巌流島の決闘の真実。近年発見された資料から新説を読み解きます【ゆっくり日本史】♯7

  Рет қаралды 260,157

樽之介【Japanese history】

樽之介【Japanese history】

5 жыл бұрын

日本史を中心に人物や事件の少しマイナーな部分を取り上げていきたいと思います。
チャンネル登録をお願いします。
動画初心者ですが、技術向上に努めて参ります。
関連ワード
巌流島 宮本武蔵 佐々木小次郎 武蔵 小次郎 門司 小倉、決闘 五輪書 ゆっくり 日本史 衝撃 真実 江戸時代 戦国時代 本当の宮本武蔵

Пікірлер: 339
@user-nq2zo7iw4g
@user-nq2zo7iw4g 4 жыл бұрын
武蔵フアンには衝撃的だが吉岡一門とやった時も相当悪辣だった。そして何処の藩も彼を仕官させることが無かったと言う事実が全てを物語っている。彼は信用されていなかった。
@ArnoldBo
@ArnoldBo 3 жыл бұрын
テロリスト的な強さですもんね、武蔵って。生き残るって意味では正しいけど、藩に勤める武士達が指針とするような道徳観は0ですしね。
@tmana5833
@tmana5833 4 жыл бұрын
「歴史は勝者が書く」は真実 メディアの脚色 勝ち馬に乗っかる 良くありそうな事です。 流されない事は肝心ですね。
@user-mj2vy1rn4g
@user-mj2vy1rn4g 4 жыл бұрын
自分も佐々木小次郎は死んでなくて、武蔵の弟子がリンチして死亡したと読んだことがあります。細川氏の家臣沼田家の古文書に護衛を着けて豊後に逃がしたと聞いてます。
@user-xw1bt2xi8m
@user-xw1bt2xi8m 4 жыл бұрын
それが真説っぽいんですよね。
@Reiko-Kawashima
@Reiko-Kawashima Жыл бұрын
全てのコメントを拝読しましたが、貴方のコメントが一番正しいと感じます。しかもこの古文書の件は、地上波テレビ(ちなみに若い方に言っておきますけど、当時は地上波しかない)でも当時普通に流していましたから(内容がグロすぎて無かった事にしたい日本国民総意の意見なのか?現在では地上波は勿論、ネットですらあがってこない)当時ロマンチストの私も衝撃的なまでにその内容が信じられなくて、その後色々調べてはみましたが・・残念ながら沼田家の古文書が真実なのでしょう。
@user-kp7ed2ny3s
@user-kp7ed2ny3s 4 жыл бұрын
他にも年代的なものを見ると この時佐々木小次郎は70過ぎの老人で 武蔵はバリバリ現役元気いっぱいの20代 だそうです
@user-cp7pf3ew5l
@user-cp7pf3ew5l 4 жыл бұрын
んだ。
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 4 жыл бұрын
小次郎の剣術伝書の年代が明らかに後代なので多少はね?
@fficialyoutubechannel1715
@fficialyoutubechannel1715 3 жыл бұрын
まぁ、見た目はおっさんだから。
@tfujisaki72jp
@tfujisaki72jp 5 жыл бұрын
毎回楽しく視聴しております。
@47akm45
@47akm45 4 жыл бұрын
調べてみたら「沼田家記」に書かれた記録ですね。決闘後、武蔵は父親無二斎が住む大分の杵築に送ってもらったとか。あと、佐々木小次郎は、富田勢源の弟子であれば、決闘当時は年齢は50〜70歳の老人ではなかったかということ。更に彼は筑豊出身の剣術家という少数説もあります。
@user-hu9or1hj8w
@user-hu9or1hj8w 4 жыл бұрын
ありがとーございます こういう話 バラレルワールドというか、解釈の為の知識が広がる楽しみが増えます
@yasutakakishida9628
@yasutakakishida9628 2 жыл бұрын
良いですね、話がわかりやすくしかも説得力がありました、良い動画です。
@user-tc7qe1eu8e
@user-tc7qe1eu8e 4 жыл бұрын
佐々木小次郎は佐々木氏の当主だったため、細川氏が武蔵を使って殺させたという説があります。
@user-pu2yf4og9x
@user-pu2yf4og9x 3 жыл бұрын
時代ミステリを書いている高井忍さんのデビュー作「漂流巌流島」では、「二つのストーリーが両方とも実際に起きた」という解釈だったな。
@johnk.7729
@johnk.7729 4 жыл бұрын
大変、勉強になりました。ありがとうございます。最近のKZfaqは学べる場所が多くすばらしいですよ。
@user-sr5lx7kr3n
@user-sr5lx7kr3n 4 жыл бұрын
武蔵の実父(養父)の新免無二斎の敵討ちだったという説もあります。
@user-ty5dx6to9s
@user-ty5dx6to9s 2 ай бұрын
親父の名前かけええな。
@lionsyokohama792
@lionsyokohama792 4 жыл бұрын
今の武蔵と小次郎のイメージは 吉川英治の作り上げた ファンタジー
@user-nd5js6jv1g
@user-nd5js6jv1g 3 жыл бұрын
ご返信ありがとうございます😊 吉川英治さんの世界には入りづらい…ですが… 教えて頂きありがとうございます😊
@user-ty5dx6to9s
@user-ty5dx6to9s 2 ай бұрын
坂本龍馬を作り上げた司馬遼太郎と同じですね。
@コムサン
@コムサン 4 жыл бұрын
武蔵は剣術も優れ武蔵は強いという印象の人が多いと思うけど、武蔵流はもともとどうやったら強くなれるかではなく、どうやったら生き残れるか?が武蔵の教え 強くても1度でも負けたらそこで終わりの時代、相手を倒すというより自分が生き残ることが勝ちと考え、武士としては卑怯なこともいろいろやったらしい 日本一の剣士になったとしても戦の時代多勢に無勢、飛び道具に刀、一度でも負けたらそこで終わりだもんね
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 4 жыл бұрын
余り関係ないけどそう言う戦いの本質を無視していたから、この国は戦争で負けたのかなぁと。
@user-eu8hq1wb9e
@user-eu8hq1wb9e 3 жыл бұрын
@@user-zc6si8eb5h 殿 いや 単純に物資の差でしょう
@yzf-r1neil_555
@yzf-r1neil_555 4 жыл бұрын
基本的に若い頃からこの巌流島の戦いまでの武蔵は、ぶっちゃけ「ひとでなし」です。殆どの大きな戦いにおいて、最初は稽古を着けてくれ、的なノリで戦いに行って負けたにも関わらず命は取られなかった。つまり見逃してもらったにも関わらず次は相手を研究して勝負を挑み、自分は助けられたのに相手を殺害してます。殺さなくて良いのに殺したから皆から恨まれても仕方ありません。つまり実際の武蔵は相当に卑怯だったと言えます。この巌流島の戦いもそうですよね。遺した五輪書や書画、兵法二天一流は優れているとは思いますが、剣聖と言われるほどの人格者とは到底思えないですね。残念ですけど💧
@lionsyokohama792
@lionsyokohama792 4 жыл бұрын
殤不患 無銭飲食ばかりしていたようだ! 風呂嫌いで風呂に入らないからすごい悪臭がしていた そして藩から追い出されて洞窟行きになった これが真実
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 4 жыл бұрын
天道流の開祖の斎藤伝鬼坊も騙し討ちによって殺されてるけど、戦国期は割とこんな話ばかりなんだね。でもこの流儀は師匠が非業の死を遂げてる割に弟子が良かったのか、薙刀だけは伝承されてるね。
@user-mi1hb4vu1v
@user-mi1hb4vu1v 4 жыл бұрын
考えが幼すぎるし安直すぎる。「剣聖」というのは殺しあいで手加減や慈愛をもって戦い続け、血なまぐさい時代を一人で生き延びる孤高の達人のみなれるのか? そう思っているなら漫画の見過ぎだ。それに、倒した側からの恨みつらみを武蔵の全てだと考えるのも浅はかだ。 この時代の人物を評して人格者ではないというのも愚の骨頂。現代とは価値観も倫理観も違いすぎるのだから。 そもそもこの時代に今の武士道はなく、「卑怯」の概念も違う。子供や犬など弱い者をいじめるのは卑怯だろうが、剣を持って正対した相手に何をしてでも勝つというのは強さの一つだ。一旦逃げて研究してリベンジに行くのも強さだ。剣の腕だけではなく言葉も駆け引きもうまかっただろう、自分の組織を作れるカリスマ性も持っていただろう、それらすべてがこの時代の強さだ。武蔵があまりにも傍若無人な人物なら歴史に殺され中途半端な人物として終わっていただろう。 武蔵がいかにして相手を殺したのか、なぜ弟子達が小次郎を袋叩きにしたのか、関わった人物やグループの関係、命のやり取りの現場で起きた何かは現代の我々には絶対にわからない。 剣術の強さを崇高なものと考えがちだが、法整備も警察もない時代、人間のドロドロした部分がまだ解放されている時代だ。  そんな殺し合いができる時代を武蔵は個の戦いから大きな合戦まで場数をこなし、生き延び、末は哲学を書にまとめている、この説得力は強烈だ。 間違いなく日本の歴史で傑出した人物の一人であり、剣聖と言っていいと私は考える。
@sdmat-ix2nn
@sdmat-ix2nn 4 жыл бұрын
20年くらい前に買った武蔵本に出てた話とほぼ同じだった。そこには一対一で決闘やる事はやったとはなく、ただ武蔵と弟子がなぶり殺ししたと。決闘で気絶させたんなら、その時点で殺されたに近いのではないか?刺せばいい。武蔵も弟子も刀持ってなかった? まあ昔の流派の秘伝書には、道場に腕の立つ他流が来て負けるような事があれば酒食でもてなし気を許したところを大勢で囲んで殺してしまえとかえげつない事書かれたものもあったらしいし、綺麗事の世界ではないですね。
@user-mk2el2ys4p
@user-mk2el2ys4p 4 жыл бұрын
4444 matmat 僕も子供の頃(20年くらい前)、歴史コーナーにおいてあった雑学系の本で同じ話を読んだ! 確か、ここの動画よりももっとエグい内容で、一対一で決闘なんかしないで大勢で袋叩きにして殺したとか書いてあったと思う。 後、佐々木小次郎は生年が不詳だけど結構歳食ってて60代位で、それに対して武蔵は30歳前後で年齢的にも酷いハンデがあったとか書いてたと思う。 本を読んだ時代も僕が読んだ時と一致してるし、もしかして同じ本だったのかな?
@rosan6179
@rosan6179 4 жыл бұрын
2人の年齢を考えてたら武蔵が勝って当然 なぜ小次郎は無茶な決闘をしたのかが不思議
@morisonsaitou2449
@morisonsaitou2449 4 жыл бұрын
歴史の先生に、小次郎が武蔵の弟子にボコられた話は聞いた事ある。。。
@user-of1co2fq4j
@user-of1co2fq4j 4 жыл бұрын
歴史の先生じゃなくてもみんな知ってる話じゃないんですかね。
@user-we2qs7ri8n
@user-we2qs7ri8n 2 жыл бұрын
@@user-of1co2fq4j そうでもないよ
@user-si3mk4wx8n
@user-si3mk4wx8n 4 жыл бұрын
「巌流島」の名はある種の「判官贔屓」なんだろうな。武蔵の「汚い」エピソードはほかにもあって、無名の武芸者と戦ったとき。対峙して「これは勝てない!」と悟った瞬間、相手に「お見事な腕前、お手前、鞘の内の勝ちじゃ」と負けを認めた。それを聞いた武芸者が、一瞬ほっとして体勢をゆるめると、その刹那に武蔵は一等のもとに切り捨てた。勝負の鬼ですな
@-msc
@-msc 4 жыл бұрын
武蔵的には夢想流杖術の開祖夢想権之助との明石浜での戦いがベストバウトだろうな。 結果は引き分けだが、権之助が一方的に敗北を認めた潔さに武蔵が感動して後々文通 するくらい仲良くなって、武蔵が「あの手を使えば俺が負けていたのに」と告白。 権之助が二天一流破りの技として武蔵の教えてくれた技を取り入れている。
@anndami3089
@anndami3089 4 жыл бұрын
東大の資料室で発見された話(週刊新潮)では、武蔵の弟子が前日から上陸していて、隠れて見ていたらしい。 武蔵が勝つのをみて、興奮して、出てきた勢いで小次郎を打ち殺した様な話でした。
@yamato3228
@yamato3228 2 жыл бұрын
坂本龍馬の暗殺者も不明なのに、それより250年程の前の、武蔵VS小次郎の詳細が分かるはずも無い。
@user-ve1sn9mh6t
@user-ve1sn9mh6t 4 жыл бұрын
定説になってる事が、実は全く違う可能性があるとか、本当に歴史って面白いですね😃ロマンがありますし、想像力が掻き立てられます。
@user-ks1nx8qx6y
@user-ks1nx8qx6y 4 жыл бұрын
ずるい、きたない、卑怯。兵法とは詐術って、孫子の言葉かな。
@user-of1co2fq4j
@user-of1co2fq4j 4 жыл бұрын
宮本武蔵の戦法にはそんなところがありますね。
@moirta3
@moirta3 4 жыл бұрын
孫子の言葉は、「兵とは詭道なり」ではないでしょうか。 つまり、戦いとは相手を騙し撹乱することに尽きる、と言うことでしょうか?
@mayayamato3553
@mayayamato3553 4 жыл бұрын
付近の海の潮の流れが意外に速くて、よく漕ぎ船でたどり着いたと思うことがありました。 手漕ぎだとすると時間帯によっては、そのまま船ごと流されて岸に戻れないんじゃないかと思うほど潮の方向やら流れが複雑で、海の経験もない私は現代のエンジン付きの船に乗っていても不安でした。
@mdma8033
@mdma8033 4 жыл бұрын
スポーツの試合もこれからは決闘と呼ぶようにすればモチベ上がるね
@tonybigvalley1052
@tonybigvalley1052 2 жыл бұрын
武蔵が戦で少年兵が投げた石を足に受けてケガをしたことは有名です。 そのとき、「う~ん、卑怯だ」と言ったらしいけど、少年の投げた石を避けられない程度だったのね
@user-tt7nf2bk9w
@user-tt7nf2bk9w 2 жыл бұрын
語られる話は真実と比べて虚しい 語られない陰に美しさがある
@user-kp4rv6fg9g
@user-kp4rv6fg9g 4 жыл бұрын
小次郎を敬ってつけたんじゃなくて怨霊を恐れてつけたんじゃない?当時の人は怨霊を相当怖がってたからそれを鎮めるために巌流島って呼んだのかもね。
@user-rf2hj7uu5i
@user-rf2hj7uu5i 4 жыл бұрын
登録しました(^ω^)
@user-yl5wx5kb8j
@user-yl5wx5kb8j 4 жыл бұрын
武蔵が決闘で普通に勝ったのに、わざわざとどめを刺すのは不自然ですよね。立会人も居たはずなのに止めなかったのもおかしい。 そこから言われているのは立会人含めてグルで最初から小次郎を殺すつもりだったという事。 小次郎は当時小倉藩の剣術師範であり、騙し討ちに近い形で藩の剣術師範を殺した相手を藩の武士が保護するのは非常に不自然。 要するに、剣術師範の座を巡る争いが藩内で存在し、実は、決闘は小次郎を始末しろという藩からの依頼で武蔵と共に居た弟子というのは、武蔵の助太刀というより、武蔵が決闘で負けた場合やとどめを刺し損ねた場合の後始末が目的だったという事です。
@ArnoldBo
@ArnoldBo 3 жыл бұрын
でもそんな不穏な空気、小次郎は感じ無かったのかな? 当時、戦国時代の名残も残ってた時代に正々堂々なんて無い事は小次郎も経験してたハズなのに、ノコノコ一人で出向いたってのが信じられない。
@user-yl5wx5kb8j
@user-yl5wx5kb8j 3 жыл бұрын
@@ArnoldBo 当然不穏なものは感じてたと思います。弟子の中には危ないから一緒に行くと言う者も居たかもしれません。 でも、藩に雇われている人間が、藩の命令を無視して弟子を連れて行ったり、果たし合いに行かなかったりしたら、それだけで処分の対象となります。分かっていても行かざるを得なかったでしょう。 藩が中立じゃない時点で可哀想ですが小次郎は詰んでいるんですよね。
@ArnoldBo
@ArnoldBo 3 жыл бұрын
@@user-yl5wx5kb8j そーやって考えると、逆に現代人の我々の方が武士道的なモノや『刀は侍の魂』みたいに美化してると言うか、もしかしたら武蔵としては、刀もあくまで勝つ為の道具の一つぐらいのドライな考えだったかも知れませんね。 勝つ為には政治的な背景であれ、地面の砂であれ拘り無く利用するみたいな。そうやって生き残って後世に語り継がれてる訳ですもんね。
@ahawaha2400
@ahawaha2400 4 жыл бұрын
佐々木小次郎は小倉で剣術指南してたのに小倉藩では記録上居ない人扱い。 動画でも武蔵が小倉城代を頼ってとある。 ある歴史家の話で、小次郎の墓の名前が『古志らう』(奥さんが建てたらしい) 奥さんはキリスト教信者で小次郎も信者では無かったか。墓碑銘の『古志らう』には十(クロス)が2つある。 故に徳川時代にキリスト教禁止例に際し、剣術指南役をやってた佐々木小次郎がキリスト教信者で有ったことは小倉藩にとって不都合な真実。決闘を理由に消す為、血気盛んで売り出し中の宮本武蔵に白羽の矢を立てたと。小次郎も弾圧で逃げるより武士として道場主として弟子の今後も有るので覚悟の上だったと思います。小倉藩も記録としてあやふやな理由も伺えます。
@user-kr9ul6xv5s
@user-kr9ul6xv5s 3 жыл бұрын
へえ、なるほど。武蔵軍団には殺し屋の一面もあったわけですね。藩から請け負った仕事をしくじるわけにはいかないから念の為に弟子たちを連れて行き、弟子たちは執拗に滅多打ちでトドメをさした。 一撃で勝負がついたというのは船乗りか漁師の目撃談なのでしょうから、武蔵の名誉をギリギリ守ってますね。 しかし小説とは真逆で悲壮感あるのは小次郎の方だったとは。なのに小次郎は死後、創作小説によって不名誉を着せられてまこと気の毒に。今度下関へ行ったら巌流島まで渡ってみよう。
@ahawaha2400
@ahawaha2400 3 жыл бұрын
@@user-kr9ul6xv5s さん 吉川英治さんの『三國志』では諸葛孔明が最後に出陣して没する、 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」 でお馴染みのラストで終わる「五丈原」で終ってます。 (史実では、権力争いで3回ほどクーデターで蜀ボロボロ。最後は息子が占い師の言葉を真に受けて何もせず、魏が攻めて来ても放置プレイで占領され吸収合併) 吉川英治版『宮本武蔵』でも巌流島の決闘で終わってますが、晩年の武蔵は「島原の乱」鎮圧に加勢に行く小倉藩の軍勢に着いて行きます。戦場では島原城に立て籠った地元一揆軍の投石で重症を負い呆気なく戦線離脱。後に「死兵となった兵は手強い」と言ったとか書いたとか。 吉川英治さんの作品、戦後で資料が少ない中で『娯楽歴史小説』として築き上げたのはアレですが、歴史的真実として取り上げる人が以外に多い・・・気がします。
@user-6jk8jd1ok0av
@user-6jk8jd1ok0av 4 жыл бұрын
まぁ卑怯な一族が世界牛耳る訳だから、武蔵の生き残りは多少卑怯でもある意味正解だろう。
@user-nv9dp6xq7c
@user-nv9dp6xq7c 4 жыл бұрын
門司城代に匿って欲しい旨の手紙を送ったという話があるね。
@th-im6mm
@th-im6mm 4 жыл бұрын
脚色されて諸説がいろいろなのは赤穂浪士も同じですよね。
@nandeyanen06
@nandeyanen06 4 жыл бұрын
バガボンドが止まってるのもこういう理由かな? 結末があまりにも作品からかけ離れてしまう様な・・・
@Kaito5327
@Kaito5327 4 жыл бұрын
この他にも、佐々木小次郎は豊前佐々木氏の本家筋の土豪であるだけでなく修験道とも繋がりがあったため、その勢威を恐れた小倉藩(当時は細川氏)に謀殺されたというものもある。
@flowerflower1154
@flowerflower1154 4 жыл бұрын
信憑性を疑うわけじゃないけれど、参考文献を詳細欄にのせてほしいです。
@user-mm5qh7se9c
@user-mm5qh7se9c 4 жыл бұрын
「コヤブ歴史堂」で紹介していたけど、その回の録画はしていない。 弟子に強盗がいたりして、けっこういい加減なひとだったらしい。 で、本人は食い逃げしたり、宿代を踏み倒したりは当たり前。 司会の小藪も「コイツとは絶対に飲みに行きたくない!」と非難ごうごう
@user-ti6bs2ld3c
@user-ti6bs2ld3c 4 жыл бұрын
宮本武蔵の戦法というのはとにかく最後に生き残っていればそれで良いだった。間合いを取る間奇妙な唸り声を発して相手の集中力を削いだり気合声も相手を驚かすような奇声だったり卑怯と言えばその通りの剣法だな。武士道とかどの口が言ってんだって話。 それにしても妖夢が解説役で魔理沙と霊夢が聞き役の動画は珍しいな。
@user-ty5dx6to9s
@user-ty5dx6to9s 2 ай бұрын
佐々木小次郎の巌流は、川岸にたたずみ燕の飛来を待ち受け何回も切りつけ、そこから剣の精神統一間合の取り方を勉強し飛んでいる燕を切る事が出来ようになったそうです。川岸の岸が岸流なのですが、後に巌になったのです。余談ですが、乗合船に乗っていた小次郎が、居合わせた武士が小次郎と知って、川面を飛んでいる燕にあの燕を切って見せて下さらんかと頼んだら、では燕をこちらに引き寄せてくださいと言ったそうです。
@MrYoshichan
@MrYoshichan 4 жыл бұрын
島の名前が巌流島。なぜこれまで疑問に思わなかったのか、不思議な気がする。当然、武蔵にはあまり都合のいい状況ではなかったと思われる。
@user-wt5dx2mz1k
@user-wt5dx2mz1k 4 жыл бұрын
弁慶だって負けた側だけど、そこらの地名に使われてるよ?
@shoe3263
@shoe3263 4 жыл бұрын
日本史って面白い...
@user-sf9se2jx3z
@user-sf9se2jx3z 4 жыл бұрын
昔不思議発見って番組でこれについての話やってて、小次郎は年齢差が30歳位あって60代だったとか、小次郎は藩の人間から嫌われてて決闘は藩が勧めたとか、もしも武蔵が敗れた場合に備えて家来を配備してころ .す手配をしてたとかいろいろ怪しい内容だったんだよね
@user-mx4kv2le6y
@user-mx4kv2le6y 4 жыл бұрын
武蔵と小次郎の話は歴史的に重要ではないので論争にならなかったんですね。それを知ることが出来たのも、文学作品のおかげ。。。たとえ史実とは異なっていたとしても。いろいろな説を聴くと、ワクワクします。しかし小次郎はかわいそうだった―――たぶん武蔵は、晩年思うところがあったと思う。。。いろいろ、驚きの説でした!!面白かったです🙋
@shirow5
@shirow5 4 жыл бұрын
何だか忠臣蔵で「吉良上野が実は名君だった」的な従来からあるネタでしたね(笑)。 舟島での決闘は小倉藩主の御前で行われた決闘の筈で、 当然武蔵の弟子など潜ませられる事など出来る訳がありません。寧ろ小次郎の弟子達が控えていて、結果がどうあれ武蔵にとどめを刺そうとしていたそうですよ。 そこで武蔵は小次郎を一撃で倒すと生死の確認をせずに一目散に船に飛び乗り島を出た。小倉藩が小次郎と当藩の名誉の為に事実を隠蔽して武蔵を悪者に仕立て上げた。というのが真相のような気がします。
@user-bi5yc9bt9y
@user-bi5yc9bt9y 4 жыл бұрын
確か小倉から門司に向かう途中にある手向山にある公園に石碑がありますよ。…家からバス1本で行けるから、今度行って見てみよう…。
@kohjik7418
@kohjik7418 10 ай бұрын
自分がこの史実を知ったのは大分の中津城にこのお話の説名板を見た時でした。詳しくは忘れましたが、武蔵の門徒からとどめを刺されたので、怒った小次郎の門徒から逃げた武蔵をここで匿っていた、みたいなことが書かれていたと思います。
@MrSakumasan
@MrSakumasan 4 жыл бұрын
っていうか、始めが一騎打ちだったかどうかも、実際に見た人はいない訳だしね…
@ericyujidurandal3094
@ericyujidurandal3094 4 жыл бұрын
色々な歴史の話しあるけど、新しい説って大抵夢を壊す様な内容をあえて挙げてる気がする その方が現実的で安心するちょっと後ろ向きな人間の心を掴む為にって感じで。
@user-yk1hs9jr3p
@user-yk1hs9jr3p 4 жыл бұрын
違いますね。 時代考証がなされずに出される説が脚色されているからです。
@ericyujidurandal3094
@ericyujidurandal3094 4 жыл бұрын
2003ヴィオ 脚色されて美化されやすい事なんて俺だってわかってるさ。 ただ、単なる感覚の問題だがなんとなく新事実はロマンを壊す説の方がその逆より多いのが俺には不自然で仕方ない。 逆の逆を疑う発想と言われるかも知れんが
@user-zc5ev1bc8e
@user-zc5ev1bc8e 4 жыл бұрын
出色のエピソードだから(話として面白い、目を引くものだから)、脈々と語り継がれているわけで、 詰まらない事実として最初から認定されてるならそもそも広がりもしないでしょう。 で、脚色なり何なりでとにかく面白いから広まった話だからこそ、 事実を確認したら詰まらなかったというオチになりやすいと。ただただそういう構造的なことではないですか。
@YH-nu7wc
@YH-nu7wc 4 жыл бұрын
武蔵と小次郎の決闘については、三国志演義と同じ感じがします。 物語のほうが広まってしまったという部分で。
@user-mm5qh7se9c
@user-mm5qh7se9c 4 жыл бұрын
吉岡一門との決闘だけど、武蔵に敗れて剃髪した筈の清十郎や、即死した筈の伝七郎の兄弟は、 その10年後の「大阪冬の陣」にしっかりと参陣している。
@hashi-ws7fm
@hashi-ws7fm 4 жыл бұрын
@@user-mm5qh7se9c 吉岡一門の話、捏造と聞いたことあるけど、ようは作家の創作の悪影響なのでは・・
@user-yukkurikenbu
@user-yukkurikenbu 4 жыл бұрын
@@hashi-ws7fm 作家さんの影響では司馬遼太郎さんの「尻啖え孫市」 という作品の影響で、雑賀孫一ではなく雑賀孫市とよばれるようになってしまったというはなしを聞きました。後に司馬遼太郎さんは孫市ではなく孫一が正解と訂正しているそうです。
@user-mm5qh7se9c
@user-mm5qh7se9c 4 жыл бұрын
@@user-yukkurikenbu さん 司馬遼太郎の話は、ノンフィクションという名の演出盛り盛り。 坂本竜馬だって、薩長同盟の立会人という話を作ったのはこの人。 その時、竜馬は他の場所にいたのが手紙で証明されてしまっている。 乃木希典を愚将と決めつけたのも司馬遼太郎。 世界初の大規模塹壕戦をやってのけ、第一次大戦の戦術を先駆けた人なのに。 実際、ヨーロッパでの評価は高い。
@user-mm5qh7se9c
@user-mm5qh7se9c 4 жыл бұрын
@@hashi-ws7fm さん まあ、本名の鈴木重秀より雑賀孫市の方がカッコイイとの理由でしょ。
@user-fs3jf7il5i
@user-fs3jf7il5i 2 жыл бұрын
卑怯じゃないと生き残れ無いということですね
@user-or1xf3qp3u
@user-or1xf3qp3u 3 жыл бұрын
小次郎の師匠の冨田勢源は斎藤道三の息子の斎藤高政の前で他流試合したことがあり、その弟子の小次郎の年齢と徳川時代の武蔵とは歳が全然違うという説もありますね、まあ小次郎の師匠は勢源の弟子の鐘巻じさいだとも言われているが、、、まあ当時の正式な文書には数行位しか書かれていないとも言うし、、、
@cappuccinohiron6170
@cappuccinohiron6170 3 жыл бұрын
卑怯と書いて兵法と読むby武蔵
@tawarabunpiti
@tawarabunpiti 4 жыл бұрын
木刀も死ぬし伊達になったりカタワになったりヤバイ。
@gatx1242
@gatx1242 4 жыл бұрын
これ、昔トリビアでやってたなw
@a504035962
@a504035962 4 жыл бұрын
とある殺人事件が、相手が殺されるのを認識しながら殺し合いをしたのが発覚して「決闘罪」が適用されたというニュースが有ったな。
@user-ne9pd1uh5c
@user-ne9pd1uh5c 4 жыл бұрын
バキ道の武蔵は小次郎のこと完全に忘れてましたね( ̄▽ ̄;) 「・・え~~と、普通?弱くはなかったが・・」と言われて脱力した
@sukeyu-5194
@sukeyu-5194 3 жыл бұрын
其後の「俺もホラ、結構沢山やってるし…」が面白かった。
@user-xg4lg5qn7f
@user-xg4lg5qn7f 4 жыл бұрын
個人的には幾つかの疑問 剣術の先生同士の決闘にわざわざ島に行くか? 一人で決闘にのぞみ、武蔵の弟子に殴り殺されただけで、巌流島と呼ばれる様な美談になるか? この話、両方の説どっちも信じ難いんですよね。 立会人が居たなら弟子の介入は防ぐだろうし、決闘後だからとするなら、当時決闘で負けた相手の扱いは許容範囲だったのでは無いかとも思う。
@user-xv9nl2yj1c
@user-xv9nl2yj1c 4 жыл бұрын
決闘罪ってたしか、罰金がめちゃくちゃ安いんじゃなかったっけ(「当時の」数十円のままだから)
@user-qh4bx2rp1d
@user-qh4bx2rp1d 4 жыл бұрын
もう一つのストーリー小次郎はキリシタンで暗殺されたとあり、小次郎の墓に十文字【十字架】の刻印が残されているようです。一方武蔵はその頃、船島【巌流島】にも行っていないとなっているそうな、もう一度調べてください。
@octdan6648
@octdan6648 4 жыл бұрын
てか宮本武蔵の実話ってあるんですかね〜 特に青年期
@MrYomigaeri
@MrYomigaeri 4 жыл бұрын
戦後、初めて決闘罪を適用されたのが私の祖父でした。当時、新聞に大きく出ていたそうです。
@user-op9nk3vk6t
@user-op9nk3vk6t 4 жыл бұрын
何をされたんでしょうか?
@user-rw9lx8ut4f
@user-rw9lx8ut4f 4 жыл бұрын
僕の聞いた話もその内容ですね。付け加えるならば小次郎は武蔵よりかなり年長で富田勢源や鐘巻自斎と小太刀に対しての長刀での打ち太刀の相手をしていたとの事で、かなり高齢で人格者だったそうです。動画の内容のように弟子同士の争いで、小次郎本人は決闘の事は知らなかったらしく、人づての話で武蔵と決闘しないといけない事を現地で初めて知ったらしく、先ほどの漁師が武蔵が先のりして弟子と待ち伏せしてる事を小次郎に告げましたが、知らなかったとは言え、自分の弟子が約束した事は自らが約束したのと同じだと言って、動画内の武士は約束を破ってはいけないといい、不利を承知で島に渡ったという話しでした。
@user-gw9rf9eb2h
@user-gw9rf9eb2h 4 жыл бұрын
イニシャルdのいつきみたいな弟子だなあ
@user-bl8ru5xj4c
@user-bl8ru5xj4c 4 жыл бұрын
武蔵の話は、演劇的に作られた話とは聞きますね。 まあ、最強の男を決めるっていう話の形を作ったパイオニアではあるので、バトル漫画では良く引き合いになるのですがww
@mandamnippon1
@mandamnippon1 11 ай бұрын
既に1対1で正々堂々と決着がついていたのであれば武蔵の弟子たちがあえて小次郎を殴り殺す必然性がないですし、武蔵がなぜ弟子たちを止めなかったのかも不可解です。勝負が決したのは武蔵側の助太刀が参戦して5対1になってからだったのでは?と想像します。
@Ss-gv6gb
@Ss-gv6gb 4 жыл бұрын
された方の名前が付くとはアリキックのようだな。
@thegodkarlgotch
@thegodkarlgotch 3 жыл бұрын
上手い!
@user-eu8hq1wb9e
@user-eu8hq1wb9e 3 жыл бұрын
確かに(笑) イノキキック イノキックでは違和感が
@evorution23
@evorution23 2 жыл бұрын
猪木『アリには沢山払っとるからな』
@user-rt9uo7th1f
@user-rt9uo7th1f 4 жыл бұрын
真実は『武蔵が巌流島で何某と決闘した』が『武蔵が巌流(小次郎)と決闘した』に歪められたのではないか。つまり場所と対戦相手が混同したのだ。このころ小次郎は70代だから決闘するには老け過ぎている。
@user-zr4jw9rg9r
@user-zr4jw9rg9r 4 жыл бұрын
その説の方が新説としては主流だった気がするけど 武蔵がクソ野郎っていう風潮の方がネタになるから、この動画のような説が話題になるみたいだね
@user-wt5dx2mz1k
@user-wt5dx2mz1k 4 жыл бұрын
@@user-zr4jw9rg9r よく考えたら、弟子の頭を冷やすどころか、人斬り包丁振り回して物事を解決するあたり、どっちの師匠もクソ野郎だもんな。 武蔵の方が、キャリア的に多数の有利さを痛感しているだけあって弟子たちを連れて言ったんだろうけど。
@user-gw9rf9eb2h
@user-gw9rf9eb2h 4 жыл бұрын
本当は舟島だし 元々がんりゅうじまと呼ばれていた根拠を資料をあげて言わない限り仮説にもなりませんわ
@user-rt9uo7th1f
@user-rt9uo7th1f 4 жыл бұрын
決闘当時『舟島』と呼ばれていて後に改名したなら『武蔵と小次郎は舟島(現在の巌流島)で決闘した』と歴史に残るはずだ。それが決闘前から『巌流島』と呼ばれていた根拠である。
@daihuku494
@daihuku494 8 ай бұрын
国会で「てめぇー決闘するかコラ」は草
@user-dn9pv2st6e
@user-dn9pv2st6e Жыл бұрын
武蔵島とは呼ばれない。 昭和62年にアントニオ猪木が巌流島で戦うことにより 当時のプロレス週刊誌が今回の動画のような巌流島の戦いを解説していました。
@user-cn7zv5ln1z
@user-cn7zv5ln1z Жыл бұрын
小次郎は片手で刀を回転させる技が得意で、左右どちらの手でも扱えるように、普段から同時に二刀で練習してた。 で、武蔵とは「最初にどちらが当てたら試合終了ルール」で戦い、その片手技で武蔵の肩に斬りつけ、刀を収めたら武蔵が襲いかかり負けた。 って一番古い文献にありますな。ただし佐々木小次郎ではなく津田小次郎。佐々木の名は後の創作。
@stiffels0ear
@stiffels0ear 3 жыл бұрын
あれ、なぜか知ってた。むしろ武蔵は伝説のほうが先行してて、ほとんど弟子の手柄だったとかなんとか
@user-xk4fd2lb4l
@user-xk4fd2lb4l 3 жыл бұрын
タイマンが決闘罪になるとはビックリだね。
@sallysallysarah
@sallysallysarah 4 жыл бұрын
TOKIO松岡の小次郎と新之助(2020年團十郎白猿襲名)の武蔵の巌流島がむっちゃ良かったんだが、諸事情あってMUSASHIは最放映は無い。なんにしろルール丸無視のはっちゃけ野郎のイメージが新之助についちゃったところはある。
@Argento0122
@Argento0122 3 жыл бұрын
こういうあいまいな歴史であーだこーだ言うのも歴史の醍醐味ですね。
@happy-chiro
@happy-chiro 4 жыл бұрын
巌流島に行った時に妻に「アントニオ猪木とマサ斉藤の決闘があったんだよ」とふざけて話していたら、説明文に本当にアントニオ猪木とマサ斉藤の決闘の記述があったので驚いた。
@Tangodown369
@Tangodown369 3 жыл бұрын
UFOが未来人なら見たいと思う。 もし、第三次世界対戦が始まれば めちゃくちゃUFO見れるかも。
@kuwhgenwhetted
@kuwhgenwhetted 4 жыл бұрын
何かのTVで、小次郎がキリシタンで城のお抱えの武士か何かになるときに、城側がキリシタンは不味いって言って決闘を装って暗殺したって言ってたけど、あれ嘘か? 小次郎本人のだったか、妻の墓が十字が書かれていて説得力あったんだけど、全然関係ない人の墓だったのかな。
@user-pp3ov5bs6r
@user-pp3ov5bs6r 4 жыл бұрын
あーそれ私も見たことがある。
@user-gw9rf9eb2h
@user-gw9rf9eb2h 4 жыл бұрын
別の人のコメントに ありました
@sukeyu-5194
@sukeyu-5194 3 жыл бұрын
刃牙の武蔵のせいでかなりのサイコなイメージが。でもあれも最後は結構切ない最後だった。
@ArnoldBo
@ArnoldBo 3 жыл бұрын
ダーティヒーローだね
@user-pt6hd6dg8x
@user-pt6hd6dg8x 4 жыл бұрын
かなりまえにテレビでやってた希ガス
@user-ns3gd2ie6f
@user-ns3gd2ie6f 3 жыл бұрын
初耳( ̄□ ̄;)!! そして武蔵大好きだっただけにショック( ノД`)…
@user-uc7xt7dl5i
@user-uc7xt7dl5i 4 жыл бұрын
バガボンドの落とし所がもっと気になる
@3yamaguchi179
@3yamaguchi179 4 жыл бұрын
いつ連載再開するかの方が…
@happyhappyi1222
@happyhappyi1222 3 жыл бұрын
この話は知ってた
@user-ko5fr3vy3b
@user-ko5fr3vy3b 4 жыл бұрын
武蔵「勝てば卑怯でもよかろうなのだ」(もしかしたら小次郎が手勢を連れてくる可能性を考慮してただけかも、そして弟子が勢いでつい殺してしまったのが真実かも?)
@user-xf5hi2fz6g
@user-xf5hi2fz6g 4 жыл бұрын
それなら島に呼ぶ必要はないのでは?
@user-ko5fr3vy3b
@user-ko5fr3vy3b 4 жыл бұрын
@@user-xf5hi2fz6g うん、よーく考え直すと武蔵が危なくなった時に弟子に助けてもらうためと言う考えに至った…
@user-li2qj4cj6f
@user-li2qj4cj6f 3 жыл бұрын
戦国時代じゃないからね、死ぬのは怖いし確実に相手には勝ちたいし。
@user-vy4th2co6f
@user-vy4th2co6f 3 жыл бұрын
敗戦前の法律って有効なんですか?
@user-hh4wu9tc2y
@user-hh4wu9tc2y 3 жыл бұрын
法律どころか判例ですら有効なものがありますよ
@user-nl2lk5ph6d
@user-nl2lk5ph6d 3 жыл бұрын
何故、武蔵は真剣勝負の決闘に勝ったのに、気絶させただけなのでしょう? そして、小次郎が目を覚ますのを待ったのは、何故でしょうか?そこに、武蔵と小次郎の物語の真実があると思う。
@ricklow3837
@ricklow3837 4 жыл бұрын
細川藩と小倉藩との諍いになるから伏せてるのかな?
@user-yy9np2hl2h
@user-yy9np2hl2h 4 жыл бұрын
塚原、上泉は強かったと思うけど宮本武蔵はフィクションとして楽しむ程度かな。幕末の島田虎之助とかの方が記録の信憑性はありそう。
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 4 жыл бұрын
(私も)そう思います。
@user-kt8yw2wl3u
@user-kt8yw2wl3u Жыл бұрын
結局は「勝てば官軍」なのね🤗
@saikoudemio3960
@saikoudemio3960 4 жыл бұрын
武蔵が勝ったのに弟子がボコって殺すのが意味不明。この時代は決闘=命のやり取りなんかね?
@osaka4city
@osaka4city 4 жыл бұрын
たしか武蔵のころは強いことが第一義でシグルイの虎眼流とかの描写がわりとガチだったみたい。 道場のメンツ的に舐められたら終わりだから試合で自流派に勝った他流の武士の寝こみを襲って殺した話とかもあるし。
@user-yh2wm3yj9i
@user-yh2wm3yj9i 4 жыл бұрын
正々堂々勝ったなら、逃げる必要は無かっただろうからな。
@user-jw2it7hx3j
@user-jw2it7hx3j 4 жыл бұрын
何年か前に諸説ありって番組でも取り上げてたな(・ω・`) その中のはそもそも二人の活動期の年代が一致しないってのもあったんだな、つまり決闘そのものが無かったみたいな
@user-rw5ez8fw3h
@user-rw5ez8fw3h 4 жыл бұрын
決闘断って名誉棄損になるのは草
@user-rh7nb5dq4d
@user-rh7nb5dq4d 4 күн бұрын
宮本武蔵に関しては創作と伝聞や史実が完全にちゃんぽん状態だからねえ。 複数人の功績がごっちゃになっているし。
@ichiropolice
@ichiropolice 4 жыл бұрын
信長も第六天魔王と言われるような極悪非道では無かったという説もあるし、後世によって書かれたものなんて真実からは程遠いものなんだろうね。
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 4 жыл бұрын
ネロ皇帝「せやな」
@user-bm8qv2in8f
@user-bm8qv2in8f 2 жыл бұрын
問題は・・武蔵はある程度その素性が解かっているのに、佐々木小次郎はその素性がほとんど解っていない事だと思います。 武蔵は生きて五輪の書を残しましたが、佐々木小次郎は残念ながら何も残さず、その結果、武蔵の武名は轟き、佐々木小次郎の名は武蔵の引き立て役としてのみ残った。 この差が、武蔵の武名を轟かせるストーリーが知られるようになったものと思います。
@user-nz3fe4gd1e
@user-nz3fe4gd1e 4 жыл бұрын
あれ小田原半の家老の記事があるはず、たしかに弟子が殴り殺したとあるらしい、武蔵20代佐々木小次郎70代とあったはず🤭
@user-yukkurikenbu
@user-yukkurikenbu 4 жыл бұрын
すいませんが、小田原半の半ではなく藩なのではないでしょうか?
@user-nz3fe4gd1e
@user-nz3fe4gd1e 4 жыл бұрын
ゆっくり剣舞 😸
@user-fujikofujiko
@user-fujikofujiko 4 жыл бұрын
巌流島には、今も小次郎が眠っている。
@flstfbs4301
@flstfbs4301 4 жыл бұрын
話の展開のしかたが、くりぃむ上田の蘊蓄みたい。 演劇や講談のストーリーが、時を経て史実かのように認知されるのであれば、光圀は全国を行脚し、吉宗は暴れんん坊だった。と言うことが通説となることもあるのだろうか?だとしたら、数百年後には、戦国武将は実は女だったという認識が常識的に語られることもあり得るのだろうか。 シリーズ化するなら南北朝やって。動画も面白いけど、コメント欄も面白い。
@user-ry6jf6gy2c
@user-ry6jf6gy2c 4 жыл бұрын
巌流島行ったことあるけど、ありえんほど四つ葉のクローバーあって私の中では四つ葉のクローバー島というイメージ
Does size matter? BEACH EDITION
00:32
Mini Katana
Рет қаралды 20 МЛН
아이스크림으로 체감되는 요즘 물가
00:16
진영민yeongmin
Рет қаралды 60 МЛН
Iron Chin ✅ Isaih made this look too easy
00:13
Power Slap
Рет қаралды 32 МЛН
ПРОВЕРИЛ АРБУЗЫ #shorts
00:34
Паша Осадчий
Рет қаралды 6 МЛН
遣唐使の帰還率と生活 道昭 阿倍仲麻呂【ゆっくり日本史】♯4
19:16
樽之介【Japanese history】
Рет қаралды 335 М.
戦前の旅客機が凄かった ゆっくり解説 #56
9:03
樽之介【Japanese history】
Рет қаралды 25 М.
The History of Mainland Southeast Asia: Every Year
15:22
The Dragon Historian
Рет қаралды 232 М.
【しくじり皇帝伝】二世皇帝 胡亥【ゆっくり歴史実況】
13:02
かぐら ゆっくり実況
Рет қаралды 202 М.
【参加レポ】東方の同人即売会!東方名華祭に行ってみよう!【ゆっくり実況】
6:07
日本武尊伝 ~古代日本の英雄~ ヤマトタケのみこと
20:14
まほろばチャンネル
Рет қаралды 305 М.
Spot The Fake Animal For $10,000
0:40
MrBeast
Рет қаралды 130 МЛН
天使妈妈拍到了什么大家吓一跳?#火影忍者 #佐助 #家庭
0:23
Что делать если закрыли на балконе
0:31
Толстый солдат всем отомстил #shorts
1:00