといいます。
代わって表に出てきたのが、死に至る精神的な苦痛です。
これにもさまざまあって、残される家族への思い、この世でやり残したことへの執着など多岐にわたります。
しかし、これらはまだ会話で和らげることができます。
最後までどうしても残るのが、死後の問題です。
「死んだらどうなるか。死ぬのが怖い」。
これこそが、何人にも除きえない、人間の本質的な不安であると、仏教は指摘します。
そしてその解決を唯一の目的とします。
今回の動画はそこをテーマにお話いたします。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
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Пікірлер: 50
@user-gu8ft4tg3c
@user-gu8ft4tg3c Жыл бұрын
菊谷隆太先生、こんばんは。🌃🤱🌆🤱🌻🤱今日もステキな解説を、ありがとうございます。🙆🤱🙋🤱👱🤱
@user-sm8hs2pd4q
@user-sm8hs2pd4q Жыл бұрын
愛する人の別れや、未知への不安はありますね。お話ありがとうございます。
@wakohappy9457
@wakohappy9457 Жыл бұрын
今年も素晴らしい説法をありがとうございました🙇‍♀️心より感謝申し上げます🙇‍♀️
@wakohappy9457
@wakohappy9457 Жыл бұрын
今年も1年素晴らしいお話を聞かせていただき誠にありがとうございました心から感謝申し上げます🙇‍♀️🙇‍♀️🙏
@user-qw6fb7if6b
@user-qw6fb7if6b Жыл бұрын
菊谷さん今日も素晴らしい説法をありがとうございました😊 凄く勉強になりました
@user-gb2xk4kz7k
@user-gb2xk4kz7k Жыл бұрын
死んだら死んだときだよぐらいにしか「死」については真面目に考えてきてなかったです。しかし、仏教の原点ともいえる死の解決は、とても大事な事であると菊谷先生のお話しを聞いて思いました。いつか必ず死ぬ、この事を念頭にしっかりと考え生きていこうと思います。 今回もとても為になりました。誠にありがとうございます。
@hiroshifactory6751
@hiroshifactory6751 Жыл бұрын
"想念"とは頭脳より年齢による経験と自覚によって磨かれます 教えもいいのですが お元気そうな姿はこちらもいい影響されます よいお年をお迎えください
@shinotez
@shinotez Жыл бұрын
今日も興味深いお話をありがとう御座います。 私も10代後半から、今の60歳でも死んで自分の意識が無くなってしまうことを考えるとなんとも言えない落ち着かない気持ちになります。その時はそれを考えない事にします。 この後の動画で教えてくださるであろうブッダの教えを学びたいです。
@user-rf6wy3bu2d
@user-rf6wy3bu2d Жыл бұрын
菊谷先生、今回も大切なお話と有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。さらに聞法に正精進していきます。いつも本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝🙏🙏🙏
@user-il2yl6gw4h
@user-il2yl6gw4h Жыл бұрын
今年も沢山力付けていただきました。 ありがとうございました。 死はやっぱり怖いし悲しいです。 でも必ずその時は来るんですね。 誰もが皆んな経験して来た事なんですね。 来年も先生のお話をよーく聴いて考えていきたいと思います。
@user-st9om3ts1u
@user-st9om3ts1u Жыл бұрын
菊谷さんが今、死についてどう考えているのかも聞きたいです。 私は42才、独身、男です。 死ぬ理由さえ分かれば満足かもしれません。納得のいく。 怖さもあるけど仕方ないと納得したいですかね。
@user-rb2ko3rz5h
@user-rb2ko3rz5h Жыл бұрын
私も菊谷さんが今、「死」についてどう考えて居られるのかお聞きしたいです。すみません😢⤵️⤵️
@hikarufukuda8349
@hikarufukuda8349 Жыл бұрын
無明の闇というのは本来の自分すなわち普通の人達は ここにあります。しかし他力によって死は忌み嫌うものではないと言う思考の多角化とも言うべきでしょうか。知らなかった考え方をするが幸福に繋がっていくのです。もう感謝しかありません。
@kkkb34
@kkkb34 Жыл бұрын
節目の中でもいつくるかわからない死の準備なんてできないことですね。今の己を受け容れ今を生きることを良しとしたい思いです。 ありがとうございました。家のお仏壇の前で唱えている般若心経に込められた世界観の意味なりをあらためて味わいたいと思います。
@user-lq8po3ns1i
@user-lq8po3ns1i Жыл бұрын
菊谷先生有難うございました。🙇‍♀️
@user-om3rw4sh3k
@user-om3rw4sh3k Жыл бұрын
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。一番、嫌なのは、死ぬ事です。
@user-jy2vz7me2d
@user-jy2vz7me2d Жыл бұрын
菊谷先生、お釈迦様は偉大ですね✨29才野青年がお父さんにそんなことを言ってたんですか?びっくり👀しました!💦菊谷先生、私はまだまだ、修行が足りません‼️私は死ぬまでに後生くらい心を克服できるでしょうか?まだまだ、菊谷先生のKZfaqを聞いて勉強したいと思いました🎵来年も宜しくお願いいたします✨良い年をお迎えください!これからも頑張って下さい。
@shootingstar8350
@shootingstar8350 Жыл бұрын
自分の死については、肉体的苦痛は怖いですが、精神的苦痛は死んだら分かりませんから思わないです。それより、精神的苦痛は、身近な肉親の死の方がはるかに怖いです。10代のころ、引きこもって両親のみとしか会話してなかったとき、私の気付かないところで父は自殺し、その後に母は私の留守中に原因不明で心不全で突然死しました。社会で孤独になるほどの恐怖はなく、それなら楽に死ぬ権利を与えて欲しいです。
@ytaka0319
@ytaka0319 Жыл бұрын
人間関係、形あるもの全てにおいて壊れたり、無くなったりするのが当たり前です。備えられるものもあれば、備えられないものもあります。備えられないものは、その時、どうするかはその時に考えるしかありません。死も同じだと思います。不安に思うか思わないかは人其々だと思います。 天寿を全うする事は重要だと思っています。その上で、その時が来るまでどの様に生きるかが重要だと思っています。死ぬ迄のプロセスを恐怖するのと、死後の恐怖は別だと思います。前者は確かに怖いですが、後者は不安、恐怖はあまり感じません。菊谷さんの言うように真剣に考えていないと言われればそうなのかもしれませんが、逆に死後の事を考えてなにかメリットの様な物があるのであれば教えて頂きたいと思いました。
@ojiichanneru
@ojiichanneru Жыл бұрын
死ぬのが怖いというよりは、苦しむのが嫌なのと、他人に色々と面倒を掛けるのが嫌なだけかなぁ むしろ今の苦しみから逃れる為に、そのまま黙って消えて無くなる事は出来ないものかと思った事は何度もある 自分の命は自分自身だけのものじゃないのかもしれない、と思っている限りは、自ら消える選択をすることは無いと思うが
@user-yn3mc5ki2k
@user-yn3mc5ki2k Жыл бұрын
いつも有難うございます。死をどこか他人事だと考えていた時は、「死後は無い」と何の根拠もなく信じていました。しかし今死んでいかなければならないとなった時、間違いなく「死んだら私は何処へいくのだろう?」と怖くてたまらなくなると思います。その解決の教えが、釈迦の教え(仏教)なのだと学びました。ありがとうございました。
@user-bd2kg4wj9s
@user-bd2kg4wj9s Жыл бұрын
こんにちは😃 常にまとわりつく、不安 それは、究極的には 死への不安❗️ なんですね。 その事を考えたくなく、とうざけるために、目先の不安ばかりに集中してしまう。 人間はこの様にしか、生きられない者なのですね。 何とか、この闇を破って安心の心地になりたい! その為に聴いています。 ありがとうございます😊
@abon8083
@abon8083 Жыл бұрын
死ぬことそのものが怖くて死を避けようとするんだったら、死ぬ時なにもあんなに肉体的に (実際はわからないので)痛そうだったり、苦しそうだったりしなくてもいいのになと神の 設計を怨みます。やはり肉体的の痛み苦しみがないと人は生きようとしないような気もします。そして、精神的苦痛は痛みと苦しみに縛られて生きることを強いられることの副作用。 もちろん菊谷先生のお話もよく分かります。
@SN-bc3ym
@SN-bc3ym Жыл бұрын
仏教の目的は、「無明の闇」を打ち破って、苦しみの根幹を解決することですね⁉️
@user-pk3vv9uc9g
@user-pk3vv9uc9g Жыл бұрын
三途の川に持っていけるのは、財産でもなく名誉でもない。生まれた時と同じで素っ裸で向こうに行く。何も今生を持ち込めないのが本当で生きている自分って分かるはずです。生まれ死ぬそれは同じです。 分かってることがある死ななくても、分からない死ぬを今日の自分が不安でなければ今の自分が幸福になる方法。それが違っていても今幸せならばいいビタミン剤です。死と言う不明を恐れるに負けない方法。それは、信じること。 信じなくても同じ死であるならば、生を豊かに生きるには虚無的不明な死より信じる有が今貴方が幸福である事が重要です。 今日、餓鬼でいなくてすむ。 キリストは、信じるものは救われるとおっしゃった。お釈迦様も同じような悟りを表明されている。 本当は、死後がテーマではなく、今日が幸福でいたいのなら...というお導きが基本です。 ですから、信じて生きようそれが幸福だということです。 十戒を守っていれば、貴方は人から迫害されないということです。 死と言う彼方の無常に今生きる解として、信じればいいということです。生きるというものはそんなに綺麗ではない。今日も貴方はうんこしたでしょう?その事実に対して割れ鍋に綴じ蓋は通用しない。だが、その処方箋は信じれば今が幸せでは?ってことです。 その先の本当の無に向き合って僕はこたえを持ちます。その解はそんなに悲観しなくていい真理を発見しております。そんなに悩まないでと思い至っております。 皆さま新しい年です。 明けましておめでとうございます。
@user-jg2be7wr9k
@user-jg2be7wr9k Жыл бұрын
人間の知恵では、生まれる前はどこにいたのか、死んだらどこに行くのか、いくら考えても分からないけど、死んで分からない所に行く勇気がありません。阿弥陀仏に無明な闇を破るお力があって良かったです✨
@user-ij1zn3bp2l
@user-ij1zn3bp2l Жыл бұрын
合掌南無阿弥陀仏シェアさせていただきました。
@user-nb7hb3fy5d
@user-nb7hb3fy5d Жыл бұрын
人は耐えられない痛みに会うと気絶してしまいます。また人は寝ずにはいられない。毎日彼方の世界を体験しているように思います。だから今この世界を体験し精一杯生きるのです。
@ksc4850
@ksc4850 Жыл бұрын
貴重な法話、ありがとうございました。 ★どうして「死」は怖いのか? 1.二つの死の苦しみ(肉体的苦痛、精神的苦痛・別離、未知への不安) 2.無明の闇(後生暗い心) 3.シッダルタ太子の挑戦(老病死・29歳出家、35歳悟り、80歳亡くなるまで)
@da43544
@da43544 Жыл бұрын
死んだら無になる という宗教はない 宗教の罪 いずれの宗教も死後必ず救われるという望みがあるから信心する それは生きる者の望み 量子次元で生物の思考思念のみが存在する次元への転送があるのならそれが昇華転生 現生は死んだら無 死ぬまでいかに生きるを示すのが宗教の道 それを示してくれる坊主に出会いたい
@user-mh2si7cc3g
@user-mh2si7cc3g Жыл бұрын
死んだら無である事は確かであり、自分自身の全ては消滅してしまうのだが、死を前にした肉親や人間を前にして、そのような真実のみの考えで接して見送れるものだろうか? 死ぬ方も残される方も、宗教なくして人間の根底的な弱さを救い納得させ、前向きに生きるすべはないように思う。 信心のある家庭であれば、自然と神仏を尊び生涯の支えになるのではないか。 無宗教者で葬式も供養も法話も墓も一切に不要とする者は、愛する者が死を悟り恐怖し迷い頼られた時に、いかにして心の拠り所を求めるのだろうか。
@user-mj4wx1vg7x
@user-mj4wx1vg7x Жыл бұрын
死が怖いのではなくて、惚けて働けなくなったり生活できなくなるのが怖いです。
@user-og9ip7rn7f
@user-og9ip7rn7f Жыл бұрын
死んだら生まれ変わるというのが僕の考えです、今の人生を全うしその中で何を為すかが大事ではないかと。口では何とでも言えますが実際は無為になっているでしょうね。
@inco28765
@inco28765 Жыл бұрын
確かに別離と未知への不安が死ぬのが怖い要因だと思います。その根底にあるのは自我という己があるという概念でないでしょうか。仏陀はこれを否定した。(無我の概念)仏陀は死後世界については無記で語っていません。まさに未知の世界です。仏陀が説いたのは生き方についてであり、これを極めるとその延長線上に死はあるので死も怖くはなくなるのかな、とは思います。
@kenono1160
@kenono1160 Жыл бұрын
いつも有難うございます 自分がこの世を認識した原初体験は真っ暗闇から眠りが覚めた如く明るい 世界が広がってましたもう自分の名前認識していてその時が魂が入った時かもの心ついた時なのかもしれません 何が言いたいかと言うと一瞬垣間見たその暗闇に戻るのが死ではないかと思います。死ぬ時苦しんだかもしれないけど 記憶がない、無くすのが暗闇の世界なのかなと。自分は一世一代かもしれないし転生してきたのかわからないです 釈迦はどういう結論を得たのか知りたいです 長々と御免なさいませ
@user-lr8lr9bb3t
@user-lr8lr9bb3t Жыл бұрын
私は老いることが怖いです。自分のことすらできなくなって、人にイライラして暴言を言ってしまう。そんな老いは嫌だなぁ。人に感謝しておしまいにしたいのに。
@user-lu9su3rz2c
@user-lu9su3rz2c Жыл бұрын
先生は当たり前過ぎる本業はあるんですか❓それとも🙎
@nousavidya1154
@nousavidya1154 Жыл бұрын
ゆっくりゆっくりとした老に付き観てるとその後は、やはり、なにがしかの?他力で?顕かに人のせいで 往く 姿を本心とした(意が絶対と観える)もので😒綺麗な 人生老退(ソコの処)部分でしょうね
@user-is4kq6dp4c
@user-is4kq6dp4c Жыл бұрын
個人の経験では意識の混濁では経験上苦しくなかったと思います。記憶そのものが消えている可能性はありますが( ̄▽ ̄;)死は許しです。これ以上の苦痛、苦悩から逃れられます。蓄積していたものからも解放されます。死は仕事を為したものに与えられます。志村けんや阿部元総理は許され、生きているものらに死による教授をしました。そして、わたしも及ぶことないのですが、為しました。既に死の許しは得られていますが、まだ、しばしの仕事が与えられているに過ぎません。一休の死に対し、死にたくないという意図はそうなるのが人が進むよう推奨する至りです。
@user-on2we3lm1i
@user-on2we3lm1i Жыл бұрын
私の心にドタ牛のように横たわり 死について全く驚かない私 なんでなんだろう?
@user-vc1kl7ty2d
@user-vc1kl7ty2d Жыл бұрын
漫談家の綾小路きみまろさんが、『人間死亡確率100%』という真理をネタに多くの 人を笑わせていたのを思い出します。人は他人の死に対しては、何故か自分には遠い 存在のように感じています。私も最近、父を見送り、大切な友人の訃報に接する年齢 になりました。お話の中の人生の節目である定年退職も経て、死の存在も身近なもの になりました。今は「生老病死」の『老病』の真最中です。「死のゴルフ」のシング ルプレイヤーとなり、それでもハンデ5という位かなという甘い感覚で生きています。 幸い、お釈迦様の説かれた教えにご縁を得て、これを学び行うことを生活の糧として その日が来るまで精進していく事により、必ず訪れる死を意識しながら、一日一日を 大切にして生きたいと思っています。
@user-gg6lh9fk9s
@user-gg6lh9fk9s Жыл бұрын
私は死ぬのが恐いとは感じていないです。 でも、その恐さは自分がこれからいよいよ死んでいく、その時まで分からないのであれば、死への備えは必要だと思いました。
@user-kw5sj7uw7t
@user-kw5sj7uw7t Ай бұрын
要は わからないから ではないでしょうか ある程度 分かれば納得もできるんですがね 科学ではわからないですもんね。😅
@T-tn2er
@T-tn2er 2 ай бұрын
愛別離苦は生の苦しみではないですか? 死は脳死なんだから苦しみはないと思いますよ
@tamagoto
@tamagoto Жыл бұрын
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