直接言う東北、婉曲に言う関西。言語行動が違いすぎてビビる

  Рет қаралды 82,563

ゆる言語学ラジオ

ゆる言語学ラジオ

Күн бұрын

お店に入るときなんと言いますか?「診察室に入りながら"けつあつー"となるワケ」「ぶっきらぼうな東北人はコミュ障なのか?」「人文学は、自分に出会う学問」など、前回に引き続き、地域で驚くほど違う言語行動について話しました。
【目次】
00:00 診察室に入りながらの「けつあつー」
06:47 東北人はプライベートに踏み込む?
10:04 細かく言い分けるか使い回すか
16:38 何が失礼になるのかは文化による
24:26 人文学ってなんの役に立つの?
26:39 あなたも人文学を学んで凄まじい善人に
【参考文献のリンク】
○ものの言いかた西東
www.valuebooks.jp/bp/VS005141...
○全国調査による言語行動の方言学
amzn.to/3wjUkdC
【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】
yurugengo.com/support
【我々の初の著書『言語沼』はこちら!】
www.valuebooks.jp/bp/VS005875...
【実店舗プロジェクト:ゆる学徒カフェ】
/ @yurugakuto
【姉妹チャンネル:ゆるコンピュータ科学ラジオ】
/ @yurucom
【Twitterあるよ!】
ゆる言語学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください!面白語源ネタなどが流れてきてあなたの知識欲が満たされます。
→ / yuru_gengo
【おたよりフォーム】
forms.gle/mTGM7A9QNqgjZMgN7
※皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!
【お仕事依頼はこちら!】
info@pedantic.jp
【堀元見プロフィール】
慶應義塾大学理工学部卒。専攻は情報工学。理屈っぽいコンテンツを作り散らかすことで生計を立てている。
Twitter→ / kenhori2
noteマガジン→note.com/kenhori2/m/m125fc452...
個人KZfaq→ / @kenhorimoto
【水野太貴プロフィール】
名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で雑誌編集者として勤務。言語学の知識が本業に活きているかと思いきや、そうでもない。
Twitter→ / yuru_mizuno
【BGM提供】
・フリーBGM・音楽素材MusMus様 musmus.main.jp
・OtoLogic様 otologic.jp/
#言語行動 #ゆる言語学ラジオ_言語行動

Пікірлер: 378
@yurugengo
@yurugengo 2 ай бұрын
【参考文献のリンク】 ○ものの言いかた西東 www.valuebooks.jp/bp/VS0051415930 ○全国調査による言語行動の方言学 amzn.to/3wjUkdC
@hermitlogger
@hermitlogger 2 ай бұрын
大阪の会社員 「それ、してくれてもええで」 東北の大学生 「はい」(なにもしない) 大阪の会社員 「それ、やってくれてもかまわへんから」 東北の大学生 (少し考えた後私に向かって)「『してくれてもええ、やってくれてもかまわへん』というのは『やれ』っていう意味なんですね?」 私(大阪人だが東京と仙台にいた事がある) 「そう、関西は婉曲表現多いから」 こういう会話をしたことがあります。
@user-nn8gk1sh5k
@user-nn8gk1sh5k 2 ай бұрын
あ~。子供にお昼ご飯後とかに「お皿洗ってくれてもいいんじゃよ(自分の使った分は自分で洗え)」っていってるわ
@jojo-xp6zc
@jojo-xp6zc 2 ай бұрын
だから関西人性格終わってんだな😁
@ikunoisetnk
@ikunoisetnk 2 ай бұрын
生まれも育ちも大阪、父方母方ともに大阪定着3代目だがそんな言い方はしたこともされたこともないな。 大阪でもわりと土地柄はありそう。(文化圏的には船場・中河内のハイブリッド)
@jojo-xp6zc
@jojo-xp6zc 2 ай бұрын
あれ、コメント消したんか😁 効いちゃったかーwww
@mnancyi
@mnancyi 2 ай бұрын
私は兵庫県出身の30歳女性です。宮城県出身の夫と一緒に住み始めたとき、「おはよう」と言ったのに「うん」と返されて心が折れ、以来「おはよう」と言えなくなったことを思い出しました!!! そしてついこの間は、「●●(私)ってめっちゃ『ありがとう』言うよね?そういう教育受けてきたの?」と夫に訊かれたばかり…。 いつも楽しく拝聴していますが、前回・今回と刺さりすぎたので初めてコメントしました。これからも応援しています!
@hermitlogger
@hermitlogger 2 ай бұрын
私の祖父は「奈良県の田舎町で暮らす唯一の東北人」でしたが、町の人々からかなり好意を持たれていました。その理由は私から見ると「ベラベラと回りくどい婉曲表現で会話する」奈良人の中にあって「朴訥な東北弁でボソッと短く直接的な表現で会話する」祖父に、町の人は信頼感と面白味を感じているからのように見えました。
@user-bn7jl8wv6p
@user-bn7jl8wv6p 2 ай бұрын
奈良県民が妙に人懐っこいっていうか、ある。
@hdhduwhvwhxhbd
@hdhduwhvwhxhbd 2 ай бұрын
@@user-bn7jl8wv6pどういう意味?
@user-vy2pr2ku1n
@user-vy2pr2ku1n 2 ай бұрын
​@@hdhduwhvwhxhbd 京都人大阪人に較べると、奈良県人がそもそも朴訥と関西圏では思われてる、っぽい。
@steroidbody
@steroidbody Ай бұрын
まあ、関係無いでしょうね。 人柄ですよ。 同じように振舞っても嫌われる人は嫌われますから。
@ijimayun_algl
@ijimayun_algl 2 ай бұрын
IKKOがけつあつ~!って言いながら入ってきたらみんな笑顔になるのにな
@zomzon8274
@zomzon8274 2 ай бұрын
ケツ熱〜┌(┌^o^)┐
@deadfuldisco6347
@deadfuldisco6347 2 ай бұрын
ひらがなだと一瞬読み違えそうだったどんだけ〜!
@hiroya1192
@hiroya1192 2 ай бұрын
人文学は自分学なんだ 夫がどんなに雨降ってても傘刺さないで憤慨していた妻が、ある日テレビの景色で夫の出身の沖縄県民は傘ささないのをみて納得行った話を思い出した。
@user-yo4ud4yh9z
@user-yo4ud4yh9z Ай бұрын
事前にわかってて傘持ってるならさすけど、急に来たやつは時折雨宿りしながらささずにいることが多いと思う 特に子供とかね
@user-vp8bg1vp9h
@user-vp8bg1vp9h 2 ай бұрын
下総出身です。昔、祖母から電話がかかってきた時、 私「はい、もしもし○○です」 婆「いも」 私「……は?」 婆「大学いもこせたからこ(大学いもつくったからおいで)」 というような会話がありました。もしもしなどの前置きなくいもとだけ言われたのが未だに忘れられないです
@tanmiki3287
@tanmiki3287 2 ай бұрын
50の東北人です。子供の頃、個人商店に入るときは「くださーい」と言って入店してましたね。
@norikosato7823
@norikosato7823 2 ай бұрын
67歳の東北人ですが、うちの方では「もーおーし」(多分「申します」の略)でした。
@user-rf5dw9wj2q
@user-rf5dw9wj2q 2 ай бұрын
おもしろいですね(笑)
@user-gx8sw9tk9h
@user-gx8sw9tk9h 2 ай бұрын
40代の東北人ですが子供の頃は「買ーうー!」でした
@100EIZO
@100EIZO Ай бұрын
そういえば、古い漫画かアニメか童謡かで、女の子が「くださいな」と店に入っていくのを見た気がする。 47になる九州人ですが、私にはそういうのありませんでした。
@a.kataoka2917
@a.kataoka2917 Ай бұрын
高知人です。これが西日本全域なのか、高知なのか、あるいは私の家庭の言語行動なのかわかりませんが、相手に「何かをするべき/してはいけない」ことを指摘する際に、直接「〇〇せられん(してはいけない)」「〇〇しいや(するべきだ)」という風に言うのは失礼という感覚があります。相手の行動に介入するのが良くないと考えるからなのでしょうか? なので、実家や地元の友達の前では例えば、トイレの電気が点きっぱなしになっていたら「誰か今からトイレ使うが?」と聞きます。 もちろん使うだろうとは一切思っていませんが、そうすることで「あなたはトイレの電気を消すという行為を心がけなければならない」という風に干渉するのではなく、相手本人が「おっ、消すのを忘れていたかもしれない」と気づくのを促すことができます。 しかし、東京出身の妻にそれをやると「それって嫌味なの?」と言われます。失礼を避ける為の言い回しが地域によっては逆に失礼になると言うのは面白いなと思います。
@borley1211
@borley1211 2 ай бұрын
5:31 堀元さんが店頭では初手ワンクッションを置くのにDMだと端的に話してほしい件、矛盾してるよなぁ〜と思いつつ共感があったので考えてたんですが、これもしかするとテキストチャットとボイスチャットの特性の違いが影響してるかもな〜と思いました。 音声のラリーは、自分と相手の間にまとまった拘束時間を設けて目的が達成されるまで話すので、時間はかかるが拘束される回数は少なく済む。 一方テキストチャットはチャットがひとつ来るごとに少しずつ拘束時間が生まれるので、個々の返信にかかる時間は短いが拘束回数が増えやすく、それに伴って集中が切れやすい。 となると、声で話したいときは「今まとまった時間をもらってもいいか」を確認するために先攻1ターン目は軽い挨拶にしたいし、テキストなら「どうせなら集中切らす回数を少なくしたいから用件ドカンと書いてくれや」と感じる…のかなぁと。
@100EIZO
@100EIZO Ай бұрын
仕事で電子メールやり取りしてての感想だと、口頭に比べて、やり取り頻度が少ない・やり取りに時間がかかることが原因だと感じている。 5秒10秒単位で頻繁に意思や理解を確認するわけにはいかないから、要件を整理して、明確にする必要がある。 やっぱり口頭、できれば対面の方が、相手の声に加えて表情もわかるし、相談なんかはやりやすいなあ。
@user-MI1234
@user-MI1234 2 ай бұрын
お店に入る時は何も言わない東の私でしたが、西の友達が「こんにちはー」と入っていくのをステキだなと思ってから私も「こんにちはー」と言うようになりました。❤
@fenceryt6403
@fenceryt6403 2 ай бұрын
道場破り「頼もう!」←これ
@leomt1314
@leomt1314 2 ай бұрын
ドラえもんで「やった!」って表現多いのめっちゃ分かる 昔はこんな言い回ししてたのかなーって思ってた
@yuo9
@yuo9 2 ай бұрын
「やった!!」と「~かしら」「~かしらん」が違和感でした。
@user-gv4jf2cw6b
@user-gv4jf2cw6b 2 ай бұрын
子供の頃、海外の日本人学校にいましたが、先生も子供も日本全国からやってくるので、日本語の違いがめちゃめちゃ面白かったです。
@chihoshi1315
@chihoshi1315 2 ай бұрын
わたしもです ジャンケンポンもいろいろバリエーションあっておもしろかったなあ
@ringo2872
@ringo2872 Күн бұрын
私もです。特に秋田の先生と京都の同級生のやり取りが面白かった
@TakoyakingJr
@TakoyakingJr 2 ай бұрын
最後の人文学のお話で、高校の日本史の先生が初回から2コマも使って御自身が小学生の頃から今に至るまでの歴史を話し始めたことを思い出しました。 なんでこの人はこんな詳細な自己紹介をするのだろう、と思っていたら最後に「では、僕のこれまでの人生を時代区分してみましょう」と言って、先生自身の人生を古代中世近世近代に分け始めたんです。 歴史学とか人文学は、ただその場だけのものではなくて、人間普遍の法則を見いだしたり、逆に違いを見つけたりするものなんだと知って、すごく感動したことを覚えています。
@show-you_snowman
@show-you_snowman 2 ай бұрын
「人間は複雑な変数で生きている」 理解できているようでまだまだ解像度が低かった事を、この2回を通して学べました。
@uminos
@uminos 2 ай бұрын
東北出身の父と関東出身の母を持つ東北県民ですが、このシリーズは両親の会話で感じるディスコミュニケーションの理由が紐解かれるようで興味深いです
@user-mb9uc8rp5l
@user-mb9uc8rp5l 2 ай бұрын
そういえば「プロトコル的会話は要らない」って強く主張してる人いましたね
@karlwkym
@karlwkym 2 ай бұрын
「手がもう1本生えるならどこに生えてほしいか」くらい実りのある話をしないとね
@norikosato7823
@norikosato7823 2 ай бұрын
「プロトコル的会話」って、例えばホテルの部屋の冷蔵庫から瓶ビールを出して飲もうと思ったら栓抜きがなかった。それでフロントに電話して、「栓抜きを持って来い」と言う代わりに「何で栓抜きがないんだ?」と言って、「栓抜きがないのはこれこれこういう理由です」という返事ではなく「申し訳ありません、すぐお持ちします」という返事を期待するような会話のことでしょうか?もしそうなら、私もプロトコル的会話は廃止してほしいです。
@mm-sz6gd
@mm-sz6gd Ай бұрын
@@norikosato7823分かりやす!このコメントのおかげでやっと「プロトコル的」のイメージがしっくりきました。 ありがとうございます。
@norikosato7823
@norikosato7823 Ай бұрын
私の返信へ反応してくださったみなさんへ。「ゆる言語学用語集」というページによると、プロトコル的会話とは、「コミュニケーションを円滑に必要な決めごとのような仕方のない会話」とありました。私はとんでもない誤解をして、それにみなさんを巻き込んでしまったようです。どうももうしわけありません。
@user-hr7ep1qy5t
@user-hr7ep1qy5t 2 ай бұрын
人文学や言語学は、医学や生物学と同様に他者へ寛容になるための学問だと思います。 例えば、隣にいる人がいきなり暴れ始めたとして、医学が発展していない頃はヤバい奴と思われていたことでしょう。しかし、医学が発展した現代では"てんかん"という本人の意思とは無関係に起こる異常な筋収縮が認知され、「本人がヤバい奴だから暴れている」と思われることはほぼ無いでしょう。医学や生物学により人の体質や疾患が分かり、他者への寛容が生まれるということです。 そういう意味ではカバーしている範囲は違えど人文学や言語学もそうです。その人のコミュニケーションの取り方がヤバい様に見えても、人文学や言語学を紐解けばヤバい訳ではなかったと。その人の簡単に変えるのが困難な、染み付いた文化や経験でそうなっているだけであると。そういう風に寛容を生めるのだと思います。 ちなみに、宮城県では「部落」という言葉を普通に使うのですが、とある学校で「部落対抗リレー」なるものを行ったら東京から来た先生にドン引きされたって話がありますね。これは別に宮城県の人がヤバいからそうなった訳ではないです。
@isamich1535
@isamich1535 2 ай бұрын
茨城県でも昔は普通にやってましたね。
@megmilk1393
@megmilk1393 2 ай бұрын
熊本県の小学校も運動会で部落リレーがありました。在学中に地域リレーと名称変更されました。
@user-uw7pz4fb2m
@user-uw7pz4fb2m 2 ай бұрын
どーもくんの名前は、「どーもどーも、ああ、どーも!どーも!」ってどーもフル活用で電話している人を見て「『どーも』って万能だな」って思ってつけたと作者インタビューで見ました(作者の合田経郎さんは東京出身)
@user-df3ir9qc6v
@user-df3ir9qc6v 2 ай бұрын
東京人ですが 子供のころおみせやさんに、入るとき「くださいなー」て、声かけてました
@user-nm3xp9uy5k
@user-nm3xp9uy5k 2 ай бұрын
そうですね。昭和30年生まれですが、店に入るときは原則「くださーい」でした。知り合いの店だと「こんちわー」でしたかね。
@csny0627
@csny0627 2 ай бұрын
ちょうだいなー、と云うのは女の子が多かったかな
@sonnnabakana
@sonnnabakana 2 ай бұрын
「なんでそんなに聖人なんですか?」 「人文学をフォローしてるから」
@bobonaga2085
@bobonaga2085 2 ай бұрын
最近、人と関わるときにイライラすることが増えていました。今日の話を聞いて少し謙虚になれたと思います。他人の背景に思いを馳せることができました。ありがとうございます。
@Kokaji_ENL
@Kokaji_ENL 2 ай бұрын
『徒然草』141段で、悲田院の尭蓮上人が「あづま人こそ、言ひつることは頼まるれ、都の人は、こと受けのみよくて、実なし。」という東国人の都人批判に対して再反論したエピソードを思い出します。
@unchainoz1
@unchainoz1 2 ай бұрын
両親が東北人だけど子供の頃駄菓子屋とかに入るときの第一声は「くださいな」だったな
@user-rt4bw8vt4v
@user-rt4bw8vt4v 2 ай бұрын
群馬県です。子供の頃、駄菓子屋に入る時の言葉は「おーくーれ」でした。いとこの町では「売っとくれ!」でした。
@KAMIYAMIKA
@KAMIYAMIKA 2 ай бұрын
辞書部屋チャンネルの見坊行徳さんの「三省堂国語辞典(サンコク)から消えたことば辞典」より ちょうだいな[句]東京で、子どもが商店に行って物を買う時に言うことば[解説]駄菓子屋などで挨拶の様に聞かれた。類例に「下さいな」 サンコクさん、こんなのも立項してたの?という、死語だけじゃない面白い辞典 またコラボして欲しいけれど、お忙しそう… 辞書部屋さん、更新してよ… ここで嘆く…
@MizuhoFurukawa
@MizuhoFurukawa 2 ай бұрын
北海道民ですが、買い物して会計終わったときに、ありがとうございますは丁寧すぎて恥ずかしい感じがするので、どうもって言います。
@CHIKARAMOCHI
@CHIKARAMOCHI 2 ай бұрын
333回目おめでとうございます!
@umitz1729
@umitz1729 2 ай бұрын
「どうも」の万能性、「すみません」に通じるものがありますね
@TANAKA_YASUHIRO
@TANAKA_YASUHIRO 2 ай бұрын
1:15 不祝儀は「ブシューギ」っていう謎の格闘技みたいな読み方ですね🪓
@yurugengo
@yurugengo 2 ай бұрын
知らなかった! 初見殺しすぎる…(水野)
@ilzamact
@ilzamact 2 ай бұрын
ブズーキという民族楽器なら心当たりがあります
@coprot4087
@coprot4087 2 ай бұрын
「婉曲に言う関西」って言うと、京都のぶぶ漬けをイメージする人がおるかもしれんけど、実は大阪も婉曲に言う文化はある 例えば料理が来るのが遅い時に「まだ釣ってんのとちゃう?」とか言うのは代表例かな
@norikosato7823
@norikosato7823 2 ай бұрын
それは婉曲表現じゃなくて冗談でしょ。東北でも言いますよ、「今田んぼ耕してるところだから」とか。
@pa6023
@pa6023 2 ай бұрын
婉曲というよりは、古典的ギャグな気がする…笑 岐阜ですが、僕の唐揚げ定食が全然来ない時に、「今裏でシメとるんやわ」というのを聞いて、子どもの頃に「よし、見に行こう」って言って厨房に入りそうになって親に叱られたのを思い出しました。
@MINe-xb4rd
@MINe-xb4rd 2 ай бұрын
冗談やギャグにする=直接的な表現ではない=婉曲にするってことだと思った
@jk770415
@jk770415 2 ай бұрын
でも実際関西の人って本音を隠してるよね
@YK-fv1wn
@YK-fv1wn 2 ай бұрын
一応不満を表してるけど角が立たないようにとか、悪い雰囲気にならないように面白く言うんですよね。親戚が大阪にいるのでそういうのもわかります。
@hiiragikifuyu
@hiiragikifuyu 2 ай бұрын
階級が無くなり、性別による役割は生物学的なものですら分けることが好ましくないとされ、社会から"自分"という役が定義されなくなって、アイデンティティが不安定になっているからこそ、水野さんの言う、自分と出合い直すという人文学って重要だなと思いました(覚えてないけど、これはコテンラジオで言ってたことかも)
@user-xm5il7lm1e
@user-xm5il7lm1e 2 ай бұрын
東北人ですが、「あちゃー」はマイナスの印象が強いですね。「ありゃ」「あや」は標準語だと「あら」くらいのイメージです。
@seiya6242
@seiya6242 2 ай бұрын
昔の関西生まれの彼女が、朝ドラの東西で「東京舞台になるとテンポが遅い。3拍子で成立するところでいつも4拍子かかる。」と言っていました。 関西の方がニュアンスの使い分けで情報量が多いのかもしれない。
@ATI_PC
@ATI_PC 2 ай бұрын
前回の配信のコメント欄で、東北人以外の九州の方からも、結構擁護するコメントが有りありがたかったです。言わずと知れた柳田の周圏論的な近さもあるのかも知れない。 京都の方の所謂ぶぶ漬けのような婉曲表現が多いってのはその通りなのかも知れないが、東北に婉曲表現が無いって話も、どうなんでしょ??? 仙南弁では「たからもの」=「バカモノ」、「さすけね(差しつかえない)」=「気にするな」 という婉曲気味のも有ったりするので、語彙自体がかなり標準語から逸脱したものは、研究者にきちんと拾われているのだろうか?と思ったり。。 (〇〇じゃない、という表現も実は婉曲の内の一つなので、代替語が現代語にない場合は、見逃されていたりしそうな気はします。。) どちらかと言うと、中央よりも古語的な表現が多く残っている印象もあるので、言い換え表現として捉えきれていないような? (「くださーい」とお店に入るのも、それを「挨拶」と認識しないとあってないが如しで。。英語のGood Morningは直訳すると良い朝ですが、これも「おはよう」に代替して翻訳しているだけですし、I wish が接頭に省略されていると考えると良いという話もあります。これも文化的差異で慣用句化しているから拾えることで。。) 例えば、「貴様」が現代では「お前」という意味で"良くない"ように受け取られるように、時代が経つことで意味が変化してしまっている事が齟齬原因に成っているような表現もあるように感じます。。 「食え」ってのを「食べろ」と現代直訳すると強気で相手に干渉的に見えますが、「食べてください」「(食べたら)美味しいよ?(お勧め)」的な意味も含んでしまっているような時もあります。(身内に使うので、やや省略が過ぎるとも思いますが。。) 語訳でニュアンスまで拾い切れていない感覚はあるかも知れません。。
@aiuo3123
@aiuo3123 2 ай бұрын
福島出身で大阪で働いていたことがあります。具体例では当てはまらないこともありますが、根幹の表現(の考え方)では水野さんがお話されていることのすべてがわ、わかる、、、となりました。語彙と知識がなくてきれいな説明はできないのですが、、、 参考文献も絶対おもしろいので買います。
@user-fractal-log3.log2
@user-fractal-log3.log2 2 ай бұрын
楽しみに待っていました
@rico_s1226
@rico_s1226 2 ай бұрын
24:35 この質問をするのはナンセンスだと思いますね。理系学問でも学問とは役に立つからやるわけではないっていう言説の方が納得いく。知の探求は短絡的な利便性に寄ると悪い方向にいってしまう。そういう意味では自分を知るためという水野さんの言葉には人文学以外にもしかしたら通じるのかもしれませんね
@user-fe3vn9wr1f
@user-fe3vn9wr1f 2 ай бұрын
50代の岩手県人ですが、子供のころ駄菓子屋に入るときは「もーしー」と言って入ってました。
@user-vg2ix3qx8s
@user-vg2ix3qx8s 2 ай бұрын
13:14次の水野’s mistake award決まったな
@user-fh1qi1mt3r
@user-fh1qi1mt3r 2 ай бұрын
このボンバーマン… 😆
@user-uj7dq7zg8x
@user-uj7dq7zg8x 2 ай бұрын
自分の出身京都で、彼女が福島です ご飯屋さんで提供してもらう時に自分はありがとうございますって言うのに対して彼女はどうもって言うのに違和感を感じていたけど腑に落ちました!
@user-zm6dx7dg6i
@user-zm6dx7dg6i 2 ай бұрын
京都と大阪のイメージは、かなりケンミンショーで印象操作されてますね。 みんなサービス精神旺盛なんで、カメラの前やと相手が求めてるプロトタイプを演じきります。 当方京都の生まれ育ちですが、他人に対しては、確かに建前として婉曲表現や前置きをかなり使いますね。 大体の場合、それだけで伝わるし、その方がお互い角が立たないですし。 一方で、親しく距離の近い相手に対しては、ズバズバ言います。本当にズバズバです。
@sanjohtrafficrailroads5411
@sanjohtrafficrailroads5411 2 ай бұрын
大阪人ですが概ね同意。 >「親しく距離の近い相手に対してはズバズバ」 マジでそう。
@user-seidoutatemekamen
@user-seidoutatemekamen 2 ай бұрын
よほど親しくならないと信頼おけないってことか
@YK-fv1wn
@YK-fv1wn 2 ай бұрын
わかります。京都府民ですが同じ意見です。普段すごく気を使ってるし、誰にでも冗談が通じるとも思ってないので強くいう相手はかなり選びます。おもんないっていうのも冗談でいうことあるけど、許されるノリの相手だけですね基本。自分にとって重要な問題のときはそれに対して意見いうときはあります。
@geidai1017
@geidai1017 2 ай бұрын
自分が大阪人、母が京都人です。 概ね同意ですが、関西は歴史が古いんで、府内ではもちろんのこと同じ大阪市内・京都市内でさえかなり地域差が激しいと思います。
@kimiyoshi_kotoh
@kimiyoshi_kotoh 2 ай бұрын
最後の方の、人文学とは何か、という問いの水野さんの答え、納得できるなぁ。 自分も大学は人文系で、簡単だけど民俗学とか哲学とか、言語学とか歴史学とか宗教学とか齧ったけど、だかこそ世界は広いこと、色々な考えや信仰があること。大事にしてることが全く違うことを知れた。 だからこそ、自分を作ったバックグラウンド、この文化を好きになれた。 東京に憧れることは確かにあったけど、自分を作った名古屋という土地に恩返しというか、自分の信仰に殉ずることを選んだ。経済学とか社会学とか、いろんな手段で僕を否定することは可能だけれど、自分を肯定することができたのは人文学だった。 全ての人がそういった体験ができるとは思わないけれど、人文学とはそういう学問だ、かもしれませんね。
@user-pt9ix3dm5n
@user-pt9ix3dm5n Ай бұрын
うちの母は子供の頃、駄菓子屋に入るときの挨拶が「かーうー」だったそうです。店主は「うーるー」と応じるそう。 ちなみに買わずに見るだけの時は「みーるー」と言って店に入ったと。(秋田県民、60代の母です) 秋田弁には古語も多く含まれております。閉鎖的な田舎である分、言語や文化も昔のままなのかも。
@westmountain5428
@westmountain5428 2 ай бұрын
人の見方が広がった!このシリーズあたりです!
@koufukuoka4675
@koufukuoka4675 9 күн бұрын
相変わらず二人のテンポの良さに爆笑しています、60代博多からです。 と云っても東京育ちなもので「べらんめぇ口調」も知りつつ、商店に入る時は「くださいな~」でした。 親戚や仕事仲間の博多弁で「○○しちゃらん?」と言われた時、命令口調?と感じたがそうではなく「○○してくださいな・してあげて」的なニュアンスでした。 掘元君の「冷やかしなら~」は昔は店と客は対等で「買わないなら邪魔だ」がまぁまぁ当たり前でしたね、店内が狭かったせいもあるし群がる子供の数も多かった。 因みに三波春夫の「お客様は神様です」の意図は「歌を披露するときは、神前にある気持ちで歌を披露しないといけない」で、それが誤解釈され客側をつけ上がらせる現在の風潮になったのでしょう。 お店側も同じ市民です、謝意は忘れずにいたいですね。
@user-pd1ee5tn5t
@user-pd1ee5tn5t 2 ай бұрын
山形です(*゚ω゚)ノ 中でも私は田舎の集落で子供の頃、駄菓子屋さんに入るときは 『ピーンポーン』のような音階で 「買ーうー♪」と大きな声で言って 入っていました(*´`*)なつかしい❤️
@ひぐまびっち
@ひぐまびっち 2 ай бұрын
東北人「ぶぶ漬けうめーおかわり!」
@user-lz7jj5nw2j
@user-lz7jj5nw2j 2 ай бұрын
検討を加速させたんですね(懐)
@user-dr6cv7jx6y
@user-dr6cv7jx6y Ай бұрын
東北出身で関西に引っ越したときに両親が「こっちの人はお店でありがとうって言う人多いよね」って話していたのを思い出しました
@0418haruna
@0418haruna 2 ай бұрын
人文学の有用性はまた、美術系を志す人の有用性にも重なり うれしく拝聴しました。
@yunonta
@yunonta 2 ай бұрын
接客業していますが、いきなり用件を話されると聞く体制を取れていないので音声は聞こえますが内容まで聞き取れないんですよね なのでもう一回言ってもらう手間が発生しますが すみません、のワンクッション挟まれると聞く体制になってるので内容が理解できます それに対して文章の場合はワンクッションなくても読めますので、余計な手間を省くという点で一貫している気がします
@mudaso-heavy-user
@mudaso-heavy-user 2 ай бұрын
楽しみに待ってました
@テキシコ
@テキシコ 2 ай бұрын
たのまち!
@NINGEN.12
@NINGEN.12 2 ай бұрын
誇張した東北の人
@tsuyuki007
@tsuyuki007 2 ай бұрын
ぼくも!
@Pepe-dn4od
@Pepe-dn4od 2 ай бұрын
奇遇ですね、僕もです😊
@tsicsafjapan9371
@tsicsafjapan9371 2 ай бұрын
たのまち
@user-ev1hn9ik1b
@user-ev1hn9ik1b Ай бұрын
奈良美智(青森出身)の展覧会で彼がサハリンで撮ってきた写真のキャプションに「日本の中央から離れれば離れるほど、なぜか自分の故郷に近づいている気がする」とあったのを思い出しました。私自身青森出身でロシア語とロシア極東の文化を学んでいるのでそれに深く共感した記憶があります。会話の中であまり回りくどい表現をせず端的にものを言うことや、愛想良くするのが礼儀正しいという意識が希薄なことなどから文化的な近さを感じます。
@user-pm6wt5yh1x
@user-pm6wt5yh1x 2 ай бұрын
「どうも」は普通に話し過ぎて、そんなに注目される語彙だとは思わなかったな。
@user-bm6dw4kg4w
@user-bm6dw4kg4w 2 ай бұрын
青森県出身の妻は子供の頃「はーいーかーうー!」と言いながらお店に入って行ったそうで、聞いた時に衝撃を受けた記憶があります。
@3d_kuma
@3d_kuma 2 ай бұрын
堀元さんの話折り芸は、ゆる言語学ラジオの『ゆる』部分を担ってるので安心してもっとポキポキしてほしい
@renk1310
@renk1310 2 ай бұрын
わかる。堀元さんの体験エピソードこじつけ芸もっと見たい
@user-pg6sh1xy9u
@user-pg6sh1xy9u 2 ай бұрын
水野さんのまとめ、いいお話でした👏
@coukusu
@coukusu 2 ай бұрын
興味深いお話をありがとうございました♫ 父が秋田県、母が山口県の出身です。 いろいろ思い当たる節があり、知ることが人間の相互理解にプラスに寄与することを実感しています。 おかげで茨城県出身の妻により寛容になれる気がしています。
@__-cm3gn
@__-cm3gn 2 ай бұрын
やくざが店舗に入るときにする意思表示語「邪魔するでー」 店主が入ってきたやくざに対して対応する語「邪魔するなら帰ってー」
@DDDDoctor
@DDDDoctor 2 ай бұрын
はいよー(クルッ
@pupopopopopu6102
@pupopopopopu6102 Ай бұрын
福島出身です 駄菓子屋に入るときは 大きい声で「ちょーだいな!」とさけんでました 夕方以降 家を訪問するときは「お晩ですー」 朝出かけると近所のおばちゃんに「どごさ行ぐのー」 そしてお礼はいつも「どうもねー」 ありがとうという単語はあまり使ったことがない
@nagisa_gin
@nagisa_gin 2 ай бұрын
参考文献2日前から貼ってあるのか、、、
@user-dl7tg1hi7i
@user-dl7tg1hi7i 2 ай бұрын
確かに正月に青森の祖父母の家に行くと、「これ(おかす)食べなさい」、「(お年玉貰ったら)開けなさい」と何かと直接的に言われてた気がします。
@isamich1535
@isamich1535 2 ай бұрын
「食べなさい」は「け」と言うとおそわったような・・・
@wk371
@wk371 2 ай бұрын
@@isamich1535 東北方言話者は、他の土地から来た人の前ではテレビで学んだ標準語を真似て使うことがあります(岩手、青森で観測しています)
@user-dl7tg1hi7i
@user-dl7tg1hi7i 2 ай бұрын
@@isamich1535 その通りです!コメントは翻訳してました。 実際に言われたのは、「かぁ、け」ですね笑 ちなみに、「け」には食べなさいの他に、痒い、欲しい(下さい)といった意味もあります!
@user-ud3tg9rd5j
@user-ud3tg9rd5j 2 ай бұрын
茨城における「いやどーも」はイタリアのチャオよりカバー範囲広い。
@hobi1371
@hobi1371 2 ай бұрын
「だいじ?」と「いやどーも」があれば地元ではとりあえずなんとかなる気がしてるとこある
@jk770415
@jk770415 2 ай бұрын
外国人には最強の言葉として「どーも」を教えています。会った時の挨拶、さよならの挨拶、thanks, sorry, excuse me, 相槌の代わり、、、どーもだけで会話を繋げられる。
@isamich1535
@isamich1535 2 ай бұрын
@@hobi1371 「だいじ?」は「だいじょうぶ?」という理解でいいですか?
@user-rf5dw9wj2q
@user-rf5dw9wj2q 2 ай бұрын
県北の方ですか?私は県南ですが、あまり聞かないですね。
@hobi1371
@hobi1371 2 ай бұрын
@@isamich1535 そうです〜。なんか見た感じ問題ありそうなら「だいじ?」→「だいじだいじ」の1往復が追加される感じになるかなと。 大丈夫じゃなかったらその話題に移行するけど。
@user-rs5fe8og7g
@user-rs5fe8og7g 2 ай бұрын
使い分けない例でこれ思い出したw 客「なんやコレ」        (何ですかこれは) 商「なんやと!」       (何を言っているんだ!) 客「『なんやと』ぉ!?」     (「何を言っているんだ!」だって!?) 商「なんや!?」         (何か言いたい事でもあるのか!?) 客「なんや!?」         (何でそんなに怒るんだ!?) 商「なんや!?」         (何だやる気か!?) 他「なんや」          (何事だ) 他「なんやなんや」      (何が起きたのだろう) 他「なんやケンカやて」    (何だかケンカだそうだ) 他「なんや」          (なんだそうだったのか) 客「なあんやあ」        (※威嚇の声) 商「ねえあんやあ」      (※威嚇の声) 警「もうなんやなんや」    (まぁいい加減にしなさい) 警「なんや?なんやねん」  (何があったんだ?) 商「なあーやねん!」      (何で関係ない人間が入ってくるんだ!) 警「なんやねんてなんや!」 (関係ないとは何だ!) 商「なんや!」         (お前もやる気か!) 客「なんやーーーーー!」  (※怒りを爆発させた声)
@addiedeckbrush5674
@addiedeckbrush5674 2 ай бұрын
自分は大阪ですが、例えツッコミやノリツッコミが好きなのは言い分けの文化っぽいなと感じました。
@psypsysee_HobbyChannel
@psypsysee_HobbyChannel 2 ай бұрын
人文学で、他人を知ることが自分を知ることになるというくだりは、ソシュールの単語の切り分けに通じる部分があるように思えますね。水野さんが関心を持つのもよくわかります。
@United_sandglass
@United_sandglass 2 ай бұрын
ありゃーの方言らしきもので「あっさっさ」というのもたまに使いますね 誰かが何かを失敗してしまった時によく使ってます(個人的見解です)
@konamonwalotemauer1172
@konamonwalotemauer1172 2 ай бұрын
私の専門は純数学で基礎研究全般そうですが、まず「役に立たなければ研究する価値がない」ということと一定距離を置くべきです。 それを高校生視聴者などに強化する主張はどうかな、と思いました。 また、役に立つかどうかから離れて研究する人と、それをどう役に立てるか考える人が全然別であっても構わないわけで、相対性理論をスマホに役立てた人間はいるが、相対性理論はスマホに役に立てたくて研究されたわけではないものと思います。
@user-tt8cf8vx1y
@user-tt8cf8vx1y 2 ай бұрын
オタク(お宅)は会話が苦手な人同士で趣味は?みたいな意味合いでお宅は?と話し掛けたのが"オタク(個人)界隈"で流行っている事という風に発展していったものと電気街で聞きました。言葉による間合いの取り方の違いが好きです。
@aaaajp
@aaaajp 2 ай бұрын
堀元さん、今日は一段と紫がかってますね!(大阪)
@ryoryo1016ryo
@ryoryo1016ryo 2 ай бұрын
12:23 うわ、、、 家族とか地元の友達と電話して、切るときに「どーもない(意味:どうもね)」って言って切るわ笑 東京の友達に、変な電話だねって言われたことあるわー笑笑 ちなみに福島出身です🤪
@sckln3
@sckln3 2 ай бұрын
個人の性質に帰さないと理解しても、歩み寄れるかはまた別の話ですよね。ラーメンの好みとかも。
@hm-qn2rq
@hm-qn2rq 2 ай бұрын
いきなり「買おう」はちょっと抵抗有るけど 「くださいな」とかだと有りかなと思う
@isamich1535
@isamich1535 2 ай бұрын
「買おう」と言うわけじゃなくて、「買おう」という意味の言葉だと分類される言葉群ということだと理解しましたが・・・
@figue432
@figue432 2 ай бұрын
「三丁目の夕日」か何かの漫画で、子供が駄菓子屋を訪れたときに「くださいなー」と挨拶するシーンの記憶があって、このことかと合点がいきました。
@user-on8lh3qk1z
@user-on8lh3qk1z 2 ай бұрын
「ものの言いかた西東」の一章「口に出すか出さないか」の話をしたとき、"なんかえっち"って言われたのは心外だった
@user-hc5lj8ly5o
@user-hc5lj8ly5o 2 ай бұрын
ありがとうございました。 「ええ時計してはりますなぁ」→はよ帰れ 「後から誰か来はりますの?」→扉閉めろ 「お水のおかわりいかがですか?」→食い終わったならさっさと帰れ 「お子さん元気で、よろしおすなぁ」→子供うるさいで ↑ 京都での、これらの定型文は、今となってはとても有名なものですが こういう、狭い地域での文化的な違いが、理解されてない土地柄、きっといっぱいあるんだろうなと思います。 東北、関東、東海、四国と、いろんな土地に住んだことのある私には、今回二回にわたっての話は大変興味深い。 東北の人は、コミュ障とは思ってませんでした。 紹介されている書籍も取り寄せ、読んでみようと思いました。
@hriopmoiu8175
@hriopmoiu8175 2 ай бұрын
昭和生の埼玉県民ですが、小さい頃 駄菓子屋さんへ行くときに「くださいな」って 言いながらお店に入っていったことを思い出しました! いつの間にか言わなくなったな〜
@user-en8zx8xq8t
@user-en8zx8xq8t 2 ай бұрын
「どうもどうも」「いやどうも」「かえってどうも」… バリエーションはあっても、どうもの万能感は変わらないw@茨城
@user-jg4lb7vc3h
@user-jg4lb7vc3h 2 ай бұрын
地域の文化を尊重しつつ、ステレオタイプ化しないっていうのが、すごく難しいなと思いました。 つまり許容するときには使って、蔑みに使ってはいけないということなのでしょうが、人間そんなにおおらかでも居続けられないとも思うんですよね。 イラッとしたときにはきっと「この〇〇人は!」と思ってしまうと思います。 また人を選ぶときにも、地域差があるとわかっていても好みに合う方を選んでしまうだろうなとも。 違いがないのでなく、あるとわかってしまった時に、それをどう扱うかがとても難しいなと思いました。
@user-nl7sw3dr5l
@user-nl7sw3dr5l Ай бұрын
その見地に自覚的に立てるだけでもあなたは立派です。己の内なる不寛容を知ってこそ寛容の入り口にすでに立っています。
@user-cj7ej6mp5q
@user-cj7ej6mp5q 2 ай бұрын
東北は【最小限で済む意思疎通方法を無意識に選択】+【口も極力開けず動かさずに済む発音】で成り立っている感覚です。 これは資源の少ない極寒の中での生活は、あらゆるムダがそぎ落とされ淘汰される為、意思疎通や言語もムダが入る余地がなくなり計算資源を最小化した通信プロトコルみたいになっている印象です。 計算資源を常に最小限にしようとしているイメージですね。 ゆるコンピュータ科学ラジオの【「晩ごはんはカレー」を極限まで短くすると、"沈黙"になる】はまさに、言葉を省く東北の文化に通じる気がしました(元岩手県民)。
@TAKOYAGl
@TAKOYAGl 2 ай бұрын
「どうも」は確かにめちゃくちゃ言いますね。店入る時、出る時、レジのお礼文句、近所の人とすれ違った時、電話切る時、宅配便の人と別れる時…
@before_z
@before_z 2 ай бұрын
「雪を表す語彙が多い」クリシェがきて爆笑して高評価を押し、「人文学会代表として生活する」を聞いてまた爆笑してもう一度高評価を押そうとしてしまいました。
@user-io9xx1lf9z
@user-io9xx1lf9z Ай бұрын
関東出身の愛知県民です。 職場の方に「ぴゃー」という擬態語を多用する方がいて、変わっているなぁと思っていたのですが、もしかしたら方言なのかもしれないですね。
@monzen164
@monzen164 2 ай бұрын
子供の頃は、「かぁ~うぅ~」って宣言しながら駄菓子屋へ入ってました。教えられた記憶はありませんが、どうして「買う宣言」してたのかが、ずっと疑問でした。
@shindel_sakana
@shindel_sakana 2 ай бұрын
東北人なのですが仕事とかで反りが合わない人はたいてい関西出身だし、大阪出身の元カノともめちゃくちゃ別れました。
@user-yamaloser
@user-yamaloser 2 ай бұрын
めちゃくちゃ別れたってことは相当なヤリ手かな…?
@ErHigh
@ErHigh 2 ай бұрын
数がめちゃくちゃなのか程度がめちゃくちゃ(?)なのか
@bdad4y
@bdad4y 2 ай бұрын
日本語って難しい
@shindel_sakana
@shindel_sakana 2 ай бұрын
@@user-yamaloser ヤリ手ではないけどハートでは誰にも負けない。
@shindel_sakana
@shindel_sakana 2 ай бұрын
@@ErHigh 数とか程度って言うよりも気持ちの問題。
@granderegalia
@granderegalia Ай бұрын
ドラえもんに出てきた「やったー」自分も「?」ってなってました
@TakaoSho
@TakaoSho 2 ай бұрын
今から申しますよ!っていう意味合いではなく、聞こえています?っていう意味合いの「もしもし」も冒頭では使わなくなった気がしますね。 家の電話しかなかった頃は、親や上の世代が、冒頭に様式として良く「もしもし」といったもので、それを見て子供の頃に育ったなら、 自身も使う機会があればいう機会もあったかもしれない。 しかし携帯やスマホの登場で、個人がもっていると家族が使うところなんか殆どみなくなったし 実際にスマホで電話に出たときの多くは「はい」としか言わず、電話帳の機能で相手が誰かわかった上で出ることになる。 どちらかというと電波が途切れた時に、ワンチャンいうぐらいかなぁー。つかうシュチエーションが変わるのも言葉の変成として面白いですよね。
@moco1170
@moco1170 2 ай бұрын
「じゃまするでー」 「じゃまするなら帰ってー」 「はいよー」
@eudaimonia_eudaimonia
@eudaimonia_eudaimonia 2 ай бұрын
映像が浮かびますね〜 今回の話を踏まえると店員さんは非関西出身なのかも
@user-wj2og7ls3p
@user-wj2og7ls3p 14 күн бұрын
確かに、お店でどうもって言ってた😂
@mozoro
@mozoro 7 күн бұрын
昔ジャポニカロゴスという番組で「どうも…」という言い方で敬語にするという話がありました(昔のことなので詳細は曖昧な部分があります) どうもはその後に様々な語を付けることが出来るので、聞く側が適切な言葉を勝手に想像してくれる、失礼になりにくいというようなものだったと思います 私も取引先等お世話になっているところで使うことがよくあるのですが、言う側にとっても「どうも」だけにすることで複数の感情を同時に乗せられると言うメリットを感じて使いやすいと思っています
@matsuken_yonba
@matsuken_yonba 2 ай бұрын
今回の終わり方なんか唐突でおもしろい
@ミューエ_ヴァイス
@ミューエ_ヴァイス 2 ай бұрын
完全に僕も「あちゃー」はうつりました
@fourfiveone5968
@fourfiveone5968 2 ай бұрын
なんかのゲームがドラクエに確定していく(笑)
@user-to1eo7vn8p
@user-to1eo7vn8p 2 ай бұрын
バ先に仙北出身の訛りキツいおじちゃんがいたんだけど、私が「ありゃー!」って言っちゃうような場面だとおじちゃんは「あいやー」って言ってて可愛かった
@sanjohtrafficrailroads5411
@sanjohtrafficrailroads5411 2 ай бұрын
コンテンツ見る前やけど、いちネイティブ大阪人的には「関西人は婉曲と直接を使い分ける」印象の方が強いかも。
@TakaoSho
@TakaoSho 2 ай бұрын
私も関西人(=大阪人でないが隣接地域にいる)だけど、使い分けているなぁー 京都人みたいに、本音と建前みたいな使い分けではないw
@0ne51ze
@0ne51ze 2 ай бұрын
​@@TakaoSho 京都人に多く皮肉屋がいる印象はありますが、他地域と比較して特に際立って本音と建前を分けているわけでもないように思います。
@achan1402
@achan1402 2 ай бұрын
13:15 ここマジで好き
@fact0404
@fact0404 2 ай бұрын
ちゃかなすの真骨頂出ましたね
@yumishima7220
@yumishima7220 2 ай бұрын
ありゃー、普通にみんな使うと思っていたけど、言われてみると周りの人は言わないなあ、ありゃりゃ。(岩手出身、東京在住)
@christopherhenderson4416
@christopherhenderson4416 2 ай бұрын
こんにちは 今日は過ごしやすい日ですね 動画を拝見したんですが感想を言っても大丈夫でしょうか 面白かったです ありがとうございました
@chndsmmll
@chndsmmll 2 ай бұрын
ちなみに、食事の時のくちゃくちゃ、など咀嚼音への考え方に文化差があるのは有名ですが、これは相手の出自とかを知ったとしても不快さを軽減しにくい例ですよね。
言葉のすれ違いで人が死んだ話。言語は不完全すぎる。#334
46:38
ゆる言語学ラジオ
Рет қаралды 114 М.
НРАВИТСЯ ЭТОТ ФОРМАТ??
00:37
МЯТНАЯ ФАНТА
Рет қаралды 1,6 МЛН
Happy 4th of July 😂
00:12
Alyssa's Ways
Рет қаралды 65 МЛН
文字コードを深掘りする。文字化けはなぜ起こるのか?【文字コード1】#92
43:38
ゆるコンピュータ科学ラジオ
Рет қаралды 107 М.
イスを買ったら業者とのバトルが勃発した話 #57
28:05
ゆる学徒カフェ
Рет қаралды 33 М.
НРАВИТСЯ ЭТОТ ФОРМАТ??
00:37
МЯТНАЯ ФАНТА
Рет қаралды 1,6 МЛН