SL踏切を大爆走!!?!
0:12
7 сағат бұрын
Пікірлер
@user-bs5eb8ys2s
@user-bs5eb8ys2s 33 минут бұрын
本や雑誌でしか見た事無いけど、東北本線で荷物・郵便車や雑客、寝台車などを連ねた急行「八甲田」や「津軽」を牽引していた姿は凛々しかった。あれが最後の花道だったのだろう。
@user-vn3xm2hu2n
@user-vn3xm2hu2n 38 минут бұрын
…大宮鉄博のEF-55には、米軍機から喰らった12.7mmの弾痕が有りますね…
@user-xm4ku9vy4f
@user-xm4ku9vy4f 39 минут бұрын
初めて「撮り鉄」をしたのは、当時宇都宮機関区で休養していたEF57「1号機」。 のちに(宇都宮)駅東公園で静態保存されたEF57「7号機」を初めて見た時、前から見た顔つきが全然違うので、兄弟機なのに何故と思ったのは良い思い出(理由は後日知ったのだが)。 保存場所(駅東公園内)は、宇都宮ライトライン(LRT)の駅等公園前停留所から北に徒歩8分。無骨なELを見たい方は是非。
@user-kg8gn1ed2r
@user-kg8gn1ed2r 46 минут бұрын
実機を見たのはただ1回、小5の時に友達と上野駅に特急、急行を見に行った時、福島行125レの先頭に立っていた姿に、魅せられてしまいました。NゲージではEF57を5両保有しています(*^^*)
@tomohikoo8949
@tomohikoo8949 59 минут бұрын
宇都宮東公園に静態保存されているEF57を何度か見に行った事がありますが、無骨さ中にも気品を感じ表情は温和な印象を受けました。走っている姿は見る事が出来ませんでしたが大好きな機関車です。 余談ながら前後に張り出したパンタグラフが魅力のEF57ですがEF56と車体が同じ1号機の調子が良かったという話を聞くと設計変更する必要なかったのではないかという気も・・・。
@toriri-service
@toriri-service Сағат бұрын
唯一リアルで見た『戦前形電機』 デッキ付きの 独特なジョイント音が印象的でした。
@user-qt3mz3kr4r
@user-qt3mz3kr4r Сағат бұрын
忘れませんよEF57!あの張り出したパンタとデッキ、普通列車を引っ張る姿本当によかったですよ。懐かしいですね、上野発13番線普通列車福島行・・・。
@user-ig4qh4dj5z
@user-ig4qh4dj5z Сағат бұрын
宇都宮に居る奴が唯一の生き残り。
@user-xm5ox8bm8y
@user-xm5ox8bm8y Сағат бұрын
カニ25が現役の時は 24系もまだ新しい車両で 女性で例えると10~20代前半の若い女性の中で オバサンのカニ25が居る感じだな 化粧してもオバサンさは隠せず と言う感じ
@タキ1000
@タキ1000 2 сағат бұрын
栃木の宇都宮に保存されているのが👍👍
@user-df3fg3jj1u
@user-df3fg3jj1u 2 сағат бұрын
「カブトムシ」カッコいいよね、特に重連運転の迫力。 12が(田端?)事故廃車なったのが残念だけど😢
@bakayarou4545
@bakayarou4545 3 сағат бұрын
EF58の初期型もめちゃくちゃカッコイイなぁ〜、無骨さが全面に押し出されてる感じがするよ
@user-ze3zr1qb6e
@user-ze3zr1qb6e 3 сағат бұрын
わしトミックスのカニ25をもっておる
@watagasi583
@watagasi583 3 сағат бұрын
訂正。読み上げバグで むこうちょう→むこうまちです。
@user-ym5ky8bq3o
@user-ym5ky8bq3o 7 сағат бұрын
D51 11ぐらいしかナメクジ型見たことない
@user-xl1gg4yb5p
@user-xl1gg4yb5p 7 сағат бұрын
421系にはもともと妻面窓は無い 4分10秒頃の、一部の窓がスリット状の板で埋められているのは床置型冷房装置の設置のため(交流区間専用の冷房。直流区間は門司~下関しかなく、小郡や宇部線直通には使わないと割り切った) 最後まで残った421は、サヤ420だった車両を組み込んだ編成
@se.v4809
@se.v4809 23 сағат бұрын
電気の事さっぱり知らないんだけど、パンタで取った電気を使ってサービス電源用発電モーター回すって驚くほど非効率に思えるけど、なんとか整流器みたいなので変電してサービス電源化する、みたいな事できなかったのでしょうか? 当時の電車はサービス電源どうしていたのでしょう?
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
やっばりMG(電動発電機)を積んでいたでしょう。
@user-if5pn1tg3k
@user-if5pn1tg3k 14 сағат бұрын
昭和30年代当時は直流を交流に変換する方法が発電機を回すくらいしかなかったのです。 直流のままでは車内で使うサービス電源(三相交流)としては使えないので直流モーターを使い交流発電機を回して各車両に給電してました。 コンプレッサーなどのモーター系は三相交流が扱いやすいのです。 三相交流作れば単相交流(蛍光灯など)は簡単に取り出せますし。 1990年代になって半導体素子で大容量の直流>交流変換が容易になった事でSIV(静止型インバーター)を使ったスハ25型が作られるようになりました。 多分以前から205系辺りで実績を積んでいたと思います。 国鉄の電車は長らくMG(モーターで発電機回すやつ)でしたがJR以降はSIVが主流です。 当時冬場にスハ25のシャワー使った経験ありますが温度調節が難しくて泣けました。 あらかじめシャワーカード2枚買っといて事なきを得ましたw
@se.v4809
@se.v4809 11 сағат бұрын
90年代になるまで直流で発電モーター回していたのですね。そう言えば発車待ちの電車も色々音出していましたっけ。 十数量もの寝台車のサービス電源を一手に賄うカニ22の発電モーターが運用に制限をきたすほどの重量になったのも頷けます
@user-bs5eb8ys2s
@user-bs5eb8ys2s Күн бұрын
蒸気機関車も、単機になるとここまで身軽になるのかと、驚きです…
@SleeperExpressJNR
@SleeperExpressJNR Күн бұрын
分割後の電源車として、そして旧世代車からの改造編入車としてはマヤ20って[先輩]がいてこれは在来一般型客車であるオハシ30やスハ32から改造された。ただあくまで簡易電源車の扱いだったため給電能力はマニ20・カニ21の半分程度だった。 一方カニ25はフル編成への給電可能な仕様だった為、稀にはフル編成のしんがりを務めたこともあった(実際深夜の山陽本線を走っていたのを見たことがある)。 カニ22はその発想自体は良かったのだが当時の技術水準では軽量化が難しく、積車重量59.5t、換算6両。軸重15tとあっては最高速度で走行できるのは東海道・山陽・鹿児島(但し門司~八代間)・長崎本線位。[はやぶさ]用に登場するも同列車には殆ど運用されず[さくら][みずほ]など軸重16t許容路線のみの列車に充当されていた。 後年スハ25が登場しこの時は42.5t未満に収まったので苦労は無かったが、許されるならついでに変圧器・整流器も積んで交流電化区間でも架線集電出来る様になっていればもっと増備されていただろうに…(^^);
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
スハ25の頃は増備しようにも寝台特急自体が削減されたいたでしょうね。
@harrier8131
@harrier8131 Күн бұрын
3:25~ 誤:むこうちょう⇒正:むこうまち カニ22が重量オーバーで甲線規格の線路上でしか使えなかったのは、島秀雄が強引にパンタグラフとMGをカニ21に積んだから。(島秀雄は父:安次郎から電気車両についての薫陶を多大に受けていた。他にもD51の設計で軸重問題もやらかしていて、カニ22も秀雄が国鉄を退社した途端にパンタとMGを撤去されている。)🤔
@se.v4809
@se.v4809 23 сағат бұрын
どうせなら動力用モーターも積んで自走できるようにすれば機関車要らなくなったのにw
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
@@se.v4809 余計に走れる路線が限られただろうね。
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
別に鹿児島までだって走れたけど、速度制限があったよね。
@captain-pikasama
@captain-pikasama Күн бұрын
カニ25は実車が少数派であった為長らくNゲージ化されていなかったけど、近年TOMIXから念願の完成品として製品化されてます。因みにTOMIXでは初めて20系ベース車でもあります。 ギミックもカニ24では光らない配電盤も光る等してかなりハイグレードです。
@se.v4809
@se.v4809 22 сағат бұрын
昔は無い車両は改造して作るのが基本だったんだけどね。 ナハネフ22とかも製品化されてなかった頃はナハフの端ぶった切ってナハネくっつけたりとかやってたよ。 テールランプさえ付いてなかったから他からすっこ抜いて付けたり、テールマークの行灯化とかも。 カニ22は難易度高めだけど製品化前から見たな。
@captain-pikasama
@captain-pikasama Күн бұрын
このサヤ420は模型でも過去にマイクロエースから151系フル編成とED72とのセットで発売されていました。 M車は151系の方だったのでED72はT車でした。
@user-lt5ee8ht2r
@user-lt5ee8ht2r Күн бұрын
ウチにカニばっかり写ってる年賀状が来たことがある。 キダ・タロー作のあの曲が脳内で弾けたのは言うまでもないwww
@hisakounosuke2474
@hisakounosuke2474 Күн бұрын
低窓401系、何回か乗ったけど かなりこき使われてる印象だった。特に上野〜取手間の混雑は昼間でも酷かった。
@MrDogpapa
@MrDogpapa Күн бұрын
当時はモータージェネレーターだから確かに重いし。
@user-xt8kx7xg4y
@user-xt8kx7xg4y Күн бұрын
もう一個あった。12系にパンタ載せたスハ25。
@user-xt8kx7xg4y
@user-xt8kx7xg4y Күн бұрын
他にも32系から20系のマヤ20・50系から24系のマヤ24・24系からE26系のカヤ27。電源車は魔改造の宝庫。
@user-tk5tv8hs9l
@user-tk5tv8hs9l Күн бұрын
12系から25系のスハ25も…と書こうとしたらコメ主本人に先に書かれてしまった。😅
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
ちょい改造で魔改造っていつから出来た言葉なのか幼稚っぽい。
@user-qi6bt1bh9v
@user-qi6bt1bh9v Күн бұрын
20系にも、「さくら」等の長崎編成・佐世保編成の分割運転のために、旧型客車を改造した「マヤ20」という“簡易電源車”が存在していました。 ちなみにこの車両は、KATO製品の「20系さくら 佐世保編成」に収録されています。
@se.v4809
@se.v4809 22 сағат бұрын
その無理やりな運用が14系誕生の理由になったのでしょうね。キハネフwの存在はエレガントなコンセプトの20系からは遠ざかりましたが。
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
もともとは、みずほの大分行き(後に富士として独立)で出来たんだけど。
@user-bk1sp2gc8q
@user-bk1sp2gc8q Күн бұрын
カニ25はなぜかトミックスから発売されていて、カニ22はカトーから発売されているのでコンプするには両方買う必要があるという
@Hiroshi-iv4gu
@Hiroshi-iv4gu Күн бұрын
421系版、楽しみにしております。401系とは違う生き方だったので・・
@Hiroshi-iv4gu
@Hiroshi-iv4gu Күн бұрын
電源車なら、14系14型登場前に20系の分割運用のため、旧型客車から改造されたマヤ20がいますね。これはこれで外観が異常というか、編成美もあったものじゃなかったです。
@SleeperExpressJNR
@SleeperExpressJNR Күн бұрын
あれはあくまで付属編成用短区間のみの車輛ということで、遊休保留車の有効活用の意味もあったのでは? (丁度国鉄財政が赤字になり繰越利益も食いつぶし始めた頃合いだったので…)
@user-io8ys2jr1t
@user-io8ys2jr1t Күн бұрын
@@SleeperExpressJNR 初期の運用区間は小倉大分間でしたね。これが短区間か否かは個人の主観ですが、距離は100キロを超えてます。あとマヤ20の誕生は1963年、以降も若干の改造車がありますが、国鉄が単年度赤字となったのは1964年度決算からなので、遊休車の有効活用と一概には言えないと思いますが。。
@toriri-service
@toriri-service Күн бұрын
パンタを撤去した『カニ22』は アイスラッガーを飛ばした『ウルトラセブン』のようで なんとなく間が抜けた印象。 国鉄形で 異端車として生まれると その後は数奇な車生を送る例は この車にも当てはまりますね。 ところで『乙女の祈り』がお好きなんですか?
@toriri-service
@toriri-service Күн бұрын
カニ22→カニ25 「結局俺は 扱いづらい厄介者だったのカニ?」 どうもすいません🙇💦
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
パンタグラフとMG撤去してからでも、彗星やらあけぼので使われていたから大丈夫。
@user-re5id7rl8z
@user-re5id7rl8z Күн бұрын
カニ22に、前照灯を取り付け電気機関車とする自由型をい付いてました。  当時でもNゲージの電気機関車の価格は高く、止むを得ず電源車を電気機関車に改造しました。 多分、GMの動力ユニットを使ったと記憶しています。
@se.v4809
@se.v4809 22 сағат бұрын
運転会とかに持っていって走らせたら笑いを取れたでしょう 前照灯は時代的にいってEF58みたいにおでこに大型のを一灯でしょうか?w テールマークがそのまま前照灯とかだったら斬新w
@zangief2568
@zangief2568 Күн бұрын
なぜ設計の段階で重量計算をしないのか
@se.v4809
@se.v4809 23 сағат бұрын
アホみたいな話に聞こえますよね。 もしかしたら最初は甲線でのみ運用される仕様での設計だった筈が、いつの間にか乙線以下にも入線するような話に... 現代のシステム屋の苦悩に通じるものが。
@tydeentetuota5514
@tydeentetuota5514 15 сағат бұрын
長崎本線でさえ「軌道強化」した上で入線しているし。
@maso_13b-msp
@maso_13b-msp Күн бұрын
こういった多世代の車両を態々改造編入する所が国鉄らしいです 他には足りない先頭車を確保する為に101系を103系化させたりとかね
@user-tk5tv8hs9l
@user-tk5tv8hs9l Күн бұрын
国鉄末期には中間車の先頭車化も盛んでしたね。
@user-mg4oo7mx3f
@user-mg4oo7mx3f Күн бұрын
24系が誕生したのは1973年です。北陸本線、北陸トンネル列車火災を受けて分散型電源方式では万一の時危ないため24系の集中電源方式になったのです。もし北陸トンネル火災が起きていなければ14系寝台車も増備されていたでしょう。ただどちらも20系に比べ安っぽさや梯子が作り付けで車窓が見にくいです。
@hisakounosuke2474
@hisakounosuke2474 Күн бұрын
2世代編入…… 車体更新とか挟めば72系970番台→103系3000番台もそうかな…… JRだとまあ、サハE235系4600番台か。
@toriri-service
@toriri-service Күн бұрын
機関車だったら EF60から改造された『EF67 基本番台』も挙げられますかね? 2世代かはともかく 戦前形オハシ30改造の20系客車の簡易電源車『マヤ20』も それっぽい。
@hisakounosuke2474
@hisakounosuke2474 Күн бұрын
@@toriri-service さん EF67は改造車のみで構成されてるから2世代以上前の「編入」とは違うかも。 簡易電源車マヤ20は元の用途が違うとはいえ、上をいく「編入」ですね。
@akiratan
@akiratan Күн бұрын
14系の2段寝台改良型「15型」が登場して、あかつき運用に入ったのが致命的だった。