『賤ヶ岳の戦い』は織田家の勢力争いから起こった!勝敗のカギを握ったのはアノ武将!?

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Introduce Japan's "Sengoku period" history carefully

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4 жыл бұрын

『賤ヶ岳の戦い』は織田家の勢力争いから起こった!勝敗のカギを握ったのはアノ武将!?
について紹介しています。
~目次~
■清須会議で織田家の今後が相談される
■羽柴秀吉の策謀
■秀吉の長浜城、岐阜城攻め
■賤ヶ岳の戦い(前編)佐久間盛政の奇襲
■美濃大返しと羽柴軍の逆襲
■まとめ
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Пікірлер: 92
@user-rx2cq7dk7z
@user-rx2cq7dk7z 4 жыл бұрын
「前田利家隊が賤ヶ岳合戦で撤退したけど結局裏切りなのか敗走なのか?」とか疑問抱いている人いるけど勝手に戦線離脱してるし味方の援護もしないで撤退だから完璧に裏切り敵前逃亡なんだよね。しかも利敵行為だし。 「家臣が多数討ち死してるし裏切りにしては損害が大きい」とか言ってる人もいるけど、秀吉方の末端の部隊まで前田利家隊が戦線離脱してくれると伝わっていなかったから攻撃された説・勝家方が敵前逃亡をいち早く察知して攻撃を加えた説・敵前逃亡で裏崩れが起きて逃亡する勝家方やそれを追撃する秀吉方に巻き込まれて攻撃を加えられた説が考えられる。 「府中城でも秀吉に抵抗試みた形跡ある」と言う人もいるけど、秀吉方の末端の部隊まで前田利家隊が戦線離脱してくれると伝わっていなかったから攻撃された説なら秀吉に不信感を抱き抵抗する素振りをみせても不思議ではない。 前田利家が秀吉に調略されてたにしろされてないにしろ戦が決着してないのに勝手に戦線離脱した時点で裏切りだ。
@user-bm2em1vf5s
@user-bm2em1vf5s 4 жыл бұрын
確かに
@refine3714
@refine3714 3 жыл бұрын
とんでもない奴〜腰抜け野郎。
@user-vy4ml3zj6e
@user-vy4ml3zj6e 2 жыл бұрын
@@refine3714 前田利家の凄いのは裏切って誰もとらえてないこと!
@user-wl6rl2ei8u
@user-wl6rl2ei8u 2 жыл бұрын
佐久間盛政が率いた軍勢は史料によっては1万5千人。
いずれにしても大軍であり彼らを送り出した柴田勝家には戦局を大きく動かそうとする意図があったことが窺える。
史料で示された「退路の確保」他の史料にも記された「追われる奇襲部隊が追う側の羽柴軍に痛撃を加えた」戦果に加えて『一柳家記』の記述から考えられる奇襲部隊や柴田勝政勢が「大量の矢弾を想定される退路の要所に運び込んだ可能性」から奇襲部隊は初めから撤退戦も想定した入念な準備を行った可能性が考えられる。
この戦いは柴田方が結果的に「羽柴方を堅固な陣地から誘き出して山岳戦に引き摺り込んだ」という見方もできる。 奇襲部隊の善戦はあるいは、こうして退路に配置されただろう部隊=疲労が少ない部隊が奇襲部隊に順次合流し、殿軍を交替で引き受けることで実現したのかもしれない。
対して羽柴軍の追撃部隊は全員が長距離を移動しなければならず特に美濃から戻ってきた主力部隊の疲労は深刻なものだったと推測される。 『太閤記』には、「前田殿の軍勢が茂山にいてくれるから」と佐久間盛政が後退を止めて布陣し羽柴方に決戦を挑もうとしたところへ拝郷家嘉が盛政を諌めてさらに後退すべきだと進言する場面がある。
拝郷が決戦を諌めた理由は「羽柴方があまりに大軍だから無茶」というものだった。
そして羽柴方の大軍に怯えた後方の部隊が逃走し奇襲部隊は動揺して羽柴方に敗北した。
盛政は刑死、拝郷は戦死したので拝郷の諫言の部分は創作の可能性もあるが拝郷が本当に懸念したのは敵だったのか味方だったのか考えさせられる記述である。
奇襲作戦は奇襲部隊の後方を誰かが守る必要があった。
佐久間盛政は(内心は疑いを抱いたとしても)前田勢を信じることが前提の作戦を行った。
そうでなければ神明山方面から羽柴方が進出して奇襲部隊の退路を脅かす事態を防ぐ大事な役割を、別の武将が行うよう進言したはずである。
(北陸で長年共に戦った柴田勝政、拝郷家嘉、徳山則秀など)
@user-bg8pu4iw5m
@user-bg8pu4iw5m 2 жыл бұрын
@@user-vy4ml3zj6e そりゃ柴田方に捕らえる余裕などないでしょう。裏切られ潰走状態だもの。
@user-me3yj3nz9l
@user-me3yj3nz9l 2 жыл бұрын
奇襲部隊は大岩山とその周辺から撤退を開始、数時間後には秀吉が自ら軍勢を率いて追撃戦を始めました。
奇襲部隊は山道を進みながら幾度も引き返して羽柴軍を撃退。夜明け頃に権現坂まで戻り布陣します。
追撃に失敗した秀吉は、賤ヶ岳に留まり奇襲部隊を支援していた柴田勝政の軍勢に矛先を向けました。 羽柴の大軍に対し僅か三千の勝政勢は苦戦したが負傷者を置き去りにせず庇いながら戦い、賤ヶ岳の西にある飯浦坂を進みます。
羽柴軍の猛烈な追撃を受けた勝政勢は追い詰められたが友軍の危機を見た奇襲部隊が出陣して羽柴軍を横撃し、勝政勢を救援しました。 追撃どころか多大な損害を受けた羽柴軍だったが秀吉は諦めず更なる攻撃の準備を進めた。
盛政も勝政勢を迎え入れると撤退どころか陣地に留まる構えを示します。 戦国時代の野戦は、敵に対して有利に戦える場所を押さえる陣取りの棋戦が重要だった。
奇襲部隊が後退を止めて布陣したことは羽柴軍に対して有利に戦える場所まで移動した=勝算を立てたことを意味してますね。
@otaru6042
@otaru6042 4 жыл бұрын
盛政が後世悪く書かれているのは仕方ないですね。賤ヶ岳の戦いで秀吉軍の勝因は前田利家の裏切りなんて当時の人たちはわかっていても記録に残せないでしょうから。
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
もう賤ケ岳は前田利家の裏切りが秀吉の勝因ってしたらいいのにね 裏切りも能力ですからね 開き直ったらいいのに 秀吉との友情がなんたらこうたら って苦し紛れも大概にしてほしいよね 息子利長も豊家裏切って徳川についたんですから はっきり裏切りで得た加賀100万石って堂々としたらいいのにね
@pontaponta3217
@pontaponta3217 4 жыл бұрын
この事実上の裏切り行為のせいで前田利家は好きになれないんですよね…能力は割とあるのに 関ヶ原の秀秋が裏切りのせいで実際以上に貶められてるのに、利家は逆に優遇されてる(大河とか大河とか大河とか(略))のはちょっと納得いかないんですよね~
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
@桜維新 石川県の人は 賤ヶ岳の戦いにはあまり触れてほしくないんですよ(笑) 私は何人か石川県の人を知ってますんで (笑)
@user-rx2cq7dk7z
@user-rx2cq7dk7z 4 жыл бұрын
「前田利家隊が賤ヶ岳合戦で撤退したけど結局裏切りなのか敗走なのか?」とか疑問抱いている人いるけど勝手に戦線離脱してるし味方の援護もしないで撤退だから完璧に裏切り敵前逃亡なんだよね。しかも利敵行為だし。 「家臣が多数討ち死してるし裏切りにしては損害が大きい」とか言ってる人もいるけど、秀吉方の末端の部隊まで前田利家隊が戦線離脱してくれると伝わっていなかったから攻撃された説・勝家方が敵前逃亡をいち早く察知して攻撃を加えた説・敵前逃亡で裏崩れが起きて逃亡する勝家方やそれを追撃する秀吉方に巻き込まれて攻撃を加えられた説が考えられる。 「府中城でも秀吉に抵抗試みた形跡ある」と言う人もいるけど、秀吉方の末端の部隊まで前田利家隊が戦線離脱してくれると伝わっていなかったから攻撃された説なら秀吉に不信感を抱き抵抗する素振りをみせても不思議ではない。 前田利家が秀吉に調略されてたにしろされてないにしろ戦の決着ついてないのに勝手に戦線離脱した時点で裏切りだ。
@user-bv2oy1kr8c
@user-bv2oy1kr8c 4 жыл бұрын
ですよね。 いかに秀吉が親友であったとしても、これは完全に公私混同。 私は、いったん戦場に出た以上、私情に流されるのは愚かだと思っています。 勝家がブラック上司ならともかく、物凄く目をかけてもらい可愛がられていたのだから 尚更です。 しかも勝家は、この行為に対して恨み辛みもなく許している。 どんだけ器のデカい上司なんだ。よくも裏切れたもんだなと。
@norihoshiemon
@norihoshiemon 2 жыл бұрын
ちなみに小早川秀秋は西軍の一員として参加した伏見城攻撃からほどなく東軍に転身して西軍が抑えていた松尾山の砦を前面衝突の前に陥落させているので分かりやすく裏切ったのですが、なぜか鉄砲で脅されて裏切りを実行したように語られていますね。 石川県の人ですけど、賤ヶ岳の戦いの前田軍は裏切りですよ。 勝ち馬に乗る以上に厳しい決断だったとは思いますけど、前田利家とて少人数の部隊長から数千の人を養う立場になったわけで、勝家殿にとことん付き合うのも難しかったんじゃないかな。
@user-is6rt6jc8b
@user-is6rt6jc8b 4 жыл бұрын
七本槍以外にも活躍した武将もおり、石田三成・大谷吉継・蒲生氏郷などなど.... 加藤清正や福島正則は「他と比べられては困る程敵将を討ち取った」と自画自賛してますね だが1番の功労者は前田利家でしょうね、彼らが撤退しなければ、反故にしなければ柴田勝家も充分戦えただろうし
@osamu0727
@osamu0727 4 жыл бұрын
7本槍はかなり自分の部下の首も討ち取ってますね。もちろん殊勲は前田利家だが、三成や刑部だけで十分片が付いた。
@monoris2008
@monoris2008 4 жыл бұрын
小早川秀秋と同じ、いやむしろ明確じゃない分なお卑怯だねw
@user-jc5zr6nv4m
@user-jc5zr6nv4m 4 жыл бұрын
秀吉の完勝かと思っていたけど勝家にも勝機はあったんだな
@user-bu6wn1sd9x
@user-bu6wn1sd9x Жыл бұрын
前田利家は賢い武将だと思いますけどね。恩情だけで飯が食えるなら徳川幕府は開かれないし、大阪の陣もない。個人的にはこの戦いを持って、室町から続くひとつの時代が終わったように思えます。
@gionsyouji5831
@gionsyouji5831 10 ай бұрын
利家が引き始めたのは大勢が決まってから。 2〜3000しかいなかった前田に数万の兵を止める術はない。 留まっていれば全滅は必至。 逃げるのが当たり前。 賤ヶ岳の戦いのMVPは堀秀政。 勝家本隊を通さなかったことで、盛政らは単独行動にならざるを得なかった。 連携できていれば十分に勝機があった。 それをさせなかった秀政が一番。
@shirow5
@shirow5 3 жыл бұрын
大阪の人の多くは徳川家康の極端に嫌ってるイメージがあります。恐らくは秀吉から天下を盗ったやり方がえげつないように感じたのかもしれませんね。 しかしこの話しを観て秀吉をどう正当化するのでしょうね。 いずれにしましても天下を獲るためには手段を選ばずにしゃにむに獲っていかないといけないのではないでしょうか。 良いか悪いかの評価は個人の感情が入って難しくなりますね。
@teto6633
@teto6633 3 жыл бұрын
曲がずっと聴いてられる、なんて曲名だろう。。
@user-mt8jf1lk9r
@user-mt8jf1lk9r 4 жыл бұрын
一度だけでいいから言いたい言葉 『勝手知ったる城である』
@aya-ff1fl
@aya-ff1fl 4 жыл бұрын
前田利家の撤退は酷いですね。いくら秀吉が親友でも恩人である勝家にあのタイミングで敵前逃亡ですからね。そのせいで勝家と盛政の連絡が分断されてしまったんですもんね〜。退去命令に従わなかった盛政も悪いですが利家の裏切りは許せないなー。
@user-db4fo1hh2m
@user-db4fo1hh2m 4 жыл бұрын
本当に退去命令あったの?
@user-wm9yw2lt3l
@user-wm9yw2lt3l 4 жыл бұрын
山城玄蕃 ないだろうなだって撤退するメリットないもん。ジリ貧の柴田方が勝つにはあのタイミングで決戦するしかなかったから。だから前田利家隊の戦線離脱がイタイ
@user-pl7gn2hc7r
@user-pl7gn2hc7r 4 жыл бұрын
ちなみに盛政を戦犯にした太閤記の作者は後に前田家に仕えています、あとは分かりますね?
@user-ch4nj8eh9y
@user-ch4nj8eh9y 4 жыл бұрын
利家も苦しかったと思うね。恩人と親友のはざまに立たされて。
@kawasemi8717
@kawasemi8717 4 жыл бұрын
賤ヶ岳のわんこかわええ(*´ω`*)
@user-vn1kw1sz6q
@user-vn1kw1sz6q 4 жыл бұрын
柴🐶わんこですね。かわいいですねぇ~😍😍😍
@inuinuchiichan
@inuinuchiichan 4 жыл бұрын
立身出世と言えば聞こえは良いが、卑しい人間の乗っ取りとも言える。どうしても秀吉が立派な人間と思えないんだよなぁ
@user-vl2po1lh9u
@user-vl2po1lh9u 4 жыл бұрын
立派で無いのは、受け取り次第だが、悪どさ腹黒さは今より必要とされてたしね。
@inuinuchiichan
@inuinuchiichan 4 жыл бұрын
森田友之 まぁ、おっしゃるとおりで、そういう時代ですよね。下剋上の時代でもありますし。
@yoshii871
@yoshii871 4 жыл бұрын
秀吉が天下を統一したのは事実だからなあ、もし秀吉が統一してなかったらまだまだ戦国の世は続いていたはずだよね。 統一したと言う部分の功績は高いよ。
@user-si3ws3cg8z
@user-si3ws3cg8z 4 жыл бұрын
裏切ることも想定して人事配置を行うのが必須と言えるのかもしれませんが… その意味では明智光秀を丹波の国に置いたのも信長のミスという話に。 しかし、それを想定するのは難しかったように思えます。 前田利家がこうなるのは、予期できた事だったのでしょうか? そういう部分を深堀りした検証動画を見てみたいです。 それと、秀吉による家康の関東鞍替え命令というのは、 素晴らしい人事配置のように思うのですが、 秀吉死後の文治派と武断派の内紛を、人たらしの秀吉は予期できなかったんでしょうか? もしかして秀吉単独での人たらし能力というより、 秀吉周囲の人物、 秀長らの能力も大きかったのかなと、文禄の役以後の政権運用を見ていて感じてしまいます。
@user-hu9wn9gn3u
@user-hu9wn9gn3u 4 жыл бұрын
領地配置は戦功が大きい 明智や羽柴が血と汗を流して獲った領地
@nanana1538
@nanana1538 3 жыл бұрын
織田信雄「」
@user-os4uw6jb6x
@user-os4uw6jb6x 4 жыл бұрын
勝家の指示を聞いて 盛政が隊を下げていたら 最終的には秀吉が勝っていたかも知れませんが、あれほどの大敗はなかったかもですね! 利家の行動も少なからず変わっていたかも?
@user-bo9qj7cp7h
@user-bo9qj7cp7h 4 жыл бұрын
結果論で語りすぎと希望的観測なのでその論却下
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
前田利家は戦のさなかに裏切った、あの小早川秀秋となんら変わらない 離脱だし直接に柴田勢を攻めたわけではないが戦も最高潮となってる時での柴田勢主力の一部を担う前田軍の戦線離脱は戦の勝敗を決定付けたのに変わらないから裏切りと同じ この裏切りの報酬として得たのが佐久間盛政の旧領である加賀・金沢の地 そして息子利長は関ケ原の戦のときにはなんと家康に味方し北陸の西軍諸将を攻める その報酬として西軍についた加賀・小松の丹羽長重の旧領などが加増され100石の大大名となる 親子揃って裏切りや保身で得た加賀100万石、これの何の誇れるものがあるの?
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
@桜維新 なんか友人と恩人の狭間で悩んだすえの苦渋の決断みたいに言われてるけど、どっちにも明確に攻撃できずただ戦場を離脱したただの優柔不断で勇気ないご仁と思います 私は。まだ裏切った?が戦った小早川秀秋が立派と思います。
@745yop6
@745yop6 4 жыл бұрын
裏切っても勝って子孫を繁栄させるか、裏切らずに負けて名を残すか、の選択だろうな。ただ、裏切っても子孫が繁栄できるかどうかはまたハードルがある。事実、小早川秀秋は関ヶ原の戦いの2年後に死に、小早川家は改易になっている。そのあたり、うまく立ち回って子孫を繁栄させた、と言う点では前田家の人、すなわち利家、利長、利常はある意味では優秀だった、とも言える。
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
@@745yop6 確かに優秀ですね 処世術という能力はは戦国No1ですよね 幕末維新のときも日本最大の大藩なのに処世術を発揮して全く何もせず目立たずで(笑)
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s 4 жыл бұрын
そもそも利家は勝家の家臣ではないから 裏切りでは無くね?
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
@@user-co4uy9zu1s 普通に友人関係でも 裏切りはあるから しかもこのときは仲間のふりして軍勢をともにしてるし やっぱ裏切りじゃないかと私は思うね あの裏切り者扱いされてる小早川も石田の部下じゃないし
@user-kl5id6dc9s
@user-kl5id6dc9s 4 жыл бұрын
影として、羽柴秀長が佐久間勢をひきつけている間、羽柴秀吉が到着。戦の勝敗をつけたって感じです。本当に羽柴秀長あっての秀吉ですね。
@user-oc6cr5fi6x
@user-oc6cr5fi6x 4 жыл бұрын
敗れた勝家が北ノ庄城に撤退する際に府中城に立ち寄り決定的な敗因を作った利家と対面した。二人のあいだに気まずい空気が流れたことは容易に想像できるが勝家は決して利家を咎めることはなかったという。勝家の器の大きさがうかがえるエピソードだと思います。
@user-oh8sb6qx5v
@user-oh8sb6qx5v 4 жыл бұрын
秀吉と利家の仲の良さは 勝家も知っていたでしょうし 合戦前にも勝家は利家に対して 「秀吉と戦うのは辛かろう」 と言ってたくらいですから 見てすぐわかるくらい利家も 苦悩してたんだと思いますし あるいは勝家は利家が裏切ることも 覚悟していたかも
@user-jb3yt7td8p
@user-jb3yt7td8p 4 жыл бұрын
ミスターK 柴田勝家を馬鹿にしすぎてて草 よくわからないならよく調べてから語る方がよろしいかと
@osamu0727
@osamu0727 4 жыл бұрын
@@user-jb3yt7td8p どこがおかしいのか指摘できないのなら煽りコメなんかしないほうがいいよw
@user-we7pd5kw2s
@user-we7pd5kw2s 3 жыл бұрын
モーツアルトの生まれかわり 逆にこれまでの苦労を労い仕えてくれたことを感謝してこれからは秀吉に仕えて頑張れと激励したとか こういうのも含めて勝家が好き
@user-oc6cr5fi6x
@user-oc6cr5fi6x 3 жыл бұрын
本当の裏切りとは、勝家の首を秀吉に差し出すことでしょう。 でもそこまでのことをすると、さすがの秀吉も利家を拒絶したに違いありません。 戦線離脱は前田家を残す為に利家が考えに考えて結論を出した最善の策だったのだと思います。
@user-eh6jf3mv8m
@user-eh6jf3mv8m 4 жыл бұрын
好きな番組で声も悪くないけど左手がウザいです
@user-ey2yy9rf3f
@user-ey2yy9rf3f 2 жыл бұрын
どうでもええやんそんなことww
@rosan6179
@rosan6179 3 жыл бұрын
柴田勝家が山崎の戦いの後の領地配分で得た長浜城に本拠地を移していたら、戦いをもっと有利にできたのではないか 北ノ庄では冬に兵を動かすことができず圧倒的に不利
@andykamisama9406
@andykamisama9406 3 жыл бұрын
本拠を移した所で下が出てこれないんだったら長浜で力攻めされて負けやろ
@user-zipangcode81
@user-zipangcode81 4 жыл бұрын
埋蔵金発見されたら、1つ修正してもらおう! 明智光秀より??はあ?? って応え
@user-xc8sl3tn3t
@user-xc8sl3tn3t 3 жыл бұрын
玄蕃尾城で戦ったら違ったかもね
@yh6146
@yh6146 4 жыл бұрын
そろそろ、秀吉本能寺の変黒幕説を検討すべき。
@user-yd5kt2iu6f
@user-yd5kt2iu6f 4 жыл бұрын
秀吉が信長の死後1番得してるから怪しいよね
@user-kg2dc1wp5e
@user-kg2dc1wp5e 4 жыл бұрын
それはありえないと思ってる。秀吉自身敵陣真っ只中で外に毛利軍も控えている中での信長の死の情報が流れるのは危険すぎる。
@yh6146
@yh6146 4 жыл бұрын
「へうげもの」という漫画では秀吉が密かに京都に戻って信長を暗殺した後に光秀の軍勢が本能寺を攻めていた。ちなみにこの企みには秀吉の弟秀長と千利休が加担していた。
@user-uj8gn4jr6y
@user-uj8gn4jr6y 4 жыл бұрын
@@yh6146 漫画を参考にするとかアホか。
@user-co4uy9zu1s
@user-co4uy9zu1s 4 жыл бұрын
秀吉と光秀はグルだと思う で光秀が実行犯で本能寺の変の後 秀吉と協力するはずだったのに 秀吉が突如光秀を裏切った 光秀は多分秀吉が中国地方から帰って来るのは分かってた だけど味方だと思ってたから戦う準備してなくてあっさり負けたんだよ
@taroyosimoto2681
@taroyosimoto2681 3 жыл бұрын
利家が裏切らなくても 勝家の 敗戦は明らか。 利家は自滅するより 生きる道を選んだのでしょう
@user-zc6yx7cz3c
@user-zc6yx7cz3c 4 жыл бұрын
前田利家の裏切りって書き込み多くてw 勘違いが多いけど前田利家は織田家家臣で有って柴田家家臣ではないぞ(信長に任命された与力です) あくまでも『賤ヶ岳の戦い』は織田家の内部紛争です 柴田勝家与力である前田利家が当初柴田家に味方するのは当然だが 勝敗が決まってまで柴田家に味方する道理は無いぞ もしも前田利家が撤退せずに戦っていたら どうなった? 撤退せずに仲間内でさらに殺し合うことに成って居たら、それは織田家にとってマイナスにしかならないよな 繰り返しますが他の有名な戦いとは違い、『賤ヶ岳の戦い』は織田家の内部紛争だと言うことをお忘れなく
@user-ro5sj7bm6w
@user-ro5sj7bm6w 4 жыл бұрын
『柴田合戦記』 ・賤ヶ岳の戦いのすぐ後に成立。著者は大村由己(秀吉の祐筆) ・柴田勝豊が秀吉に降ったのは、勝豊が傲慢な佐久間盛政を嫌っていたため。 ・羽柴軍の砦を襲撃した盛政の活躍と雄姿を絶賛している。 ・奇襲作戦については、それを柴田軍の敗因とは記していない。柴田軍が出てきたことを秀吉が喜んだ描写はあるが、あくまで堂々と決戦しようという意気込みである。 ・秀吉の帰還を知った柴田軍は動揺したが、総大将の柴田勝家は立派な人物だったので将兵は必死に戦い、柴田軍・羽柴軍ともに多数の戦死者が出た。 『太閤記』 ・成立は江戸時代初期。著者は小瀬甫庵(前田家の家臣) ・秀吉と関係ない、前田家が活躍した北陸の合戦も詳細に記述。そのおかげで荒山合戦での盛政の活躍もしっかり描写されている。 ・柴田勝豊が秀吉に降った理由は、『柴田合戦記』のそれに加えて、柴田勝家が問題のある人物だったから。ただし降伏した柴田勝豊を厳しく批判もしている。 ・奇襲作戦の経緯として、織田信孝を救援する手立てが必要となり、山路正国が奇襲作戦を盛政に提案。盛政は賛成して柴田勝家に進言し、その際に柴田勝家から戦果を挙げたらすぐに引き揚げるよう命じられた。盛政は大岩山、岩崎山を奪取した後、勝家に催促されても引き上げなかった。そうしている内に秀吉が近江へ帰還した。 ・ただし撤退戦では奇襲部隊も柴田勝政の軍勢も奮戦したことが詳しく描写されている。 ・茂山に前田利家が布陣していることを頼みにして、盛政は羽柴軍に決戦を挑もうとしたが、続々と集結する羽柴の大軍を見て北国勢の後方にいた部隊が逃げ出した。そこへ羽柴軍が総攻撃を行って勝利した。 ・羽柴軍に囚われた盛政の発言「勝家様の指示通りに引き上げていれば、こんなことにはならなかった。戦果を敗北で失わず、上方勢を侮らなければ~~」 ・盛政は処刑される際、顔色一つ変えず首を刎ねられた。 『太閤記』では盛政の慢心が敗北を招いたが、撤退戦での活躍や敵前逃亡した部隊のことも記されている。 敵前逃亡があったことについて、『太閤記』と同時期に成立したとみられる史料の記述を並べてみる。 『渡辺勘兵衛記』 ・撤退戦で奇襲部隊は善戦。 ・柴田勝政の軍勢は羽柴軍の銃撃を受けて負傷者多数、そこへ羽柴軍が攻めかかったので総崩れに。しかし尾根道の高みに2千ばかりの敵軍が布陣していたので、勝政勢は(友軍を頼みにして)そこで踏みとどまった。 ・両軍は二時ほど睨み合っていたが、急に柴田方が動揺して崩れたので、羽柴軍が追撃して勝利した。 ・奇襲作戦が柴田軍の敗因とは記されていない。 ・『太閤記』には渡辺勘兵衛の活躍も記されており、『渡辺勘兵衛記』の方が先に成立していて小瀬甫庵が参考にしたか、渡辺勘兵衛に取材した可能性が考えられる。 『一柳家記』 ・秀吉は夜通しで近江へ帰還。羽柴軍は翌日の午前3時頃に大岩山へ攻めかかる。 ・盛政はすでに撤退を始めていたが、大軍だったので午前4時頃まで掛かった。奇襲部隊の撤退は速かった。 ・北国軍(奇襲部隊か勝政勢)が雨のように矢を放ち羽柴軍を足止め。盛政は諸将の軍勢を集め、殿軍を務める軍勢を待ち、引き返して羽柴軍と戦うことを繰り返しながら撤退。羽柴軍にとって厳しい戦いだった。 ・やがて盛政勢(勝政勢?)は敗北し、敵味方入り乱れて凄まじい追撃戦が行われた。 ・盛政は敗北した軍勢を収容し、1万5千の軍勢を集結させて辺りで一番高い山に陣取り、決戦の構えを見せた。 ・羽柴軍の先鋒部隊は負傷者が出て疲労もしていたので休息。その間に秀吉が旗本部隊を率いて到着。後続も到着して羽柴軍は大軍になった。 ・決戦が始まり、まず羽柴軍から攻撃を仕掛けたが、北国軍の弓と鉄砲の射撃により羽柴軍に多数の死傷者が出た。 ・藤堂高虎の手勢が北国軍と銃撃戦を行い、さらに(北国軍と羽柴軍が)接近戦をしばらく行っていると、盛政の陣地に何らかの異変があって北国軍は敗北した。 ・その異変とは、馬が暴れて諸将の軍勢が驚いた、喧嘩が起きた、あるいは謀反人がいた、のいずれかである。 ・羽柴軍は勝ちに乗じて追撃を行った。北国軍は敗走したが、引き返して戦い討死した者も大勢いた。 『江州余吾庄合戦覚書』 ・撤退戦における奇襲部隊と勝政勢の善戦振りは、他の史料とほぼ同じ。 ・盛政は事前に撤退することも想定していて、退路に部隊を置いていた。そのため撤退は上手く進んだ。 ・だが(撤退を支援するために配置された)後方にいた部隊が逃走したため、敗北した。 『佐久間軍記』 ・秀吉は柴田軍の陣地を見て、防戦に努めることを決めた。 ・柴田勝家は佐久間盛政、中川の砦を攻め落としたらすぐに戻れと命じた。 ・大岩山を占拠した後、盛政は羽柴秀長の陣を攻めるために現地に留まった。 ・柴田勝政の軍勢が羽柴軍と戦ったとき、何人かが北陸方面へ逃走した。柴田勝家はその様子を見て、盛政に味方の逃走を阻止するよう指示を伝えた。 ・前田利家は軍勢を率いて移動し、柴田勝政に対して「貴公の軍勢は苦戦したので、我が軍勢が替わろう」と言ったが、柴田勝政は断った。前田利家と柴田勝政の兵が喧嘩を起こした。 ・佐久間七右衛門という人物が兵の逃亡を阻止しようとしたところ、騒動になったと記述されている。 各史料で合戦の様子には差異があるものの、奇襲部隊の敗北は羽柴軍の総攻撃を受ける前の自壊から始まり、それは友軍の逃亡により生じた動揺と混乱がもたらしたものであることが分かる。 そこに戦後の事実として、 ・秀吉は前田家に加賀北部の2郡を加増した。 ことも考えると、逃走した部隊とは前田利家の軍勢だったことが推測できる。 そしてこの戦線離脱が原因で、奇襲部隊そして柴田軍は敗北した。戦場から離脱しただけの金森長近は十万石も加増されたりはしなかった。 また逃亡したのが別の軍勢だったなら、前田家家臣の小瀬甫庵は『太閤記』で紛らわしい書き方はしなかっただろうし、あるいは 逃走した部隊を率いた武将の名前をはっきり記しただろう。 こうしてみると「柴田勝家が盛政に早く撤退するよう指示した」や「盛政の慢心が敗北を招いた」という記述も疑わしくなってくる。 ただし『太閤記』を読んだ当時の前田家の人々や著者の小瀬甫庵には葛藤があったかもしれない。 『太閤記』の記述だけでも、前田勢が疑われるには十分だからである。 加賀百万石の繁栄の基礎を築いた偉大な藩祖と二代目の汚点を記すことはできない。敗因は佐久間盛政に負わせるが、盛政の活躍も記す。読者には察してほしい。 なお当時の前田家当主は三代目の前田利常で、当事者だった父と兄は故人で意見を求めることはできなかった。 また賤ヶ岳の戦いは織田家中の内紛であり、合戦当時は前田父子の行動は特に世間から咎められず、江戸時代になってから価値観の変化で問題視されるようになり各史料は曖昧に記述した、という可能性も考えられる。 賤ヶ岳の戦いにおいて、奇襲作戦が成功して秀吉が戻ってくるまでの間、つまり柴田軍が優勢だった時も、山路の他に柴田軍へ戻った武将は結局一人もいなかった。 ゆえに敗因は前田利家・利長父子の敵前逃亡だったことが裏付けられるのである。
@user-zc6yx7cz3c
@user-zc6yx7cz3c 4 жыл бұрын
@@user-ro5sj7bm6w 様 長い!wざっと全部読んだけど苦労したよw では貴方は同じ織田の旗を掲げる軍勢同士でどうすれば良かったと思いますか? 私個人的には前田利家の撤退は柴田家を見限るとしては非常に良いタイミングだったと思いますよ なにせ大軍を指揮統率できてないことを証明しましたから 後から書かれた書物で色々と書かれても この事は致命的すぎてねw 離脱のタイミングは これ以上早ければ北陸で内戦に成り柴田家は秀吉と戦う事さえも出来なくなりますし 遅くなれば秀吉と泥沼のような戦いになる しかし前田家は柴田家の面子も保ちつつ離脱したのですよ 色々と書いて頂きましたが幾つかは私も読んだ事ありまして むしろ最初から柴田家に勝ち目は無かったと私は考えてますよw
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
柴田勢として同陣したんだし結果的にどこをどうみても裏切り 前田が悪いとかじゃなく事実として裏切りですよ
@user-pl7gn2hc7r
@user-pl7gn2hc7r 4 жыл бұрын
前田利家を擁護する人って決まって「勝家の与力だっただけだから裏切りではない」って言うよね 本当に義理堅ければ後々不利な立場になろうと両方に味方しないという方法もあるのに戦いに加わって最悪のタイミングで敵前逃亡して勝家勢の士気を崩壊させてなぜか秀吉が「利家殿のおかげで勝てた」と言い本来は領土安堵が良いところを3倍近くまで加増するという結果があるのに「利家は秀吉の利になるような行動も密約も何もしていないけどなぜか終わってみれば領土が3倍になっていた」と本気で信じているならお花畑もいいところだぞ
@user-fm6jm5dw9e
@user-fm6jm5dw9e 3 жыл бұрын
普通に考えて、羽柴秀吉が、清洲会議で勝つのは当然のこと。逆賊・明智光秀を撃つという大義名分を山崎の戦いで果たした身なのだから、別に柴田勝家には普通に勝てた。よって、ただ、道理を重んじた織田家元来の重臣・勝家くらいが、成り上がり者の羽柴秀吉に後継者を譲るのが許せなかっただけ。よって前田利家が戦線離脱するのは当然。しかし鼻から秀吉を推し、勝家を背くことは武士としてできない。だから、一応、勝家側として戦うように見せ、秀吉の美濃大返しで北陸にやってきた時に、離脱するなんて、下克上の時代普通だよ。今の時代とは違うからね。
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